田 村 草 子
《
田村草子上卷
》
《
田村草子下卷
》
田村草子 上
日本我朝始まりて、天神七代、地神五代は扨をきぬ、人皇の御代と成て、度度の將軍家を繼がせ給ふ中にも、俊重將軍の御子に、
俊祐
(
としすけ
)
と申奉るは、春は花の元にて日を暮らし、秋は月の前にて夜を明かし。しいかくはんけんに心をかけ、色を好み、
酒宴
(
しゆゑん
)
らつぶを
志
(
むね
)
として
負
(
お
)
はしける。され共、御心に叶ふみたい所ましまさすして、十六の御年より、五十に及はせ給ふ迄、四百六十四人そをくり給ふ、されは御子一人もましまさず、俊祐思召けるは、五十にかたふき、
假令
(
たとひ
)
七十代の
齡
(
よはひ
)
をたもつ共、今二十餘年の春秋
幾
(
いく
)
程かあらん、過にし方を思へは、唯夢の如し、我一人の子亡くして、如何にも成なん後、跡に留まり、一度の香花をも供へて、俊祐か
菩提
(
ぼだひ
)
を誰か吊ひ申べき、かかる田舍の住まゐなれはこそ、心に叶ふふさいもなけれ、都じぇ上り尋ばやと思召、急ぎ上洛し給ひて、五條あたりに住ませ給ふ、御門此よしゑいぶん、あしあして、都をしゆごせんための上洛そやと
御
(
ぎよ
)
かんななめならす。
かくて秋も暮れ行くに、
嵯峨野
(
さがの
)
の方へ御遊覽に出給へば、野山の色もまさり、草の蔭も、侘しき蟲の
聲
(
こゑ
)
、折知り顏ぞ哀れなる、掛かりける所に、いつくより來るとも知らず、
愛
(
いと
)
美しき女の、
十六
(
いさよふ
)
月(望月の翌日。)に打むかひ、詠む言の葉そ哀れなる。
《草叢に、鳴く蟲の音を、聞くからに、愛ど思ひの、まさりこそすれ。》
と連ねて、うちしほれたる有樣、絵に描くとも筆も及び難く、柳の糸の春風に靡き、芙蓉の
紅
(
くれなゐ
)
の雨を帶びたるも、
輝夜
(
かくや
)
と思ひけるに、付從ふ人も無く、唯一人惚れ惚れと立給ふ、こは如何に、天魔鬼神の我をたばからんとはからふらんと、心強く立さるへくとは思へ共、色に光るる心なれば、行くべき方を白雲の、立ち迷ひ給ひけるか、よし如何なるまゑの變化にても、かたらひゆかばやと
大
(
おほ
)
しめし、斯く読み給ふ。
《哀れ也、我も人待つ、蟲の聲、同じ思ひか、いさ較べなん。》
と打なかめつつ、
袂
(
たもと
)
に
縋
(
すが
)
り給へは、岩木ならぬ
樣
(
さま
)
てに、おなしくるまにて歸り給ひ、ひよくの契りをなし給ふに、程無くくはいにんし給ふ、俊祐大きに悅び給ひて、我既に五十になるまて、子と言ふ物無かりつるに、懸かる事こそう嬉しけれとて、いよいよかしつき給ふ、斯くて月日重なるままに、御さんの用意有けれは、女房仰られけるは、今た十つきにてはあるべからす、三年といはん正月に、嘆じ樣なるべし、產屋の高さは三十六丈、百八十本の柱を立て、百八十人のばんじやうをもつて、二年か內に作り出すべしとの給ひけれは、仰の如く、三十六丈の樓門をそくみかげける、さる程に、產屋に入給ふ時、殿に向かひ、われ產屋に入て七日より內に、人か呼ぶべからす、八日にならは、必ず參るべしとて、樓門の內へ入給ふ、將軍今一日またん事、千年をふる心地しけれは、待ちかねて、七日目に立ち覗き給へは、內には、大木の松三本、榊七本おひ出たり、光明かくやくとして、日月の如し。如何なる事やらんと、恠しく思ひて見給ふに、百尋余の大じやなるが、二つの角の間に、三歲計なる、美しき子を乘せて、紅の舌を出して、ねふりあひしてこそ遊びけれ、日月と見えつるはまなこなり、俊祐
思召
(
おほしめ
)
しけるは、懸かる恐ろしき事こそおほえね、如何樣天魔の入かりたるらん、其儀なら早きうちにさんなと思召わ辛ひ給ふに、八日と申に、ありし姿にて、
稜
(
いつ
)
奇しき若君をいたき參らせて、樓門より降り給ひて仰けるは、七日をすぐして御覽さふらはは、日本のあるしとなし奉るへしと思ひつれ共、我ほんたいを御覽したる間叶はす、され共天下の大將軍となし奉り候へし、此若君をは、
日龍丸
(
にちりうまる
)
と申へし。若君三歲の年、俊祐しし給ふへし。七歲の年、御門より大事の宣旨をかうふるへし、我は益田ヶ池の大蛇也、諸天せんしの仰にしたかひ、假に
夫婦
(
いもせ
)
(妹背)のかたらひをなしつる也。いとま申てさらばとて、かきけす樣にせにけり。
斯樣に恐ろしき大蛇と走り給へとも、三年か間なれし名殘のおしき事、喩へん方もなくて、唯涙に咽び立給ふ、余の懷かしさに、生まれ給ふ若君に、汝が母は、いつくへ行ぬるぞとの給へば、天に向ふて、あれあれとばかりそ言ひける。斯くて年月を過行程に、日龍殿三歲と申せし時、俊祐はかなくならせ給ひけり、元よりごしたる事なれ共、差当りたる別れの悲しさ申計なし、日龍殿も嘆きながら、日數を送りける程に、七歲と申に宣旨
下
(
くだ
)
り、近江國
見馴
(
みなれ
)
川と言ふ所に、
倉光
(
くらみつ
)
・
喰介
(
くらへのすけ
)
とて、二つの大蛇有り。昔より、西へ通る者を取り喰らふ間、人跡絶えて、通ひ路なし、急ぎ彼を滅ぼして參らせよとの宣旨也。日龍涙を流しの給ひけるは、うらめしかりける浮き世哉、生れて十日に経ちて母に別れ、三歲と申に父にをくれ、又七歲にて、かやうの戰士を蒙事よそ仰られけれは、御目のと申けるは、君の御父は、五歲にて越前國
惠
(
けい
)
津にて、長さ六丈のしやをいたかせ給ひぬ、されは万民下をふりけるとこそ承はれ、君は既に七歲になり給へば、何の仔細の候へき、是は先祖の御体とて、
角突
(
つののつき
)
弓に、しんづうの鏑矢とりそへて奉る。日龍殿、弓をしはり引給ふに、少もさはるかたなし、五百よきの軍兵を揃へて、見馴川へぞくだられける、斯の所へつき給ひて、淵の当たりを御覽sければ、れうちきんしう類ひ、多くなけれリ、日龍仰けるは、是見給へ人人、われをたは絡むため、斯樣の謀り事也。構へて皆皆に目をかくべからすとて、淵の畑へ立より、大音揚げて、如何に此所の大蛇、確かに聞け、我は御裳川の流れ、天津彦根の御末、十全の君の仰にしたかひ、日龍是まてむかふたり、いそき出てたいめん仕へしとの給へは、川浪高く立上り、風凄まじく吹けれは、五百善きの軍兵、水の泡の消ゆる如くに、一度にはらりと死したりけり、目に見えぬ敵なれば、如何にして滅ぼさん共わきまへすして、日龍一人、川の水際を驅巡りて年月を送りける程に、七歲より十三の年迄心を尽くしけるが、余の事に佛神に祈りけるは、日本の主、十全の君の宣旨にて候、願はくは、此の川の水上を止め水を干し、大蛇の形を見せ給へと、感嘆を砕きて念じけれは、誠に佛神の惠みを垂れ給ふにや、水上より横切りて、三里か間白乾らと成りて、百尋ばかりなる大蛇二つ現れて、日龍に申けるは、汝知らずや、我は汝
片目
(
かため
)
には叔父也。汝が母益田ヶ池の大蛇は、我ためには妹也。我この川に棲む事二千五百年、汝僅か十三にて、我に敵を成さん事及び難し、いでいで微塵に成さんとて、口より火ゑんを噴出しけれは、山も川も、一度にねつてつの海とぞなりける。され共日龍少も騒がず、
角突
(
つののつき
)
弓、神通の鏑矢にて、さんさんに射給へは、忽ち大蛇お滅びけり、やがて首を貫ぎ、雲に乘りて都へ上り給ふ、御門ゑいらんましまして、將軍の宣旨を受け、
俊仁
(
としひと
)
將軍とぞ申ける。斯くて俊仁十七の御時、或る夕暮れのつれつれに、霞の內に、狩の一つら行くを見給ひて思召けるは、空を翔ける翼まて、夫婦の
語
(
かた
)
らひ(男女の契り。)を成す、我 十七まで妻と言ふ者の無きこそか無しけれ、良し有人もがな、言ひよりて体ふべしと思召けるに、其比天下に時めき給ふ、堀河の中納言
高遠
(
たかとを
)
の姫君、照日御前と申て、天下一の美人なるを、風の便りに聞きそめ給ひて、沸くる片泣き御物思ひの朝からざりしを、めのと
左近助
(
さこんのすけ
)
、諌め參らせけれは、愛恥かしき事ながら、斯くて思ひ鎮まんも、罪深くこそとて、有のままに語り給へは、左近助よりかけ(人名か?)承、其れかし、堀河殿に言ひよるべきつてこそ
侍
(
はんへ
)
れ、先御文を遣はして御覽さふらへと申けれは
《傳へ聞く、風の便りの、忘すられて、思ひ消えなん、殊そ哀しき。》
と遊ばして、遣わされければ、少將の
局
(
つぼね
)
とて、姫君の
乳母
(
めのと
)
有けるに言ひより、將軍の御文參されければ、
稚
(
いはけな
)
き御心にて、手にも取給はで、顏打赤めて
負
(
お
)
わしけるに、少將の局御
硯
(
すすり
)
もて參り、天下の大將軍の御文なるに、兎も角も一筆の御返事無くては、適ふまじとて、せめ奉れ共、引がつき御
應
(
いら
)
へも無し、乳母心憂く思ひ、、母上に此よし、云云申ければ、誠に
幼
(
おさあ
)
ひ心こそ怨めしければ、余所に聞く事ならば、
如何
(
いか
)
はかり羨むべき事そや、急急ご返事と責め、給へば、力無く、
起直
(
おきなを
)
り給ひて、
傍
(
かたわ
)
らに打む書ひて、紅葉重ねの
薄樣
(
うすやう
)
に。
《如何にして、人の言葉を、頼むべき、逢ひ見て後は、變わる並ひに。》
と書きて、引き結びをき給ふ、少將とりて、左近助が元へ遣はしければ、よりかげ(人名か?)悅び、やがて將軍へ、御返事とて參らせければ、俊仁、嬉しくも恋ひの闇路の、し
案內
(
るべ
)
せし物かなとて、左近の用言にそなされける、さて此後度度御文重なり、忍び偲びの御契り淺からざりしに、御門此よしきこしめ御歌合に言寄せて召上げられ、其れより返し給はずして、俊仁をは伊豆の國へ流させ給ふ、俊仁口惜しく思ひながら、力無く、
遠流
(
をんる
)
の道におき向き給ふ、心の程こそ哀れなる、去る程に、近江の國瀨田の橋を渡るとて、
橋桁
(
はしげた
)
粗
(
あら
)
く
踏鳴
(
ふみな
)
らし、俊仁こそ只今流人と成りて、東國へ降るなれば、見馴川にて殺せし大蛇共の
困惑
(
こんわく
)
あらば、都に上り心のままにせよと言ひ捨てて下り給ふ、去る程に其比、都の当たりにて、人多く
失
(
う
)
せて、行かたしらす成にけり、日のくるれは門戸を閉ぢて、聲を立る事も無し、晝は行かふ道堪えて
淺茅河原
(
あさぢかはら
)
とそ成にける、
天文博士
(
てんもんはかせ
)
に仰て、考へ給ふに、俊仁將軍を召し返し給はすは、しつまるましきよし、
相聞
(
そうもん
)
申ければ、やがて
赦免
(
しやめん
)
の
綸旨
(
りんし
)
下り、二度上洛し給ひて、又瀨田の橋を通るとて、俊仁こそ、赦免の綸旨を給はりて、只今上るなれ、大蛇共都当たりに敵ふましとて、其日都も著き給ふ、洛中静かに成り、萬民悅びの色を成す、御門御
勘
(
かん
)
ましまして、やがて照日の前を下されて、比翼の契りを成し給ひ。姫君二人
意的
(
いてき
)
給ひて、
斎傅
(
いつきかしづ
)
き給ふに、或る時、俊仁、參內おはしけるに、折ふし內裏には、
管弦
(
くはんげん
)
の御
宥
(
ゆふ
)
有けるを、
聴聞
(
ちやうもん
)
して
坐
(
おは
)
しける間に、
辻
(
つぢ
)
風荒く吹落ちて、照日の前を天に吹き上げたり、此由將軍へ申上ければ、急ぎ我家に歸り、こは如何なる事やらんと、嘆き給へとも甲斐もなし、余の悲しさに、せめては夢になりとも今一度、見參らせばやとて、少し
微睡
(
まどろみ
)
給へば、年の程十二三ばかりなる
童
(
はらは
)
三人、連れて行けるか、先なる童の言ひけるは、其れ日本は
粟散邊地
(
そくさんへんち
)
の小國也と言へ共、神國たる
故
(
ゆへ
)
に、人の心
素直
(
すなを
)
にして長久也。然共萬人の心有れば、
天魔
(
てんま
)
の業はひありと言ひ傳へけるこそ、誠に不思議なれ、俊仁將軍は、弓矢の譽れ世に優れ、鬼神も
恐
(
をそ
)
れしたがふ程の人なるに、此程
寵愛
(
てうあひ
)
の妻を辻風に取られて、嘆き悲しむと也。あれ程の武將として、
生
(
い
)
ひ甲斐無き事よと笑ひければ、中なる
童
(
わらは
)
も、誠に海山を探しても取り返さずしては、生ける甲斐無き事よと言へば、跡なる物の云、其れは去事なれ共行衛を知らすは如何せん。去りながら俊仁程の者が、天狗共を捕らへてとふならば、恐れて有所云べき物をとて笑ひける。
其の聲に夢醒めて、當たりを見れば人もなし、扨は佛神の御告げそと
有難
(
ありがた
)
く思ひ、八
幡
(
まん
)
大
菩薩
(
ぼさつ
)
つにきせひ申、先愛宕山に登り、
恐惶坊
(
きやうくはうはう
)
は內に
御座
(
おは
)
しますか、天下の大將軍俊仁是まで參りたりと仰ければ、剎那か間に、
宮殿
(
くうでん
)
、
樓閣
(
ろうかく
)
、玉の
臺
(
うてな
)
に
至
(
いた
)
り、ややありて、八十余りなる老僧、
弟子
(
でし
)
共に手を引かれて、
蹣跚
(
よろぼ
)
ひ出て、何の御用にて御出候とて、膝の上まで懸かりたる
瞼
(
まぶた
)
を、弟子に引あけさせけるを、俊仁是まで參る事、世の儀に非ず、
某
(
それかし
)
女にて候ものを、此程失ひて候、定てしろしめさるべし、御弟子の中にも候ならば返し度候へ、何樣行く末を御存候べし、教へて給はれと仰ければ、恐惶坊聞きて、是は思ひも寄らぬ事を承候、弟子共の中にも候はず、東山の三郎坊か方にも候はず、但是より御歸返ずる道に、伏木の有べし、是そ教へ申べし、詳しく御尋あれと言ひ捨てて、掻き消す樣に
失
(
う
)
せければ、急ぎ歸り見給ふに、申つることく谷川に打渡して、大なる伏木の橋在り、立より、
荒
(
あら
)
けなく踏鳴らし、如何に汝に物とはんと仰ければ、暫くあつて、此木動くかと見えて頭いでき、首を三間はかり持ち上げて、人にものとふとて去事やある、教へしと思へとも、汝が母は我為には妹なれは
教
(
をし
)
ゆるそ、わ
殿
(
との
)
は女を失ひて尋るよな、其れは此邊には有べからず、
陸奧
(
むつ
)
國高山の
惡路王
(
あくるわう
)
と言ふ鬼か取たるなり、
凡夫
(
ぼんぶ
)
の身にては敵ひ難し、
鞍馬
(
くらま
)
の大
毗沙門天
(
ひたもんでん
)
の、御力を頼み奉りて、斯の
鬼神
(
きじん
)
を從へ、しよ人の
憂
(
うれ
)
へを、御身か母、益田ヶ池の主也しが、假に人界に生まれる
縁
(
えん
)
に引かれて成佛せり、我は今だ
強引
(
ごういん
)
深くして、
邪神
(
じゃしん
)
の思ひ付きせず、我為に善根を無し、
邪道
(
じゃだう
)
の苦しひを助け給へと、言ふ言葉は殘り、形は消えて失せたりけえい。俊仁哀れに思召、一萬部の法華經を讀み、千石千貫を千人の僧に引給へば、其
功力
(
くりき
)
にて、やかて成佛して、不思議の事共大かりけり、斯くて、俊仁は鞍馬へ參り、三七日篭り給ひて、
慢
(
まん
)
ずるとらの一天に、
甲冑
(
かつちう
)
を對して、
几帳
(
きちやう
)
を打上げ、汝如何に遅きそと諌め給ふに、打驚きて見れば、枕に劍を立て有けり、さてはしよくはん
成就
(
じゃうじゆ
)
、有難く思ひて、急き陸奧國へ
足
(
ぞく
)
たり給ふ、其の比妻子を失ふ人數を知らず、中にも二條大將殿御姫君、三條中納言北の御方、美濃の
泉司
(
せんじ
)
、河內判官、斯くの如くの人人は、
假令
(
たとひ
)
千尋の底までなりとも、有かと
谷
(
だに
)
もきかば尋んと、
思召
(
おほしめ
)
す折伏なれば、或るひは
浦堂
(
うらどう
)
を
下
(
くだ
)
し、又は自ら下る人も有り、思ひ思ひの出立
華
(
はな
)
やかにこそ見えたりけれ、去程に日
課
(
か
)
すつもりて、陸奧國初瀨の郡田村の郷に著き給ふ、頃は七月
下旬
(
じゆん
)
の事なるに、
賤女
(
しつのめ
)
の
業
(
わさ
)
田にかくるなるこなは、惹かるる心浅からて、一夜の情けを掛け給ひて、もし忘れ形見も有ならば、是を
徴
(
しるし
)
に尋ね来よとて、上
差
(
さ
)
しの鏑矢一給はりて立給ふ。去程に、斯の惡路王かじあうくはく近付きければ、
駒掛
(
こまかけ
)
寄せ見給へば、
赤金
(
あかかね
)
の
築地
(
つゐぢ
)
を著き回し、
鉄
(
くろがね
)
の門を四方に立て、
番
(
ばん
)
を嚴しく固めたり、東
表
(
おもて
)
の門前に、忍ひよりて見れば、年の程十五六ばかりなる女童の、打
絞
(
しほ
)
れて涙に
咽
(
むせ
)
び、門外に
佇
(
たたず
)
みたるを、己は何者ぞ問ひ給へば、是は美濃の泉司が娘にて
候
(
さふらふ
)
か、十三にて此所に囚はれ、 三年が間、門守りの女と定められて候とて、さめざめとなく、俊仁聞き給ひて、泉司も來りたるぞ、都へ
具
(
ぐ
)
して行くべしとて、先みだい所の御事を問ひ給ふに、暫しく走り
候
(
さふら
)
はず、但し二三日以前までは、御聲の聞こへたると申、俊仁心元無く思召、鬼は內に有りかと問ひ給ふ、此比越前の方へ參りたると申、扨此の門の內へは何として入と仰せければ、あれに
龍駒
(
りうのこま
)
乘りて內へ入、門を開きて、
眷族
(
けんぞく
)
共を場
入
(
ばい
)
れ候と申ければ。
斯の
龍
(
りう
)
に乘りらむとし給へとも、門の內じぇ入らずして、北の方へ
行
(
ゆき
)
、俊仁劍を抜き、汝命惜しくは內へ入るべし。さなくは、
忽
(
たちま
)
ち命を
止
(
とど
)
むべしとの給へば、恐れて內へそ入にける、扨斯の門を開かんとすれば、大
磐石
(
ばんじゃく
)
共を重ねたる如くにて、少しも揺るがず、其時鞍馬の方を
伏拝
(
すしおがみ
)
、願はくは御力を添へて度給へと、念じ給へば開きけり、やかて內へ入見給ふに、女の聲
余
(
あま
)
たして鳴きける、立より見給ふに、三條殿の北の方と、俊仁の
御代
(
みだい
)
は
負
(
お
)
わしまさず、如何に成り行き給ふぞと、御
尋
(
たつ
)
ね有ければ、中納言殿北の方、二三日先に鬼の
餌食
(
ゑじき
)
と成給ひぬとて、首ばかり取い出しければ、是は夢かや、三
年
(
とせ
)
の
程
(
ほと
)
さへ
流
(
なか
)
ら
経
(
へ
)
て、
今日
(
けふ
)
此の頃
虛
(
むな
)
しくなり給ふ事の哀しさよとて、
輾轉
(
ふしまろび
)
泣き給ふ、俊仁いよいよ心元泣く
思
(
おぼ
)
し召し、
尋
(
たつ
)
ねられければ、
昨日
(
きのふ
)
まで、是より
御國
(
おくに
)
御
経
(
きやう
)
の聲聞こえつるか、何と
鳴
(
な
)
らせ給ふやらん、知らずと言ふ。覚付かなくて、大くの戸を開け見給へば、微かなる所に
押込
(
をしこ
)
められて、
負
(
お
)
わしけるか、御目を見合て
呆
(
あき
)
れはて、如何に如何にとばかりなり、やや有て
仰
(
おほせ
)
けるは、何として是までは御入侯そや、先つ今生にて見みえぬる事こそ嬉しけれ、我明日は鬼の餌食と成るべし、
一筋
(
ひとすぢ
)
に後世
菩提
(
ぼたひ
)
を頼み奉るべし、鬼の歸らぬ先に、とくとく御歸りあれとて、涙に
咽
(
むせ
)
ひ給ふ、俊仁、是まで尋ねけるも、同じ道にとこそ重ひつるに、如何で歸り候べき、扨鬼共歸る時に、
徴
(
しるし
)
は如何と問ひ給へば、隈無き空も掻き曇り、
震動雷電
(
しんどうらいでん
)
怯
(
お
)
び
多多
(
たた
)
しく、
酒竹
(
しゃちく
)
の雨降りて、里の內より鬼の聲聞え候とその給ひける、さて何時に歸り候判ずる、明日の
午
(
むま
)
の
刻
(
こく
)
に歸らんと申つると仰られければ、其間に鬼共の
住家
(
すみか
)
見んとて、殘りの人人語らひ、此処
良
(
かしこ
)
御覽すれば、大なる
桶
(
おけ
)
共多く並べをきたり、見れば数多の人を取て、
鮨
(
すし
)
にして
置
(
を
)
きける、又傍らを見れば、十四五の
行童喝食
(
ちごかつしき
)
にしてあり、又
尼法師
(
あまほうし
)
の首を二三百数珠の如くに繋ぎ、軒の下に掛け並べたり、斯れを見、此れを見るに、恐ろしとも中中申は
愚
(
をろ
)
かなリ、斯くて時刻も
移
(
つ
)
れば、
俄
(
には
)
かに空
掻
(
か
)
き曇り、雷震動して、光もの
飛違
(
とびちが
)
ひ、鬼の聲山を崩す如し、殘の人人は唯息たる
心地
(
こころち
)
無し、俊仁は鬼の歸るを待給ふ、惡路王我宿近くなれば、門守りの女は無きか、我留守に何者なれば來るぞ、
叩
(
たた
)
手
鳴
(
な
)
掛
(
か
)
けそ、睨み殺せとて、千八百の
眼
(
まなこ
)
の光、
火焔
(
くわゑん
)
の飛ぶ如く也、去れ共俊仁の
頭
(
かうべ
)
の上には、日月天降り給ひて、俊仁の眼となりて、睨み給へば、鬼共睨み負けて、血の涙を流しける、その時たもんでんより給はりたる劍を
投
(
な
)
げ給へば、鬼の首皆
悉
(
ことごと
)
く落ちたりけり、この時人人力付、俊仁を伏拝給ふ、扨捕られらたる男女、思い思いの古里へ送り返されける。萬民の喜ぶ事限りなし、中にも三條中納言殿御嘆き、思ひやられて哀れなり、斯くて將軍は、思ひの侭に鬼神を從へ給ひて、都に上り、年月を送り給ふ程に。
陸奧
(
むつ
)
の國にで、一夜の情けを掛け給ふ、
賤女
(
しづのめ
)
の
腹
(
はら
)
に、男子一人出来けり、名を
臥殿
(
ふせりどの
)
と申、此子九歲の年より、邊りの山寺にで学問せさせけるに、一を十とさとりけるか、十歲の年つくつくと案じけるは、人間のみならず
鳥類
(
てうるい
)
、
畜類
(
ちくるい
)
までも父母有り、我が父は
恩
(
いつく
)
に有そ母にとひければ、母涙を流し、汝が父こそは、當國の鬼神を從へ給ひつる俊仁將軍なれと、有りのまま語り、
件
(
くだん
)
の鏑矢取り出し見せければ、其儀ならば都に上り、父に對面せんとて、廿日余りの道なれとも、夜を日に次ぎ、三日に都に著き、將軍の御門の前に
休
(
やす
)
らう、折伏俊仁鞠を遊ばしけるか、篝の外へ著れけるを、伏殿さらりと流し、想ひのまま蹴廻りて、元の如くけこまれたり、俊仁御覽じて、何者外問ひ給へとも答へず、如何樣鞠は優れたりと思召、如何なる者やと仰けれ共、返事にも及ばず、腰よりも鏑矢を抜き出し、將軍の御前に置かれたり、俊仁是を御覽じて、さては我子也と嬉しく思召、樣樣の御
持成
(
もてな
)
しにて、先御名を改めて田村丸とぞ申ける、斬り樣事がら人に優れ、御力は如何程有るとも限りなし、やがて御
元服
(
げんぶく
)
ありて、
稲瀨
(
いなせ
)
の五郎坂上俊宗と申ける。去程に俊仁五十五の御時、つくつく
思召
(
おほしめ
)
しけるは、其れ日本僅かの國也、
唐土
(
たうど
)
に渡りてきり從へ、末代まで名を殘さばやと思ひ、時の關白
光隆
(
みつたか
)
してそうもん申さければ、真に思ひ立ちたる事、止むるに及ばずと仰出されける、俊仁悅び、三千艘の舟に五十萬騎打乘、神通の物の具對して二月の末に打立給ふが、それかし程の物か渡らんに、徴なくては叶うまじとて、神通の鏑矢一つ射給へば、其の矢明洲の津に止まり、七日七夜響き
亙
(
わた
)
れば、人皆驚きさはぎ、
禮門
(
れいもん
)
を引かせらるるに、
吐
(
は
)
かせ考へて曰く、日本の將軍此の國を從へんとて來るなり、日本はそくさんの小國なれども、人の
智惠
(
ちゑ
)
ふかふして、心が唸り、其上神國として、弓矢の謀り事を得たり、
如何
(
いか
)
てか
凡夫
(
ぼんぶ
)
の力にて伏せくべし、佛力ならて頼み方無し、
惠果
(
けいくわ
)
和尚、千百萬の不動明王、
矜迦羅
(
こんがら
)
、
制吒迦
(
せいたか
)
引きぐして、明州の津にて防ぎ給ふ、俊仁御覽じて、如何にや汝何者ぞ、我矢先には取ても敵うまじ、速やかに引き退くべしと仰ける、
不動
(
ふどう
)
の給うやう、汝小國の臣として大國を從へん事思ひも寄らず、急ぎ本朝に歸るべしとて、
降魔利劍
(
ごうまのりけん
)
の光を放つて振り給ふ俊仁も神通の劍を抜き、戰ひ給ふが、不動の利劍戰敗けて、次第次第に退きけり、不動敵はじと思ひ、
金剛童子
(
こんがうとうじ
)
を日本へ遣はして、鞍馬の
毘沙門
(
びしやもん
)
へ申さけるは、俊仁、唐土を從へんとてよせ候、大方は防ぎ候へとも、敵ひ難く候、願はくは、この度の
合戰
(
かつせん
)
に、俊仁
入來
(
いりき
)
を落とし、我に力を添へて度給へば、たもん仰らけるは、如何でか日本の大將に不覚を計かせ候べき、とくとく歸り給へと仰せければ、俊仁御力はいよいよ勝り、劍の光輝きけり、不動敵はじとで、剎那か間に、又自ら鞍馬へ御輿成て仰せけるは全く此國を堅きと思ふには非ず、此度俊仁に負けぬものならば、佛力廢りて、信ずる者薄くなり、いよいよ
邪道鬼神
(
じゃたうきんち
)
力を得て、眾生三途に歸らん事
疑
(
うたか
)
ひ有べからず、願はくは俊仁がいりきを、落として度給へと仰ければ、たもんでんの御返事に、此國は佛法盛んして、佛神力を添へ給ふ、然るを日本の賢臣で
祝
(
いわう
)
の
真堀
(
まほり
)
をば、如何でかうしなひ候べきやと仰せければ、不動
重
(
かさ
)
ねてのたまわく、假令俊仁が如く王法をも守り、佛法
繁盛
(
はんじゃう
)
の國と成すばしとの給ひければ、其時毘沙門、俊仁と
拘
(
かか
)
わりに、日本の
守護
(
しゅご
)
して、眾生を助け給はんとの仰せこそ嬉しけれ、其儀ならば急ぎ御歸ありて、俊仁打給ふべしと有しかば、不動大に悅び、歸り給ひて、又戰ひ給ふ程に、俊仁の劍の光劣り、不動の利劍に戰ひ負けて、三つに折れて、
靈山
(
りゃうぜん
)
へこそ、
參上
(
まひあが
)
りけれ、其時俊仁、無念に思ひ、不動の舟に乘り移り、
引組
(
ひつくん
)
で、上を下い返し給ふ程に、利劍落ち掛かり、俊仁の首を打落とせば、不動首を取て、矜迦羅、制吒迦も打
徒然
(
つれつれ
)
、唐土へ歸り給ふ、三千艘の舟共は、浪に揺られ、風に放されれ、
慈
(
いつく
)
ともなく、揺られて行こそ哀しけれ。
其中に將軍の屍骸の有る舟は、人に知らせん為にや、八重の
潮道
(
しほぢ
)
を分けて、博多の家に著きける。俊宗は、此
由
(
よし
)
聞
(
きこ
)
し
召
(
め
)
し、急ぎ降り給ひて、斯の御屍骸を取收め、樣樣の
御訪
(
おんとふらひ
)
ありて、なくなく都へ上がり給ひて、年月を送り給ふに、大和國奈良坂山にかなつぶをうつ、靈山といふ
沙門
(
しやうのもの
)
出きて、都へ參る見付き物を、道にで奪ひ取、多くの人の命を絶つ事天下の嘆きならずや、急ぎ年胸に向ふて、從へよとの宣旨下りければ、俊宗承はり、五百よきの軍兵を
引具
(
ひきぐ
)
して、奈良坂山へ向はれけるか、謀り事に色よき小袖余た、
古津
(
こつ
)
川にで濡らしたる躰にして、木木の枝に掛け並べて置き、靈山を今や今やと待ち給ふ。暫くありて、丈二丈余りの法師の、
眶
(
まかぶら
)
高く、
髖
(
ほうぼね
)
怒り、真に恐ろしき有樣にて、高き所に駈け上がりて、
荒布
(
あらめ
)
辛しや、此山を通るとて、かやうなる物を
飾
(
かさ
)
りて見せたるは、此の奉仕を
束
(
たば
)
からんためか、よしよし其儀ならば、手並みの程を見すべし、
尚
(
なを
)
も良き物の有らば、殘さず致すべしとて、躍り上がり笑ひける。俊宗駒掛け寄せての給ふやう、是は御門へ參る御物也、我命の有らん限りは、取らるる事有ましそと仰せられければ。
義強
(
ぎこは
)
なるくはじやめかな、悉しくは思へとも、余りくはじやめが言葉のにくければ、かなつぶてを持つて、唯一つの
菖蒲
(
しやうぶ
)
にせん、三郎
潰
(
つぶ
)
ててとなづけて、金目は三百兩、角の數は百八十三、受けて見よと言ふままに、
肱
(
ひぢ
)
を開け、一振り振つて打ければ、天地響きなる神の如し、去れ共俊宗騒がすして、
扇
(
あふき
)
にて打落とし給へば、又次郎潰て取出し打ちけるをも、同じ勝手に打落とし給へば、靈山
興覚顏
(
けうさめがほ
)
にて立けるが、さりとも太郎潰てに置きて、山を楯につく共、微塵になさん物をとて、金は六百兩、角は數を知らず、
唐
(
もろこし
)
に五百年、かうらい
高麗
(
かうらい
)
國に五百年、日本の地に棲む事八十年、此山に只三歲也、萬の寶を取事も、皆此潰ての
惜
(
いと
)
くなり。あたら
小賢
(
こざか
)
童
(
わらは
)
を殺さんも
無惨
(
むさん
)
なれ共、口のさがなき故に、只今
暇
(
いとま
)
取
(
と
)
らするぞ、念佛申せと言ふままに、
目
(
め
)
ての足を強く踏み、ゑいやと打ければ、百千の
雷
(
いかつち
)
の一度に
落
(
お
)
つるかと覚えて、著も
魂
(
たましゐ
)
も身に
添
(
そ
)
はず、五百よきの
兵
(
つはもの
)
は、皆
平伏
(
ひれふ
)
して、
驚
(
をと
)
もせず、唯暗闇にこそなりたりけれ、去れ共俊宗少も騒がず、馬立直し、一違ひ違ふて、響き渡るかな
潰
(
つぶ
)
ては、三つながら內落とされ、今は力を失ひ、言い少したる口を抱へて、元の山に立しの
番
(
ばん
)
と、足速に歩みける、俊宗駒駈け寄せ、如何に御坊の潰て程こそ無く共、三代相傳して持たる鏑矢一筋、
減算
(
げんざん
)
に入れば有るべきとて、神通の鏑にて
射給
(
いたま
)
ふに、靈山坊が耳の
根
(
ね
)
、三寸のきてなり渡り、元より
飛行自在
(
ひぎやうじざい
)
の物なれば、七日七夜海山駈けて逃げけれ共、更に離るる事無し、俊宗は春日山に
(
ぢん
)
陣
(
)
を取り、靈山坊を待ち給ふ。七日目に盼り、俊宗の御前に參り、手を合申けるは、如何なる
精兵
(
せいびゃう
)
と申とも、五町十地樣に、
巖石
(
がんぜき
)
までつへ
際
(
きは
)
とを
砂
(
すな
)
と承て候へ、今日まで七日ヶ間、海に入はう海に入り、山に登れば山に登り、耳の根には慣れす候、如何なる御弓ぞや、今日よりして惡路を總べからず、命を助け候はは、御
郎等
(
らうどう
)
と成申さんと、なくなく申ければ、俊宗聞し召し、
繪入
(
ゑい
)
りよはかりがたし、
先戒
(
いまし
)
めて參るべしとて、鐵の
鎖繩
(
くさりなは
)
にて
括
(
くく
)
り、五百よきか中に取り込め、都に歸り給へば、御門ゑいらんましまして御
勘
(
かん
)
は申計りなし、靈山は、
船岡
(
ふなをか
)
山にてきり、首を八十人して
掻
(
か
)
き、獄門の前に掛けて、行き来の者に見せ給ふ、やがて俊宗は、十七にで將軍司を給り、陸奧の國
初瀨
(
はつせ
)
の
郡
(
こほり
)
に、
越前
(
ゑちぜん
)
を添へて下され、
栄花
(
ゑいぐわ
)
に郡給ひけり。
『田村草子』上卷、迄
↑
頁首
田村草子 下
係りける所に、年二年ありて、伊勢の國鈴鹿山に、大嶽丸とて鬼神出き、行き交ふ人を悩まし、見付き物も絶え絶えなり。御門此れよし聞し召し、俊宗に仰付、急ぎ滅ぼすべしとの宣旨也。將軍
恐
(
かしこ
)
まって、宣旨承り、軍兵を召し寄せ、三萬餘きにて討つたら、鈴鹿山へ
押寄
(
をしよ
)
する。大嶽丸は飛行自在の者なれば、此よしを聞て、峰の黒雲に立ち紛れ、火の雨を降らせ、雷電暇も無く、風凄まじく吹て、責よるべ樣も無くして、年月を送り給ふ。又、此山蔭に天女天降りで坐します、名をば鈴鹿御前と申ける。大嶽丸、鈴鹿御前に心を悩まし、有時は美しき童子と為り、又有時は公卿
殿上人
(
てんじゃうひと
)
に返事で樣樣の謀り事を巡らし、一夜の契りをこめばやと、心を砕き空く枯れけれども、鈴鹿
通力
(
つうりき
)
にてしり給ふ故、更に
靡
(
なび
)
き給はず、斯くて俊宗は如何にもして、
敵
(
かたき
)
の有所を慥に知て責入、勝負を著けせばやと思ひ、諸天に祈りを掛け給へば。
有夜の曉、夢ともなく、現共なく、老人來り給ひて、此山の鬼を從へんと思はば、此邊に鈴鹿御前とて、天女の
御座
(
おわ
)
しますを頼むべし、此の謀り事ならでは、大嶽丸を討つ事成難し教へて、立さり給ふと御覽じて、夢は醒めたりけり、俊宗有難く思し召し、先三萬よきの
兵
(
つはもの
)
をは、都へ返し給ひて、唯一人鈴鹿山に立し伸ばせ給ふか、夕暮れの月末明に注し
映
(
うつ
)
り、
草葉
(
くさば
)
の
(
)
露もをき
惑
(
まど
)
ひ、蟲の聲聲哀れを
添
(
そ
)
へ、
古
(
づる
)
の秋を思ひ出し、草の枕に打
形吹
(
かたふき
)
給ふに、年の程二八ばかりなる女、玉の簪に金銀の
瓔珞
(
やうらく
)
掛け、
唐錦
(
からにしき
)
の水干に、
紅
(
くれなゐ
)
の袴ふみしたきて、
忽然
(
こつぜん
)
と
來
(
き
)
たり給ふ、俊宗是は斯の鬼の謀りて我心を引き見るにこそと思ひ、劍を膝の下に隱し、
然
(
さ
)
らぬ躰にて見給へば、
《目に見えぬ、鬼の棲家を、知るべしは、若ある方に、暫し止まれ。》
と打ながめて、掻き消す如く失せにけり、俊宗こは有難き御告げぞと思ひ、太神宮を始め奉り、神神を伏拝給ふ、去れ共其の行方を知らず、されは尋ぬべき方もなくて、唯茫然として、大嶽丸が事は打忘れ、現に見えつる人の面影身に添ひて、時の間も忘られて、戀路の闇に迷ひ給ふが、せめて
端端
(
はしはし
)
、夢の頼りもかなと
睡
(
まとろみ
)
、
浮
(
うは
)
の空なる物思ひに、
沈
(
しづ
)
みはて何事も、唯是鬼の謀らふらんに、思ひ切らんと、又神神を伏拝、願はくは此
惡念
(
あくねん
)
を忘れて、鬼神を從へさせ度給へ、諸天諸佛の中にも大じ大ひの御近ひこそ有難けれど、
感嘆
(
かんたん
)
を砕き祈りて、露の命も、頼み少なき有樣にて、斯く口
荒
(
ずさ
)
み給ふ。
《垣間見し、面影こそは、忘られね、目に見ぬ鬼は、さも荒は荒れ。》
と打
眺
(
なが
)
めて、唯茫然として居給ふに、有し人の來り、とくとく我
方
(
かた
)
へ御入候べしと、語らひ行て、比翼の契り淺からず、來たるともなく月日を送りけるが、或る夜の睦言に、吾は此山に假に來りて三歲也。御身此山の鬼神を從へ給はむとて、來り給ふとも敵ひ難し、我力を添へ奉らむ為に、假に此界に降る也。斯の大嶽丸、我に契りを込めんとて、樣樣言ひ寄る也。我謀り事にて、容易く討たせ申べし、御心易く思ひ、
一向
(
ひたすら
)
に頼み給へ、更は我後をしたひ給へと有しかば。
山山峰峰を辿り越えて見給へば、大き成岩穴在り、見給へば、漫漫たる
霞
(
かすみ
)
の內に、
黃金
(
こがね
)
の
甍
(
いらか
)
有、
水鶏
(
こんごんるり
)
の砂をしき、鐵の門を過ぎ行けば、白金の門在り、尚し過行けば、金銀の
反橋
(
そりはし
)
を掛けたり、誠に
極樂世界
(
ごくらくせかい
)
と言ふ共、是には如何でまさるべき、庭に四基の躰を
現
(
あらは
)
し、先ひんがしは春の景色にて、出る日蔭物どかなり、谷の戸明くる
鶯
(
うぐひす
)
の、聲も高嶺の雪溶けて、垣根の
梅
(
むめ
)
のかつ散れば、櫻は遅しと咲き續く、岸の山吹色深く、藤波寄よする松枝の、碧の空に立續き、
南面
(
みなみおもて
)
は夏の夜の、明方近き
杜鵑
(
ほとどぎす
)
、鳴き行く山走しげり逢ひ、岩が
解
(
ど
)
けつる
瀧
(
たき
)
津瀨に、浪も涼しき夕暮れに、飛び交ふ螢微かにて、天の戸叩く
金銀瑠璃
(
くゐなとり
)
も、
曙
(
あけぼの
)
柳
(
やな
)
を
押
(
お
)
しむらむ、扨又にしは、秋風の、末葉の露の散る影に、所所の簇紅葉の色、野邊の蟲の
聲
(
をゑ
)
しらるる、
蓬生
(
よもぎふ
)
の露にみだるる
糸萩
(
いとはぎ
)
の、花紫の藤袴、
桔梗
(
ききやう
)
、
苅萱
(
かるかや
)
、
女郎花
(
をみなへし
)
、今を盛りと見えたりけり、北は冬の景色にて、
尾上
(
をのへ
)
の松の梢までも、降りうづみたる雪の日に、隅やくけ降り
末明
(
ほのか
)
にて、池の郡の僻に、番はぬをしの立ちさはく、羽風も寒き
曉
(
あかつき
)
は、一人寢る身樣かるらん、又
巽方
(
たつみのかた
)
を見れば、色色の鳥の羽にて、吹き分けたるやかた、百ばかり並びたり、其の內を見れば、玉の床に、錦の褥を敷き、室方の格子の內には、玉の
簪
(
かんざし
)
掛けたる女、余たなみゐて、琵琶言調べ、或ひは、ごすご六に心を寄せたるもあり、其れより奧を見るに、大嶽丸か住ける所と思しくて、黄金の扉に、白金の柱にて、一段高く作り、
郡
(
こほり
)
の如く
劔戟
(
けんほこ
)
をば、隙間も無く立並べ、鐵の弓矢なくゐは數を知らず、俊宗思召けるは、只今よき折伏し也、鏑矢一つ射ばやと思召けるが、先鈴鹿御前に問ひ給へば、暫く待給ふべし、只今事のいで來るならば、
検束
(
けんそく
)
共に取込められ、御命有まし、其れを如何にと申に、此鬼は、
大通連
(
だいとうれん
)
、
小通連
(
しょうとうれん
)
、
釼明連
(
けみゃうれん
)
とて、三つの劍有、此劍共をたいする內には、日本か寄てせむる共、討たるる事が有まし、さあらばしやうじいれ、
睦
(
むつ
)
ましけにも手無し、三つの劍を預かりて取るべし、其後來らん時、易々と討ち給へ、先只今は歸り給べしとて、打つれ
斷
(
だ
)
ちて歸り給ふ。案の如く、日暮れければ、大嶽丸、美しき童子と成り、鈴鹿御前の御枕に立寄りて。
《岩ならず、枕成りとも、口やせん、夜夜の涙の、露の積もれは。》
と詠み、
袂
(
たもと
)
を
顏
(
かほ
)
にをし当てて泣きける、鈴鹿御前は、兼ねて巧みし事なれば、返し。
《口はてん、枕は垂れに、おとらめや、人こそしらね、堪えぬ涙を。》
と詠み給へば、大嶽丸是を聞き、怖いかに、ちつかに文の重なるまで、一度の御返事たに無かりつるに、只今の人の言葉の嬉しさよ。誠なるかな、目に見えぬ鬼神をも憐れと思はせ、男女の中をも和らげ、彪武士の、心を慰むは歌也。我歌の道を知らずしては、如何で此君と契りなん、
天晴
(
あつはれ
)
歌詠みかなと、漫ろに我身を譽たりける。
さて、鈴鹿の側近く寄り伏し、此れ程盡くせし心の程を、哀れみ給ふにや、只今の言の葉こそ有難けれと、涙を流しければ、鈴鹿御前、我も岩木ならねば、如何ばかり思ひつるそや、構へて見捨て給ふべからすと、
打解顏
(
うちとけがほ
)
に仰ければ、大嶽丸も何か心を殘すべき、越し方行く末の事共
言
(
い
)
ひ
語
(
かた
)
らひけるか、明ぼの
告
(
つぐる
)
鳥の聲、おき別れ行きぬきぬの、袖を控えながら、此程俊宗とやらん言ふ者、我に文を通はしけれども手に
悖
(
もと
)
らず、御身にかく
慣
(
なれぬ
)
ると聞くならば、如何なる憂き目にも哀すべき、心細く思ふ成り、御身の劍を我に預け給へかしと仰ければ、誠に去事有、其俊宗と言ふこくはじやめば、由有る
曲者
(
くせもの
)
にて、我等をも狙ふと聞え候、去りながら此劍共の有らむ程は、御心安く
思召
(
おほしめし
)
て、御枕に立て給へとて、大通連・小通連、二つの劍を抜き出して、そもそも此劍と申は、
天竺
(
てんぢく
)
真方
(
まかた
)
國にて、
阿修羅王
(
あしゆらわう
)
、日本の佛法盛ん也、急ぎまだうに引入よとの御使ひに、
某眷族共
(
それがしけんぞくども
)
をくして參る時、此三つの劍を給はる事、後代までの
面目
(
めんぼく
)
られは身を放す事無し、然るを一夜の情けにほだされて、鈴鹿御前に參らせて、御枕が身に立て給へとて、未だ夜を篭めて、立迷ふ黒雲に打乘りて、鬼の住かに歸りける。斯くて俊宗は、此由を聞し召し、たた是佛神の御計らひ也とて、いよいよくはんねんし給ふ、斯くて夜も明ければ、急ぎ御用意有るべしとて、先二つの劍を參らする、一つの釼明連と言ふ劍は大嶽丸が叔父に
三面鬼
(
さんめんき
)
と申鬼が預かりしか、此程天竺へ參り候そや、又今夜は鬼共に酒を進めて飲ませよ、
兵事
(
へいじ
)
を送りて侯間、皆眷族共はゑい伏し侯べし、御心安く思し召して討ち給へとて、鈴鹿は雲乘りて立隱れ給ふ、去程に大嶽丸、此をば夢にも知らずとて、連中差して入ければ、俊宗立向かひて、鈴鹿御前と申は何者ぞ、定めて大嶽丸と言ふ曲者か、汝知らずや、我は是、日本の御門に遣へ奉る、田村大將軍俊宗とは我事也。十七にて大和の國奈良坂山に、かなつぶての靈山と言ふ
化生
(
けしやう
)
の者を從へ、大將軍の司を給はり、御門を
守護
(
しゆこ
)
し申事、異國までも其の隱れ無し、それになんそ、まの前にて大惡を成す事、たがゆるしけるそとの給へは、大嶽丸は、今まで美しき童子成りしが、見る見る丈十丈ばかりなる鬼神と成、日月の如くなる眼を見出し、俊宗を睨みけるが、天地を響かし大をん舉げて、汝は
扶桑
(
そくさん
)
國の御門の臣下として何程の事有べきぞ、手並みの程を見せんとて、冰の如くなる
劍鉾
(
けんほこ
)
を、三百ばかり投げか来る、去れ共俊宗の味方には
千手觀音
(
せんじゅくはんをん
)
と、鞍馬の大
毗沙門天
(
ひたもんでん
)
、兩脇に立給ひて、將軍の上に落ち懸る鉾を払ひ給ふ、鬼神は怒りをなし、數千ぎに身を返じ、大山の動く如し、去れ共田村騒ぎ給はず、神通の鏑矢射給へば、或るひは撃たれ、射た手をひ、四方へちりちりになりにけり、去れ共大嶽丸は
微塵
(
みぢん
)
と成り、磐石と變化、暫く撃たれされば、俊宗劍を投げ給へば、首は忽ち打落とされ、雲霞の如く見えたる眷族も、皆消え消えと成りけり、其後鬼の首共を、ざう車に積み、都に上せ給ふ、御門
衛
(
ゑ
)
いらんましまして、伊賀の國を給はり、いよいよさかへ給ふ、去れ共俊宗は、鈴鹿御前情け深く坐しければ、やかて御下り有て、明しくらし給ふ程に、姫君一人出き給ひて、御名をは
聖林
(
しやうりん
)
女と申て、何時聞かしつき給ふ、去れ共都遠き所なれば、折伏しは都の事思し召し出して、何時まで掛かる雛の住まひならん、偲ひ都に上らばやと思し召しければ、鈴鹿御前是を
打見
(
うちみ
)
給ひて、元より我は下界の人間に非ず、何事も御心に思ひ給ふ事を我知らぬ事無し、さしも二世とこそ契りつるに、早くも變はりたる御心かなと、涙に咽び給へば、田村聞し召し、いさとよ心の變はる事はさふらはず、去れ共此の所に斯くてながらへ候へは、君の御惠みも薄く成り、又は郎等共の思はん程も謀り難し、同じく都へ御供申て、住まばやとこそ思ひさふらへと仰られければ、其の御言葉もことはりなれ共、去りながら我は此の山の
守護神
(
しゅごじん
)
と成り、都を守り申べし、急ぎ御上り候へ、御心こそ謀りたり共、我は
聖林
(
しやうりん
)
と申姫が候上は、弓矢の守り神となるべし、さあらは此くれには、
淡海
(
あふみ
)
の國に、
惡事
(
あくし
)
の高丸出て、世の
妨
(
さまた
)
げを成すべし、さあらは田村に、又從へよとの宣旨降るべし、內內御心に掛け、御用意有れと仰ければ、田村聞し召し、こは恨めしき御事かな、もし諸共に上り、都の住まゐもかなとこそ思ひつるに、如何で見捨て參らすべきと仰ける、鈴鹿御前聞し召し、先先此度は我に任せて、御昇り候て、やがて又降り給へとありしかば、力無く、俊宗上らく有て、先參內されければ。
御門衛いかん有て、
管弦亂舞
(
くはげんらんぶ
)
御歌合樣樣の御
持成
(
もてな
)
しなり、上くぎやう天上人、とりとりの御慰めに、さらによるひるかけて御暇も無し、斯くて
彌生
(
やよひ
)
の末より、神無月の始め頃まで、御
遊覽
(
ゆふらん
)
有ける所に、鈴鹿仰せし如く、淡海の國に、高丸と言ふ鬼居できて、往來の者を喪ふ事數を知らず、急ぎ討つて下さるべしとて、在所在所より申來る、此由相聞申ければ、たまたま將軍の在京也、此年月の辛苦をも慰めんと思ひつるに、程も無くて、掛かる事こそらめしけれ、去りながら誰に仰せ付けられん物無しと仰ければ、俊宗は時の
面目
(
めんぼく
)
是にすきしと、悅び御受けを申、
罷
(
まか
)
り立て、鈴鹿へ此由申さはやと思し召しけるか、いやいやつうりきにて、とくしり給ふべき物を、時移りては
足柄
(
あしかり
)
なんと思し召し、十六萬きの兵を引ぐして、高丸かぢゃうへをしよせ、內の有樣見給ふに、石の
築地
(
つゐぢ
)
を高くつき回し、鐵の門さをさし固めて、せめ入べき樣も無し、俊宗門前に駒掛け寄せ、如何に鬼共確かに聞け、只今汝か討つてに向ふたる者を、如何なる者とか思ふらん、一刻までも隱れ無き、藤原の俊仁の
嫡子
(
ちやくし
)
に、田村將軍藤原俊宗也。手並みの程は定めてきき及び給ふらんに、何とて
罷
(
ま
)
り出てか
胡散
(
うさん
)
して、命を繼ぎ、己が本國へ歸らぬぞとの給へは、じゃうにはなりを鎮めて、音もせず、俊宗
笑
(
はら
)
を立て、鈴鹿御前の傳へ給ふ
和諧印
(
くわかひのいん
)
を結びて、じゃうの內へなげ給げば、
花苑
(
くわゑん
)
と成てやけ上がる。高丸は雲に乘りて、
信濃
(
しなの
)
國
布施屋
(
ふせや
)
ヶ
嶽
(
だけ
)
へ落ち行きける、田村續ひて責められければ、
駿河
(
するか
)
國富士嶽へ落ち行きける、是をやがて攻め落とされ、外の濱に落ち行けるか、是を責め付けられて、たうと日本の境に、岩を刳り貫き、じゃうとして、引篭もりければ、ろく地に續く程は責めけるが、海上の事なれば、如何せん、先引取り兵船を
整
(
ととの
)
へてよせんとて、引き給ふが、十六萬期の
兵
(
つはもの
)
、此処かしこにて討たれ、やうやう二萬旗ばかりになり、都へ上り給ふとて、鈴鹿の坂の下、罷りのしゆくにつき給ふそと仰ける、俊宗聞し召し、その御事にて候、罷り向ふ時も、御いとまこいに參らばやと存知候へども、時刻移りなんと思ひ、罷り通り候也、高丸をは随分責め候へとも、今は海中に岩を刳り貫きて、引篭もり候あひだ舟を整へん為に、先都へ上り候、其上人余た討たれ候、此由申上、やがて又打寄せ候べしと仰ければ、鈴鹿聞し召し、舟も兵も、如何程集め給ふ共ぼんぶの身に叶ふべからず、兵共をば、急ぎ都へ
上
(
のぼ
)
せ申さんとて、
神通
(
じんつう
)
の車乘り、只二人剎那が間に、外の濱に著き給ふ、高丸は折伏し、昼寝して居たりつるが、かつは
遠
(
とほ
)
き、例の田村か又來るぞ、用心せよと言ふままに、岩戸を立てて引篭もる、其の時鈴鹿は左の手を差し上、天を
招
(
まね
)
き給へば、十二の星、二十五の菩薩、天降り給ひて、
見目
(
みめ
)
うの音楽を揃へ、斯の岩屋の上にて、舞ひ遊び給へば、高丸勝て合ひの娘是を聞、あら面白の音楽や、天竺に在りし時、度度聞けれ共、斯程の楽は今だ聞かず、哀れ見ばやとこそ天へけれ、高丸申やう、誠の楽と思ふべからず、田村と鈴鹿、我を謀り出さんとてする事ぞかし、構へて見る事むやくなりと言へば、娘重ねて申やう、
露
(
あらは
)
にも出て見ばこそあしからめ、戸を細目に開けて見候に、何の子細の有べきと言ひければ、力無く岩屋の戸を三寸斗開けて覗きければ、廿五の菩薩天童子集まりて、殊に
妙
(
たえ
)
なる音楽を揃へ舞給へば、余りの面白さに明くるとは思はね共、廣廣と開きければ、鈴鹿田村に、あれ遊ばせとの給ふ、俊宗鐵の弓に、神通の鏑矢撃つがひ、暫し固めてはなち給ふ、
雷
(
いかづち
)
の如くに成り渡り、高丸か
眉間
(
みけん
)
を
砕
(
いくだ
)
き、
腰骨
(
こしぼね
)
掛けて、後なる石につなぬかれける。其の時劍を投げ給へば、高丸親子七人が首を打落とし、八人のつつの
忍足
(
にんそく
)
にもたせて、都へ上り給ひければ、くんか受けじゃう、思ひのままに
頂戴
(
ちやうだい
)
して、又鈴鹿へ下り給ふ、御前は悅びの
神酒
(
みき
)
を
勸
(
すす
)
め、夜もすがらく半減して、
明石
(
あかし
)
蔵させ給ふ。
有時鈴鹿仰けるは、一年大嶽丸が、
釼明連
(
けみゃうれん
)
の劍を取殘せしし故に、
魂魄
(
こんはく
)
殘て天竺へ歸り、又日本へ渡り、陸奧の國に、
霧
(
きり
)
山ヶ嶽に立て篭りて、世の妨げを成すべきとの
瑞相
(
ずいさう
)
有、急ぎ都に上り、良き馬を求め給へと仰ければ、やがて
上洛
(
しやうらく
)
して馬を尋ね給ふ所に、五條の傍らに、すみあらしたる
館
(
やかた
)
に立寄り見れば、二百さいにも及びたる大きな、馬屋の前にねふり居たり、又世の常の馬五つばかり一つにしたる程の馬を、
金鎖
(
かなくさり
)
にて、八方へ繋ぎたるが、百日にも巻くさくれたり共見えす、引き立つる共一足も行くべきとも見えず、俊宗此馬売るべきかと仰ければ、大きな嘲笑ひ何の用に此馬買ひ給ふべき、欲しくは値はいるべからず、引かせ給へと言ふ、俊宗嬉しく思し召し、明日引かせ申さんとて、歸り給ひて、斯の大き何百石百貫に色好き小袖を添へて
下
(
くだ
)
したぶ、大きな大きに悅びけるなり。さて其馬を買ひ給ふに、世中に並び無き名馬にて、俊宗乘り給へば、山を駈けり海を渡るも、同じ平地の如し、不思議に思し召し、鈴鹿へ
行
(
ゆ
)
かんと思ひ乘り出し給へば、剎那か間に著き給ふ。鈴鹿御前は御覽じて、
天晴
(
あつはれ
)
御
馬
(
むま
)
候、これに召されて、陸奧の國霧山ヶ嶽を御覽しをかれ候へ、大嶽丸が來り候共、駒の足立を知らせ給はば、唯一かせんのしやうぶそと仰られければ、やがて此駒に打乘りて、東を指して打ち給ふに、反しの間に、霧山當たりを驅け回り、元の所に歸り給ふ、斯くて月日をすぐし給へば、案の如く、大嶽丸かしんはく、元の如くに成て、霧山ヶ峰に居て、人を捕る事限りなし、此由相聞申ければ、二十萬
騎
(
ぎ
)
の
軍兵
(
ぐんびやう
)
を田村將軍に付け給ひて、急ぎ討つ立つべしとの宣旨なり。俊宗畏まつて受け給り、此由鈴鹿に語り給へば、人數はさやうに入べからす、唯御
手勢
(
てぜい
)
謀り連れ給ふべしとて、皆人人をは返し給ひて、五百よきの手せい謀り召し連れ給ふ、都より霧山までは三十五日の道なるを、軍兵共をばさきに立て、俊宗は鈴鹿御前と
酒宴管絃
(
しゆゑんくはんげん
)
、樣樣の御遊びにて、七日の末より八月半ばまで、夜と共の御
遊
(
ゆ
)
ふ樣樣なりしか、都を出て三十四日と申に鈴鹿を出る、御前は
飛行
(
ひぎやう
)
の車に召す、俊宗は斯の駒に打乘り、へんしの間に、霧山の麓に著き給ふに、軍兵共は今た二時ばかり後に著きける、去程に鬼神は山を掘り抜き、口には大
磐石
(
ばんしゃく
)
を戸枚として、せめ入べきやう話、去れ共田村は、兼ねて
案內
(
あんない
)
走るなり、絡め手に廻り、せめ入て見給へば、大嶽丸は無かりけり、門守りの鬼一人出、何者なれは、我に案內も岩で通るらん、物見せんとて、鐵のばうにて討たんととすれば、俊宗
扇
(
あふぎ
)
にて打下し、
憎
(
にく
)
き者の振る舞ひかなとて、 先
戒
(
いまし
)
めて引出す、扨大
嶽
(
たけ
)
は幾つに有そと問ひ給へば、八大
王
(
わう
)
と申は我らかしうの主也、
蝦夷ヶ嶋
(
ゑそがしま
)
に坐します、御見舞ひの為に、昨日御
輿
(
こし
)
候程に、やがて歸り給はんと申せば、俄かに空曇り、
雷
(
かみなり
)
して、黒雲一叢の中より、鬼の聲凄まじくして、あら珍しいや田村殿、久敷き程の
減算
(
げんさん
)
也、一年伊勢の鈴鹿山にて、御身は某を打ち止めたりと思ふらん、我は其の頃天竺に用有て、玉しゐ一つの輿をきて歸る也、其れを我本體を思ふらん、人間の
智慧
(
ちゑ
)
の浅ましさよと、笑ひければ、田村聞給ひて、其れは去事も有べし、汝か劍は如何にと仰ければ、是こそ
釼明連
(
けみゃうれん
)
よそて差し上る、俊宗御覽じて嬉しし嬉しし、二つの劍は給りて、日本の寶となし、今一つの劍を取り殘し、心に掛かり思ひしに、此までの持參何より満足也との給へば、大嶽丸腹を立て、何のわつはに物無いはせそ、三面鬼は無きかと言へば、面の三つ有る赤き鬼、躍り出て、大石を雨の降る程打けれ共、一つも当たらず。其時俊宗、例の大弓に鏑矢つがひ、暫し固めて放ち給へば、三面鬼かまつかうい砕かれ、朝の霧と消えにけり、大嶽腹を据へかね、手取にせんと、半町ばかり一飛に飛んで懸るを、飛ちかえて切給へば、首は前に落ちけるか、其のまま天へ舞上がる、鈴鹿御前は御覽じて、此首只今落ちかかるべし、用心あれとて、鎧甲を重てき給ふに、二時計有て鳴渡り、田村の甲の
手偏
(
てへん
)
に
位
(
くらひ
)
付、俊宗甲を脱ぎ御覽するに、其まま首は死にける。殘の眷族共には繩を掛け、引上り、皆切て
獄門
(
ごくもん
)
に懸られける、又大御丸が首をば、末代の傳へにとて、家の
寶蔵
(
ほうそう
)
に納、千本の大頭と申て、今の世までも、見越し先に渡るは、この大嶽丸が頭也。
去程に將軍の御
幾方
(
いくはう
)
、いよいよ優りける、斯くて俊宗、鈴鹿御前と尚淺からぬ仲と成り給ひけるか、鈴鹿御前、唯風の心地と仰られしが、次第にをもらせ給ふ、俊宗心憂く思し召し、樣樣の御祈りあれば、鈴鹿此由聞し召し、我はかりに此界に生るる也、此世の機縁付きたれば、如何に祈り給ふとも甲斐有まし、遑申て田村殿、
聖林
(
しやうりん
)
を愛をしみ給へと言ひ捨てて、終に虛しく成給ふ、俊宗の御嘆き、中中申はかり無し、余り悲しみ給ひて、一七日
焦
(
こ
)
がれじににしに給ふが、やがて冥土に行き給ひて、
俱生神
(
くしやうじん
)
を呼び、汝は十王の下人か、されは我
娑婆
(
しやば
)
の田村の大將軍俊宗也、汝が主に對面申た
聞由
(
きよし
)
申べしとの給へば、
俱生神
(
くしやうじん
)
大きに怒り、
娑婆
(
しやば
)
にて は何者にてもあれかし、今我等にさやうの事を言はん物、
無間
(
むけん
)
へ落とすべしとて、黒き鬼と赤き鬼か、引き立てんとしけるを、高足だにて、ころころと踏みたをし、我言ふ事を聞くまじきかと仰ければ、俱生神霸氣を消し、唯呆れ果てたるばかり成り、ややありておきあかり、是非の子細も無く十王の前に逃げて行き、此由斯くと申ければ、十王出給ふ、其時俊宗、我妻七日以前に身罷りて候、急ぎ返し給はるべしとの給へは、其れは
定業
(
ぢやうごう
)
限りあれは叶ふまし、汝は
非業
(
ひごう
)
成り、急ぎ返れと仰ければ、
定業
(
ぢやうごう
)
なればこそ返してたべと申候へ、
非業
(
ひごう
)
成れば言い分は無し、返し給はずは、
狼藉
(
らうぜき
)
の有べしとて、
和諧印
(
くわかひのいん
)
を結び
和
(
な
)
げ給へば、大
釈奠
(
しやくでん
)
やけ上がる、その時大
通連
(
とうれん
)
を抜き給ひて、驅け回り給ふ、此大通連は、文珠の
化身
(
けしん
)
なれば、十王も俱生神も、如何で容易く思ふべき、
閻魔
(
ゑんま
)
王は
獄卒
(
ごくそつ
)
を召し、斯の者を返せと仰ければ、
獄卒
(
ごくそつ
)
申けるは、
定業
(
ぢやうごう
)
の者也、其上早からだも候はず、如何はせんと申ければ、鈴鹿と同じ時に生まれた女の美濃國
東海
(
とふかい
)
と言ふ所有、彼に取り替へよと仰ければ、獄卒承て、斯のからに取替へて、田村の前に出しけるか、有しより姿も變はり、
容
(
かたち
)
劣りければ、俊宗は腹を立て、元の如くに成して度給へと仰ければ、第三の
冥官
(
みやうくはん
)
を御使ひにて、東方
淨瑠璃
(
じゃうるり
)
世界の
祝寶積
(
いわうほうしやく
)
の薬を進め給へば、尚其の昔より、
慈
(
いつく
)
しくならせ給ひけるとかや、さて
帝釈
(
たいしゃく
)
の給ふは、今より三年の暇を取らする也と其の給ひける、冥土の三年は娑婆の四十五年也、さてこそ田村將軍と鈴鹿御前の御契りは、二世の縁とは申なれ、有難りきためし也。
さても此の大
將軍
(
しやうぐん
)
は、
觀音
(
くはんをん
)
の化身にてましませば、
眾生濟度
(
しゆじやうさいど
)
の
方便
(
はうべん
)
に、假に人間と現れ給ふ、又鈴鹿御前は、
竹生嶋
(
ちくぶしま
)
の
辨財
(
へんざい
)
天女なるか、
篤
(
あつ
)
き邪神を助け、
佛道
(
ぶつだう
)
に入給ふべきとて、樣樣に
變化
(
へんげ
)
給ふも、御
慈悲深
(
じひふか
)
き事也。させ末代の
試
(
ためし
)
には、清水寺の御
建立
(
こんりう
)
、大同二年に
聖眾
(
しやうじゆ
)
して、大同寺と申せしか、水の
御中身
(
みなかみ
)
清くして、、流れの末も久方の、空も
和
(
どか
)
に巡る日の、掛け清水寺とし改めて、尚此寺の坂の上なる、田村だうの軒ばの松の深碧、千代萬代の蔭染めて、
貴賤
(
きせん
)
訓示
(
くんじ
)
揺
(
ゆ
)
する事、佛法
繁昌
(
はんじやう
)
の故也。此草子見給はん人人は、いよいよ
觀音
(
くはんをん
)
を信じ給ふべし。
『田村草子』下卷、迄
↑
頁首
被稱作『田村草子』之御伽草子,是為橫越藤原俊祐、俊仁(日龍丸)、俊宗(田村丸)三代之怪物退治譚。﹝或作坂上俊祐、俊仁、俊宗,乃結合坂上田村麻呂與藤原俊仁所為。﹞『
鈴鹿
(
すずか
)
』一書之名、則來自作中與俊宗相契許,協助其退治大嶽丸、高丸之鈴鹿山天女・鈴鹿御前之名。﹝或本為第六天魔王之女兒。﹞藤原俊重將軍之子俊祐與益田池大蛇所化身之美女相契,而生下日龍丸。日龍丸退治近江國大蛇之後,則改名為俊仁將軍。十七歲時與照日前結婚、生下兩人的女兒。由於照日前為陸奧高山之惡路王所奪、即赴奧州以退治之、更救出照日前。前往奧州途中、與初瀨郡田村賤女﹝或本作惡玉。﹞相契、產下伏殿(ふせり。後稱俊宗。)、長大後父子得以相逢。俊仁則死於遠征唐土之戰、繼承其事業之俊宗,退治了奈良坂山之靈山坊。受宣旨而前往鈴鹿山退治
大嶽丸
、與鈴鹿御前結合而育有一子、其後又再度收到征討近江國惡事高丸之 宣旨而退治之。其後,大嶽丸再度復活,便再踏征途,遂以其首供於平等院寶物殿。退治鈴鹿山鬼神之事,則常見於謠曲『田村』之中。
底本:台灣大學藏古活字版たまらのさうし
[久遠の絆]
[再臨ノ詔]