後撰和歌集 卷ニ十 賀歌、哀傷

賀歌 哀傷歌


賀歌


1368 女八內親王(をんなはちのみこ)元良親王(もとよしのみこ)(ため)四十賀(よそのが)(はべり)けるに、菊花(きくのはな)髻首(かざ)しに()りて


1369 典侍明子(ないしのすけあきらけいこ)父宰相(ちちのさいしゃう)(ため)()(はべり)けるに、玄朝法師裳(げんてうほふしのも)唐衣縫(からごろもぬ)ひて(つか)はしければ


1370 題知(だいし)らず


1371 章明親王(のりあきらのみこ)(かうぶ)りしける()(あそ)びし(はべり)けるに、右大臣(うだいじん)此彼歌詠(これかれうたよ)ませ(はべり)けるに


1372 ()(やう)なる(こと)(はべり)ける(ところ)にて


1373 左大臣家(さだいじんのいへ)男子女子(をのこごをみなご)(かうぶ)りし裳著侍(もきはべり)けるに


1374 (ひと)(かうぶ)りする(ところ)にて、藤花(ふぢのはな)髻首(かざ)して


1375 女許(をみなのもと)(つか)はしける


1376 年星行(ねんさうおこな)ふとて、女檀越許(にょだんをちのもと)より、數珠(ずず)()りて(はべり)ければ、(くは)へて(つか)はしける


1377 左大臣家(さだいじんのいへ)心指(こころざ)(をく)るとて(くは)へける


1378 今上(いまのうへ)帥親王(そちのみこ)(きこ)えし(とき)太政大臣家(おほいまうちぎみのいへ)渡御座(わたりおは)しまして(かへ)らせ(たま)ふ、御贈物(みをくりもの)御本奉(みほんたてまつ)るとて


1379 御返(みかへ)


1380 今上(いまのうへ)梅壺(むめつぼ)御座(おは)しましし(とき)薪木樵(たききこ)らせて奉給(たてまつりたま)ひける


1381 御返(みかへ)


1382 東宮御前(はるのみやのみまへ)に、吳竹植(くれたけう)ゑさせ(たま)ひけるに


1383 (ゐん)殿上(てんじゃう)にて、宮御方(みやのみかた)より碁盤出(ごはんいだ)させ(たま)ひける、碁石笥蓋(ごいしけのふた)


1384 西四條內親王家(にしいでうのみこのいへ)(やま)にて、女四內親王許(をんなのしのみこのもと)


1385 十二月計(しはすばかり)に、(かうぶ)りする(ところ)にて



哀傷歌


1386 敦敏(あつとし)身罷(みまか)りにけるを、未聞(まだき)かで、(あづま)より(むま)(をく)りて(はべり)ければ


1387 (あに)(ぶく)にて、一條(いちでう)(まか)りて


1388 (かへ)


1389 先帝御座(さきのみかどおは)(まさ)で、世中(よのなか)思嘆(おもひなげ)きて(つか)はしける


1390 (かへ)


1391 時望朝臣(ときもちのあそん)身罷(みまか)りて(のち)()ての頃近(ころちか)()りて、人許(ひとのもと)より、「如何(いか)(おも)ふらむ?」と言遣(いひをこ)せたりければ


1392 女四內親王(をんなのしのみこ)文侍(ふみのはべり)けるに、書付(かきつ)けて尚侍(ないしのかみ)


1393 (かへ)


1394 女四內親王事(をんなのしのみこのこと)弔侍(とぶらひはべり)


1395 (かへ)


1396 先帝御座(さきのみかどおは)(まさ)で、又年(またのとし)正月一日(むつきのつひたち)贈侍(をくりはべり)ける


1397 (かへ)


1398 (かさ)ねて(つか)はしける


1399 ()身罷(みまか)りて(のち)住侍(すみはべ)りける(ところ)(かべ)に、彼侍(かのはべり)ける(とき)書付(かきつ)けて(はべり)ける()見侍(みはべり)


1400 相知(あひし)りて(はべり)ける(をみな)身罷(みまか)りにけるを、戀侍(こひはべり)ける(あひだ)に、夜更(よふ)けて鴛鴦(をし)鳴侍(なきはべり)ければ


1401 七月許(ふみづきばかり)に、左大臣母(さだいじんのはは)身罷(みまか)りにける(とき)に、思侍(おもひはべり)ける(あひだ)后宮(きさいのみや)より萩花(はぎのはな)()りて(たま)へりければ


1402 ()()りにける(ひと)(いへ)(まか)りて、(かへ)りての(あした)に、彼處(かしこ)なる(ひと)(つか)はしける


1403 大和(やまと)(はべり)ける(はは)身罷(みまか)りて(のち)彼國(かのくに)(まか)るとて


1404 法皇(ほふわう)御服成(みぶくな)りける(とき)鈍色裁(にびいろのさい)でに()きて(ひと)送侍(をくりはべり)ける


1405 女四內親王(をんなのしのみこ)隱侍(かくれはべり)にける(とき)


1406 先坊(せんばう)失給(うせたま)ひての(はる)大輔(たいふ)(つか)はしける


1407 (かへ)


1408 同年(おなじとし)(あき)


1409 清正(きよただ)枇把大臣忌(ひわのだいじんのいみ)(こも)りて(はべり)けるに(つか)はしける


1410 (かへ)


1411 兼輔朝臣(かねすけのあそん)亡成(なくな)りて(のち)土左國(とさのくに)より罷上(まかりのぼ)りて、彼粟田家(かのあはだのいへ)にて


1412 其序(そのつい)でに、彼處(かしこ)なる(ひと)


1413 人弔(ひとのとぶら)ひに詣來(まうできた)りけるに、「(はや)()()りにき。」と言侍(いひはべり)ければ、楓紅葉(かえでのもみぢ)書付(かきつ)(はべり)ける


1414 ()()りて(はべり)ける(ひと)(いみ)(こも)りて(はべり)けるに、雨降日(あめのふるひ)(ひと)()ひて(はべり)ければ


1415 (ひと)忌果(いみはて)て、本家(もとのいへ)(かへ)りける()


1416 敦忠朝臣(あつただのあそん)身罷(みまか)りて又年(またのとし)彼朝臣(かのあそん)小野(をの)なる家見(いへみ)むとて、此彼罷(これかれまか)りて、物語(ものがたり)(はべり)ける(つい)でに詠侍(よみはべり)ける


1417 (おや)(わざ)しに(てら)詣來(まうできた)りけるを聞付(ききつ)けて、「諸共(もろとも)(まう)でまし(もの)を。」と人言(ひとのい)ひければ


1418 (かへ)


1419 題知(だいし)らず


1420 (ひと)()くなして、限無(かぎりな)()ひて、思入(おもひい)りて()たる夜夢(よるのゆめ)()えければ、(おも)ひける(ひと)に、「如是(かく)なむ。」と言遣(いひつか)はしたりければ


1421 (かへ)


1422 在原載春(ありはらのとしはる)身罷(みまか)りけるを()きて


1423 一番侍(ひとつがひはべり)ける(つる)(いと)つが()()りにければ、(とま)れるが甚鳴侍(いたくなきはべり)ければ、雨降侍(あめのふりはべり)けるに


1424 ()身罷(みまか)りての(とし)師走晦(しはすのつごもり)()古事言侍(ふるごといひはべり)けるに


1425 (かへ) 【○拾遺集1309。】