古事記 中卷


神武東征


神武東征
神武帝議兄弟曰:「東有美地,蓋六合中心。何不就而都之?」


皇宮屋 皇軍發祥之地碑
傳皇宮屋者,神武帝日向宮跡。


前賢故實 五瀨命、槁根津彥


男之水門舊蹟 男神社濱宮
五瀨命負傷,薨於雄水門。

一、東征發向

 神倭磐余彥命(かむやまと伊波禮毘古のみこと)與其胞兄(伊呂ね)五瀨命(いつせのおみこと)二柱(ふたはしら)【○(いろ),原文いろ(伊呂)以音。】高千穗宮(たかちほのおみや)議云(はかりていはく):「坐何地(いづく)者, 可(たひらけく)聞看(きこしめさむ)天下之政(あめのしたのまつりごと)歟?(なほ)(おもふ)東行(ひむかしにゆかむ)。」(すなはち)日向(ひむか)(たち)幸行(いでましき)筑紫(つくし)
 (かれ),到豐國(とよくに)宇沙(宇佐)之時,有土人(くにひと)二人(ふたり)。名宇沙都彥(うさつ比古)宇佐都姬(うさつ比賣)(つくり)足一騰宮(あしひとつあがりのみや)(たてまつりき)大御饗(おほみあへ)。故自其地(そこ)遷移(うつり),而坐於筑紫(つくし)岡田宮(をかだのみや)一年(ひととせ)(また)其國(筑紫)上幸(のぼりいでまし)(いましき)安藝國(阿岐のくに)多祁理宮(たけりのみや)七年(ななとせ)。亦從其國(安藝)遷上幸而坐於吉備(きび)高嶋宮(たかしまのみや)八年(やとせ)
 (かれ),從其國(吉備)上幸之時(のぼりいでまししとき),一人(のり)龜甲(かめのせ)(つり)揮袖(打羽拳)(くる)(あひき)速吸門(はやすひのと)。爾,喚歸(よびよせ)問之:「(なむち)誰也(たれぞ)?」答曰:「(やつかれ)國神(くにつかみ),名曰珍彥(宇豆毘古)。」又問:「汝者,知海道(うみぢ)乎?」答曰:「能知(よくしれり)。」又問:「(したがひ)仕奉乎(つかへまつらむや)?」答白:「仕奉(つかへまつらむ)!」故爾,指渡(さしわたし)(槁機)引入(ひきいれ)御船(みふね)。即賜名(なをたまひ)(なづけき)槁根津彥(さをねつ日子)【此者,倭國造(やまとのくにのみやつこ)等之(おや)揮袖(そでふり)原文打羽拳(うちはふる)(さを)原文槁機(さを)。速吸門在播磨國。

 故自其國(播磨)上行之時(のぼりゆきしとき),經浪速之渡(なみはやのわたり)(はてき)青雲(あをくも)白肩津(しらかたのつ)此時(このとき)鳥見長髓彥(登美能那賀須泥毘古)(おこし)(いくさ)鳥見長髓彥(とみのながすねびこ)原文とみのながすねびこ(登美能那賀須泥毘古)以音。】神倭磐余彥命待向(まちむかへ)(たたかひき),爾取所()御船(みふね)(たて)降立(おりたち)。故(なづけ)其地(そこ)楯津(たてつ)於今者(いまには)日下(くさか)蓼津(たてつ)也。

 於是(ここに),與鳥見彥(登美毘古)戰之時(たたかひしとき),五瀨命御手遭鳥見彥(登美毘古)痛矢(いたや)(くし)(おひき)傷。故爾,五瀨命詔:「(あれ)者為日神(ひのかみ)御子(みこ)(むかひ)日而戰,不祥(不良)。故(おひつ)賤奴(いやしきやつこ)痛手(いたて)。自今者,當行迴(ゆきめぐり)背負(せおひ)()神之威,隨影壓躡以(うたむ)敵!」如是(ちぎり)而,自南方(みなみのかた)迴幸(めぐりいでまし)。時到血沼海(ちぬのうみ)(あらひ)其御手之血。故(いふ)血沼海也。
 五瀨命從其地(血沼海)迴幸(めぐりいでまし),到紀國(きのくに)男之水門(をのみなと)而詔:「 慨哉!大丈夫(おひ)賤奴之手(いやしきやつこのて),將不報而(しなむ)耶!」語畢,雄詰(男建)(さりましき)。故(なづけ)水門(みなと)男水門(をのみなと)也。【○雄詰(をたけ),原文男建(をたけ)。雄雄怒吼之狀。】五瀨命(みさざき),即在紀國之竈山(かまやま)也。

二、靈劍韴靈與八咫烏

 故,神倭磐余彥命(かむやまと伊波禮毘古のみこと)其地(男水門)迴幸,到熊野村(くまののむら)。時有大熊(おほきくま)髣髴(ほのかに)出入(いでいり)(すなはち)(うせき)【○書紀作神吐毒氣。】神倭磐余彥命(かむやまと伊波禮毘古のみこと)儵忽(たちまち)(遠延)(また)御軍(みいくさ),皆(遠延)(ふしき)(をえ),原文をえ(遠延)以音。○意識矇矓之狀。
 此時,熊野(くまの)高倉下(たかくらじ)【此者人名(ひとのな)。】(もち)橫刀(たち)(いたり)天神(あまつかみ)御子(みこ)伏地(ふせるところ)獻之(たてまつりし)。時天神御子(すなはち)寤起(さめおき),詔:「長寢(ながくいねつる)(かも)!」
 故神倭磐余彥命受取(うけとり)橫刀(たち)之時,其熊野山(くまののやま)荒神(あらぶるかみ),皆(おのづから)切仆(きりたふさえき)。爾其惑伏(まとひふせる)御軍(みいくさ)(ことごとく)寤起之(さめおきき)

 故,天神御子(神武帝)問其()橫刀(たち)所由(ゆゑ)高倉下(たかくらじ)答曰:「己夢之(おのがいめみつらく):以天照大神(あまてらすおほかみ)高木神(たかぎのかみ)二柱神(ふたはしらのかみ)(みこと)(めし)武御雷神(建みかづちのかみ)(のりたまはく):『葦原中國(あしはらのなかつくに)者,(伊多玖)喧囂也(佐夜藝帝阿理那理)甚喧囂也(いたくさやげてありなり),原文いたく(伊多玖)さやげてありなり(佐夜藝帝阿理那理)以音,(いた)(さや)げて在也(ありなり)。】我之御子(わがみこ)等,(良志)不平穩(たひらかならず)哉。(その)葦原中國者,(もはら)汝所降服(言向)之國。故汝武御雷神(建みかづちのかみ)可降(くだるべし)!』(しかくし)答曰(こたへまをさく):『(やつかれ)雖不降(おらずとも),專有平其國之橫刀(そのくにをたひらげしたち),是刀可降(くだすべし)(くださむ)此刀(かたち)者,穿(うかち)高倉下之倉頂(くらのいただき)自其(それより)墮入(おとしいれむ)。故(なむち)良以探之(阿佐米余玖)取持(とりもち)(たてまつれ)天神(あまつかみ)御子(みこ)!』此刀(このたち),名云刀韴神(佐士布都のかみ),亦名云嚴韴神(甕布都のかみ),亦名韴御魂(布都のみたま)。此刀者,(います)石上神宮(いそのかみのかむみや)也。降服(ことむけ)原文言向(ことむけ),令其誓言從屬。良以探之(あさめよく),或云漁目良(あさめよ)く,或云朝目吉(あさめよ)く。此採前者。後者則早朝醒晤時所見之吉兆之意。(ごとく)夢教(いめのをしへ)(あした)己倉(おのがくら)者,()有橫刀。故(もち)是橫刀而獻耳(まつりつらくのみ)。」

 於是(ここに),高倉下亦以高木大神(たかぎのおほかみ)(みこと)()之:「天神御子(あまつかみみこ)自此(これより)之後,便(すなはち)(なかれ)入幸(いりいでます)奧方(おくつかた)荒神(あらぶるかみ)甚多也(いとおほし)。今自天(あめより)(つかはさむ)八咫烏(やあたからす)(かれ)其八咫烏將(引道),應從其()後,幸行(いでます)而可矣。」【○(さとし),原文書(さとし)(みちびき),原文書引道(みちびきてむ)(たつ),原文書(たつ)
 故神倭磐余彥命(まにまに)教諭(をしへ覺),從其八咫烏之(しりへ)幸行者,到吉野河(よしののかは)河尻(かはしり)。時有作(うへ)(うを)之人。爾天神御子(神武)問:「(なむち)者,(たれ)也?」(こたへ)白:「僕者國神(くにつかみ),名謂贄持之子(にへもつのこ)。」此者(これは)阿陀(あだ)鵜養(うかひ)(おや)。】
 從其地(吉野)幸行者,遇生尾人(をおひたるひと),自()出來(いできたり)。其井有(ひかり)。爾問:「汝者,誰也?」答(まをし):「(やつかれ)者國神,名謂井冰鹿(ゐひか)。」【此者,吉野首(よしののおびと)等祖也。冰鹿(ひか)(ひかり)之意。
 即入其山(吉野山)者,(また)遇生尾人。此人排分(押わけ)(いはほ)而出來。(しかくし)問:「汝者,誰也?」答曰:「僕者國神,名謂石押分之子(いはおしわくのこ)。今(ききつる)天神御子幸行(いでましぬ)(ゆゑ)參向耳(まゐむかへたらくのみ)。」【此者,吉野國巢(よしののくにす)之祖。排分(おしわけ)原文押分(おしわけ)。】
 神倭磐余彥命自其地(吉野)蹈穿(ふみうかち)越幸(こえいでましき)宇陀(うだ)。故曰宇陀之穿(うだのうかち)也。


神武天皇聖蹟熊野神邑顯彰碑


熊野 天磐楯 神倉神社
神武東征,皇軍遇毒氣於熊野,幸獲神劍於高倉下,遂得救。


物部氏氏神 布留社 石上神宮
以高倉下所奉持平國之劍布留御魂大神為神體。與須佐之男天十握劍布都斯魂大神共稱石上大神。


熊野本宮大社 八咫烏
高皇產靈神遣八咫烏以為導。

吉野山
八咫烏導神武帝至吉野。逢國神贄持之子、井冰鹿、石押分之子。


宇陀血原 宇陀郡血原橋
兄猾設押機,欲害天孫。以謀事洩,反自蹈機而壓死。時陳屍斬散,流血沒踝。故號宇陀血原。


血原橋近郊 石割峠

神武帝宇陀血原歌:「宇陀高城狩場間 欲捕鴫鳥張羂網 吾雌伏且待 欲獲鴫而鴫不至 反得勇細鯨 身陷罠網為所捕 假令老前妻 今來乞肴者 予若立柧棱 柧棱之實寥無幾 削取幾許聊與之 假令稚後妻 今來乞肴者 出嚴榊予之 嚴榊之實豐且富 幾許削取盛與之 噫噫【長音。】此奴子賤奴【此敵意者。】 嗚呼【長音。】此奴子賤奴【此嘲笑者。】


土蜘蛛草紙 土蜘蛛
大河朝廷稱不順之民為土蜘蛛。

久米歌其一:「忍坂大室屋 眾人入居此石窨 來入此屋敵者眾 雖入此屋敵者眾 威武不撓兮 武勇久米之子矣 今舉頭椎劍 復舉石椎劍 持劍擊敵止其息 武勇威猛兮 久米來目子等矣 今舉頭椎劍 復舉石椎劍 今時擊兮洽宜矣其二:「武勇威猛兮 久米來目子等矣 汝居垣本者 粟生在其處 臭韮一本粟田間 猶尋其根本 探其芽兮搜我敵 擊敵制勝止其息其三:「武勇威猛兮 武勇久米子等矣 汝居垣本者 辛味山椒植其處 食椒口炙疼 莫忘其痛今討讎 擊敵制勝止其息其四:「急甚神風兮 神嵐所拂伊勢海 海上大石間 細螺攀迴蝕彼石 攀迴細螺矣 吾子今猶此細螺 擊敵制勝止其息其五:「並楯欲上弦 楯射也伊那佐山 通彼山林間 行軍迴守望且戰 如此交戰者 吾軍弟兄飢疲憊 伶俐島鳥之 鵜飼伴等聽我命 今速助來勞飢疲


神武天皇東征路線圖


神倭磐余彥命 神武天皇像


畝火白檮原宮 橿原神宮

三、誅滅凶虜與一統天下

 故爾,於宇陀(うだ)兄猾(え宇迦斯)弟猾(おと宇迦斯)二人(ふたり)。故神倭磐余彥命(かむやまと伊波禮毘古のみこと)(まづ)(つかはし)八咫烏(やあたからす)問二人曰:「(いま)天神(あまつかみ)御子(みこ)幸行(いでましぬ)汝等(なむちら)仕奉乎(つかへまつらむや)?」於是(ここに)兄猾(え宇迦斯)(もちて)鳴鏑(かぶら)待射返(まちいかへしき)使(つかひ)(かれ)其鳴鏑所落之地(おちたることろ)(いふ)訶夫羅前(かぶらさき)也。【○(うかし)原文うかし(宇迦斯)以音,蓋地名穿(うかち)之意,此依書紀表之。訶夫羅(かぶら)鳴鏑(かぶら)也。】
 兄猾(えうかし)云:「將待擊(まちうたむ)!」而(あつめき)軍。然(いくさ)不得聚。遂欺佯(いつはり)仕奉(つかへまつらむ)而作大殿(おほきとの),復於其殿內(とののうち)押機(おし)(まちし),俟殺天孫。【○欺佯(いつはり)原文欺陽(いつはり)押機(おし)乃陷阱之一。】
 時弟猾(おと宇迦斯)(まづ)參向(まゐむかへ)天孫,(をろがみ)曰:「僕兄(やつかれがえ)兄猾(えうかし)射返(いかへし)天神御子之使(つかひ),將()待攻(まちせめむ)而聚軍。然不得聚,故(つくり)殿,其內張設(はり)押機,將待取(まちとらむ)矣。故先參向顯白(あらはしまをし)以惕。」
 爾,大伴連(おほとものむらじ)等之(おや)道臣命(みちのおみのみこと)久米直(くめのあたひ)等之祖大久米命(おほくめのみこと)二人,召兄猾(え宇迦斯)罵詈云(のりていはく):「(伊賀)所作(つくり)仕奉於大殿內(おほきとののうち)者,(意禮)先入(まづいり)明白(あかしまをせ)(まさり)仕奉(つかへまつらむ)(かたち)!」(すなはち)(にぎり)橫刀之柄(たちの手上)(由氣)(ほこ)()()追入(おひいれし)【○廝所作(伊賀つくり),原文いが所作(伊賀つくり),い為第二人稱蔑稱詞,が為存在動詞。(おれ)原文おれ(意禮),第二人稱(おのれ)之意。(つか)原文手上(たかみ)(かまへ)原文ゆけ(由氣),與(ゆき)同源,持矛、構矛之意。(さし)原文(さし),弓矢上弦指向敵方之意。】
 時其兄猾(え宇迦斯)乃為己所作(おのがつくれる)押機(おし)擊打而死(うたえてしにき)(しかくし)(すなはち)執其屍,控出(ひきいだし)斬散(きりちらしき)。故其地(そこ),謂宇陀之血原(うだのちはら)也。然而(しかくして),其弟猾(おと宇迦斯)(たてまつれる)大饗(おほあへ)者,(ことごとく)(たまひき)其天孫御軍(みいくさ)。此時,歌曰(うたひていはく)

 故,其弟猾(おと宇迦斯)者,宇陀(うだ)水取(もひとり)等之(おや)也。

 自其地(宇陀)幸行,到忍坂(おしさか)大室(おほむろ)時有生尾(をおひたる)土蜘蛛(つち雲)八十猛(やそ建),在其(むろ)(まち)嘶鳴(伊那流)【○土蜘蛛(つちぐも)原文土雲(つちぐも)八十猛(やそたける)原文八十建(やそたける)嘶鳴(いなる)原文いなる(伊那流)以音,い鳴る(伊那流),咆嘯之狀。】故爾,以天神御子( 神武)之命,饗賜(あへたまひき)八十猛(やそ建)。於是,(あて)八十猛(やそ建)者,(まうけ)八十膳夫(やそかしはて)每人(ひとごと)(はけ)(たち)(をしへ)其膳夫等曰:「聞歌之者(うたふをきかば)一時共斬(もろともにきれ)!」故(あかせる)將打(うたむ)土蜘蛛(つち雲)之歌曰:

 如此(かく)(うたひ)而,拔刀(たちをぬき)一時(もろともに)打殺也(うちころしき)

 然(のち)將擊(うたむとせし)鳥見彥(登美毘古)之時,歌曰:

 (また),歌曰:

 又,歌(いはく)

 又,擊兄磯城(え師木)弟磯城(おと師木)之時,御軍(みいくさ)暫疲(しまらくつかれき)【○磯城(しき),原文書師木(しき)。】(しかくし)歌曰:

 故邇(かれしかしく)饒速日命(邇藝はやひのみこと)參赴(まゐおもぶき)(まをさく)天神御子(あまつかみみこ):「(ききつる)天神御子天降(あまくだり),故追參降來(おひてまゐくだりきつ)。」即獻天津瑞(あまつしるし)仕奉(つかへまつりき)也。【○天津瑞(あまつしるし),即天璽瑞寶(あまつしるしのみづたから)十種(とくさ)。】
 故,饒速日命(邇藝はやひのみこと)鳥見彥(登美毘古)之妹鳥見屋姬(登美夜毘賣)【○亦名三炊屋姬(みかしやひめ)鳥見屋姬(とみやびめ),原文とみやびめ(登美夜毘賣)以音。】
  生子,可美真遲命(宇麻志麻ぢのみこと)【此者,物部連(もののべのむらじ)穗積臣(ほづみのおみ)婇臣(うねめのおみ)(おや)也。可美真遲(うましまぢ),原文うましまぢ(宇麻志麻遲)以音,書紀作可美真手命(うましまでのみこと)。舊事紀作味間見命(うましまみのみこと)

 (かれ)
神倭磐余彥命如此(かく)降服(言向)平和(たひらげやはし)荒神等(あらぶるかみたち)荒神(あらぶるかみ)原文荒夫琉神(あらぶるかみ)者,ぶる(夫琉)二字以音。】退撥(しりぞけはらひ)不伏之人等(まつろはぬひとども),而(いまし)畝火(むねび)白檮原宮(かしはらのみや)(しろしめす)天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)神武天皇(じんむてんわう)畝火白檮原宮(むねびのかしはらのみや),書紀作畝傍橿原宮(むねびのかしはらのみや)。】

大和朝廷

一、立后姬蹈鞴五十鈴姬

 故神倭磐余彥命坐日向(ひむか)時,(めとり)阿多(あた)小椅君(をばしのきみ)(いも)吾平姬(阿比良比賣)吾平(あひら)原文あひら( 阿比良)以音。○大隅一帶地名。
  生子,手研耳命(多藝志美美のみこと)
  次,研耳命(岐須美美のみこと)二柱(ふたはしら)坐也。手研耳(たぎしみみ)研耳(きすみみ)原文たぎしみみ(多藝志美美)きすみみ(岐須美美)以音。

 然,天皇(神武)更求(さらにもとめし)大后(おほきさき)美人(をとめ)。時大久米命(おほくめのみこと)白:「此間(ここ)媛女(をとめ)(これ)神御子(かみのみこ)。其所以(ゆゑ)謂神御子者,曩三島湟咋(みしまのみぞくひ)(むすめ)夫矢蹈鞴姬(勢夜陀多良比賣)容姿(かたち)麗美(うるはしき)。故三輪(美和)大物主神(おほものぬしのかみ)見感(みめで),而於其美人(をとめ)如廁(大便)時,化丹塗矢(にぬりや)(より)其為大恭(大便)(みぞ)流下(ながれくだり)(つきき)美人(をとめ)女陰(富登)。爾,其美人(おどろき)狼狽(伊須須岐伎)立走(たちはしり)(すなはち)將來(もちき)其矢(そのや)(おく)床邊(とこのへ)(たちまち)麗壯夫(うるはしきをとこ),即(めとり)美人(夫矢蹈鞴姬)生子(うみしこ)名,謂女陰蹈鞴五十鈴姬命(富登多多良伊須須岐比賣のみこと)亦名(またのな)姬蹈鞴伊助依姬(姬多多良伊須氣余理比賣)(これ)者,(にくみ)女陰(富登)云事(いふこと),後改名(あらためしな)者也。○書紀作媛蹈韛五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ),下效此。夫矢蹈鞴姬(せやだたらひめ),原文せやだたらひめ(勢夜陀多良比賣)以音,或云夫矢立(せやだた)ら則依其故事附會之名也。三輪(みわ)原文美和(みわ)如廁(くそまらむ)大恭(くそまらむ),原文大便(くそまらむ)女陰(ほと)原文ほと(富登)以音。狼狽(いすすきき)原文いすすきき(伊須須岐伎)以音,慌亂狼狽之狀。女陰蹈鞴五十鈴姬(ほとたたらいすすきひめ)姬蹈鞴伊助依姬(ひめたたらいすけよりひめ)原文以音,伊助依(いすけより)乃神靈加護之意。故,是以(いふ)神御子也。」

 於是(ここに)七媛女(ななたりのをとめ)遊行(あそびにありく)高佐士野(たかさじの)さじ(佐士)二字以音。○意未詳。五十鈴姬(伊須氣余理比賣)其中(そのなか)(しかくし),大久米命見其五十鈴姬(伊須氣余理比賣)(もち)歌白於天皇(すめらみこと)曰:

 爾,五十鈴姬(伊須氣余理比賣)者,(たてり)媛女等(をとめら)(さき)(すなはち)天皇(神武)見其媛女等而御心(みこころ)五十鈴姬(伊須氣余理比賣)立於最前(もともさき),便以歌(こたへ)(いはく)

 爾,大久米命(おほくめのみこと)天皇(神武)(みこと)(のりたまひし)五十鈴姬(伊須氣余理比賣)。時姬見其大久米命黥利目(さけるとめ),思(あやし)歌曰:【〇(さく)者,紋身入墨(いれすみ)之意。()乃銳利之意。】

 (しかくし),大久米命(こたへ)歌曰:

 故其孃子(をとめ)天皇(神武)曰:「願仕奉也(つかへまつらむ)。」

 於是(ここに),其五十鈴姬(伊須氣余理比賣)(いへ)狹井河(さゐがは)(うへ)天皇(すめらみこと)幸行(いでまし)五十鈴姬(伊須氣余理比賣)(もと)一宿御寢(ひとよみねし)也。【其河謂狹井河(佐韋がは)(ゆゑ)者,於其河邊(かはのへ)山百合草(やま由理くさ)多在(さはにあり)。故(とり)山百合草(やまゆりくさ)之名,(なづけき)狹井河(佐韋がは)也。山由理草之本名(もとのな),云狹井(佐韋)也。山百合(やまゆり),今云笹百合(ささゆり)

 (のちに),其五十鈴姬(伊須氣余理比賣)參入(まゐいり)宮內(みやのうち)。時,天皇(神武)御歌(みうた)曰:

 然而,天皇(神武)、五十鈴姬之間,所誕(阿禮坐)御子(みこ)【○所誕(あれませる),原文あれ坐(阿禮ませる)。與(あれ)同源。】
  名,日子八井命(ひこやゐのみこと)
  次,神八井耳命(かむやゐのみこと)【○多臣祖。】
  次,神沼河耳命(かむぬなかはのみこと)三柱(みはしら)○神沼河耳命者,綏靖天皇(すいぜいてんわう)也。


神武天皇登腋上嗛間丘迴望國狀
神倭磐余彥命坐白檮原宮治天下,是為初代神武天皇。


道臣命、大久米命
天皇求后,大久米命薦五十鈴姬。


神武天皇與五十鈴姬
神武帝遇七媛女遊行高佐士野。

高佐士野問答其一:「磯輪大和國 倭國高佐士野間 七女共遊行 窈窕佳人媛女等 欲娶孰孃以為妻其二:「決擇實難矣 克克以立彌前者 欲娶姊媛作吾妻其三:「猶飴黃鶺鴒 又若千鳥真鵐者 汝何黥利目如是其四:「所以利目者 欲直得逢美媛女 故吾裂目銳如是


鯨利目 眼部入墨


狹井河
神武天皇聖蹟狹井河之上顯彰碑。


狹井坐大神荒魂神社
大神神社攝社,神武帝、五十鈴姬相戀處。設有三輪山登拜口。

皇后入宮時歌:「遼遼豐葦原 薄污鄙穢小屋間 清敷菅疊筵 彌彌敷兮令清清 吾欲與汝共相寢


多氏氏神 多坐彌志理都比古神社


吾平津神社 吾平津姬像
手研耳命,神沼河耳命之庶兄而神武帝與吾平津姬之子也。

五十鈴姬諭子歌其一:「狹井河之上 雲湧立渡廣來兮 畝火畝傍山 木葉騷然發聲響 當知今時風將起其二:「畝火畝傍山 晝時雲搖雲翻騰 黃昏夕際時 蓋是今時風將起 木葉騷然發聲響


大和三山 畝傍山
畝傍山又稱畝火山,與香具山、耳成山並稱大和三山。皇后以畝傍山木葉騷動警告手研耳命圖謀不軌。


草部吉見神社
與鵜戶神宮、一之宮貫前神社幷稱日本三大降詣宮。祭神國龍神,即日子八井命。


神武天皇 畝傍山東北陵


綏靖天皇像 葛城高丘宮趾
神沼河耳命立,是為綏靖天皇。


安寧天皇 片鹽浮孔宮趾


石園座多久蟲玉神社
傳安寧天皇片鹽浮孔宮跡。俗稱龍王宮,或云大神神社乃龍首,當神社則龍胴,葛城長尾神社為龍尾。


安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵


懿德天皇 輕之曲峽宮跡
境岡宮,日本書紀書作曲峽宮。


懿德天皇 畝傍山南繊沙谿上陵


孝昭天皇 掖上池心宮跡


孝昭天皇 掖上博多山上陵


孝安天皇 葛城室秋津嶋宮跡


孝安天皇 掖上玉手丘上陵


孝安天皇 葛城室秋津嶋宮跡


黑田廬戶宮 孝靈神社
孝靈神社亦稱廬戶神社,傳孝靈帝宮跡。按葛城王朝多定都原市至御所市間,唯孝靈帝構都磯城。


箸墓古墳 倭跡迹百襲姬大市墓


備中國一宮 吉備津神社
崇神帝遣吉備津彥為西道將軍,平定吉備國,故名焉。


孝靈天皇 片丘馬坂陵

二、欠史八代

 故,神倭磐余彥(神武)天皇(すめらみこと)崩後(かむあがりのち),皇子等之庶兄(ままね)手研耳命(當藝志美美のみこと)(めとり)嫡后(おほきさき)五十鈴姬(伊須氣余理比賣),密(はかり)將殺(ころさむとせし)三弟(みはしらのおと)(あひだ)。其(御祖)五十鈴姬(伊須氣余理比賣)患苦(うれへくるしび),以歌(令知)御子等(みこたち)。歌曰:【○庶兄(ままね),此云異母兄弟,與胞兄(いろね)相對。嫡后(おほきさき)原文適后(おほきさき)(はは)原文御祖(みおや)(をしへ)原文令知(しらしめき)。】

 又,歌曰(うたひていはく)

 於是(ここに)御子(みこ)聞知(ききしり)(おどろき)(すなはち)欲殺(ころさむ)手研耳命(當藝志美美のみこと)。時神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)(まをし)其兄(そのえ)神八井耳命(かむやゐみみのみこと):「吾兄(那泥)汝命(ながみこと),持(つはもの)入而殺手研耳(當藝志美美)!」故,(もち)(いり)將殺(ころさむ)之時,太子(神八井耳命)手足(てあし)戰慄(和那那岐弖)不得(えず)(ころすこと)戰慄(わななき)て原文わななきて(和那那岐弖)以音。吾兄(あがね)原文なね(那泥)汝兄(なえ)之轉,兄弟間之親暱呼稱。故爾(かれしかくし)其弟(そのおと)神沼河耳命,乞取(こひとり)其兄所持(もてる)(つはもの),入(ころしき)手研耳(當藝志美美)。故,亦(たたへ)神沼河耳命御名(みな),謂武沼河耳命(建ぬなかはみみのみこと)【○(たけ)原文(たけ),勇猛。】

 爾太子神八井耳命(かむやゐみみのみこと)(ゆづり)武沼河耳命(建ぬなかはみみのみこと)曰:「(あれ)者,不能(あたはず)(あた)汝命(ながみこと)(すでに)(ころす)仇。故吾雖兄(えなれども)不宜為(なるべくあらず)(かみ)。是以禪汝命,為上(しろしめす)天下(あめのした)(やつかれ)扶翼(たすけ)汝命,為忌人(いはひひと)仕奉也(つかへまつらむ)。」
 (かれ)日子八井命(ひこやゐのみこと)者,茨田連(うまらたのむらじ)手島連(てしまのむらじ)(おや)【○和名抄訓茨田(うまらた)まった(萬牟多)。】神八井耳命(かむやゐみみのみこと)者,(意富)(おみ)小子部連(ちひさこべのむらじ)坂合部連(さかひべのむらじ)火君(ひのきみ)大分君(おひきだのきみ)阿蘇君(あそのきみ)筑紫三家連(つくしのみやけのむらじ)雀部臣(さざきべのおみ)雀部造(さざきべのみやつこ)小長谷造(を泊瀨のみやつこ)都祁直(つけのあたひ)伊余國造(いよのくにのみやつこ)信濃國造(科野のくにのみやつこ)道奧石城國造(陸奧のいはきのくにのみやつこ)常道仲國造(常陸那珂のくにのみやつこ)長狹(ながさ)國造(くにのみやつこ)伊勢船木直(いせのふなぎのあたひ)尾張丹波臣(をはりのにはのおみ)島田臣(しまだのおみ)等之(おや)也。【○(おほ)原文おほ(意富)以音,或書作(おほ)長谷(はつせ)或書泊瀨(はつせ)信濃(しなの)原文科野(しなの)道奧(みちのく)或書陸奧(みちのく)常道(ひたち)或書常陸(ひたち)(なか)或書那珂(なか)。】神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)者,(しろしめし)天下(あめのした)也。【○綏靖天皇(すいぜいてんわう)。】

 (おほよそ)神倭磐余彥(神倭伊波禮毘古)天皇(神武)御年(みとし)壹佰參拾柒歲(ももとせあまりみそとせあまりななとせ)御陵(みさざき),在畝火山(うねびやま)北方(きたのかや)白檮尾上(かしのをのうへ)也。【○(),山裾延伸之處。(うへ),畔、邊。】


 
神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと),坐葛城(かづらき)高岡宮(たかをかのみや)(しろしめし)天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)綏靖天皇(すいぜいてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと),娶磯城縣主(師木のあがたぬし)(おや)河俣姬(かはまた毘賣)【○磯城(しき)原文師木(しき),下效此。】
  生御子(みこ)磯城津日子玉手見命(師木つひこたまてみのみこと)【○安寧天皇(あんねいてんわう)。】

 天皇(綏靖)御年(みとし)肆拾伍歲(よそあまりいつとせ)御陵(みさざき),在衝田岡(つきたのをか)也。【○書紀書衝田(つきた)桃花鳥田(つきた)。】


 
磯城津日子玉手見命(師木つひこたまてみのみこと),坐片鹽(かたしほ)浮穴宮(うきあなのみや)(しろしめし)天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)安寧天皇(あんねいてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと)(めとり)河俣姬(かはまた毘賣)()磯城(師木)縣主波延(あがたぬしはえ)(むすめ)阿久斗姬(あくと比賣)
  生御子,常根彥某兄命(常根津日子伊呂泥のみこと)【○常根彥某兄(とこねつひこいろね)原文常根津日子伊呂泥(とこねつひこいろね)。】
  次,大倭日子鉏友命(やまとひこすきとものみこと)【○懿德天皇(いとくてんわう)。】
  次,磯城津彥命(師木つ日子のみこと)
  此天皇(安寧)御子(みこ)等,(あはせ)三柱(みはしら)(なか),大倭日子鉏友命者,治天下。
  次,磯城津彥命(師木つ日子のみこと)有子二王(ふたはしらのみこ)
   一子,(うまご)者,伊賀須知之稻置(いかのすちのいなき)名張之稻置(那婆理のいなき)三野之稻置(みののいなき)之祖。【○名張(なばり)原文なばり(那婆理)以音。】
   一子,和知都美命(わちつみのみこと)者,坐淡道(あはぢ)御井宮(みゐのみや)。故,此(みこ)二女(ふたはしらのむすめ)
    ()名,蠅某姊(はへ伊呂泥)。亦名,大倭國顯姬命(意富夜麻登久邇阿禮比賣のみこと)【○大倭國顯姬(おほやまとくにあれひめ)原文おほやまとくにあれひめ(意富夜麻登久邇阿禮比賣)以音。】
    ()名,蠅某弟(はへ伊呂杼)也。【○某姊(いろね)某弟(いろと)原文いろね(伊呂泥)いろど(伊呂杼)以音。()(おと)原文()(おと)。】

 天皇(安寧)御年(みとし)肆拾玖歲(よそあまりここのとせ)御陵(みさざき),在畝火山(うねびやま)御陰(美富登)也。【○御陰(みほと)原文みほと(美富登)以音,凹陷處。】


 
大倭日子鉏友命(やまとひこすきとものみこと)(いまし)(かる)境岡宮(さかひをかのみや)(しろしめし)天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)懿德天皇(いとくてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと),娶磯城縣主(師木のあがたぬし)(おや)太真稚姬命(賦登麻和訶比賣のみこと)亦名(またのな)飯日姬命(いひひ比賣のみこと)太真稚姬(ふとまわかひめ),原文ふとまわかひめ(賦登麻和訶比賣)以音。書紀書飯日姬命者太真稚彥(ふとまわかひこ)之女。
  生御子(みこ)觀松日子香殖稻命(御真津ひこ訶惠志泥のみこと)【○孝昭天皇(かうせうてんわう)觀松日子香殖稻(みまつひこかゑしね)原文みまつひこかゑしね(御真津日子訶惠志泥)以音。】
  次,手研彥命(多藝志比古のみこと)【二柱。手研彥(たぎしひこ)原文たぎしひこ(多藝志比古)以音。
  故,觀松日子香殖稻命(御真津ひこ訶惠志泥のみこと),治天下也。
  次,手研彥命(多藝志比古のみこと)者,血沼之別(ちぬのわけ)但馬之竹別(多遲麻のたけのわけ)葦井之稻置(あしゐのいなき)(おや)【○但馬(たぢま)原文たぢま(多遲麻)以音。】

 天皇(懿德)御年(みとし)肆拾伍歲(よそあまりいつとせ)御陵(みさざき),在畝火山(うねびやま)繊沙谷上(真名子だにのうへ)也。


 
觀松日子香殖稻命(御真津ひこ訶惠志泥のみこと)(いまし)葛城(かづらき)掖上宮(わきがみのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)孝昭天皇(かうせうてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと)(めとり)尾張連(をはりのむらじ)(おや)奧津世襲(おきつ余曾)(いも)世襲多本姬命(余曾たほ毘賣のみこと)【○世襲(よそ)原文よそ(余曾)以音。世襲多本姬(よそたほびめ),書紀作世襲足媛(よそたらしひめ)。】
  生御子(みこ)天押足彥命(あめおし帶日子のみこと)
  次,大倭足日子國押人命(おほやまと帶ひこくにおしひとのみこと)【二柱。(たらし)原文(たらし),下效此。
  故,(おと)足日子國押人命(帶ひこくに忍ひとのみこと)者,治天下也。【○孝安天皇(かうあんてんわう)。】
  ()天押足彥命(あめおし帶日子のみこと)者,春日臣(かすがのおみ)大宅臣(おほやけのおみ)粟田臣(あはたのおみ)小野臣(をののおみ)柿本臣(かきのもとのおみ)壹比韋臣(いちひゐのおみ)大坂(おほさか)(おみ)阿那臣(あなのおみ)多紀臣(たきのおみ)羽栗臣(はぐりのおみ)知多臣(ちたのおみ)牟耶臣(むざのおみ)都怒山臣(つのやまのおみ)伊勢飯高君(いせのいひたかのきみ)壹師君(いちしのきみ)近江(ちかつ淡海)國造(くにのみやつこ)(おや)也。【○近江(ちかつあふみ)原文近淡海(ちかつあふみ)。】

 天皇(孝昭)御年(みとし)玖拾參歲(ここのそあまりみとせ)御陵(みさざき),在掖上(わきがみ)博多山上(はかたやまのうへ)也。


 
大倭足日子國押人命(おほやまと帶ひこくにおしひとのみこと),坐葛城(かづらき)(むろ)秋津嶋宮(あきづしまのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)孝安天皇(かうあんてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと),娶(めひ)忍鹿姬命(おしか比賣のみこと)【○書紀作押媛(おしひめ)。】
  生御子,大吉備諸進命(おほきびもろすすみのみこと)
  次,大倭根子日子太瓊命(おほやまとねこひこ賦斗邇のみこと)【二柱。太瓊(ふとに)原文ふとに(賦斗邇)以音。孝靈天皇(かうれいてんわう)
  故,大倭根子日子太瓊命(おほやまとねこひこ賦斗邇のみこと)者,(しろしめし)天下也。

 天皇(孝安)御年(みとし)壹佰貳拾參歲(ももあまりはたあまりみとせ)御陵(みさざき),在掖上(わきがみ)玉手岡上(たまてのをかのうへ)也。


 
大倭根子日子太瓊命(おほやまとねこひこ賦斗邇のみこと)(いまし)黑田廬戶宮(くろだのいほとのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)孝靈天皇(かうれいてんわう)

 此天皇(すめらみこと)(めとり)十市縣主(とをちのあがたぬし)(おや)大目(おほめ)(むすめ)細姬命(くはし比賣のみこと)
  生御子(みこ)大倭根子日子國牽命(おほやまとねこひこくに玖琉のみこと)一柱(ひとはしら)(くる)原文くる(玖琉)以音。】
 又娶春日(かすが)千千速真若姬(ちちはやまわか比賣)
  生御子,千千速姬命(ちちはや比賣のみこと)【一柱。】
 又娶大倭國顯姬命(意富夜麻登玖邇阿禮比賣のみこと)
  生御子,倭跡迹百襲姬命(夜麻登登母母曾毘賣のみこと)【○倭跡迹百襲姬(やまととももそびめ)原文やまととももそびめ(夜麻登登母母曾毘賣)以音。】
  次,彥刺肩別命(日子さしかたわけのみこと)
  次,彥五十狹芹彥命(比古伊佐勢理毘古のみこと)亦名(またのな)大吉備津彥命(おほきびつ日子のみこと)【○彥五十狹芹彥(ひこいさせりびこ)原文ひこいさせりびこ(比古伊佐勢理毘古)以音。】
  次,倭飛羽矢若屋姬(やまととびはやわかや比賣)【四柱。】
 又娶其顯姬命(阿禮比賣のみこと)()蠅某弟(はへ伊呂杼)【○(おと)原文(おと)。】
  生御子,彥寤間命(日子さめまのみこと)【○書紀作彥狹嶋命(ひこさしまのみこと)。】
  次,若彥武吉備津彥命(わか日子建きびつ日子のみこと)【二柱。(たけ)原文書(たけ)
 此天皇(孝靈)御子(みこ)等,(あはせ)八柱(やはしら)男王(をとこみこ)五、女王(をみなみこ)三。】
  故,大倭根子日子國牽命(おほやまとねこひこくに玖琉のみこと)者,(しろしめし)天下也。【○孝元天皇(かうげんてんわう)
  大吉備津彥命(おほきびつ日子のみこと)若武吉備津彥命(わか建きびつ日子のみこと)二柱,相副(あひそひ)()忌瓮(いはひへ)播磨(針間)冰河之前(ひかはのさき),禮祭神祇,以播磨(針間)道口(みちのくち)降服(言向)(やはしき)吉備國(きびのくに)也。(かれ),此大吉備津彥命(おほきびつ日子のみこと)者,吉備上道臣(きびのかみつみちのおみ)(おや)【○(すゑ)原文(すゑ)播磨(はりま)原文針間(はりま)降服(ことむけ)原文言向(ことむけ)
  次,若彥武吉備津彥命(わか日子建きびつ日子のみこと)者,吉備下道臣(きびのしもつみちのおみ)笠臣(かさのおみ)祖。
  次,彥寤間命(日子さめまのみこと)者,,播磨牛鹿臣(針間のうしかのおみ)之祖也。
  次,彥刺肩別命(日子さしかたわけのみこと)者,高志(こし)利波臣(となみのおみ)豐國(とよくに)國前臣(くにさきのおみ)五百原君(いほはらのきみ)角鹿(つのが)海直(あまのあたひ)(おや)也。

 天皇(孝靈)御年(みとし)壹佰陸歲(ももあまりむとせ)御陵(みさざき),在片岡(かたをか)馬坂上(うまさかのうへ)也。



孝元天皇 輕地境原宮跡


矢先稻荷神社 大彥命像


宇智神社
主祭神內臣祖彥太忍信命。


味師內宿禰、武內宿禰盟神探湯
應神朝,甘美內宿禰讒曰:「武內宿禰有窺天下之情。」天皇敕令盟神探湯,以知武內宿禰清白。


武內宿禰肖像
景行帝豐武內宿禰為棟梁臣,則大臣之濫觴。歷事景行、成務、仲哀、應神、仁德五帝,年愈三百。


孝元天皇 劍池嶋上陵


開化天皇 春日率川宮跡
傳春日率川宮跡,在率川神社。


御真津姬命系譜
御真津姬,日本書紀作御間城姬,則大彥命女而崇神帝后。古事記御真津姬有兩人,一者崇神帝妹,一者崇神帝后。或云實為同人。


三神器 天叢雲劍 草薙劍


三神器 八尺瓊勾玉


三神器 八咫之鏡
天照大神賜番能邇邇藝命劍、玉、鏡等三神器,其後天皇代代相傳,以為天璽。南北朝時,亦因南朝保有神器,後世以為正統。


御上神社
彥坐王所娶息長水依姬者,御上神社祭神天之御影神之女。祝者,巫祝等神職之意。


普賢寺大御堂
山城大箇木真若王,其名諱來自地名綴喜,則今京田邊市普賢寺一代。按『和名類聚抄』云「山城國綴喜郡。綴喜,つつき。」


佐那神社
祭神曙立王,伊勢佐那造之祖。


志布比神社
澁見宿禰王奉彥坐王之命,弭平當地逆賊。遂祀於此社。


神谷太刀宮 磐座
祭神四道將軍丹波彥立道主王,傳所配國見之劍亦祀於此。


大日本史略圖會 神功皇后


竹野神社末社 齋宮神社
祭神竹野姬、彥坐王、武豐葉列別王。別為開化天皇之后與子。又億、弘,別有兄、弟之意。


開化天皇 春日率川坂上陵

 大倭根子日子國牽命(おほやまとねこひこくに玖琉のみこと)(いまし)(かる)堺原宮(さかひはらのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)孝元天皇(かうげんてんわう)

 此天皇(すめらみこと),娶穗積臣(ほづみのおみ)等之(おや)內色男命(うつ色許をのみこと)(いも)內色女命(うつ許賣のみこと)【○(しこ)原文しこ(色許)以音,下效此。】
  生御子(みこ)大彥命(おほ毘古のみこと)
  次,少彥建豬心命(すく名日子たけゐごころのみこと)【○少彥建豬心(すくなひこたけゐごころ),書紀作少彥男心(すくなびこをこころ)。】
  次,若倭根子日子大日日命(わかやまとねこひこおほ毘毘のみこと)三柱(みはしら)日日(びび)原文毘毘(びび)開化天皇(かいくわてんわう)
 又娶內色男命(うつ色許をのみこと)(むすめ)伊香色謎命(伊迦賀色許賣のみこと)【○伊香色謎(いかがしこめ)原文いかがしこめ(伊迦賀色許賣)以音。】
  生御子,彥太忍信命(比古布都押之まことのみこと)【○彥太忍(ひこふつおし)原文ひこふつおし(比古布都押)以音。】
 又娶河內(かふち)青玉(あをたま)(むすめ)埴安姬(波邇夜須毘賣)【○埴安姬(はにやすびめ),原文はにやすびめ(波邇夜須毘賣)以音。】
  生御子,武埴安彥命(建波邇夜須毘古のみこと)【一柱。武埴安彥命(たけはにやすびこ),原文たけはにやすびこ(建波邇夜須毘古)以音。
 此天皇(孝元)御子(みこ)等,并五柱(いつはしら)
  故,若倭根子日子大日日命(わかやまとねこひこおほ毘毘のみこと)者,(しろしめし)天下也。
  其兄大彥命(おほ毘古のみこと)之子。
   武沼河別命(建ぬなかはわけのみこと)【此者,阿倍臣(あへのおみ)等之(おや)。】
   次,彥稻輿別命(比古伊那許士わけのみこと)【此者,膳臣(かしはてのおみ)之祖也。彥稻輿(ひこいなこし)原文ひこいなこし(比古伊那許士)以音。
  彥太忍信命(比古布都押之まことのみこと),娶尾張連(をはりのむらじ)等之(おや)意富那毘(おほなび)之妹葛城(かづらき)高千那姬(たかちな毘賣)
   生子,味師內宿禰(うましうちのすくね)【此者,山城內臣(山代のうちのおみ)之祖也。○書紀作甘美內宿禰(うましうちのすくね)
  彥太忍信命(比古布都押之まことのみこと),又娶紀國造(木のくにのみやつこ)之祖宇豆彥(うづ比古)之妹山下影姬(やましたかげ日賣)
   生子,武內宿禰(建うちのすくね)。此武內宿禰(たけうちのすくね)之子,并(ここのたり)(をとこ)七、(をみな)二。】
    子,羽田矢代宿禰(波多八しろのすくね)【此者,羽田臣(波多のおみ)林臣(はやしのおみ)波美臣(はみのおみ)星川臣(ほしかはのおみ)淡海臣(あふみのおみ)長谷部君(はつせべのきみ)(おや)也。羽田矢代(はたのやしろ)原文波多八代(はたのやしろ),下效此。
    次,巨勢雄柄宿禰(許せ小からのすくね)【此者,巨勢臣(許勢のおみ)雀部臣(さざきべのおみ)輕部臣(かるべのおみ)之祖也。巨勢(こせ)原文許勢(こせ)
    次,蘇賀石河宿禰(そがのいしかはのすくね)【此者,蘇我臣(そがのおみ)川邊臣(かはべのおみ)田中臣(たなかのおみ)高向臣(たかむくのおみ)小治田臣(をはりだのおみ)櫻井臣(さくらゐのおみ)岸田臣(きしだのおみ)等之祖也。】
    次,平群木菟宿禰(へぐりの都久のすくね)【此者,平群臣(へぐりのおみ)佐和良臣(さわらのおみ)馬御樴連(うまみくひのむらじ)等祖也。木菟(つく)原文つく(都久)以音。
    次,紀角宿禰(木のつののすくね)【此者,紀臣(木のおみ)角臣(都奴のおみ)坂本臣(さかもとのおみ)之祖。()原文()(つぬ)原文つぬ(都奴)以音。
    次,久米能摩伊刀姬(くめのまいと比賣)
    次,怒能伊呂姬(ののいろ比賣)
    次,葛城長江襲津彥(かづらきのながえの曾都毘古)【此者,玉手臣(たまてのおみ)的臣(いくはのおみ)生江臣(いくえのおみ)阿藝那臣(あぎなのおみ)等之祖也。】
    又,若子宿禰(わくごのすくね)江野財臣(えのたからのおみ)之祖。】

 此天皇(孝元)御年(みとし)伍拾柒歲(いあまりななとせ)御陵(みさざき),在劍池(つるぎいけ)中岡上(なかのをかのうへ)也。


 
若倭根子日子大日日命(わかやまとねこひこおほ毘毘のみこと)(いまし)春日(かすが)率河宮(伊耶かはのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)開化天皇(かいくわてんわう)

 此天皇(すめらみこと)(めとり)丹波(旦波)大縣主(おほあがたぬし)由碁理(ゆごり)(むすめ)竹野姬(たかの比賣)【○丹波(たには)原文旦波(たには)。】
  生御子(みこ)彥湯產隅命(比古由牟須美のみこと)【○彥湯產隅(ひこむすみ)原文ひこむすみ(比古由牟須美)以音。】
 又娶庶母(ままはは)伊香色謎命(伊迦賀色許賣のみこと)
  生御子,御真木入日子五十瓊殖命(みまきいりひこ印惠のみこと)【○五十瓊殖(いにゑ)原文いにゑ(印惠)以音。崇神天皇(すうじんてんわう)。】
  次,御真津姬命(みまつ比賣のみこと)二柱(ふたはしら)。】
 又娶和邇臣(丸邇のおみ)(おや)彥國億計都命(日子くに意祁つのみこと)(いも)億計都姬命(意祁つ比賣のみこと)【○億計(おけ)原文意祁(おけ)()者大也、長也。與()相對。】
  此生御子,彥坐王(日子いますのみこ)
 又娶葛城(かづらき)垂見宿禰(たるみのすくね)之女鸇姬(わし比賣)
  生御子,武豐葉列別王(建とよ波豆羅和氣のみこ)【一柱。葉列別(はづらわけ)原文はづらわけ(波豆羅和氣)以音。】
 此天皇(開化)之御子等,(あはせ)五柱。男王(をとこみこ)四、女王(をみなみこ)一。】

  故,御真木入日子五十瓊殖命(みまきいりひこ印惠のみこと)者,(しろしめし)天下也。
  其兄(そのえ)彥湯產隅王(比古由牟須美のみこ)
   子,大筒木垂根王(おほつつきたりねのみこ)
   次,讚岐垂根王(さぬきのたりねのみこ)。此二王之(むすめ)五柱(いつはしら)坐也。

  次,彥坐王(日子いますのみこ)山城(山代)荏名津姬(えなつ比賣)。亦名,苅幡戶辨(かりはたとべ)【○山城(やましろ)原文山代(やましろ)。】
   生子,大俣王(おほまたのみこ)
   次,小俣王(をまたのみこ)
   次,澁見宿禰王(志夫美のすくねのみこ)三柱(みはしら)澁見(しぶみ)原文志夫美(しぶみ)
  彥坐王(ひこいますのみこ)又娶春日建國勝戶女(かすがのたけくにかつと賣)(むすめ)狹穗大闇見戶女(沙本之おほくらみと賣)【○狹穗(さと)原文沙本(さほ),下效此。】
   生子,狹穗彥王(沙本毘古のみこ)
   次,小狹穗王(袁耶本のみこ)【○小狹穗(をざほ)原文をざほ(袁耶本)以音。】
   次,狹穗姬命(沙本毘賣のみこと)。亦名,佐波遲姬(さはじ比賣)【此狹穗姬命(沙本毘賣のみこと)者,為活目(伊久米)天皇(垂仁)(きさき)。】
   次,室彥王(むろ毘古のみこ)四柱(よはしら)。】
  彥坐王又娶近江(近淡海)御上(みかみ)(はふり)之所齋祭(伊都玖)天之御影神(あめのみかげのかみ)(むすめ)息長水依姬(おきながのみづより比賣)【○近江(ちかあふみ)原文近淡海(ちかあふみ)齋祭(いつく)原文いつく(伊都玖)以音。御上(みかみ),近江野洲郡三上之御上神社。】
   生子,丹波彥立道主王(たには比古多多須美知能宇斯のみこ)【○彥立道主王(比古多多須美知能宇斯)原文ひこたたすみちのうす(比古多多須美知能宇斯)以音。】
   次,瑞穗真若王(水穗之まわかのみこ)【○瑞穗(みづほ)原文水穗(みづほ),下效此。】
   次,神大根王(かむおほねのみこ)。亦名八爪入彥王(やつめいり日子のみこ)
   次,瑞穗五百依姬(水穗のいほより比賣)
   次,御井津姬(みゐつ比賣)【五柱。】
  彥坐王又娶其母妹(ははの弟)弘計都姬命(袁祁都比賣のみこと)
   生子,山城大箇木真若王(山代之おほつつきのまわかのみこ)
   次,彥意須王(比古おすのみこ)
   次,伊理泥王(いりねのみこ)【三柱。此二王名以音。】
  凡彥坐王(日子いますのみこ)之子,并十一王。【○按上文舉彥坐王子,計十五人。而諸本皆書十一人,於數不合。或云狹穗彥王(さほびこのみこ)以下四人不計。未詳,仍(まつ)(かむがふる)。】

   故,()大俣王(おほたまのみこ)
    子,曙立王(あけたつのみこ)
    次,菟上王(うなかみのみこ)【二柱。】此曙立王者,伊勢(いせ)品遲部君(ほむぢべのきみ)、伊勢之佐那造(さなのみやつこ)(おや)。菟上王者,姬陀君(比賣だのきみ)之祖。
   次,小俣王(をまたのみこ)者,當麻勾君(たぎまのまがりのきみ)之祖。
   次,澁見宿禰王(志夫美のすくねのみこ)者,佐佐君(ささのきみ)之祖也。
   次,狹穗彥王(沙本毘古のみこ)者,日下部連(くさかべのむらじ)甲斐國造(かひのくにのみやつこ)之祖。
   次,小狹穗王(袁耶本のみこ)者,葛野之別(かづののわけ)近江蚊野之別(近淡海のかののわけ)祖也。
   次,室彥王(むろ毘古のみこ)者,若狹之耳別(わかさのみみのわけ)之祖。

   其道主王(美知能宇斯のみこ),娶丹波(たには)河上之摩須郎女(かはかみのますのいらつめ)
    生子,日葉酢姬命(比婆須比賣のみこと)【○日叶酢姬(ひばすひめ)原文ひばすひめ(比婆須比賣)以音。】
    次,圓野姬命(真砥の比賣のみこと)【○(まと)原文まと(真砥)以音。】
    次,弟姬命(おと比賣のみこと)
    次,朝廷別王(みかどわけのみこ)【四柱。】此朝廷別王者,三川之穗別(みかはのほのわけ)之祖。
   此道主王(美知能宇斯のみこ)(おと)瑞穗真若王(水穗之まわかのみこ)者,近江(近淡海)安直(やすのあたひ)之祖。
   次,神大根王(かむおほねのみこ)者,美濃國(三野のくに)本巢國造(もとすのくにのみやつこ)長幡部連(ながはたべのむらじ)之祖。【○美濃(みの)原文三野(みの)。】

   次,山城大箇木真若王(山代之おほつつきのまわかのみこ),娶同母妹(いろど)伊理泥王(いりねのみこ)(むすめ)丹波味澤姬(たには能阿治佐波毘賣)【○同母妹(いろど)原文同母弟(いろど)味澤姬(あぢさはびめ)原文あぢさはびめ(阿治佐波毘賣)以音。】
    生子,迦邇米雷王(かにめいかづちのみこ)。此王,(めとり)丹波之遠津臣(とほつおみ)(むすめ)高材姬(たかき比賣)
     生子,息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)。此王娶葛城(かづらき)高額姬(たかぬか比賣)【○同母妹(いろど)原文同母弟(いろど)。】
      生子,息長足姬命(おきなが帶比賣のみこと)【○。(たらし)原文(たらし)神功皇后(じんぐうくわうごう)。】
      次,虛空津姬命(そらつ比賣のみこと)
      次,息長彥王(おきなが日子のみこ)【三柱。此(みこ)者,吉備品遲君(きびのほむぢのきみ)播磨(針間)阿宗君(あそのきみ)之祖。】
     又,息長宿禰王(おきながのすくねのみこ),娶河俣稻依姬(かはまたのいなより比賣)
      生子,大多牟坂王(おほたむさかのみこ)【此者,但馬國造(多遲摩のくにのみやつこ)之祖也。但馬(たぢま)原文但馬(たぢま)
  (かみ)所謂(いへる)武豐葉列別王(建とよ波豆羅和氣のみこ)者,道守臣(ちもりのおみ)忍海部造(おしぬみべのみやつこ)御名部造(みなべのみやつこ)稻羽忍海部(いなばのおしぬみべ)丹波之竹野別(たにはのたかののわけ)依網之我孫(よさみの阿毘古)等之祖也。【○我孫(あびこ),原文我孫(あびこ)以音。】

 天皇(開化)御年(みとし)陸拾參歲(むそあまりみとせ)御陵(みさざき),在率河之坂上(伊耶かはのさかのうへ)也。【○(いざ),原文いざ(伊耶)以音。】

三、疾疫流行與敬神祭祀

 御真木入日子五十瓊殖命(みまきいりひこ印惠のみこと),坐磯城瑞垣宮(師木水かきのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)崇神天皇(すうじんてんわう)五十瓊殖(いにゑ)原文印惠(いにゑ)磯城瑞垣(しきのみづかき)原文師木水垣(しきのみづかき)。】

 此天皇(すめらみこと)(めとり)紀國造(木のくにののみやつこ)荒河刀辨(あらかはとべ)(むすめ)遠津年魚目目微姬(とほつあゆめまぐはし比賣)刀辨(とべ)以音,與戶畔(とべ)同。】
  生御子(みこ)豐木入彥命(とよきいり日子のみこと)
  次,豐鉏入姬命(とよすきいり日賣のみこと)【二柱。】
 又娶尾張連(をはりのむらじ)(おや)大海姬(意富阿麻比賣)【○大海姬(おほあまひめ)原文おほあまひめ(意富阿麻比賣)以音。】
  生御子,大入杵命(おほいりきのみこと)
  次,八坂入彥命(やさか之いり日子のみこと)
  次,沼名木入姬命(ぬなき之いり日賣のみこと)
  次,十市入姬命(とをち之いり日賣のみこと)【四柱。】
 又娶大彥命(おほ毘古のみこと)(むすめ)御真津姬命(みまつ比賣のみこと)
  生御子,活目入日子五十狹茅命(伊玖米いりびこ伊沙知のみこと)【○活目入日子五十狹茅(いくめいりびこいさち)原文伊玖米入彥伊沙知(いくめいりびこいさち)垂仁天皇(すいにんてんわう)。】
  次,五十狹真若命(伊耶能まわかのみこと)【○五十狹真若(いざのまわか)原文伊耶能真若(いざのまわか)。】
  次,國片姬命(くにかた比賣のみこと)
  次,千千衝和姬命(ちち都久やまとの比賣のみこと)【○(つく)原文つく(都久)以音。書紀有千千衝倭姬命(ちちつくやまとひめのみこと),則(やまと)不當訓(),原文書つくわ(都久和)三字以音者蓋(よこなまれり)。】
  次,伊賀姬命(いが比賣のみこと)
  次,倭彥命(やまと日子のみこと)六柱(むはしら)。】
 此天皇(崇神)御子(みこ)等,并十二柱(とあまりふたはしら)男王(をとこみこ)七,女王(をみなみこ)五也。】

  故,活目入日子五十狹茅命(伊久米伊理毘古伊佐知のみこと)者,(しろしめす)天下也。
  次,豐木入彥命(とよきいり日子のみこと)者,上毛野(かみつけの)下毛野君(しもつけののきみ)等之(おや)也。
  (いも)豐鉏入姬命(とよすきいり日賣のみこと)者,拜祭(をかみまつりき)伊勢大神(いせのおほかみ)(みや)也。【○初代齋宮(いつきのみや),奉天照大神於(やまと)笠縫邑(かさぬひのむら)。】
  次,大入杵命(おほいりきのみこと)者,能登臣(のとのおみ)之祖也。
  次,倭彥命(やまと日子のみこと)此王(このみこ)之時,(はじめて)人垣(ひとがき)(はか)殉葬(したがひしぬること)濫觴。

 此天皇(崇神)御世(みよ)疫病(えやみ)多起(あまたおこり)人民(おほみたから)為盡(つきむとしき)【○疫病(えやみ)原文作役病(えやみ)。】
 爾,天皇(崇神)愁歎(うれへなげき)(いまし)神牀(かむどこ)()大物主大神(おほものぬしのおほかみ)(あらはれ)御夢(みいめ)曰:「是疫疾者,我之御心(みこころ)所以。故若以大田田根子(意富多多泥古)而令祭我前(あがまへ)者,神氣(かみのけ)不起(おこらず)國亦(くにもまた)安平(やすらけくたひらき)!」是以,(あかち)驛使(はゆまづかひ)四方(よも)(もとめ)大田田根子(意富多多泥古)。時於河內(かふち)美努村(みののむら)覓得(見得)其人貢進(たてまつりき)【○神牀(かむどこ),齋戒求神託夢之寢所。神氣(かみのけ),神祟之疫氣(ときのけ)大田田根子(おほたたねこ)原文おほたたねこ(意富多多泥古)以音。】
 爾天皇(崇神)問賜之(とりたまはく):「(なむち)誰子(たがこ)也?」答白:「曩昔大物主大神(おほものぬしのおほかみ)(めとり)陶津耳命(すゑつみみのみこと)(むすめ)活玉依姬(いくたま毘賣),生子櫛御方命(くしみかたのみこと)其子()飯肩巢見命(いひかたすみのみこと)其子(曾孫)建甕槌命(たけみかづちのみこと)(やつかれ)者,建甕槌命之子(玄孫)大田田根子(意富多多泥古)也。」
 於是(ここに)天皇(すめらみこと)大歡(おほきによろこび)詔之(のりたまはく):「天下(あめのした)(たひらぎ)人民(おほみたから)(さかえむ)!」(すなはち)大田田根子命(意富多多泥古のみこと)神主(かむぬし)拜祭(をろがみまつりき)大三輪(意富美和)大神(おほかみ)(まげ)御諸山(みもろやま)【○大三輪(おほみわ)原文おほみわ(意富美和)以音。御諸山(みもろやま)三輪山(みわのやま)。】

 又,(おほせ)伊香色男命(伊迦賀色許をのみこと),作天八十平瓮(あめ之やそ毘羅訶)定奉(さだめまつりき)天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)(やしろ)【○いかがしこ(伊迦賀色許)原文いかがしこ(伊迦賀色許)以音。平瓮(びらか)原文びらか(毘羅訶)以音。】
 又,(まつりき)赤色(あかきいろ)(たて)(ほこ)宇陀(うだ)墨坂神(すみさかのかみ)。祭黑色(くろきいろ)楯、矛於大坂神(おほさかのかみ)
 又,(たてまつりき)幣帛(みてぐら)於八百萬神,縱令每(さか)(御尾)、每河之瀨(かはのせ)(ことごとく)遺忘(のこりわするること)也。【○(みを)原文御尾(みを),稜線、盡頭。(),川淺湍急之處。此云土地河海之端。】
 (より)此而,疫氣(えのけ)(やみ)國家(くに)安平也。

 此(いふ)大田田根子(意富多多泥古)所以(ゆゑ)(しりし)神子(かみのこ)者。上所云(かみにいへる)活玉依姬(いくたま毘賣),其容姿(かたち)端正(きらぎらし),甚有國色。於是,有壯夫(をとこ)夜半(よなか)之時,儵忽(たちまち)到來(きたりぬ)。其形姿(かたち)威儀(よそほひ)於時(ときに)無比(たぐひなし)。故相感(あひめでて)共婚(ともにあひ)供住之間(ともにすめるあひだ)未經(いまだへぬ)(いくばく)(とき)美人(をとめ)妊身(はらみき)
 爾父母(ちちはは)(あやしび)妊身之事(はらめること),問其(むすめ)曰:「汝者(おのづから)(はらめり)無夫(をなき)何由(なにのゆゑ)妊身(はらめる)乎?」答曰:「有麗美(うるはしき)壯夫(をとこ)每夕(ゆひごと)到來(きたり)不知(しらず)(かばね)()(ともに)住之間,自然(おのづから)懷妊(はらめり)。」
 (ここ)以其父母,(おもひ)知其人,(をしへ)其女白:「以赤土(あかきつち)(ちらし)床前(とこのまへ),以(閉蘇)紡麻(うみを)(ぬき)(はり)(させ)衣襴(きぬのすそ)。」活玉依姬(ごとく)教行之,旦時(あした)見者(みれば)所著(つけたる)(はり)()者,自(より)戶之鉤穴(かぎあな)控通(ひきとほり)(いで)(ただ)遺麻(のこれるを)者,僅三勾(みわ)(のみ)。爾即(しり)自鉤穴出之(かたち),而(したがひ)(いと)尋行者(たづねゆけば),至三輪山(美和のたま)(とどまりき)神社(かむのやしろ)【○大神神社(みわのかむやしろ)。】
 故,知其神子(かみのこ)。故,因其()(のこり)三勾(みわ),而(なづけ)其地謂三輪(美和)也。【此大田田根子命(意富多多泥古のみこと)者,神君(みわのきみ)鴨君(かものきみ)之祖。(へそ)原文へそ(閉蘇)以音。

 又此天皇(崇神)之御世,大彥命(おほ毘古のみこと)(つかはし)高志道(こしのみち),其子武沼河別命(建ぬなかはわけのみこと)者遣東方(ひむかしのかた)十二道(とをあまりふたつのみち),而令和平(やはしたひらげしめき)不從人等(麻都漏波奴ひとども)【○不從(まつろはぬ)原文まつろはぬ(麻都漏波奴)以音,(まつ)ろはぬ。】
 又彥坐王(日子いますのみこ)者遣丹波國(旦波のくに)令殺(ころさしめき)陸耳御笠(玖賀みみ之みかさ)【此人名(ひとのな)者也。(くが)原文くが(玖賀)以音。】

 故大彥命(おほ毘古のみこと)罷往(まかりゆき)高志國(越國)之時,(きたる)腰裳(こしも)少女(をとめ),立山城(山代)幣羅坂(へらさか)而歌曰:

 於是,大彥命(おほ毘古のみこと)(あやし)(かへし)(うま)問其少女(をとめ)曰:「(なむひ)所謂之言(いへること)何言(なにのこと)?」少女(をとめ)答曰:「(あれ)勿言(いふことなし)何。(ただ)詠歌(うたをうたはむ)(のみ)。」言畢,(すなはち)不見其所如(ゆくへ)忽失(たちまちにうせにき)
 故大彥命(おほ毘古のみこと)便(すなはち)還參上(かへりまゐのぼり)(まをし)天皇(すめらみこと)。時天皇(崇神)詔之(のりたまはく):「此者,(あらく)山城國(山代のくに)我之庶兄(ままね)武埴安王(建波邇安のみこ),起邪心(あしきこころ)(しるし)(のみ)伯父(をぢ),宜興軍(いくさをおこいし)(ゆく)。」即(そへ)和邇臣(丸邇のおみ)之祖彥國葺命(日子くに夫玖のみこと)而遣時,即於和邇坂(丸邇のさか)()忌瓮(いはひへ),祭神而罷往(まかりゆきき)【○彥國葺(ひこくにふく)原文日子國夫玖(ひこくにふく)。】

 於是,到山城(山代)輪韓河(和訶羅がは)時,其武埴安王(建波邇安のみこ)興軍(いくさをおこし)待遮(まちさへき)(おのおの)(なかに)(はさみ)河而對立(むちたち)相挑(あひいどみき)。故號其地謂(伊杼美)【今謂(伊豆美)也。輪韓(わから)わから(和訶羅)(いどみ)いどみ(伊杼美)(いづみ)いづみ(伊豆美)
 爾彥國葺命(日子くに夫玖のみこと)(こひ)云:「其廝人(そなたのひと)(まづ)忌矢(いはひや)可彈(はなつべし)!」(しかくし),其武埴安王(建波邇安のみこ)雖射(いれども)不得(えず)(あつること)於是(ここに)國葺命(くに夫玖のみこと)(はなて)矢者,即射武埴安王(建波邇安のみこ)(しにき)。故其軍(そのいくさ)(やぶれ)逃散(にげちりき)【○其廝(そなた)原文其廂(そなた)。】
 爾,追迫(おひせめ)逃軍(にぐるいくさ),到樟葉度(久須婆之わたり)時,(みな)迫窘(せめたしなめ)屎出(くそいで)(かかりき)(はかま)。故號其地謂屎褌(くそばかま)【今者謂樟葉(久須婆)樟葉(くすば)原文くすば(久須婆)以音。又,(さへ)其逃軍以斬者(きれば),如()(うきき)於河。故號其河謂鵜河(うかは)也。亦斬溢(きり波布理)軍士(いくさ),故號其地謂祝園(波布理曾能)。故大彥命(おほ毘古のみこと)如此(かく)平訖(たひらげをはり),而參上(まゐのぼり)覆奏(かへりことまをしき)【○(はふり)原文はふり(波布理)以音,祝園(はふりその)原文はふりその(波布理曾能)以音,或書羽振苑(はふりその)。】

 故,大彥命(おほ毘古のみこと)者,(まにまに)先命(さきのみこと)罷行(まかりゆきき)高志國(こしのくに)
 爾,自東方(ひむかしのかた)所遣武沼河別(建ぬなかはわけ)其父(そのちち)大彥(おほ毘古)(ともに)往遇(ゆきあひき)相津(あひつ),故其地(そこ)相津(あひき)也。是以,(おのおの)(やはし)(たひらげ)所遣之國政(つかさえしくにのまつりごと)覆奏(かへりことまをしき)
 爾,天下(あめのした)太平(おほきにたひらぎ)人民(おほみたから)富榮(とみさえき)。於是,(はじめて)令貢(たてまつらしめき)男弓端之調(をとこのゆはずのつき)女手末之調(をみなのたなすゑのつき)。故(たたへ)(崇神)御世(みよ),謂:「馭肇國(所知初國)御真木(みまき)天皇(すめらみこと)也!」【○馭肇國(はつくにをしらす)原文所知初國(はつくにをしらす),則初國(はつくに)()らす也。男弓端(ゆはず)之調、女手末(たなすゑ)之調,男子狩獵所獲,女子烹飪所成之調(つき)。】
 又是之(この)御世,作依網池(よさみのいけ),亦作(かる)酒折池(さかをりのいけ)也。

 天皇(崇神)御歲(みとし)壹佰陸拾捌歲(ももあまりむそあまりやとせ)戊寅年(つちのえとらのとし)十二月(しはす)(かむあがり)。】御陵(みさざき),在山邊道(やまのへのみち)勾之岡上(まがりのをかのうへ)也。



崇神天皇 磯城瑞籬宮址
御真木入日子五十瓊殖命,坐磯城瑞垣宮。覺夢敬神,故謚崇神。


大神神社末社 豐鍬入姬宮
崇神帝漸畏神威,故豐鉏入姬命自宮中遷天照大神,祀於倭笠縫邑。


崇神帝皇子 大入杵命墓
大入杵命,能登臣之祖也。


倭彥命 身狹桃花鳥坂墓
倭彥命薨,集近習者殉之。晝夜泣吟,遂死而爛臰。是陪葬之始。


元伊勢 檜原神社
豐鉏入姬祀天照大神於倭笠縫邑,為初代齋宮。後倭姬命遍求宮地,遂立皇太神宮於伊勢。


大和國一宮 大神神社 拜殿
大神神社神體即三輪山,無本殿。


大和國一宮 大神神社 三輪山
御諸山即三輪山,是為神奈備山。


墨坂神社
天皇祭赤色楯、矛於宇陀墨坂神。


大神神社 手水舍
三輪大物主神大神,其形為蛇。


狹井神社 三輪山登拜口


幣羅坂 幣羅坂神社

幣羅坂少女諭歌:「御真木入日子矣 御真木入日子矣 不知己命危 賊將竊弒吾君命 賊自後戶入 錯身相過避人目 賊自前戶入 錯身相過避人目 竊兮窺伺者 不知人圖謀 御真木入日子矣


輪韓河 和訶羅河 木津川


彥國葺命 武埴安彥破斬舊跡


祝園 羽振苑 祝園神社


依網池跡碑


崇神天皇 山邊道勾岡上陵


垂仁天皇 纏向珠城宮跡
磯城玉垣宮,書紀作纏向珠城宮。


日葉酢媛命陵
日葉酢媛皇后,即景行帝之母。


倭姬命 齋王像
倭姬命皇女,為御杖代,創建伊勢神宮,祭祀天照大神。


息速別命墓
息速別命,亦稱阿保親王。狹穗穴太部別、阿保朝臣之祖。


月宮迎 輝夜姬
輝夜姬即竹取物語主角。曾祖母竹野姬、父大筒木垂根王、叔讚岐垂根王等皆與竹取物語似有關連。


菟砥川上宮舊跡碑
五十瓊敷入彥命坐鳥取川上宮,令作橫刀,奉納石上神宮。


五十鈴川 伊勢神宮
倭姬命創建伊勢神宮於五十鈴川。


伊勢神宮 皇大神宮正宮
伊勢神宮內宮,祀天照大御神。


狹岡神社 狹穗姬傳承鏡池
傳狹穗姬所以洗濯、映姿之池。


錦色小蛇
垂仁帝夢兆,有錦色小蛇繞于頸,復大雨從狹穗發而濡面。


小刀 短刀
紐小刀即繫繩之短刀。


狹岡神社 狹穗姬傳承地舊址


黑髮山神社
傳狹穗姬埋藏剃髮之地。狹穗姬知帝有奪后之志,遂剃髮覆頭,腐玉緒、御衣,令力士等不得獲之。


火中稻城與狹穗姬 大日本名將鑑

四、狹穗彥王謀反

 活目入日子五十狹茅命(伊久米伊理毘古伊佐知のみこと),坐磯城玉垣宮(師木たまきのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)垂仁天皇(すいにんてんわう)。】

 此天皇(すめらみこと)(めとり)狹穗彥命(沙本毘古のみこと)(いも)佐波遲姬命(さはじ比賣のみこと)【○狹穗姬命(沙本毘賣のみこと)狹穗(さほ)原文さほ(沙本)以音。】
  生御子(みこ)譽津別命(品牟都和氣のみこと)【一柱。譽津別(ほむつわけ)原文品牟都和氣(ほむつわけのみこと)以音。
 又娶丹波彥立道主王(旦波比古多多須美知宇斯のみこ)(むすめ)日葉酢姬命(冰羽州比賣のみこと)【○丹波(たには)原文旦波(たには)彥立道主(ひこたたすみちのうす)日葉酢姬(ひばすひめ)原文ひこたたすみちのうす(比古多多須美知宇斯)ひばすひめ(冰羽州比賣)以音。】
  生御子,五十瓊敷入彥命(印色之いり日子のみこと)【○五十瓊(いにゑ)原文印色(いにゑ)。】
  次,大足日子忍代別命(おほ帶ひこ淤斯呂和氣のみこと)【○(たらし)忍代別(おしろわけ)原文(たらし)おしろわけ(淤斯呂和氣)以音。景行天皇(けいかうてんわう)
  次,大中津彥命(おほなかつ日子のみこと)
  次,倭姬命(やまと比賣のみこと)
  次,若木入彥命(わかきいり日子のみこと)【五柱。】
 又,娶其日葉酢姬命(冰羽州比賣のみこと)()沼羽田入姬命(ぬばた之いり毘賣のみこと)
  生御子,沼足別命(ぬ帶わけのみこと)
  次,伊香足彥命(伊賀帶日子のみこと)【二柱。伊香(いがたらし)原文伊賀帶(いがたらし)
 又,娶其沼羽田入姬命(ぬばた之いり毘賣のみこと)()薊入姬命(阿耶美能伊理毘賣のみこと)【○薊入(あざみのいり)原文あざみのいり(阿耶美能伊理)以音。(おと)原文(おと)。】
  生御子,息速別命(伊許婆夜和氣のみこと)【○息速別(いこはやわけ)原文いこはやわけ(伊許婆夜和氣)以音。】
  次,薊津姬命(阿耶美都比賣のみこと)【二柱。】
 又,娶大筒木垂根王(おほつつきたりねのみこ)之女輝夜姬命(迦具や比賣のみこと)【○輝夜(かぐや)原文かぐや(迦具夜)以音。】
  生御子,袁耶辨王(おざべのみこ)【一柱。】
 又,娶山城(山代)大國之淵(おほくにのふち)之女刈羽田刀辨(かりはたとべ)
  生御子,落別王(おちわけのみこ)
  次,五十日足彥王(いか帶日子のみこ)
  次,伊登志別王(いとしわけのみこ)
 又,娶其大國之淵(おほくにのふち)之女弟刈羽田刀辨(おとかりはたとべ)
  生御子,石衝別王(いはつくわけのみこ)
  次,石衝姬命(いはつく毘賣のみこと),亦名兩道入姬命(布多遲能伊理毘賣のみこと)【二柱。兩道入姬(ふたぢのいりびめ)原文ふたぢのいりびめ(布多遲能伊理毘賣)以音
 凡此天皇(垂仁)御子(みこ)等,十六王(とあまりむはしらのみこ)男王(をとこみこ)十三,女王(をみなみこ)三。】

  (かれ)大足日子忍代別命(おほ帶ひこ淤斯呂和氣のみこと)者,(しろしめす)天下也。御身長(みみのたけ)一丈(ひとつゑ)二寸(ふたき)御脛長(みはぎのなが)四尺(よさか)一寸(ひとき)也。】
  次,五十瓊敷入彥命(印色いり日子のみこと)者,(つくり)血沼池(ちぬのいけ),又作狹山池(さやまのいけ),又作日下(くさか)高津池(たかつのいけ)。又,(いまし)鳥取(ととり)河上宮(かはかみのみや)令作(つくらしめき)橫刀(たち)壹仟口(ちふり)。是奉納(まつりいれ)石上神宮(いそのかみのかむみや)。即坐其宮(石上)(さだめき)河上部(かはかみべ)也。
  次,大中津彥命(おほなかつ日子のみこと)者,山邊別(やまのへ之わけ)三枝別(さきくさ之わけ)稻木別(いなき之わけ)阿太別(あだ之わけ)尾張國三野別(をはりのくに之みののわけ)吉備石無別(きび之いはなしのわけ)舉母別(許呂母之わけ)高巢鹿別(たかすか之わけ)飛鳥君(あすかのきみ)牟禮別(むれ之わけ)(おや)也。【○舉母(ころも)原文許呂母(ころも)。】
  次,倭姬命(やまと比賣のみこと)者,拜祭(をろがみまつりき)伊勢大神宮(いせのおほかみのみや)也。【○二世齋宮(いつきのみや),興磯宮(いそのみや)五十鈴川(いすずのかは)上。】
  次,息速別王(伊許婆夜和氣のみこ)者,狹穗穴太部別(沙本のあなほべ之わけ)祖也。
  次,薊津姬命(阿耶美都比賣のみこと)者,(あひき)稻瀨彥王(いなせ毘古のみこ)
  次,落別王(おちわけのみこ)者,小月之山君(をつきのやまのきみ)三川之衣君(みかはのころものきみ)之祖。
  次,五十日足彥王(いか帶日子のみこ)者,春日山君(かすがのやまのきみ)高志池君(こしのいけのきみ)春日部君(かすがべのきみ)之祖。
  次,伊登志別王(いとし和氣のみこ)者,(より)無子(こなき)(さだめき)伊登志部(いとしべ)子代(こしろ)【○子代(こしろ),皇子無子,設之以傳其名之部民。】
  次,石衝別王(いはつくわけのみこ)者,羽咋君(はくひのきみ)三尾君(みをのきみ)之祖。
  次,兩道入姬命(布多遲能伊理毘賣のみこと)者,為倭武命(やまと建のみこと)(きさき)【○倭武(やまとたける)原文倭建(やまとたける)。】

 此天皇(垂仁),以狹穗姬(沙本毘賣)(きさき)之時,狹穗姬(沙本毘賣)之兄狹穗彥王(沙本毘古のみこ)包藏禍心,問其胞妹(伊呂も)曰:「(うるはしみ)()()(いづれか)勝歟?」后不察其衷答曰:「愛兄(せをうるはしみす)。」爾狹穗彥王(沙本毘古のみこ)(はかり)曰:「汝(まこと)思愛我者,(あれ)(なむち)(をさめむ)天下(あめのした)!」(すなはち)八鹽折(やしほをり)紐小刀(ひもかたな)(さづけ)其妹曰:「以此小刀,刺殺(さしころせ)天皇(垂仁)(いねたる)!」【○(いろ)原文いろ(伊呂)以音,同母兄妹。八鹽折(やしほをり),此云一再鍛煉。】
 故,天皇(すめらみこと)不知(しらず)(はかりこと),而(まき)其后(狹穗姬)(ひざ),為御寢(みね)也。爾,其后(狹穗姬),以紐小刀,將刺(ささむ)天皇之御頸(みくび)。然三度(みたび)(ふり)刀,卻不忍(たへず)哀情(かなしきこころ)不能(あたはず)刺頸而啜泣(なく),其(なみた)落溢(おちあぶれき)於天皇御面(みおもて)(すなはち)天皇驚起(おどろきおき)(とひ)其后(狹穗姬)曰:「吾見異夢(けしきいめ)(より)狹穗(沙本)(かた)暴雨(はやさめ)零來(ふりき)(にはか)(ぬらしき)吾面(あがおもて)。又錦色(にしきのいろ)小蛇(ちひさきへみ)纏繞(まつはりき)(くび)如此(かく)(いめ)(これ)何表(なにのしるし)也?」
 爾其后(狹穗姬)以為(おもひ)不應爭(あらそふべくあらず),即(まをし)天皇(垂仁)言:「妾兄(あがせ)狹穗彥王(沙本毘古のみこ)問妾曰:『孰(うるはしみす)夫與兄?』(かく)不勝(たへぬ)面問(まのあたりとふ),故()答曰:『愛兄()。』爾(あとらへ)妾曰:『吾與汝,(ともに)治天下。故當殺(ころすべし)天皇(すめらみこと)!』云而,(つくり)八鹽折之紐小刀,(さづけき)妾。是以,(おもふ)刺御頸。雖舉(ふれども)三度,哀情忽起(やちまちおこり)不得(えず)刺頸,而泣淚(なくなみた)落沾(おちぬらしき)御面(みおもて)(かならず)是表(このしるし)兆焉。」爾天皇(垂仁)詔之(のりたまはく):「(あれ)(ほとほと)見欺乎(あざむかえつるかも)!」乃興軍(いくさをおこし)(うたむ)狹穗彥王(沙本毘古のみこ)。時其王(狹穗彥),作稻城(いなき)待戰(まちたたかひき)
 此時,狹穗姬命(沙本毘賣のみこと)惻隱情湧, 不忍(たふることえず)其兄(そのせ),自後門(しりつと)逃出(にげいで),匿(いりき)稻城(いなき)。此時,其后妊身(はらめり)。於是,天皇(垂仁)不忍(たへず)其后懷妊(はらめる),及念愛重(いつくしみおもみ)至于(いたれる)三年(みとせ),故(めぐらし)(いくさ)不急攻迫(すむやけくはせめず)【○愛重(いつくしみおもみ),愛其為妻,敬其為后。念及三年情分之狀。(めぐらし),此云圍攻。】
 如此(かく)逗留之間(とどまれるあひだ),其所妊之御子(はらめるみこ)既產(すでにうみき)。故(いだし)御子(譽津別王)(おき)稻城()令白(まをさしめし)天皇:「(もし)思看(おもほしめさば)御子(みこ),以為天皇之御子者,可取育治賜(をさめたまふ)。」於是(ここに)天皇(垂仁)詔:「雖怨(うらむれども)其兄(そのせ)(なほ)不忍(うつくしぶる)后之情也。」故(すなはち)奪返()后之()。是以選聚(えりあつめ)軍士之中(いくさのなか)力士(ちからひと)輕捷(かるくはやき)者,(のりたまひ)誡:「(とらむ)其御子之(とき)(すなはち)掠取(かすみとれ)母王(ははみこ)(もし)(かみ)、或(),當(まにまに)取獲(とりえむ)(つかみ)控出(ひきいだす)!」【○治賜(をさめたまふ),使事物為所當然之狀,此云迎入。(こころ)原文(こころ)。】
 爾,其后(狹穗姬)(あらかじめ)宸慮(其情)(ことごとく)(そり)(かみ),以髮(おほひ)(かしら)。亦(くたし)玉緒(たまのを)三重(みへ)(まき)手。且以(さけ)御衣(みけし)(きたり)全衣(またききぬ)如此(かく)設備(まうけそなへ)(むだき)御子(みこ)指出(刺いだき)城外(きのと)【○宸慮(しんりょ)原文其情(そのこころ)。】
 爾,其力士等(ちからひとども),取其御子(譽津別王),即()(御祖)。然(とれ)其髮者,御髮自落(おのづからおち)。握其手者,玉緒且絕(またたえ)。握其衣者,御衣便破(すなはちやれぬ)。是以雖取獲(とりえ)其御子,不得其(御祖)【○(おも)原文御祖(みおや)。】
 故,其軍士等(いくさども)還來(かへりき)奏言(をましていひ):「御髮自落,御衣易破(やすくやれ),亦所纏(まける)御手之玉緒便絕(すなはちたえぬ)。故不獲(えず)母后(御祖)取得(とりえたり)御子(のみ)。」爾天皇(垂仁)悔恨(くいうらみ),遂(にくみ)作玉人等(たまをつくりしひとども),皆奪取(うばひとりき)其地(そのところ)。故(ことわざ)曰:「不得(えぬ)(ところ)玉作(たまつくり)也。」
 亦天皇(垂仁)命詔(みことのり)(きさき)言:「(おほそ)子名必由母(なづくる)(いかにか)(いはむ)是子(このこ)御名(みな)?」爾(こたへ)白:「今當()(やく)稻城(いなき)之時,於火中(ほなか)所生(うめる)(ゆゑ)其御名,宜稱(いふべし)譽智別王(本牟智和氣御子)譽智別(ほむちわけ)原文ほむちわけ(本牟智和氣)火貴別(ほむちわけ)也。前文書譽津別(ほむつわけ)(また)命詔:「何為(いかにし)養育之(日足奉)養育(そたち)原文日足(ひたし),充足成長所需日數,即哺育幼兒之意。」答曰:「(とり)乳母(御母)以哺之。宜(さだめ)大湯坐(おほゆゑ)若湯坐(わかゆゑ),而哺育之(日足奉)。」故(まにまに)其后白,哺育(日足奉)也。
 又,問其后(狹穗姬)曰:「汝所()瑞小佩(美豆能をおび)者,誰解(たれかとかむ)(みづの),原文みづの(美豆能)以音。(つなぎ)原文(かためたる)」答曰:「丹波彥立道主王(旦波比古多多須美知宇斯のみこ)(むすめ)兄姬(え比賣)弟姬(おと比賣)茲二(このふたはしら)女王(をみなみこ),志並貞潔,淨公民(きよきおほみたから)也。故宜使也(つかふべし)。」(しかれども)(つひ)(ころしき)狹穗彥王(沙本毘古のみこ),其胞妹(伊呂も)狹穗姬(沙本毘賣)亦從也(またしたがひき)


譽津別王聞鵠聲而始語
譽津別王,至鬍鬚垂胸,不能言語。聞鵠聲始言。


大鶙追鵠巡國經路


出雲大神 大國主神結緣御神像
譽津別王長而不能言語,依夢告、卜食,則蒙大國主神之祟也。


出雲大社 拜殿


出雲大社 本殿暨八腳門


出雲大社 本殿
曙立王、菟上王副譽津別王拜訖大國主大神,譽津別王遂能言語。


肥河 斐伊川河口
肥長姬憂悲,自船光海原追來。


非時香菓 橘
非時木實,四季皆產之果實。


垂仁天皇陵陪塚 田道間守墓


菓祖神田道間守命御塚拜所


垂仁天皇 菅原伏見東陵

 故,天皇(垂仁)率遊(ゐてあそびき)御子(譽津別王)(かたち)者,乃斲尾張(をはり)相津(あひづ)二俣榲(ふたまたすぎ),作二俣小舟(ふたまたをぶね)(もち)上來(のぼりき),令(うけ)(やまと)市師池(いちしのいけ)輕池(かるのいけ),以為遊宴。
 (しかくし)是御子(このみこ)(いたる)八拳鬚(やつかひげ)垂于胸前(心さき),而不能言語(真言登波受)。故,今聞高往(たかくゆく)(くぐひ)(おと)(はじめ)牙牙學語(阿藝登比)。爾天皇(つかはし)山邊(やまのへ)大鶙(おほたか)【此者人名(ひとのな)不能言語(まこととはず)原文真事とはず(まこと登波受),則真言問(まことと)はず。牙牙學語(あぎとひ),原文あぎとひ(阿藝登比),則顎問(あぎと)ひ。令取(とらしめき)(とり)
 故,是人(大鶙)追尋(おひたづね)(くぐひ),自紀伊國(木のくに)播磨國(針間のくに),亦追越(おひこえ)稻羽國(因幡のくに)(すなはち)丹波國(旦波のくに)但馬國(多遲麻のくに)追迴(おひめぐり)東方(ひむかしのかた),到近江國(ちかつ淡海のくに)(すなはち)美濃國(三野のくに),自尾張國(をはりのくに)(つたひ)以追信濃國(科野のくに)(つひ)追到高志國(こしのくに)而於罠網(和那美)水門(みなと)張網(あみをはり)()其鳥而持上(もちのぼり)(たてまつりき)。故(なづけ)其水門,謂罠網(和那美)之水門也。【○罠網(わなみ)原文わなみ(和那美)以音,取張網設罠之意。稻羽(いなば)高志(こし)因幡(いなば)(こし)紀伊()播磨(はりま)丹波(たには)但馬(たぢま)近江(ちかつあふみ)美濃(みの)信濃(しなの),原文()針間(はりま)旦波(たには)多遲麻(たぢま)近淡海(ちかつあふみ)三野(みの)科野(しなの)。】

 亦,宸慮:「皇子(譽津別王)見其(とり)者,於(おもひし)物言(ものいはむ)。」然(あらず)如思(おもひしがごとく)(なし)物言(ものいふ)(こと)於是(ここに)天皇(垂仁)(うれへ)賜而御寢(みね)之時,(さとし)御夢(みいめ)曰:「修理(つくろひ)我宮(あがみや),如天皇(すめらみこと)御舍(みあらか)者,御子(譽津別王)能知言(真事登波牟)!」如此(かく)覺時,()太占(布斗摩邇)占相(うらなひ)(もとめし)何神(いづれのかみ)(こころ)爾祟(そのたたり)出雲大神(いづものおほかみ)御心(みこころ)【○能知言(まこととはむ)原文真事とはむ(まこと登波牟),則真言問はむ(まことと)はむ。太占(ふとまに)原文ふとまに(布斗摩邇)以音。出雲大神(いづものおほかみ)大國主命(おほくにぬしのみこと),其宮即出雲大社(いづものおほやしろ)。】

 於是(ここに),令其御子(譽津別王)(をろがみ)其大神宮(出雲大社)將遣(つかはさむ)之時,占之:「令副(そはしめ)誰人(たれ)(よけむ)?」爾,曙立王(あけたつのみこ)【○曙立王、菟上王,並彥坐王孫。】(あひき)(うら)
 故(おほせ)曙立王,令(宇氣比)白:「(より)(をろがむ)大神(大國主)(まこと)(しるし)者,令住(この)鷺巢池(さぎすのいけ)()(さぎ)(宇氣比)(おち)!」如此(かく)詔之時(のりたまひしとき),其鷺(おち)(しにき)(また)詔之:「(宇氣比)(いけ)!」爾者(しかすれば)(さらに)(いきぬ)【○(うけひ)原文うけひ(宇氣比)以音。】又,在甘白檮丘之前(甜かしをかのさき)葉廣(はびろ)熊白檮(くまかし),令誓枯(宇氣比かれ),亦令(宇氣比)生。【○甘白檮之前(あまかしのさき)甘樫丘(あまかしをか)之前端。(あま)原文(あま)。】
 爾,賜()其曙立王,(いひき)倭磯城鳥見豐朝倉(やまと者師木登美とよあさくら)曙立王。(すなはち)曙立王(あけたつのみこ)菟上王(うなかみのみこ)二王,(そへ)御子(譽津別王)遣之(つかはし)時,卜正(うらまさ):「自奈良戶(那良と)(あしなへ)(めしひ),自大坂戶(おほさかと)(あはむ)跛、盲。(ただ)紀伊戶(木と),是掖月(わきづき)吉戶(よきと)。」出行(いでゆく)之時,(ごと)坐地(ますところ)(さだめき)品遲部(ほむぢべ)也。【○(やまと)原文倭者(やまとの),古事記中()()偶有通用。磯城(しき)原文師木(しき)鳥見(とみ)原文登美(とみ)。其名號者,蓋大和國磯城、鳥見、朝倉等地之曙立王。奈良(なら)紀伊()原文那良(なら)()掖月(わきづき)意未詳,或云掖門(わきと)之訛,則側門之意。或云掖机(わきづき)之轉,而為(よき)之枕詞。】

 故,(いたり)出雲(いづも)拜訖(をろがみをはり)大神(大國主)還上(かへりのぼる)之時,作黑樔橋(くろきすばし)肥河(ひのかは)之中,仕奉(つかへまつり)假宮(かりみや)而坐。爾出雲國造(いづものくにのみやつこ)(おや)岐比佐祇(きひさ都美)(かざり)青葉山(あをばのやま)而立其河下(かはしも)將獻(たてまつらむ)大御食(おほみけ)【○(つみ)原文つみ(都美)以音。】時其御子(譽津別王)(のりたまひ)問賜(とひたまひき):「(この)河下(かはしも)(ごとき)青葉山者,見山(やまとみえ)非山(やまにあらず)(もし)(伊都玖)(います)出雲(いづも)石𥑎(いはくま)曾宮(そのみや)葦原醜男大神(あしはら色許をのおほかみ)(はふり)大庭(おほには)乎?」【○(いつく)原文伊都玖(いつく)以音,祭祀。石𥑎(いはくま),岩蔭之深奧處。曾宮(そのみや)未詳所在,非今日出雲大社之處。而其(その)字與(そなふ)同,備足之意。葦原醜男(あしはら色許を),大國主之別名,(しこ)字原文しこ(色許)以音,勇猛之意。(はふり)乃神職。大庭(おほには)為祭神之齋庭(ゆには)。】
 爾,所遣御伴(みとも)王等(みこたち)聞歡(ききよろこび)見喜(みよろこび),迎御子(譽津別王)檳榔之長穗宮(あぢまさのながほのみや),而貢上(たてまつりき)驛使(はゆまのつかひ)
 爾,其御子(譽津別王)一宿(ひとよ)(あひき)肥長姬(ひなが比賣)。然(ひそか)(うかかへ)美人(をとめ)者,(へみ)也。即見畏(みかしこみ)遁逃(にげき)。爾其肥長姬(ひなが比賣)(うれへ),自(ふな)(てらし)海原(うなはら)追來(おひきつ)。故,御子(譽津別王)(ますます)見畏,自山鞍(やま多和)(たわ)原文たわ(多和)以音。】引越(ひきこし)御船(みふね)逃上行也(にげのぼりゆきき)
 於是,覆奏(かへりこと)言:「因(をろがみ)大神(おほかみ)大御子(譽津別王)得以物詔(もののりたまひき)。故參上來(まゐのぼりき)覆命。」天皇(垂仁)歡喜(よろこび),即(かへし)菟上王(うなかみのみこ),令(つくろひ)(つくり)神宮(出雲大社)。於是,天皇因其御子(譽津別王)(さだめ)鳥取部(ととりべ)鳥飼部(とり甘べ)品遲部(ほむぢべ)大湯坐(おほゆゑ)若湯坐(わかゆゑ)【○令(つくり)神宮(出雲大社),或訓 令(つくろひ)神宮(出雲大社)(かひ甘)原文(かひ)𩚵(かひ)之略也。】

 又,(まにまに)其后(狹穗姬)(まをし)喚上(めしあげき)道主王(美知能宇斯のみこ)女等(むすめたち)日葉酢姬命(比婆須比賣のみこと)弟姬命(おと比賣のみこと)歌凝姬命(うたこり比賣のみこと)圓野姬命(まとの比賣のみこと)(あはせ)四柱(よはしら)(しかれども),僅(とどめ)日葉酢姬命(比婆須比賣のみこと)弟姬命(おと比賣のみこと)二柱(ふたはしら),而其妹王(弟みこ)二柱者,因(いと)凶醜(みにくき)故,返送(かへしおくりき)本主(もとつぬし)【○妹王(おとみこ)原文弟王(おとみこ)本主(もとつぬし),其親,此云道主王(みちのうしのみこ)。】
 於是(ここに)圓野姬命(まとの比賣のみこと)(はぢ)言:「(おなじ)姊妹(兄弟)(なか),以姿醜(かたちみにくき)被還之事(かへさえしこと),若(きこえむ)鄰里(ちかきさと)者,(これ)慚矣(はづかし)!」而到山城國(山代のくに)相樂(さがらか)時,取懸(とりさがり)樹枝(きのえだ)欲死(しなむとおもひき)。故(なづけ)其地謂懸木(さがりき),今云相樂(さがらか)。又到弟國(おとくに)之時,遂(おち)峻淵(さがしきふち)(しにき)。故號其地(そこ)墮國(おちくに),今云弟國(おとくに)也。【○姊妹(はらから)原文兄弟(はらから)弟國(おとくに)乙訓(おとくに)。】

 又,天皇(垂仁)三宅連(みやけのむらじ)等之(おや)田道間守(多遲麻毛理),遣常世國(とこよのくに)令求(もとめしめき)非時木實(登岐士玖能このみ)。故田道間守(多遲麻毛理)(つひに)到其國,(とり)木實(このみ),以(かげ)八縵、(ほこ)八矛將來之間(もちくるあひだ)天皇(垂仁)既崩(すでにかむあがりき)【○田道間守(たぢまもり)原文たぢまもり(多遲麻毛理)以音。非時(ときじくの)原文ときじくの(登岐士玖能)以音,書紀作非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)。】
 故,田道間守(多遲麻毛理)(わけ)縵四縵、矛四矛,(たてまつり)大后(日葉酢姬)(もち)縵四縵、矛四矛,獻置(たてまつりおき)天皇(すめらみこと)御陵戶(みさざきのと)。遂(ささげ)木實(このみ)叫哭(さけびなき)(まをさく):「常世國(とこよのくに)非時木實(登岐士玖能このみ)持參上侍(もちまゐのぼりてはべり)!」(つひ)叫哭死也(さけびなきてしにき)。其非時木實(登岐士玖能このみ)者,(これ)(たちばな)者也。

 此天皇(垂仁)御年(みとし)壹佰伍拾參歲(ももあまりいあまりみとせ)御陵(みさざき),在菅原(すがはら)御立野中(みたちのなか)也。
 又,其大后(おほきさき)日葉酢姬命(比婆須比賣のみこと)之時,定石祝作(いしつくり),又定土師部(はにしべ)此后(日葉酢姬)者,(はぶりき)狹木(さき)寺間陵(てらまのみさざき)也。

日本武尊

一、西征東討

 大足日子忍代別(おほ帶ひこ淤斯呂和氣)天皇(すめらみこと),坐纏向日代宮(まきむく之ひしろのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)景行天皇(けいかうてんわう)。】

 此天皇(景行)(めとり)吉備臣(きびのおみ)等之(おや)若武吉備津彥(わか建きびつ日子)(むすめ)播磨(針間)稻日大郎女(伊那毘能おほいらつめ)【○(たけ)播磨(はりま)原文(たけ)針間(はりま)稻日(いなび)の原文いなびの(伊那毘能)以音。】
  生御子(みこ)櫛角別王(くしつのわけのみこ)
  次,大碓命(おほうすのみこと)
  次,小碓命(をうすのみこと)亦名(またのな)倭童男命(やまとを具那のみこと)【○童男(をぐな)原文男ぐな(を具那)倭武命(やまとたけるのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)。】
  次,倭根子命(やまとねこのみこと)
  次,神櫛王(かむくしのみこ)五柱(いはしら)。】
 次,又娶八尺入彥命(やさかのいり日子のみこと)之女八坂入姬命(やさか之いり日賣のみこと)
  生御子,若足日子命(わか帶ひこのみこと)【○(たらし)原文(たらし)成務天皇(せいむてんわう)。】
  次,五百木入日子命(いほき之いりびこのみこと)
  次,押別命(おしわけのみこと)
  次,五百木入姬命(いほき之いり日賣のみこと)
 又,(みめ)
  子,豐戶別王(とよとわけのみこ)
  次,沼代郎女(ぬのしろのいらつめ)二柱(ふたはしら)。】
 (また),妾。
  子,沼名木郎女(ぬらきのいらつめ)
  次,香依姬命(かぐ余理比賣のみこと)【○(より)原文より(余理)以音。】
  次,若木入彥王(わかき之いり日子のみこ)
  次,吉備兄彥王(きびの之え日子のみこ)
  次,高木姬命(たかぎ比賣のみこと)
  次,弟姬命(おと比賣のみこと)
 又,娶日向(ひむか)御刀姬(美波迦斯毘賣)【○御刀(みはかし)原文みはかし(美波迦斯)以音。】
  生御子,豐國別王(とよくにわけのみこ)
 又,娶稻日大郎女(伊那毘能おほいらつめ)()稻日若郎女(伊那毘能わかいらつめ)【○稻日(いなび)の原文いなびの(伊那毘能)以音。】
  生御子,真若王(まわかのみこ)
  次,彥人大兄王(日子ひと之おほえのみこ)
 又,娶倭武命(やまと建のみこと)曾孫(ひひこ)皇某大中彥王(須賣伊呂おほなかつ日子のみこ)之女香黑姬(訶具漏比賣)【○皇某(すめいろ)香黑(かぐろ)原文すめいろ(須賣伊呂)かぐろ(訶具漏)以音。】
  生御子,大枝王(おほえのみこ)
 (おほよそ),此大足日子天皇(おほ帶ひこのすめらみこと)御子等(みこたち)所錄(しるせる)廿一王(はたあまりひとはしらのみこ)不入記(いれしるさぬ)五十九王(いあまりここのはしらのみこ)(あはせ)八十王(やそはしらのみこ)(なか)若足日子命(わか帶ひこのみこと)倭武命(やまと建のみこと)五百木入日子命(いほき之いりびこのみこと)三王,(おひき)太子(ひづきのみこ)()。自(ほか)其七十七王者,(ことごとく)別賜(わけたまひき)國國(くにぐに)國造(くにのみやつこ),亦(和氣)稻置(いなき)縣主(あがたぬし)也。【○(わけ)原文わけ(和氣)以音。】

  故,若足日子命(わか帶ひこのみこと)者,(しろしめし)天下也。
  小碓命(をうすのみこと)者,(たひらげき)東西(ひむかしにし)荒神(あらぶるかみ)不伏人等(したがはぬひとども)也。【○日本武尊(やまとたけるのみこと)。】
  次,櫛角別王(くしつのわけのみこ)者,茨田下連(うまらたのしものむらじ)等之(おや)
  次,大碓命(おほうすのみこと)守君(もりのきみ)大田君(おほたのきみ)島田君(しまだのきみ)之祖。
  次,神櫛王(かむくしのみこ)者,紀國(木のくに)酒部阿比古(さかべのあひこ)宇陀酒部(うだのさかべ)之祖。【○阿比古(あひこ)或書我孫(あひこ)(かばね)也。】
  次,豐國別王(とよくにわけのみこ)者,日向國造(ひむかのくにのみやつこ)之祖。

 於是,天皇(景行)聞看(きこしめし)美濃國造(三野のくにのみやつこ)(おや)大根王(おほねのみこ)(むすめ)兄姬(え比賣)弟姬(おと比賣)孃子(をとめ)(さだめ)容姿(かたち)麗美(うるはし)。故(つかはし)御子(みこ)大碓命(おほうすのみこと)喚上(めしあげき)。然,其所遣(つかはさえし)大碓命,()如實召上(めしあぐる)(すなはち)己自(みづから)(あひ)二孃子(ふたりのをとめ)(さらに)(もとめ)他女(あたしをみな)(いつはり)(なづけ)其孃女而貢上(たてまつりき)於是(ここに)天皇(すめらみこと)知其()女,(つねに)令經(へしめ)長暇(ながきいとま),亦勿婚(あふことなく)惚惱也(なやましき)【○聞看(きこしめし),聽聞之敬語。長暇(ながきいとま),不予寵幸。(なやまし)(なやまし)也。(なく)原文(なく)(あたし)原文(あたし)。】

  故,其大碓命(おほうすのみこと)(めとり)兄姬(え比賣)
   生子,押黑之兄彥王(おしくろのえ日子のみこ)【此者,美濃(三野)宇泥須別(うねす和氣)之祖。宇泥須(うねす)蓋地名。(わけ)原文わけ(和氣)以音。
  大碓命(また)弟姬(おと比賣)
   生子,押黑之弟彥王(おしくろのおと日子のみこ)【此者,身毛君(牟宜都のきみ)等之祖。身毛(牟宜都むげつ)原文むげつ(牟宜都)以音。

 此之(景行)御世(みよ)(さだめ)田部(たべ),又定東之淡水門(あづまのあはのみなと)。又定膳之大伴部(かしはてのおほともべ)。又定倭屯家(やまとのみやけ)。又作坂手池(さかてのいけ),即(うゑき)(たけ)(つつみ)也。

 一旦,天皇(景行)小碓命(をうすのみこと):「何汝兄(なむちがえ)朝夕(あしたゆふべ)大御食(おほみけ)不參出來(まゐいでこぬ)(もはら)犒撫(泥疑)教覺(をしへさとせ)!」如此(かく)(のりたまひ)以後(のち)至于(いたるまで)五日(いつか)(なほ)不參出(まゐいでず)【○犒撫(ねぎ),原文ねぎ(泥疑)以音,安撫、慰勞之意。或譯犒勞(ねぎ)。】
 爾,天皇(すめらみこと)問賜(とひたまはく)小碓命:「(なにとかも)汝兄(ひさしく)不參出(まゐいでぬ)(もし)未誨(いまだをしへず)乎?」答白:「(すでに)犒勞(泥疑)也。」又詔:「如何(いかにか)犒勞(泥疑)之?」答白:「朝曙(あさけ)(かはや)之時,待捕(まちとらへ)大碓命,搤批(とりひだき)引闕(ひきかき)()(つつみ)(こも)投棄(なげうてつ)!」【○搤批(とりひだき),捉拿押潰。引闕(ひきかき),扯斷。()原文(えだ)。】
 於是,天皇(景行)(おそり)御子(小碓命)荒暴(建荒)(こころ)而詔之:「西方(にしのかた)熊襲武(くま曾建)二人(ふたり),是不伏(したがはず)無禮(ゐやなき)人等。故,(とれ)人等(ひとども)!」而(つかはしき)【○荒暴(あらぶる)原文建荒(たけくあらき)熊襲武(くまたける)原文熊曾建(くまそたける),書紀作熊襲梟帥(くまたける)。】

 (あたり)此之時(このとき),小碓命尚束髮結額(ひたひにゆひき),總角少年也。爾受授()(をば)倭姬命(やまと比賣のみこと)御衣(みけし)御裳(みも),以(つるぎ)(いれ)(みふつくろ)而,幸行(いでましき)【○御髮(みかみ)結額(ひたひにゆひき),十五、六歲之少年。受授(たまはり)原文(たまはり)。】
 故,(いたり)熊襲武(くまたける)(いへ)而見者,於其家邊(いへのへ)(いくさ)(かくみ)三重(みへ),作(むろ)(をりき)。於是,言響(いひ動):「為御室宴(みむろの樂)。」設備(まうけそなへき)食物(くらひもの)。故,遊行(あそびありき)(かたはら)(まちき)宴日(樂のひ)【○言響(いひとよみ)原文言動(いひとよみ),人聲嘈雜之狀。御室宴(みむろのあそび)原文御室樂(みむろのあそび),慶祝新居之宴會。宴日(あそびのひ)原文樂日(あそびのひ)。】
 爾,(のぞみ)宴日(樂のひ),小碓命梳垂(けづりたれ)結髮(ゆへるみかみ),佯(ごとく)童女(をとめ)(かみ)()其姨(倭姬)御衣(みけし)御裳(みも)(すでに)童女(をとめ)姿(すがた)交立(まじりたち)女人(をみな)(なか)入坐(いりましき)室內(むろのうち)
 熊襲武(くま曾建)兄弟(はらから)二人,見感(みめで)孃子(小碓),使坐於己中(おのがなか)盛樂(さかりにあそびき)。故,(のぞみ)其兄弟酣時(たけなはなるとき)小碓命(をうすのみこと)(ふつくろ)(つるぎ),取熊襲(くま曾)衣衿(ころものくび),以劍刺通(さしとほし)(むね)。時,其弟武(おと建)見畏(みかしこみ)逃出(にげいでき)(すなはち)追至(おひいたり)其室之梯本(椅のもと),取其背皮(せのかは),持(つるぎ)刺通弟(しり)【○見感(みめで)原文見咸(みめで)者,咸為感之略字。(はし)原文(はし)。】

 爾,其熊襲武(くま曾建)白言:「且(なかれ)(うごかす)(たち)(やつかれ)白言(まをすこと)!」爾小碓命暫許(しまらくゆるし)押伏(おしふせき)。於是熊襲武(くまそたける)(いひし):「汝命(ながみこと)者,(たれぞ)?」爾(のりたまひ):「(あれ)者,纏向日代宮(まきむく之ひしろのみや)()大八島國(おほやしまくに)大足日子忍代別天皇(おほ帶ひこ淤斯呂和氣のすめらみこと)御子(みこ)倭童男王(やまとを具那のみこ)者也。以天皇(景行)詔:『朕聞看(きこしめし)(意禮)熊襲武(くま曾建)二人,不伏(したがはず)無禮(ゐやなし)。當取殺(とりころせ)(意禮)矣。』負命而(つかはせり)。」【○(しろし)原文(しろし)(おれ)原文おれ(意禮)以音,第二人稱輕蔑用語,此指熊襲武(くまそたける)兄弟。】
 爾,其熊襲武(くま曾建)白:「信然也(まことにしかあらむ)!於西方(にしのかた)(おき)二人(ふたり),無猛強人(建こはきひと)(しかれども)大倭國(おほやまとのくに),有猛男(建を)()吾二人者(いまし)(祁理)是以(ここをもちて),吾(たてまつらむ)御名(みな)自今以後(いまよりのち)應稱(いふべし)倭武御子(やまと建のみこ)!」是事(このこと)白訖(まをしをはるに)(すなはち)斬裂(振析)熟瓜(ほそぢ)殺也(ころしき)。故(より)其時(そのとき)(たたへ)小碓命(をうすのみこと)御名(みな)(いふ)倭武命(やまと建のみこと)【○(たけ)(たけ)二字,原文作(たけ)(まさる)原文作(まし)(けり)原文けり(祁理)以音。斬裂(きりさき)原文振析(ふりさき)者,(さき)(さき)同。】
 然而(しかくして)倭武命(やまとたけるのみこと)還上(かへりのぼる)之時,(みな)降服平和(言向和)山神(やまのかみ)河神(かはのかみ),及穴戶神(あなとのかみ)等而參上(まゐのぼりき)【○降服平和(ことむけやはし)原文言向和(ことむけやはし),令其歸順降伏。穴戶(あなと)(あな)未詳,()指河口與河海兩岸相峙之處。】


景行天皇 纏向日代宮跡
大足日子忍代別命,坐纏向日代宮治天下。立若足日子命、倭武命、五百木入日子命三人為太子。


播磨稻日大郎姬命日岡陵
稻日大郎姬,日本武尊之母。


日本平 日本武尊銅像
小碓命,尊號倭武命、日本武尊。


大鳥神社 日本武尊像


日本武尊肖像、日本武尊畫像


名石神社
祭景行帝、御刀姬、豐國別王。


草薙神社 日本武尊像


神櫛王墓
神櫛王,紀伊酒部、宇陀酒部祖。


景行天皇 泳宮蹟
美濃弟姬傳說承傳地。按書紀,景行帝幸美濃,聞弟媛有國色而通之。然弟媛不好交道,遂辭讓,薦其姊八坂入媛納於後宮。


鏡作坐天照御魂神社
坂手池,在今奈良田原本町坂手。


猿投神社
主祭神大碓命。社傳,大碓命遭蛇吻於猿頭山而薨,及葬於此。享年卌二歲。與古事記異。


熊襲穴
傳熊襲武兄弟為御室樂之新室。


熊襲穴 室內
倭武命梳垂其髮、服其姨衣裳,佯作童女,混立女眾,入其室內。


日本武尊誅熊襲武
小碓命押伏熊襲武,熊襲武獻尊號倭武命既訖,誅之猶裂熟瓜。


隼人塚 熊襲塚
傳熊襲隼人族慰靈之塚。

 即,倭武命(やまとたけるのみこと)入坐(いりましき)出雲國(いづものくに)欲殺(ころさむとおもひ)出雲武(いづも建)(いたり)即佯與結友(うるはしみをむすびき)。故(ひそかに)赤檮(いちひ)詐刀(いつはりのたち)御佩(みはかし)(ともに)(かはあみき)肥河(ひのかは)
 爾倭武命(やまと建のみこと)(まづ)自河(あがり)岸,取佩(とりはき)出雲武(いづも建)解置(ときおける)橫刀(たち)而詔:「願(おもふ)易刀(たちをかへむ),以示交好。」故(のち)出雲武(いづも建)(より)(あがり)岸而(はきき)倭武命(やまと建のみこと)之詐刀。
 於是,倭武(やまと建)(あとらへ)云:「去來(伊奢)()刀!」爾(おのおの)(ぬかむ)其刀之時,出雲武(いづも建)不得(えず)詐刀(いつはりのたち)倭武命(やまと建のみこと)即拔其刀而打殺(うちころしき)出雲武(いづも建)。爾,倭武命(やまとたけるのみこと)御歌(みうた)曰:【○去來(いざ)原文いざ(伊奢)以音,邀約語氣詞。(あはせ)原文(あはせ)。】

 故,如此(かく)撥治(はらひをさめ)參上(まゐのぼり)覆奏(かへりことまをしき)

 爾天皇(景行)(しきり)倭武命(やまと建のみこと):「降服(言向)和平(やはしたひらげ)東方(ひむかしのかた)十二道(とをあまりふたつのみち)荒振神(あら夫琉のかみ)不順人等(摩都樓波奴ひとども)!」而(そへ)吉備臣(きびのおみ)等之(おや)御鉏友耳武彥(みすきともみみ建日子)遣之(つかはしし)。時()柊木(比比羅ぎ)八尋矛(やひろほこ)【○荒振(あらぶる)(ぶる)字原文ぶる(夫琉)以音。不順(摩都樓波奴),原文まつろはぬ(摩都樓波奴)以音,(まつろ)はぬ。御鉏友耳武彥(みすきともみみたけひこ),是即吉備武彥(きびのたけひこ)柊木(ひひら)原文ひひら(比比羅)以音。】

 故,倭武命(やまとたけるのみこと)受命(みことをうけ)罷行之時(まかりゆきしとき)參入(まゐいり)伊勢大御神宮(いせのおほみかみのみや)(をろがみ)神朝廷(かみのみかど)(すなはち)(まをさく)(をば)倭姬命(やまと比賣のみこと)者:「天皇(すめらみこと)(すでに)所以(ゆゑ)()(しね)乎?(なに)(うち)西方惡人(あしきひと)等而返參上來之間(かへりまゐのぼりこしあひだ)(いまだ)(へぬ)幾時(いくばくのとき)不賜(たまはず)軍眾(いくさども)今更(いまさらに)(つかはしつ)(たひらげ)東方十二道(とをあまりふたつのみち)惡人等(あしきひとども)因此(これにより)思惟(おもふ)(なほ)所思看(おもほしめす)(あれ)既死焉!」患泣(うれへなき)(まがり)退。【○神朝廷(かみのみかど),此云伊勢神宮。倭姬命(やまとひめのみこと)時任齋宮(いつきのみや)。】
 時,倭姬命(やまと比賣のみこと)(たまひ)草薙劍(くさ那藝のつるぎ)(また)錦囊(みふくろ)(のりたまひ):「(もし)急事(にはかなること)(とけ)茲囊口(このふくろのくち)!」【○草薙劍(くさなぎのつるぎ)者,即天叢雲劍(あまのむらくものつるぎ)。】

 故,倭武命(やまとたけるのみこと)尾張國(をはりのくに)入坐(いりましき)尾張國造(くにのみやつこ)(おや)宮簀姬(美夜受比賣)(いへ)【○宮簀姬(みやずひめ)原文みやずひめ(美夜受比賣)以音。】雖思(おもへども)將婚(あはむ),亦(おもひ)還上之時(かへりのぼらむとき)將婚。期定(ちぎりさだめ)(いでまし)東國(ひむかしのくに)(ことごとく)降服(言向)和平(やはしたひらげ)山河(やまかは)荒神(あらぶるかみ)不伏人等(したがはぬひとども)

 (かれ)爾,到相模國(さか武のくに)之時,其國造(いつはり)白:「於此野中(このののなか)大沼(おほきぬま)(すめる)是沼中(このぬまのうち)之神,甚千早振神(道速ぶるかみ)也。」於是(ここに)倭武命(やまとたけるのみこと)將看行(みそこなはさむ)其神,入坐其野(そのの)【○相模(さかむ)原文相武(さかむ)千早振(ちはやぶる)原文道速振(ちはやぶる),稜威勢猛之狀。看行(みそこなはむ)觀覽(みそこなはむ)之意。】
 爾其國造(相模)火著(ひをつけき)其野。故倭武命(やまとたけるのみこと)見欺(あざむかえぬ)解開(ときあけ)其姨倭姬命(やまと比賣のみこと)之所()囊口(ふくろのくち)見者(みれば)燧石(火打)()(うち)【○燧石(ひうち)原文火打(ひうち)。】
 於是,倭武命(やまとたけるのみこと)先以其御刀(天叢雲劍)刈撥(かりはらひ)(くさ),復以燧石(火打)打出(うちいだし)火,(つけ)向火(むかひび)燒退(やきそけ)還出(かへりいで)。故皆切滅(きりほろぼし)其國造等,即著火(やきき)。故,於今(いふ)燒遺(やきつ)也。【○燒遺(やきつ)今書燒津(やきつ)草薙劍(くさなぎのつるぎ)名典故。】

 自(相模)入幸(いりいでまし),更指東行,而(わたり)走水海(はしりみづのうみ)之時,其渡神(わたりのかみ)(おこし)(なみ)(めぐらせ)(ふね),不得進渡(すすみわたる)
 爾其(きさき)弟橘姬命(おとたちばな比賣のみこと)白之:「(あれ)(かはり)御子而(いらむ)海中(うみのなか),以息神怒。御子(みこ)者,應(とげ)所遣之政(つかはさえしまつりごと)覆奏(かへりことまをす)。」將入海時,以菅疊(すがたたみ)八重(やへ)皮疊(かはたたみ)八重、絁疊(きぬたたみ)八重,(しき)波上(なみのうへ)下坐(おりましき)其上(そのうへ)。於是,其暴浪(あらなみ)自伏(おのづからなぎ)御船(みふね)得進。其后(弟橘姬)歌曰(うたひていはく)

 故,七日之後(なぬかののち)其后(弟橘姬)御櫛(みくし),漂(よりき)海邊(うみへ)倭武命(やまとたけるのみこと)(とり)其櫛,作御陵(みさざき)納置(治おきき)也。【○(をさめ)原文(をさめ)。御陵今在橘樹神社。】

 自(走水)入幸,倭武命(やまとたけるのみこと)(ことごとく)降服(言向)荒振(あら夫琉)蝦夷(えみし)等,亦平和(たひらげやはし)山河荒神等(あらぶるかみたち)。將還上幸(かへりのぼりいでまし)時,到足柄(あしがら)坂本(さかもと),於(はむ)御粮(みかりて)(ところ)其坂神(そのさかのかみ)白鹿(しろきか)來立(きたちき)。爾,倭武命(やまとたけるのみこと)即以其咋遺(くひのこせる)蒜之片端(ひるのかたはし)待打(まちうち)者,(あて)(),乃打殺也(うちころしき)
 故,登立(のぼりたち)其坂(足柄坂)三歎(みたびなげき)詔云:「吾妻者耶(阿豆麻波夜)!」故,(なづけ)其國(東國)吾妻(阿豆麻)也。【○吾妻者耶(あづまはや),原文あづまはや(阿豆麻波夜)以音,吾妻(あづま)はや。故稱東國(あづまのくに)吾妻(あづま)。】

 即自其國(東國)越出(こえいで)甲斐(かひ),坐酒折宮(さかをりのみや)(ときに)歌曰:

 爾,其焚火(御火燒)夜戍之老人(おきな)(つぎ)御歌(みうた)以歌曰:【○焚火(みひたき)原文御火燒(みひたき),炊篝火警戍者。】

 倭建命是以(ほめ)其老人,即()東國造(あづまのくにのみやつこ)也。


肥河 斐伊川堤防
倭武命與出雲武詐友,共沐肥河。
誅出雲武歌:「八芽指藻兮 雲州梟帥出雲健 其所佩大刀 黑葛多纏誠華麗 然無中身令人憐


金象嵌兩添刃鐵鉾
大山祇神社古稱大山積御鉾大明神,或云柊八尋矛,其形相似。


伊勢神宮 皇大神宮 宇治橋


倭姬命為伊勢齋祭祀大神圖


倭姬命授神劍、錦囊於倭武命


日本武尊以寶劍薙草免危難


弟橘姬像
弟橘姬命投海歌:「吾憶實指兮 相模燒津小野間 野火燔以燃 妾立火中忐忑時 君呼吾名妾念君


倭武命與弟橘姬命
倭武命登足柄坂,戀妻三嘆「吾妻者耶!」遂稱東國謂吾妻。


酒折宮


連歌發祥地之碑
倭武詢日曲:「吾等經新治 復過筑波去有程 幾夜宿兮寢幾夜焚火老答歌:「日日並計者 夜者所度已九夜 日者十日既已逝


斷夫山古墳
傳日本武尊妃宮簀姬墓。
倭武命見宮簀姬經血歌:「遙遙久方天 秋津洲天香具山 發鳴銳喧囂 白鳥鵠兮渡虛空 佳人若彼鵠 吾欲執汝弱細腕 撓腕為枕共纏眠 吾雖心意欲如此 雖欲共相寢 吾意相枕雖如斯 則知汝所著 襲衣之襴見月色 朱染衣裾阻纏綿答歌:「高光普下照 天津日之御子矣 八方治天下 八紘御宇我大君 年新年易改 年年來經年逝去 月新月易改 月月來經月逝去 宜誠矣 宜誠矣 宜誠矣 妾守空閨苦待君 故吾所著者 襲衣之襴見月色 朱染衣裾阻纏綿


宮簀媛命拜受寶劍圖


居寤清泉 居醒清水


杖衝坂

倭武命讚一松歌:「其往尾張國 直面正向尾津崎 尾津崎之上 尾津前一松 吾兄丈夫一本松 汝若有命為人者 願為配劍繫太刀 願為著衣且戴冠 丈夫一松吾兄矣


平群神社
倭武命足如三重勾而甚疲。
倭武命思國歌其一:「大和倭國者 國之真秀可怜國 層層疊重矣 青山猶青垣 青垣圍繞籠國兮 大和美兮不勝收其二:「稚命發活力 生氣盛兮青年矣 層層疊薦兮 平群山熊白檮葉 取彼檮葉為髻華 插頭嬉遊矣 稚兮青年者


日本武尊能褒野墓 能褒野白鳥陵
倭武命能煩野片歌:「愛也思念茲 吾家之方故鄉處 雲層湧兮飄來矣病急彌留歌:「美夜受孃子 在其香閨床邊處 我所置神劍 草薙叢雲劍太刀 稜威彼其太刀矣


熱田神宮
倭武命薨後,宮簀媛祀其所留草薙劍於尾張,是為熱田神宮之始。

倭武命御葬歌:「靡付水漬田 陵周田間稻莖上 於彼稻莖間 匍匐這迴野老蔓 吾若彼蔓哭徘徊:「低淺篠竹原 篠迴腰間滯行路 吾等無以翔大空 只得淀足步闌珊:「行至海處者 水浸腰間滯行路 其猶大河原 水面無根漂植草 吾等步海處 隨波猶豫漂逐流:「白鵠濱千鳥 不趨濱邊易往處 徑去磯上難行處


白鳥神社
在日本武尊舊市邑白鳥陵附近。


日本武尊 舊市邑白鳥陵
倭武命死後化白鳥,留河內國志幾。故作白鳥御陵。按日本書紀云:「飛至河內,留舊市邑。」


日本武尊傳說 弟橘姬入水
弟橘姬為倭武命捨身入海,生有一子若建王。風土記作弟橘皇后。


宮道別氏神 宮道天神社
祭神武卵王,或書建貝兒王。


伊吹山頂 日本武尊像


伊吹山 倭武命與山豬像


冰上姉子神社元宮 宮簀媛館跡


熱田神宮 土用殿
土用殿用於收納草薙劍至近世。


景行天皇 山邊道上陵

二、武尊薨逝

 倭武命(より)其國(甲斐)(こえ)信濃國(科野のくに)(すんはち)降服(言向)信濃(科野)坂神(さかのかみ),而還來(かへりき)尾張國(をはりのくに)入坐(いりましき)先日(さきのひ)所期(ちぎれる)宮簀姬(美夜受比賣)(もと)【○降服(ことむけ)原文言向(ことむけ)信濃(しなの)原文科野(しなの)宮簀姬(美夜受比賣)原文みやずひめ(美夜受比賣)以音。信濃坂神(しなののさかのかみ),此云神坂峠(みさかたうげ)。】
 於是(ここに),獻大御食(おほみけ)之時,其宮簀姬(美夜受比賣)(ささげ)大御酒盞(おほみさかづき)(たてまつりき)。爾,宮簀姬(美夜受比賣)月經(さはり)(つけたり)襲衣(意須比)(すそ)【○月經(さはり),此云經血。襲衣(おすひ)原文おすひ(意須比)以音。】 倭武命(やまとたけるのみこと)見其月經,故御歌(みうた)曰:

 爾,宮簀姬(美夜受比賣)(こたへ)御歌曰:

 故爾,御合(みあひ)共枕。倭武命(やまとたけるのみこと)遂以其御刀(みはかし)草薙劍(くさ那藝のつるぎ)宮簀姬(美夜受比賣)(もと),將取伊吹山(い服岐能やま)之神而幸行(いでましき)【○御合(みあひ),結婚也。(なぎ)原文なぎ(那藝)以音。伊吹(いふき)原文いふき(伊服岐)以音。】

 於是,倭武命(やまとたけるのみこと)詔:「茲山神(このやまのかみ)者,徒手(むなで)直取(ただにとらむ)!」(のぼり)其山之時,(あひき)白豬(しろきゐ)山邊(やまのへ)。其(おほきさ)如牛(うしのごとし)。爾倭武命揚言(言舉)(のりたまはく):「是(なれる)白豬者,其神之使者(つかひ)。今雖不殺(ころさずとも)還時(かへらむとき)將殺(ころさむ)!」語而登(のぼり)。於是,大冰雨(おほひさめ)(ふらし)打惑(うちまとはしき)倭武命(やまと建のみこと)【此化白豬者,(あらず)其神之使者,(あたれり)其神之正身(ただみ)。因揚言(言舉)見惑也。揚言(ことあげ)原文言舉(ことあげ),古俗有言靈信仰,以為輕易揚言為不善。大冰雨(おほひさめ),冰雹。

 故,倭武命(やまとたけるのみこと)因而還下(かへりくだり)(いたり)玉倉部(たまくらべ)清泉(しみづ)以歇(いこひ)之時,御心(みこころ)(やをやく)(さめき)。故(なづけ)其清泉(いふ)居寤清泉(ゐさめのしみづ)也。

 自其處(居寤清泉)(たち),到當藝野上(たぎののうへ)之時,倭武命(やまとたけるのみこと)詔者:「吾心(あがこころ)(つねに)(おもふ)自虛(そらより)翔行(かけりゆかむ)(しかれども)吾足(あがあし)不得步(あゆむことえず),成坎坷不平矣(當藝當藝斯玖)。」故號其地(そこ)當藝(たぎ)也。【○坎坷不平矣(たぎたぎしく),原文たぎたぎしく(當藝當藝斯玖)以音,惡路凹凸坎坷之狀。常陸國風土記有地深淺(つちたぎたぎ)之語。】
 又自其地(當藝)幸行(いでます)差少(ややすこし),因甚疲(はなはだつかれたる),故(つき)御杖(みつゑ)稍步(やをやくあゆみき)。故(なづけ)其地(いふ)杖衝坂(つゑつきさか)也。到尾津崎(をつの前)一松(ひとつまつ)(もと),見(さき)御食之時(みをしせしとき)所忘(わすれたる)其地御刀(みはかし)不失(うせず)猶在(なほ有)(しかくし)倭武命御歌(いはく)

 倭武命自其地(尾津崎)幸,到三重村(みへのむら)之時,(また)詔之:「吾足(ごとく)三重勾(みへにまがれる)甚疲(はなはだつかれたり)!」故號其地(そこ)三重(みへ)。自(三重)幸行而到能煩野(のぼの)之時,思國(くにをしのひ)(うたひ)曰:

 又,歌(いはく)

 此歌(このうた)者,思國歌(くにしのひうた)也。
 (また),歌曰:

 此者(これは)片歌(かたうた)也。
 此時,倭武命御病(みやまひ)甚急(いとにはかなり)。爾,御歌(みうた)曰:

 歌竟(うはひをはり)(すなはち)(みまかりましき)。爾,貢上(たてまつりき)驛使(はゆまのつかひ)
 於是,居坐(やまと)后等(きさきたち)御子等(みこたち)(もろもろ)下到(くだりいたり)伊勢能煩野而(つくり)御陵(みさざき)。即匍匐(はらばひ)(めぐり)其地之潦田(那豆岐た)(なき)(なづき)原文なづき(那豆岐)以音。】為歌(うたよみし)曰:

 於是,倭武命化八尋白千鳥(やひろのしろ智とり)(かけり)天而(むかひ)飛行(とびゆきき)()原文()以音。】爾其后及御子等,雖足䠊破(きりやぶれ)於其小竹(しの)苅杙(かりくひ)(わすれ)(いたみ)哭追(なきおひき)。此時,歌曰:

 又家人入其海潮(海鹽)(那豆美)行時,(なづみ)原文なづみ(那豆美)以音。海潮(うしほ)原文海鹽(うしほ)歌曰:

 又,飛(ゐし)(いそ)之時,家人歌曰:

 是四歌(このよつのうた)者,皆(うたひき)倭武命(やまとたけるのみこと)御葬(みはぶり)也。故至今(いまにいたるまで)其歌者,歌天皇(すめらみこと)大御葬(おほみはぶり)也。

 故自其國(いせ)飛翔行(とびかけりゆき)(とどまりき)河內國(かふちのくに)志幾(しき)。故於其地(そこ)御陵(みさざき)鎮坐也(しづめいませき)。即(なづけ)其御陵,謂白鳥(しらとり)御陵(みさざき)也。(しかれども),亦自其地(さらに)翔天(あめにかけり)飛行(とびゆきき)
 (おほよそ)倭武命(やまと建のみこと)(たひらげ)迴行(めぐりゆきし)之時,久米直(くめのあたひ)之祖七拳脛(ななつかはぎ)(つねに)膳夫(かしはて),以(したがひ)仕奉也(つかへまつりき)

 此倭武命(やまと建のみこと)活目(伊玖米)天皇(垂仁)之女兩道入姬命(布多遲能伊理毘賣のみこと)【○活目(いくめ)兩道入姬(ふたぢのいりびめ),原文いくめ(伊玖米)ふたぢのいりびめ(布多遲能伊理毘賣)以音。】
  生御子,帶仲日子命(帶中津ひこのみこと)【一柱。仲哀天皇(ちうあいてんわう)帶仲日子(たらしなかつひこ)原文帶中津日子(たらしなかつひこ)
 又,(めとり)入海(うみにいりし)弟橘姬命(おとたちばな比賣のみこと)
  生御子,若建王(わかたけるのみこと)【一柱。】
 又娶近江(ちかつ淡海)安國造(やすのくにのみやつこ)(おや)大多牟別(意富たむ和氣)之女兩道姬(布多遲比賣)【○近江(ちかつあふみ)原文近淡海(ちかつあふみ)安國(やすのくに),近江野洲郡一帶。大多牟別(おほたむわけ)原文おほたむわけ(意富多牟和氣)以音,兩道姬(ふたぢひめ)原文ふたぢひめ(布多遲比賣)以音。】
  生御子,稻依別王(いなよりわけのみこ)【一柱。】
 又,娶吉備臣武彥(きびのおみ建日子)(いも)大吉備武姬(おほきび建比賣)
  生御子,武卵王(建貝兒のみこ)【一柱。武卵王(たかかひこのみこ)原文建貝兒王(たかかひこのみこ)
 又,娶山城(山代)菊守姬(玖玖麻毛理比賣)
  生御子,足鏡別王(あしかがみわけのみこ)【一柱。蘆髮蒲見別王(あしかみのかまみわけのみこ)山城(やましろ)山城(やましろ)菊守姬(くくまもりひめ)原文くくまもりひめ(玖玖麻毛理比賣)以音。
 又,一妻(あるみめ)
  子,息長田別王(おきながたわけのみこ)
 凡,是倭武命(やまと建のみこと)御子(みこ)等,(あはせ)六柱(むはしら)

  故,帶仲日子命(帶中津ひこのみこと)者,(しろしめし)天下也。
  次,稻依別王(いなよりわけのみこ)者,犬上君(いぬかみのきみ)建部君(たけるべのきみ)等之(おや)
  次,武卵王(建貝兒のみこ)者,讚岐綾君(さぬきのあやのきみ)伊勢別(いせ之わけ)登袁別(とを之わけ)麻佐首(まさのおびと)宮道別(みやぢ之わけ)等之祖。【○宮道(みやぢ)原文宮首(みやぢ),首蓋(みち)字之略,而非(かばね)(おびと)也。】
  足鏡別王(あしかがみわけのみこ)者,鎌倉別(かまくら之わけ)小津石代別(をつのいはしろ之わけ)漁田別(いざりた之わけ)祖也。
  次,息長田別王(おきながたわけのみこ)
   子,杙俣長彥王(くひまたなが日子のみこ)
    此王(杙俣長彥)之子,飯野真黑姬命(いひののまぐろ比賣のみこと)
    次,息長真若中姬(おきながのまわかながつ比賣)
    次,弟姬(おと比賣)【三柱。】
  故,上云(かみにいへる)若建王(わかたけるのみこと),娶飯野真黑姬命(いひののまぐろ比賣のみこと)
   生子,皇某大中彥王(須賣伊呂おほなかつ日子のみこ)。此王娶近江(淡海)柴野入杵(しばのいりき)之女柴野姬(しばの比賣)
    生子,香黑姬命(迦具漏比賣のみこと)。故,大足日子(おほ帶ひこ)天皇(景行),娶此香黑姬命(迦具漏比賣のみこと)香黑姬(かぐろひめ)原文かぐろひめ(迦具漏比賣)以音】
     生子,大江王(おほえのみこ)【一柱。○或書大枝王(おほえのみこ)此王,娶庶妹(ままいも)銀王(しろかねのみこ)
      生子,大名方王(おほながたのみこ)
      次,大中姬命(おほなかつ比賣のみこと)【二柱。○仲哀天皇妃。
      故,此大中姬命者,香坂王(かぐさかのみこ)忍熊王(おしくまのみこ)(御祖)也。(みおや)原文御祖(みおや)。】

 此大大足日子(おほ帶ひこ)天皇(景行)御年(みとし)壹佰參拾柒歲(ももあまりみそあまりななとせ)御陵(みさざき),在山邊之道上(やまのへのみちのうへ)也。

神功皇后

一、遠征新羅

 若足日子(わか帶ひこ)天皇(すめらみこと),坐近江(ちかつ淡海)志賀高穴穗宮(しがのたかあなほのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚,成務天皇(せいむてんわう)(あふみ)原文淡海(あふみ)。】

 此天皇(成務)(めとり)穗積臣(ほづみのおみ)等之(おや)武忍山垂根(たけおしやまたりね)(むすめ)弟財郎女(おとたからのいらつめ)(たけ)原文(たけ)。】
  生御子(みこ)稚渟饌王(和訶奴氣のみこ)【一柱。稚渟饌(わかぬけ)原文わかぬけ(和訶奴氣)以音。

 故,舉武內宿禰(建うちのすくね)大臣(おほおみ)定賜(さだめたまひ)大國(おほきくに)小國(ちひさきくに)國造(くにのみやつこ),亦定賜國國之堺(くにくにのさかひ)大縣(おほきあがた)小縣(ちひさきあがた)縣主(あがたぬし)也。

 天皇(成務)御年(みとし)玖拾伍歲(ここのそあまりいつとせ)乙卯(きのとのう)三月(やよひ)十五日(とをあまりいつか)(かむあがり)也。】御陵(みさざき),在狹城(沙紀)盾列(多他那美)也。狹城(さき)盾列(たたなみ)原文さき(沙紀)たたなみ(多他那美)以音。】


 
足仲日子天皇(帶中つひこのすめらみこと),坐穴門(あなと)豐浦宮(とようらのみや)筑紫(つくし)香椎宮(訶志比のみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)仲哀天皇(ちうあいてんわう)香椎(かしひ)原文かしひ(訶志比)以音。足仲(たらしなかつ)原文帶中(たらしなかつ)。】

 此天皇(仲哀),娶大江王(おほえのみこ)之女大中姬命(おほなか津比賣のみこと)
  生御子,香坂王(かぐさかのみこ)忍熊王(おしくまのみこ)【二柱。】
 又,娶息長足姬命(おきなが帶比賣のみこ)(これ)大后(おほきさき)。】
  生御子,譽屋別命(品夜和氣のみこと)【○譽屋別(ほむやわけ)原文品夜和氣(ほむやわけ)。書紀為弟媛所生。】
  次,名大鞆別命(おほとも和氣のみこと)亦名(またのな)譽田別命(品陀和氣のみこと)【二柱。譽田別(ほむたわけ)原文品陀和氣(ほむたわけ)

 此太子(ひづきのみこ)御名(みな)所以(ゆゑ)(おほせし)大鞆別命(おほとも和氣のみこと)者,(はじめ)所生時(うめるとき)御腕(みただむき)(なりき)(しし)如鞆(とものごとく),故(つけき)其御名。是以(しりぬ)(はら)平國(くにをたひらげつる)也。【○應神天皇(おうじんてんわう),世稱胎中天皇(たいちゅうてんわう)(とも),弓射時之護腕。】

 此之(仲哀)御世(みよ)(さだめき)淡道(あはぢ)屯家(みやけ)也。

 其大后(おほきさき)息長足姬命(おきなが帶比賣のみこ)者,巡幸西國當時(そのとき)歸神(かみをよせき)憑依。故天皇(仲哀)筑紫(つくし)香椎宮(訶志比のみや)將擊(うたむ)熊襲國(くま曾のくに)。時天皇(仲哀)(ひき)御琴(みこと),而武內宿禰(建うちのすくね)大臣(おほおみ)()沙庭(さには)審神者(さには)(こひき)神之命(かみのみこと)【○熊襲(くまそ)原文熊曾(くまそ)沙庭(さには),聽聞神託之齋場。今訓審神者(さには)さには(沙庭),良有以也。】
 於是,大后(神功)歸神(よせるかみ)言教覺詔(ことをしへさとしのりたまひ)者:「西方(にしのかた)有國,金銀(くがねしろかね)(もと)()炎耀(かかやく)種種(くさぐさ)(めづらしき)(たから)多在(あまたにあり)其國。吾今歸賜(よせやまはむ)其國!」爾天皇(仲哀)答白:「(のぼり)高地(たかきところ)見西方者,不見(みえず)國土(くに)(ただ)大海(おほきうみ)。」(おもひ)為詐神(いつはりをするかみ)押退(おしそけ)御琴,不控(ひかず)默坐(もだしいましき)
 爾其神大忿(おほきにいかり)詔:「(おほよそ)(この)天下(あめのした)者,(あらず)(なむち)應治國(しるべきくに)。汝者唯(むかへ)一道(ひとみち),可徂黃泉!」於是(ここに)武內宿禰(建うちのすくね)大臣諫(まをし):「(かしこし)我天皇(わがすめらみこと)(なほ)彈賜(阿蘇婆勢)大御琴(おほみこと)!」爾,天皇(仲哀)(やをやく)取依(とりよせ)其御琴而怠怠(那摩那摩邇)控坐(ひきていましき)。故,未幾久(いまだいくひさもあらず)不聞(きこえず)御琴之(おと)(すなはち)舉火(ひをかかげ)見者,(すでに)崩訖(さりましをはりぬ)【○應治(しるべし)原文應知(しるべし)彈賜(ひきたまふ)原文あそばせ(阿蘇婆勢)以音,(あそ)ばせ。怠怠(那摩那摩邇)原文なまなまに(那摩那摩邇)以音。】

 爾,驚懼(おどろきおぢ)()殯宮(もがりのみや)
 更取國之大幣(おほ奴佐)種種(くさぐさ)生剝(いけはぎ)逆剝(さかはぎ)畔放(阿離)溝埋(みぞうみ)屎戶(くそへ)上通下通婚(おやこくなぎ)馬婚(うまくなぎ)牛婚(うしくなぎ)雞婚(とりくなぎ)犬婚(いぬくなぎ)罪類(つみのたぐひ),為國之大祓(くにのおほはらへ)【○(ぬさ)原文ぬさ(奴佐)以音。畔放(あはなち)原文阿離(あはなち),毀壞田畔。】
 亦武內宿禰(建うちのすくね)()沙庭(さには),為審神者(さには)(こひき)神之(みこと)。於是,教覺之狀(をしへさとすかたち)(つぶさ)先日(さきのひ):「凡此國(このくに)者,(います)汝命御腹(ながみことのみはら)御子(みこ)所治國(知らさむくに)者也!」爾,武內宿禰(建うちのすくね)(まをさく):「(かしこし)。我大神(おほかみ),坐其神腹(かみのみはら)之御子,何子歟(いづれのこか)?」答詔:「男子(をのこご)也。」
 爾武內宿禰(たけうちのすくね)具請之(つぶさにこはく):「今如此言教之大神(かくことをしふるおほかみ)者,(おもふ)知其御名(みな)。」即答(のりたまひ):「(これ)天照大神(あまてらすおほかみ)御心(みこころ)者。亦底筒男(そこつつのを)中筒男(なかつつのを)上筒男(うはつつのを)三柱大神(みはしらのおほかみ)者也。【此時,其住吉(すみのえ)三柱大神之御名(みな)者,顯也(あらはれき)。】(まこと)(もとめむ)其國者,於天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ),亦山神(やまのかみ)河海(かはうみ)諸神(もろもろのかみ)(ことごとく)(まつり)幣帛(みてぐら)我之御魂(わがみたま)()船上(ふねのうへ),而真木灰(まきのはひ)(いれ)(ひさこ),亦多作(あまたつくり)(はし)葉盤(比羅傳)者,皆皆(みなみな)散浮(ちらしうけ)大海(おほきうみ)可渡(わたるべし)!」【○葉盤(ひらで)或書枚手(ひらで),原文ひらで(比羅傳)以音。】

 故,皇后(神功)(つぶさ)(ごとく)教覺,(ととのへ)(いくさ)()度幸(わたりいでまし)之時,海原(うなはら)(うを)不問(とはず)大小(おほきちひさき)(ことごとく)(おひ)御船而(わたりき)。爾順風(おひかぜ)大起(おほきにおこり),御船(したがひ)浪。故其御船(みふね)波瀾(なみ)押騰(おしあがり)新羅之國(しらきのくに)(すでに)半國(くになか),遠逮國中。【○(ならべ)原文(ならべ),並列陳陣之狀,下效此。】
  於是,(新羅)國王(くにぎみ)畏惶(かしこみおそり)奏言:「自今以後(いまよりのち)(まにまに)天皇命(すめらみことのみこと),而為御馬飼(みうま甘)每年(としごと)()船,貢進不絕。不乾(ほさず)船腹(ふなばら)、不乾柁檝(さをかぢ),共與天地(あめつち)無退(やむことなく)仕奉(つかへまつらむ)。」故,是以新羅國(しらきのくに)者定御馬飼(みうま甘)百濟國(くだらのくに)(さだめ)渡屯家(わたりのみやけ)【○御馬飼(みうまかひ)原文御馬甘(みうまかひ)。】
 爾,皇后(神功)以其御杖(みつゑ)衝立(つきたて)新羅國主(くにぎみ)(かど),即以墨江大神(すみのえのおほかみ)荒御魂(あらみたま),為國守神(くにもりのかみ)祭鎮(まつりしづめ),遂還渡也(かへりわたりき)


成務天皇 志賀高穴穗宮趾


成務天皇狹城盾列池後陵
成務帝定境開邦,制于近江。繼承倭武命征討,實質統治八大島國。


仲哀天皇 穴門豐浦皇居趾


神功皇后肖像
仲哀帝崩,氣長足姬為攝政,征討三韓,設立官家。世稱神功皇后。


筑紫香椎宮
仲哀帝巡幸西國,坐筑紫香椎宮。


神功皇后歸神於香椎宮
神功皇后憑依,仲哀帝撫琴,武內宿禰為審神者。


筑紫香椎宮古宮跡
仲哀帝不信神託,觸怒神祟而崩。傳帝死後,置棺殯宮,懸於椎上,散發異香,遂曰香椎宮。


攝津國一宮 住吉大社
傳住吉三神之御名,於茲始顯也。


神功皇后征討新羅


神功皇后征伐朝鮮與鮮人朝貢
新羅王素旆自縛,封圖籍,降於王船,誓言永世朝貢。

 (かれ)其征(まつりごと)未竟之間(いまだをはらぬあひだ)懷妊(はらめる)臨產(うむときにのぞみ)(すなはち)()(しづめむ)御腹,取石以纏御裳(みも)(こし)而還(わたる)筑紫國(つくしのくに)。於茲,其御子降誕(阿禮坐)。故(なづけ)其御子生地(うみしところ),謂宇美(うみ)也。亦所纏(まける)其御裳之(いし)者,在筑紫國之伊斗村(いとのむら)也。【○(あれ)原文あれ(阿禮)以音,顯現之意。伊斗(いと),風土記有怡土郡(いとこほり)。】
 亦皇后(神功)到坐(いたりまし)筑紫松浦縣(末羅のあがた)玉島里(たましまのさと)御食(みをし)河邊(かはのへ)。時(あたりき)四月(うづき)上旬(はじめ),爾皇后(神功)坐其河中(かはなか)(いそ)拔取(ぬきとり)御裳之(いと),以飯粒(いひぼ)()(つりき)其河之年魚(あゆ)【其河名謂小河(をがは)。亦其礒名,謂勝門姬(かちと比賣)也。松浦(まつら)原文末羅(まつら),或云末盧(まつら)故,四月上旬之時,女人(をみな)裳絲(ものいと),以(いひぼ)為餌釣年魚之俗,不絕(たえず)于今也。

 於是,息長足姬命(おきなが帶比賣のみこ)還上(かへりのぼる)(やまと)時,因(うたがひ)人懷異心,故(そなへ)喪船(もふね),令(のせ)御子(應神),先令言漏(いひもたし):「御子(みこ)(すでに)(さりましぬ)。」
 皇后(神功)如此(かく)上幸之時(のぼりいでまししとき)香坂王(かぐさかのみこ)忍熊王(おしくまのみこ)聞而思將待取(まちとらむ)進出(すすみいで)斗賀野(とがの),為祈獦(宇氣比がり)也。爾,香坂王登騰(のぼり)歷木而見者,大怒豬(いかりゐ)出,(ほり)歷木(くぬぎ),即咋食(くひはみき)其香坂王。【○(うけひ)原文うけひ(宇氣比)以音。】
 其弟忍熊王(おしくまのみこ)不畏(かしこまらず)其態(そのわざ)興軍(いくさをおこし)待向(まちむかへ)之時,(おもぶけ)喪船,將攻空船(むなしきふね)。爾皇后(神功)自其喪船(もふね)(おろし)(いくさ)相戰(あひたたかひき)。此時,忍熊王以難波吉師部(なにはのきしべ)(おや)伊佐比宿禰(いさひのすくね)將軍(いくさのきみ)太子(ひづきのみこ)御方(みかた)者,以和邇臣(丸邇のおみ)之祖難波根子武振熊命(なにはねこ建ふるくまのみこと)為將軍。【○伊佐比(いさひ)書紀作五十狹茅(いさち)(たけ)原文(たけ)。】
 故,追退(おひそけ)叛軍到山城(山代)之時,還立(かへりたち)旗鼓,(おのおの)不退(しりぞかず)相戰。(しかくし)武振熊命(建ふるくまのみこと)(はかり)令云(いはしむらく):「息長足姬命(おきなが帶比賣のみこ)者,既崩。故,無可(べからず)更戰(さらにたたかふ)!」即(たち)弓絃(ゆづる)欺佯(いつはり)歸服(よりしたがひ)【○欺佯(いつはり)原文欺陽(いつはり)。】
 於是,賊(いくさのきみ)(うけ)(いつはり)(はづし)(をさめき)(つはもの)。爾武振熊命(たけふるくまのみこと)(頂髮)中,採出(とりいだし)設弦(まうけたるつる)更張(さらにはり)追擊(おひうちき)。故,逃退(にげそき)逢坂(あふさか)對立(むきたち)亦戰。爾,追迫(おひせめ)(やぶり)樂浪(沙沙那美),悉(きりき)(いくさ)【○(たきふさ)原文頂髮(たきふさ)樂浪(ささなみ)原文ささなみ(沙沙那美)以音。】

 於是,其忍熊王(おしくまのみこ)伊佐比宿禰(いさひのすくね)(ともに)被追迫,乘船(ふねにのり)浮海(うみにうき)。歌曰:

 (すなはち),入(うみ)死也(しにき)

 故,武內宿禰命(建うちのすくねのみこと)(ゐて)太子(ひづきのみこ),將為(みそぎ)()近江(淡海)若狹國(わかさのくに)之時,於高志前(越のみちのくち)角鹿(つぬが),造假宮(かりみや)(いませき)【○近江(あふみ)原文淡海(あふみ)高志(こし)(こし)。】
 爾,(います)其地去來紗別大神之命(伊奢沙和氣おほかみ之みこと)()夜夢(よるのいめ)云:「欲以吾名(あがな)(かへむ)御子之御名(みな)。」爾,言禱(ことほき)白之(まをし):「(かしこし)隨命(みことのまにまに)易奉(かへまつらむ)。」亦,其神(去來紗別)詔:「明日之旦(あすのあした)應幸(いでますべし)(はま)(たてまつらむ)易名之幣(なをかふるまひ)。」【○去來紗別(いさざわけ)原文いさざわけ(伊奢沙和氣)以音。言禱(ことほき),接受易名而祝福。易名之幣(なをかふるまひ),以神名交換太子之名諱。】
 故,其旦(そのあした)幸行(いでまし)于濱時,毀鼻(はなをこほてる)海豚(入鹿魚),既(よりき)一浦(ひとうら)。於是,御子令白(まをしめ)于神云:「(たまへり)御食之魚(みけのうを)於我。」故亦(たたへ)御名,號御食津大神(みけつおほかみ),故於今謂氣比大神(けひのおほかみ)也。亦,其海豚(入鹿魚)鼻血(はなのち)(くさし)。故(なづけ)其浦謂血浦(ちぬら),今謂角鹿(都奴賀)也。【○海豚(いるか)原文入鹿魚(いるか)角鹿(つぬが)原文つぬが(都奴賀)以音。】

 於是,御子(應神)還上(かへりのぼり)之時,其(御祖)息長足姬命(おきなが帶比賣のみこ)(かみ)待酒(まちざけ)(たてまつりき)。爾,其御祖(皇后)御歌曰:【○(みおや)原文御祖(みおや)。】

 皇后如此歌(かくうたひ)而,獻大御酒(おほみき)。爾,武內宿禰命(建うちのすくねのみこと)御子(みこ)(こたへ)歌曰:

 此者,酒樂之歌(さかくらのうた)也。

 凡,足仲日子天皇(帶中つひこのすめらみこと)御年(みとし)伍拾貳歲(いあまりふたとせ)壬戌年(みづのえいぬのとし)六月(みなづき)十一日(とをあまりひとひ)崩也(かむあがりき)。】御陵(みさざき),在河內(かふち)惠賀(ゑが)長江(ながえ)也。皇后(おほきさき),御年一百歲(ももとせ),崩。(はぶりき)狹城楯列陵(さきのたたなみのみさざき)也。】



宇美八幡宮 應神天皇降誕地


神功皇后拔裳絲釣年魚


武內宿禰懷應神幼帝像
按書紀,皇后聞忍熊王叛,命武內宿禰懷皇子,橫出南海。


逢坂山關址
忍熊王兵敗浮海歌:「去來吾股肱 將軍伊佐比 與其痛負振熊手 不若如鳰鳥 深潛近江淡海者 投身沒水入浪濤


越前國一宮 氣比神宮
去來紗別命,是為氣比大神。


血浦 氣比松原
血浦,後謂角鹿,今云敦賀也。

酒樂歌其一:「香醇此御酒 此御酒兮非吾釀 稜威神酒司 鎮坐非俗常世間 佇岩杜康神 少彥名命少御神 此其神壽祝 上壽起舞踊狂亂 此其豐壽祝 上壽起舞迴幾迴 所釀以獻來 醇美御酒矣 願請暢飲兮 然然其二:「香醇此御酒 釀此杜康御酒者 今豎鼓臼邊 以彼鼓鳴助杵歌 吟詠且歌誦 所以釀兮美酒哉 手儛且足蹈 所以釀兮美酒哉 醇美此御酒 實樂也 轉樂珍味矣 然然


仲哀天皇惠我長野西陵


應神天皇 輕島豐明宮趾
譽田別命坐輕嶋明宮,治天下。


譽田八幡宮
羽曳野譽田,則譽田真若王之封地。應神天皇於茲娶其女高木入姬命、中姬命、弟姬命三人。


藥師寺藏 仲津姬神像
中姬命皇后,是為仁德帝生母。


鹿兒島神宮攝社 四所神社
祭神大雀命、石姬命、荒田郎女、根鳥命。根鳥命娶淡道三腹郎女。


雌鳥皇女、隼別皇子像
女鳥王與速總別王相戀,不從仁德帝,且有異心。為皇軍所殺。


傳若沼毛二俣王墓
若沼毛二俣王,後娶其姨弟姬真若姬,生七子。其中,忍坂大中津姬為,允恭天皇皇后。


香黑姬系譜
香黑姬命,倭武命曾孫,適景行、應神二帝。或實二人而混淆為一,或記述有誤歟。既為景行帝玄孫而與景行帝生子,甚為可疑。


衣通姬像
或云通郎女為衣通姬原型之一。


守命營八幡神社
祭神,應神帝、大山守命。應神帝有立菟道稚郎子為太子之情。以大雀命為太子輔,執食國之政。任大山守命為山海之政,掌山川林野。大山守命覬覦天下,遂圖大逆。

二、相禪天位與大山守命叛亂

 譽田別命(品陀和氣のみこと),坐輕嶌(かるしま)明宮(あきらのみや),治天下(あめのした)也。【○漢謚(からのおくりな)應神天皇(おうじんてんわう)譽田別(ほむだわけ)原文ほむだわけ(品陀和氣)以音。】

 此天皇(すめらみこと)(めとり)譽田真若王(品它のまわかのみこ)(むすめ)三柱(みはしら)女王(をみなみこ)。一名高木入姬命(たかぎ之いり日賣のみこと),次中姬命(なかつ日賣のみこと),次弟姬命(おと日賣のみこと)【此女王等之(ちち)譽田真若王(品它のまわかのみこ)者,五百木入日子命(いほき之いりびこのみこと),娶尾張連(をはりのむらじ)(おや)武稻田宿禰(建伊那陀のすくね)之女後木刀婢(志理都紀斗賣)生子(うみしこ)者也。譽田(ほむだ)原文品它(ほむだ)武稻田(たけいなだ)原文建いなだ(たけ伊那陀),舊事紀作建稻種(たけいなだね)後木刀婢(しりつきとめ)原文しりつきとめ(志理都紀斗賣)以音,舊事紀作尾綱真若刀婢(おつなまわかとべ)。】
 故,高木入姬命(たかぎ之いり日賣のみこと)
  子,額田大中彥命(ぬかたのおほなかつ日子のみこと)
  次,大山守命(おほやまもりのみこと)
  次,去來真若命(伊奢まわかのみこと)【○去來(いざ)原文いざ(伊奢)以音。】
  次,(いも)大原郎女(おほはらのいらつめ)
  次,高目郎女(こむくのいらつめ)【五柱。高目郎女(こむくのいらつめ)書紀作澇來田皇女(こむくたのひめみこ)
 中姬命(なかつ日賣のみこと)
  御子,木荒田郎女(き之あらたのいらつめ)
  次,大雀命(おほきざきのみこと)【○仁德天皇(にんとくてんわう)。】
  次,根鳥命(ねとりのみこと)【三柱。】
 弟姬命(おと日賣のみこと)
  御子,阿倍郎女(あへのいらつめ)
  次,淡道三腹郎女(阿貝知能みはらのいらつめ)【○淡道(あはぢ)原文あはぢ(阿貝知)以音。】
  次,木菟野郎女(き之うののいらつめ)
  次,三野郎女(みののいらつめ)【五柱。○實則四柱。
 又,娶和邇日觸使主(丸邇之比布禮能意富美)之女宮主矢河枝姬(みやぬしのやかはえ比賣)【○和邇日觸使主(わにのひふれのおみ)原文丸邇之ひふれのおほみ(わにの比布禮能意富美)。】
  生御子,宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)【○宇治稚郎子(うぢのわきいらつこ)原文宇遲能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)。】
  次,妹八田若郎女(やたのわかいらつめ)
  次,女鳥王(めどりのみこ)【三柱。】
 又,娶其矢河枝姬(やかはえ比賣)()小甂郎女(袁那辨のいらつめ)【○小甂(をなべ)原文をなべ(袁那辨)以音。】
  生御子,宇治稚郎女(宇遲之わかいらつめ)【一柱。】
 又,娶咋俣長彥王(くひまたなが日子のみこ)之女息長真若中姬(おきながまわかつ比賣)
  生御子,若沼毛二俣王(わかぬけのふたまたのみこ)【一柱。】
 又,娶櫻井田部連(さくらゐのたべのむらじ)(おや)島垂根(しまたりね)之女絲井姬(いとゐ比賣)
  生御子,速總別命(はやぶさわけのみこと)【一柱。】
 又,娶日向(ひむか)泉長姬(いづみのなが比賣)
  生御子者,大羽江王(おほはえのみこ)
  次,小羽江王(をはえのみこ)
  次,幡日之若郎女(はたひのわかいらつめ)【三柱。】
 又,娶香黑姬(迦具漏比賣)
  生御子,川原田郎女(かはらだのいらつめ)
  次,玉郎女(たまのいらつめ)
  次,忍坂大中姬(おしさかのおほなかつ比賣)
  次,通郎女(登富志のいらつめ)【○(とほし)原文とほし(登富志)以音。】
  次,堅遲王(迦多遲王)【五柱。堅遲(かたぢ)原文かたぢ(迦多遲)  又,娶葛城(かづらき)野某女(野伊呂賣ののいろめ)
  生御子,去來真稚王(伊奢能麻和迦のみこ)【一柱。野某女(ののいろめ)原文ののいろめ(野伊呂賣)去來真稚(いざのまわか)原文いざのまわか(伊奢能麻和迦)以音。
 此天皇(應神)御子(みこ)等,(あはせ)廿六王(はたあまりむはしらのみこ)男王(をとこみこ)十一(とあまりひとはしら)女王(をみな)十五(とあまりいはしら)。】
 此中(このなか)大雀命(おほきざきのみこと)者,(しろしめし)天下也。

 於是(ここに)天皇(應神)大山守命(おほやまもりのみこと)大雀命(おほきざきのみこと)詔:「汝等(なむちら)者,(うつくしぶる)兄子與弟子(いづれか)甚?」天皇(すめらみこと)所以(ゆゑ)(おこし)是問(このとひ)者,有令宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)天下(あめのした)(こころ)也。】(しかくし),大山守命(まをし):「愛兄子(えのこ)。」次大雀命知天皇(應神)所問賜之大御情(おほみこころ)而白:「兄子者既成人(ひとになりぬ),是無悒(おほつかなきことなし)弟子(おとのこ)者未成人,(これ)愛。」
 爾天皇(應神)(のりたまはく):「(佐耶岐)吾君(阿藝)(こと)(ごとし)所思(おもふところ)。」即詔別(のりわき)者:「大山守命,為山海之政(やまうみのまつりごと)。大雀命,(とり)食國(をすくに)之政以白賜(まをしたまへ)宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ),所()天津日繼(あまづひつぎ),以承皇統也。」【○(さざき)原文さざき(佐耶岐)以音,對大雀命(仁德)之呼稱。吾君(あぎ)原文あぎ(阿藝)以音,表親暱之第二人稱。】
 故,大雀命(おほきざきのみこと)者,無違(たがふことなし)天皇之命(すめらみことのみこと)也。


宇治野
應神帝宇治野歌:「登野舉目望 今見千葉葛野矣 更見千百足 富足家庭村里者 國之秀兮映眼簾


矢川神社、木造女神像
矢川神社祭神大國主、矢川枝姬。
應神帝任矢河枝姬取盞而歌:「此蟹是何蟹 此蟹何處來 遙遙經百傳 敦賀角鹿蟹是也 彼蟹橫行去 所往欲至何處兮 著伊知遲島 復至美島著其島 猶如鳰鳥之 深潛息衝海人者 光階浮漂盪 樂浪漣道步彼路 闊步渡漣道 吾人今幸行者耶 在彼木幡道之上 偶遇所逢孃子矣 後姿甚妍麗 猶若小楯麗美兮 齒並形姣好 如椎似菱甚端整 今顧櫟井之 丸邇坂之埴土者 彼坂上端土 肌質色偏朱以赤 彼坂下底土 肌質色偏丹以黑 故以三津栗 取其中土而為用 頭衝火及顏 不以真火強當之 所成眉墨矣 以此眉墨畫眉垂 偶遇所逢女子矣 願得如斯哉 吾人所見佳人矣 願得如斯哉 吾人所見佳人矣 彌彌轉之概蓋而 向居得正面對哉 只冀添居能相伴


日向髮長媛像
應神帝指髮長姬歌其一:「去來孃子矣 速至野原親摘蒜 為往摘蒜者 吾所親行往之道 芳香馨撲鼻 春華飄香花橘生 今見其上枝 鳥居其上枯或散 再見其下枝 為人取兮枯或折 遂於三栗間 取其中枝者 初實綻明色 紅顏容光美孃子 吾欲誘邀彼孃子 邀之概宜兮其二:「清水渟溜兮 河內丹比依網池 不知其堰杙 堰杙深築打刺兮 不知其蓴繰 手採蓴菜已延兮 今觀吾心者 其愚後覺彌愚矣 後悔不已今誠惜
大雀命對髮長姬歌其一:「道後日向國 古波陀之孃子者 美名若神鳴 久聞震耳豈能料 竟得交枕共相眠其二:「道後日向國 古波陀之孃子者 汝不拒不爭 還迎吾兮共相寢 實感心麗慕清清


淨見原神社 吉野國栖奏
吉野國主訟大雀命刀歌:「譽田天皇之 天日繼御子 大雀大鷦鷯 鷦鷯大雀命 所佩腰間太刀者 刀本吊腰間 刀末垂振矣 譬猶冬木之 落葉素幹下枝者 冴冴爽爽
吉野國主獻醴歌:「白檮植生處 白檮生所作橫臼 於此橫臼間 所釀酩醴大御酒 其味甘而美 敬請饗兮飲御酒 吾等主君矣

 一時,天皇(應神)越幸(こえいでまし)近江國(ちかつ淡海のくに)之時,御立(みたち)宇治野(う遲の)上,望葛野(かづの),歌曰:

 故,天皇到坐(いたりまし)木幡村(こはたのむら)之時,(あひき)麗美孃子(うるはしきをとめ)於其道衢(ちまた)。爾,天皇(應神)問其孃子(をとめ)曰:「(なむち)者,誰子(たがこ)?」(こたへ)白:「和邇日觸使主(丸邇之比布禮能意富美)(むすめ)宮主矢河枝姬(みやぬしのやかはえ比賣)。」天皇(すなはち)詔其孃子:「(あれ)明日(あす)還幸之時(かへりいでまさむとき),欲(いり)汝家(なむちがいへ)。」故,矢河枝姬(やかはえ比賣)(かたりき)委曲(つばらひか)於父。於是,父答曰:「是者(これは)天皇(すめらみこと)(那理)(なり)原文なり(那理)以音。】恐之(かしこし)我子(あがこ)仕奉(つかへまつれ)。」云而嚴餝(かざり)其家,候待(さもらひまて)明日(あくるひ)天皇(應神)入坐(いりましき)。故(たてまつり)大御饗(おほみあへ)。時其女(そのむすめ)矢河枝姬命(やかはえ比賣のみこと)令取(とらしめ)大御酒盞(おほみさかづき)而獻。於是,天皇(應神)(ながら)令取其大御酒盞而御歌(みうた)曰:

 如此(かく)御合(みあひ),同衾共枕。
  生御子(みこ)宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)也。

 天皇(應神)聞看(きこしめし)日向國(ひむかのくに)諸縣君(もろあがたのきみ)之女髮長姬(かみなが比賣),其顏容(かたち)麗美(うるはし)將使(つかはむ)喚上(めしあげし)。時太子(おほみこ)大雀命(おほきざきのみこと),見其孃子(をとめ)泊于難波津(なにはつ)()姿容(かたち)端正(きらぎらし),即誂告(あとらへてのらし)武內宿禰大臣(建うちのすくねのおほおみ):「是(より)日向喚上之髮長姬(かみなが比賣)者,請白(こひまをし)天皇(すめらみこと)大御所(おほみもと)令賜(たまはしめ)(あれ)。」爾,武內宿禰(建うちのすくね)大臣請大命(おほみこと)者,天皇(應神)即以髮長姬(かみなが比賣)(たまひき)于其御子(大雀命)。所賜狀(たまへるかたち)者,天皇(應神)聞看(きこしめす)豐明(とよのあかり)之日,令髮長姬(かみなが比賣)大御酒柏(おほみきのかしは),賜其太子(大雀命)。爾,天皇(すめらみこと)御歌曰:【○(めで)原文(めで)豐明(とよのあかり),酒宴也。】

 又御歌(みうた)曰:

 天皇(應神)如此(うたひ)賜也(たまひき)。故大雀命被賜(たまはり)孃子(をとめ)(のち)太子(大雀命)歌曰:

 太子(大雀命)又歌曰:

 又,吉野(よしの)國主(くにす)等,(みて)大雀命(おほさざきのみこと)所佩(はける)御刀(みはかし),歌曰:

 國主等又於吉野(よしの)白檮上(かしのうへ)橫臼(よくす),而於其橫臼(かみ)大御酒。(たてまつり)大御酒(おほみき)時,(うち)口鼓(くちつづみ)(わざ)而歌曰:

 此歌者,(つね)至于(いま)國主等(くにすら)大贄(おほにへ)時時(ときとき)詠之歌(うたふうた)者也。


劍池 石川池
劍池今石川池,韓人池今唐古池。百濟池傳在北葛城郡廣陵町百濟。


王仁博士像、傳王仁墓
應神帝御世,阿知吉師、王仁吉師等來朝,宇治稚郎子師之。

應神帝酣飲須須許理獻醴歌:「須須許理矣 仁番所釀大御酒 我飲酩醴為酣醉 無事安平酒 歡愉莞爾酒 杜康令我甚酩酊


大坂 穴蟲峠
堅石避醉人,指莫理會醉人。


宇治川
稚郎子聞大山守命叛,伏兵河邊。


簀橋 簀子
弟王塗滑汁於船簀,設穽令仆。

大山守命墮河歌:「千早振稜威 今立菟道渡濟間 執棹掌槳者 汝得操船諳激流 速來助吾為我仲


考羅崎 宇治川下游

宇治稚郎子視大山守命屍歌:「千早逸靈威 宇治渡兮渡濟場 渡瀨渡手者 今立其濟兮 梓弓良材檀木矣 心欲以伐之 吾心縱雖有此思 心欲以取之 吾心縱雖有此思 立於根邊者 憶汝大山守命矣 立於梢邊者 憶汝大山守妹妻 惻隱苛甚矣 偲於其處不忍伐 悲傷愛憐矣 偲於此處不忍取 故不伐之來歸者 梓弓良才檀木矣


大山守命 那羅山墓
大山守命謀反失敗墮水。宇治稚郎子撈出其骨,葬那羅山。


宇治宮 宇治上神社


赤留姬命神社
新羅民女晝寢御子沼,生赤玉。赤玉化作美女,稱明姬。


難波姬社社 比賣許曾神社
古事記、書紀皆云明姬留難波,為姬社社祭神。延喜式神名帳云姬社社祀下照姬,住吉郡赤留姬神社祀明姬。或云明姬、下照姬同神。


天日矛覓妻渡來路線圖
天日矛聞明姬遁日本,追來而為難波渡神所阻,更還而留于但馬。


安羅神社 天日槍命暫住聖蹟碑
按書紀天日矛嘗暫住近江吾名邑。


出石神社藏 天日槍開拓但馬圖
天日矛娶但馬俣尾之女前津見,留之。為開拓但馬之功臣。


但馬國一宮 出石神社
天日矛將來葉細珠、足高珠、振浪領巾、切浪領巾、振風領巾、切風領巾,奧津鏡、邊津鏡等八種神寶,為出石之八前大神。


出石温泉館 乙女之湯
以出石娘子故事為名之溫泉。


八目荒籠
竹織編目荒麤之籠。于茲合荒籠、河石、鹽、竹葉,以為咒詛。


若沼毛二俣王妃 弟姬真若姬命墓
真若姬,亦名百磯城某辨。


陣座谷古墳
傳與允恭帝皇后忍坂大中津姬命御名代之刑部氏有關。


譽田八幡宮 放生橋
譽田八幡宮與應神帝陵隔放生橋。


應神天皇 惠我藻伏岡陵
應神帝御陵,在河內惠賀之裳伏岡。與譽田八幡宮比鄰。

 此之(應神)御世(みよ)定賜(さだめたまひき)海部(あまべ)山部(やまべ)山守部(やまもりべ)伊勢部(いせべ)也。亦作劍池(つるぎのいけ)。亦新羅人(しらきのひと)參渡來(まゐわたりきたり),是以武內宿禰命(建うちのすくねのみこと)引率(ひきゐて)渡之堤池(わたりのつつみのいけ),而作百濟池(くだらのいけ)
 亦百濟國主(くだらのくにぎみ)照古王(せうこわう),以牡馬(をま)一疋(ひとつ)牝馬(めま)一疋,(つけ)阿知吉師(あちきし)貢上(たてまつりき)【此阿知吉師者,阿直史(あちきのふひと)等之祖。】亦貢上橫刀(たち)大鏡(おほかがみ)
 又科賜(おほせたまひ)百濟國(くだらのくに):「(もし)賢人(さかしきひと)者,貢上(たてまつれ)。」故,受命(みことをうけ)以貢上()王仁(和邇)吉師(きし)。即論語(ろにご)十卷(とまき)千字文(せにじもに)一卷,(あはせ)十一卷,付是人(このひと)貢進(たてまつりき)【此王仁(和邇)吉師者,文首(ふみのおびと)(おや)王仁(わに) 原文和邇(わに)又貢上技師(手人)韓鍛(からかぬち)卓素(たくそ),亦吳服(くれはとり)西素(さいそ)二人也。【○技師(てひと)原文手人(てひと),技術者。】
 又秦造(はだのみやつこ)之祖、漢直(あやのあたひ)之祖,及知釀酒人(さけをかむことをしれるひと),名仁番(にほ),亦名須須許理(すすこり)等,參渡來也。故,是須須許理,(かみ)大御酒以獻。於是,天皇(應神)酣飲(宇羅宜)是所獻之大御酒(おほみき)而御歌曰:【○知釀酒(さけをかむ)人,擁有新式釀酒技術者。酣飲(うらげ)原文うらげ(宇羅宜)以音,心揚(うらあげ)之略,(うら)怡飄飄然之狀。】

 天皇(應神)如此歌而幸行時(いでまししとき),以御杖(みつゑ)大坂(おほさか)道中(みちなか)大石(おほきいは)者,其石走避(はしりさりき)。故,(ことわざ)云:「堅石(かたしは)(さる)醉人(ゑひひと)也。」

 故天皇(應神)崩之後(かむあがりしのち)大雀命(おほさざきのみこと)天皇之命(すめらみことのみこと),以天下(ゆづりき)宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)。於是,大山守命(おほやまもりのみこと )(たがひ)天皇之命,(なほ)(えむ)天下,有(ころさむ)弟皇子(宇治稚郎子)(こころ)(ひそか)(まうけ)(いくさ)將攻(せめむとしき)
 大雀命(おほさざきのみこと)其兄(大山守命)備兵,即(つかはし)使者(つかひ)令告(つげしめき)宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)。故王子(宇治稚郎子)聞驚(ききおどろき),以(いくさ)(ふせき)河邊(かはのへ)。亦(はり)絁垣(きぬがき)(たて)帷幕(あげはり)於其山之(うへ),以舍人(とねり)(いつはり)(みこ)狀,(あらは)吳床(あぐら)百官(もものつかさ)恭敬(ゐやまひ)往來之狀(かよふかたち)(すでに)王子(みこ)坐所(いますところ)
 更為其兄王(大山守命)渡河之時,具餝(そなへかざりき)舳艫。(ふね)(かぢ)者,(つき)真葛(佐那かづら)(),取其汁滑(しるのなめ)(ぬり)船中(ふねのうち)簀橋(す椅)(まうけ)(ふむ)應仆(たふるべく)。而其王子(宇治稚郎子)者,()布衣(ぬののきぬ)(はかま),既為賤人(いやしきひと)(かたち)(とり)(たちき)船。【○(さな)原文さな(佐那)以音。簀橋(すばし)原文簀椅(すばし)。】
 於是,其兄王(大山守命)隱伏(かくしふせ)兵士(いくさ)衣中(きぬのうち)(よろひ),到於河邊(かはのへ),將乘船。時(のぞみ)嚴餝之處(かざれるところ)以為(おもひ)弟王(宇治稚郎子)坐其吳床(あぐら),都不知(しらず)(かぢ)而立船。即問其執檝者(かぢとり)曰:「傳聞(つたへききつ)茲山(このやま)忿怒之大豬(いかれるおほきゐ)。吾(おもふ)(とらむ)其豬。若(えむ)其豬()?」執檝者(宇治稚郎子)答:「不能也(あたはじ)。」兄王(大山守命)亦問曰:「何由(なにのゆゑ)?」答曰:「時時(ときどき)也,往往(ところどころ)也。雖為(すれども)取而不得(えず)是以(ここをもち)(まをし)不能也。」渡到河中(かはなか)之時,令傾(かたぶけしめ)其船。兄王(大山守命)墮入(おとしいれき)水中(みづのなか)。爾(すなはち)浮出(うきいで)隨水(みづのまにまに)流下(ながれくだりき)。即流而歌曰(うたひていはく)

 於是,伏隱(ふしかくり)河邊之(いくさ)彼廂(かなた)此廂(こなた)一時共(もろとおも)(おこり)矢刺而流(やさしてながしき)。故兄王(大山守命)考羅崎(訶和羅之前)沈入(しづみいりき)。故,以(かぎ)(さぐる)沈處(しづみしところ)者,(かかり)衣中甲(きぬのうちのよろひ)鏦錚(訶和羅)(なりき)。故(なづけ)其地謂考羅崎(訶和羅前)也。爾,掛出(かけいだし)(かばね)之時,弟王(おとみこ)歌曰:【○鏦錚(かわら)原文かわら(訶和羅)以音,鎧甲觸鉤之聲。考羅崎(かわらのさき)原文訶和羅前(かわらのさき)。】

 故,其大山守命(おほやまもりのみこと)(かばね)者,(はぶりき)那羅山(那良やま)也。(この)大山守命者,土形君(ひぢかたのきみ)幣岐君(へきのきみ)榛原君(はりはらのきみ)等之(おや)【○那羅(なら)原文那良(なら)。】

 於是,大雀命(おほさざきのみこと)宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)二柱(ふたはしら)(おのおの)(ゆづれる)天下(あめのした)。其(あひだ)海人(あま)(たてまつりき)大贄(おほにへ)。爾(大雀命)(いなび)之,令貢於(おと)(稚郎子)亦辭而令貢(たてまつらしめ)()相讓之間(あひゆづれるあひだ),既(へぬ)多日(あまたのひ)如此(かく)相讓,(あらず)一二時(ひとたびふたたび)【○按,時大雀命坐難波宮(なにはのみや),而宇治稚郎子坐宇治宮(うぢのみや)。】
 (かれ)海人,既(つかれ)往還(ゆきかへり)泣也(なきき)。故(ことわざ)曰:「海人乎(あまなれや)(より)己物(おのがもの)(なく)也。」(しかれども)宇治稚郎子(宇遲能和紀のいらつこ)者,(はやく)()。故大雀命(おほさざきのみこと)者,(しろしめし)天下也。【○仁德天皇(にんとくてんわう)。】

 又,(むかし)新羅國主(しらきのくにぎみ)()()天之日矛(あめのひほこ)。是人,參渡來也(まゐわたりきたり)所以(ゆゑ)參渡來者,新羅國有一(ぬま),名謂御子沼(阿具奴摩)。此沼之(),一賤女(いやしきをみな)晝寢(ひるね)。於是,日耀(ひのひかり)如虹(にじのごとく)(さしき)陰上(ほと)。亦有一賤夫(いやしきを),思(けし)其狀,(つねに)(うかかひき)女人(をみな)(わざ)【〇御子沼(あぐぬま),原文あぐぬま(阿具奴摩)以音。御子(アグ)則朝鮮語吾君(アギ)之轉,小兒也。】
 故,是女人(より)晝寢時妊身(はらみ),生赤玉(あかきたま)。爾其所伺(うかかへる)賤夫,乞取(こひとり)其玉,恒(つつみ)(こし)。此人,(つくれり)田於山谷(たに)之間。故以一(うし)(おほせ)耕人(たひと)等之飲食(くらひもの)(いる)山谷之中,遇逢(あひき)國主(くにぎみ)之子天之日矛(あめのひほこ)。爾天之日矛(とひ)其人曰:「(なにぞ)汝使(うし)飲食(くらひもの)(はいる)山谷?(かならず)殺食(ころしてはまむ)是牛!」即(とらへ)其人,將入(いれむとしき)獄囚(ひとや)。其人答曰:「(あれ)非殺牛,(ただ)田人之食(たひとのくらひもの)(のみ)。」然(なほ)不赦(ゆるさず)(しかくし)(とき)其腰之玉,()國主(くにぎみ)之子。【〇(まひなひき)原文(まひなひき)。】
 故天之日矛(ゆるし)賤夫(いやしきを)將來(もちき)其玉,置於床邊(とこのへ),即(なりき)美麗孃子(うるはしきをとめ)(すはなち)(あひ),為嫡妻(むかひめ)。爾其孃子,(つねに)(まうけ)種種(くさぐさ)珍味(うましもの),恒令其夫(はましめき)。故其國主之子(天之日矛)心奢(こころおごり)(のる)妻。其女人(をみな)言:「(おほよそ)吾者,(あらず)應為(なるべき)汝妻(なむちがめ)(をむな)將行(ゆかむ)吾祖之國(あがおやのくに)!」即(ひそかに)小船(をぶね)逃遁渡來(にげわたりき)(とどまりき)難波(なには)【此者,坐難波之姬社社(比賣碁曾のやしろ),謂明姬神(阿加流比賣のかみ)也。姬社(ひめごそ)原文ひめごそ(比賣碁曾)以音。明姬(あかるひめ),延喜式云攝津國東成郡姬社(比賣許曾)神社,亦號下照姬(したてる比賣)

 於是天之日矛,聞其妻(にげし),乃追渡來(おひわたりき)將到(いたらむ)難波之間,其(わたり)之神,(ふさぎ)不入(いれず)。故更還(さらにかへり)(はてき)但馬國(多遲摩のくに)。即(とどまり)其國而(めとり)但馬(多遲摩)俣尾(たまを)之女前津見(さきつみ)【○但馬(たぢま)原文たぢま(多遲摩)以音。】
  生子,但馬諸助(多遲摩母呂須玖)【○諸助(もろすく)原文もろすく(母呂須玖)以音。】
   此之子,但馬斐泥(多遲摩ひね)
    此之子,但馬日楢杵(多遲摩比那良岐)【○日楢杵(ひならき)原文ひならき(比那良岐)以音。】
     此之子,田道間守(多遲麻毛理)【○田道間守(たぢまもり)原文たぢまもり(多遲麻毛理)以音,語見垂仁記。】
     次,但馬日嵩(多遲麻比多訶)【○日嵩(ひたか)原文ひたか(比多訶)以音。】
     次,清彥(きよ日子)【三柱。】
     此清彥(きよ日子),娶當麻(たぎま)咩斐(めひ)【○當麻(たぎま)原文當摩(たぎま)。】
      生子,菅之諸男(酢鹿のもろを)【○(すが)原文すが(酢鹿)以音。】
      次,(いも)菅竈由良度美(すがかまゆらどみ)
      故,上云但馬日嵩(多遲麻比多訶)娶其(めひ)由良度美(ゆらどみ)
       生子,葛城(かづらき)高額姬命(たかぬか比賣のみこと)【此者,息長足姬命(おきなが帶比賣のみこと)(御祖)(おも)原文御祖(みおや)

 故(天之日矛)持渡來物(もちわたりこしもの)者,云玉津寶(たまつたから)而,(たま)二貫(ふたつら),又振浪領巾(なみふる比禮)切浪領巾(なみきる比禮)振風領巾(かぜふる比禮)切風領巾(かぜきる比禮),又奧津鏡(おきつかがみ)邊津鏡(へつかがみ)(あはせ)八種(やくさ)也。【此者,出石(伊豆志)八前大神(やまへのおほかみ)也。領巾(ひれ)原文ひれ(比禮)以音。出石(いづし)原文いづし(伊豆志)以音。

 故,茲神(出石八前大神)之女,出石娘子神(伊豆志袁登賣のかみ)坐也(いましき)【○出石娘子(いづしをとめ)原文いづしをとめ(伊豆志袁登賣)以音。】
 故,八十神(やそかみ)雖欲(おもへども)得是出石娘子(伊豆志袁登賣),皆不得婚(あふことえず)。於是,有二神(ふたはしらのかみ)兄號(えのな)秋山之下緋壯夫(あきやまのした冰をとこ)弟名(おとのな)春山之霞壯夫(はるやまのかすみをとこ)。故,其兄(いひ)其弟:「吾雖乞(こへども)出石娘子(伊豆志袁登賣)而不得婚,汝(えむ)此孃子()?」答曰:「易得也(やすくえむ)。」爾,其兄曰:「(もし)(なむち)得此孃子(をとめ)者,吾(さり)上下衣服(かみしものころも)(はかり)身高(みのたけ)(かまむ)甕酒(みかのさけ)。亦山河之物(やまかはのもの)(ことごとく)備設(そなへまうけ)。以為賭誓(宇禮豆玖)賭誓(うれづく)原文うれづく(宇禮豆玖)以音,下效此。下緋(したひ)原文下冰(したひ),草木紅葉之狀。云爾(いふことしかり)
 爾其弟(ごとく)兄言(えのこと)(つぶさ)(まをす)其母。即其母(そのはは)藤蔓(布遲つら)一宿之間(ひとよのあひだ)織縫(おりぬひき)衣、褌及(したぐつ)(くつ),亦作弓矢(ゆみや),令弟神()(きぬ)(はかま)等,令取(とらしめ)其弓矢,遣其孃子之家(をとめのいへ)【○(ふぢ)原文ふぢ(布遲)以音。】
 時其弟神衣服(ころも)及弓矢,(ことごとく)藤花(ふぢのはな)。於是,其春山之霞壯夫(はるやまのかすみをとこ),以其弓矢,(かけき)孃子之(かはや)。爾,出石娘子(伊豆志袁登賣)思異(けしとおもひ)其花,將來(もちくる)之時,弟神輙(たち)其孃子之(しりへ)(いり)(),即(あひき)。故,(うみき)一子(ひとりのこ)也。
 爾,弟神白(まをし)其兄曰:「吾(えたり)出石娘子(伊豆志袁登賣)。」於是,其兄(下緋壯夫)慷愾(うれたみ)弟之婚,以不償(つくのはず)賭誓(宇禮豆玖)之物。爾弟神(霞壯夫)愁白(うれへまをし)其母。時(御祖)答曰:「我御世(わがみよ)之事,當能以(よく許曾)習神(かみをならはめ)。又豈(ならへ)現世青人草(宇都志岐あをひとくさ)乎?竟不償(つくのはぬ)其物!」遂(うらみ)兄子(えのこ)【○當能以習神,又豈習現世青人草乎?此云背信乃凡人之行,非神之當業。現世青人草(うつしきあをひとくさ),顯見蒼生。現世(うつしき)原文うつしき(宇都志岐)以音。】
 母神乃取其出石河(伊豆志かは)河嶋(かはしま)一節竹(ひとよだけ),而作八目之荒籠(やめのあらこ)。取其河石(かはのいし)(あへ)(しほ)(つつみ)竹葉(たけのは),令(とご):「(ごとく)此竹葉(あを),如此竹葉(しなゆる)青萎(あをみしなえよ)!又如此()盈乾(みちふる)盈乾(みちひよ)!又如此(いし)(しづむ)沈臥(しづむふせ)!」如此令詛(かくとごはしめ)(おきき)(けぶり)竈之(うへ)【○(しほ)原文(しほ)。】
 是以其兄(下緋壯夫)八年(やとせ)之間,干萎病枯(ひしなえやみかれ)。故其兄患泣(うれへなき),請其(御祖)者,即令返(かへさしめき)詛戶(とごひと)。於是其身(そのみ),如(もと)安平也(やすくたひらけし)【此者,神賭誓(宇禮豆玖)之言本者也。】

  又,此譽田(品陀)天皇之御子若沼毛二俣王(わかぬけのふたまたのみこ)(めとり)其母()百磯城某辨(もも師木伊呂べ),亦名弟姬真若姬命(おとひめまわか比賣のみこと)【○若沼毛(わかぬけ)原文若野毛(わかのけ),此依上文改之。百磯城某辨(もも師木伊呂べ)原文百師木伊呂辨(ももきしいろべ)。】
   生子,大郎子(おほいらつこ)。亦名大大迹王(意富富杼のみこ)【○大大迹(おほほど)原文おほほど(意富富杼)以音。】
   次,忍坂大中津姬命(おしさか之おほなかつ比賣)【○允恭帝皇后。】
   次,田井中姬(たゐ之なかつ比賣)
   次,田宮中姬(たみや之なかつ比賣)
   次,藤原琴節郎女(ふぢはら之ことふしのいらつめ)
   次,取賣王(とりめのみこ)
   次,沙禰王(さねのみこ)【七王。】
   故,大大迹王(意富富杼のみこ)者,三國君(みくにのきみ)秦君(波多のきみ)息長坂君(おきながのさかのきみ)酒人君(さかひとのきみ)山道君(やまぢのきみ)筑紫末多君(つくし之めたのきみ)布勢君(ふせのきみ)等之祖也。【○(はた)原文はた(波多)以音。】

  又,根鳥王(ねとりのみこ)庶妹(ままいも)三腹郎女(みはらのいらつめ)
   生子,中彥王(なかつ日子のみこ)
   次子,伊和島王(いわしまのみこ)【二柱。】

  又,堅石王(かたしはのみこ)之子者。【○系譜未詳,不見於前。】
   曰,久奴王(くぬのみこ)也。

 凡,此譽田天皇(品陀のすめらみこと)御年(みとし)壹佰參拾歲(ももあまりみそとせ)甲午年(きのえうまのとし)九月(ながつき)九日(ここぬか)(あむあがりき)。】御陵,在河內(川內)惠賀(ゑが)裳伏岡(もふしのをか)也。【○河內(かふち)原文川內(かふち)。】

【古事記中卷 始神武天皇,人皇御宇。迄應神帝治世,河內朝嚆矢。 終 】

[古事記下卷] [久遠の絆] [再臨詔]