後拾遺和歌集 卷二十 神祇 【附釋教、誹諧。】
【神祇】 【釋教】 【誹諧】 【異本】
神祇
1160 長元四年六月十七日に、伊勢齋宮の內宮に參りて侍けるに、俄に雨降風吹きて、齋宮自から託宣して祭主輔親を召して公御事等仰せられける序に、度度御神酒召して、土器賜はすとて詠ませ賜へる 【○齋宮齋院百人一首0039。】
盃に 清けき影の 見えぬれば 塵恐は 有らじとを知れ
舉凡視盃中 照映澄明清月影 觀其無暇者 可知凡俗塵世間 逆徒禍心不足懼
伊勢大神宮
1161 御返奉りける
祖父父 孫輔親 三代迄に 戴奉る 皇大御神
祖父與父執 至於孫兒輔親矣 大中臣三代 齋祭仕奉承宣旨 伊勢皇大御神矣
祭主 大中臣輔親
1162 男に忘られて侍ける頃、貴船に參りて、御手洗川に螢之飛侍けるを見て詠める
物思へば 澤螢も 我身より 在所離出る 魂かとぞ見る
每逢陷憂思 眼見川澤飛螢時 心中有所思 恰似湧自我身內 游離而出生魂矣
和泉式部
1163 御返し
奥山に 激りて落つる 瀧瀨の 魂散許 物莫思ひそ
深邃奧山間 萬丈瀧瀨宣泄下 激落水玉零 切莫思其珠沫者 以為心碎散魂矣
此歌は貴船明神の御返也。男聲にて和泉式部が耳に聞えけるとなむ言傳へたる。
此歌,貴船明神所返歌也。傳言男聲而為和泉式部所耳聞矣。
貴船明神 貴船神社
1164 世中騷がしう侍ける時、里刀禰宣旨にて祭仕奉るべきを、歌二つなむ要るべきと言ひければ詠侍ける
白妙の 豐御幣を 取持ちて 齋ぞ始むる 紫野に
白妙敷栲兮 恭執神聖豐御幣 始奉齋祭也 在此摺染紫野間 初祀船岡今宮神
藤原長能
1165 【○承前。世中動盪,命鄉里刀禰宣旨當祭之時,其云應有歌二首。故詠。】
今よりは 荒振る心 坐す莫 花都に 社定めつ
自於今以後 汝當令御心祥和 莫復荒振情 在此絢爛花之都 永恆齋祀定此社
此歌は或人云ふ、世中騷がしう侍ければ、船岡北に今宮と云ふ神を齋祭て、公けも神馬奉給ふとなむ言傳へたる。
此歌,或云,傳言世中動盪,遂於船岡北地,齋祭今宮神。官方貢奉神馬矣。
藤原長能
1166 稻荷に詠みて奉侍ける
稻荷山 瑞玉垣 打叩き 我が祈事を 神も答へよ
伏見稻荷山 杵築打叩瑞玉垣 奮力如吾者 宇迦御魂明神矣 冀應許我願事也
惠慶法師
1167 住吉遷宮之日書付侍ける
住吉の 松さへ變る 物為らば 何か昔の 印ならまし
縱令住吉之 長青松柏仍易改 無常如是者 當以何物為印記 慕古偲昔緬懷哉
山口重如
1168 一條院御時、始めて松尾行幸侍けるに、歌ふべき歌仕奉けるに
千早振る 松尾山の 蔭見れば 今日ぞ千歲の 始也ける
千早振稜威 常磐屹立松尾山 觀彼綠蔭者 今日方為傳千歲 盛世名神之肇也
源兼澄
1169 後三條院御時、始めて日吉社に行幸侍けるに、東遊びに歌ふべき歌仰せ事にて詠侍ける
明らけき 日吉御神 君が為 山甲斐有る 萬代や經む
普照曜天下 日吉明神御威光 奉為吾聖君 比叡山峽亙古今 屹立不搖經萬世
大貳 藤原實政
1170 同御時、祇園に行幸侍けるに、東遊びに歌ふべき歌召侍ければ詠める
千早振る 神園為る 姬小松 萬代經べき 始也けり
千早振稜威 祇園之社神苑間 八坂姬小松 可歷萬代保長青 吾君聖世之始也
藤原經衡
1171 大原野祭の上卿にて參りて侍けるに、雪所所消えけるを見て詠侍ける
榊葉に 降る白雪は 消えぬめり 神心は 今や解くらむ
洽猶榊葉上 飄零降置白雪者 消融之所如 大原野社神御心 今當解冰賜恩澤
治部卿 藤原伊房
1172 式部大輔資業、伊豫守に侍ける時、彼國三島明神に東遊びして奉けるに詠める
有度濱に 天羽衣 昔來て 振りけむ袖や 今日祝子
駿河有度濱 昔日天降神女之 霓裳羽衣者 揮袖儛蹈姿何如 三島祝子今踊矣
能因法師
1173 大貳成章、肥後守にて侍ける時、阿蘇社に御裝束奉侍けるに、彼國女の詠侍ける
天下 育くむ神の 御衣為れば 裄丈にぞ立つ 瑞廣前
天下六合間 孕育森羅與萬象 嚴神御衣矣 令吾寬奉製裄丈 阿蘇神社瑞廣前
佚名
1174 八幡に詣て詠侍ける
此處にしも 湧きて出けむ 石清水 神心を 汲みて知らばや
昔日在此處 蓋有石清水湧出 汲其醒泉者 願得洞察通神慮 能知八幡御意矣
增基法師
1175 住吉に參りて詠侍ける
住吉の 松下枝に 神古て 翠に見ゆる 朱玉垣
墨江住吉之 松柏下枝滿綠蔭 神古盎然故 雖然本是朱玉垣 放眼望去盡蒼翠
蓮仲法師
1176 石清水に參りて侍ける女の、杉木本に住吉社を齋て侍ければ、上社柱に書付けて侍ける
然もこそは 宿は變らめ 住吉の 松さへ杉に 成にける哉
雖然神所宿 鎮坐之地有異者 誰料墨江兮 住吉御社松柏者 在此竟成杉林哉
佚名
1177 貴船に參りて齋垣に書付け侍ける
思事 成る川上に 跡垂れて 貴船は人を 濟す也けり
傳聞人所願 得以成就川河上 權現垂跡而 氣生根兮貴船神 救助蒼生濟世間
藤原時房
1178 後冷泉院御時、后宮歌合に、春日祭を詠侍ける
今日祭る 三笠山の 神坐せば 天下には 君ぞ榮えむ
今日所奉祭 三笠御蓋山麓下 鎮坐春日神 受其庇護扶翼故 吾君聖世永彌榮
藤原範永朝臣
釋教
1179 山階寺涅槃講に詣でて詠侍ける
古の 別庭に 逢へりとも 今日淚ぞ 淚為らまし
光源法師
1180 【○承前。詣山階寺涅槃講而詠侍。】
常よりも 今日霞ぞ 哀なる 薪盡きにし 煙と思へば
前律師惠暹
1181 二月十五日夜中許に、伊勢大輔許に遣はしける
如何為れば 今宵月の 小夜中に 照しも果で 入りし成るらむ
慶範法師
1182 返し
世を照す 月隱にし 小夜中は 憐闇にや 皆惑ひけむ
伊勢大輔
1183 二月十五日夜月明侍けるに、大江佐國許に遣はしける
山端に 入りにし夜半の 月為れど 名殘は未だに 清けかりけり
佚名
1184 太皇太后東三條に渡賜ひたりける頃、其御堂に宇治前太政大臣の扇の侍けるに書付け侍ける
積るらむ 塵をも如何で 拂はまし 法に扇の 風嬉しさ
伊勢大輔
1185 懺法行侍けるに、佛に奉らむとて、周防內侍許に菊を乞侍けるに、遣せて侍ける返事に
八重菊に 蓮露を 置添へて 九品迄 遷化はしつる
辨乳母 藤原明子
1186 太皇太后宮五部大乘經供養せさせ賜ひけるに、法華經に當りたる日、詠侍ける
咲難き 御法之華に 置露や 軈て衣の 珠と成るらむ
康資王母
1187 故土御門右大臣家の女房、車三つに相乘りて菩提講に參りて侍けるに、雨降りければ、二車は歸侍りにけり。今一車に乘りたる人、講に會ひて後、歸りにける人許に遣はしける
諸共に 三車に 乘りしかど 我は一味の 雨に濡れにき
佚名
1188 月輪觀を詠める
月輪に 心を懸けし 夕方より 萬事を 夢と見る哉
僧都覺超
1189 維摩經十喻中に、此身如芭蕉と云ふ心を
風吹けば 先破れぬる 草葉に 比ふるからに 袖ぞ露けき
前大納言 藤原公任
1190 同喻中に、此身如水月と云ふ心を詠める
常為らぬ 我が身は水の 月為れば 世に住遂げむ 事も覺はず
小辨
1191 三界唯一心
散華も 惜しまば止まれ 世中は 心他の 物とやは聞く
伊勢大輔
1192 化城喻品
拵へて 假宿に 休めずは 誠道を 如何で知らまし
赤染衛門
1193 【○承前。化城喻品。】
道遠み 中空にてや 歸らまし 思へば假の 宿ぞ嬉しき
康資王母
1194 五百弟子品
衣為る 玉とも懸けて 知らざりき 醉覺めてこそ 嬉しかりけれ
赤染衞門
1195 壽量品
鷲山 隔つる雲や 深からむ 常に澄むなる 月を見ぬ哉
康資王母
1196 普門品
世を救ふ 內には誰か 入らざらむ 普門は 人し閉さねば
前大納言 藤原公任
1197 書寫聖結緣經供養し侍けるに、人人數多布施送侍ける中に、思心や有けむ、暫取らざりければ詠める
津國の 何はの事か 法為らぬ 遊戲れ 迄とこそ聞け
遊女宮木
誹諧歌
1198 題知らず
笛音の 春面白く 聞ゆるは 花散りたりと 吹けば也けり
佚名
1199 橘季通陸奧國に下りて、武隈松を歌に詠侍けるに、二木松を、人問はば三木と答へむ等詠みて侍けるを聞きて詠侍ける 【○後拾遺1041。】
武隈の 松は二木を 三木と云へば 良讀めるには 非ぬ成るべし
僧正深覺
1200 題知らず
咲かざらば 櫻を人の 折らましや 櫻仇は 櫻也けり
源道濟
1201 【○承前。無題。】
未散らぬ 花もや有ると 尋見む 嗚呼囂暫し 風に知らす莫
藤原實方朝臣
1202 隣より三月三日に、桃花を乞ひたるに
桃花 宿に立てれば 主さへ 好ける物とや 人見るらむ
大江嘉言
1203 三條太政大臣許に侍ける人の娘を忍びて語らひ侍けるを、女親端無く腹立ちて、娘を甚淺ましくなむ罪ける等言侍けるに、三月三日彼北方三日夜の餅食へとて出して侍りけるに
三日夜の 餅ひは食はじ 煩はし 聞けば淀野に 母子摘む也
藤原實方朝臣
1204 水無月祓を詠める
思事 皆盡きねとて 麻葉を 切りに切りても 祓へつる哉
和泉式部
1205 蒜食ひて侍ける人の、今は香も失せぬらむと思ひて人許に罷りたりけるに、名殘の侍にや、七月七日に遣はしける
君が貸す 夜衣を 織女は 返しやしつる 蒜臭しとて
皇太后宮陸奥
1206 小一條院、入道前太政大臣の桂なる所にて歌詠ませ賜ひけるに、紅葉を詠侍ける
紅葉は 錦と見ゆと 聞きしかど 目も綾にこそ 今日は散りぬれ
堀川右大臣 藤原賴宗
1207 紅葉散果てたるに風甚吹侍ければ
落積る 庭をだにとて 見る物を 別樣嵐の 掃きに掃く哉
增基法師
1208 人の、炭奉らむ、如何と言ひたりければ詠める
志 大原山の 炭為らば 思ひを添へて 熾す許ぞ
佚名
1209 題知らず
雲居にて 如何で扇と 思ひしに 手掛許に 成りにける哉
天台座主源心
1210 法師の扇を落して侍けるを返すとて
儚くも 忘られにける 扇哉 落ちたりけりと 人もこそ見れ
和泉式部
1211 題知らず
然無くても 寢られぬ物を 甚しく 撞驚かす 鐘音哉
和泉式部
1212 七月許に月明かりける夜、女許に遣はしける
忘れても 在るべき物を 此頃の 月夜よ甚く 人莫賺かせそ
少將藤原義孝
1213 三條院御時上殿居すとて、近侍ける人、枕を落して罷出ければ、書付けて殿上に遣はしける
道芝や 棘髮に 馴らされて 移れる香こそ 草枕為れ
小大君
1214 人の草合しけるに、朝顏、鏡草等合せけるに、鏡草勝にければ詠める
負方の 耻かしげ為る 朝顏を 鏡草にも 見せてける哉
佚名
1215 入道攝政離離にて流石に通侍ける頃、帳柱に小弓箭を結付けたりけるを、他にて取遣せて侍ければ、遣はすとて詠める
思出る 事も非じと 見えつれど やと云ふにこそ 驚かれぬれ
大納言藤原道綱母
1216 人の、「長門へ今なむ下る。」と言ひければ詠める
白浪の 立乍だに 長門為る 豐浦里の と寄られよかし
能因法師
1217 乳母為むとて詣來りける女の乳細く侍ければ詠侍ける
儚くも 思ひける哉 乳も無くて 博士家の 乳母為むとは
大江匡衡朝臣
1218 返し
遮莫 大和心し 賢くば 細智に付けて 荒す許ぞ
赤染衛門
異本歌
1219 無題
梅が枝に 降積む雪は 年每に 再咲ける 花とこそ思へ
前大納言 藤原公任
1220 辛かりける女に
難波潟 汀蘆の 老世に 恨みてぞ經る 人心を
平兼盛
1221 一條院御時、皇后宮隱賜ひて後、帳帷子紐に結付けられたる文を見付けたれば、內にも御覽ぜさせよと思しがほに、歌三つ書付けられたりける中に
煙とも 雲とも成らぬ 身為れども 草葉露を 其と眺めよ
一條帝中宮 藤原定子
1222 司召の子日に當りて侍りけるに、按察更衣局より松を出して侍りけるを讀侍ける。
雪深き 越之白山 我為れや 誰が教ふるに 春を知るらむ
清原元輔
1223 司召後、內裏に侍りける內侍許に遣はしける
心宛に 折しも有らば 傳へなむ 咲かで露けき 櫻有きと
清原元輔
1224 天曆御時御屏風に、小家に卯花有る所を詠める
今日と又 後と忘れじ 白妙の 卯花咲ける 宿と見つれば
清原元輔
1225 女許遣はしける
筏下す 杣山人を 問ひつれば 此暮をこそ 由と言ひつれ
佚名
1226 使來ざりける先に、許されたりければ、返事
放れても 甲斐こそ無けれ 青馬の 取繫がれし 我身と思へば
藤原義孝
1227 天曆御時、為平親王北野に子日し侍りけるに
古の 例を聞けば 八千代迄 命を野邊の 小松也けり
佚名
1228 池冰尚殘と云ふ事を
斑斑に 冰殘れる 池水に 處處の 春や立つらむ
大江嘉言
1229 良暹法師の障子に書付侍りける歌うた
山里やまざとの 甲斐かひも有哉あるかな 時鳥ほととぎす 今年ことしぞ待またで 初音聞はつねききつる
大江嘉言