後撰和歌集 卷十三 戀歌五
0891 題知らず
伊勢海に 遊海人とも 成にしが 浪搔分けて 海松潛かむ
在原業平朝臣
0892 返し
朧けの 海人やは潛く 伊勢海 浪高浦に 生ふる海松は
伊勢
0893 由緣無く見え侍ける人に
辛しとや 云果てまし 白露の 人に心は 置かじと思ふを
佚名
0894 題知らず
永らへば 人心も 見るべきに 露命ぞ 悲しかりける
佚名
0895 【○承前。拾遺集0718。】
獨寢る 時は待たるる 鳥音も 稀に逢夜は 侘しかりけり
小野小町姉
0896 女の怨興せて侍ければ遣はしける
空蟬の 空しき骸に 成るまでも 忘れむと思ふ 我なら無くに
清原深養父
0897 あだなる男を相知りて志は有ると見えながら、猶疑はしく覺えければ、遣はしける
何時迄の 儚人の 言葉か 心秋の 風を待つらむ
佚名
0898 題知らず
轉寢の 夢許なる 逢事を 秋夜徹 思ひつる哉
佚名
0899 女許に罷りたりけるに、門を鎖して開けざりければ、罷歸りて、朝に遣はしける
秋夜の 草閉しの 侘しきは 明くれど明けぬ 物にぞ有ける
藤原兼輔朝臣
0900 返し
云ふからに 辛さぞ增る 秋夜の 草鎖しに 障るべしやは
佚名
0901 桂內親王に住始めける間に、彼內親王相思はぬ氣色なりければ
人知れず 物思ふ頃の 我が袖は 秋草葉に 劣らざりけり
貞數親王
0902 忍びたる人に遣はしける
倭文機に 思亂れて 秋夜の 明くるも知らず 歎きつる哉
贈太政大臣 藤原時平
0903 消息通はしけれども未逢はざりける男を、玆かれ、「逢ひにけり。」と言騒ぐを、「抗はざ也。」と恨遣はしければ
蓮葉の 上は由緣無き 裏にこそ 物抗ひは 就くと云ふなれ
佚名
0904 男無情成行く頃、雨降りければ遣はしける
降止めば 跡だに見えぬ 泡沫の 消えて儚き 世を賴哉
佚名
0905 女許に罷りて、得逢はで歸りて遣はしける
逢はでのみ 數多の世をも 歸る哉 人目の繁き 逢坂に來て
佚名
0906 女に物言ふ男二人有けり。一人が返事すと聞きて、今一人が遣はしける
靡方 有ける物を 嫩竹の 世に經ぬ物と 思ひける哉
佚名
0907 女心變りぬべきを聞きて遣はしける
音に泣けば 人笑へ也 吳竹の 世に經ぬをだに 勝ちぬと思はむ
佚名
0908 文遣はしける女親の伊勢へ罷りければ、共に罷りけるに遣はしける
伊勢海人と 人と君しなりなば 同くは 戀しき程に 海松苅らせよ
佚名
0909 一條が許に、「甚なむ戀しき。」と言ひに遣りたりければ、鬼形を書きて遣るとて
戀しくは 影をだに見て 慰めよ 我が打解けて 忍ぶ顏也
一條
0910 返し
影見れば 甚心ぞ 惑はるる 近からぬ氣の 疎き也けり
伊勢
0911 人女に忍びて通侍けるに、辛げに見え侍ければ、消息有ける返事に
人言の 憂きをも知らず 步かせし 昔乍らの 我が身と欲得
佚名
0912 見慣れたる女に、又物言はむとて罷りたりけれど、聲はしながら隱れければ、遣はしける
郭公 夏來初めにし 甲斐も無く 聲を餘所にも 聞渡る哉
佚名
0913 人許に初めて罷りて、務めて、遣はしける
常よりも 起憂かりつる 曉は 露さへ掛る 物にぞ有ける
佚名
0914 忍びて迄來ける人の、霜甚降りける夜罷らで、務めて遣はしける
置霜の 曉起きを 思はずは 君が夜殿に 夜離れ為ましや
佚名
0915 返し
霜置かぬ 春より後の 長雨にも 何時かは君が 夜枯為ざりし
佚名
0916 心にも非で久しく問ざりける人許に遣はしける
伊勢海の 海人左右手肩 暇無み 永らへにける 身をぞ怨むる
源英明朝臣
0917 得難う侍ける女の家前より罷りけるを見て、「何方へ行くぞ?」と言出して侍ければ
逢事を 交野へとてぞ 我は行く 身を同名に 思為しつつ
藤原為世
0918 題知らず
君が當り 雲居に見つつ 宮路山 打越行かむ 道も知ら無く
佚名
0919 男の返事に遣はしける
思云ふ 言葉如何に 懷かしな 後憂き物と 思はず欲得
承香殿俊子
0920 題知らず
思云ふ 事こそ憂けれ 吳竹の 式に經る人の 言はぬ無ければ
藤原兼茂朝臣女
0921 【○承前。無題。】
思はむと 我を賴めし 言葉は 忘草とぞ 今は成るらし
佚名
0922 男の病に患ひて罷らで、久しく有て遣はしける
今迄も 消えで有つる 露身は 置くべき宿の 有れば也けり
佚名
0923 返し
言葉も 皆霜枯に 成行けば 露宿も 非じとぞ思ふ
佚名
0924 怨興せて侍ける人の返事に
忘れむと 言ひし事にも 有ら無くに 今は限と 物思ふかは
佚名
0925 【○承前。於興怨人之返事。】
現には 臥せど寢られず 起返り 昨日夢を 何時か忘れむ
佚名
0926 女に遣はしける
細浪 間無く立つめる 浦をこそ 世に淺しとも 見つつ忘れば
佚名
0927 西四條齋宮の、未だ內親王にものし給ひし時、志有て、思事侍ける間に、齋宮に定賜ひにければ、其明くる朝に榊枝に指して、插置かせ侍ける
伊勢海の 千尋濱に 拾ふとも 今は何云ふ 甲斐か有べき
藤原敦忠朝臣
0928 朝賴朝臣、年頃消息通はし侍ける女許より、「用無し、今は思忘れね。」と許申して、久しう成りにければ、異女に言付きて、消息も為ず成りにければ
忘れねと 云ひしに叶ふ 君為れど 訪はぬは辛き 物にぞ有ける
本院藏
0929 題知らず 【○後撰集1342。】
春霞 儚く立ちて 別るとも 風より他に 誰か問ふべき
佚名
0930 返し 【○後撰集1343。】
目に見えぬ 風に心を 伉へつつ 遣らば霞の 別れこそ為め
伊勢
0931 土左が許より消息侍ける返事に遣はしける
深綠 染めけむ松の 江にし有らば 薄袖にも 浪は寄せてむ
貞元親王
0932 返し
松山の 末越す浪の 緣にし有らば 君が袖には 跡も止まらじ
土佐
0933 女許より、「定無き心有り。」等申したりければ 【○後撰集1273。】
深思ひ 染めつと云し 言葉は 何時か秋風 吹きて散ぬる
贈太政大臣 藤原時平
0934 男の心變る氣色成りければ、直なりける時、此男心ざせりける扇に書付けて侍ける
人をのみ 恨むるよりは 心から 此忌まざりし 罪と思はむ
佚名
0935 忍びたる女許に消息遣はしたりければ
足引の 山下繁く 逝水の 流れて如是し 訪はば賴まむ
佚名
0936 男の忘侍にければ 【○古今集0813。】
侘果つる 時さへ物の 悲しきは 何方を偲ぶ 心なるらむ
雖已悲寂極 此時何以又物悲 是思故伊人 何處令人慕如此 泣淚更下徒傷感
伊勢
0937 親の護りける女を、「否とも、諾とも言放て。」と申しければ
否諾とも 云放たれず 憂物は 身を心とも 為ぬ世也けり
佚名
0938 男の、「如何にぞ得詣來ぬ事。」と言ひて侍ければ
來ずやあらむ 來やせむとのみ 河岸の 松心を 思遣らなむ
佚名
0939 泊れと思ふ男の出て罷りければ
強ひて行く 駒足折る 橋をだに 何ど我が宿に 渡さざりける
佚名
0940 物言ひける人の久しう訪れざりける、辛うじて詣來りけるに、「何どか久しう。」と言へりければ
年を經て 生ける甲斐無き 我が身をば 何かは人に 有りと知られむ
佚名
0941 甚忍びて詣來りける男を制しける人有けり。罵りければ、歸罷りて遣はしける
漁する 時ぞ侘しき 人知れず 難波浦に 住まふ我が身は
佚名
0942 公賴朝臣 、今罷りける女許にのみ罷りければ
眺めつつ 人待つ宵の 呼子鳥 何方へとか 行歸るらむ
寬湛法師母
0943 忍びたる人に
人言の 賴難さは 難波なる 葦裏葉の 怨みつべしな
佚名
0944 忍びて通侍ける人、「今歸りて。」等賴置きて、公使に伊勢國に罷りて、歸詣來て、久しう問はず侍ければ
人謀る 心隈は 汙くて 清渚を 如何で過ぎけむ
少將內侍
0945 返し
誰が為に 我が命を 長濱の 浦に宿を しつつかは來し
藤原兼輔朝臣
0946 女許に遣はしける
堰きも堪へず 淵にぞ迷ふ 淚川 渡る云ふ瀨を 知由欲得
佚名
0947 返し
淵ながら 人通はさじ 淚川 渡らば淺き 瀨をもこそ見れ
佚名
0948 常に詣來て物等言ふ人の、「今は莫詣でこそ。人もう立て言也。」と言出して侍ければ
來て歸る 名をのみぞ立つ 唐衣 下結紐の 心解けねば
佚名
0949 左大臣河原に出逢ひて侍ければ
絕えぬとも 何思ひけむ 淚川 流合ふ瀨も 有ける物を
內侍平子
0950 大輔に遣はしける
今は速 御山を出て 時鳥 氣近き聲を 我に聞かせよ
左大臣 藤原實賴
0951 返し
人はいさ 深山隱れの 時鳥 鳴らはぬ里は 住憂かるべし
大輔
0952 左大臣に遣はしける
有しだに 憂かりし物を 飽かずとて 何處に添る 辛さ成りらむ
中務
0953 右近に遣はしける
思侘び 君が辛きに 立寄らば 雨も人目も 洩さざらなむ
左大臣 藤原實賴
0954 高明朝臣に笛を贈るとて
笛竹の 元古根は 變るとも 己が世世には 成らずも有らなむ
佚名
0955 異女に物言ふと聞きて、元妻の內侍の燻侍ければ
目も見えず 淚雨の 時雨るれば 身濡衣は 乾由も無し
好古朝臣
0956 返し
憎からぬ 人著せけむ 濡衣は 思ひに堪へず 今乾きなむ
中將內侍
0957 題知らず
大方は 瀨とだに掛けじ 天川 深心を 淵と賴まむ
小野道風
0958 返し
淵とても 賴みやはする 天川 年に一度 渡る云ふ瀨を
佚名
0959 御匣殿別當に遣はしける
身のならむ 事をも知らず 漕舟は 浪心も 包まざりけり
源清蔭朝臣
0960 事出來て後に京極御息所に遣はしける 【○拾遺集0766。百人一首0020。】
侘ぬれば 今將同じ 難波なる 身を盡しても 逢はむとぞ思ふ
事泄心緒亂 吾暮君心仍無易 難波澪標矣 縱令身毀永不復 仍願再與君相會
元良親王
0961 忍びて御匣殿別當に相語らふと聞きて、父左大臣の制し侍ければ 【○百人一首0020。】
如何にして 如是思ふ云ふ 事をだに 人傳ならで 君に語らむ
事泄心緒亂 吾暮君心仍無易 難波澪標矣 縱令身毀永不復 仍願再逢與君會
藤原敦忠朝臣
0962 公賴朝臣女に忍びて住侍けるに惱ふ事有て、「死ぬべし。」と云へりければ、遣はしける
諸共に 去來と言はずは 死出山 越ゆとも越さむ 物なら無くに
藤原朝忠朝臣
0963 年を經て語ふ人の由緣無くのみ侍ければ、移ひたる菊に付けて遣はしける
如此許 深色にも 移ふを 猶君菊の 花と言はなむ
源清蔭朝臣
0964 人許に罷りたりけるに、門よりのみ返しけるに、辛うじて簾垂許に呼寄せて、「斯うてさへや心徃かぬ。」と言出したりければ
去來や未だ 人心も 白露の 置くにも外にも 袖のみぞ漬づ
佚名
0965 人許に罷りけるを、逢はでのみ歸侍ければ、道より言遣はしける
寄潮の 滿來る空も 思ほえず 逢事無みに 歸ると思へば
佚名
0966 人を思掛けて言渡侍けるを、待遠にのみ侍ければ
數為らぬ 身は山端に 非ねども 多くの月を 過ぐしつる哉
佚名
0967 久しく言渡侍けるに、由緣無くのみ侍ければ 【○古今集0614。】
賴めつつ 逢はで年經る 偽に 懲りぬ心を 人は知らなむ
苦待徒寄望 經年累月不得逢 伊人心虛偽 然吾不懲彼無情 欲彼知我苦等情
在原業平朝臣
0968 返し
夏蟲の 知る知る惑ふ 思ひをば 懲りぬ悲しと 誰か見ざらむ
伊勢
0969 返事為ぬ人に遣はしける 【○古今集0539。】
打侘びて 呼ばはむ聲に 山彥の 答へぬ空は 有らじとぞ思ふ
心憂愁情侘 喚呼發聲吐念情 吾思彼空者 山彥固非無回響 然而伊人不應聲
佚名
0970 返し
山彥の 聲隨に 尋行かば 虛しき空に 行や歸らむ
佚名
0971 如是言交す程に、三年許に成侍ければ
新玉の 年三歲は 空蟬の 虛しき音をや 鳴きて暮らさむ
佚名
0972 題知らず
流出る 淚川の 行末は 遂に近江の 海と賴まむ
佚名
0973 雨降る日、人に遣はしける
雨降れど 降らねど濡るる 我が袖は 斯る思火に 乾かぬや何ぞ
佚名
0974 返し
露許 濡るらむ袖の 乾かぬは 君が思火の 程や少なき
佚名
0975 女許に罷りたるに、立ちながら歸したれば、道より遣はしける
常よりも 惑ふ惑ふぞ 歸りつる 逢道も無き 宿に行きつつ
佚名
0976 雨にも障らず詣來て、空物語等しける男の、門より渡るとて、「雨甚降ればなむ、罷過ぎぬる。」と言ひたれば
濡つつも 來ると見えしは 夏引の 手引に絕えぬ 絲にや有けむ
佚名
0977 人に忘られて侍ける時
數為らぬ 身は浮草と 成ななむ 強面き人に 寄邊知られじ
佚名
0978 思忘れにける人許に罷りて
夕闇は 道も見えねど 舊里は 本來し駒に 任せてぞ來る
佚名
0979 返し
駒にこそ 任せたりけれ 文無くも 心來ると 思ひける哉
佚名
0980 朝綱朝臣の、女に文等遣はしけるを、異女に言付きて久しう成りて、秋訪ひて侍ければ
何方に 言傳て遣りて 雁音の 逢事稀に 今は成るらむ
佚名
0981 男離果てぬに、異男を相知りて侍けるに、元男の東へ罷りけるを聞きて遣はしける
有とだに 聞くべき物を 逢坂の 關の彼方ぞ 遙けかりける
佚名
0982 返し
關守が 改まる云ふ 逢坂の 木綿付雞は 鳴きつつぞ行く
佚名
0983 又、女の遣はしける
行歸り 來ても聞かなむ 逢坂の 關に變れる 人も在やと
佚名
0984 返し
守人も 有とは聞けど 逢坂の 關も止めぬ 我が淚哉
佚名
0985 離にける男の思出て詣來て、物等言ひて歸りて
葛城や 久米路に渡す 岩橋の中中にても 歸りぬる哉
佚名
0986 返し
中絕へて 來人も無き 葛城の 久米路橋は 今も危し
佚名
0987 白衣ども著たる女共の數多、月明きに侍けるを見て、朝に一人が許に遣はしける
白雲の 皆一群に 見えしかど 立出君を 思始めてき
藤原有好
0988 女許に遣はしける
餘所為れど 心許は 掛たるを 何どか思ひに 乾かざるらむ
佚名
0989 題知らず
我が戀の 消ゆる間も無く 苦しきは 逢はぬ歎きや 燃渡るらむ
佚名
0990 返し
消えずのみ 燃ゆる思は 遠けれど 身も焦れぬる 物にぞ有ける
佚名
0991 又、男
上にのみ 愚に燃ゆる 蚊遣火の 世にも底には 思焦れじ
佚名
0992 又、返し
河とのみ 渡るを見るに 慰まで 苦しき事ぞ 彌增りなる
佚名
0993 又、男
水增る 心地のみして 我が為に 嬉しき瀨をば 見せじとやする
佚名