疑字篇 神字日文傳附錄
平篤胤 輯記
男 鐵胤 同校
敘言
此卷に
集擧
あつめあげ
たるは,
年招
としまね
く左右に
置
お
きて,取つ置つ視てあれど,
余
まろ
が
意
こころ
には,
疑
うたが
はしく
所思
おぼ
ゆる文字ども
也
なり
。
然
さ
れど此等をも,
信物
まことのもの
と
持囃
もちはや
す人の多かるは,
各各所見
おのおのみるところ
あるべきを,
傍
かたへ
より
論
あげつら
はむも
煩
うる
はし。人は
縱然
よしさ
もあらば有れ。吾は其に拘はるべくも
非
あら
ねば,
取總
とりふさ
ねて疑字と
題
しる
しつ。其は己が
意
こころ
に疑ふ文字にこそあれ,
此
これ
を
信用
とりもち
ふる人人の拘るべき事にも非ず。
殊
こと
に
學問之道
まなびのみち
には,
昨日迄
きのふまで
非
あらず
思へる事の,
今日
けふ
は
是
よし
と
思直
おもひなほ
さるる事も
多
おほ
ければ,
予
まろ
が意にも,
信也
まことなり
と思ふべく。
諭
さと
し給はむ人の有らば,
此上
このうへ
の
幸
さち
とや云ふべき。
偖此文字共
さてこのもじども
には,
各各其傳來
おのおのそのつたへき
つる
由緒等
ゆゑよしなど
,
殊
こと
に
嚴重
いかめ
しき
奧書
おくがき
のあるが多かれど,
其
そ
を
悉舉
みなあげ
むは,憚る
事
こと
の
無
な
きにしも
非
あら
ず。卻りて人の怒を起す
端
はし
ともなれば,
大抵
おほかた
は略きて記さず。其は知人の知るべければ
也
なり
。
○日文
右
對馬國
つしまのくに
卜部,阿比留氏之所傳也。
山城國
やましろのくに
相樂郡平尾村人,平政熱傳
寫之
これをうつす
。享保十一年,再傳而摸寫來者也。○一本には,「
高御魂命
たかみむすびのみこと
嫡家,阿比留中務傳。
備前國
びぜんのくに
奈加郡。」とあり。和字考にも此を舉て,
此
こ
は吉田家臣の,故有リて伯州に
徙
うつ
り。
彼國濱
かのくにのはま
のめと云ふ所に住める人より出たる由にて,雲州
嶋根郡
しまねのこほり
なる西尾村の神職吉岡何某と云人の家に
納
をさ
むる所の字
也
なり
と云ひ,讀法を知らざる由にて傍訓
無
な
し。
【或人云く,「按卜食之兆文也,非文字歟。
然
しかれども
古傳不可疑者也。」といへるは,
然
さ
もあるべし。又
按
おも
ふに,凡て文字は,
目標
まじるし
に
用
もち
ふる物なれば,彼家にて,此體の一種をも
定置
さだめお
きて,
內內
うちうち
にて,用ひたりけむも
亦知
またし
るべからず。】
○上宮太子御壓尺銘
右,
大和國
やまとのくに
法隆寺所藏也。本國白川平久道所傳寫也。○
按
おもふ
に,
本國
もとつくに
とは
陸奧國
みちのくに
を云ふか。
此
こ
は彼太子の
自製給
みづからつくりたま
へる象形字にや,
下
した
に
隷
つけ
たる
等
など
は,本書に朱
以
も
て書たれば,
素
もと
よりの物には非ず,
後人
のちのひと
の字原を
著
しる
せる物なるべし。
ト
カ弓ヱ弓タメ
○○○○○○○○
は,
元
もと
より
在
あり
しと見えて,
墨
すみ
にて
記
しる
せり。
【
此
こ
は
太兆卜辭
ふとまにのうらことば
なるを,
何由
なにのゆゑ
にか記しけむ。
詳
さだか
ならず。】
偖
さて
壓尺とは,
所謂文鎮之類也
いはゆるぶむちむのたぐひなり
。
【
漢籍
からぶみ
遵生八牋に,「見倭人鏒金銀壓尺,古所未有。尺狀
如常
つねのごとし
,上以金鏒双桃銀葉為
紐
つまみと
,面以金銀鏒花。皆縧環、細嵌、工緻、勳色,
更
さらに
有一竅透開,內藏抽斗,中有刀錐、𨬖刀、紙銼、刮齒、消息、穵耳、剪子。收則一條掙,開成剪。此製何起?
豈
あに
人心思可到之八面埋伏,
盡
ことごとく
於斗中收藏,非倭其孰能之。余以此式,令潘銅傚造亦妙。潘能得其真傳故耳。論尺無過此者。」と
見
み
ゆ。
上宮太子
じゃうぐうたいし
の壓尺と云へる物も,
斯
か
かる物には
非
あら
ざりしか,今も
法隆寺
ほふりゅうじ
に
存
のこ
りや
無
な
しや。】
○十二支
右,留守氏
祕藏
ひさう
之傳也。
【以上三文は,佐藤信淵が見せたる一卷より
寫出
うつしいで
つ。
偖
さて
此も,
傍
かたへ
に
添
そへ
たる
形
かたち
どもは,
朱
あか
にて書たり。然れば
後人
のちのひと
の
所為
しわさ
なる
事灼
ことしる
し。】
○同十二支
右,山崎垂加翁切紙傳。竝澁川春海,瓊矛拾遺出之,
神代文字
かみよもじ
也。天明癸卯仲冬二十五日,借于平高潔所藏之本寫。
日下部勝
くさかべのまさる
。
【押花。】
○屋代翁云,和字傳來考と云ふ物に,澁川春海翁,神代の文字十二支の名を
書
かき
たるを
求出
もとめいだ
し,垂加翁に見せけるに,
是
これ
神代字に
極
きはま
れりと云はれしとぞ,
是
これ
を予に傳授せられたれば,祕傳として門弟にも傳授する
也
なり
と
有
あ
り。
按
おもふ
に
此
こ
は琉球神道記より
取出
とりいで
けむ。彼書五卷に云く,昔此國に天人下り,文字數百を教へたり。其處は中城の近里
也
なり
。其後天人其文字の
書
かき
を
半裂
なかさ
きて,天に
上
のぼ
る
故
ゆゑ
に,其字
少
すくな
しとて。
キノエキノト〇
、
∴
ヒノエヒノト〇
、
〇
ツチノエツチノト〇
、
て
カノエツカノト〇
、
▽
ミヅノエミヅノト〇
、
✚
子
、
歹
丑
、
寅
、
卯
、
ノ
辰
、
巳
、
午
、
フ
未
、
申
、
酉
、
戌
、
ル
亥
等
など
の字を
出
いで
せり。件書は,慶長十年に,辨蓮社袋中と云へる僧,琉球に
在
あり
て,馬幸明と云ふ者の
需
もとめ
によりて,
著
あらは
せる書
也
なり
。
【篤胤云,澁川春海、山崎垂加
等
など
が傳へたるは,
如何
いか
にも彼神道記より出たるべし。然れども,彼の神道記の作者の,偽作せる物とは
思
おも
はれず。】
○神代十干十二支之大事
右支干之文字者,
大己貴命
おほなむぢ
之神製也。大化三年丁未冬十月日。
【
尚此
なほこれ
には
種種
くさぐさ
の奧書
有
あ
り,
總
すべ
て
信難
うけがた
き事ども
也
なり
。十二支字は,上に
舉
あげ
たるに同ければ略きつ。】
○三才文
下總國
葛飾郡
かづしかのこほり
前林村,東光寺所藏文書所載也。
【
此
こ
は五枚
許
ばかり
得たるが,皆同じ
趣也
おもむきなり
。】
○神代四十七言
○太占之ト
○神代五十音
右神代文字等者,吉川惟足得之,而傳于
熱田大宮司
あつただいぐうじ
為麻品。為麻呂傳之同所
神主
かむぬし
豐倉,豐倉傳之喜多知貴,知貴傳之余者也。
平高潔
たひらのたかきよ
。
○出雲國石窟神代文字
○數量文字
右
出雲國大社
いづものくにのおほやしろ
之邊有島,號
書嶋
ふみじま
。島有石窟,窟中大巖壁,此文字彫刻而存焉。傳稱神代
大己貴命
おほなむぢのみこと
,始製文字之處也。
茲
ここに
橘三喜翁尋其事跡寫之,傳之平心舍光賴,光賴傳之永岡久近,久近之息男傳之矢嶋受福,受福傳之喜多知貴,知貴傳之
余
まろ
。平高潔。
○一本云,右神代五十字數量字,竝六十三字
在
あり
。傳云,出雲國文嶋岩窟中,大己貴命為彫刻。橘三喜及僧法忍至于
窟中
いはやのなか
,親著寫之。二說自符合。
近世
ちかきよ
,大神官佐艸好雄所談,
亦
また
同于此。藤塚氏祕藏。
【
按
おもふ
に,
信
まこと
に此奧書どもの
如
ごと
くは,此文字
實
まこと
に
尊
たつと
むべし。
然
しか
れども吾未
其正
そのまさ
しき
蹟
あと
を見ざれば,
姑
しばら
く疑字の中に舉つ,
偖此
さてこの
に五十音の
假名
かな
を
添
そへ
たるに,何して
其音
そのこゑ
を
知
しり
たりけむ。
窟中
いはやのなか
なる文字に,此
假字
かりな
は添ふまじき物をや,
甚甚不審
いといといぶか
し,
後人良
のちのひとよ
く
探
たづ
ねてよ。】
復一本
またあるふみ
には,右高天原五行之文字
是也
これなり
。和銅二丁酉歲三月十五日。高橋大摠大夫
【花押】
ともあるは,
論
い
ふにも
足
た
らず。
○壹岐國岩窟文字
壹岐國風土記
いきにくにふうどき
に,
石窟
いはや
は
牛城
うしが
の申酉に
在
あ
り,
國分界
こふのさかひ
に近し。此
石室
いはむろ
東西二十九間,南北二十八間,
周圍
めぐり
一町五十五間,高さ六間五尺三寸,其上に楢柏
等
など
生じて,
宛
あたか
も小嶽の如し。其石室中に
彫付
ゑりつけ
たる,鬼の文字と云ふ物
有
あ
りと云ひて,其字を
著
あらは
せり。
右の
餘
ほか
に文字
有
あ
る石
有
あ
れども,皆
斯
か
かる
樣
さま
にて
定
さだか
ならず。
土人
さとびと
は鬼の字と云ふ。對馬にも此類の石
有
あ
りと云へり。上古の文字にやと
云
い
ひ。
復
また
橘三喜が壹岐迴りに,當村生池の
鬼屋
おにや
は,始め吉左衛門と云ふ者,ほりて見るに口
有
あ
り。內に入りて見るに,
石櫃
いしびつ
二つ
有
あ
り。一つは橫八尺
程
ほど
,高さ三尺
程
ほど
。一つは橫三尺
程
ほど
,高さ五尺
程有
ほどあ
り。其前の傍に,三尺
程
ほど
の石立たり。是に
鬼書
おにのふみ
たりと云字
有
あ
り。
斯
か
かる
樣
さま
なるを,右の石に,
彼處此處雕付有
そこここほりつけあ
りて,然れども芻童の,鎌
以
も
て亂りに
彫添
ゑりそへ
たれば,
見分難
みわけがた
しと見えたりとぞ。
【壹岐風土記と云ふは,彼國しらす松浦殿の,
撰
えら
ばれしなりとぞ,
己
おの
れ未だその書を見ざれば,圓明院の行智が,
寫
うつ
して示せたるままに,著せる
也
なり
。 】
○筑後國石窟文字
此は
生葉郡
いくはのこほり
上宮田村と
云
い
ふ所の
石窟
いはや
に,
彫付有
ほりつけあ
りて,神代の文字と
云傳
いひつた
ふとぞ。彼國人より,屋代翁へ
寫贈
うつしおく
れるを,借り覽て著せる
也
なり
。
此外に,文字數體
有
あ
れども,分明ならず。
石窟
いはや
は南に向きたり,文字
總
すべ
て,右方
少下
いささかさが
れりと
有
あ
り。
【大さ
凡
およ
そ一尺四五寸
許
ばかり
有りとぞ。
按
おもふ
に,
壹岐國
いきのくに
の石室なるは,
何
なに
にも文字と見ゆれど,筑後國の石窟なるは,
慥
たしか
に文字とも
思定難
おもひさだめがた
し。
然
しか
は
有
あ
れど,國國に
掛
か
かる
例
ためし
の多かれば, 出雲國
文嶋
ふみじま
と云ふ嶋の,
石窟
いはや
に
有
あ
りと云ふなる文字も,信に
有
あら
むも
亦知
またし
るべからず。】
○上古之文字
右出或神家神家御門人尾崎某傳藤原氏方,神學祕書中云。借源義亮寫。日隅東。
○神代四十七言
右或神家所祕,口傳重重在可祕祕祕焉。
○神代象字傳
右,
齋部
いむべ
、
橘
たちばな
兩家之極祕,
不許
ゆるざる
他見。穴賢穴賢。
○神體勸請之御正印
【
按
おもふ
に,西、北、南、中央
有
あ
りて東方
無
な
きは,
寫脫
うつしおと
せる
物
もの
なるべし。】
金部西方之神
土部中央之神
水部北方之神
火部南方之神 右齋、卜兩家之
祕符
ひふ
也。雖為其職,不在深厚志,難傳祕事。面授
口決
くけつ
大事也。能授能學,能慎受之。
○大己貴命之靈句四十七言
人含道
ひとはふくむみちありて
,
善命報名
よきはいのちむくひなあり
,
親子倫元因
おやとことはともがらをもとのちなみなり
,
心顯煉忍
こころあらはれなりしのべ
,
君主豐位
きみはあるじゆたかにくらゐし
,
臣私盜勿
やつこわたくしにぬすみそ
,
男田畠耘
をとこはたかやしはたうちくさぎれ
,
女蠶績織
めはこかひしうみおれ
,
家饒榮理
いへはにぎはしさかえ
,
宜照法守
むべにてらせのりはまもり
,
進惡攻撰
すすみあしきはせめえらみ
,
欲我刪
ほしみとわれをけづれ
。 右,忌部家奧秘而別有象字。先代舊事本紀
象字
きさな
本文
是也
これなり
。
【篤胤云,此文と
上文
かみのふみ
とを合せ考へて,
益益
ますます
大成經より
後
のち
の偽作なる
事
こと
,
灼焉
いちじる
く
知
し
られたり。此
所謂
いはゆる
靈句に見えたる
也
なり
。】
○思兼命之靈句四十七言
アメツチ
天地
クロハカネタケニ,ワラモオリヰテソノサキヲ,シルヱホレヘヌスユマウセエ,
ヒフミヨイムナヤコト
一二三四五六七八九十
。 是
藻書文
もかきのふみ
也。別
藻字
もな
有云云。天和元年二月,大宮司直之謹
寫之
これをうつす
。寛文丙午正月,藤原義重傳
寫之
これをうつす
。
○齋部家極祕神名
件
これ
者
天太玉命
あまのふとだまのみこと
之神作。
今尚
いまなほ
忌部宿禰
いむべのすくね
等所傳也。
○宗源道極祕神名
件者天兒屋根命神作。今尚宗源道極秘也。
○論語訓
從是
これより
起
て
天
,次第用和訓。
口傳 宗源道
に
仁
於
て
天
,和文
を
乎
漢字
に
仁
寫
乃其始
屋
を
先如此。
齋元道
に
仁
於
て
天
,神字
を
乎
漢字
に
爾
寫
の
乃
其始先如此。
寛延
二年
己巳
五月廿三日,寛松齋定賢書。寛延三年十月,重波翁寫之可祕之焉。寶曆十二壬午延胤寫。
○
天名地鎮
あないち
右者,
河內國
かふちのくに
,
平岡泡輪社
ひらをかあわのやしろ
之藏。所鍥,
土笥
はにわ
,
天名地鎮
あないち
者也
といふものなり
。○一本云,,
天照太神
あまてらすおほかみ
勅,
大物主神
おほものぬしのかみ
、,
天思兼命
あまのおもひかねのみこと
,以倫獨之數音御製。,
天玅地銳
あないち
土簡
はにふだ
四十七言文字,
也
なり
。西方院諄海書。
○
土牘秀真文
はにふだほつまぶみ
右者,
大多駄根子命
大田田根子命
傳也。
阿波國
あはのくに
阿波社。 一本曰,右
神代文字
かみよもじ
者,在于
伊勢神庫
いせのほくら
而名
秀真文
ほつまぶみ
云云。
○三輪神社額字
○大竹政文曰く,此は
大𥙍勳一等
おほかみくんいっとう
と云ふ五字ならむと云へり。
如何
いかが
有らむ。
右傳稱神代之字也。字長三尺一寸,橫一寸七分。今其額
藏
をさめ
在
興福寺
こうふくじ
庫中云。
【此額字の
寫
うつ
しは,
彼此書
それこれのふみ
に記して皆
如是云
かくい
へり。今も
在
あり
や
亡
なし
や
其
そ
は知らねど,漢字には
非
あら
じかと見ゆるを,
俗
よ
に
神代字
かみよじ
と稱ままに,姑く
舉
あ
げたる
也
なり
。】
○本朝五十音和字
天兒屋根命
あめのこやねのみこと
三世,
天種子命
あまのたねこのみこと
撰之。以天地自然之辭五音所作意
也
なり
。延曆二年三月十一日,大中臣某丸。
○和字略畫
右者
吉備大臣
きびのおほおみ
之略字也。札守神符。或軍事隱符用之,可深祕之者
也
なり
。仁壽元年二月二日。卜部某丸。
○神字五十韻
右
阿波國
あはのくに
大宮八幡神庫之所傳也。
【
按
おもふ
に,和字考にも,此五十韻,竝二體共に出し。上に
著
あらは
せる神道記なる,十二支の字をも
舉
あ
げて,阿波國大宮の神職,
伊豫守
いよのかみ
充長が家に
傳
つた
へたる
云
い
へり。此充長と云ひし人,安永八年の
頃
ころ
に,神名書と云ふを著はして
專
もはら
と
是等字
これらのじ
の
事
こと
を言へり。
俗
よ
に神字中臣祓とて,日文の正字と,此五十韻の字とを合せて記せる物を,阿波國大宮八幡宮に傳はれる神代の物
也
なり
とて,
持囃
もてはや
す人
有
あ
り。或人
其
そ
を寫し得させたるを見れば,末に阿波國名東郡,
さなかふちのむら
佐那河內村
御鎮座,大宮八幡宮奉納中臣祓,勢州龜山住岩田惇德,神主大宮伊豫守光長傳授之。天明七年五月,仙臺本吉郡祭田村,玉井宮內殿と
有
あ
り。然れば此五十韻,並二體の字は,彼充長と云ひし人の作りて,其社に
傳
つた
はれる
神代字
かみよな
なる由にて出せるを,岩田惇德と言ひし人の,
信
まこと
と思ひて,彼中臣祓詞は,此人の書るにぞ有ける。
猶
なほ
此充長が作れる文字を,
信用
うけもちひ
たる
甚多
いとおほ
かり。
憐
あはれ
むべし。】
○御笠山傳記
伊豫城下八幡神主授神代之文字云。
○神代文字二體
【
茲
これ
も付假字
無
な
けれど五十音と
見
み
ゆ。次なるも
同
おな
じ。】
○同
【神代文字二體。】
【
茲
これ
も付假字
無
な
けれど五十音と
見
み
ゆ。次なるも
同
おな
じ。】
○神代五十韻字
右神代文字,中村松亭紀守恒。
○秀真傳
出雲國杵舂大社
いづものくにきづきのおほやしろ
傳之。享和二年三月,田熊養順。
○數名
右所出
秀真記
ほつまつたゑ
云。
○天地字。龍田神號。
級津彥命、級津姬命。
或人云,此等者或家之符字。非神世之字也。
○五行假字二體
木
火
土
金
水
木
火
土
金
水
本云,右五行假字二體,所傳未詳。
○
此餘
このほか
にも,神代文字とて,
俗
よ
にもて
囃
はや
す字ども
多
おほ
かるを,
果
はて
し
無
な
ければ,
大抵
おほかた
は
漏
もら
しつ。右に
舉
あげ
たるに
準
なぞら
へて思ひ辯ふべし。
信用
うけもら
ふると
用
おもち
ひざるとは,人人の
隨
まにま
に。
余
まろ
か知らざる
事
こと
にこそ。
文政二年六月
氣吹屋主
いふきのやのあるじ
篤胤