蜻蛉日記拾遺 卷末和歌集


 佛名の明日あしたに、雪振ゆきのふりければ。
     年内としのうちに 罪消つみけにはに 降雪ふるゆきは つとめてのちは つもらざらなむ

    道綱母

    ◎佛名者,佛名會也。


 殿、離給はなれたまひて後、久しうありて、七月十五日、盆の事等、聞こえの給へる御返事かへりごとに。
     かかりける 此世このよらず いまとてや 哀蓮あはれはちすの つゆつらむ

    道綱母

    ◎かかり者,「懸かり」也,用以飾露。亦喻「斯かり」。◎蓮,本意之外,再喻佛惠。


 四の宮の御子の日に、殿に代奉かはりたてまつりて。
     峰松みねのまつ おのよはひの かずよりも 今幾千代いまいくちよぞ きみかれて

    道綱母

    ◎日本紀略康保元年二月五日壬子條:今日,第四為平親王,自禁中出北野。有子(ね)日之興,中納言師氏以下多以陪從。供鷹犬等。


 その子の日の日記を、宮に侍ふ人に借り給へりけるを、其の年は、后の宮うせさせ給へりける程に、暮れはてぬれば、次の年、春、返し給ふとて、端に。
     袖の色 變はれる春を 知らずして 去年に並へる のべの松かも

    道綱母

    ◎日本紀略、榮花物語、大鏡裏書:村上天皇皇后安子,為平親王母。康保元年四月廿九日崩御。◎のべ,以野邊之松諭延長之待。


 尚侍の御殿:「天の羽衣と言ふ題を読みて。」と聞こえさせ給へりければ。
     ねれ衣に あまの雨衣 むすびけり かつは藻鹽の 火をし消たねば

    道綱母

    ◎ねれ,「濡れ」諭「有らぬ(不存在)」。◎あま,以「天」諭「海人」。


 陸奧國にをかしかりける所所を、繪に描きて、持て昇りて見せ給ひければ。
     陸奧の ちかの島にて 見ましかば いかに躑躅の をかしからまし

    道綱母

    ◎をかし,有趣。相關用例可見枕草子。◎ちか,地名。又諭「近」。◎躑躅のをかし,以「躑躅岡し」諭「躑躅可笑しい」。


 或る人、賀茂の祭の日、むごとりせむとするに、男の元より、あふひ嬉しきよし、言ひ起こせたりける返り言に、人に換はり。
     頼まずよ 御垣をせばみ あふひばは 標の他にも 有りと言ふ也

    道綱母

    ◎むごとりせむ,娶婿。◎あふひ,以「葵」諭「逢ふ日」。


 親の御忌にて、一つ所に、はらから達集まりておはするを、異人人は、忌果てて、家に歸りぬに、一人泊まりて。
     深草の 宿になりぬる 宿守る 止まれる露の 頼もしげなさ

    道綱母

    ◎はらから,兄弟姊妹。◎深草:以「草深」諭地名之「深草」。◎露:以露之稍刻即逝諭己身之儚。


 返し、為雅の朝臣。
     深草は 誰も心に 茂りつつ 淺茅ヶ原の 露と消ぬべし

    為雅

    ◎為雅,道綱母之姊婿,藤原為雅。


 當帝の御十五日に、亥の子の形を作りたりけるに。
     萬代を 呼ばふ山邊の 亥の子こそ 君が仕ふる 齢なるべし

    道綱母

    ◎當帝,一條天皇。◎亥の子:此云ゐのこ,亥者,豬也。以豬多產,作賀物用。


 殿より八重山吹を奉らせ給へりけるを。
     誰が此の 數は定めし 吾は唯 十重とぞ思ふ 山吹の花

    道綱母

    ◎殿,藤原兼家。◎十重:以「十重(とへ)」諭「訪え(とへ)」字。◎本歌亦入『詞花集』、『玄玄集』。


 はらからの、陸奧國の守にて降るを、長雨しける頃、其の降る日、晴れたりければ、斯の國に河伯とと言ふ神有り。
     我が國の 神の守りや 添へりけむ かわく氣ありし 天つ空かな

    兄弟

    ◎はらから,理能、長能兄弟實未任陸奧守,遂不詳。◎かわく:以「乾く(かわく)」諭「河伯(かはく)」。


 返し。
     今ぞ知る かわくと聞けば 君がため 天照る神の 名にこそありけれ

    道綱母

    ◎かわく:乾く(かわく)與河伯(かはく)雖在古音中有差,然此時已漸混淆而得通容。


 鶯、柳の枝に在りと言ふ題を。
     我が宿の 柳の絲は 細くとも くる鶯は 絶えずもあらなむ

    道綱母

    ◎かわく:くる。以絲之「繰る(くる)」諭鶯之「來る(くる)」。◎本詩亦入『玄玄集』、『玉葉集』。


 傅の殿、初めて女のがり、遣り給ふに、代はりて。
     今日ぞとや 辛く待ち見む 我が戀は 無始 以來なるべし

    道綱母

    ◎傅の殿:藤原道綱。◎本詩,道綱初通文與女,其母代作。◎無始以來:此云はじめもなきがこなた。


 度度の返り事無かりければ、杜鵑の形を作りて。
     飛び違ふ 鳥の翼を 如何なれば 巢立つ嘆きに かへさざるなむ

    道綱

    ◎嘆き:以嘆息「嘆き」諭「嘆木」。◎かへさ,以「返さ」諭「孵さ」。


 尚、返り事せざりければ。
     細蟹の いかになるらむ 今日だにも 知らばや風の みだるけしきを

    道綱

    ◎細蟹:ささがに、蜘蛛也。◎いかに、以蜘蛛「絲(い)」諭「如何(いか)」。◎みだる:以蜘蛛絲為風吹「亂(みだれ)」諭書信「見(み)」否。


 また。
     絶えて尚 すみのえになき なかならば 岸に生ふなる 草もがな君

    道綱

    ◎すみのえに:以「住の江に(すみのえに)」、諭共結連理之緣「棲みの縁(すみのえに)」。◎本詩用典紀貫之墨滅歌(古今集)。


 返し。
     住吉の 岸に生ふとは 知りにけり 摘まむ摘まじは 君がまにまに



    ◎墨滅歌:道知らば、摘みにもゆかむ、住吉の江の、岸に生ふてふ、戀忘れ草。(古今集・戀二)。


 實方の兵衛佐に會はすべしと聞き給ひて、少將にて御坐しける程の事なるべし。
     柏木の 森だにしけく 聞く物を などか三笠の 山のかひなき

    道綱

    ◎會はすべし:其親欲令婚嫁。◎柏木:亦為兵衛之別名。◎三笠:亦為近衛之別名。◎かひなき:以「峽(かひ)」諭「效(かひ=甲斐)」。


 返し。
     柏木も 三笠山も 夏なれば しげれど文な 人の知らなく

    源滿仲女

    ◎しげれど:森之「茂れど」、諭信之「繁れど」。◎本詩用典小野美材之曲(古今集・戀二)。


 返す事するを、親はらから制すと聞きて、まろこ菅にさして。
     うち傍見 君一人見よ まろこすげ まろは人すげ なしと言ふ也

    道綱

    ◎まろこすげ:まろこ菅、菅(すげ)之一種,一以諭まろ,一以諭「素氣無(すげな)し」。


 患ひ給ひて。
     三途川 浅さの程ども 知られじと 思ひしわれや まづ渡りなむ

    道綱

    ◎患ひ:或為道綱患疱瘡大病之時。若為此時,則下文之女非為源滿仲女。◎三途川:此云みつせかは。


 返し。
     三途川 吾より先に 渡りなば 水際にわぶる 身とやなりなむ



    ◎三途川:俗云さんずかは,於此同上讀作みつせかは。


 返り事する折、せぬ折の有りければ。
     かくめりと 見れば絶えぬる 細蟹の 絲故風の 辛くもあるかな

    道綱

    ◎かく:以蜘蛛絲之「搔く」諭回信之「書く」。◎風の辛く:依蜘蛛絲之因風而「斷」諭女回信之因週遭而「絕」。


 七月七日。
     七夕に 今朝引く絲の 露を重み 撓む景色も 見でややみなむ

    道綱

    ◎絲の露:七夕前夜或時節,有將五色絲掛於竿上供奉再拔除之習俗。◎撓む:以五色絲含露纏繞之狀,諭女心之多折。


 これは、後朝の。
     別つより 翌晨の袖ぞ 濡れにける 何をひるまの 慰めにせむ

    道綱

    ◎袖ぞ:俗語「袖を分つ」是即「別つ(わかつ=別離)」之意。◎ひるま:以「干る間」諭「晝間」。


 入道殿、為雅朝臣の女を忘れ給ひにける後、日蔭の絲結びてとて、給へりければ、それに代はりて。
     掛けて見し 末も絶えにし 日蔭草 何に餘所へて 今日結ぶらむ

    道綱母

    ◎入道殿:藤原義懷。因花山天皇出家,一併入道相伴。◎日蔭の絲:日蔭蔓,用於神事。


 女院、今だ位に坐しまししをり、八講行はせ給ひける捧げ物に、蓮の數珠参らせ給ふとて。
     となふなる 波の數に あらべども 連の上の 露にかからむ

    道綱母

    ◎女院:東三條院,詮子。◎波:轉發極樂微妙之聲而流傳之摩尼法水之波。


 同じ頃、傅の殿、橘を参させ給へりければ。
     かばかりも とひやはしつる 杜鵑花 橘のえに こそありけり

    詮子

    ◎かばかり:以「香ばかり」諭「斯ばかり」。◎とひ:以「飛ひ」諭「訪ひ」。◎えに:以「枝に」諭「緣」。


 返し。
     橘の 成りももぼらぬ みを知れば 下枝ならでは とはぬとぞ聞く

    道綱

    ◎みを知れば:以「實を知れば」諭「身を知れば」。◎とは:「飛ばぬ」諭「訪はぬ」。


 小一條の大將、白川に坐しけるに、傅の殿を「必ず坐せ」とて、待ち聞え給ひけるに、雨いたう降りければ、えおはせぬ程に、隨身して、「雫をおほみ」と聞え給へりける返り事に。
     濡れつつも 戀しき道は 避かなくに 未だ聞えずと 思はさらなむ

    道綱

    ◎濡れつつ:以「濡れつつ」對「雫をおほみ」。


 中將の尼に、家を借りた給ふに、貸し奉らざりければ。
     蓮葉の 浮葉をせばみ 此の世にも 宿らぬ露と 身をぞ知りぬる

    道綱母

    ◎中將の尼:源清時之女。◎宿らぬ:在『道綱母集』有「宿さぬ」。


 返し。
     蓮にも たまゐよとこそ 結びしか 露は心を おきたがへけり

    中將の尼

    ◎たま:以露之「玉」諭人之「魂」。◎結び:佛立濟度眾生之誓。◎露:諭道綱母。


 粟田野見て、歸り給ふとて。
     花薄 招きも止まぬ 山里に 心の限り 留めつる哉

    道綱母

    ◎粟田野:粟田一代之平原。


 故為雅朝臣、普門寺に、千部の經供養するに坐して、歸り給ふに、小野殿の花、愛おもしろかりければ、車引き入れて、歸り給ふに。
     薪こる 事は昨日に 盡きにしを いざをのの柄は 此處に朽たさむ

    道綱母

    ◎薪こる:『法華經』有「拾薪設食」之語。◎をの:以「斧」諭「小野」。亦引爛柯山之典。


 駒競べの負け態とおぼしくて、銀の瓜破子をして、院に奉らむとし給ふに、「この笥にうたむ」とて、攝政院より、歌聞えさせ給へりければ。
     千代も經よ 立ち返りつつ 山城の こまにくらべし 瓜の末なり

    道綱母

    ◎こま:以「狛」諭「駒」。◎くらべ:以「並べ」諭「競べ」。


 繪のところに、山里に眺めたる女有り、杜鵑鳴くに。
     都人 寢で待つらむや 杜鵑 今ぞ山邊を 鳴きて過ぐなる
      此の歌は、寬和二年歌合にあり。

    道綱母

    ◎ところ:此指構圖。◎本歌亦入『拾遺集』『玄玄集』『袋草紙』等,為道綱母之代表詩歌。


 法師の、舟に乘りたる處。
     綿津海は あまの舟こそ ありと聞け のりたがへても 漕ぎ出けるかな

    道綱母

    ◎綿津:海神作わたつみ,此作枕詞。◎あま:以「海人」諭「尼」。◎のり:以「乘」諭「法」。


 殿、離れ給ひて後、「通ふ人あべし」等聞え給ひければ。
     今更に 如何なる駒が 懐くべき 荒めぬ草と 遁れにし身を

    道綱母

    ◎本詩亦見於蜻蛉和歌集本文。誤採入拾遺集乎。


 歌合に、卯の花。
     卯の花の 盛りなるべし 山里の 衣さほせる をりと見ゆるは

    道綱母

    ◎衣さほせるをり:干衣。更衣(ころもがえ)之準備。


 杜鵑。
     杜鵑 今ぞさ渡る 聲すなる 我が告げ無くに 人や聞きけむ

    道綱母

    ◎杜鵑:ほととぎす、時鳥、不如歸。◎人:戀人。


 菖蒲草。
     菖蒲草 今日の水際を 訪ぬれば ねを知りてこそ 片寄りにけれ

    道綱母

    ◎ね:以尋訪菖蒲之「聲」諭其「根」,尚有「根合せ」、「寝合せ」之意。◎人:戀人。


 螢。
     五月雨や 木暗き宿の 夕されは 面照るまでも 照らす螢か

    道綱母

    ◎面照る:照面,露臉而害燥之意。


 常夏。
     咲きにける 枝なかりせば 常夏も のどけき名をや 殘さざらまし

    道綱母

    ◎常夏:此云ことなつ,是為撫子(なでしこ)之別名。


 蚊遣火。
     文なしや 宿の蚊遣火 付けそめて 語らふ蟲の 聲をさけつる

    道綱母

    ◎文なしや:諸本,「あやなくにことの」、「あやなくやことの」、「あやなくややとの」、「あやなしややとの」並有。


 蟬。
     送ると言ふ 蟬の初聲 聞くよりぞ 今かと麥の 秋を知りぬる

    道綱母

    ◎蟬の初聲、麥の秋を:引李嘉祐「五月 蟬聲送麥秋」(千載佳句)之典。


 夏草。
     駒や來る 人や分くると 待つ程に 茂りのみます 宿の夏草

    道綱母

    ◎茂り:以草之「茂り」反諷人來之不「繁り」。


 戀。
     思ひつつ 戀ひつつは寢じ 逢ふと見る 夢をさめては 悔しかりけり

    道綱母

    ◎引小野小町「思ひつつ寢ればや人の見えつらむ夢と知りせば覺めざらましを」(古今集戀二)之典。


 祝ひ。
     數知らぬ 真砂にたづの 程よりは そめけむ千代ぞ すくなき

    道綱母

    ◎たづ:以「立つ(たつ)」諭「鶴(たづ)」。



    心得ぬ所所は、本のままに書けり。賀の歌は日記に有れば書かず。


蜻蛉日記

[久遠の絆] [再臨ノ詔]