後撰和歌集 卷十六 雜歌二
1125 思所有りて前太政大臣に寄せて侍ける
賴まれぬ 憂世中を 歎きつつ 日蔭に生ふる 身を如何に為む
在原業平朝臣
1126 病し侍て、近江關寺に籠りて侍けるに、前道より、閑院御、石山に詣でけるを、「唯今なむ行過ぎぬる。」と人告侍ければ、追ひて遣はしける
逢坂の 木綿付けに鳴く 鳥音を 聞咎めずぞ 行過ぎにける
藤原敏行朝臣
1127 前中宮宣旨、贈太政大臣家より罷出て有るに、彼家に、「事に觸れて日晚し。」と云ふ事なむ侍ける
深山より 響聞こゆる 晚蟬の 聲を戀しみ 今も消ぬべし
中宮宣旨
1128 返し
晚蟬の 聲を戀しみ 消ぬべくば 深山陲に 速も來ねかし
贈太政大臣 藤原時平
1129 河原に出て祓へし侍けるに、太政大臣も出逢ひて侍ければ
誓はれし 賀茂河原に 駒止めて 暫水飼へ 影をだに見む
藤原敦忠朝臣母
1130 人牛を借りて侍けるに,死侍ければ、言遣はしける
我が乘りし 事を憂しとや 消えにけむ 草葉に掛る 露命は
閑院御
1131 延喜御時、賀茂臨時祭の日、御前にて、盃取りて
如是てのみ 止むべき物か 千早振る 賀茂社の 萬代を見む
三條右大臣 藤原定方
1132 同御時、北野行幸に、御輿岡にて
御輿岡 幾十世世に 年を經て 今日御幸を 待ちて見つらむ
枇杷左大臣 藤原仲平
1133 戒仙が深山寺に籠侍けるに、異法師詣て、雨に降籠められて侍けるに
何れをか 雨とも分かむ 山伏の 落つる淚も 降りにこそ降れ
佚名
1134 此彼、逢ひて徹夜物語して、務めて送侍ける
思ひには 消ゆる物ぞと 知乍 今朝しも置きて 何に來
つらむ
藤原興風
1135 若う侍ける時は、志賀に常に詣でけるを、年老いては參侍らざりけるに、參侍て
珍らしや 昔ながらの 山井は 沈める影ぞ 朽果にける
佚名
1136 宇治網代に、知れる人の侍ければ罷りて
宇治川の 浪に水馴し 君坐せば 我も網代に 寄りぬべき哉
大江興俊
1137 院帝、內に御坐しし時、人人に扇調ぜさせ給ひける、奉るとて
吹出る 寢所高く 聞こゆなり 初秋風は 去來手馴さじ
小貳乳母
1138 返し
心して 稀に吹つる 秋風を 山下しには 為さじとぞ思ふ
大輔
1139 男の、「文多く書きて。」と言ひければ
儚くて 絶えなむ蜘蛛の 絲故に 何にか多く 書かむとすらむ
佚名
1140 鞍馬坂を夜越ゆとて詠侍ける
昔より 鞍馬山と 言ひけるは 我が如人も 夜や越えけむ
亭子院に今あこと召ける人
1141 男に付けて陸奧國へ女を遣はしたりけるが、其男心變りたりと聞きて、「心憂し。」と親の言遣はしたりければ
雲居路の 遙けき程の 空言は 如何なる風の 吹きて告げけむ
佚名
1142 返し
天雲の 浮きたる事と 聞然ど 猶ぞ心は 空に成りにし
女母
1143 偶に通へりける文を乞返しければ、其文に具して遣はしける
遣れば惜し 遣らねば人に 見えぬべし 泣泣も猶 返す勝れり
元良親王
1144 延喜御時、御馬を遣はして、早く參るべき由仰遣はしたりければ、即ち參りて、仰言承はれる人に遣はしける
望月の 駒より遲く 出つれば 辿る辿るぞ 山は越えつる
素性法師
1145 病して、心細しとて、大輔に遣はしける
萬代を 契りし事の 徒に 人笑へにも 成りぬべき哉
藤原敦敏
1146 返し
懸けて言へば 忌忌しき物を 萬代と 契し事や 叶はざるべき
大輔
1147 霰降るを袖に受けて消えけるを、海畔にて
散ると見て 袖に受くれど 溜らぬは 荒たる浪の 花にぞ有ける
佚名
1148 或所の童女、五節見に南殿に侍ひて沓を失ひてけり。扶幹朝臣、藏人にて、沓を貸して侍けるを返すとて
立騒ぐ 浪間を分けて 潛きてし 沖藻屑を 何時忘れむ
佚名
1149 返し
潛出し 沖藻屑を 忘れずは 底海松藻を 我に苅らせよ
藤原輔臣朝臣
1150 人裳を縫はせ侍るに、ぬひて遣はすとて
限無く 思心は 筑波嶺の 此もや如何 有らむとすらむ
佚名
1151 男の病しけるを、訪らはで、在在て、止方に問へりければ
思出て 問言葉を 誰見まし 身白雲に 成なましかば
佚名
1152 晦日、男知たる女を、有らくは言はで問へど、物も言はざりければ 【○古今集0718。】
忘なむと 思心の 付くからに 言葉さへや 言へば忌忌しき
雖然心已決 欲忘斯人為陌路 雖然有此念 忌憚言靈觸神祟 深埋心中難啟齒
佚名
1153 男隱れて女を見たりければ、遣はしける
隱居て 我が憂樣を 水上の 沫とも早く 思消えなむ
佚名
1154 世中を兔角思煩ひける程に、女友達為る人、「猶、我が言はむ事に付きね。」と語らひければ
人心 去來や白浪 高ければ 寄らむ渚ぞ 豫て悲しき
佚名
1155 甚く事好む由を、時人言ふと聞きて
直木に 曲れる枝も 有物を 毛を吹疵を 云ふが理無さ
高津內親王
1156 帝に奉給ひける
移はぬ 心深く 有ければ 幾許散る花 春に逢へる如
嵯峨后 橘嘉智子
1157 此彼女許に罷りて物言等ど繁るに、女の、「甚切寒風や。」と申しければ
玉垂の 編目間より 吹風の 寒くは添へて 入む思ひを
佚名
1158 男物ひけるを、騒ぎければ、歸りて朝に遣はしける
白浪の 打騒がれて 立ちしかば 身を潮にぞ 袖は濡れにし
佚名
1159 返し
取りも敢へず 立騒がれし 徒浪に 文無く何に 袖濡れけむ
佚名
1160 題知らず
直路とも 賴まざらなむ 身に近き 衣關も 有と云也
佚名
1161 友達久しく逢はざりけるに、罷逢ひて、詠侍ける
逢はぬ間に 戀しき道も 知りにしを 何ど嬉しきに 迷心ぞ
佚名
1162 題知らず
何也し 節にか絲の 亂れけむ 強ひて繰れども 解けず見ゆるは
佚名
1163 人妻に通ひける、見附られ侍て
身投ぐとも 人に知られじ 世中に 知られぬ山を 知由欲得
賀朝法師
1164 返し
世中に 知られぬ山に 身投ぐとも 谷心や 言はで思はむ
元男
1165 山井君に遣はしける
音にのみ 聞きては止まじ 淺くとも 去來汲見てむ 山井水
佚名
1166 病しけるを、辛うじて起たれりと聞きて
死出山 辿る辿るも 越えななで 憂世中に 何歸りけむ
佚名
1167 題知らず
數為らぬ 身を持荷にて 吉野山 高歎きを 思懲りぬる
佚名
1168 返し
吉野山 越えむ事こそ 難からめ 樵らむ歎木の 數はしりなむ
佚名
1169 陽成院帝、時時殿居に侍はせ賜ひけるを、久しう召無かりければ、奉りける
數為らぬ 身に置く宵の 白玉は 光見えさす 物にぞ有ける
武藏
1170 罷通ひける女の心解けずのみ見え侍ければ、「年月も經ぬるを、今さへ斯事。」と言遣はしたりければ
難波潟 汀葦の 追風に 怨みてぞ老る 人心を
佚名
1171 女許より怨興せて侍ける返事に
忘るとは 怨みざらなむ 鷂鷹の 色替る山の 椎は黃變ぢず
佚名
1172 昔、同所に宮仕し侍ける女の、男に付きて人國に落居たりけるを聞付けて、心有ける人為れば、言遣はしける
遠近の 人目稀なる 山里に 家居為むとは 思きや君
佚名
1173 返し
身を憂しと 人知れぬ世を 尋來し 雲八重立つ 山にやは非ぬ
佚名
1174 男等侍らずして年頃山里に籠侍ける女を、昔相知りて侍ける人、道罷りける序でに、「久しう聞えざりつるを、此處に也けり。」と言入れて侍ければ
朝な日に 世憂事を 忍びつつ 眺めせし間に 年は經にけり
土佐
1175 山里に侍けるに、昔相知れる人の、「何時より此處には住むぞ?」と問ひければ
春や來し 秋や行きけむ 覺束無 蔭朽木と 世を過ぐす身は
閑院
1176 題知らず
世中は 憂物為れや 人事の 兔にも角にも 聞え苦しき
紀貫之
1177 【○承前。無題。】
武藏野は 袖漬許 分けしかど 若紫は 尋詫びにき
佚名
1178 暇にて籠居て侍ける頃、人問はず侍ければ
大荒木の 森草とや 成りにけむ 假にだに來て 訪人無き
壬生忠岑
1179 或所に宮仕し侍ける女の徒名立ちけるが許より、「己が上は、其處になむ口端に、掛けて言はるなる。」と怨侍ければ
哀云ふ 事こそ常の 口端に 斯るや人を 思ふなるらむ
佚名
1180 題知らず
吹風の 下塵にも 有ら無くに 然も立易き 我が無き名哉
伊勢
1181 春日に詣でける道に、佐保川畔に、初瀨より歸る女車の會ひて侍けるが、簾開きたるより、僅かに見入れければ、相知りて侍ける女の、志深く思交しながら、憚る事侍て、相離れて六七年許に成侍にける女に侍ければ、彼車に言入侍ける
故鄉の 佐保川水 今日も猶 如是て逢瀨は 嬉しかりけり
閑院左大臣 藤原冬嗣
1182 枇杷左大臣、用侍て、楢葉を求侍ければ、千兼が相知りて侍ける家に取りに遣はしければ
我が宿を 何時馴してか 楢葉を 馴し顏には 折に遣する
承香殿俊子
1183 返し
楢葉の 葉守神の 坐けるを 知らでぞ折りし 崇なさるな
枇杷左大臣 藤原仲平
1184 友達許に罷りて、盃數多度に成りにければ、遁げて罷りけるを、留煩ひて、侍ける笛を取留めて、又朝に遣はしける
歸りては 聲や違はむ 笛竹の 辛き一節の 形見と思へば
佚名
1185 返し
一節に 怨み莫果そ 笛竹の 聲內にも 思心有り
佚名
1186 元より友達に侍ければ、貫之に相語らひて、兼輔朝臣家に名簿を傳へさせ侍けるに、其名簿に加へて貫之に送りける
人に付く 便だに無し 大荒木の 森下なる 草身為れば
凡河內躬恒
1187 兼忠朝臣母身罷にければ、兼忠をば故枇杷左大臣家に、女をば后宮に侍はせむと相定めて、二人ながら、先づ枇杷家に渡送るとて、加へ侍ける
結置し 形見子だに 無かりせば 何に忍の 草を摘まし
源兼忠母乳母
1188 物思侍ける頃、止事無き高所より問はせ給へりければ
嬉しきも 憂きも心は 一つにて 別れぬ物は 淚也けり
佚名
1189 世中の心に叶はぬ事申しける序でに
惜からで 悲しき物は 身也けり 憂世背かむ 方を知らねば
紀貫之
1190 思事侍ける頃、人に遣はしける
思出る 時ぞ悲しき 世中は 空行雲の 果を知らねば
佚名
1191 題知らず
哀とも 憂しとも言はじ 陽炎の 有か無きかに 消ぬる世為れば
佚名
1192 【○承前。無題。】
哀云ふ 事に慰さむ 世中を 何どか悲しと 言ひて過ぐらむ
佚名
1193 播磨國に高瀉と云ふ所に、面白き家持ちて侍けるを、京にて母が喪にて、久しう罷らで、彼高瀉に侍ける人に言遣はしける
物思ふと 行きても見ねば 高瀉の 海人苫屋は 朽やしぬらむ
佚名
1194 延喜御時、時藏人許に、奏しも為よと思しくて遣はしける
夢にだに 嬉しとも見ば 現にて 侘しきよりは 猶勝りなむ
凡河內躬恒