後撰和歌集 卷十七 雜歌三
1195 石上と云ふ寺に詣て、日暮にければ、夜明けて罷歸らむとて、留りて、「此寺に遍昭侍り。」と人告侍ければ、物言ひ心見むとて、言侍ける
岩上に 旅寢をすれば 甚寒し 苔衣を 我に貸さなむ
小野小町
1196 返し
世を背く 苔衣は 唯一重 貸さねば疎し 去來二人寢む
遍昭
1197 法皇歸り見給ひけるを、後後は時衰へて、在し樣にも非ず成りにければ、里にのみ侍て奉らせける
逢事の 年切しぬる 歎木には 身數為らぬ 物にぞ有ける
清和院君
1198 女許より、「徒に聞ゆる事。」等言ひて侍ければ
徒人も 無きには非ず 在ながら 我が身には未だ 聞きぞ習はぬ
左大臣 藤原實賴
1199 題知らず
宮人と 成ら真欲きを 女郎花 野邊より霧の 立出てぞ來る
佚名
1200 恐こまる事侍て里に侍けるを、忍びて曹司に參れりけるを、太政大臣の、「何どか音も為ぬ?」等怨侍ければ
我が身にも 非ぬ我が身の 悲しきは 心も異に 成りやしにけむ
大輔
1201 人女に名立侍て
世中を 知らず乍も 攝津國の 名には立ちぬる 物にぞ有ける
佚名
1202 無き名立ちける頃
世と共に 我が濡衣と 成る物は 侘ぶる淚の 著する也けり
佚名
1203 前坊御座さず成りての頃、五節師の許に遣はしける
憂けれども 悲しき物を 頓に 我をや人の 思捨つらむ
大輔
1204 返し
悲しきも 憂きも知りにし 一つ名を 誰を分くとか 思捨つべき
佚名
1205 大輔が曹司に、敦忠朝臣許へ遣はしける文を持て違へたりければ、遣はしける
道知らぬ 物成ら無くに 足引の 山踏迷ふ 人も有けり
大輔
1206 返し
白樫の 雪も消えにし 足引の 山路を誰か 踏迷ふべき
藤原敦忠朝臣
1207 言契りて後、異人に復きぬと聞きて
言事の 違はぬ物に 有ら坐せば 後憂事も 聞えざらまし
佚名
1208 題知らず
面影を 逢見し數に 為時は 心のみこそ 靜められけれ
伊勢
1209 頭白かりける女を見て
抜留めぬ 髮筋以て 怪しくも 經に來る年の 數を知る哉
伊勢
1210 題知らず
浪數に 非ぬ身為れば 住吉の 岸にも寄らず 成りや果なむ
佚名
1211 【○承前。無題。】
盡きも為ず 憂言葉の 多かるを 早く嵐の 風も吹かなむ
佚名
1212 甚忍びて語らひける女許に遣はしける文を、心にも有らで落したりけるを見つけて遣はしける
島隱れ 荒磯に通ふ 葦鶴の 踏置く跡は 浪も消たなむ
佚名
1213 昔同所に宮仕しける人、「年頃、如何にぞ?」等問遣せて侍ければ、遣はしける
身は早く 無き物の如 成りにしを 消えせぬ物は 心也けり
伊勢
1214 同胞中に、如何なる事か有けむ、常為らぬ樣に見侍ければ
睦ましき 妹背山の 中にさへ 隔つる雲の 晴ずも有哉
佚名
1215 女の甚較難く侍けるを、相離れにけるが、異人に迎へられぬと聞きて、男の遣はしける
我が為に 置難かりし 鷂鷹の 人手に有と 聞くは誠か
佚名
1216 梔子在る所に乞ひに遣はしたるに、色甚惡しかりければ
聲に立てて 言はねど表 口無の 色は我が為 薄き也けり
佚名
1217 題知らず
瀧瀨の 早からぬをぞ 怨みつる 見ずとも音に 聞かむと思へば
佚名
1218 人許に文遣はしける男、人に見せけりと聞きて遣はしける
皆人に 文見せけりな 水無瀨川 其渡りこそ 先づは淺けれ
佚名
1219 筑紫白河と云ふ所に住侍けるに、大貳藤原興範朝臣の罷渡る序でに、水食むとてうちよりて乞侍ければ、水を持て出て詠侍ける
年經れば 我が黑髮も 白河の 水は汲む迄 老にける哉
彼處に、名高く、事好む女になむ侍ける。
檜垣嫗
1220 親族に侍ける女の、男に名立ちて、「斯る事なむ有る。人に言騷げ。」と言侍ければ
簪すとも 立ちと立ちなむ 無き名をば 事無し草の 甲斐や無からむ
紀貫之
1221 題知らず
歸來る 道にぞ今朝は 迷ふらむ 茲に擬ふ 花無き物を
紀貫之
1222 女許に文遣はしけるを、返事も為ずして、後後は、文を見もせで取りなむ置くと、人告げければ
大空に 行交ふ鳥の 雲路をぞ 人踏見ぬ 物と云ふなる
佚名
1223 紀伊介に侍ける男の罷通はずなりにければ、彼男の姉許に憂興せて侍ければ、「甚心憂き事哉。」ど言遣はしたりける返事に
紀伊國の 名草濱は 君為れや 事言甲斐 有と聞きつる
佚名
1224 住侍ける女、宮仕し侍けるを、友達なりける女、同車にて貫之が家に詣來りけり。貫之が妻、客人に饗應為むとて、罷下りて侍ける程に、彼家を思掛て侍ければ忍びて車に入侍ける
浪にのみ 濡れつる物を 吹風の 便嬉しき 海人釣舟
紀貫之
1225 男物に罷りて、二年許有りて詣來りけるを、程經て後に、事無しびに、「異人に名立つと聞きしは、誠也けり。」と言へりければ
綠為る 松程過ぎば 如何でかは 下葉許も 紅葉せざらむ
佚名
1226 故女四內親王の後業為むとて、菩提子數珠をなむ右大臣求侍ると聞きて、此數珠を送るとて、加侍ける
思出の 煙や增さむ 亡人の 佛に成れる 木實見ば君
真延法師
1227 返し
道為れる 此身尋ねて 志 有と見るにぞ 音をば增しける
右大臣 藤原師輔
1228 「定めたる妻も侍らず、獨臥をのみす。」と女友達の許より、戲れて侍ければ
何處にも 身をば離れぬ 影しあれば 臥床每に 獨やは寢る
佚名
1229 前栽中に棕櫚樹生ひて侍ると聞きて、行明親王許より一木乞ひに遣はしたれば、加へて遣はしける
風霜に 色も心も 變らねば 主に似たる 植木也けり
真延法師
1230 返し
山深み 主に似たる 植木をば 見えぬ色とぞ 云ふべかりける
行明親王
1231 大井なる所にて、人人酒食べける序でに
大井川 浮かべる舟の 篝火に 小倉山も 名のみ也けり
在原業平朝臣
1232 題知らず 【○拾遺集0953。】
飛鳥川 我が身一つの 淵瀨故 並ての世をも 怨みつる哉
佚名
1233 思事侍ける頃、志賀に詣でて
世中を 厭ひがてらに 來しかども 憂身ながらの 山にぞ有ける
佚名
1234 父母侍ける人の女に忍びて通侍けるを、聞付けて、勘事為られ侍けるを、月日經て隱渡けれど、雨降りて、得罷出侍らで、籠居侍けるを、父母聞付けて如何は為むとて、許由言ひて侍ければ
下にのみ 這渡りつる 葦根の 嬉しき雨に 顯るる哉
佚名
1235 人家にりたりけるに、遣水に瀧甚面白かりければ、歸りて遣はしける
瀧瀨に 誰白玉を 亂りけむ 拾ふと為しに 袖は漬にき
佚名
1236 法皇吉野瀧御覽じける、御供にて
何時間に 降積るらむ 御吉野の 山峽より 崩落つる雪
源昇朝臣
1237 【○承前。】
宮瀧 宜も名に負ひて 聞えけり 落つる白沫の 玉と響けば
法皇御製 宇多天皇
1238 山踏みし始めける時
今更に 我は歸らじ 瀧見つつ 呼べど聞かずと 問はば答へよ
僧正遍昭
1239 題知らず
瀧瀨の 渦卷き每に 尋來れど 猶尋ねくる 世憂きめ哉
佚名
1240 初めて頭落し侍ける時、物に書付侍ける
垂乳女は 斯れとてしも 烏玉の 我が黑髮を 撫でずや有けむ
遍昭
1241 陸奧守に罷下れりけるに、武隈松の枯れて侍けるを見て、小松を植繼がせ侍て、任果て後、又同國に罷成りて、彼前任に植ゑし松を見侍て
植ゑし時 契りやしけむ 武隈の 松を二度 逢見つる哉
藤原元善朝臣
1242 伏見と云ふ所にて、其心を此彼詠みけるに
菅原や 伏見の暮に 見渡為ば 霞に惑ふ 小泊瀨山
佚名
1243 題知らず
言葉も 無くて經にける 年月に 此春だにも 花は咲かなむ
佚名
1244 身憂侍ける時、攝津國に罷りて住始侍けるに
難波津を 今日こそ御津の 浦每に 是や此世を 海渡る舟
在原業平朝臣
1245 時に遇はずして、身を恨みて籠侍ける時
白雲の 來宿る峰の 小松原 枝繁けれや 日光見ぬ
文屋康秀
1246 心にも在らぬ事を云ふ頃、男扇に書付侍ける
身に寒く 非ぬ物から 侘しきは 人心の 嵐也けり土佐
1247 【○承前。】
永らへば 人心も 見るべきを 露命ぞ 悲しかりける
土佐
1248 人許より、「久しう心地煩ひて、殆死くなむ有つる。」と言ひて侍ければ
諸共に 去來とは言はで 死出山 爭でか獨 越えむとは為し
閑院大君宗于女
1249 月夜に、彼此して
押並て 峯も平に 成ななむ 山端無くば 月も隱れじ
上野岑雄