後撰和歌集 卷十九 離別、覊旅
離別 覊旅
離別歌
1304 陸奧へ罷りける人に、火打ちを遣はすとて書付けける
折折に 打ちて炊火の 煙有らば 心指すがを 忍べとぞ思ふ
紀貫之
1305 相知りて侍ける人の東方へ罷りけるに、櫻花形に幣をして遣はしける
徒人の 手向に折れる 櫻花 逢坂迄は 散らずも有らなむ
佚名
1306 遠く罷りける人に餞し侍ける所にて
思遣る 心許は 障らじを 何隔つらむ 峯白雲
橘直幹
1307 下野に罷りける女に、鏡に添へて遣はしける
二子山 共に越えねど 真澄鏡 底なる影を 類へてぞ遣る
佚名
1308 信濃へ罷りける人に、燻物遣はすとて
信濃為る 淺間山も 燃ゆ為れば 富士煙の 甲斐や無からむ
駿河
1309 遠國へ罷りける友達に、火打ちに添へて遣はしける
此度も 我を忘れぬ 物是らば 打見む度に 思出なむ
佚名
1310 京に侍ける女子を、如何なる事か侍けむ、心憂しとて、留置きて因幡國へ罷りければ
打捨てて 君し因幡の 露身は 消えぬ許ぞ 有と賴む莫
女
1311 伊勢に罷りける人夙去なむと、心元無がると聞きて、旅調度等取らする物から、疊紙に書きて取らする、名をば馬と言ひけるに
惜しと思ふ 心は無くて 此度は 行馬に鞭を 仰せつる哉
佚名
1312 返し
君が手を 枯行く秋の 末にしも 野飼に放つ 馬ぞ悲しき
佚名
1313 同家に久しう侍ける女の、美濃國に親侍ける、訪ひに罷りけるに
今はとて 立歸行く 故鄉の 不破關路に 京忘る莫
藤原清正
1314 遠國に罷りける人に旅具遣はしける、鏡箱裏に書付けて遣はしける
身を別くる 事難さに 真澄鏡 影許をぞ 君に添へつる
大窪則善
1315 「此度の出立ちなむ物憂く覺ゆる。」と言ひければ
初雁の 我も空なる 程為れば 君も物憂き 旅にや有るらむ
佚名
1316 相知りて侍ける女の、人國に罷りけるに遣はしける
甚責めて 戀しき旅の 唐衣 程無く歸す 人も有らなむ
源公忠朝臣
1317 返し
唐衣 立日を他に 聞人は 歸許の 程も戀しき
女
1318 三月許、越國へ罷りける人に、酒食べける序でに
戀しくは 言傳もせむ 歸際の 雁音は先づ 我が宿に鳴け
佚名
1319 善祐法師の伊豆國に流され侍けるに
別れては 何時逢見むと 思ふらむ 限有る世の 命とも無し
伊勢
1320 題知らず
背かれぬ 松千歲の 程よりも 共共とだに 慕はれぞ為し
佚名
1321 返し
共共と 慕ふ淚の 添水は 如何なる色に 見えて行くらむ
佚名
1322 亭子院帝退居給うける秋、弘徽殿の壁に書付けける
別るれど 相も惜まぬ 百敷を 見ざらむ事や 何か悲しき
伊勢
1323 帝御覽じて御返し
身一つに 有らぬ許を 押並べて 行廻りても 何どか見ざらむ
伊勢
1324 陸奧へ罷りける人に、扇調じて、歌繪に書かせ侍ける
別行く 道雲居に 成行けば 留る心も 空にこそ成れ
佚名
1325 宗于朝臣女、陸奧へ下りけるに
如何で猶 笠取山に 身を為して 露けき旅に 添はむとぞ思ふ
佚名
1326 返し
笠取の 山と賴みし 君を置きて 淚雨に 濡れつつぞ行く
佚名
1327 男の伊勢國へ罷りけるに
君が行く 方に有云ふ 淚川 先づは袖にぞ 流るべらなる
佚名
1328 旅に罷りける人に裝束遣はすとて、添へて遣はしける
袖濡れて 別れはすとも 唐衣 行くと勿言ひそ 來りとを見む
佚名
1329 返し
別道は 心も行かず 唐衣 著れば淚ぞ 先に立ちける
佚名
1330 旅に罷りける人に扇遣はすとて
添へて遣る 扇風し 心有らば 我が思人の 手を莫離れそ
佚名
1331 友則が女の陸奧へ罷りけるに遣はしける
君をのみ 忍里へ 行物を 會津山の 遙けきや何ぞ
藤原滋幹女
1332 筑紫へ罷るとて、清子命婦に送りける
年を經て 逢見る人の 別れには 惜しき物こそ 命也けれ
小野好古朝臣
1333 出羽より上りけるに、此彼馬餞しけるに、土器取りて
行先を 知らぬ淚の 悲しきは 唯目前に 落つる也けり
源濟
1334 平高遠が、賤しき名取りて、人國へ罷りけるに、「忘る莫。」と言へりければ、高遠が妻の言へる
忘る莫と 云ふに流るる 淚川 憂名を濯ぐ 瀨とも成らなむ
源濟
1335 相知りて侍ける人の、顯然に越國へ罷りけるに、幣心指すとて
我をのみ 思ひ敦賀の 越為らば 歸るの山は 惑はざらまし
佚名
1336 返し
君をのみ 五幡と思ふ 越為れば 往來道は 遙けからじを
佚名
1337 秋、旅に罷りける人に、幣を紅葉枝に付けて遣はしける
秋深く 旅行人の 手向には 紅葉に勝る 幣無かりけり
佚名
1338 西四條齋宮の九月晦日下侍ける、供なる人に幣遣はすとて
紅葉を 幣と手向て 散らしつつ 秋と共にや 行かむとすらむ
大輔
1339 物へ罷りける人に遣はしける
待侘びて 戀しく成らば 尋ぬべく 跡無き水の 上ならで行け
伊勢
1340 題知らず
來むと云ひて 別るるだにも 有物を 知られぬ今朝の 增て侘しき
贈太政大臣 藤原時平
1341 返し
然らばよと 別し時に 言坐ば 我も淚に 溺ほれなまし
伊勢
1342 【○承前。返歌。後撰集0929。】
春霞 儚く立ちて 別るとも 風より外に 誰か問ふべき
佚名
1343 返し 【○後撰集0930。】
目に見えぬ 風に心を 伉へつつ 遣らば霞の 別こそ為め
伊勢
1344 甲斐へ罷りける人に遣はしける
君が代は 都留郡に 肖て來ね 定無き世の 疑ひも無く
佚名
1345 舟にて物へ罷りける人に遣はしける
遲れずぞ 心に乘りて 焦るべき 浪に求めよ 舟見えずとも
佚名
1346 返し
舟無くば 天川迄 求めてむ 漕ぎつつ潮の 中に消えずは
佚名
1347 舟にて物へ罷りける人
豫てより 淚ぞ袖を 打濡らす 浮べる舟に 乘らむと思へば
佚名
1348 返し
抑へつつ 我は袖にぞ 堰止むる 舟越す潮に 為さじと思へば
伊勢
1349 遠所に罷るとて女許へ遣はしける
忘れじと 殊に結びて 別るれば 逢見む迄は 思亂る莫
紀貫之
覊旅歌
1350 或人賤しき名取りて、遠江國へ罷るとて、泊瀨川を渡るとて詠侍ける
泊瀨川 渡る瀨さへや 濁るらむ 世に住難き 我が身と思へば
佚名
1351 戲島を見て
名にし負はば 徒にぞ思ふ 戲島 浪濡衣 幾夜著つらむ
佚名
1352 東へ罷けるに、過ぎぬる方戀しく覺えける程に、川を渡けるに、浪立ちけるを見て
甚く 過行方の 戀しきに 羨ましくも 歸る浪哉
在原業平朝臣
1353 白山へ詣けるに、道中より便人に付けて遣はしける
都迄 音に古來る 白山は 雪盡難き 所也けり
佚名
1354 中原宗興が、美濃國へ罷下侍けるに、道に女家に宿りて、言付きて、去難く覺えければ、二三日侍て、止事無き事によりて、罷立ちければ、絹を包みて、其が上に書きて、送侍ける
山里の 草葉露は 繁からむ 蓑代衣 縫はずとも著よ
中原宗興
1355 土左より罷上りける舟內にて見侍けるに、山端ならで、月浪中より出る樣に見えければ、昔、安倍仲麿が唐土にて、「振放見れば。」と言へる事を思遣りて
都にて 山端に見し 月為れど 海より出て 海にこそ入れ
紀貫之
1356 法皇、宮瀧と云所御覽じける、御供にて
水引きの 白絲
延へて 織機は 旅衣に 裁ちや重ねむ
菅原右大臣 菅原道真
1357 道罷りける序でに、日暮山を罷侍て
日暮の 山路を暗み 小夜更けて 木末每に 紅葉てらせる
菅原右大臣 菅原道真
1358 泊瀨へ詣づとて、山邊と云ふ渡にて詠侍ける
草枕 旅と成りなば 山邊に 白雲為らぬ 我や宿らむ
伊勢
1359 宇治殿と云ふ所を
水も狹に 浮きぬる時は 柵の 內の外のとも 見えぬ紅葉
伊勢
1360 海畔にて、此彼逍遙し侍ける序でに
花咲きて 實成らぬ物は 海神の 髻首しにさせる 沖白浪
小野小町
1361 東なる人許へ罷りける道に、相摸足柄關にて、女の京に罷上りけるに逢ひて
足柄の 關山路を 行人は 知るも知らぬも 疎からぬ哉
真靜法師
1362 法皇、遠所に山踏みし賜うて、京に歸賜ふに、旅宿し賜うて、御供に侍ふ道俗、歌詠ませ賜うけるに
人每に 今日今日とのみ 戀ひらるる 都近くも 成にける哉
僧正聖寶
1363 土左より任果て上侍けるに、舟中にて月を見て
照月の 流るる見れば 天河 出る湊は 海にぞ有ける
紀貫之
1364 題知らず
草枕 紅葉莚に 代へたらば 心を碎く 物ならましや
亭子院御製 宇多帝
1365 京に思人侍て、遠所より歸詣來ける道に留りて、九月許に
思人 在て歸れば 何時しかの 妻待宵の 秋ぞ悲しき
佚名
1366 【○承前。思人居京,自遠處歸詣,留於道中,九月許。】
草枕 結ふ手許は 何為れや 露も淚も 置返りつつ
佚名
1367 宮瀧と云所に、法皇御坐しましたりけるに、仰事有りて
秋山に 惑心を 宮瀧の 瀧白沫に 消ちや果てむ
素性法師