後撰和歌集 卷ニ十 賀歌、哀傷
賀歌 哀傷歌
賀歌
1368 女八內親王、元良親王の為に四十賀し侍けるに、菊花を髻首しに折りて
萬代の 霜にも枯れぬ 白菊を 後易くも 髻首しつる哉
藤原伊衡朝臣
1369 典侍明子、父宰相の為に賀し侍けるに、玄朝法師裳、唐衣縫ひて遣はしければ
雲別くる 天羽衣 打著ては 君が千歲に 逢はざらめやは
典侍明子
1370 題知らず
今年より 若菜に添へて 老世に 嬉事を 摘むとぞ思ふ
太政大臣 藤原忠平
1371 章明親王冠りしける日、遊びし侍けるに、右大臣此彼歌詠ませ侍けるに
琴音も 竹も千歲の 聲するは 人思ひも 通通けり
紀貫之
1372 賀の樣なる事し侍ける所にて
百年と 祝ふを我は 聞乍ら 思ふが為は 飽かずぞける
佚名
1373 左大臣家の男子女子、冠りし裳著侍けるに
大原や 小鹽山の 小松原 榮木高かれ 千代影見む
紀貫之
1374 人の冠りする所にて、藤花を髻首して
打寄する 浪花こそ 咲きにけれ 千代松風や 春に成るらむ
佚名
1375 女許に遣はしける
君が為 松千歲も 盡きぬべし 是より勝る 神世欲得な
佚名
1376 年星行ふとて、女檀越許より、數珠を借りて侍ければ、加へて遣はしける
百年に 八十歲添へて 祈ける 玉驗を 君見ざらめや
惟濟法師
1377 左大臣家に心指し贈るとて加へける
脇足を 抑へて坐へ 萬世に 花盛を 心閑に
僧都仁教
1378 今上、帥親王と聞えし時、太政大臣家に渡御座しまして歸らせ賜ふ、御贈物に御本奉るとて
君が為 祝ふ心の 深ければ 聖御代の 跡習へとぞ
太政大臣貞信公 藤原忠平
1379 御返し
教置く 事違はずば 行末の 道遠くとも 跡は惑はじ
今上御製 村上帝
1380 今上梅壺に御座しましし時、薪木樵らせて奉給ひける
山人の 樵れる薪木は 君が為 多くの年を 積まむとぞ思ふ
太政大臣貞信公 藤原忠平
1381 御返し
年數 積まむとすなる 重荷には 最小附を 樵りも添へなむ
御製 村上帝
1382 東宮御前に、吳竹植ゑさせ賜ひけるに
君が為 移して植ふる 吳竹に 千代も籠れる 心地こそすれ
藤原清正
1383 院の殿上にて、宮御方より碁盤出させ給ひける、碁石笥蓋に
斧柄の 朽ちむも知らず 君が代の 盡きむ限は 打試よ
命婦清子
1384 西四條內親王家の山にて、女四內親王許に
並立てる 松綠の 枝別かず 折つつ千代を 誰とかは見む
右大臣 藤原師輔
1385 十二月計に、冠りする所にて
祝事 有と成べし 今日為れど 年此方に 春もにけり
紀貫之
哀傷歌
1386 敦敏が身罷りにけるを、未聞かで、東より馬を送りて侍ければ
未知らぬ 人も有ける 東路に 我も行きてぞ 住むべかりける
左大臣 藤原實賴
1387 兄の服にて、一條に罷りて
春夜の 夢中にも 思ひきや 君無き宿を 行きて見むとは
太政大臣 藤原忠平
1388 返し
宿見れば 寢ても寤ても 戀しくて 夢現とも 分かれざりけり
佚名
1389 先帝御座し當で、世中を思嘆きて遣はしける
儚くて 世に古るよりは 山科の 宮草木と 成ら益物を
三條右大臣 藤原定方
1390 返し
山科の 宮草木と 君為らば 我は雫に 濡る許也
藤原兼輔朝臣
1391 時望朝臣身罷りて後、果ての頃近く成りて、人許より、「如何に思ふらむ?」と言遣せたりければ
別れにし 程を果てとも 思ほえず 戀しき事の 限無ければ
平時望朝臣妻
1392 女四內親王の文侍けるに、書付けて尚侍に
種も無き 花だに散らぬ 宿も有るを 何どか形見の 籠だに無からむ
右大臣 藤原師輔
1393 返し
結置きし 種成らねども 見るからに 甚忍の 草を摘哉
尚侍 藤原貴子
1394 女四內親王事、弔侍て
幾許世を 聞くが中にも 悲しきは 人淚も 盡きやしぬらむ
伊勢
1395 返し
聞人も 哀云ふなる 別には 甚淚ぞ 盡きせざりける
佚名
1396 先帝御座し當で、又年の正月一日、贈侍ける
徒に 今日や暮れなむ 新らしき 春始は 昔ながらに
三條右大臣 藤原定方
1397 返し
泣淚 降りにし年の 衣手は 新らしきにも 變らざりけり
藤原兼輔朝臣
1398 重ねて遣はしける
人世の 思に叶ふ 物為らば 我が身は君に 後れましやは
三條右大臣 藤原定方
1399 妻の身罷りて後、住侍りける所の壁に、彼侍ける時、書付けて侍ける手を見侍て
寢夢に 昔壁を 見てしより 現に物ぞ 悲しかりける
藤原兼輔朝臣
1400 相知りて侍ける女の身罷りにけるを、戀侍ける間に、夜更けて鴛鴦の鳴侍ければ
夕去れば 寢に徃く鴛鴦の 獨して 妻戀ひすなる 聲悲しさ
閑院左大臣 藤原冬嗣
1401 七月許に、左大臣母身罷りにける時に、思侍ける間、后宮より萩花を折りて給へりければ
女郎花 枯にし野邊に 住人は 先咲花を またくとも見ず
太政大臣 藤原忠平
1402 亡く成りにける人の家に罷りて、歸りての朝に、彼處なる人に遣はしける
亡き人の 影だに見えぬ 遣水の 底は淚に 流してぞ來し
伊勢
1403 大和に侍ける母身罷りて後、彼國へ罷るとて
獨徃く 事こそ憂けれ 故鄉の 奈良並て 見し人も無み
伊勢
1404 法皇の御服成りける時、鈍色裁でに書きて人に送侍ける
墨染の 濃きも薄きも 見時は 重ねて物ぞ 悲しかりける
京極御息所 藤原褒子
1405 女四內親王の隱侍にける時
昨日迄 千代と契し 君を我が 死出山路に 尋ぬべき哉
右大臣 藤原師輔
1406 先坊失給ひての春、大輔に遣はしける
新玉の 年越來らし 常も無き 初鶯の 音にぞ泣かるる
藤原玄上朝臣女
1407 返し
音に立てて 泣かぬ日は無し 鶯の 昔春を 思遣りつつ
大輔
1408 同年の秋
諸共に 置居し秋の 露許 斯らむ物と 思掛きや
藤原玄上朝臣女
1409 清正が枇把大臣忌に籠りて侍けるに遣はしける
世中の 悲しき事を 菊上に 置白露ぞ 淚也ける
藤原守文
1410 返し
菊にだに 露けかるらむ 人世を 目に見し袖を 思遣らなむ
藤原清正
1411 兼輔朝臣亡成りて後、土左國より罷上りて、彼粟田家にて
引植し 二葉松は 在ながら 君が千歲の 無きぞ悲しき
紀貫之
1412 其序でに、彼處なる人
君當で 年は經ぬれど 故鄉に 盡きせぬ物は 淚也けり
紀貫之
1413 人弔ひに詣來りけるに、「早く亡く成りにき。」と言侍ければ、楓紅葉に書付け侍ける
過ぎにける 人を秋しも 問ふからに 袖は紅葉の 色にこそ成れ
戒仙法師
1414 亡く成りて侍ける人の忌に籠りて侍けるに、雨降日、人の問ひて侍ければ
袖乾く 時無かりける 我が身には 降るを雨とも 思はざりけり
佚名
1415 人の忌果て、本家に歸りける日
故鄉に 君は何方と 待問はば 何れの空の 霞と言はまし
佚名
1416 敦忠朝臣身罷りて又年、彼朝臣の小野なる家見むとて、此彼罷りて、物語し侍ける序でに詠侍ける
君が逝にし 方や何れぞ 白雲の 主無き宿と 見るが悲しき
藤原清正
1417 親の業しに寺に詣來りけるを聞付けて、「諸共に詣でまし物を。」と人言ひければ
侘人の 袂に君が 移りせば 藤花とぞ 色は見えまし
佚名
1418 返し
餘所に居る 袖だに漬し 藤衣 淚に花も 見えずぞ有らまし
佚名
1419 題知らず
程も無く 誰も後れぬ 世為れども 止るは行くを 悲しとぞ見る
伊勢
1420 人を亡くなして、限無く戀ひて、思入りて寢たる夜夢に見えければ、思ひける人に、「如是なむ。」と言遣はしたりければ
時間も 慰めつらむ 覺めぬ間は 夢にだに見ぬ 我ぞ悲しき
藤原玄上朝臣女
1421 返し
悲しさの 慰むべくも 有らざりつ 夢內にも 夢と見ゆれば
大輔
1422 在原載春が身罷りけるを聞きて
懸てだに 我が身上と 思ひきや 來む年春の 花を見じとは
伊勢
1423 一番侍ける鶴の一つが無く成りにければ、留れるが甚鳴侍ければ、雨降侍けるに
鳴聲に 副ひて淚は 上らねど 雲上より 雨と降るらむ
伊勢
1424 妻の身罷りての年の師走晦の日、古事言侍けるに
亡人の 共にし歸る 年為らば 暮行く今日は 嬉しからまし
藤原兼輔朝臣
1425 返し 【○拾遺集1309。】
戀ふる間に 年暮なば 亡人の 別や甚ど 遠く成りなむ
紀貫之