後撰和歌集 卷第十 戀歌二
0601 女許に初めて遣はしける
人を見て 思ふ思も 有物を 空に戀ふるぞ 儚かりける
藤原忠房朝臣
0602 【○承前。初贈女許。】
獨のみ 思へば苦し 如何にして 同心に 人を教へむ
壬生忠岑
0603 【○承前。初贈女許。】
我が心 何時馴らひてか 見ぬ人を 思遣りつつ 戀しかるらむ
紀友則
0604 未だ年若かりける女に遣つかはしける
葉を若み 穗にこそ出ね 花薄 下心に 結ばざらめや
源中正
0605 人を言始めむとて
足引の 山下繁く 這葛の 尋ねて戀ふる 我と知らずや
兼覽王
0606 【○承前。】
隱れぬに 忍侘びぬる 我が身哉 井手蛙と 成りやし成まし
忠房朝臣
0607 女曹司に夜夜立寄りつつ、物等言ひて後
阿武隈の 霧とは無しに 終夜 立渡りつつ 世をも經る哉
藤原輔文
0608 文遣はせども返事もせざりける女許に遣はしける 【○拾遺集0996。】
怪しくも 厭ふに榮ゆる 心哉 如何にしてかは 思止むべき
佚名
0609 國用が音もせざりければ遣はしける
とも斯も 云ふ言葉の 見えぬ哉 何方等は露の 掛り所は
本院右京
0610 題知らず
侘人の 濡づ云ふなる 淚川 下立ちてこそ 濡渡りけれ
橘敏仲
0611 返し
淵瀨とも 心も知らず 淚川 下りや立つべき 袖濡るるに
大輔
0612 又
心見に 猶下立たむ 淚川 嬉しき瀨にも 流合ふやと
橘敏仲
0613 態とにはあらで時時物言振れ侍ける女の、心にもあらで人に誘はれて罷りにければ、宿直物に書付けて遣はしける
斯かりける 人心を 白露の 置ける物とも 賴みける哉
藤原敦忠朝臣
0614 相知りて侍ける女を久しう問はず侍ければ、「甚痛うなむ侘侍る。」と人の告侍ければ
鶯の 雲居に侘て 鳴聲を 春性とぞ 我は聞きつる
藤原顯忠朝臣
0615 文通はしける女異人に逢ひぬと聞きて遣はしける
如此許 常無き世とは 知りながら 人を遙に 何賴みけむ
平時望朝臣
0616 男來ざりければ遣はしける
我が門の 一叢芒 苅飼はむ 君が手馴れの 駒も來ぬ哉
小野小町姊
0617 題知らず
世を海の 泡と消ぬる 身にし有れば 恨むる事ぞ 數無かりける
枇杷左大臣 藤原仲平
0618 返し
大海と 賴めし事も 淺せぬれば 我ぞ我身の 衷は恨むる
伊勢
0619 人許に遣はしける
東路の 佐野船橋 掛けてのみ 思渡るを 知人無なき
源等朝臣
0620 人に遣はしける
臥して寢る 夢路にだにも 逢はぬ身は 猶淺ましき 現とぞ思ふ
紀長谷雄朝臣
0621 女に遣はしける
天戶を 開けぬ開けぬと 云做して 空鳴きしつる 鳥聲哉
佚名
0622 【○承前。】
終夜 濡れて侘つる 唐衣 逢坂山に 道惑ひして
佚名
0623 男に遣はしける
思へども 綾無しとのみ 言はるれば 夜錦の 心地こそすれ
佚名
0624 女許に遣はしける
音にのみ 聞來し三輪の 山よりも 杉數をば 我ぞ見えにし
佚名
0625 「己を思隔てたるこころあり。」と云へる女の返事に遣はしける
難波潟 苅積む葦の 薄しづつの 一重も君を 我や隔つる
藤原兼輔朝臣
0626 遠所に罷りける道より止む事無き事によりて京へ人遣はしける序でに、文端に書付けて侍ける
我が如や 君も戀ふらむ 白露の 起きても寢ても 袖ぞ乾かぬ
佚名
0627 相知りて侍ける人許より、久しく訪はずして、「如何にぞ、未だ生きたるや?」と戲れて侍ければ
辛くとも 有らむとぞ思ふ 餘所にても 人や消ぬると 聞か真欲さに
佚名
0628 人許に屢屢罷りけれど、逢難く侍ければ、物に書付け侍ける
暮れぬとて 寢て行くべくも 有ら無くに 辿る辿るも 歸る勝れり
在原業平朝臣
0629 男侍る女を甚切に言はせ侍けるを、女、「甚理無し。」と言はせければ
理無しと 云ふこそ且は 嬉しけれ 愚ならずと 見えぬと思へば
元良親王
0630 女許より、「志程をなむ得知らぬ。」と言へりければ
我が戀を 知らむと思はば 田子浦に 立つらむ浪の 數を數へよ
藤原興風
0631 言交しける女許より、「尚ざりに言ふにこそ有んめれ。」と言へりければ 【○拾遺集0623。】
色ならば 移る計も 染めてまし 思心を 得やは見せける
紀貫之
0632 物賜びける女許に文遣はしたりけるに心地惡しとて返事もせざりければ、又遣はしける
足引の 山居はすとも 踏通ふ 跡をも見ぬは 苦しき物を
大江朝綱朝臣
0633 大船に物賜遣はしけるを、更に聞入れざりければ、遣はしける
大方は 何ぞや我が名の 惜しからむ 昔妻と 人に語らむ
元良親王
0634 返し 【○古今集0630。】
人はいさ 我は無名の 惜ければ 昔も今も 知らずとを言はむ
汝今作何想 我惜無實名徒立 願汝助一言 還述無論昔與今 不曾相識未相聞
大船 在原棟梁女
0635 返事為ざりける女文を辛うじて得て
跡見れば 心慰の 濱千鳥 今は聲こそ 聞か真欲けれ
佚名
0636 同所にて見交しながら、得逢はざりける女に
河と見て 渡らぬ中に 流るるは 言はで物思ふ 淚也けり
佚名
0637 志有りける女に遣はしける
天雲に 鳴行く雁の 音にのみ 聞渡りつつ 逢由欲得
橘公賴朝臣
0638 【○承前。贈有意之女。】
住江の 浪には非ねど 世と共に 心を君に 寄渡る哉
紀貫之
0639 兵衞に遣はしける
見ぬ程に 年變れば 逢事の 彌遙遙と 思ほゆる哉
佚名
0640 罷出て御文遣したりければ
今日過ぎば 死な益物を 夢にても 何處を墓と 君が問はまし
中將更衣 藤原伊衡女
0641 御返し
現にぞ 問ふべかりける 夢とのみ 惑し程や 遙けかりけむ
延喜御製 醍醐帝
0642 題知らず
流れては 行方も無し 淚川 我が身憂等や 限りなるらむ
藤原千兼
0643 【○承前。無題。古今集假名序。】
我が戀の 數にし取らば 白妙の 濱真砂も 盡きぬべら也
今顧吾戀慕 其程雖計不能盡 白妙敷栲兮 濱邊真砂無盡藏 縱令數之無盡時
在原棟梁
0644 【○承前。無題。】
淚にも 思消ゆる 物ならば 甚如此胸は 焦さざらまし
紀貫之
0645 【○承前。無題。】
驗無き 思や何ぞと 葦鶴の 音に鳴く迄に 逢はず侘しき
坂上是則
0646 年久しく通はし侍ける人に遣はしける
玉緒の 絕えて短き 命以て 年月長き 戀もする哉
紀貫之
0647 題知らず
我のみや 燃て消えなむ 世と共に 思火も成らぬ 富士嶺如
平定文
0648 返し
富士嶺の 燃渡るとも 如何為む 消ちこそ知らね 水為らぬ身は
紀乳母 紀全子
0649 心指せる女家邊に罷りて言入侍ける
侘渡る 我が身は露を 同じくば 君が垣根の 草に消えなむ
紀貫之
0650 題知らず
海松苅る 渚や何處 逢期無み 立寄る方も 知らぬ我身は
在原元方
0651 東宮に鳴門と云ふ戶許に、女と物言ひけるに、親戶を鎖して立てて率入りにければ、又朝に遣はしける
鳴門より 指渡されし 舟よりも 我ぞ寄邊も 無き心地為し
藤原滋幹
0652 題知らず
高砂の 峯白雲 掛りける 人心を 賴みける哉
佚名
0653 長明親王母の更衣、里に侍けるに遣はしける
餘所にのみ 待つは儚き 住江の ゆきてさへこそ 見まく欲けれ
延喜御製 醍醐帝
0654 題知らず
陽炎に 見し許にや 濱千鳥 行方も知らぬ 戀に惑はむ
源等朝臣
0655 在所は知りながら得逢ふまじかりける人に遣はしける
大海の 底在所は 知乍 潛きて入らむ 浪間ぞ無き
藤原兼茂朝臣
0656 女許に遣はしける
辛しとも 思ひぞ果てぬ 淚川 流れて人を 賴む心は
橘實利朝臣
0657 返し
流れてと 何賴むらむ 淚川 影見ゆべくも 覺え無くに
佚名
0658 人を言煩ひて遣はしける
何事を 今は賴まむ 千早振る 神も助けぬ 我が身也けり
平定文
0659 返し
千早振る 神も耳こそ 慣れぬらし 樣樣禱る 年も經ぬれば
大船 在原棟樑女
0660 女許に罷りたりけるを、直にて返し侍ければ、言入侍ける
怨みても 身こそ辛けれ 唐衣 著て徒に 返すと思へば
紀貫之
0661 相知りて侍ける人を久しう問はずして、罷りたりければ、門より返遣しけるに
住江の 松に立寄る 白浪の 返る折にや 音は泣かるらむ
壬生忠峯
0662 男許より、「今は異人在んなれば。」と言へりければ、女に代りて
思はむと 賴めし事も 有物を 無名を立てで 唯に忘れね
佚名
0663 返し
春日野の 飛火野守 見し物を 無名と言はば 罪もこそ得れ
佚名
0664 題知らず
忘られて 思歎きの 繁るをや 身を耻しの 森と云ふらむ
佚名
0665 人心變りにければ 【○後撰集0706。】
思はむと 賴めし人は 有と聞く 云ひし言葉 何地いにけむ
右近
0666 定國朝臣の御息所、清蔭朝臣と陸奧國に在る所所を盡くして歌に詠交して「今は詠むべき所無し。」と言ひければ
さても猶 籬嶋の 有ければ たちよりぬべく 思ほゆる哉
源清蔭朝臣
0667 異女文を、妻の、「見む。」と言ひけるに見せざりければ、恨みけるに、其文裏に書付けて遣はしける
茲は如斯 怨所も 泣物を 後目痛くは 思はざるらむ
佚名
0668 久しう逢はざりける女に遣はしける 【○拾遺集0907。】
思ひきや 逢見ぬ事を 何時よりと 數計に 為さむ物とは
源信明
0669 題知らず
世常の 音をし泣かねば 逢事の 淚色も 殊にぞ有ける
藤原治方
0670 【○承前。無題。萬葉集3961。】
白浪の 寄する磯間を 漕舟の 舵取堪へぬ 戀もする哉
白浪滔滔而 緣來寄岸礒迴間 榜舟蹈滄溟 不堪取舵無力馭 如斯之戀我為哉
大伴黑主
0671 【○承前。無題。】
戀しさは 寢ぬに慰む とも無きに 怪しく逢はぬ 目をも見哉
源浮
0672 年經て言渡侍ける女に
久しくも 戀渡る哉 住江の 岸に年經る 松なら無くに
源俊
0673 題知らず
逢事の 夜夜を隔つる 吳竹の 節數無き 戀もする哉
藤原清正
0674 離方に成りける人に、末黃變たる枝に付けて遣はしける
今は云ふ 心筑波の 山見れば 梢よりこそ 色變りけれ
佚名
0675 女許より歸りて、朝に遣はしける
歸りけむ 空も知られず 姨捨の 山より出し 月を見し間に
源重光朝臣
0676 兼輔朝臣に逢始めて、常にしも逢はざりける程に
降解けぬ 君が雪消の 雫故 袂に解けぬ 冰しにけり
藤原清正母
0677 方塞がりける頃、違へに罷るとて
片時も 見ねば戀しき 君を置きて 怪しや幾夜 外に寢ぬらむ
藤原有文朝臣
0678 題知らず
思遣る 心に類ふ 身也為ば 一日に千度 君は見てまし
大江千古
0679 忍びて通侍ける女許より狩裝束送りて侍けるに、摺れる狩衣侍けるに
逢事は 遠山摺の 狩衣 著ては甲斐無き 音をのみぞ泣く
元良親王
0680 題知らず
深くのみ 思心は 葦根の 分けても人に 逢はむとぞ思ふ
敦慶親王
0681 忍びて逢渡侍ける人に
漁火の 夜は仄かに 隱しつつ 有へば戀の 下に消ぬべし
藤原忠國
0682 寬平帝御髮させ賜うての頃、御帳の巡りにのみ人は候はせ給うて、近う寄せられざりければ、書きて御帳に結付けける
立寄らば 影踏許 近けれど 誰か勿來の 關を据ゑけむ
小八條御息所
0683 男許に遣はしける
我が袖は 名に立つ末の 松山か 空より浪の 越えぬ日は無し
土佐
0684 「月を憐と言ふは忌む也。」と云ふ人有ければ
獨寐の 侘しき儘に 起居つつ 月を憐と 忌みぞ兼ねつる
佚名
0685 男許に遣はしける
唐錦 惜しき我が名は 立果てて 如何に為よとか 今は強面き
佚名
0686 始めて人に遣はしける
人傳に 云ふ言葉の 中よりぞ 思ひ筑波の 山は見えける
佚名
0687 僅かに人を見て遣はしける 【○古今集0480。】
便にも 有らぬ思の 怪しきは 心を人に 就くる也けり
此思非已告 亦未遣書送君許 然事誠珍奇 吾心已達君身畔 依偎不離在君許
紀貫之
0688 人家より物見に出る車を見て、心付きに覺侍ければ、「誰ぞ?」と尋問ひければ、出ける家主と聞きて遣はしける
人妻に 心文無く 掛橋の 危道は 戀にぞ有ける
佚名
0689 人を思掛けて心地も非ずや有けむ、物も言はずして、日暮るれば、起きも上がらずと聞きて、此思掛けたる女許より、「何ど如是好き好きしくは?」と言ひて侍ければ
言はで思ふ 心荒磯の 濱風に 立つ白浪の 寄るぞ侘しき
佚名
0690 心掛けて侍けれど、言攫む方も無く、由緣無態に見えければ、遣はしける
獨のみ 戀ふれば苦し 呼子鳥 聲に鳴出て 君に聞かせむ
佚名
0691 男の、女に文遣はしけるを、返事もせで絶えにければ、又遣はしける
節無くて 君が絕えにし 白絲は 縒繼難き 物にぞ有ける
佚名
0692 男の旅より迄來て、「今なむ迄來つきたる。」と言ひて侍ける返事に
草枕 此旅經つる 年月の 憂きは歸りて 嬉しからなむ
佚名
0693 男の、程久しう有りて迄來て、「御心の甚辛さに十二年の山籠りしてなむ、久しう聞えざりつる。」と言入れたりければ、呼入れて物等言ひて、返遣はしけるが、又音も為ざりければ
出しより 見えずなりにし 月影は 又山端に 入やしにけむ
佚名
0694 返し
足引の 山に生ふ云ふ 諸蔓 諸共にこそ 入ら真欲けれ
佚名
0695 人を思掛けて遣はしける
濱千鳥 賴むを知れと 踏始むる 跡打消つ莫 我を越す浪
平定文
0696 返し
行水の 瀨每に踏まむ 跡故に 賴む徵を 孰れとか見む
大船 在原棟樑女
0697 人許に始めて文遣はしたりけるに、返事は無くて、唯紙を引結びて返したりければ
端に生ふる 言無草を 見るからに 賴む心ぞ 數增りける
源庶明朝臣
0698 如是て遣せて侍けれど、宮使へする人なりければ、暇無くて、又朝に常夏花に付けて遣せて侍ける
置露の 掛る物とは 思へども 枯れせぬ物は 撫子花
源庶明朝臣
0699 返し
枯れずとも 如何賴まむ 撫子の 花は常磐の 色にし非ねば
源庶明朝臣