神字日文傳 上巻
五畫
は,タテと音譯すべし。縱の義にて,の五畫は,上なる四十七音の字母と為て,縱韻に用へる。字原なる由を著せる也。
九畫
は,ヨコと音譯すべし。橫の義にて,の九畫は,上なる四十七音の字父と為て,橫音に用へる。字原なる由を著せる也。
右神代四十七音字者,天兒屋根命之真傳也。對馬國卜部阿比留氏內內傳之可秘可秘焉。
一本云,右日文四十七言者,日神勅天思兼命所作云。【一本,又一本も,同奧書也。○一本云,右神世行文中古所謂肥人書也。以上は墨にて記し,以下は朱にて記せり。又一本には,下の朱書は無し。】
下總國人大中臣正幸,傳源八重平。八重平傳之政文者也。【此日文字を得つる事,全て六枚なるが,共に稀に,縱に作れる字の交れるを彼此校合せて,橫に作れる字のみ整へつ,其は次に舉たる遺文の真字は,皆縱に作れる字為れば也。縱に作れりとは、を,をと掛ける類を云ふ也。偖復右の校合せたる六枚の中に,三枚は,を、を、を、をに作れり。此は彼朝鮮諺文を見て,近世人の賢しらせるが,弘ごれるなれば用ひず。其は父母の字原に合ざれば也。其由下に,字原を解くを見て知るべし。○さて大中臣正幸と云へる人は,神に仕ふる人なるべく所思ゆれど,何れの社人とも知るべからず。源八重平と云ふ人も何處の人にや,政文とは,會津殿の神道方の長を承れる人にて,呼名を,大竹喜三郎と稱し人也。○三河人富田常業,此書を見て云けるは,吾祖父を庸聽と云ひしが,其師に,江戶人にて,伊奈見左膳八重平と云者有り。庸聽は,四十餘年許前,年六十餘にて身罷りき,八重平京都に上る時に,庸聽男にて,即ち我が父なる庸朝を訪來れり。此時も,古書の講釋等せし由也。其後八重平京都にて,神學の聞えありて,吉田家へ出しが,程無く故人となれりとぞ。さて父も若くて,三十年許前に身罷りぬるを,母は六十年餘長らへたるが,其時の事知居て語りぬ。思ふに源八重平と云ふは,此人なるべしと云ヘリ。】
右の日文四十七字は,行文と有れど真字と見ゆ。此を傳へたる阿比留氏は,對馬國卜部と有れば,天兒屋根命の裔為る事疑無し。【對馬卜部は,天兒屋根命十一世孫雷大臣命より出たる事,古史傳第六十段に,委註せるを見るべし。】
故此日文字を,傳來にけむは,實然も有るべき事也。復此字の作者の事,一本に,天思兼命と有るも,實然るべし。
但し日神敕と云ふ事は,如何有らむ知らず。然るは,天兒屋根命、天思兼神は,同神の異名なる事,古史徵と傳とに,辨へたる如く為るが。此文を,熟熟に視れば,太兆の驗形を字原として,製れりと見ゆるに。其太兆の卜事は,卜部遠祖天思兼命,【亦名,天兒屋根命。】の始給へる業為れば也。太兆とは,鹿肩骨を灼て,卜相す業為るが,此事は信友が正卜考に精記せるを,今此に要と有る所を摘て記さば,先づ鹿肩骨の形狀は:
如斯にて,其灼くべき地に,縱に長く,橫に狹く,下方へ窄くて,其形は概⛉。如此くにて,明徹る許薄し。【凡そ縱四五寸許,橫は上方一寸六七分許,下方五六分許有り。骨の大小に依りて,少は違ふめれど,其規量は違ふ事無し。】
此處に驗體を,如斯く書きて灼く也。然るを後に,漢國の龜卜を傳へて,其を換用ふるに付けては,龜甲は厚くて灼方ければ,其灼べき地を,小さく薄く。▯如斯く刋䓣げて,此を穴と云ふ。其穴の內に,驗體を如斯く畫事と成たり。此は龜卜の法に,素より原兆とて,✝斯かる形を畫きて,物するに傚へるなれば,其元は,鹿の肩骨の驗體を畫く地の趣に,形取れるなるべし。【其は周禮に:「大卜云云。原兆。」と有りて,法に原✝也と見え。說文に:「卜灼剝龜也。象灸龜之形。」一曰:「象龜兆縱橫。」と有り。✝の▯は,龜甲に剝たる圍也、┼は,中に剝たる驗形也。┼を象形りて卜の字を製れる由也。斯て復後に按ふに,世に神代字とて傳はれるが多かる中に,┬┴│┤├と樣に畫る有り。此は若くは,太古に,兆體のに依りて,製肇めたるには非じか,甚も奇妙しく,甚も尊き由緣有りげにぞ所思ゆる。猶思へば,上に說へる漢字の卜の字も,斯かる古傳の且且遺り傳はれる兆體の形象に依りて製たらむか。復舊く卜兆を,神世の字の源也と云へる說も聞ゆるは,古の真實語言の,傳はれるならむも知るべからず。如何で一早く考へ著はさむ人欲得。】
と說へるに就て按ふに,彼國の龜トは。元我が神世の太兆法の,彼國にも遺傳はれるを,後に鹿骨を龜甲に換たる事疑無し。如是て此驗體を,此如く書く事は,信友が說に限らず。今諸國に傳ふる處,皆同狀也とは聞ゆれど,此は誤りにて。【但し此は謂有る事と,考得てたる說あれど,容易く此處に著はし難し。】
極て┼如斯くならむと所思る也。抑抑麻知形と云ふは,⊞斯有る形を云ひ。【上に原兆と云へるも同じ。】
辻等云を思ふにも,┼なる事炳焉く。其は先づ,故由有る時に,正しく幽冥の神慮を伺奉るには,上下左右必ず平等にして,甲乙有るまじき理為る事,良く思ふべし。の如くにては,左右同じ量とは云へど,上下有りて等からざるは何そや。其原本は,必なるべく思定めたり。此は最最幽き謂有る事なるを,己れ殊に委しく考記せる物有れば,此には大略を云ふのみを。【さて此麻知形に,▯斯かる圍を畫く事も,鹿の肩骨を龜甲に換たれば也。其は肩骨は甚薄くて,圍を剝る迄も無きを,龜の甲は厚くて,圍を剝らでは用難ければ也。釋日本紀に,太兆の事を註る所に:「上古之時,未用龜甲卜,以鹿肩骨而用也。謂之フトマニ爾云云。異朝始者鹿卜之由,有所見者也。」と云へる。私記の說をも思ふべし。元史に,羊の肩骨を灼て卜を行へる事の所見たるは,古法の傳はれるにぞ有るべき。】
斯くて後に,其龜卜法,復皇國に傳りたるに,其法もと同法為れば,良く符へるは然る物なるに,況て灼く物の龜甲なるが,鹿骨よりは,取るに便宜しと為て,對馬卜部の人人の,內內其を用ひたるが。天智天皇の御世に,令典を撰ばしめ給ふ時に,萬づ古風を止めて,漢風に依らむと為賜ふ御舉也然ば,此時公に用給へる故に,大寶令に。卜兆と記されたり。【義解に:「卜者灼龜也,兆者灼龜縱橫之文也。」と見え。同じく集解に:「灼驗為兆。」とも有るを思ふべし。】
然るを,漢土に諛ふきはは龜卜は,元我が古の鹿卜の,彼國にも遺傳はれる物なる事の本を辨へず。鹿の正卜は絕果てたる故に,龜卜を用ひ,其を神代の太兆也と言成せりと思ふめるは,未しき想像也かし。【猶此事,古史傳に委く註へれば,此には唯大略を云ふのみ也。】
さて此字原は,太兆より出たる事疑無く所思る由は,縱の五畫は驗形の┼を裂て作れるにて,├┤は┼を左右二つに別ち,│は中の─を去り,┴は┼の─を下に付け,┬は┼の─を上に付けたる物なるべし。橫の九畫は⊞より出たるにて,先づ〇を▯の圓に象取り,は┼の中の─を中斷して上下に付け,┐┌は▯を斜に裂たる本の形を,其儘に二畫に別用ひたりと見え。は▯を縱に真中より裂て二畫に為たる也。は▯を斜に裂きたる上の一畫を〇に象どれるに冠らせ。は▯を斜に裂きたる下の一畫を,其儘に引起したる物と見えたり。【但し此は,唯にうち見たる有の隨に言へるなれば,中には當らざるも有るべければ,後人良く考へて定むべし。】
上件四十七音の字は,此五畫九畫を,縱母橫父に用ひて作れる故に,日文とは言ふなるべし。然るは日文とは火文の義にて,鹿肩骨を,波波迦木の火以て灼て,其灯圻食べき文を,音符印と為たるより出たる言と見ゆ。【漢土の卜兆の字ども,皆其象形なるを思ふべし。】
復フミ云ふ言は開題記にも且且云へる如く,文字の漢音を,皇國の音に轉して,訓に為たる也と云ふは,舊たる說為れど,舊見為るべく所思たり。【其は卜兆は,其卜相たる事を印驗置きて,舊を見る料の設為れば也。】
偖復此四十七音の文字を,總てヒフミと號たる故に,其を軈て一二三の數名に取りて,ヨイムナヤコトモチロと,四五六七八九十百千萬の語を,神語片語に言繼たる物為るべし。【一より萬迄の正訓は,一二三四、五六七、八九十,百千萬也。其言の義は,古史傳に委しく註せるを見るべし。】
ラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリへテノマスアセエホレケと云ふも,此に準へて想へば,決めて片語為るべく所思ゆれど,其義は,如何にとも知るべき由無し。此は知えぬぞ中中に尊かるべき。【然るを彼大成經と云ふ偽書に,此語を記して,人含道善命報名親子倫元因心顯煉忍君主豐位臣私盜勿男田畠耘女蠶續織家饒榮理宜照法守進惡攻撰欲我刪と譯して,此を上宮太子の物し給へりと云へるは,大成經を偽作れる潮音僧が,如何にしてか,ヒフミ云云の語を聞持ちて,其を天照大御神の,始めて敕語賜へりと記し。又旁旁に神世文字は大己貴命の造給へりとも,天思兼神の作給へりとも語傳ふる故に,其作者を,此二神に託し,其文字以て記せる紀錄の,平岡宮、泡輪宮等に在りしを,上宮太子の見給ひて,如是譯賜へりと云ふ妄說を,編出せる也。近頃其宮宮に傳はれる字也とて薩摩人白尾國柱が,成形圖說と云ふ物を始め,何くれの書にも舉て,持囃す人も多かるは傍至き事也。彼譯語は,ヒフミの次第に合すれば,假名の音さへに合はざる物をや,然れど其偽字も人の惑を開かむ為に,附錄に載出たるを見るべし。】
偖一本の奧書に此を,肥人書也と云へる由有る事也。其は次に舉ぐる遺文の下に註ふを見るべし。○偖此遺文に,、と表せる。父母の字原の次第によりて,五十韻圖を作試るに,左の如く成れり。【但し其縱橫の,父母字の次第を,寫訛れる本も多かれど,今は四本良く符へるを採りて記しぬ。】
玆今世に弘く圖傳ふる。五十音圖位とは甚異也。是ぞ甚上世より圖來つる真の次第為るべき。【此頃見ゆる北邊隨筆と云ふ物に,悉曇家には阿の音を本とすれば,口を開けば,始めて出る聲は宇也。此を以て見れば,他域の言は知らず,吾が大御國にしては,五十音の本は,宇なる事疑無しと云へり。此說茲に著はす圖にも符ひ,理にも叶ひて,實に然る事とぞ所思たる。】
然るを今傳はる五十音の圖は,こを後に改作れる物と所思たり。【但し我が上世に,五十音圖は有らざりけむと,生しき間は,誰も思ふべく,余も往年頃は,然思ひたり然ど,上件のと云ひ,と云へる語書によりて,上世にも,五十音圖有りけりと思定めたる也。五十音圖を物する由に非ざらましかば,と云ひ,と云へるをば,何由とかせまし,然れど神の物し給へるか否じか,其は詳ならず,何れにも甚古物にて,今ある五十音圖の未だ無りし以前の事には違ひあるまじく所思ゆ。】
偖右の日文四十七字を,縱橫父母の字原の位に因りて著はせる。五十音圖に合せ見るに,の二字餘れり。此を視るに,縱畫の┴├は例の如く為れど,○は橫畫の中に無き畫なるが,甚不審きに付きて考ふるに,先┬┴│┤├の五畫は,唯母字に用ふるのみにて,此を一音に用ふ事無ければ,四十七音にオアの二字足ざる故に,別にの二字を作給へる物為るべし。如是て此二字は,の字の父畫なる。○は橫の上を裂放ちたる物と見ゆ。しか物し給へる。神御意は知るべからねど,強ひて按ふに,は,發音の初に。自然にウを含みたる音なる故に,オアは,其宇を開去たる音也。と云ふ義を以て,○の上を裂開きたる物為らむか。然れど此は試に言へれば,尚良く考へて決むべし。
ヒ フ ミ ヨ イ ム ナ ヤ
コ ト モ チ ロ ラ ネ シ
キ ル ユ ヰ ツ ワ ヌ ソ
ヲ タ ハ ク メ カ ウ オ
エ ニ サ リ ヘ テ ノ マ
ス ア セ ヱ レ ケ
ヒ フ ミ ヨ イ ム ナ ヤ
コ ト モ チ ロ ラ ネ シ
キ ル ユ ヰ ツ ワ ヌ ソ
ヲ タ ハ ク メ カ ウ オ
エ ニ サ リ ヘ テ ノ マ
ス ア セ ヱ レ ケ
右神世字,天思兼命所撰云。對馬國卜部,阿比留中務傳之。○一本云,右日文者,日神勅思兼命所製也。筆法秘傳者,筆意、把筆、運筆、全假、離合、廣文、縮文。以上七條,卜部家口傳有之。【此は既に云へる,皇和神代字集に載せるが中の一枚と,森川士義が集めたる中の一枚とを校合せ見て載せり。但し二枚共に希に橫に作れる字も交れるが,前に舉げたるに希希縱に作れる字も交れるを,己が私に彼は橫、此は縱の一體に整たる也。其は見易からむ事を思ひて也。】