古事記 下卷


天皇御世


仁德天皇 難波高津宮跡


詠葛城襲津彥萬葉歌碑 2639


日本歷史掛圖 雄略帝后獎勵養蠶
幡梭若郎女,適雄略帝為皇后。


茨田堤碑
仁德帝御世作茨田堤并屯倉、和邇池、依網池,堀難波堀江。


仁徳帝登高臺望炊煙圖
帝登甘檻山,望烟撫民,停課役三年。後國中滿烟,是知人民富足。

一、望烟撫民

 大雀命(おほさざきのみこと),坐難波(なには)之高津宮(たかつみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),仁德天皇(にんとくてんわう)。】

 此天皇(仁德),娶(めとり)葛城襲津彥(かづらき之曾都毘古)之女石之姬命(いはの日賣のみこと)。【大后(おほきさき)。○襲津彥(そつひこ)原文そつひこ(曾都毘古)以音。】
  生御子,大兄去來穗別命(おほ江之伊耶本和氣のみこと)。【○履中天皇(りちゅうてんわん)。大兄去來穗別(おほえのいざほわけ)原文大江之伊耶本和氣(おほえのいざほわけ)。】
  次,墨江中王(すみのえ之なか津みこ)。
  次,蝮瑞齒別命(たぢひ之水はわけのみこと)。【○反正天皇(はんぜいてんわう)。瑞(みづ)原文水(みづ)。】
  次,男朝津間若子宿禰命(を淺つまわくごのすくねのみこと)。【四柱(よはしら)。○允恭天皇(いんぎょうてんわう)。朝(あさ)原文淺(あさ)。】
 又,娶上云(應神記)日向(ひむか)之諸縣君牛諸(もろあがたのきみうしもろ)之女髮長姬(かみなが比賣)。
  生御子,幡梭大郎子(波多毘能おほいらつこ),亦名大日下王(おほくさかのみこ)。【○幡梭(はたび)の原文はたびの(波多毘能)以音,下效此。】
  次,幡梭若郎女(波多毘能わかいらつめ),亦名長目姬命(ながめ比賣のみこと),亦名若日下部命(わかくさかべのみこと)。【二王(ふたはしらのみこ)。○亦名若日下王。】
 又,娶庶妹(ままいも)八田若郎女(やたのわかいらつめ)。
 又,娶庶妹宇治稚郎女(宇遲能若いらつめ)。此之二柱,無御子(みこ)也。【○宇治稚(うぢのわか)原文宇遲能若(うぢのわか)。】
 凡(おほよそ),此大雀天皇(おほきざきのすめらみこと)之御子(みこ)等,并六王。【男王(をとこみこ)五柱,女王(をみなみこ)一柱。】

  故,去來穗別命(伊耶本和氣のみこと)者,治(しろしめし)天下也。
  次,蝮瑞齒別命(たぢひ之水はわけのみこと),亦(また)治天下。
  次,男朝津間若子宿禰命(を淺つまわくごのすくねのみこと),亦治天下也。

 此天皇(仁德)之御世(みよ),為大后(おほきさき)石之姬命(いはの日賣のみこと)之御名代(みなしろ),定葛城部(かづらきべ)。亦為太子(ひづきのみこ)去來穗別命(伊耶本和氣のみこと)之御名代,定(さだめ)壬生部(みぶべ)。亦為瑞齒別命(水はわけのみこと)之御名代,定蝮部(たぢひべ)。亦為大日下王(おほくさかのみこ)之御名代,定大日下部(おほくさかべ)。為若日下部王(わかくさかべのみこ)之御名代,定若日下部(わかくさかべ)。
 又,役(えだて)秦人(はだひと)作茨田堤(うまらたのつつみ)及茨田屯倉(うまらたの三宅),又作和邇池(丸邇のいけ)、依網池(よさみのいけ),【○屯倉(みやけ)原文三宅(みやけ)。和邇(わに)原文丸邇(わに)。】又堀(ほり)難波之堀江(なにはのほりえ)而通(とほし)海,又堀小椅江(をばしのえ),又定墨江之津(すみのえのつ)。

 於是,天皇(仁德)登(のぼり)高山(たかきやま)見四方之國(よものくに),詔之:「於國中(くにのうち)烟(けぶり)不發(たたず),國皆貧窮(まづし)。故,自今(いまより)以後,至于三年(みとせ),悉(ことごとく)除(おけ)人民(おほみたから)之課役(えつき)。」是以,大殿(おほとの)破壞(やぶれこほれ),悉雖雨漏(あまもれ),都(かつて)勿修理(つくろふ)。唯以槭(はこ)受其漏雨(もれるあめ),遷避(うつりさりき)于不漏處(もらぬところ)。
 後(のち)見國中,於國滿(みちき)烟。故以為(おもひ)人民(おほみたから)殷富(とめり),今復科(おほせき)課役。是以,百姓(おほみたから)之榮(さかえ),不苦(くるしびず)役使(えだち)。故稱(たたへ)其御世(みよ),謂(いふ)聖帝世(ひじりのみかどのよ)也。


東高津宮 祀仁德帝、石姬皇后
仁德皇后石之姬命,以善妒著稱。

帝望黑姬出船歌:「臨高望沖方 小船林立並連綿 濡烏黑鞘之 親愛美兒我妹子 今將歸國發船行」
仁德帝幸淡道島遙望歌:「日光押照矣 出航發自難波崎 吾今發船幸 立淡道島望吾國 見之乎淡島 復見淤能碁呂島 亦見之檳榔 叢生植生島 八十離島悉觀覽」


吉備國 黑媛塚古墳
傳被葬者即仁德帝所寵愛之黑姬。

帝到採菘處歌:「山縣山方地 所蒔種植青菜矣 若得與吉備 佳人孃子共摘者 蓋當心滿樂無窮」
帝罷歸時黑姬獻歌其一:「今向大和方 西風起兮強吹拂 雲因以離兮 其雲雖因風退居 妾身何忘夫君情」其二:「今向大和方 啟行伊人誰夫歟 彼是吾夫矣 隱處下延竊通心 逢瀨離兮誰夫歟」


八田若郎女 宇和奈邊陵墓
仁德帝伺石之姬皇后為豐樂宴幸紀伊時,婚八田若郎女。


仁德帝石之姬皇后平城坂上陵
大后恨天皇迎娶八田若郎女,泝難波堀江而居山城。

仁德帝、石之姬志都歌其一:「苗木繼根生 繼根生兮山代河 今溯其河者 吾躬溯河逆流上 在其河隈隈 茂生繁殖欣向榮 躑躅烏草樹 於彼烏草樹之木 在其木之下 茂生繁殖欣向榮 常綠葉廣兮 齋真椿木海石榴 猶彼椿木花 普耀遍照大八洲 猶彼椿木葉 茂惠廣蔭繁秋津 聖王大君如是哉」其二:「苗木繼根生 繼根生兮山代河 我溯難波宮 青丹精良兮 奈良那羅山已過 小楯山代國 山城大倭亦過之 何謂寡人欲見國 青柳葛城國高宮 吾家之畔吾宮邊」其三:「追及山代兮 追兮舍人鳥山君 追及復追及 速速追至吾愛妻 追及令吾得相逢」其四:「三輪御諸山 位彼山上高城兮 大豬子棲野原矣 顧其大豬子 腹中肝在矣 與肝相對兮 心哉唯有彼心者 豈能忘情不相思」其五:「苗木繼根生 繼根生兮山代女 彼女持木鍬 掘土鋤壤摘大根 其根素且白 一如佳人腕白晰 若未與之共纏綿 可訴不識然不得」


山背筒城宮址
大后石之姬命所避筒城宮。天皇遣使口子臣,大不予見,跪于庭中,水潦漬腰,口姬憐兄,流涕獻歌。
口姬憐兄浸衣歌:「山城山代國 山代筒木宮之中 伏庭欲申謁 見此吾兄水潦衣 不覺涕泣落淚下」


日本最初外國蠶飼育舊跡
三色奇蟲,桑蠶是也。匐蟲、殼、飛鳥各指蠶、蛹、蛾。奴理使主獻計,令天皇親臨,與皇后講和。

志都歌 其六:「苗木繼根生 繼根生兮山代女 彼女持木鍬 掘土鋤壤摘大根 爽爽音騷然 以承汝言嘖頻頻 大勢從者來 猶若八桑展枝葉 眾來謁見共參迎」

八田野
傳仁德帝、八田若郎女應歌之地。若郎女亦名八田皇女、矢田皇女。

仁德帝戀八田若郎女歌:「八田若郎女 八田地生一本菅 無子無相伴 孤獨伶立至枯荒 惜矣八田彼菅原 今吾贈此言 口言雖訴彼菅原 心實惜甚貞清女」答歌:「八田若郎女 八田地生一本菅 縱彼孤立至枯荒 若聞大君言 一人獨居亦可者 無子無伴不悔惜」

 其(仁德)大后(おほきさき)石之姬命(いはの日賣のみこと),甚多(いとおほし)嫉妒(うはなりねたみ)。故天皇所使(つかへる)之妾(みめ)者,不得(えず)臨(のぞむ)宮中(みやのうち)。若有言立者(ことだつれば),大后即頓足跺步而(足母阿賀迦邇)嫉妒。【○頓足跺步(足母阿賀迦邇)原文足もあがかに(あし母阿賀迦邇),足(あし)も搔(あが)かに。言立(ことだつ),言及特別之事。】
 爾,天皇(仁德)聞看(きこしめし)吉備海部直(きびのあまべのあたひ)之女(むすめ)黑姬(くろ日賣),其容姿(かたち)端正(きらぎらし),喚上(めしあげ)而使也(つかひき)。然黑姬(くろひめ)畏(かしこみ)其大后(石之姬)之嫉(ねたむ),逃下(にげくだりき)本國(もとつくに)。天皇(すめらみこと)坐高臺(たかきうてな),望瞻(のぞみみ)其黑姬(くろ日賣)之船出(ふなのいで)浮海(うみにうかべる),以歌曰:

 故大后(石之姬),聞是(こ之)御歌(みうた),大忿(おほきにいかり)。遣(つかはし)人於大浦(おほうら),追下(おひおろし)而自步(かちより)追去(おひさりき)。於是天皇(仁德),戀(こひ)其黑姬(くろ日賣),欺(あざむき)大后(おほきさき)曰:「欲(おもふ)見淡道嶋(あはぢのしま)。」而幸行之時(いでまししとき),坐(いまし)淡道嶋,遙望(はるかにのぞみ)歌曰:

 乃自其島(淡道), 繼越(傳)而幸行(いでましき)吉備國(きびのくに)。【○繼越原文島傳(しまつたひ),此云自淡道島經由諸多小島輾轉航向目的地。】爾,黑姬(くろ日賣),令天皇(仁德)大坐(おほまし)其國之山方地(やまがたのところ),而獻(たてまつりき)大御飯(おほみけ)。於是,黑姬(くろひめ)為煮(にむ)大御羹(おほみあつもの)而採(とる)其地之菘菜(たかな)。時天皇(すめらみこと)到坐(いたりまし)其孃子(をとめ)之採菘(たかな)處,歌曰:

 天皇(仁德)返京上幸(のぼりいでます)之時,黑姬(くろ日賣)獻御歌(みうた)曰:

 又,歌曰(うたひていはく):

 自此(これより)後時(のち),大后(石之姬)將催豐樂宴(とよのあかり),幸行紀國(木のくに),採御綱柏(みつながしは)為觴。其間,天皇(仁德)婚(あひき)八田若郎女(やたのわかいらつめ)。【○紀國(きのくに)原文木國(きのくに)。】
 於是(ここに),大后(おほきさき)以御綱柏積盈(つみみて)御船(みふね),還幸(かへりいでます)。時所驅使(おひつかはゆる)於水取司(もひとりのつかさ)吉備國兒島郡(こしまのこほり)仕丁(よほろ),是(これ)退(まかる)己國(おのがくに),遇(あひき)所後(おくれたる)倉人女(くらひとめ)之船於難波(なには)之大渡(おほわたり)。乃語(かたり)云:「天皇(仁德)者,比日(このころ)婚八田若郎女而晝夜(ひるよる)戲遊(たはぶれあそぶ)。若(もし)大后不聞看(きこめさぬ)此事乎?竟靜遊(しづかにあそび)幸行?」爾其婢女(倉人女)聞此語言(かたること),即追近(おひちかづき)大后御船(みふね),白狀(まをすかたち)具(つぶさに)如仕丁(よほろ)之言(こと)。【○倉人女(くらひとめ),侍奉皇后近側之婢女。婢女(つかひめ)原文倉人女(くらひとめ)。】
 於是,大后(石之姬)大恨怒(おほきにうらみいかり),悉(ことごとく)投棄(なげうてき)載(のせたる)其御船之御綱柏(みつながしは)於海(うみ)。故號(なづけ)其地(そこ),謂御津前(みつのさき)也。大后即不入坐(いりまざす)宮而引避(ひきさり)其御船,泝(さかのぼり)於堀江(ほりえ),隨(まにまに)河(山代川)而上幸(のぼりいでましき)山城(山代)。此時,歌曰:【○山城(やましろ)原文山代(やましろ)。所溯山代川者,今木津川。】

 即自山城(山代)迴,到坐(いたりまし)奈良山口(那良のやまぐち),歌曰:【○奈良(なら)原文那良(なら)以音。】

 大后(石之姬)如此(かく)歌而還,暫(しまらく)入坐筒木(つつき)韓人(からひと)奴理使主(ぬり能美)之家(いへ)也。【○使主(のみ)原文能美(のみ)以音。】
 天皇(仁德)聞看其大后自山城(山代)上幸,使(つかはし)舍人(とねり)鳥山(とりやま)送(おくり)御歌:

 又續(つぎ)遣和邇臣口子(丸邇のおみくちこ)而歌曰:【○和邇(わに)原文わに(丸邇)以音。】

 又(また),歌曰:

 故,是口子臣(くちこのおみ)白此御歌之時,大雨(おほきあめふりき)。爾口子臣不避(さらず)其雨,參伏(まゐふせ)前殿戶(まへのとのと)者,大后違(たがひ)出後戶(しりへのと)。參伏後殿戶(しりへのとのと)者,違出(いで)前戶(まへのと)。爾(しかくし),匍匐(はらばひ)進赴(すすみおもぶき),跪(ひざまづきし)于庭中(にはなか)時,水潦(にはたづみ)至腰(こし)。其臣(口子臣)服(きたり)青摺衣(あをずりのきぬ)、著(つけたる)紅紐(くれなゐのひも),故水潦拂(ふれ)紅紐,青(あをき)皆變(かはりき)紅色。
 其口子臣之妹(いも)口姬(くち日賣),仕奉(つかへまつれり)大后(おほきさき)。見其兄沾雨,故是(この)口姬(くち日賣),流涕歌曰:

 爾大后(石之姬)問其(口姬)所由(ゆゑ)之時,口姬(くちひめ)答白:「僕之兄(やつかれがせ),口子臣(くちこのおみ)也。」於是(ここに)口子臣,亦其妹口姬(くち比賣),及奴理(ぬり)使主(能美)三人(みたり)議(はかり)而,令奏天皇(仁德)云:「大后(おほきさき)所以(ゆゑ)幸行(いでませる)者,欲見奴理使主(ぬり能美)之所養蟲(かへるむし)也。此蟲者,一度(ひとたび)為匐蟲(はふむし),一度為殼(かひご),一度為飛鳥(とぶとり),有變(かはる)三色(みくさ)之奇蟲(あやしきむし)。大后看行(みそこなはさむ)此蟲而入坐爾(いりませらくのみ),更(さらに)無異心(けしこころ)。」如此奏(かくまをし)時,天皇(すめらみこと)詔:「然者(しからば),吾(あれ)亦思奇異(あやし)。故欲見行(みにゆかむ)。」【○三色奇蟲(みくさのあやしきむし),幼蟲、繭(まゆ)、蛾(が)等三種幻化之蟲,是即蠶(かひこ)也。三人見情狀膠著,遂獻計令天皇(仁德)親臨。】
 天皇自大宮(高津宮)上幸行(のぼりいでまし),入坐奴理使主(ぬり能美)之家。時其奴理使主(ぬり能美)獻(たてまつりき)己所養(かへる)之三種蟲(みくさのむし)於大后(石之姬)。爾天皇(仁德)御立(みたち)其大后(おほきさき)所坐(いませる)殿戶(とのと),歌曰:

 此天皇(仁德)與大后(石之姬)所歌(うたへる)之六歌(むつのうた)者,志都歌(しつうた)之歌返(うたひかへし)也。

 於是,天皇(仁德)戀(こひ)八田若郎女(やたのわかいらつめ),遂賜遣(たまひやりき)御歌。其歌曰:

 爾,八田若郎女,答歌(こたふるうた)曰:

 故(かれ),為八田若郎女之御名代(みなしろ),定(さだめき)八田部(やたべ)也。


雌鳥皇女、隼別皇子像
仁德帝諱大雀,速總與隼音同。女鳥王之歌,以雀、隼暗指仁德帝、速總別王。天皇聞歌,知有異心。

仁德帝誂女鳥王歌:「女鳥侍織女 汝操棚機為夫君 所織御服者 是為孰人襲料哉」女鳥王答歌:「高飛翔天際 隼別皇子速總別 彼王御襲衣料矣」女鳥王見速總別王來歌:「縱為雲雀者 亦能翔天渡大空 高飛越天際 隼別猛禽更迅捷 速擒大雀斃彼命」


宇陀蘇邇 隼別神社
蘇邇,今宇陀郡曾爾村一帶。
速總別王遁倉椅山歌其一:「梯立勢陡峭 倉椅山嶮難登涉 以其險峻者 親親吾妻難懸岩 必取我手同攀越」其二:「梯立勢陡峭 倉椅山嶮難越涉 彼山雖險峻 然得與妹共登者 吾不復覺何嶮矣」


古墳出土玉釧
山部大楯取女鳥王玉釧與妻。事發覺,為石之姬皇後處死。皇后雖好嫉妒,仍重義理、臣節。


姬島 姬島神社
姬島昔在淀川河口,今已接陸。

仁德帝、建內宿禰鴈產問答其一:「玉極靈剋兮 內庭建內宿禰臣 汝壽比南山 此世最長瑞耆老 虛空見日本 大和秋津倭國中 可嘗聞鴈生卵哉」其二:「高光普下照 日御子兮我聖皇 宜諾大哉問 問於吾兮心甚感 此誠大哉問 下問吾兮實宜哉 吾壽秋日長 此世最長耆老人 然在虛空見 大和秋津倭國中 所謂雁生卵 至今前所未曾聞」其三:「蓋汝胤子孫 代代治國無絕期 故鴈生卵以為徵」


昭和之森會館 枯野船模型
菟寸,在今大阪府高石市富木。

仁德帝枯野琴歌:「今將枯野船 轉作鹽薪燒海鹽 又取其餘燼 作焦尾琴搔彈之 彼琴聲鏗鏘 彼琴聲玲瓏 恰似由良海門中 振立海石上 漬木之藻矣 冴冴爽爽」


仁德天皇 百舌鳥耳原中陵

 亦,天皇(仁德)以其弟(おと)速總別王(はやぶさわけのみこ)為媒(なかびと)而乞(こひき)庶妹(ままいも)女鳥王(めどりのみこ)。爾,女鳥王語(かたり)速總別王曰:「因大后(石之姬)之強(こはき),不治賜(をさめたまはず)八田若郎女(やたのわかいらつめ)。故,思不仕奉(つかへまつらじ)。吾(あれ)為汝命(ながみこと)之妻(め)。」即相婚(あひあひき)。是以(ここをもちて),速總別王,不復奏(かへりことまをさず)。
 爾天皇(仁德)直(ただに)幸(いでまし)女鳥王(めどりのみこ)之所坐(いますところ),而坐其殿戶(とのと)之閾上(しきみのうへ)。於是,女鳥王坐機(はた)而織(おりき)服(ころも)。爾(しかくし),天皇(すめらみこと)歌曰:

 女鳥王,答歌曰(いはく):

 故天皇(仁德)知其情(そのこころ),還入(かへりいりき)於宮(みや)。此時,其夫(そのを)速總別王到來(きたれり)。時女鳥王(めどりのみこ)歌曰:

 天皇(仁德)聞此歌,知其異心,即興軍(いくさをおこし)欲(おもひき)殺(ころさむ)。爾速總別王(はやぶさわけのみこ)、女鳥王(めどりのみこ),共(ともに)逃退(にげそき)而騰(のぼりき)於倉椅山(くらはしやま)。速總別王歌曰:

 亦歌(うたひ)曰:

 故二人自其地(そこ)逃亡(にげうせ),到宇陀(うだ)之蘇邇(そに)時,御軍(みいくさ)追到(おひいたり)而殺也(ころしき)。

 其役將軍(いくさのきみ)山部大楯連(やまべのおほたてのむらじ),取其女鳥王(めどりのみこ)所纏(まける)御手(みて)之玉釧(たま鈕)而與己妻(おのがめ)。【○玉釧(たまくしろ)原文玉鈕(たまくしろ)。】
 此時之後(このときののち),將為豐樂宴(とよのあかり)之時,氏氏(うぢうぢ)之女等(をみなら),皆朝參(みかどまゐりしき)。爾大楯連(おほたてのむらじ)之妻(め),以其王(女鳥王)之玉釧(たま鈕)纏(まき)於己手(おのがて)而參赴(まゐおもぶきき)。【○豐樂(とよのあかり),酒宴是也。】
 大后(おほきさき)石之姬命(いはの日賣のみこと),自(みづから)取大御酒(おほみき)柏(かしは),賜(たまひき)諸氏氏(もろもろのうぢうぢ)之女等。爾大后見知(みしり)其玉釧(たま鈕),不賜(たまはず)御酒柏,乃引退(ひきそけき),召出(めしいだし)其夫(そのを)大楯連以詔之(のりたまはく):「其王等(女鳥王),因無禮(ゐやなき)而伏誅退賜(しりぞけたまひつ)。是(これ)者,無異事(けしきこと)爾(のみ)。夫之奴乎(そのおやつこや),竟於己君(おのがきみ)膚熅(はだもあたたけき)尚存之際,剝(はぎ)所纏(まける)御手(みて)玉釧(たま鈕)持來(もちき),即(すなはち)與(あたへつ)己妻(おのがめ)!」乃(すなはち)給(たまひき)死刑(ころすつみ)也。【○夫之奴乎(そのおやつこや),第二人稱賤稱詞,此云大楯連。以己君(おのがきみ)指女鳥王者,蓋大楯連嘗仕之。】

 亦(また)一時(あるとき),天皇(仁德)為將豐樂宴(とよのあかり),幸行(いでまし)姬島(日女しま)。時鴈(かり)生卵(こ)於其島。爾,召武內宿禰命(建うちのすくねのおみこと),以歌問鴈生(うみ)卵之狀(かたち)。其歌曰:【○姬島(ひめしま)原文日女島(ひめしま),武內(たけうち)原文建內(たけうち)。】

 於是,武內宿禰命(建うちのすくねのおみこと),以歌語白(かたりてまをさく):

 武內宿禰命(建うちのすくねのおみこと)如此白而,受賜(被給)御琴(みこと),歌曰:【○受賜(たまはり)原文被給(たまはり)。】

 此者,壽歌(本岐うた)之片歌(かたうた)也。【○壽(ほき)原文ほき(本岐)以音,祝也。】

 此之(仁德)御世(みよ),菟寸河(とのきがは)之西有一高樹(たかきき)。其樹之影(かげ),當(あたれ)旦日(あさひ)者,逮(いたり)淡道嶋(あはぢのしま);當夕日(ゆふひ)者,越(こえき)高安山(たかやすやま)。故,切(きり)是樹以作(つくれる)船,甚捷行(いとはやくゆく)之船(ふね)也。時(ときに)號(なづけ)其船謂枯野(からの)。故以是船,旦夕(あしたゆふへ)酌(くみ)淡道嶋之寒泉(しみづ),獻(たてまつりき)大御水(おほみもひ)也。茲船破壞(やぶれこほれ)後,用以燒(やき)鹽(しほ),取其燒遺木(やけのこれるき)作琴(こと),其音(そのおと)響(ひびきき)七里(ななさと)。爾,歌曰:

 此者,志都歌(しつうた)之歌返(うたひかへし)也。【○志都歌(しつうた)乃歌之詠唱法。宮廷樂府樣式化時,以上述天皇、皇后對歌與此枯野琴詩為範。】

 此天皇(仁德)之御年(みとし),捌拾參歲(やそあまりみとせ)。【丁卯年(ひのとのうのとし)八月(はつき)十五日(とをあまりいつか)崩也(かむあがりき)。】御陵(みさざき),在百舌鳥耳原(毛受之みみはら)也。【○百舌鳥(もず)原文もず(毛受)以音。】


二、輕王子與衣通姬之悲戀

 子(仁德),去來穗別王(伊耶本和氣のみこ),坐磐余(伊波禮)之若櫻宮(わかさくらのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),履中天皇(りちゅうてんわう)。去來穗別(いざほわけ)、磐余(いはれ)原文いざほわけ(伊耶本和氣)、いはれ(伊波禮)以音。】

 此天皇(履中),娶葛城襲津彥(かづらき之曾都毘古)子葦田宿禰(あしだのすくね)之女(むすめ)黑姬命(くろ比賣のみこと)。【○襲津彥(そつひこ)原文そつひこ(曾都毘古)以音。】
  生御子,市邊忍齒王(いちのへ之おしはのみこ)。
  次,御馬王(みまのみこ)。
  次妹,青海郎女(あをみのいらつめ),亦名飯豐郎女(いひどよのいらつめ)。【三柱(みはしら)。○亦名忍海郎女(おしぬみのいらつめ)】

 天皇(すめらみこと)本(もと)坐難波宮(なにはのみや),當大嘗(おほにへ)祭而為豐明(とよのあかり)宴之時,酣飲(宇良宜)大御酒(おほみき)而御寢也(みねしき)。爾其弟墨江中王(すみのえのなかつみこ)欲取(とらむ)天皇(履中),以火著(つけき)大殿(おほとの)。【○酣飲(うらげ)原文うらげ(宇良宜)以音,心揚(うらあげ)之略。】
 於是(ここに),倭漢直(やまとのあやのあたひ)之祖阿知直(あちのあたひ),盜(ぬすみ)攜天皇出(いだし)宮,使乘御馬(みま),令幸(いでまさしめき)於倭(やまと)。
 故,天皇(履中)到于丹比野(多遲ひの)而寤(さめ),詔(のりたまひ):「此間(ここ)者何處(いづく)?」阿知直白(まをし):「墨江中王(すみのえのなかつみこ)火(ひ)著大殿,故率(ゐて)逃(にげぐる)於倭(やまと)。」爾天皇(履中)歌曰:【○丹比(たぢひ)原文たぢひ(多遲比)。】

 到於埴生坂(波邇賦ざか),望見(のぞみみる)難波宮(なにはのみや)。其火(そのひ)猶炳(なほあかし)。爾天皇(履中)亦歌曰:【○埴生(はにふ)原文はにふ(波邇賦)以音。】

 故,到幸(いたりいでまし)大坂(おほさか)山口(やまぐち)之時,遇(あひき)一(ひとり)女人(をみな)。其女人白之(まをししく):「持(もてる)兵(つはもの)人等(ひとども),多塞(あまたにふさげり)茲山(このやま)。應(べし)自(より)當麻道(當岐麻ち)迴(めぐり)而越幸(こえいでます)。」爾天皇(履中)歌曰:【○當麻(たぎま)原文當岐麻(たぎま)。】

 故天皇(履中)上幸(のぼりいでまし),坐石上神宮(いそのかみのかむみや)也。

 於是,其(履中)胞弟(伊呂ど)瑞齒別命(水はわけのみこと),參赴(まゐおもぶき)令謁(まをさしめき)。爾天皇(履中)令詔:「吾(あれ)疑(うたがへり)汝命(ながみこと)若(もし)與墨江中王(すみのえのなかつみこ)同心(おなじこころ)乎,故不相言(あひいはじ)。」瑞齒別命(みづはわけのみこと)答白:「僕(やつかれ)者無穢邪心(きたなきあしきこころ),亦不同(おなじくあらず)墨江中王。」亦,令詔:「然者(しからば),汝今還下(かへりくだり),殺(ころし)墨江中王而上來(のぼりこ)。彼時(そのとき),吾必(かならず)相言。」
 故,瑞齒別命(みづはわけのみこと)即還下難波(なには),欺(あざむき)墨江中王(すみのえのなかつみこ)之近習(ちかくつかへ)隼人(はやと)曾婆訶理(そば加り)云:「若(もし)汝從(したがはば)吾言(あがこと)者,吾(あれ)為天皇(すめらみこと),汝(なむち)作大臣(おもおみ),治天下(あめのした)。奈何(那何)?」曾婆訶理(そばかり)答白:「隨命(みことのまにまに)。」爾瑞齒別命(みづはわけのみこと)賜(給)其隼人多祿(あまたのたまひもの)曰:「然者(しからば),殺汝王(なむちがきみ)也!」於是曾婆訶理(そばかり)竊伺(ひそかにうかかひ)己王(墨江中王)入廁(かはや),以矛(ほこ)刺(さし)而殺也(ころしき)。【○曾婆訶理(そば加り)或書曾婆加理(そばかり),書紀作刺領巾(さしひれ)。奈何(いかに)原文作那何(いかに)。賜(たまひ)原文給(たまひ)。】

 故率(ゐ)曾婆訶理(そばかり)上幸(のぼりいでます)於倭(やまと)之時,到大坂(おほさか)山口。瑞齒別命(みづはわけのみこと)以為(おもひ):「曾婆訶理(そばかり),雖為(ため)吾有大功(おほきいさを),輙殺己君(おのがきみ),既(すでに)是不義(ことわりならず)。然不褒(賽)其功,可謂(いひつべし)無信(まことなし)。既行(おこはふ)其信,還惶(おそりむ)其情(こころ)。故,雖報(むくゆ)其功(いさを),滅(ほろぼさむ)其正身(ただみ)。」是以語(かたり)曾婆訶理(そばかり):「今日(けふ)留此間(ここ)而先給大臣位(おほおみのくらゐ),明日(あす)上幸。」留其山口(やまぐち),即造假宮(かりみや),忽(たちまち)為豐樂宴(とよのあかり),乃賜(たまひ)大臣位於其隼人(はやと),令百官(もものつかさ)拜之(おろがましめき)。隼人歡喜(よろこび),以為(おもひき)遂(とげつ)志(こころざし)。【○不褒(むくいず)原文不賽(むくいず)。】
 爾王子(瑞齒別命)詔其隼人(曾婆訶理):「今日與大臣(おほおみ)飲同盞(おなじさかづき)酒。」共飲(ともにのむ)之時,以隱面(おもてをかくす)大鋺(おほまり),盛(もりき)其進酒(すすむるさけ)。於是,王子(みこ)先飲(まづのみ),隼人後飲(のちにのみき)。故其隼人(はやと)飲時,大鋺覆(おほひき)面。王子(瑞齒別命)遂取出(とりいだし)置席下(むしろのした)之劍(つるぎ),斬其隼人之頸(くび)。乃明日(あくるひ)上幸。故號(なづけ)其地,謂近飛鳥(ちかつあすか)也。
 王子(瑞齒別命)上到(のぼりいたり)于倭(やまと),詔之:「今日留(とどまり)此間,為祓禊(みそぎ)而明日(あす)參出(まゐいで)。將拜(をろがまむ)神宮(かむみや)。」故號其地(そこ),謂遠飛鳥(とほつあすか)也。故拜謁之後,瑞齒別命(みづはわけのみこと)參出石上神宮(いそのかみのかむみや),令奏(まをさしめし)天皇(履中):「政(まつりごと)既(すで)平訖(たひらげをはり),參上侍之(はべり)。」爾天皇(すめらみこと)召入(めりいれ)而相語也(あひかたりき)。

 天皇(履中)於是以阿知直(あちのあたひ)始任(はじめてまけ)藏官(くらのつかさ),亦給(たまひき)糧地(たどころ)。
 亦此御世(履中),於若櫻部臣(わかさくらべのおみ)等,賜(たまひ)若櫻部名(な)。又姬陀君(比賣だのきみ)等賜姓(かばね),謂姬陀(比賣だ)之君(きみ)也。亦定(さだめき)磐余部(伊波禮べ)也。【○磐余(いはれ)原文いはれ(伊波禮)以音。】

 天皇(履中)之御年(みとし),陸拾肆歲(むそあまりよとせ)。【壬申年(みづのえさるのとし)正月(むつき)三日(みか),崩(かむあがりき)。】御陵(みさざき),在百舌鳥(毛受)也。【○百舌鳥(もず)原文もず(毛受)以音。稱百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)。】


 
弟(履中),瑞齒別命(水はわけのみこと),坐多治比(たぢひ)之柴垣宮(しばかきのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),反正天皇(はんぜいてんわう)。】

 此(反正)天皇(すめらみこと),御身(みみ)之長(たけ),九尺(ここのさか)二寸半(ふたきなかば)。御齒(みは)長(ながさ)一寸(ひとき),廣(ひろさ)二分(ふたきだ),上下(かみしも)等齊(ひとしくととのひ),既(すでに)如(ごとし)貫珠(たまにぬける)。

 天皇(反正),娶(めとり)和邇(丸邇)之木事臣(許碁登のおみ)之女(むすめ)都怒郎女(つののいらつめ)。【○和邇(わに)、木事(こどと)原文わに(丸邇)、こどと(許碁登)以音。】
  生御子,甲斐郎女(かひのいらつめ)。
  次,圓郎女(都夫良のいらつめ)。【二柱。○圓(つぶら)原文つぶら(都夫良)以音。】
 又娶同臣(和邇木事)之女弟姬(おと比賣)。
  生御子,財王(たからのみこ)。
  次,高部郎女(多訶辨のいらつめ)。【○高部(たかべ)原文たかべ(多訶辨)以音。】天皇(反正)御子(みこ),并(あはせ)四王(よはしらのみこ)也。

 天皇(反正)御年(みとし),陸拾歲(むそとせ)。【丁丑年(ひのとのうしのとし)七月(ふみづき),崩(かむあがりき)。】御陵(みさざき),在百舌鳥野(毛受の)也。【○百舌鳥(もず)原文もず(毛受)以音。】



履中天皇 磐余稚櫻宮跡


飯豐天皇 埴口丘陵
飯豐郎女,後於皇位未定之間,坐忍海角刺宮,代治天下。


前期難波高津宮 復原模型
履中帝本坐難波宮,逢墨江中王火著大殿,遂遷磐余。

帝寤醉聞叛歌:「多遲比野兮 若知寢在丹比野 當持來立薦 今寤方知寢此野 早知當攜立薦來」望難波宮燔燒歌:「今立埴生坂 身處波邇賦坂上 顧眄難波宮 所見陽炎燃家群 其是當吾妻家邊」


大坂山口 飛鳥山
履中帝謝少女歌:「河內大和堺 大坂所遇娘子矣 問道彼少女 不告近道訴遠路 諫吾迂當藝麻道」


山邊道 石上神宮


隼人 大住隼人舞
隼人久為皇室近侍,語見山海易幸段。曾婆訶理者,紀作刺領巾。


墨江中王之亂相關經路圖


石上神宮拜殿


阿知直 阿知使主


履中天皇 百舌鳥耳原南陵


反正天皇 丹比柴籬宮跡

百舌鳥古墳群 仁德履中反正陵


反正天皇 百舌鳥耳原北陵

 弟(反正),男朝津間若子宿禰王(を淺つまわくごのすくねのみこ),坐遠飛鳥宮(とほつあすかのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),允恭天皇(いんぎょうてんわう)。】

 此天皇(允恭),娶大大迹王(意富本杼のみこ)之妹忍坂大中津姬命(おしさか之おほなかつ比賣)。【○大大迹(おほほど)原文おほほど(意富本杼)以音。】
  生御子,木梨之輕王(きなしのかるのみこ)。
  次,長田大郎女(ながたのおほいらつめ)。
  次,境之黑彥王(さかひのくろ日子のみこ)。
  次,穴穗命(あなほのみこと)。【○安康天皇(あんかうてんわう)。】
  次,輕大郎女(かるのおほいらつめ)。亦名(またのな),衣通郎女(そとほりのいらつめ)。【御名(みな)所以(ゆゑ)負(おふ)衣通王(そとほりのみこ)者,其身之光(そのみのひかり),自衣(そより)通出(とほりいづれ)也。】
  次,八瓜之白彥王(やつりのしろ日子のみこ)。
  次,大長谷命(おほはつせのみこと)。【○雄略天皇(いうりゃくてんわう)。】
  次,橘大郎女(たちばなのおほいらつめ)。
  次,酒見郎女(さかみのいらつめ)。【九柱(ここのはしら)。】
 凡天皇(允恭)之御子等,九柱。【男王(をとこみこ)五,女王(をみなみこ)四。】
  此九王之中,穴穗命(安康)者,治(しろしめし)天下也。
  次,大長谷命(雄略),治天下也。

 天皇(允恭)初(はじめ)將為所治(しらさむ)天津日繼(あまつひつぎ)之時,天皇(すめらみこと)辭(いなび)而詔之(のりたまひ):「我者有一長病(ながきやまひ),不得(えじ)所治(知)日繼(ひつぎ)。」然因(より)始大后(おほきさき)以下,諸(もろもろ)卿等(まへつきみたち)之堅奏(かたくまをす),乃(すなはち)治天下(あめのした)。【○天津日繼(あまつひつぎ),皇位。()。治(しらす)原文知(しらす)。長病(ながきやまひ)即宿疾,又書紀作篤疾(あつきやまひ)。】
 此時,新羅(新良)國主(くにぎみ),貢進(たてまつりき)御調(みつき)八十一艘(やそあまりひとふね)。爾,御調之大使(おほきつかひ)金波鎮(こむはちに)漢紀武(かきむ)。此人,深知(ふかくしれり)藥方(くすりのみち),故治癒(をさめ差)帝皇(すめらみこと)之御病(みやまひ)。【○新羅(しらき)原文新良(しらき)。金波鎮漢紀武(こむはちにかきむ),金、波鎮、漢紀、武,別為姓、爵、王族號、名。癒(いやしき)原文差(いやしき)。】

 於是,天皇(允恭)愁(うえへ)天下(あめのした)氏氏名名人等(うぢうぢななのひとら)之氏姓(うぢかばね)誤謬忤過(たがひあやまれる),而於甘白檮(味かし)丘之言八十禍津日前(ことやそまがつひのさき),据(居)盟神探湯瓮(玖訶へ),以定賜(さだめたまひき)天下之八十伴緒(やそ友のを)氏姓(うぢかばね)也。【○忤過(たがひあやまれる),誤謬。甘白檮(あまかし),原文味白檮(あまかし),甘樫丘。据(すゑ)原文居(すゑ)。言八十禍津日前(ことやそまがつひのさき),蓋指行盟神探湯(くかたち)之地。言即言語,八十禍津日(やそまがつひ)乃禍神。盟神探湯(くか)原文くか(玖訶)以音。】
 又,為木梨之輕太子(きなしのかるのひつぎのみこ)御名代(みなしろ),定輕部(かるべ)。為大后(忍坂大中姬)御名代,定(さだめ)刑部(おしさかべ)。為大后(おほきさき)之妹(弟)田井中姬(たゐのなかつひめ)御名代,定河部(かはべ)也。

 天皇(允恭)御年(みとし),柒拾捌歲(ななそあまりやとせ)。【甲子年(きのえうまのとし)正月(むつき)十五日(とをあまりいつか),崩(かむあがりき)。】御陵(みさざき),在河內(かふち)之惠賀長江(ゑがのなが枝)也。【○長江(ながえ)原文長枝(ながえ),惠我長野北陵(ゑがのながののきたのみささぎ),與仲哀陵相接。】

 天皇(允恭)崩之後(のち),定木梨之輕太子(きなしのかるのひつぎのみこ)所治(知らす)日繼(ひつぎ)。然未即位(いまだくらゐにつかぬ)之間,通(姦)其胞妹(伊呂いも)輕大郎女(かるのおほいらつめ)而歌曰(うたひていはく):【○通(たはけ)原文姦(をかし)。胞(いろ)原文いろ妹(伊呂)以音。】

 此者,尻舉歌(志良宜うた)也。【○尻舉(しらげ)原文しらげ(志良宜)以音,尻舉(しりあげ)之略。末句高揚之曲種。】
 輕王又(また)歌曰:

 此者,夷振(ひなぶり)之上歌(あげうた)也。故兄妹相姧之事,露顯。
 是以,百官(もものつかさ)及天下人等(あめのしたのひとら),咸背(そむき)輕太子(かるのひつぎのみこ)而歸(よりき)穴穗御子(あなほのみこ)。爾輕太子畏(かしこみ)而逃入(にげいり)物部(もののべ)大前小前宿禰(おほまへをまへのすくね)大臣(おほおみ)之家(いへ)而備作(ととのへつくりき)兵器(つはもの)。【爾時(そのとき)所作(つくれる)矢(や)者,銅(あかかね)其箭鋒(箭內),故號(なづけ)其矢謂輕箭(かるや)也。○箭鋒(やのさき)原文箭內(やのうち),古事記傳以為訛。銅鏃。】
 穴穗御子(あなほのみこ),亦(なた)作兵器。【此王子(みこ)所作之矢者,即今時(いま)之矢者也。是謂(いふ)穴穗箭(あなほや)也。○鐵鏃。】於是穴穗御子興(おこし)軍(いくさ),圍(かくみき)大前小前宿禰之家。爾到其(大臣)門(かど)時,零(ふりき)大冰雨(おほひさめ)。故,歌曰:

 爾,其大前小前宿禰(おほまへをまへのすくね),舉手(てをあげ)打膝(ひざをうち),儛奏(まひ訶那傳)詠歌參來(まゐきたり)。其歌曰:【○奏(かなで)原文かなで(訶那傳)以音。】

 此歌者,宮人振(みやひとぶり)也。

 大臣如此(かく)歌而參歸(まゐより)白之:「我天皇(あがすめらみこと)之御子(穴穗命),於胞兄王(伊呂ねのみこ)者莫(無)及(やる)兵(いくさ)。若(もし)及干戈(兵)相向者,必(かならず)為人咲(わらはむ)。僕(やつかれ),捕(とらへ)以貢進(たてまつらむ)。」【○干戈(つはもの)原文兵(いくさ)。】
 爾穴穗命解兵(いくさをとき)退坐(しりぞきましき)。故(かれ)大前小前宿禰,捕其輕太子(ひつぎのみこ),率參出(ゐでまゐいで)以貢進(たてまつりき)。其輕太子,被捕(とらへらえ)歌曰:

 又歌(うたひ)曰:

 故,其輕太子(かるのひつぎのみこ)者,流(ながしき)於伊豫湯(い余のゆ)也。亦將流(ながさむとせし)之時,歌曰:【○伊豫(いよ)原文伊余(いよ)。】

 此三歌(みつのうた)者,天田振(あまだぶり)也。

 輕太子又(また)歌曰:

 此歌者,夷振(ひなぶり)之片下(かたおろし)也。

 其妹衣通王(そとほりのみこ),獻(たてまつりき)歌。其歌曰:

 故,衣通姬後亦(のちにまた)不堪(たへず)戀慕(こひしのふ)而追往(おひゆき)。時歌曰:

 故,衣通姬追到(おひいたり)之時,輕太子待懷(まちむだき)而歌曰:

 又歌曰(いはく):

 如此歌(かくうたひ),即(すなはち)共(ともに)自死(みづからしにき)殉情。故此二歌者,讀歌(よみうた)也。



允恭天皇 遠飛鳥
允恭天皇遠飛鳥宮,所在未詳。


傳忍坂大中姬忍坂宮跡


衣通姬誕生地 玉津島明神


新羅使、百濟使、高麗使
允恭帝本以宿疾欲辭帝位,因皇后等固奏而登極。後新羅進調使金武深知藥方,癒其痼疾。


甘樫坐神社 盟神探湯神事
允恭帝憂天下氏姓誤謬,行盟神探湯於甘樫丘,以正姓氏。


允恭天皇 惠我長野北陵

木梨輕太子戀衣通姬歌其一:「足引勢險峻 陡峭山間作山田 以此山高聳 遂牽下樋引水流 下樋潺地底 吾避人目訪妹妻 竊泣不能止 吾啜泣兮戀吾妻 直至今夜者 方得心安觸汝膚」其二:「小竹笹葉間 霰雨零落擊笹葉 滴噠響確確 若在切率相寢後 佳人雖離吾不悔 若心仍愛戀 相寢纏綿相枕者 縱如刈薦之 亂離亂散隔兩地 若切率寢吾不悔」


衣通姬像 容姿絕妙艷色徹衣
穗穴命冰雨歌:「石上物部氏 大前小前宿禰者 今立金門蔭 如斯當速參來矣 切莫徒然待雨歇」 大前小前宿禰答歌:「百敷大宮人 足結小鈴落地響 太子竄出宮 宮人騷響圍此里 里人亦慎莫輕舉」


衣通姬繪姿
輕王被捕一:「雁翔天高迴 輕孃子兮吾妹妻 汝若甚泣者 此事將為天下知 宜若幡舍山 彼山鳩低鳴 暗自隱忍啜泣矣」二:「雁翔天高迴 輕孃子兮吾妹妻 確確參來之 寄通吾處相率寢 輕孃子兮吾妹妻」三:「高飛翔天際 飛鳥亦是通言使 若聞鶴高鳴 蓋是寄訊鳥使至 冀舉吾名尋吾事」四:「今將大君之 吾人流放僻島者 一猶船餘返 終將歸來臨此地 吾疊此間必不變 言雖訴疊者 心指愛妻我妹矣 冀汝莫變如往昔」


伊豫溫湯 道後溫泉
輕太子被捕,配流伊豫溫湯。
衣通姬戀慕獻歌其一:「夏草萎靡合 阿比泥濱相寢濱 濱上搔貝在 莫誤踏兮以傷足 當待夜明晨後通」 其二:「君往日已久 妾守空閨待日長 造木接骨木 故妾今出參迎矣 久待徒然不堪待」


輕之神社 輕太子與衣通姬共死

輕太子待懷衣通姬歌其一:「幽奧隱所兮 奈良長谷泊瀨山 於其大高峰 張立幡旗豎禮幡 亦於小低峰 張立幡旗豎禮幡 大小并備矣 欲定我倆仲睦和 親親思妻甚愛憐 手執槻弓而 橫置臥兮敬臥置 手執梓弓而 直置立兮敬立置 吾後亦欲善相待 親親思妻甚愛憐」其二:「幽奧隱所兮 奈良長谷泊瀨河 於河上流瀨 稜威齋杙打立豎 於河下流瀨 嚴壯真杙打立豎 亦於彼齋杙 澄明真鏡懸杙上 復於彼真杙 高貴真玉懸杙上 吾所思妹猶真玉 吾所思妻猶明鏡 愛屋及烏戀汝所 汝在家者欲訪家 汝在國者欲偲國 然汝今日身在此 故吾不復慕家國」


輕之神社 比翼塚、歌碑


安康天皇 石上穴穗宮跡


押木珠縵 新羅金冠
傳押木玉縵,即新羅金冠之疇。


安康帝信根臣讒言,誅大日下王,奪其妻長田大郎女為后。皇后先子目弱王知之,逆弒復讎。


安康天皇 菅原伏見西陵


坂合黑彥皇子墓


傳八釣白彥皇子墓


小治田 明日鄉村
白彥王為大長谷王引率至小治田活埋,埋至腰時,雙目飛迸而死。


葛城氏居館跡
經考古調查,其建物趾有燒失痕跡,或為葛城圓使主之宅。


來田綿蚊屋野 蚊屋野神社


磐坂市邊押磐皇子墓


志染石室 縮見山石室
市邊忍齒王之子億計、弘計王子聞難,遁隱播磨國縮見石室。

三、皇胤流離與顯宗日繼

 御子(允恭),穴穗御子(あなほのみこ),坐石上(いそのかみ)之穴穗宮(あなほのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),安康天皇(あんかうてんわう)。】

 天皇(すめらみこと),為胞弟(伊呂ど)大長谷王子(おほはつせのみこ),而遣(つかはし)坂本臣(さかもとののおみ)等之祖(おや)根臣(ねのおみ),至大日下王(おほくさかのみこ)之許(もと),令詔者(のりたまはしめしく):「朕欲(おもふ)以汝命之妹(ながみことのいも)若日下王(わかくさかのみこ),婚(あはせむ)大長谷王子。故期可貢(たてまつるべし)。」爾(しかくし)大日下王四拜(よたびをろがみ)白之:「吾不意若(もし)疑(うたがへり)有如此(かくある)大命(おほみこと)。故不出外(とにいださず)以置(おけり)吾妹於家也。是(これ),惶恐(かしこし)。必隨(まにまに)大命奉進(たてまつらむ)。」然(しかれども)思,僅言以(こともち)白事(まをすこと),其(それ)為無禮(ゐやなし),即令持(もたしめ)押木玉縵(おしき之たまかづら),為其妹(そのいも)之禮物(ゐやしろ)而貢獻(たてまつりき)。
 根臣(ねのおみ),即盜取(ぬすみとり)其禮物之玉縵,誣大日下王而讒(よこし)於天皇(安康)曰:「若日下王(わかくさかのみこ)者,不受(うけず)敕命(おほみこと)曰:『己(おのが)妹(いも)豈為等族(ひとしきうがら)之下席(したむしろ)!』而取橫刀(たち)之柄(手上)而怒歟(いかりつるか)。」【○等族(ひとしきうがら),同格之族。下席(したむしろ),此云以己妹為同格者之妻為恥。柄(つか)原文手上(たかみ)。歟(か),此為報告之際,仍未能置信之表現。】
 故天皇(安康)大怒(おほきにいかり),殺(ころし)大日下王而奪(取持來)其王(そのみこ)之嫡妻(むかひめ)長田大郎女(ながたのおほいらつめ),為皇后(おほきさき)。【○奪(奪ひ)原文取持來(とりもちき)。】

 自此以後(これよりのち),天皇(安康)為求夢諭,坐神牀(かむどこ)而晝寢(ひるね)。爾,語其后(長田大郎女)曰:「汝(なむち)有所思乎(おもふところありや)?」答曰:「被(かかぶれ)天皇(すめらみこと)之敦澤(あつきめぐみ),何(なにか)有所思。」
 於是,其大后(長田大郎女)之先子(さきのこ)目弱王(まよわのみこ),是年(これとし)七歲(ななとせ)。是王(このみこ),當(あたり)于其時(そのとき),遊(あそべり)其殿下(とののした)。爾,天皇(安康)不知其少王(わかきみこ)遊殿下,以詔大后(おほきさき)言:「吾(あれ),恒(つね)有所思。何者(なにとなれば),汝之子(なむちがこ)目弱王成人之時(ひととなりたらむとき),知吾殺其父王(ちちのみこ)者,還(かへり)為有邪心(あしきこころ)乎。」於是(ここに),所遊其殿下目弱王(まよわのみこ),聞取(ききとり)此言,便(すなはち)竊伺(ひそかにうかがひ)天皇(すめらみこと)之御寢(みね),乃取其傍大刀(そのかたはらのたち),打斬(うちきり)其天皇(安康)之頸(くび),逃入(にげいりき)圓使主(都夫良意富美)之家(いへ)也。【○圓使主(つぶらのおみ)原文つぶらおほみ(都夫良意富美)。】

 天皇(安康)御年(みとし),伍拾陸歲(いあまりむとせ)。御陵(みささき),在菅原(すがはら)之伏見岡(ふしみのをか)也。

 爾天皇胞弟大長谷王子(おほはつせのみこ),當時(そのかみ)童男(をぐな)。即(すなはち)聞此事,以慷愾怨怒(うれたみうらみいかり)。乃到(いたり)其兄(そのえ)黑彥王(くろ日子のみこ)之許(もと),曰:「人取(とりつ)天皇(すめらみこと),為(せむ)奈何(那何)?」然(しかれども)其黑彥王(くろ日子のみこ)不驚(おどろかず)而有怠緩之心(おこたりゆるへるこころ)。於是,大長谷王(おほはつせのみこ),詈(のり)其兄(黑彥王)言:「一(ひとつ)為(とあり)天皇,一為(とある)兄弟(はらから),何(なにか)無恃心(たのもしきこころ)?聞其兄(その)遭弒(殺),竟不驚(おどろかず)而怠乎(おこたれる)!」即握(とり)其衿(ころものくび)控出(ひきいだし),拔刀(たちをぬき)打殺(うちころしき)。【○奈何(いかにか)原文那何(いかにか)。弒(ころす)原文殺(ころす)。】
 亦到其兄白彥王(しろ日子のみこ)許而告狀(かたちをつぐる)如前(さきのごとし)。白彥王(しろひこのみこ)亦怠緩(ゆるへる)如黑彥王(くろ日子のみこ)。大長谷王即握其衿(ころものくび)以引率來(ひきゐてき),到小治田(をはりだ),堀(ほり)穴而隨立(たてながら)活埋(うづみ)。至埋腰(こし)時,白彥王(しろひこのみこ)兩目(ふたつのめ)走拔(はしりぬけ)而死(しにき)。

 大長谷王亦興軍(いくさをおこし),圍(かくみき)圓使主(都夫良意美)之家(いへ)。爾圓使主(つぶらおみ)興軍待戰(まちたたかひ),射出之矢(いいだすや),如葦(あし)來散(きちりき)。於是,大長谷王以矛(ほこ)為杖(つゑ),臨(のぞみ)其內(そのうち)詔:「我所相言之孃子(あひいへるをとめ)者,若(もし)在(有)此家乎?」【○圓使主(つぶらおみ)原文つぶらおみ(都夫良意美)以音。在(あり)原文有(あり)。】
 爾圓使主(都夫良意美)聞此詔命(おほみこと),自(みづから)參而出(まゐいで),解(とき)所佩(はける)兵(つはもの)而八度拜(やたびをろがみ)白者:「先日(さきのひ)所問賜之女子(とひたまへるをとめ),韓姬(訶良比賣)者,奉侍(はべらむ)。亦副(そへ)五處屯倉(いつところ之屯宅),以獻(たてまつらむ)。【所謂(いはゆる)五村(いつむら)屯宅(みやけ)者,今葛城(かづらき)之五村苑人(いつむらのそのひと)也。○韓姬(からひめ)原文からひめ(訶良比賣)以音。屯倉(みやけ)原文屯宅(みやけ)。】然其正身(ただみ)所以(ゆゑ)不參向(まゐむかはぬ)者,自往古(いにしへ)至今時(いま),聞(きけ)臣(おみ)、連(むらじ)隱(かくりし)於王宮(みこのみや),未聞(きかず)王子(みこ)隱於臣家(おもがいへ)。是以(ここをもち)思(おもふに),賤奴(いやしきやつこ)使主(意富美)者,雖竭力(ちからをつくし)戰(たたかふ),更(さらに)無可勝(かつべきことなけむ)。然(しかれども)恃己(おのれをたのみ)入坐(いりませる)于陋家(いやしきいへ)之王子(目弱王)者,死而不棄(しぬともすてじ)。」如此白(かくまをし)而亦取(とり)其兵(つはもの),還入(かへりいり)以戰(たたかひき)。
 爾圓使主(つぶらおみ)力窮(ちからつき)矢盡(やつきぬ),白(まをし)其王子(目弱王):「僕(やつかれ)者,手悉傷(ことごとくおひつ),矢亦盡(つきぬ)。今不得戰(たたかふことえず),何如(いかに)?」其王子(目弱王)答詔:「然者(しからば),更無可為(すべきことなし)。汝今殺(ころせ)吾。」故圓使主(つぶらおみ)以刀刺殺(さしころし)其王子(みこ),乃刎(切)己頸(おのがくび)以死也(しにき)。【○刎(はね)原文切(きり)。】

 自茲以後(これよりのち),近江(淡海)之狹狹城山君(佐佐紀やまのきみ)之祖(おや)韓帒(からふくろ)白:「近江(淡海)來田綿(久多綿)之蚊屋野(かやの),豬鹿(しし)多在(あまたあり)。其立足(たてるあし)者如莪原(うはぎのはら),指舉角(さしあげるつの)者如枯松(からまつ)。」此時,大長谷王相率(あひゐて)市邊之忍齒王(いちのへのおしはのみこ),幸行(いでまし)近江(淡海)。到其野者,各(おのおの)異(ことに)作假宮(かりみや)而宿(やどりき)。【○近江(あふみ)原文淡海(あふみ)。狹狹城(ささき)原文ささき(佐佐紀)以音。來田綿(くたわた)原文久多綿(くたわた)。】
 爾明旦(あくるあした),日未出之時(いまだいでぬとき),忍齒王(おしはのみこ)以平心(たひらけきこころ),隨乘(のりながら)御馬(みま),到立(いたりたち)大長谷王假宮(かりみや)之傍(かたはら),而詔其大長谷王子之御伴人(みともひと):「未寤(いまださめず)坐?可早白也(はやくまをすべし)。夜既曙訖(あけをはりぬ),可幸獦庭(かりには)。」乃進(すすめ)馬出行(いでゆきき)。
 爾侍(はべる)其大長谷王之御所(みもと)人等白(まをさく):「此王子(忍齒王),多云(いふ)不快別樣(宇多弖)事(物)矣。故(かれ),應慎(つつしむべし)。亦宜堅(かたむべし)御身(みみ)。」大長谷王子即衣中(きぬのうち)服(き)甲(よろひ),取佩(とりはき)弓矢(ゆみや),乘(のり)馬出行。儵忽之間(たちまちのあひだ),自馬(うまより)往並(ゆき雙),拔(ぬき)矢射落(いおとし)其忍齒王。乃亦切(きり)其身,入(いれ)於馬樎(うまふね),與土(つち)等埋(ひとしくうづみき)。【○別樣(うたて)原文うたて(宇多弖)以音,特別不快之意。並(ならび)原文雙(ならび)。】

 於是,市邊忍齒王(いちのへのおしはのみこ)之王子(みこ)億計王(意祁のみこ)、弘計王(袁祁のみこ)等,【二柱。○億計(おけ)、弘計(をけ)原文おけ(意祁)、をけ(袁祁)以音。】聞此亂(このみだれ)而逃去(にげさりき)。故到山城(山代)苅羽井(かりはゐ),食(はむ)御糧(みかりて)之時,面黥老人(おもてさけるおきな)來,奪(うばひき)其糧。爾其二王(ふたはしらのみこ)言:「不惜(をしまず)糧。然,汝(なむち)者誰人(たれ)?」答曰:「我者,山城(山代)之豬飼(ゐ甘)也。」故,逃渡(にげわたり)楠葉河(玖須婆之かは),至播磨國(針間のくに),入(いり)其國人(くにひと)縮(志自牟)之家(いへ),隱身(みをかくし),役(えだちき)於馬飼(うま甘)、牛飼(うし甘)也。【○山城(やましろ)、播磨(はりま)原文山代(やましろ)、針間(はりま)。飼(かひ)原文甘(かひ)。楠葉(くすば)、縮(しじむ)原文くすば(玖須婆)、しじむ(志自牟)以音。原文。】



雄略天皇 泊瀨朝倉宮傳承地


吳原 栗原 吳津彥神社


鰹木 元伊勢阿紀神社
鰹木或稱勝男木,筒狀,與千木並為神社、宮殿屋頂之代表性裝飾。


白山神社 萬葉集發燿讚仰碑
日本最古和歌集萬葉集,以雄略帝之歌為發端。此御世,詩歌多作。
贈若日下部王御歌:「草壁日下部 河內日下此方山 真菰重疊薦 生駒矢田平群山 此方彼方之 諸山群山峽谷間 繁茂植立榮 葉廣熊樫熊白檮 於彼樫根本 茂竹密生竹叢生 於彼樫末梢 繁竹多生竹叢生 茂竹也隱籠 不欲隱匿竊相寢 繁竹也切確 雖不確供率寢者 其後欲籠相寢兮 如此所思吾愛妻 嗚呼天晴矣」


三輪川 大和川


引田部赤豬子傳說地 秉田神社
雄略帝賜赤豬子歌其一:「三輪御諸山 稜威聖嚴白檮下 聖樫甚難近 猶彼聖樫忌忌哉 樫原童女甚難近」其二:「辟田引田之 若栗栖原稚栗林 於彼年稚時 若得率寢則益矣 惜兮吾今已老哉」


引田部赤豬子歌碑
其處有池,植有原始蓮群生。
赤豬子答歌其一:「三輪御諸山 三輪社所築玉垣 妾身付大神 今日當依誰得恃 侍奉不離神宮人」其二:「日下入江之 入江之蓮生茂茂 猶彼繁花蓮 身盛體壯猶稚人 令人稱羨亦妒哉」


吉野離宮、蜻蛉野 宮瀧遺跡
譽童女善儛御歌:「鎮居坐胡床 神之御手持奏曲 合彈琴瑟聲 童女起儛姿翩翩 願留此姿永常世」

帝讚蜻蛉歌:「偉哉御吉野 小室鳴武羅岳上 豬鹿雌伏矣 誰人孰者將此事 告諸大前奏上乎 八方治天下 八紘御宇我大君 靜待豬與鹿 立於胡床坐其上 白栲素織服 身著白袖具素織 吾人手腓上 虻蝱搔付噆吾臂 其噆吾臂虻 蜻蛉速來咋將去 如斯欲厥忠 欲負汝名留後世 今命虛空見 秀真日本大倭國 謂之秋津蜻蛉島」


雄略帝與大豬
雄略帝畏大豬,登榛而歌:「八方治天下 八紘御宇我大君 田獵遊射兮 狩豬嗔豬怒威暴 以畏其豬嗔呻聲 我故逃登竄樹上 在丘高岡上 高聳榛木堯枝矣」


葛城山


葛城坐一言主神社
天皇巡狩葛城山,御行伍恰如天皇行列,服儀無異、人眾無差。後知葛城一言主之大神是也。


春日 奈良公園
平城以東。金鉏岡所在未詳。
雄略帝見袁杼姬逃隱岡金鉏岡歌:「媛女袁杼姬 逃隱岡間匿其姿 若有金鉏鋤 若有金鉏五百箇 便得鉏撥掘土起」


葵祭 采女
三重婇求赦歌:「纏向日代宮 先帝景行坐宮者 彼是朝日日照宮 亦是夕日日光宮 竹根根足宮 復為木根根延宮 八百良兮杵築宮 真木榮兮檜御門 在其新嘗屋殿旁 百足生立槻枝者 高槻上枝覆高天 中枝覆吾嬬東國 下枝覆畿外夷鄙 上枝枝末葉 零落飄盪觸中枝 中枝枝末葉 零落飄盪觸下枝 下枝末葉落何處 華美晴在衣 三重采女所奉捧 精雕細琢瑞玉盞 下枝末葉如浮脂 漂落盞上若浮嶋 水鳴滾滾若凝嶋 潮沫凝成磤馭慮 如是誠惶甚畏恐 高光普下照 日御子兮我大君 冀將此事矣 願將吾述言語者 流傳延末世」大后見婇得赦歌:「大和大倭國 在其高處此高市 小高市高處 位彼市之高丘上 在其新嘗屋殿旁 繁生茂植立 葉廣聖兮齋真椿 猶彼葉兮蔭廣坐 若其花兮遍照坐 高光普下照 日御子兮我大君 願飲酩醴豐御酒 今獻御酒奉杜康 冀將此事矣 願將吾述言語者 流傳延末世」雄略帝答歌:「百敷百石城 殿上顯貴大宮人 彼等猶鶉鳥 懸取領巾披領巾 彼亦猶鶺鴒 長袖振尾相交行 彼亦猶庭雀 群集眾聚居一堂 今日亦饗宴 酒水漬之慶豐明 高光普下照 日之百敷大宮人 冀將此事矣 願將吾述言語者 流傳延末世」

帝與袁杼姬唱和一:「水濯水勢大 吾臣袁杼姬孃子 手取秀罇奉執矣 手執秀酒甕 堅執秀罇奉執之 確執堅執矣 確確彌堅持秀罇 手執秀罇美孃子」二:「八方治天下 八紘御宇我大君 每在朝日時 寄身倚立幸妾傍 每在朝暮時 寄身倚立幸妾傍 還願身化脇机下 机下板者永侍傍 麗壯吾兄君」


雄略天皇 丹比高鷲原陵
宮內廳合島泉丸山、島泉平塚古墳,治定為雄略天皇陵。

 大長谷若武命(おほはつせのわか建のみこと),坐長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),雄略天皇(いうりゃくてんわう)。】

  天皇(すめらみこと)娶(めとり)大日下王(おほくさかのみこ)之妹(いも)若日下部王(わかくさかべのみこ)。【無子(こなし)。】
 又娶圓使主(都夫良意富美)之女(むすめ)韓姬(から比賣)。【○圓使主(つぶらおほみ)原文つぶらおほみ(都夫良意富美)以音。】
  生御子,白髮命(しらかのみこと)。【○清寧天皇(せいねいてんわう)。】
  次妹,稚足姬命(わかたらし比賣のみこと)。【二柱。○稚足姬(わかたらし)原文若帶比賣(わかたらし),為伊勢齋宮(いせのいつきのみや)。】
 故為白髮太子(しらかのひつぎのみこ)之御名代(みなしろ),定(さだめ)白髮部(しらかべ)。又定長谷部舍人(はつせべのとねり),又定河瀨舍人(かはせのとねり)也。
 此時,吳人(くれひと)參渡來(まゐわたりきたり)朝。遂安置(おきき)其吳人於吳原(くれはら),故號(なづけ)其地(そこ)謂(いふ)吳原也。

 初大后(若日下王)坐日下(くさか)之時,天皇(雄略)自日下之直越道(ただこえのみち),幸行(いでましき)河內(かふち)。爾登(のぼり)山上(やまのうへ)望(のぞみ)國內(くにのうち)者,有舍屋(や)上(あげ)作(つくれる)鰹木(堅魚ぎ)之家(いへ)。天皇(雄略)令問(とはしめ)其家云:「其上鰹木(堅魚ぎ)作舍者,誰家(たがいへ)?」答白:「磯城(志幾)之大縣主(おほあがたぬし)家。」【○鰹木(かつをぎ)原文堅魚木(かつをぎ),神社、宮殿屋上之裝飾。磯城(しき)原文しき(志幾)以音。】
 爾天皇(雄略)詔者:「奴乎(やつこや)!造(つくれり)己家(おのがいへ)似(にせて)天皇之御舍(すめらみことのみあらか)!」即遣(つかはし)人,令燒(やかしめむ)其家。時其大縣主(おほあがたぬし),懼畏(おぢかしこみ)稽首(ぬかつき)白:「奴有者(やつこにしあれば),隨奴(やつこながら)不覺(さとらず)而僭禮過作(あやまちつくれる)。甚畏(いとかしこし)。故獻(たてまつらむ)祈(能美)之御幣物(みまひもの)。【○祈(のみ)原文のみ(能美)以音。】」布(ぬの)縶(かけ)白犬(しろきいぬ)著鈴(すずをつけ)而遣己族(おのがうがら),名謂腰佩(こしはき),令取犬繩(いぬのなは)以獻上(たてまつりき)。故令止(やめしめき)其著火(ひをつくる)。
 即,幸行(いでまし)其若日下部王(わかくさかべのみこ)之許(もと),賜入(たまひいれ)其犬,令詔(のりたまはしむ):「是物(このもの)者,今日(けふ)得道(みち)之奇物(あやしきもの)。故,以為娉物(都麻杼比之もの)。」於是(ここに),若日下部王,令奏(まをさしめ)天皇(雄略):「君貴日神之裔,背(そむき)日幸行之事(いでましつること),甚恐(いとかしこし)。故,己(おのれ)直參上(ただにまゐのぼり)而仕奉(つかへまつらむ)。」【○娉(つまどひ)原文つまどひ(都麻杼比)以音,妻問(つまどひ)。背日幸行,此云嚮西而來。】
 是以,天皇(雄略)還上坐(かへりのぼります)於宮(みや)之時,行立(ゆきたち)其山之坂上(さかのうへ),歌曰:

 亦一時(あるとき),天皇(雄略)遊行(あそびありき),到於三輪河(美和がは)時,河邊(かはのへ)有洗衣(きぬをあらふ)童女(をとめ),其容姿(かたち)甚麗(いとうるはし)。天皇(すめらみこと)問其童女:「汝(なむち)者誰子(たがこ)?」答白:「已名(おのがな)謂(いふ)引田部赤豬子(ひけたべのあかゐこ)。」爾,令詔(のりたまはしむ)者:「汝勿(不)嫁夫(を),今將喚矣(めしてむ)。」而還坐(かへりましき)於宮(みや)。【○三輪(みわ)原文美和(みわ)。勿嫁(あふな)原文不嫁(あはず),此詔赤豬子莫嫁他男,必喚入宮內。】
 故其赤豬子(あかゐこ),仰待(あふぎまち)天皇之命(みこと),既經八十歲(やそとせ)。於是,赤豬子以為(おもはく):「望命之間(みことをねがひつるあひだ),已經(へぬ)多年(あまたのとし)。姿體(かたち)瘦萎(やせしなえ),更無所恃(たのむところ)。然,非顯(あらはす)待情(まちつるこころ),不忍(たへじ)於悒(いふせき)。」而令持百取机代物(ももとり之つくえしろのもの),參出(まゐいで)貢獻(たてまつりき)。
 然,天皇(雄略)既忘先所命之事(おほせたまへること),問其赤豬子(あかゐこ)曰:「汝者誰老女(たがをみな)?何由(なにのゆゑ)以參來(まゐきつる)?」赤豬子答白(こたへまをし):「其年其月(それのとしそれのつき),被(かがふり)天皇之命(すめらみことのみこと),仰待大命(おおみこと)以喚禁中,至於今日(けふ),經(へぬ)八十歲。今容姿(かたち)既耆(すでにおい),更(さらに)無所恃,蒙幸無望。然欲顯白(あらはしまをさむ)己志(おのれがこころざし),以參出耳(のみ)。」於是,天皇(雄略)大驚(おほきにおどろき)詔曰:「吾既忘(わすれたり)先事(さきのこと)。然(しかれども)汝守(まもり)志待命,徒(いたづら)過盛年(さかりのとし),是甚愛悲(いとうつくしくかなし)。」心裏(こころのうち)欲婚(あはむ),悼(いたみ)其亟老(きはめておい),不得成婚(あひをなす),而賜(たまひき)御歌(みうた)。其歌曰:

 天皇(雄略)又歌曰:

 爾(しかくし)赤豬子(あかゐこ)之泣淚(なくなみた),悉(ことごとく)濕(ぬらしき)其所服(きたる)之丹摺袖(にずりのそで)。遂答其大御歌(おほみうた)而歌曰:

 赤豬子(あかゐこ)又歌曰:

 爾,賜(給)其老女(をみな)多祿(あまたのたまひもの),以返遣也(かへりやりき)。故此四歌(よつのうた)者,志都歌(しつうた)也。

 天皇(雄略)幸行(いでまし)吉野宮(よしののみや)。時吉野川(よしののかは)之濱(ほとり),有童女(をとめ)。其形姿(かたち)美麗(うるはし),故婚(あひ)是童女而還坐(かへりましき)於宮(長谷朝倉)。
 後更亦(さらにまた)幸行吉野(よしの)之時,留(とどめ)所遇(あへる)其童女(をとめ)之處,豎立(たて)大御吳床(おほみあぐら)。天皇(雄略)坐其御吳床而彈(ひき)御琴(みこと),令其孃子(をとめ)為儛(まひ)。爾,因其孃子之善儛(好まひし),作御歌。其歌曰:【○吳床(あぐら),付足之台座,高貴者之座席。善儛(よくまひ)原文好儛(よくまひ)。】

 即(すなはち)天皇(雄略)幸蜻蛉野(阿岐豆の)而御獦之時(みかりせしとき),天皇(すめらみこと)坐御吳床(みあぐら)。爾𧉫(あむ)咋御腕(みただむき),即有蜻蛉(あづき)來,咋(くひ)其𧉫而飛(とびき)。【訓蜻蛉云あづき(阿岐豆)也。○𧉫(あむ),虻(あむ)之古形。】於是,天皇(雄略)作御歌。其歌曰:

 故自(より)其時,號(なづけ)其野謂蜻蛉野(阿岐豆の)也。

 又(また)一時,天皇(雄略)登幸(のぼりいでましき)葛城之山上(かづらきのやまのうへ)。爾大豬(おほきゐ),出(いでき)。天皇(雄略)即以鳴鏑(かぶら)射(い)其豬。時其豬怒(いかり)而嗔吟(宇多岐)依來(よりきたり)。【嗔吟(うたき)原文うたき(宇多岐)以音,唸(うた)き。】故天皇(すめらみこと)畏其嗔吟(宇多岐),竄登(のぼり)榛(はり)上。爾,歌曰:

 又一時,天皇(雄略)登幸葛城山(かだらきのやま)。時百官人等(もものつかさのひとら),悉(ことごとく)賜(給)服(きたり)著(つけたる)紅紐(くれなゐのひも)之青摺衣(あをずりのころも)。
 其時,有人自其所向(むかへる)之山尾(やまのを)登山上(やまのうへ)。既(すでに)等(ひとしく)天皇(すめらみこと)之鹵簿(みゆきのつら),亦其束裝之狀(よそひのかたち)及人眾(ひとかず),相似(あひに)天皇之行列(みゆきのつら)而不傾(かたぶかず)。爾天皇(雄略)望(のぞみ),令問曰:「於茲(この)倭國(やまとのくに),除(おき)吾亦無王(きみ)。今誰人(たれ)如此而行(かくてゆく)?」即答曰之狀(こたへいふかたち),亦(また)如(ごとし)天皇之命(すめらみことのみこと)。於是,天皇(雄略)大忿(おほきにいかり)而搆矢(矢刺),百官人等悉搆矢(矢刺)張弦。其人等,亦皆搆矢(矢刺)。故天皇亦問(とひ)曰:「願告(のれ)其名(そのな)。爾,各(おのおの)告名而彈(はなたむ)矢。」於是答曰:「吾先見問(とはえつ),故吾先(まづ)為名告(なのり)。吾(あれ)者,雖(とも)惡事(あしきこと)而一言(ひとこと),雖善事(よきこと)而一言,訴斷言離之神(いひはなつかみ),葛城(かづらき)一言主之大神(ひとことぬしのおほかみ)者也!」【○山尾(やまのを),山裾延伸之處。鹵簿(みゆきのつら),行列(みゆきのつら)是也。搆矢(やさし)原文矢刺(やさし),張弓上矢指之之狀。】
 天皇(雄略)於是惶畏(おそりかしこみ)而白:「惶恐(かしこし),我大神(わがおほかみ)。是(有)顯臣(宇都志意美)者,不覺(さとらず)冒犯。」如此白而始(はじめ)收大御刀(おほみたち)及弓矢(ゆみや),令百官人等褪(脫)所服(きたる)之衣(ころも)以拜獻(をろがみたてまつりき)。爾其一言主大神(ひとことぬしのおほかみ),擊掌(手打)受其奉物(まつりもの)。故天皇(すめらみこと)之還幸(かへりいでます)時,其大神(一言主)之人眾,滿(みて)山末(やまのすゑ)於長谷山口(はつせのやまぐち),送奉(おくりまつりき)。故是一言主之大神者,彼時(そのとき)所顯(あらはれたる)也。【○顯臣(うつしおみ)原文うつしおみ(宇都志意美)以音,顯世之人臣。天皇雖為顯人神(あらひとがみ),然以肉身,不識大神。令褪(ぬかし)原文令脫(ぬかし)。擊掌(てうち)原文手打(てうち)。滿(みて)或云渡(わたり)之訛,未詳。】

 又天皇(雄略)欲婚(あはむ)和邇(丸邇)之皐月臣(佐都紀のおみ)之女袁杼姬(おど比賣),而幸行(いでまし)于春日(かすが)之時,道逢(みちにあひき)媛女(をとめ)。媛女即見幸行而逃隱(にげかくりき)岡邊(をかへ)。故天皇(雄略)作御歌。其歌曰:【○和邇(わに)、皐月(さつき)原文わに(丸邇)、さつき(佐都紀)以音,書紀作和珥臣深目(わにのおみふかめ)。袁杼姬(おどひめ)紀作童女君(わらはきみ)。】

 故,號(なづけ)其岡謂金鉏岡(かなすきのをか)也.

 又天皇(雄略)坐長谷(はつせ)之百枝槻下(ももえつきのした),為豐樂(とよのあかり)宴時,伊勢國(いせのくに)之三重婇(みへのうねめ),奉(指舉)大御盞(おほみさかづき)以獻(たてまつりき)。爾其百枝槻葉(は),落浮(おちうきき)於大御盞。其婇(うねめ)不知落葉(おちば)浮盞(さかづきにうける),猶(なほ)獻大御酒。天皇(すめらみこと)看行(みそこなはし)其浮盞之葉,打伏(うちふせ)其婇,以刀(たち)刺當(さし充)其頸(くび)。將斬(きらむ)之時,其婇白(まをし)天皇曰:「莫殺(ころすことなかれ)吾身(あがみ),有應白事(まをすべきこと)。」即歌曰:【○豐樂(とよのあかり),酒宴。婇(うねめ),采女(うねめ)。奉(さしあげ)原文指舉(さしあげ),奉觴。刺當(さしあて)原文刺充(さしあて)。】

 故獻此歌者,赦(ゆるしき)其罪(そのつみ)也。爾大后(若日下王),歌。其歌曰:

 即,天皇(すめらみこと)歌曰:

 此三歌(みつのうた)者,天語歌(あまがたりうた)也。故於此豐樂宴,譽(ほめ)其三重婇(みへのうねめ)而賜(給)多祿(あまたのたまひもの)也。

 是豐樂(とよのあかり)之日,春日之袁杼姬(かすがのおど比賣)亦獻大御酒(おほみき)之時,天皇(雄略)歌曰:

 此者,盞歌(宇岐のうた)也。爾袁杼姬(おど比賣)獻歌,其歌曰:【○盞(うき)原文うき(宇岐)以音,浮(う)き。】

 此者,志都歌(しつうた)也。

 天皇(雄略)御年(みとし),壹佰貳拾肆歲(ももあまりはたあまりよとせ)。【己巳年(つちのとのみのとし)八月(はつき)九日(ここぬか)崩也(かむあがりき)。】御陵(みさざき),在河內(かふち)之丹比高鸇(多治比たかわし)也。【○丹比(たぢひ)原文多治比(たぢひ)。】



清寧天皇 磐余甕栗宮跡


清寧天皇 河內坂門原陵


志染石室 縮見山石室
顯宗帝彰宗歌:「物部武人之 我君夫子之 所取佩腰間 砥研大刀柄之上 赤土丹畫著 又於其緒者 載有軍旗朱赤幡 立赤幡見者 重重五十隱 山之三尾御峰上 竹矣搔刈連根拔 梢末押撓縻魚簀 如此奏調八絃琴 所治八紘知天下 去來穗別履中帝 伊邪本和氣天皇 其御子兮市邊之 忍齒王之奴末者 市邊末裔吾是矣」


飯豐青尊 忍海角刺宮跡 鏡池

顯宗帝、鮪臣歌垣應答其一:「巍峨大宮之 皇居彼方端手處 軒隅壞傾居不安」其二:「大宮若壞傾 蓋為棟樑匠拙劣 方致軒隅傾不安」其三:「大君日御子 彼心怠慢方寸緩 故臣子之家 八重柴垣層層圍 大君無術入其間」其四:「潮瀨流且速 今見波折重幾重 游遊潮瀨間 鮪之鰭手鰭傍處 竟見吾契妻立兮」其五:「大君日御子 御子之宅圍柴垣 雖以八節縛 八節縛兮層層迴 終將綱斷彼柴垣 終將燔燼彼柴垣」其六:「嗚呼大魚矣 突銛刺鮪海人哉 其女若離者 汝當思慕衷戀歟 突銛刺鮪鮪臣哉」


海柘榴市 傳歌垣相闘之處


大伴金村征討平群真鳥
大伴金村征討平群真鳥、鮪父子。


億計、弘計王 王子儛
億計命以弘計命顯宗,堅讓天位。

 御子(雄略),白髮大倭根子命(しらかのおほやまとねこのみこと),坐磐余(伊波禮)之甕栗宮(みかくりのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),清寧天皇(せいねいてんわう)。】

 此天皇(清寧)無皇后(おほきさき),亦無御子(みこ)。故為御名代(みなしろ),定(さだめ)白髮部(しらかべ)。故天皇(すめらみこと)崩後(かむあがりしのち),無可治(しろしめすべき)天下(あめのした)之王(みこ)也。於是,問(とひ)所治(知らさむ)日繼(ひつぎ)之王(みこ)。市邊忍齒別王(いちのへのおしはわけのみこ)之妹(いも)忍海郎女(おしぬみのいらつめ),亦名飯豐王(いひどよのみこ)臨朝秉政,坐(いませき)葛城(かづらき)忍海之高木角刺宮(おしぬみのたかぎさしのみや)也。【○治(し)原文知(し)。按清寧崩時,記紀有別。御陵(みささぎ)在河內坂門原(かふちのさかとのはら)。】

 爾山部連小楯(やまべのむらじをだて),任播磨國(針間のくに)之宰(みこともち)時,到其國之人民(おほみたから)縮(志自牟)之新室樂宴(にひむろのあそび)。【○播磨(はりま)原文針間(はりま)。縮(しじむ)原文しじむ(志自牟)以音。】
 於是,盛樂(さかりにあそび)酒酣(さけたけなは),以(もちて)次第(つぎて)皆儛(みなまひき)。故燒火(ひをやく)少子(わらは)二口(ふたり),居竈傍(かまのかたはら),令其少子等(ども)儛。
 爾其一(そのひとり)少子曰:「汝兄(なね),先儛(まづまへ)。」其兄(そのえ)亦曰:「汝弟(なおと),先儛。」如此相讓之時(かくあひゆづりしとき),其會(そのつどへる)人等咲(わらひき)其相讓之狀(かたち)。爾,兄(億計)遂(つひに)儛訖(まひをはり),弟(弘計)次將儛(まはむ)時,為詠(うたとみし)曰:

 爾即小楯連(をだてのむらじ)聞驚(ききおどろき),自床(とこより)墮跌(おち轉)而逐出(追ひだし)其室人等(むろのひとども)。令二柱王子(ふたはしらのみこ)坐其左右膝上(ひだりみぎのひざのうへ),泣悲(なきかなしび)。故集(あつめ)人民(おほみたから)作假宮(かりみや),使王子等坐置(いませおき)其假宮而貢上(たてまつりき)驛使(はゆまづかひ)。於是,其姨(をば)飯豐王(いひどよのみこ),聞歡(ききよろこび)而令上(のぼらしめき)於宮(角刺)。【○墮跌(おちつまづく)原文墮轉(おちまろび)。逐出(おひだし)原文追出(おひだし)。】

 故,將治(いろしめさむ)天下(あめのした)之間,平群臣(へぐりのおみ)之祖(おや)鮪臣(志毘のおみ)立于歌垣(うたがき),執(取)其弘計命(袁祁のみこと)將婚(あはむ)之美人(をとめ)手。其娘子(をとめ)者,菟田首等(うだのおびとひとし)之女(むすめ)大魚(おふを)也。爾弘計命(袁祁のみこと)亦立(たちき)歌垣。於是,鮪臣(志毘のおみ)歌曰:【○鮪(しび)、弘計(をけ)原文しび(志毘)、をけ(袁祁)以音。執(とりき)原文取(とりき)。】

 如此(かく)歌而,乞(こひ)其歌末(うたのすゑ)之時,弘計命(袁祁のみこと)歌曰:

 爾鮪臣(志毘のおみ),亦歌曰:

 於是,王子(弘計)亦歌曰:

 爾鮪臣(志毘のおみ),愈怒(いよよいかり)歌曰:

 爾王子(弘計),亦歌曰:

 如此歌而,闘明(たたかひあかし)各退(おのおのしりぞきき)。
 明旦(あくるあした)之時,億計命(意祁のみこと)、弘計命(袁祁のみこと)二柱議(はかり)云:「凡(おほよそ)朝廷人等(みかどのひとら)者,旦(あした)參赴(まゐおもぶき)於朝廷(みかど),晝(ひる)集(つどへり)於鮪門(志毘がかど)。亦今者鮪(志毘),必寢(かならずいねたらむ)。亦其門無人(ひとなけむ)。故非今者,難(かたけむ)可謀(はかるべき)。」即興軍(くさをおこし)圍(かくみ)鮪臣(志毘のおみ)家,乃(すなはち)殺也(ころしき)。【○億計(おけ)原文おけ(意祁)以音。晝集於鮪門,此云阿附(おもねる)權勢。】

 於是,二柱(ふたはしら)王子等(みこたち),各相讓(あひゆづり)天下(あめのした)。兄億計命(意富祁のみこと)讓其弟弘計命(袁祁のみこと)曰:「住(すみし)於播磨(針間)縮(志自牟)家時,若汝命(ながみこと)不顯(あらはさず)名者,更(さらに)非(あらず)臨(のぞむ)天下之君(きみ)。是既(すでに)為汝命之功(いさを)。故吾(あれ)雖兄(え),猶(なほ)汝命先(まづ)治(しろしめよ)天下。」而堅讓(かたくゆづりき)。弘計命(袁祁のみこと)故不得(えず)辭(いなぶる)而先治天下(あめのした)也。



顯宗天皇 近飛鳥八釣宮跡


磐坂市邊押磐皇子墓
傳市邊忍齒王、佐伯部仲子同被害,屍骨交橫,雖置目相別髑髏,四肢竟不能辨,故造雙陵葬之。


村井御前社 祀置目老媼
顯宗帝聞鐸聲歌:「荒蔓淺茅原 小谷瘠地亦過兮 百傳驛鈴遠 鐸響鏗鏘遙可聞 置目來歟吾心欣」帝悲置目還歌:「倭帒置目兮 近江置目老嫗婦 明日過之後 致仕歸隱還深山 不得復見吾心悲」


河內 飛鳥川
顯宗帝斬豬飼老人於飛鳥河原,亦斷其族膝筋,以報當年奪糧之仇。


雄略天皇 丹比高鷲原陵
顯宗帝為人孝直,有仇報仇,有恩報恩。故厚待置目,斬殺飼豬,而欲毀雄略帝陵。仁賢帝止之。


顯宗天皇 傍丘磐坏丘南陵
顯宗帝崩,其兄仁賢帝繼天皇位。


仁賢天皇 石上廣高宮傳稱地


手白香皇女衾田陵 西殿塚古墳
手白髮郎女適繼體帝為皇后。


仁賢天皇 埴生坂本陵
仁賢帝治天下七年,壽五十而崩。

 去來穗別王(伊奘本わけのみこ)御子(履中),市邊忍齒王(いちのへのおしはのみこ)御子,弘計之石巢別命(袁祁のいはすわけのみこと)坐近飛鳥宮(ちかつあすかのみや),治天下(あめのした),捌歲(やとせ)也。【○漢謚(からのおくりな),顯宗天皇(けんぞうてんわう)。】

 天皇(顯宗)娶磐城王(石木のみこ)之女(むすめ)難波王(なにはのみこ),無子(こなし)也。【○磐城(いはき)原文石木(いはき)。難波王,書紀作磐城王孫難波小野王(なにはのをののみこ)。】

 此天皇(顯宗),求其父王(ちちみこ)市邊王(いちのへのみこ)之御骨(みかばね)時,在近江國(淡海のくに)賤老媼(いやしきをみな)參出(まゐいで)白:「王子(市邊忍齒)御骨所埋(うづみしところ)者,專(もはら)吾能知(よくしれり)。亦以其御齒(みは)可知(しるべし)。【御齒者,如三技忍齒(さきくさ押は)也。○御骨(みかばね),屍(かばね)也。忍齒(おしは)原文押齒(おしは),多層牙。】」
 爾起民(たみをおこし)堀土(つちをほり),求(もとめき)其御骨(みかばね),即獲(え)其御骨,而於其蚊屋野(かやの)之東山(ひむかしのやま),作御陵(みさざき)葬(はぶり)。以韓帒(からぶくろ)之子等(こら),令守(まもらしめき)其陵,然後(しかくしてのち)持上(もちのぼりき)其御骨也。
 故還上(かへりのぼり)坐而召(めし)其老媼(をみな),譽(ほめ)其不失(わすれず)見,貞(さだかに)知(しれる)其地(ところ),以賜名(なをたまひ)號(なづけき)置目老媼(おきめのおみな)。仍(すなはち)召入(めしいれ)宮內(みやのうち),敦廣(あつくひろく)慈賜(うつくしびたまひき)。故其老媼所住屋(すめるや)者,近作(ちかくつくり)宮邊(みやのへ),每日(ひごと)必召(かならずめしき)。故懸(かけ)鐸(ぬりて)大殿戶(おほとののと),欲(おもひし)召其老媼之時,必引鳴(ひきなしき)其鐸。爾天皇(顯宗)作御歌(みうた),其歌曰:

 於是(ここに)置目老媼白(まをし):「僕(やつかれ)甚(はなはだ)耆老(おいたり),欲退(まからむ)本國(もとつくに)。」故隨白(まをすまにまに)退時,天皇(顯宗)見送(みおくり)歌曰:

 天皇(顯宗),求(もとめき)其初(はじめ)逢難(わざはひにあひ)逃時(にげしとき),奪(うばひし)其御粮(みかりて)豬飼(ゐ甘)老人(おきな)。是得求(もとむる)喚上(めしあげ),斬(きり)於飛鳥河(あすかがは)之河原(かはら),亦皆(みな)斷(たちき)其族(そのうがら)之膝筋(ひざのすぢ)。【○豬飼(ゐかひ)原文豬甘(ゐかひ)。】是以(これをもちて)至(いたる)于今,其子孫(あなすゑ)上(のぼる)於倭(やまと)之日(ひ),必(かならず)自(おのづから)跛也(あしなへぐ)。故以能標見(見志米岐)其老所在(ありしところ),謂其地曰標(志米須)也。【○標見(みしめき)原文見しめき(み志米岐),占(しめ)き、標(しめ)き也。標(しめす)原文しめす(志米須)以音。】

 天皇(顯宗)深怨(ふかくうらみ)殺其父王(ちちみこ)之大長谷(雄略)天皇(すめらみこと),欲報(むくいむ)其靈(そのたま)。故欲(おもひき)毀(こほたむ)其大長谷(雄略)天皇之御陵(みさざき)而遣(つかはす)人之時,其胞兄(伊呂ね)億計命(意富祁のみこと)奏(まをし)言:「破壞(やぶりこほたむ)是御陵,不可遣(つかはすべくあらず)他人(あたしひと)。專(もはら)僕(やつかれ)自行(みづからゆき)。如天皇(すめらみこと)之御心(みこころ),破壞以參出(まゐいでむ)。」爾天皇(顯宗)詔:「然(しからば)宜隨命(みことのまにまに)幸行(いでまし)。」是以億計命(意富祁のみこと)自下(くだり)幸而,少掘(すこしほり)其御陵(みさざき)之傍(かたはら),還上(かへりのぼり)復奏(かへりことまをし)言:「既(すでに)堀壞也(ほりこほちつ)。」【○胞(いろ)原文いろ(伊呂)以音。】
 爾天皇(顯宗)異(あやしび)其早還上(はやくかへりのぼり)而詔:「如何(いかにか)破壞(やぶりほりこほちつる)?」答白:「少掘其陵之傍土(かたはらのつち)。」天皇(すめらみこと)詔之:「欲報(むくいむ)父王之仇(あた),必(かならず)悉(ことごとく)破壞其陵。何(なにぞ)僅少掘乎?」兄曰:「所以(ゆゑ)為然(しかしつる)者,父王(ちちみこ)之怨(あた),欲(おもふ)報其靈(たま),是誠(まこと)理(ことわり)也。然其大長谷(雄略)天皇(すめらみこと)者,雖為父之怨(ちちのあた),還(かへり)為我之從父(をぢ),亦治(しろしめし)天下(あめのした)之天皇(すめらみこと)。是今單(ひとへ)取父仇(ちちのあた)之志(こころざし),悉破(ことごとくやぶらば)治天下之天皇陵(みさざき)者,後人(のちのひと)必誹謗(そしらむ)。唯(ただ)父王之仇,非報(むくいずる)不可,故少掘(すこしほりつ)其陵邊(はかのへ),既以是恥(このはづかし),足(たれり)示(しめす)後世(のちのよ)。」如此(かく)奏者(まをせば),天皇(顯宗)答詔之:「是亦(これもまた)大理(おほきにことわり)。如命(みことのごとく)可也(よし)。」故天皇(顯宗)崩(かむあがりき),即以億計命(意富祁のみこと)治(知)天津日繼(あまつひつぎ)。【○治(し)原文知(し)。天津日繼(あまつひつぎ),皇統之謂也。】

 天皇(顯宗)御年(みとし)者,參拾捌歲(みそあまりやとせ)。治天下(あめのした)八歲(やとせ)。御陵(みさざき),在片岡(かたをか)之石坏岡上(いはつきのをかのうへ)也。


 
弘計王(袁祁のみこ)兄億計王(意富祁のみこ),坐石上廣高宮(いそのかみのひろたかのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),仁賢天皇(にんけんてんわう)。】

 天皇(仁賢)娶(めとり)大長谷若武(おほはつせのわか建)天皇(雄略)之御子(みこ)春日大郎女(かすがのおほいらつめ)。
  生御子,高木郎女(たかぎのいらつめ)。
  次,財郎女(たからのいらつめ)。
  次,樟冰郎女(久須毘のいらつめ)。【○樟冰(くすび)原文くすび(久須毘)以音。】
  次,手白髮郎女(たしらかのいらつめ)。
  次,小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)。【○武烈天皇(ぶれつてんわう)。】
  次,真若王(まわかのみこ)。
 又娶和邇日爪臣(丸邇のひつめのおみ)之女(むすめ)糠若子郎女(ぬかのわくごのいらつめ)。【○和邇(わに)原文丸邇(わに)。】
  生御子,春日山田郎女(かすがのやまだのいらつめ)。【○山田(やまだ),或本作小田(をだ)、少田(をだ)。】
 此天皇(仁賢)之御子(みこ)并(あはせ)七柱(ななはしら)。此之中(このなかに),小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと)者,治(しろしめす)天下(あめのした)也。


四、皇統斷絕與繼體持統

 小長谷若雀命(をはつせのわかさざきのみこと),坐長谷(はつせ)之列木宮(なみきのみや),治天下(あめのした),捌歲(やとせ)也。【○漢謚(からのおくりな),武烈天皇(ぶれつてんわう)。】

 此天皇(武烈)無太子(ひつぎのみこ)。故為御子代(みこしろ),定(さだめき)小長谷部(をはつせべ)也。

 御陵(みさざき),在片岡(かたをか)之石坏岡(いはつきのをか)也。

 天皇(武烈)既崩(かむあがりき),無可治(知らすべき)日續(ひづき)之王(みこ)。故令譽田(品太)天皇(すめらみこと)五世之孫(いつつぎのうまご)男大迹命(袁本杼のみこと),自近江國(近淡海のくに)上坐(のぼりいまさし),合(あはせ)婚於手白髮命(たしらかのみこと),授奉(さづけまつりき)天下(あめのした)也。【○治(し)原文知(し)。譽田(ほむだ)原文品太(ほむだ)。男大迹(をほど)原文をほど(袁本杼)以音。近江(ちかつあふみ)原文近淡海(ちかつあふみ)。武烈天皇無嗣,故招應神帝五世孫繼體與仁賢皇女手白髮命(たしらかのみこと)通婚,而承天位。】


 譽田(品太)天皇(應神)五世孫男大迹命(袁本杼のみこと),坐磐余(伊波禮)之玉穗宮(たまほのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),繼體天皇(けいたいてんわう)。男大迹(をほど)、磐余(いはれ)原文をほど(袁本杼)、いはれ(伊波禮)以音。】

 天皇(繼體)娶(めとり)三尾君(みをのきみ)等祖(おや)若姬(わか比賣)。
  生御子(みこ),大郎子(おほいらつこ)。
  次,出雲郎女(いづものいらつめ)。【二柱(ふたはしら)。】
 又娶尾張連(をはりのむらじ)等之祖凡連(おほしのむらじ)之妹(いも)目子郎女(めのこのいらつめ)。
  生御子,廣國押武金日命(ひろくにおし建かなひのみこと)。【○安閑天皇(あんかんてんわう)。武(たけ)原文建(たけ)。】
  次,武小廣國押楯命(建をひろくにおしたてのみこと)。【二柱。○宣化天皇(せんくわてんわう)。】
 又娶億計天皇(意富祁のすめらみこと)之御女(御子)手白髮命(たしらかのみこと)。【是(これ),大后(おほきさき)。】
  生(うみし)御子,天國排開廣庭命(あめくに押波流岐ひろにはのみこと)。【排開(おしはるき)原文おしはるき(押波流岐)以音。一柱(ひとはしら)。○欽明天皇(きんめいてんわう)。】
 又娶息長真手王(おきながのまてのみこ)之女麻組郎女(をくみのいらつめ)。
  生御子,荳角郎女(佐佐宜のいらつめ)。【一柱。○荳角(ささげ)原文ささげ(佐佐宜)以音。伊勢齋宮(いせのいつきのみや)。】
 又娶坂田大俣王(さかたのおほまたのみこ)之女黑姬(くろ比賣)
  生御子,神前郎女(かむさきのいらつめ)。
  次,茨田郎女(うまらたのいらつめ)。
  次,馬來田郎女(うまぐたのいらつめ)。【三柱(みはしら)。】
 又娶茨田連小望(うまらたのむらじをもち)之女關姬(せき比賣)。
  生御子,茨田大郎女(うまらたのおほいらつめ)。
  次,白坂活日郎女(しらさかのいくひのいらつめ)。
  次,小野郎女(をののいらつめ),亦名(またのな)長目姬(ながめ比賣)。【三柱。○小野郎女(をののいらつめ)原文野郎女(ののいらつめ),此依書紀校之。】
 又娶三尾君堅楲(みをのきみ加多夫)之妹倭姬(やまと比賣)。【○堅楲(かたぶ)原文かたぶ(加多夫)以音。】
  生御子,大郎女(おほいらつめ)。
  次,丸高王(まろたかのみこ)。
  次,耳王(みみのみこ)。
  次,赤姬郎女(あか比賣のいらつめ)。【四柱(よはしら)。】
 又娶阿倍荑姬(あへ之波延比賣)。【○荑(はえ)原文はえ(波延)以音。】
  生御子,若屋郎女(わかやのいらつめ)。
  次,圓郎女(都夫良のいらつめ)。【○圓(つぶら)原文つぶら(都夫良)以音。】
  次,阿豆王(あづのみこ)。【三柱。】
 此天皇(すめらみこと)之御子等,并(あはせ)十九王(とあまりここのはしらのみこ)。【男(をとこ)七,女(をみな)十二。】

  此之中(このなか),天國排開廣庭命(あめくに押波流岐ひろにはのみこと)者,治(しろしめす)天下(欽明)。
  次,廣國押武金日命(ひろくにおし建かなひのみこと),治天下(安閑)也。
  次,武小廣國押楯命(建をひろくにおしたてのみこと),治天下(宣化)。
  次,荳角王(佐佐宜のみこ)者,拜(をろがみき)伊勢神宮(いせのかむみや)也。

 此之(繼體)御世(みよ),竺紫君磐井(つくしのきみ石ゐ),不從(したがはず)天皇之命(すめらみことのみこと),而多無禮(ゐやなき)。故遣(つかはし)物部麤鹿火大連(もののべの荒甲のおほむらじ)、大伴金村(おほとも之かなむら)連(むらじ)二人,而殺(ころしき)磐井(石ゐ)也。【○磐井(いはゐ)原文石井(いはゐ)。】

 天皇(繼體)御年(みとし),肆拾參歲(よそあまりみとせ)。【丁未年(ひのとのひつじのとし)四月(うづき)九日(ここぬか),崩(かむあがりき)。】御陵(みさざき)者,三嶋之藍陵(みしまのあゐのみさざき)也。



武烈天皇 泊瀨列城宮趾


武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵
武烈帝歿,仁德天皇系子嗣斷絕。以故,日本書紀以暴君誌之。


繼體天皇 泊瀨列城宮傳承地


繼體帝母后振媛 高向宮跡
繼體帝父彥主人王薨後,振媛歸寧越前高向,奉養天皇。


荳角郎女 茨田真手御宿所跡
息長真手王孫荳角皇女時,始為齋宮任滿退下禊祓往還之宿所。


足羽山繼體天皇像 系圖


岡太神社 繼體天皇潛龍聖迹碑
繼體天皇即位以前所居越前宮跡。


物部麤鹿火、大伴金村


筑紫君磐井像 磐井墓


繼體天皇 三嶋藍野陵

 御子(繼體)廣國押武金日命(ひろくにおし建かなひのみこと),坐勾之金箸宮(まがりのかなばしのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),安閑天皇(あんかんてんわう)。】

 此天皇(安閑),無御子(みこ)也。【乙卯年(きのとのうのとし)三月(やよひ)十三日(とをあまりみか),崩(かむあがりき)。○此天皇(安閑),立億計(おけ)天皇女春日山田郎女(かすがのやまだのいらつめ)為皇后(きさき)。又立許勢男人(こせのをひと)女紗手姬(さてひめ)、紗手姬弟香香有姬(かかりひめ)、物部木蓮子(もののべいたび)女宅姬(やかひめ)為妃。並無嗣。遂立屯倉(みやけ),留名後代。故,小墾田屯倉(をはりだのみやけ),給紗手姬。櫻井(さくらゐ)屯倉,給香香有姬。難波(なには)屯倉,給宅姬。○此之(安閑)御世,廣設屯倉(みやけ)。置筑紫穗波(ほなみ)屯倉、鎌(かま)屯倉,豐國腠碕(みさき)屯倉、桑原(くははら)屯倉、肝等(かと)屯倉、大拔(おほぬく)屯倉、我鹿(あか)屯倉,肥國春日部(かすがべ)屯倉,播磨國越部(こしべ)屯倉、牛鹿(うしか)屯倉,備後國後城(しつき)屯倉,多禰(たね)屯倉、來履(くくつ)屯倉、葉稚(はわか)屯倉、河音(かはと)屯倉,婀娜國膽殖(いにゑ)屯倉、膽年部(いとしべ)屯倉,阿波國春日部屯倉,紀國經湍(ふせ)屯倉、河邊(かはへ)屯倉,丹波國蘇斯岐屯倉(そしきのみやけ),近江國葦浦(あしうら)屯倉,尾張國間敷(ましき)屯倉、入鹿(いるか)屯倉,上毛野國綠野(みどの)屯倉,駿河國稚贄(わかにへ)屯倉。】

 御陵(みさざき),在河內(かふち)之古市高屋村(ふるいちのたかやのむら)也。


 
弟(安閑)武小廣國押楯命(建をひろくにおしたてのみこと),坐檜坰(ひのくま)之廬入野宮(いほりのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),宣化天皇(せんくわてんわう)。】

 天皇(宣化)娶億計(意祁)天皇(仁賢)之御子(みこ)橘中姬命(たちばな之なかつ比賣のみこと)。【○億計(おけ)原文おけ(意祁)以音。】
  生御子,石姬命(いは比賣のみこと)。
  次,小石姬命(をいは比賣のみこと)。
  次,倉若江王(くら之わかえのみこ)。
 又娶(めとり)川內若子姬(かふち之わくご比賣)。
  生御子,火穗王(ほのほのみこ)。
  次,惠波王(ゑはのみこ)。
 此天皇(宣化)之御子(みこ)等,并(あはせ)五王(いつはしらのみこ)。【男(をとこ)三,女(をみな)二。】

  故,火穗王者,椎田君(志比陀のきみ)之祖。【○椎田(しひだ)原文しひだ(志比陀)以音。】
  惠波王者,豬名君(韋那のきみ)、丹比君(多治比のきみ)之祖也。【○豬名(ゐな)、たぢひ(多治比)原文ゐな(韋那)、たぢひ(多治比)以音。】

 【○天皇(宣化)御年(みとし),柒拾參歲。御陵(みさざき),在身狹桃花鳥坂上(むさのつきさかのへ)也。】


 
弟(宣化)天國排開廣庭天皇( あめくに押波流岐ひろにはのすめらみこと),坐磯城嶋大宮(師木しまのおおほみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな),欽明天皇(きんめいてんわう)。】

 天皇(欽明)娶檜坰(ひのくま)天皇(宣化)之御子石姬命(いは比賣のみこと)。【○檜坰天皇(ひのくまのすめらみこと)者,宣化帝也。坐檜坰之廬入野宮,故名。】
  生御子,八田王(やたのみこ)。
  次,沼名倉太玉敷命(ぬなくらのふとたましきのみこと)。【○敏達天皇(びだつてんわう)。】
  次,笠縫王(かさぬひのみこ)。【三柱。】
 又娶(めとり)其妹(石姬)小石姬命(をいは比賣のみこと)。【○其妹(そのいも)原文其弟(そのおと)。】
  生御子,上王(かみのみこ)。【一柱。】
 又娶春日之日爪臣(かすがのひつめのおみ)之女(むすめ)糠子郎女(ぬかこのいらつめ)。
  生御子,春日山田郎女(かすがのやまだのいらつめ)。
  次,椀子王(麻呂古のみこ)。【三柱。】
  次,蘇我倉王(宗賀之くらのみこ)。【○蘇我(そが)原文そが(宗賀)以音。】
 又娶蘇我稻目宿禰大臣(宗賀之いなめのすくねのおほおみ)之女堅鹽姬(岐多斯比賣)。【○蘇我(そが)、堅鹽(きたし)原文そが(宗賀)、きたし(岐多斯)以音。】
  生御子,橘豐日命(たちばな之とよひのみこと)。【○用明天皇(ようめいてんわう)。】
  次妹(いも),石坰王(いはくまのみこ)。【石坰王(いはくまのみこ),書紀作磐隈皇女(いはくまのひめみこ),為伊勢齋宮(いせのいつきのみや)。】
  次,足取王(あとりのみこ)。
  次,豐御食炊屋姬命(とよみ氣かしきや比賣のみこと)。【○推古天皇(すいこてんわう)。食(け)原文け(氣)以音。】
  次亦(また),椀子王(麻呂古のみこ)。
  次,大宅王(おほやけのみこ)。
  次,伊美賀古王(いみがこのみこ)。【○書紀作石上部皇子(いそのかみべのみこ)。】
  次,山代王(やましろのみこ)。
  次妹,大伴王(おほとものみこ)。
  次,櫻井玄王(さくらゐ之ゆみはりのみこ)。【○玄(ゆみはり)乃弦(ゆみはり)之略也。】
  次,麻怒王(まののみこ)。【○書紀作肩野皇女(かたののひめみこ)。】
  次,橘本若子王(たちばなもと之わくごのみこ)。
  次,泥杼王(ねどのみこ)。【十三柱。○書紀作舍人皇女(とねりのひめみこ)。】
 又娶堅鹽姬(岐多斯毘賣)之姨(をば)小兄姬(をえ比賣)。
  生御子,馬木王(うまきのみこ)。
  次,葛城王(かづらきのみこ)。
  次,間人穴太部王(はしひとのあなほべのみこ)。【○穴穗部間人皇后(あなほべのはしひとのきさき)。】
  次,三枝部穴太部王(さきくさべのあなほべのみこ)。亦名(またのな),皇弟(須賣伊呂杼)。【○皇弟(すめいろど)原文すめいろど(須賣伊呂杼)以音。】
  次,長谷部若雀命(はつせべのわかさざきのみこと)。【○崇峻天皇(すしゆんてんわう)。】【五柱。】
 凡此天皇(欽明)之御子(みこ)等,并(あはせ)廿五王(はたあまりいつはしらのみこ)。

  此之中(このなか),沼名倉太玉敷命(ぬなくらのふとたましきのみこと)者,治(しろしめす)天下(敏達)。
  次,橘豐日命(たちばな之とよひのみこと),治天下(用明)。
  次,豐御食炊屋姬命(とよみ氣かしきや比賣のみこと),治天下(推古)。
  次,長谷部若雀命(はつせべ之わかさざきのみこと),治天下(崇峻)也。并四王,治天下(あめのした)也。

 【○天皇(欽明)御陵(みさざき),在檜隈坂合(ひのくまのさかひ)也。】



安閑天皇 勾金橋宮趾


安閑天皇 古市高屋丘陵


宣化天皇 檜隈廬入野宮趾


岡太神社 皇子池
傳安閑、宣化二帝生誕時之產湯。


宣化天皇 身狹桃花鳥坂上陵
宣化帝、橘仲皇后,合葬於此陵。


欽明天皇 磯城嶋金刺宮址


佛教傳來之地碑
欽明朝,百濟聖明王獻釋迦佛金銅像、幡蓋、經論。佛教公傳。


善光寺緣起繪卷 蘇我稻目
欽明帝詔群臣議禮佛,遂以釋迦佛金銅像付蘇我稻目,祀於向原寺。


豐御食炊屋姬命 推古天皇像
推古天皇,史上首位女帝。以前雖有神功皇后、飯豐青尊臨朝稱制之事,而登極者實以推古帝為濫觴。


都塚古墳
特殊金字塔狀階梯式方墳。被葬者或云蘇我稻目,或云蘇我堅鹽姬。


穴穗部間人皇后與聖德太子像
間人穴太部王,適用明帝為后,生聖德太子。太子為推古朝攝政。


欽明天皇 檜隈坂合陵

 御子(欽明)沼名倉太玉敷命( ぬなくらのふとたましきのみこと),坐譯語田宮(他田のみや),治天下(あめのした),拾肆歲(とあまりよとせ)也。【○漢謚(からのおくりな),敏達天皇(びだつてんわう)。】

 此天皇(敏達),娶(めとり)庶妹(ままいも)豐御食炊屋姬命(とよみけかしきや比賣のみこと)。
  生御子,靜貝王(しづかひのみこ)。亦名(またのな),貝鮹王(かひたこのみこ)。
  次,竹田王(たけだのみこ)。亦名,小貝王(をかひのみこ)。
  次,小治田王(をはりたのみこ)。
  次,葛城王(かづらきのみこ)。
  次,鵜守王(宇毛理のみこ)。【○鵜守(うもり)原文うもり(宇毛理)以音。】
  次,尾張王(小張のみこ)。【○尾張(をはり)原文小張(をはり)以音。】
  次,田眼王(多米のみこ)。【○田眼(ため)原文ため(多米)以音。】
  次,櫻井玄王(さくらゐのゆみはりのみこ)。【八柱(やはしら)。】
 又娶伊勢大鹿首(いせのおほかのおびと)之女(むすめ)小熊子郎女(をぐまこのいらつめ)。
  生御子,太姬命(布斗比賣のみこと)。【○太(ふと)原文ふと(布斗)以音。】
  次,寶王(たからのみこ)。亦名,糠代姬王(ぬかしろ比賣のみこ)。【二柱。】
 又娶息長真手王(おきながのまてのみこ)之女廣姬命(比呂比賣のみこと)。【○廣(ひろ)原文ひろ(比呂)以音。】
  生御子,押坂彥人太子(忍さか日子ひとのひつぎのみこ)。亦名,椀子王(麻呂古のみこ)。【○押坂彥人(おしさかひこひと)原文忍坂日子人(おしさかひこひと)。】
  次,坂騰王(さかのぼりのみこ)。
  次,宇治王(宇遲のみこ)。【三柱。○宇治(うぢ)原文宇遲(うぢ)。】
 又娶春日中若子(かすがのなかつわくご)之女老女子郎女(をみなこのいらつめ)。
  生御子,難波王(なにはのみこ)。
  次,桑田王(くはたのみこ)。
  次,春日王(かすがのみこ)。
  次,大俣王(おほまたのみこ)。【四柱。】

  此天皇(すめらみこと)之御子(みこ)等,并(あはせ)十七王中,彥人太子(日子ひとのひつぎのみこ),娶庶妹(ままいも)田村王(たむらのみこ),亦名糠代姬命(ぬかしろ比賣のみこと)。
   生御子,坐(いまし)岡本宮(をかもとのみや)治(しろしめす)天下(あめのした)之天皇(舒明)。【○息長足日廣額命(おきながたらしひひろぬかのみこと),漢謚舒明天皇(じよめいてんわう)。】
   次,中津王(なかつみこ)。
   次,多良王(たらのみこ)。【三柱。】
  彥人太子(日子ひとのひつぎのみこ)又娶漢王(あやのみこ)之妹大俣王(おほまたのみこ)。
   生御子,茅渟王(智奴のみこ)。【○茅渟(ちぬ)原文智奴(ちぬ)。】
   次妹,桑田王(くはたのみこ)。【二柱。】
  彥人太子(日子ひとのひつぎのみこ)又娶庶妹玄王(ゆみはりのみこ)。
   生御子,山代王(やましろのみこ)。
   次,笠縫王(かさぬひのみこ)。【二柱。】并七王(ななはしらのみこ)。

  天皇(敏達),【甲辰年(きのえたつのとし)四月(うづき)六日(むゆか),崩(かむあがりき)。】御陵在河內科長(川ふちのしなが)也。【○河內(かふち)原文川內(かふち)。】


 
弟(敏達)橘豐日命(たちばなのとよひのみこと),坐池邊宮(いけへのみや),治天下(あめのした),三歲(みとせ)也。【○漢謚(からのおくりな),用明天皇(ようめいてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと),娶(めとり)稻目宿禰大臣(いなめのすくねのおほおみ)之女大堅鹽姬(意富藝多志比賣)。【○大堅鹽(おほぎたし)原文意富藝多志(おほぎたし)以音。】
  生御子,田目王(多米のみこ)。【一柱。○田目(ため)原文ため(多米)以音。】
 又娶庶妹(ままいも)間人穴太部王(はしひとのあなほべのみこ)。
  生御子,上宮廄戶豐聰耳命(かみつみや之うまやとのとよとみみのみこと)。【○聖德太子(しゃうとくたいし)。】
  次,久米王(くめのみこ)。
  次,植栗王(うゑくりのみこ)。
  次,茨田王(うまらたのみこ)。【四柱。】
 又娶當麻倉首廣(だきま之くらのおびと比呂)之女(むすめ)飯之子(いひのこ)。【○廣(ひろ)原文ひろ(比呂)以音。】
  生御子,當麻王(だきまのみこ)。
  次妹,酢香代子郎女(須加志呂古のいらつめ)。【○二柱。酢香代子(すかしろこ)原文酢香代子(すかしろこ)以音。書紀作酢香手姬(すかてひめ),為伊勢齋宮(いせのいつきのみや)。】
 此天皇(用明),【丁未年(ひのとのひつじのとし)四月(うづき)十五日(とをあまりいつか),崩(かむあがりき)。】御陵(みさざき)在磐余掖上(石寸のわきがみ),後(のち)遷(うつしき)科長中陵(しながのなかのみさざき)也。


 
弟(用明)長谷部若雀天皇(はつせべのわかさざきのすめらみこと),坐倉椅柴垣宮(くらはしのしばかきのみや),治天下(あめのした),四歲(よとせ)。【壬子年(みづのえのねのとし)十一月(しもつき)十三日(とをあまりみか),崩也(かみあがりき)。○漢謚(からのおくりな),崇峻天皇(すしゆんてんわう)。】

 御陵(みさざき),在倉椅岡上(くらはしのをかのうへ)也。


 
妹(崇峻)豐御食炊屋姬命(とよみけかしきや比賣のみこと),坐小治田宮(をはりだのみや),治天下(あめのした),卅柒歲(みそあまりななとせ)。【戊子年(つちのえねのとし)三月(やよひ)十五日(とをあまりいつか)癸丑(みづのとのうし),崩(かみあがりき)。○漢謚(からのおくりな),推古天皇(すいこてんわう)。】

 御陵(みさざき),在大野岡上(おほののをかのうへ),後遷(うつしき)科長大陵(しながのおほみさざき)也。


敏達天皇 譯語田幸玉宮傳承地
敏達帝,欽明帝第二皇子。其性不信佛法,而愛文史。


等彌神社末社 櫻井弓張神社
櫻井玄王,書紀作櫻井弓張皇女。


伊勢國分寺跡
伊勢國氏族大鹿氏,蓋以鈴鹿與多氣郡相可一帶為其本貫。按大鹿氏與中臣氏同族,並天兒屋命裔。


牧野古墳 傳押坂彥人太子墓
敏達帝第一皇子,為不含蘇我系血統之敏達王統第一人選。然以蘇我勢力抬頭之故,未即天位。舒明、天智、天武帝等,皆其子孫。


飛鳥岡本宮跡
舒明帝飛鳥岡本宮,營於飛鳥岡【雷丘。】之麓。遇灾燒失之後,齊明帝又築後飛鳥岡本宮。皇極帝飛鳥板蓋宮者,亦在同處。


傳茅渟王墓 平野塚穴山古墳


敏達天皇 河內磯長中尾陵


用明天皇 磐余池邊雙槻宮傳承地


聖德太子像與救世觀音像


用明天皇 河內磯長原陵
磐余掖上陵,所在未詳。


崇峻天皇 倉梯柴垣宮傳承地
蘇我馬子使東漢直駒,逆弒天皇。


推古天皇 小墾田宮跡
此天皇以聖德太錄攝政,頒憲法。

【古事記下卷 始仁德天皇,聖帝之世。迄推古帝治世,飛鳥朝濫觴。 終】

[古事記中卷] [久遠の絆] [再臨詔]