後拾遺和歌集 卷十九 雜五
1099 後冷泉院親王宮と申しける時、二條院初めて參賜ひけるを見奉る事や有りけむ、詠侍ける
春每の 子日は多く 過ぎつれど 斯かる二葉の 松は見ざりき
出羽辨
1100 二條院、東宮に參賜ひて藤壺に御座しましけるに、前中宮の此藤壺に御座せし事等思出る人の侍ければ
忍音の 淚莫懸けそ 如此許 狹しと思ふ 頃の袂に
大貳三位 藤原賢子
1101 返し
春日に 歸らざり為ば 古の 袂ながらや 朽果なまし
出羽辨
1102 後冷泉院親王宮と申しける時、殿上人一品宮女房と諸共に櫻花を翫びけるに、故中宮出羽も侍ると聞きて遣はしける
花盛り 春之深山の 曙に 思忘る莫 秋夕暮
源為善朝臣
1103 三條院東宮と申しける時、式部卿敦儀親王生れて侍けるに御佩刀奉るとて結付侍ける
萬世を 君が守りと 祈りつつ 太刀造柄の 璽とを見よ
入道前太政大臣 藤原道長
1104 御返し
古の 近守を 戀ふる間に 茲は忍ぶる 印也けり
或人云、此歌は故左大將濟時御子達の祖父にて侍ければ、今日之事を彼大將や取扱はまし等思し出て詠ませ賜へる也。
三條院御製
1105 一條攝政隱侍りて後、少將義孝子生せて侍ける七夜に、昔を思出て詠侍ける
千千に付け 思ひぞ出る 昔をば 長閑かれとも 君ぞ祝まし
法住寺太政大臣 藤原為光
1106 六條左大臣身罷りて後、播磨國に下侍けるに、高砂の程にて、此處は高砂となむ云ふと舟人言侍ければ、昔を思出る事や有けむ、詠侍ける
高砂と 高く莫言ひそ 昔聞きし 尾上之調 先づぞ戀しき
源相方朝臣
1107 後一條院幼く御座しましける時、祭御覽じけるに、齋院の渡侍ける折、入道前太政大臣抱奉侍けるを見奉りて後に、太政大臣許に遣はしける
光出る 葵蔭を 見てしかば 年經にけるも 嬉しかりけり
選子內親王
1108 返し
諸葛 二葉ながらも 君に如是 葵や神の 驗なるらむ
入道前太政大臣 藤原道長
1109 後一條院御時、賀茂行幸侍けるに、上東門院御輿に乘らせ賜ひて紫野より歸らせ賜ひける又朝、聞えさせ賜ひける
御幸為し 賀茂川波 歸途に 立ちや寄るとて 待明しつる
選子內親王
1110 後冷泉院御時、上東門院に行幸有らむとしけるを、止りて後、內より硯箱之蓋に櫻枝を入れて奉らせ賜ひたりける御返しに、仰事にて詠侍ける
行幸とか 世には觸らせて 今は唯 梢櫻 散らす也けり
上東門院中將
1111 小辨、齋院に參侍りて髣髴に見奉るよし言遣せて侍ける返事に
木綿紙垂や 繁木間を 漏る月の 朧げならで 見えし影かは
六條院宣旨
1112 宇治前太政大臣、少將に侍ける時、春日使に出立侍りて又日、雪降侍けるに、四條大納言公任許に遣はしける
若菜摘む 春日原に 雪降れば 心使を 今日さへぞ遣る
入道前太政大臣 藤原道長
1113 返し
身を摘みて 覺束無きは 雪止まぬ 春日野邊の 若菜也けり
前大納言 藤原公任
1114 二條前太政大臣、少將に侍ける時、春日使に罷りて又日、霧の忌立侍ければ、入道前太政大臣許に遣はしける
三笠山 春日原の 朝霧に 歸立つらむ 今日をこそ待て
藤原公任
1115 上東門院、長家民部卿三條家に渡らせ賜ひたりける頃、俄に御幸有りて、近き人人家召されければ、罷るべな所無き由奏せさせ侍けり。其御返事に、歌を詠みて參らせよと仰せられければ、雪降日詠みて參らせける
年積る 頭雪は 大空の 光に當る 今日ぞ嬉しき
「家を返しにす。」と仰せられて、許されにけり。
伊勢大輔
1116 冷泉院東宮と申しける時、女の石井に水汲みたる形、繪に描きたるを詠めと仰せられければ
年を經て 澄める清水に 影見れば 瑞齒含む迄 老ぞしにける
源重之
1117 春、頭白き人の居たる所、繪に描けるを
春來れど 消えせぬ物は 年を經て 頭に積る 雪にぞ有ける
花山院御製
1118 三條院御時、大嘗會御禊等過ぎての頃、雪降侍けるに、大原に住みける少將、井尼許に遣はしける
世に響む 豐御禊を 餘所にして 小鹽山の 御幸をや見し
伊勢大輔
1119 返し
小鹽山 梢も見えず 降積し 其皇の 御雪也けむ
少將井尼
1120 一條院亡せさせ賜ひて上東門院里に罷出賜ひにける、又年五節頃、昔を思出て殿上人引連參りて侍ける中に詠みて出しける
速く見し 山井水の 薄冰 打解樣は 變らざりけり
伊勢大輔
1121 中納言實成、宰相にて五節奉けるに、妹弘徽殿女御許に侍ける人、傅に出たりけるを、中宮御方人人髣髴に聞きて、見慣らしけむ百敷を傅きにて見るらむ程も憐と思ふらむと言ひて、箱蓋に銀扇に蓬莱山造等して、刺櫛に日蔭蔓を結付けて、薰物を立文に込めて、彼女御御方に侍ける人許よりと思しくて、左京君許にと言はせて、果日差置かせける
多かりし 豐宮人 差別けて 著き日蔭を 憐とぞ見し
佚名
1122 如是て臨時祭に成りて、二條前太政大臣、中將に侍りて祭使し侍けるに、在りし箱蓋に沉櫛、銀笄金箱に鏡等入れて、使は中宮の兄弟為ればにや、日蔭と思しくて鏡上に蘆手に書きて侍ける
日蔭草 輝く影や 紛ひけむ 真澄鏡 曇らぬ物を
藤原長能
1123 同人の五節に、童女汗衫傅の唐衣に青摺をして赤紐等付けたりけり。人人見侍けるに、青紙の端に書きて結付けさせ侍ける
神代より 摺れる衣と 云ひながら 亦重ねても 珍しき哉
選子內親王
1124 一條院御時皇后宮五節奉賜ひけるに、搔繕仕奉ける人の付けて侍ける赤紐付けて、如何に為むと言ひけるを聞きて、結付くとて詠侍ける
足引の 山井水は 凍れるを 如何なる紐の 解くるなるらむ
藤原實方朝臣
1125 物言侍ける女の五節に出て、異人にと聞侍ければ遣はしける
誠にや 並べて重ねし 小忌衣 豐樂の 隱無き夜に
源賴家朝臣
1126 人の、子を付けむと契りて侍けれど、籠居ぬと聞きて異人に付侍ければ詠める
思ひきや 我が標結し 撫子を 人籬の 花と見むとは
法眼源賢
1127 父の信濃なる女を住侍ける許に遣はしける
信濃なる 園原にこそ 非ねども 我が帚木と 今は賴まむ
平正家
1128 一條院御時、大貳佐理筑紫に侍けるに御手本書きに下遣はしたりければ、思心書きて奉らむとて、書付くべき歌とて詠ませ侍けるに詠める
都へと 生松原 生返り 君が千歲に 逢はむとすらむ
源重之
1129 父の供に幼くて筑前國に侍りて、年經て後、成順が其國に成りて侍ければ、下りて詠める
其上の 人は殘らじ 筥崎の 松許こそ 我を知るらめ
中將尼
1130 阿波守に成りて又同國に歸成りて下りけるに、古豆加美浦と云所に浪立つを見て詠侍ける
古豆加美の 浦之年經て 寄る浪も 同所に 歸る也けり
藤原基房朝臣
1131 賴國朝臣紀伊守にて侍ける時、云ふべき事有りて罷りてけるを、殊更に物言はざりければ詠侍ける
老波 寄せじと人は 厭へども 待つらむ物を 和歌浦には
連敏法師
1132 肥後守義清下侍りての年秋、「嵯峨野花は見きや。」と言遣せて侍ける返りに遣はしける
打群れし 駒も音為ぬ 秋野は 草枯行けど 見人も無し
源兼長
1133 東に侍ける兄弟許に、便に付けて遣はしける
匂ひきや 都花は 東道の 東風返しの 風に付けしは
源兼俊母
1134 返し
吹返す 東風返しは 身に沁みき 都花の 導と思ふに
康資王母
1135 筑紫より上らむとて、博多に侍けるに、館菊の面白侍けるを見て
取分きて 我が身に露や 置きつらむ 花より前に 先づぞ移ふ
大貳 藤原高遠
1136 陸奧に侍けるに、中將宣方朝臣許に遣はしける
休らはで 思立ちにし 東道に 有ける物か 憚關
藤原實方朝臣
1137 語らひ侍ける人許に、陸奧より弓を遣はすとて詠侍ける
陸奥の 安達真弓 君にこそ 思溜めたる 事は語らめ
藤原實方
1138 實方朝臣、陸奧に侍ける時、言遣はしける
都には 誰をか君は 思出る 都人は 君を戀ふめり
大江匡衡朝臣
1139 返し
忘られぬ 人中には 忘れぬを 待つらむ人の 中に待つやは
藤原實方朝臣
1140 攝津國に通ふ人の、「今なむ下る。」と言ひて後にも又、「京に在ける。」を聞きて人に代りて詠める
有てやは 音為ざるべき 津國の 今ぞ生田の 杜と言ひしは
赤染衛門
1141 六波羅と云ふ寺に講に參侍けるに、昨日祭の歸途に見ける車の、傍らに立ちて侍ければ、言遣はしける
昨日迄 神に心を 懸けしかど 今日こそ法に 遇日也けれ
相模
1142 石山に參りける道に、山科と云ふ所にて休侍けるに、家主の心有樣に見え侍ければ、又歸途に等言侍けるを、世に然しもと言侍ければ
歸途を 待試みよ 如是ながら よも唯にては 山科里
和泉式部
1143 山階寺供養後、宇治前太政大臣許に遣はしける
深海の 誓は知らず 三笠山 心高くも 見えし君哉
堀川右大臣 藤原賴宗
1144 山里に罷りて歸道に、家經が西八條家近しと聞きて、車を引入れて見有りきけるに、難波渡の心地為られて甚をかしう侍ければ、硯箱上に書付け侍ける
薦枕 假旅寢に 明さばや 入江蘆の 一夜許を
伊勢大輔
1145 さんさうに罷りて日暮にければ
日も暮れぬ 人も歸りぬ 山里は 峯嵐の 音許して
源賴實
1146 伏見と云ふ所に四條宮女房數多遊びて、日暮れぬ前に歸らむとしければ
都人 暮るれば歸る 今よりは 伏見里の 名をも賴まじ
橘俊綱朝臣
1147 語らふ人許に年頃有りて罷りたりけるに、朧めく樣にや有けむ、詠侍ける
杉も杉 宿も昔の 宿ながら 變るは人の 心也けり
佚名
1148 比叡山に二月五番とて花等作る事侍けり。其花作らせむとて、人の山に呼登せて侍ければ、昔此山にて物等學びける事を思出て
思ひきや 古里人に 身を為して 花便に 山を見むとは
蓮仲法師
1149 或所に庚申しけるに、御簾內の琴の飽かぬ心を詠侍ける
絕えにける 僅かなる音を 繰返し 葛緒こそ 聞か真欲しけれ
大中臣能宣朝臣
1150 入道一品宮に人人參りて遊侍けるに、式部卿敦貞親王笛等をかしう吹侍ければ、彼親王許に侍ける人許に又日、昨夜笛のをかしかりし由言ひに遣はしたりけるを、親王傳聞きて、思事通ふにや、人しもこそ有れ、聞咎めける等侍ける返事に
何時復 胡竹鳴るべき 鶯の 囀添へし 夜半笛音
相模
1151 人扇に、山里人も住まぬ渡描きたるを見て詠める
牡鹿伏す 繁みに延へる 葛葉の 衷寂しげに 見ゆる山里
大中臣能宣朝臣
1152 法師の好色めるを詠侍る
常為らぬ 山櫻に 心入りて 池蓮を 言莫放ちそ
源重之
1153 人瓶に酒入れて盃にそへて、歌よみて出し侍けるに 【○齋宮女御集0177。】
持ちながら 千世を迴らむ 盃の 清光は 射しも掛けなむ
藤原為賴朝臣
1154 小倉家に住侍ける頃、雨降りける日、蓑借る人の侍ければ、山吹枝を折りて取らせて侍けり。心も得で罷過ぎて又日、山吹之心も得ざりし由言遣せて侍ける返りに言遣はしける
七重八重 花は咲けども 山吹の 實の一つだに 無きぞ悲しき
七重復八重 妍花雖然咲滿山 然而山吹者 徒花雖絢無一實 悲悽家貧莫有蓑
中務卿兼明親王
1155 陸奥守則光、藏人にて侍ける時、妹背等言付けて語らひ侍けるに、里へ出たらむ程に、人人尋ねむに、住所莫告げそといひて、里に罷出てりけるを、人人責めて、兄為れば知るらむと有るは如何すべきと言遣せて侍ける返りに、布を包みて遣はしたりければ、則光心も得で、如何に為よと有るぞと、詣來て問侍ければ詠める
潛する 海人在所を 其處也と 勤言莫とや 目を配せけむ
清少納言
1156 駿河守國房と車に乘りて物に罷りける道に、父定季墓有りとて、俄に車より下侍ければ詠める
垂乳根は 儚くてこそ 止みにしか 此は何處とて 立止るらむ
源賴俊
1157 山に住憂かれて越國に罷下りけるに、思掛けず良暹法師等逢ひて、昔事思出て云侍ければ詠める
思へども 如何に習ひし 道為れば 知らぬ境に 惑ふなるらむ
慶範法師
1158 筑紫より上りて、道雅三位の童にて松君と言はれ侍けるを膝に据ゑて久しう見ざりつる等言ひて、詠侍ける
淺茅生に 荒れにけれども 古里の 松は小高く 成にける哉
帥前內大臣 藤原伊周
1159 前伊勢守義孝、宇治前太政大臣の廄に下りたりと聞きて遣はしける
古の 眉刀自女にも 非ねども 君はみま草 取りて飼ふとか
天台座主教圓
1159b 使來ざりける前に、宥されたりければ返事
離れても 甲斐こそ無けれ 青馬の 取繋がれし 我が身と思へば
藤原義孝