001 曇りつつ 淚しぐるる 我が目にも 猶紅葉葉は 赤く見えけり
正月の比ほひ、思餘りては、長歌も有べし。
002 春霞 棚引渡る 今日よりや 並べて草木も 花心付く
003 霧晴ぬ 淺間岳に 甚しく 今日は霞の 立ちや添ふらん
004 池水の 影も絕えせぬ 春日すら 影を元もに 遊ぶ鷗か
005 鶯は 惜しむとや鳴く 朝曇り 散去く雪の 花の名殘に
006 小夜千鳥 羽搏つ浪の 音す也 餘所の春風 冰解くらん
007 松引きて 千代とも祈る 今日しまれ 降る程も無く 消ゆる初雪
008 衷淒く 立つ河霧を 見渡せば 朝食む鶴の 上も霞めり
009 詫言の 道斷つ雪も 消えぬめり 今日しや野邊に 若菜摘らん
010 春每に 人は老ゆれど 難波なる 葦の裝ひは 衷若く見ゆ
011 人世に 憂きにも春は 通振らし 上の水草も 色變りけり
012 春駒の 荒むる淀の 若草も 妻には如かぬ 物にぞ有ける
013 君坐さば 移しにも為む 梅花 とく取止めよ 風散らすめり
014 春野に 若菜摘むとて 花筐 心にも在らぬ 妻を娶りつる
015 鶯の 花枝每に 木傳ひて 明日も春日に 搖るぎ鳴く也
016 漕混ぜの 花錦を 春風の 裁切て里へ 歸る雁音
017 苗代の 水ぞ堰くなる 種しあれば 上に任せて 蛙鳴也
018 取合へぬず 花を惜しむと 永日に 囀りすく 鶯ぞ鳴く
019 春霞 棚引渡る 青柳の 絲は煙に 縒るかとぞ見る
020 木綿付けの 垂りも長き 春日の 明けば心濃く 鳴くぞ悲しき
021 春日に 木芽萌えつや 打群れて 片垣交し 人の行くらん
022 青柳の 絲にや魚ば 斯かるらん 下ろせる影の 網に似たれば
023 山川も 澄む片岡に 百千鳥 聲聞く春は 夜の錦か
024 春雨に 野山も色は 染めてけり 人心を 如何で濡らさむ
025 大海原の 水際は色も 劣らねど 潮搔拂ふ 海人は增され
026 櫻花 匂ひに添ふ 心哉 散らば散るべき 物なら無くに
027 色も香も 水際に宿る 山吹の 面影だにも 散殘らなむ
028 別るれど 春は灰にも 成ら無くに 紫に染む 藤に掛かれる
029 花枝に 羽搏交し 呼子鳥 鳴けども春は 留らざりけり
030 波掛けて 人の惜しむに 梅津川 春の暮をば 指しも繼がなん
031 東野に 任せし駒の 今日は出て 色に青ばと 世に引かるらん
032 櫻花 枝には露も 留まらで 徒なる浪の 殘りぬる哉
033 春雨の 種蒔くが如 大海原に 降ればや石に 海松の生ふらん
034 春立てば 木芽に萌ゆる 炎哉 時に付けたる 戀にや有らん
035 憂世には 花ともがなや 留まらで 我身を風に 任せ果つべき
036 空蟬の 時世に變る 夏衣 人心を 如何で織るらん
037 白妙に 咲ける卯花 いりちとて 風神川 衣掛けしも
038 年每に 八十氏人の 八枚手に 柏木森 薄く成らん
039 若薄 秋野分けて 打忍び 結びやせまし 穗に非ずとも
040 夏草は 枕にすべく 成にけり 旅行く人の 宿に借るらん
041 珍しき 初聲にしも 郭公 昔人の 戀しかるらむ
042 里每に 異にかりくる 郭公 妬きは槙の 戶にも觸はらず
043 摺衣 賀茂社に 木綿襷 袖肩掛けて 亂るらんやぞ
044 今日見れば 穗にぞ出でにける 忍びつつ 駒の荒めし 妹が麥草
045 榊取る 我に勿聞かせ 郭公 願艷く 君が大君
046 人待てば 敲く水雞を 其かとて 儚く明る 夏夜ぞ憂き
047 紫の 底迄匂ふ 杜若 影射す水は 灰にや有らん
048 五月山 雫もよよに 時鳥 誰が里へとか 夜半に來つらん
049 今日見れば 玉台も 無かりけり 菖蒲草の 庵のみして
050 時鳥 旅に在かや 此里の 菖蒲草の 宿に結べる
051 枝ながら 冬の夜半來る 橘の 花は再び 時に合ふかも
052 誠かと 行きて見てしか 化野は 此五月雨に 如何成れると
053 刈る薦に 玉卷卓 五月雨を 節にも人に 思ふべき哉
054 臥返り 澤水むせぶ 真薦草 影をも人は 刈らんとや思ふ
055 大幣に 置ける朝露 今朝分けて 衣袖を 引濡らしつる
056 小倉山 火見ゆる方に 宿かれば 螢の集く 且は成けり
057 照れる日に 露待侘て 跳返る 水屑てふ名は 澤にや有らん
058 蓮葉の 繁る池水 所無み 旅空なる 人が宿さず
059 夏夜の 草刈笛の 口慣れて 歸る兆無し 夕暮の空
060 如此計 千草凋みて 照日にも 獨眺むる 袖は乾かじ
061 冬を經て 照射に生ふる 麥秋は 夜寒也けり 蟬の羽衣
五月蟬聲の麥秋を送る
062 谷水は 傾け生ふる 夏草は 岸行く蔭の 駒ぞ荒むる
063 空澄みて 鏡と棲める 夏日は 飛交ふ鶴の 鳴さへぞ憂き
064 五月山 此も彼もに 隱れ兼ね 儚き物は 照射也けり
065 手慣るれど 猶火鼠の 蝙蝠は 暑さぞ增さる 熾きやしてまし
066 大幣に 搔撫で流す 天兒は 行く其人の 淵を見るらん
067 撫子の 何睦まじき 常夏を 夜しも見ぬぞ 侘しかりける
068 植ゑし時 我が種取りし 夏色は 褄取るばかり 成にける哉
069 弓張りの 有明月の 月內に 入影惜しき 夏にもある哉
070 霧迷ふ 秋は來にけり 遲れじと 思ひて草木 今や色付く
071 七夕の 天川船 秋每に 如何なる星か 綱手引くらん
072 七夕の 別るる朝の 袖漬ちて 星の見渡る 鵲橋
073 七夕に 貸しし衣を 秋每に 風吹返す 戀ぞせんかし
074 女郎花 人や賴めて 戀つらむ 妹解かきたる 秋夕暮
075 秋野に 放捨てたる 駒の尾は 鞍とは露ぞ 移し置ける
076 思ふには 成る事無しと 鈴蟲の 聲振立つる 秋ぞ悲しき
077 山田守 我衣手に 露は置けど 草葉にしても 移ろは無くに
078 穗のめきし 光許に 秋田の 見守侘しき 頃の色哉
079 山田守る 庵に妻無き 我とてや 夜な夜な襲ふ 秋白露
080 秋風に 哀添へむと 雲路分け 羽振分けて 雁は來にけり
081 秋霧の 標結ひそふる 大空に 如何でか雁の 飛通ふらん
082 蛬 片鳴きすれば 妹が衣 砧で打合せ 聲唱ふ也
083 小男鹿も 聲振立つる 秋とてや 荻下葉も 色に出でぬらん
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※賀茂保憲女集 裏書
加茂女 保憲女
私云,歌員數百十六首云云。而二百餘首在之,如何?
以他本可校合哉。
或勘物云:
賀茂保憲者,吉備麻呂五代之孫,丹波權介忠行子。榖倉院別當,曆、文章等博士,主計頭。
延喜十七年丁巳生,貞元二年二月廿日卒。
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