後拾遺和歌集 卷十八 雜四
1041 則光朝臣許に陸奧國に下りて、武隈松を詠侍ける
武隈の 松は二木を 都人 如何と問はば 三木と答へむ
都人問可見 武隈蒼松二木哉 吾雖答已見 言者無意聽有心 以為其松三木矣
橘季通
1042 陸奧國に再下りて後旅、武隈松も侍らざりければ詠侍ける
武隈の 松は此度 跡も無し 千歲を經てや 我は來つらむ
能因法師
1043 河原院にて詠侍ける
里人の 汲むだに今は 無かるべし 岩井清水 水草居にけり
大江嘉言
1044 同所にて松を詠侍ける
年經たる 松だに無くば 淺茅原 何か昔の 徵為らまし
江侍從
1045 元住侍ける家を物へ罷りけるに過ぐとて、松梢の見え侍ければ詠める
年を經て 見る人も無き 古里に 變らぬ松ぞ 主為らまし
左衛門督北方
1046 六條中務親王の家に子日松を植ゑて侍けるを、彼親王身罷りて後、其松を見て詠侍ける
君が植ゑし 松許こそ 殘りけれ 孰春の 子日也けむ
源為善朝臣
1047 今日中子日とは知らずやとて、友達許為りける人の、松を結びて遣侍ければ詠める
誰を今日 待つとは言はむ 如此許 忘るる中の 妬げなる世に
馬內侍
1048 綠竹不知秋と云ふ心を
綠にて 色も變らぬ 吳竹は 夜長きをや 秋と知るらむ
大藏卿 藤原師經
1049 永承四年內裏歌合に、松を詠める
岩代の 尾上風に 年經れど 松綠は 變らざりけり
前太宰帥 藤原資仲
1050 殿上人、松澗底に生ひたりと云ふ心を仕奉けるに
萬代の 秋をも知らで 過來る 葉替へぬ谷の 岩根松哉
御製 白河帝
1051 題知らず
深山木を 練麻以て結ふ 賤男は 猶懲りず間の 心とぞ見る
藤原義孝
1052 宇治にて人人歌詠侍けるに、山家旅宿と云ふ心を
旅寢する 宿は深山に 閉られて 正木蔓 繰人も無し
民部卿 源經信
1053 關白前大臣家にて、勝間田池を詠侍ける
鳥も居で 幾代經ぬらむ 勝間田の 池には楲の 跡だにも無し
藤原範永朝臣
1054 須磨浦を詠侍ける
立昇る 藻鹽煙 絕えせねば 空にも著き 須磨浦哉
藤原經衡
1055 龍門瀧にて
來人も 無き奥山の 瀧絲は 水湧くにぞ 任せたりける
中納言 藤原定賴
1056 彌生月、龍門に參りて、瀧本にて彼國守義忠朝臣が、桃花の侍けるを、如何見ると言侍ければ詠める
物言はば 問ふべき物を 桃花 幾世替へたる 瀧白絲
辨乳母 藤原明子
1057 美作守にて侍ける時、館前に石立て、水堰入れて詠侍ける
堰入たる 名こそ流れて 止るらむ 絕えず見るべき 瀧絲かは
藤原兼房朝臣
1058 大覺寺瀧殿を見て詠侍ける
淺にける 今だに懸り 瀧瀨の 早くぞ人は 見るべかりける
赤染衛門
1059 法輪に參りて詠侍ける
年每に 堰くとはすれど 大井川 昔名こそ 猶流れけれ
源道濟
1060 桂なる所に人人罷りて、「歌詠みに又來む。」と言ひて後に、其桂には罷らで、月輪と云ふ所に人人罷合ひて、桂を改めて來由詠侍けるに、土器取りて
前日に 桂宿を 見し故は 今日月輪に 來べき也けり
祭主 大中臣輔親
1061 修理大夫惟正信濃守に侍ける時、共に罷下りて、束間湯を見侍りて
出る湯の 湧くに懸れる 白絲は 來人絕えぬ 物にぞ有ける
源重之
1062 延久五年三月に住吉に參らせ賜ひて、歸途に詠ませ賜ひける
住吉の 神は憐と 思ふらむ 虛しき舟を 指して來れば
後三條院御製
1063 【○承前。延久五年三月,詣住吉歸時所詠。】
瀛風 吹きに蓋しな 住吉の 松下枝を 洗ふ白浪
民部卿 源經信
1064 花山院御供に熊野へ參侍ける道に、住吉にて詠侍ける
住吉の 浦風甚く 吹きぬらし 岸打浪の 聲頻る也
惠慶法師
1065 右大將濟時、住吉に詣侍ける供にて詠侍ける
松見れば 立浮き物を 住江の 如何為る浪か 靜心無き
藤原為長
1066 住吉に參りて詠侍ける
忘草 摘みて歸らむ 住吉の 岸方世は 思出も無し
平棟仲
1067 藏人にて侍ける時、御祭使にて難波に罷りて詠侍ける
思事 神は知るらむ 住吉の 岸白浪 便也とも
源賴實
1068 熊野へ參侍けるに、住吉にて經供養すとて詠侍ける
解掛けつ 衣玉は 住吉の 神古にける 松梢に
增基法師
1069 擧周、和泉之任果て罷上る儘に、甚重煩侍けるを、住吉の祟等言ふ人侍ければ、幣奉侍けるに書付けける
賴みては 久しく成りぬ 住吉の 先づ此旅の 驗見せなむ
赤染衛門
1070 上東門院、住吉に參らせ賜ひて、秋末より冬に成りて歸らせ賜ひけるに詠侍ける
都出て 秋より冬に 成りぬれば 久しき旅の 心地こそすれ
上東門院新宰相
1071 天王寺に參りて、龜井にて詠侍ける
萬世を 澄める龜井の 水は澤 富緒川の 流れなるらむ
辨乳母 藤原明子
1072 長柄橋にて詠侍ける
橋柱 無からましかば 流れての 名をこそ聞かめ 跡を見ましや
前大納言 藤原公任
1073 天王寺に參るとて、長柄橋を見て詠侍ける
我許 長柄橋は 朽にけり 何はの事も 古るる悲しさ
赤染衛門
1074 上東門院住吉に參らせ賜ひて歸途に、人人歌詠侍けるに
古に 古行く身こそ 哀為れ 昔ながらの 橋を見るにも
伊勢大輔
1075 錦浦と云ふ所にて
名に高き 錦浦を 來て見れば 潛かぬ海人は 少なかりけり
道命法師
1076 熊野に參りて明日出なむとし侍けるに、人人、暫しは候ひなむや、神も許賜はじ等言侍ける程に、音無川畔に頭白鳥侍ければ詠める
山烏 頭も白く 成にけり 我が歸るべき 時や來ぬらむ
增基法師
1077 住吉に參りて歸りにけるに、隆經朝臣難波と云ふ所に侍りと聞きて罷寄りて、日頃遊びて罷上りけるに、名殘戀しき由、言遣せて侍ければ、道より遣はしける
別行く 舟は綱手に 任すれど 心は君が 方にこそ引け
藤原孝善
1078 賀茂に參りける男の狩衣袂の落ちぬ許、綻びて侍けるを見て、又參りける女の言遣はしける
道徹 落ちぬ許に 古袖の 袂に何を 包むなるらむ
佚名
1079 返し
木綿襷 袂に掛けて 祈りこし 神驗を 今日見つる哉
佚名
1080 祭の歸途に醉樣垂れたる形描きたる所を
整へし 賀茂社の 木綿襷 歸る朝ぞ 亂れたりける
安法法師
1081 實方朝臣、女許に詣來て格子を鳴らし侍けるに、女心知らぬ人して荒くましげに問はせて侍ければ、歸侍りにけり。務めて女の遣はしける
明けぬ夜の 心地ながらに 闇にしを 朝倉と云ひし 聲は聞ききや
佚名
1082 返し
獨のみ 木丸殿に 在らませば 名告らで闇に 歸らましやは
藤原實方朝臣
1083 初瀨に參侍けるに、木丸殿と云ふ所に宿らむとし侍けるに、誰と知りてかと言ひければ、答すとて詠める
名乘為ば 人知ぬべし 名告らずば 木丸殿を 如何で過ぎまし
赤染衞門
1084 貫之集を借りて、返すとて詠侍ける
一卷に 千千黃金を 籠垂れば 人こそ亡けれ 聲は殘れり
惠慶法師
1085 返し
古の 千千黃金は 限有るを 合量無き 君が玉章
紀時文
1086 紀時文許に遣はしける
返しけむ 昔人の 玉章を 聞きてぞ灌ぐ 老淚は
清原元輔
1087 家集之端に書付侍ける
花蘂 紅葉下葉 搔集めて 木本よりや 散らむとすらむ
祭主 大中臣輔親
1088 伊勢大輔集を人乞に遣せて侍けるに、遣はすとて
尋ねずは 搔遣る方や 無からまし 昔流 水草積りて
康資王母
1089 後三條院御時、月明かりける夜、侍ける人等庭に下して御覽じけるに、人人多かる中に脇て、歌詠めと仰事侍ければ詠める
古の 家風こそ 嬉しけれ 斯かる言葉 散來と思へば
後三條院越前
1090 七月許に若女房月見に遊步きける夜に、藏人公俊、新少納言局に入りにけりと人人言合ひて笑侍けるを、九月晦に上聞召して、御疊紙に書付けさせ給ひける
秋風に 逢ふ言葉や 散りぬらむ 其夜月の 漏りにける哉
後三條院御製
1091 義忠朝臣、物言ひける女の姪なる女に又住移侍けるを聞きて遣はしける
誠にや 姨捨山の 月は見る 夜も去らじなと 思度りを
赤染衛門
1092 語らはむと言ひて道命法師の許に詣來る人の詠侍ける
絕えや為む 命ぞ知らぬ 水無瀨川 縱流れても 試よ君
佚名
1093 近所に侍けるに音し侍らざりければ、村上の女三宮の許より、思隔てけるにや、花心にこそ等言遣せたる返事に 【○齋宮女御集0002。】
言はぬ間を 包みし程に 梔子花は 色にや見えし 山吹花
規子內親王
1094 良暹法師の物言渡る人に逢難き由を歎渡侍けるに、今日なむ彼人に逢ひたると言遣せ侍ければ遣はしける
嬉しさを 今日は何にか 包むらむ 朽果にきと 見えし袂を
藤原孝善
1095 語らひたる男の、女許に遣はさむとて、歌乞侍ければ、先づ我が思事を詠侍ける
語らへば 慰む事も 有物を 忘れやしなむ 戀紛れに
和泉式部
1096 五節命婦許に高定忍びに通ふと聞きて、誰とも知らで、彼命婦許に差置かせ侍ける
忍音を 聞きこそ渡れ 時鳥 通ふ垣根の 隱無ければ
六條齋院宣旨
1097 空言歎侍ける頃、語らふ人の絕えて音し侍らぬに遣はしける
憂かりける 簑生浦の 空貝 虛名のみ 立つは聞ききや
馬內侍
1098 御贖物鍋を持ちて侍けるを、臺盤所より人の乞侍ければ遣はすとて、鍋に書付け侍ける
覺束無 筑摩神の 為ならば 幾つか鍋の 數は要るべき
藤原顯綱朝臣