後撰和歌集 卷第三 春歌下
0081 贈太政大臣相別れて後、或所にて其聲を聞きて遣はしける
鶯の 鳴くなる聲は 昔にて 我が身一つの 非ずも有哉
藤原顯忠朝臣母
0082 櫻花の瓶に插せりけるが散りけるを見て、中務に遣はしける 【○拾遺集1054。】
久しかれ 徒に散る勿と 櫻花 瓶に插せれど 移ひにけり
紀貫之
0083 返し
千代經べき 瓶に插せれど 櫻花 留らむ事は 常にやは有らぬ
中務
0084 題知らず
散りぬべき 花限は 押並べて 何れとも無く 惜しき春哉
佚名
0085 朝忠朝臣隣に侍けるに、櫻の甚散りければ、云遣はしける
垣越に 散來花を 見るよりは 根込めに風の 吹きも越さなむ
伊勢
0086 女に遣はしける
春日の 長思ひは 忘れじを 人心に 秋や立つらむ
佚名
0087 題知らず
餘所にても 花見る每に 音をぞ泣く 我身に疎き 春の辛さに
佚名
0088 題知らず
風をだに 待ちてぞ花の 散りなまし 心づからに 移ふが憂さ
紀貫之
0089 荒れたる所に住侍ける女、徒然に思え侍ければ、庭に在る菫花を摘みて言遣はしける
我が宿に 菫花の 多かれば 來宿る人や 有ると待哉
佚名
0090 題知らず
山高み 霞を別けて 散る花を 雪とや餘所の 人は見るらむ
佚名
0091 題知らず
吹風の 誘物とは 知乍ら 散りぬる花の 強て戀しき
佚名
0092 題知らず
打延へて 春は然許 長閑きを 花心や 何急ぐらむ
清原深養父
0093 常に消息遣はしける女友達許より櫻花の甚面白かりける枝を折りて、「茲、其處の花に見較べよ。」とありければ
我が宿の 歎きは春も 知ら無くに 何にか花を 比べても見む
父親王の心ざせる樣にもあらで、常に物思ける人にてなむありける。
小若君
0094 春の池畔にて
春日の 影添ふ池の 鏡には 柳の眉ぞ 先づは見えける
佚名
0095 春暮に彼此花惜みける所にて
如是ながら 散らで世をやは 盡してぬ 花常磐も 有と見るべく
佚名
0096 延喜御時殿上の殿上人の中に召上られて各髻首し插しける序に
釵為ども 老も隱れぬ 此春ぞ 花面は 伏せつべらなる
凡河內躬恒
0097 題知らず
一年に 重なる春の 有らばこそ 二度花を 見むと賴まめ
佚名
0098 花下にて彼此程も無く散る事等申しける序でに
春來れば 咲く云事を 濡衣に 著する許の 花にぞ有ける
紀貫之
0099 春、花見に出たりけるを見つけて、文を遣はしたりける、其返事も無かりければ、翌朝、昨日の返事と乞ひに詣來りければ、言遣はしたりける
春霞 立ちながら見し 花故に 踏止めてける 跡悔やしさ
佚名
0100 男許より賴起せて侍ければ
春日射す 藤裏葉の 衷解けて 君し思はば 我も賴まむ
佚名
0101 題知らず
鶯に 身を相換ば 散迄も 我が物にして 花は見てまし
伊勢
0102 元良親王、兼茂朝臣女に住侍けるを、法皇の召して、彼院に侍ひければ、得逢事も侍らざりければ、翌年春櫻枝に插して、彼曹司に插置かせける
花色は 昔ながらに 見し人の 心のみこそ 移ひにけれ
元良親王
0103 月の面白かりける夜、花を見て
可惜夜の 月と花とを 同じくは 憐知れらむ 人に見せばや
源信明
0104 縣の井戶と云ふ家より、藤原治方に遣はしける
都人 來ても折らなむ 蛙鳴く 縣井戶の 山吹花
橘公平女
0105 助信母身罷りて後、彼家に敦忠朝臣の罷通ひけるに、櫻花散りける折に罷りて、木下に侍ければ、家人の言出しける
今よりは 風に任せむ 櫻花 散る木本に 君留りけり
佚名
0106 返し
風にしも 何か任せむ 櫻花 匂ひ飽かぬに 散るは憂かりき
藤原敦忠朝臣
0107 櫻川と云ふ所有と聞きて
常よりも 春邊に成れば 櫻川 花浪こそ 間無く寄すらめ
紀貫之
0108 前栽に山吹有る所にて
我が著たる 一重衣は 山吹の 八重色にも 劣らざりけり
藤原兼輔朝臣
0109 題知らず
一年に 二度咲かぬ 花是れば 宜散る事を 人は云ひけり
在原元方
0110 寬平御時、櫻花宴有けるに、雨降侍ければ
春雨の 花枝より 流來ば 猶こそ濡れめ 香もや移ると
藤原敏行朝臣
0111 和泉國に罷りけるに、海面にて
春深き 色にも有哉 住江の 底も綠に 見ゆる濱松
佚名
0112 女共、花見むとて、野邊に出て
春來れば 花見むと思ふ 心こそ 野邊霞と 共に立ちけれ
典侍藤原因香朝臣
0113 相知れりける人の久しう訪ざりければ、花盛に遣はしける
我をこそ 訪ふに憂からめ 春霞 花に付けても 立寄らぬ哉
佚名
0114 返し
立寄らぬ 春霞を 賴まれよ 花邊と 見ればなるらむ
源清蔭朝臣
0115 山櫻を折りて贈侍るとて
君見よと 尋ねて折れる 山櫻 古りにし色と 思はざらなむ
伊勢
0116 宮仕しける女の石上と云ふ所に住みて、京の友達許に遣はしける
神古て 古りにし里に 住む人は 都に匂ふ 花をだに見ず
佚名
0117 法師にならむの心有ける人、大和に罷りて程久しく侍て後、相知りて侍ける人許より、「月頃は如何にぞ、花は咲きたりや。」と云ひて侍ければ
御吉野の 吉野山の 櫻花 白雲とのみ 見え紛ひつつ
佚名
0118 亭子院歌合歌
山櫻 咲きぬる時は 常よりも 峯白雲 立增りけり
佚名
0119 山櫻を見て
白雲と 見えつる物を 櫻花 今日は散るとや 色異になる
紀貫之
0120 題知らず
我が宿の 影とも賴む 藤花 立寄來とも 浪に折らる莫
佚名
0121 題知らず
花盛り 未だも過ぎぬに 吉野川 影に映ろふ 岸山吹
佚名
0122 人心恃難く成りければ、山吹散然したるを、「茲見よ。」とて遣はしける
忍兼ね 鳴きて蛙の 惜むをも 知らず移ふ 山吹花
佚名
0123 彌生許の花盛に道を罷りけるに
折つれば 髻に污る 立てながら 三世佛に 花奉る
僧正遍昭
0124 題知らず
水底の 色さへ深き 松が枝に 千年を豫て 咲ける藤浪
佚名
0125 彌生下十日許に三條右大臣、兼輔朝臣家に罷渡りて侍けるに、藤花咲ける遣水畔にて、彼此大御酒食べける序でに
限無き 名に負ふ藤の 花為れば 底も知らぬ 色深さか
三條右大臣 藤原定方
0126 【○承前。藤花咲水畔,大御酒食。其二。】
色深く 匂ひし事は 藤浪の 立ちも歸らで 君泊れとか
藤原兼輔朝臣
0127 【○承前。藤花咲水畔,大御酒食。其三。】
棹差せど 深さも知らぬ 藤是れば 色をも人も 知らじとぞ思ふ
紀貫之
0128 琴笛等して遊び、物語等し侍ける程に、夜更けにければ、罷泊りて又朝に
昨日見し 花顏とて 今朝見れば 寢てこそ更に 色增りけれ
三條右大臣 藤原定方
0129 【○承前。遊興夜深,宿泊翌朝。其二。】
一夜のみ 寢てし歸らば 藤花 心解けたる 色見せむやは
藤原兼輔朝臣
0130 【○承前。遊興夜深,宿泊翌朝。其三。】
朝朗け 行水水は 淺けれど 深くぞ花の 色は見えける
紀貫之
0131 題知らず
鶯の 絲に撚る云ふ 玉柳 吹莫亂りそ 春山風
佚名
0132 櫻花散るを見て
何時間に 散果ぬらむ 櫻花 面影にのみ 色を見せつつ
凡河內躬恒
0133 敦實親王の花見侍ける所にて
散事の 憂きも忘れて 哀云ふ 事を櫻に 宿しつる哉
源仲宣朝臣
0134 櫻花散るを見て
櫻色に 著たる衣の 深ければ 過ぐる春日も 惜しけくも無し
佚名
0135 彌生に閏月有る年、司召しの頃、申文に添へて左大臣家に遣はしける
餘りさへ 有て行くべき 年だにも 春に必 逢由欲得
紀貫之
0136 返し
常よりも 長閑かるべき 春為れば 光に人の 遇はざらめやは
左大臣藤原實賴
0137 常に詣來通ける所に、障事侍て久しく迄來遇はずして年返りにけり。翌春、彌生晦に遣はしける
君來ずて 年は暮にき 立返り 春さへ今日に 成りにける哉
藤原雅正
0138 【○承前。久別逾年,翌春彌生晦日所贈。】
共にこそ 花をも見めと 待人の 來ぬ物故に 惜しき春哉
藤原雅正
0139 返し
君にだに 訪はれて經れば 藤花 黃昏時も 知らずぞ有ける
紀貫之
0140 【○承前。返歌。】
八重葎 心內に 深ければ 花見に行かむ 出立ちも為ず
紀貫之
0141 題知らず
惜めども 春限の 今日又 夕暮にさへ 成りにける哉
佚名
0142 【○承前。無題。】
行先を 惜みし春の 明日よりは 來にし方にも 成ぬべき哉
凡河內躬恒
0143 彌生晦
行先に 成もやすると 賴みしを 春限は 今日にぞ有ける
紀貫之
0144 【○承前。彌生晦。】
花し有らば 何かは春の 惜からむ 暮るとも今日は 歎かざらまし
佚名
0145 【○承前。彌生晦。】
暮て又 明日とだに無き 春日を 花蔭にて 今日は暮さむ
凡河內躬恒
0146 彌生晦日、久しう詣來ぬ由言ひて侍文の奧に書付侍ける
又も來む 時ぞと思へど 賴まれぬ 我身にし有れば 惜き春哉
貫之、如是て同年になむ身罷りにける。
紀貫之