八雲立出雲國風土記 神門郡


出雲國神門郡地圖


出雲國十郡分圖 神門郡


出雲大社 大鳥居
神門乃神領之入口,多為建於遠離本宮之鳥居。飯石郡三屋鄉有「所造天下大神之御門」云云,仁多郡御坂鄉條「有神御門」。

一、神門略記

 神門郡(かむどのこほり)
 (あはせ)(さと)捌,(こさと)廿二。】餘戶壹,(うまや)貳,神戶壹。
 朝山(あさやま)鄉。(いま)依前用。【里貳。】
 日置(ひおき)鄉。今(より)前用。【里參。】
 鹽冶(やむや)鄉。本字(もとのじ)止屋(しをく)【里參。】
 八野(やの)鄉。今依前(もちゐる)【里參。】
 高岸(たかきし)鄉。本字高崖(かうがい)【里參。】
 古志(こし)鄉。今依前用。【里參。】
 滑狹(なめさ)鄉。今依前用。【里貳。】
 多伎(たき)鄉。本字多吉(たきつ)【里參。】
 餘戶里(あまりべのさと)
 狹結驛(さゆふのうまや)。本字最邑(さいいふ)
 多伎(たき)驛。本字多吉(たきつ)
 神戶里(かむべのさと)
 所以(ゆゑ)號神門者,神門臣伊加曾然(かむどのおみいかそね)之時,神門貢之(たてまつりき)(かれ)云神門。即神門臣等,自古至今,(つねり)居此處。故(いふ)神門。

二、鄉里驛家

 朝山鄉(あさやまのさと)郡家(こほりのみやけ)東南五(さと)五十六(あし)神魂命(かむむすびのみこと)御子真玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめのみこと)坐之。爾時(そのとき)所造天下大神(大國主)大穴持命(おほなむちのみこと)娶給(あひたまひ)而每朝通坐(かよひましき)。故云朝山。
 日置鄉(ひおきのさと)。郡家正東四里。志紀嶋宮(しきしまのみや)御宇(あめのしたしろしめしし)天皇(欽明)御世(みよ)日置伴部(ひおきのともべ)等,所遣來(つかはさえてきたり)宿停(とどまり)而為(まつりごと)之所。故云日置。
 鹽冶鄉(やむやのさと)。郡家東北六里。阿遲須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)御子(みこ)鹽冶毗古能命(やむやひこのみこと)坐之。故云止屋(やむや)神龜(じんき)三年,(あらたむ)鹽冶(えんや)。】
 八野鄉(やののさと)。郡家正北三里二百一十五步。須佐能袁命(すさのをのみこと)御子八野若日女命(やののわかひめのみこと)坐之。爾時,所造天下大神(大國主)大穴持命,將娶給(あひたまはむ)為而令造屋給。故云八野。
 高岸鄉(たかきしのさと)。郡家東北二里。所造天下大神(大國主)御子阿遲須枳高日子命(味耜高彥根命),甚晝夜(よるひる)哭坐。仍其處高屋(たかきや)造可坐之。即建高椅(たかはし)可登降養奉(ひたしまつりき)。故云高崖(たかきし)【神龜三年,改字高岸(かうがん)。】
 古志鄉(こしのさと)。即(つく)郡家。伊奘彌命(いざなみのみこと)之時,以日淵川(ひぶちかは)築造(つくり)池之。【○伊弉冉尊世者,按『出雲國風土記參究』,遙遠上古之事,漠然望想作國土創生神之世哉。】爾時,古志國人(こしのくにひと)等,到來(いたりき)而為(つつみ),即宿居(やどりゐせる)之所。故云古志。
 滑狹鄉(なめさのさと)。郡家南西八里。須佐能袁命(素戔嗚尊)御子和加須世理比賣命(わかすせりひめのみこと)坐之。爾時,所造天下大神命(大國主),娶而通坐(かよひましし)時,彼社(奈賣佐社)之前有盤石(いは),其上甚滑之(なめさなりき)。即詔:「滑盤石哉(なめさなるいはなるや)!」詔。故云南佐(なめさ)【神龜三年,改字滑狹(なめさ)。】
 多伎鄉(たきのさと)。郡家南西廿里。所造天下大神(大國主)之御子阿陀加夜努志多伎吉比賣命(あだかやぬしたききひめのみこと)坐之。故云多吉(たき)【神龜三年,改()多伎。】
 餘戶里(あまりべのさと)。郡家南西卅六里。說名(なをとくこと)意宇郡(おうのこほり)。】
 狹結驛(さゆふのうまや)。郡家同處(おなじところ)。古志國佐與布(さよふ)云人,來居之(すみき)。故云最邑(さいふ)【神龜三年,改字狹結(けふけつ)也。其所以(ゆゑ)來者,說(ごとし)古志鄉也。】
 多伎驛(たきのうまや)。郡家西南二十九里。【說名改字,如鄉也。】
 神戶里(かむべのさと)。郡家東南一十里。


淺山社 朝山神社
真玉著玉之邑姬命,不見於他。神魂命子而大國主娶之,坐淺山社。


夜牟夜社 鹽冶神社
鹽冶彥命,不見於他。坐夜牟夜社。延喜式作鹽沼。


那賣佐【滑狹】神社
和加須世理比賣命,若須勢理姬命。同素戔嗚尊子須勢理姬命。


那賣佐神社奧宮 滑狹岩坪
滑磐石,『風土記鈔』作岩坪大明神,『風土記考証』作高倉大明神,近郊接有岩,蓋是。


美久我社 彌久賀神社


阿利社 阿利神社


久奈子社 久奈子神社

三、神社寺所

  新造院(あらたにつくれるゐん)一所。有朝山鄉(なか)。郡家正東二里六十步。建立嚴堂(ごんだう)也。神門臣(たち)之所造也。
 新造院一所(ひとところ)(あり)古志鄉中。郡家東南一里。刑部臣(をさかべのおみ)等之所造也。□立嚴堂。【○未詳。細川本難辨其字為不或木。或云不立(たてず)、未立、本立,或云建立(たつ)之脫字。仍俟後攷。】

     美久我社(みくがのやしろ) 阿須理社(あすりのやしろ) 比布知社(ひふちのやしろ) (また)比布知社 多吉社(たきのやしろ)
     夜牟夜社(やむやのやしろ) 矢野社(やののやしろ) 波加佐社(はかさのやしろ) 奈賣佐社(なめさのやしろ) 知乃社(ちののやしろ)
     淺山社(あさやまのやしろ) 久奈為社(くなゐのやしろ) 佐志牟社(さしむのやしろ) 多支枳社(たききのやしろ) 阿利社(ありのやしろ)
     阿如社(あねのやしろ) 國村社(くにむらのやしろ) 那賣佐社(なめさのやしろ) 阿利社(ありのやしろ) 大山社(おほやまのやしろ)
     保乃加社(ほのかのやしろ) 多吉社(たきのやしろ) 夜牟夜社(やむやのやしろ) (おなじき)夜牟夜社 比奈社(ひなのやしろ) 【已上廿五所,并在神祗官(かむつかさ)。】

     鹽夜社(やむやのやしろ) 火守社(ほもりのやしろ) 同鹽冶社(やむやのやしろ) 久奈子社(くなこのやしろ) (おなじき)久奈子社
     加夜社(かやのやしろ) 小田社(をだのやしろ) 波加佐社(はかさのやしろ) (おなじき)波加佐社 多支社(たきのやしろ)
     多支支社(たききのやしろ) 波須波社(はすはのやしろ) 以上(かみ)十二所,(みな)不在神祗官。○上并卅七所,『延喜式神名帳』所載社名也。

四、山川河海

 田俣山(たまたやま)。郡家正南一十九里。【有(ひのき)(すぎ)。】
 長柄山(ながらやま)。郡家東南一十九里。【有柂、枌。】
 吉栗山(よしくりやま)。郡家西南廿八里。【有柂、枌也。所謂(いはゆる)所造天下大神宮(出雲大社)()造山也。】
 宇比多伎山(うひたきやま)。郡家東南五里五十六步。大神(大國主)御屋(みや)也。○淺山社。
 稻積山(いなつみやま)。郡家東南五里七十六步。大神(大國主)稻積(いなつみ)。】
 陰山(かげやま)。郡家東南五里八十六(あし)大神(大國主)御陰(みかげ)。】
 稻山(いなやま)。郡家正東五里一百一十六步。【東在樹林(はやし)三方(みかた)(いしはら)也。大神(大國主)御稻種(みいなだね)。】
 桙山(ほこやま)。郡家東南五里二百五十六步。【南西(ともに)在樹林。東北並礒。大神(大國主)御桙(みほこ)。】
 冠山(かがふりやま)。郡家東南五里二百五十六步。大神(大國主)御冠(みかがかふり)。】

     (おほよそ)山野(やまの)所在草木(くさき)白歛(やまかがみ)桔梗(ありのひふき)藍漆(やまあさ)龍膽(えやみぐさ)商陸(いをすぎ)續斷(はがた)獨活(つちたち)白芷(よろひぐさ)秦椒(かははじかみ)百部根(ふとづら)百合(ゆり)卷栢(いはくみ)石斛(いはぐすり)升麻(とりのあしぐさ)當歸(やまぜり)石葦(いはのかは)麥門冬(やますげ)杜仲(はひまゆみ)細辛(みらのねぐさ)伏令(まつほど)葛根(くずのね)薇蕨(わらび)(ふぢ)(すもも)蜀椒(なるはじかみ)(ひのき)(すぎ)(かへ)赤桐(あかぎり)白桐(あをぎり)椿(つばき)(つき)(つみ)(にれ)(きはだ)(かちのき)
     禽獸(とりけだもの)則有,(わし)(たか)晨風(はやぶさ)(はと)山雞(やまどり)(うづら)(くま)(おほかみ)()鹿(しか)(うさぎ)獼猴(さる)飛鼯(むささび)也。

 神門川(かむどのかは)(みなもと)飯石郡(いひしのこほり)琴引山(ことひきやま),北流即經來嶋(きしま)波多(はた)須佐(すさ)三鄉,(いで)神門郡餘戶里門立村(とたちのむら),即經神戶(かむべ)朝山(あさやま)古志(こし)等鄉,西流入水海(みづうみ)也。即有年魚(あゆ)(さけ)(麻須)(伊具比)
 多岐小川(たきのをがは)。源出郡家西南卅三里多岐山(たきやま),流入大海(おほうみ)【有年魚。】
 宇加池(うかのいけ)(めぐり)三里六十步。
 來食池(きくひのいけ)。周一里一百卌步。【有(もは)。】
 笠柄池(かさからのいけ)。周一里六十步。【有菜。】
 㓨屋池(さしやのいけ)。周一里。
 神門水海(かむどのみづうみ)。郡家正西四里五十步。周卅五里七十四步。(うら)則有,鯔魚(なよし)黑鯛(鎮仁)(須受枳)(ふな)玄蠣(かき)也。即水海與大海之(あひだ)在山。長廿二里二百卅四步,廣三里。此者,意美豆努命(おみづぬのみこと)國引坐(くにひきましし)時之(つな)矣。今俗人(くにひと)號云薗松山(そののまつやま)【○意美豆努命,即八束水臣津野命。】地之形體(かたち)(つち)(いし)並無也。白沙(しろきすなご)(のみ)積上。即松林茂繁(しげる)四風(よものかぜ)吹時,沙飛流(とびながれ)掩埋(おほひうづむ)松林。今,り年埋(ともにうづみ)半遺(なかばをのこす)(おそらく)遂被埋已與(うもれはてむか)(はじめ)松山南端(みなみのはし)美久我林(みくがのはやし)(いたる)石見(いはみ)出雲(いづも)二國(さかひ)中嶋埼(なかしまのさき)之間,或平濱(たひらなるはま),或陵礒(さかしきいそ)
     凡,北海(きたのうみ)所在雜物(くさぐさのもの),如楯縫郡(たてぬひのこほり)說。但,無紫菜(むらさきのり)


田俣山 王院山
田俣山,有出雲市乙立町、飯石郡堺王院山及乙立町二股山說。


神門郡山群
左起蓋桙山、冠山、陰山、冠山、稻積山乎。長柄山,弓掛山。稻積山,有稻塚山、杉尾神社岡說。陰山,堂原山。稻山,有稻塚山、船山說,磯在巖崖。桙山,鞍掛山。


冠山 鞍掛山蝙蝠岩【神守岩】
冠山,有鞍掛山蝙蝠岩說、同山南端岩、陰山南方山等說。


神門川 神戶川


神門水海 神西湖


國引神話之風景 奉納山公園
薗松山,或稱薗之長濱,出雲市外園町至簸川郡湖陵町間之砂丘。


出雲市乙立町 立久惠峽
與曾紀村,按『出雲國風土記參究』,出雲市乙立之舊名。或云佐田町淀近郊。


堀坂山 堀坂峠
堀坂山,跨越出雲市所原町至簸川郡佐田町東須佐朝山東北之山。


多伎町
多伎伎山,非單止一山,乃為簸川郡多伎町與大田市境界之山群。

五、道政區劃

 (かよふ)出雲郡堺出雲河邊(いづものかはのへ),七里廿五步。
 通飯石郡(さかひ)堀坂山(ほりさかやま),一十九里。
 (飯石)郡堺與曾紀村(よそきのむら),廿五里一百七十四步。
 石見國(いはみのくに)安農郡堺多伎伎山(たききやま),卅三里。(みち),常有(せき)○剗,關所也。
 (石見國)安農郡(あののこほり)川相鄉(かはあひのさと),卌六里。徑常剗不有(あらず)。但(あたり)(まつりごと)時,(かり)(のみ)

 前件(さきのくだり)伍郡,並大海(おほうみ)之南也。





郡司(こほりのつかさ) 主帳(ふみひと)  無位(むゐ)          刑部臣(をさかべのおみ)
大領(おほみやつこ)  外從七位上(げじゅしちゐじゃう) 勳十二等  神門(かむど)
擬少領(かりのすけのみやつこ) 外大初位(だいそゐ)下 (くん)十二等  刑部臣
主政(まつりごとひと)  外從八位() 勳十二(とう) 吉備部(きびべ)


八雲立出雲國風土記 飯石郡

一、飯石略記

 飯石郡(いひしのこほり)
 合,(さと)漆。(こざと)十九。】
 熊谷(くまたに)鄉。今(より)前用。
 三屋(みとや)鄉。本字(もとのじ)三刀矢(さんたうし)
 飯石(いひし)鄉。本字伊鼻志(いびし)
 多禰(たね)鄉。本字(しゅ)
 須佐(すさ)鄉。今依(さき)用。以上(かみ)伍,鄉(ごと)里參。】
 波多(はた)鄉。今依前(もちゐる)
 來嶋(きじま)鄉。本字支自真(きじま)【以上貳,鄉別里貳。】

 所以(なづくる)飯石者,飯石鄉中,伊毗志都幣命(いひしつべのみこと)坐。(かれ)云飯石之。【○伊毗志(いひし),音同飯石。伊毗志都幣命(いひしつべのみこと)者,べ、め相類,意指女性,則飯石女神也。今坐飯石社(いひしのやしろ),境內以其天降(あまくだり)際之磐石為御神體。】


出雲國飯石郡地圖


飯石神社


出雲國十郡分圖 飯石郡


奇稻田姬 八重垣神社壁畫
久志伊奈太,櫛名田。美等與,共渡春宵,『古事記』作御陰與。麻奴良有諸說,『參究』云如豐美朱玉。『古典文學大系』作寢字。

二、鄉里驛家

 能谷鄉(くまたにのさと)郡家(こほりのみやけ)東北廿六里。古老(ふるおきな)傳云,奇稻田美等與麻奴良姬命(久志伊奈太みとあたふぬら比賣のみこと)任身(はらみ)將產(うまむ)時,【○任身,妊娠也。久志伊奈太美等與麻奴良比賣命(くしいなだみとあたふぬらひめのみこと)奇稻田(久志伊奈太美)乃田之精靈,美等與(みとあたふ)御陰與(みとあた)ふ,交合之意。本居宣長或稱幸之(みとあたはし)奴良姬(ぬらひめ)或云如美玉之女神,或云(ぬる)之意。】求處(うまむ)之。爾時(そのとき)到來(いたりき)此處詔:「(いとく)隈隈しき(久麻久麻志枳)(たに)在!【○久麻久麻志枳(くまくましき),深山靜奧之地。與熊野(くまの)同源。故可稱之深山邃谷矣。】(かれ)云熊谷也。
 三屋鄉(みとやのさと)。郡家東北廿四里。所造天下大神(大國主命)御門(みと),即在此處。故云三刀矢(みとや)神龜(じんき)三年,(あらたむ)字三屋。三刀矢(みとや),即御門耶(みとや)是也。即有正倉(みやけ)
 飯石鄉(いひしのさと)。郡家正東一十二里。伊毗志都幣命(いひしつべのみこと)天降坐(ところ)。故云伊鼻志(いひし)【神龜三年,改字飯石(はんせき)。】
 多禰鄉(たねのさと)(つく)郡家。所造天下大神(あめのしたつくりまししおほかみ)大穴持命(おほなもぢのみこと)少彥名命(須久奈比古命)巡行(めぐりゆき)天下時,稻種(いなだね)墮此處。故云(たね)【神龜三年,改字多禰(たね)。】
 須佐鄉(すさのさと)。郡家正西一十九里。神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)詔:「此國者,雖小國(ちさきくに)國處(くにどころ)在。故,我御名(みな)者,非著木石(きいし)。」【○須佐能袁命,素戔嗚尊(すさのをのみこと)是也。○國處,豐饒且幅員適洽,宜為國者也。○非著木石,賜名氏族,令其代代流傳。】詔而,即己命(おのがみこと)御魂(みたま)鎮置(しづめおき)給之。然即大須佐田(おほすさだ)小須佐田(をすさだ)定給(さだめたまひき)。故云須佐。即有正倉。
 波多鄉(はたのさと)。郡家西南一十九里。波多都美命(はたつみのみこと)天降坐(あもりましし)處在。【○不見於社名。】故云波多。
 來嶋鄉(きじまのさと)。郡家正南卌一里。伎自麻都美命(きじまつみのみこと)坐。故云支自真(きじま)【神龜三年,改字來嶋(らいたう)。】即有正倉。

三、神社名帳

     須佐社(すさのやしろ) 河邊社(かはべのやしろ) 御門屋社(みとやのやしろ) 多倍社(たへのやしろ) 飯石社(いひしのやしろ) 【以上五處,(みな)神祗官(かむつかさ)。】

     狹長社(さながのやしろ) 飯石社(いひしのやしろ) 田中社(たなかのやしろ) 多加社(たかのやしろ) 毛利社(もりのやしろ)
     兔比社(とひのやしろ) 日倉社(ひくらのやしろ) 井草社(ゑぐさのやしろ) 深野社(ふかののやしろ) 託和社(たわのやしろ)
     上社(かみのやしろ) 葦鹿社(あしかのやしろ) 粟谷社(あはたにのやしろ) 穴見社(あなみのやしろ) 神代社(かみよのやしろ)
     志志乃村社(ししのむらのやしろ) 【以上十六所,並不在(あらず)神祗官。○計廿一所,『延喜式神名帳』社名。


須佐社 須佐神社 須佐大宮
素戔嗚尊以此處良善,不著己名於木石,而著於土地,更賜名於須佐氏,代代以為社家。境內有千年神木,及相傳素戔嗚尊禊身之鹽井。


琴引山 別名彌山


琴引山 大神岩
琴者,天之詔琴。『角川地名大辭典』:「『風土記』所記窟,塔谷中腹大神岩,其中有石,形似於琴。石神則於其北方陵線上,烏帽子岩也,尺度亦合。」


佐比賣山 三瓶山


三屋川 斐伊川支流 三刀屋川


須佐川 神戶川上游


磐鉏川 赤名川

四、山川河海

 燒村山(たきむらやま)。郡家正東一里。
 穴厚山(あなつやま)。郡家正南一里。
 笶村山(のむらやま)。郡家正西一里。
 廣瀨山(ひろせやま)。郡家正北一里。
 琴引山(ことひきやま)。郡家正南卅五里二百(あし)。高三百(つゑ),周一十一里。古老傳云(つたへていひしく):「此山峰(やまのみね)(いはや)(うら)所造天下大神(大國主命)御琴(みこと)。長七(さか),廣三尺,(あつさ)一尺五()。又在石神(いしがみ)。高二丈,周四丈。故云琴引山。」【有鹽味葛(えびかづら)○寫本無味葛二字,按『出雲風土記解』補之。
 石穴山(いはなのやま)。郡家正南五十八里。高五十丈。
 幡咋山(はたくひやま)。郡家正南五十二里。【有紫草(むらさき)。】
 野見(のみ)木見(きみ)石次(いはすき)三野。並郡家南西卌里。【有紫草。】
 佐比賣山(さひめやま)。郡家正西五十一里一百卌步。石見(いはみ)出雲(いづも)二國(さかひ)。】
 堀坂山(ほりさかやま)。郡家正西卌一里。【有(すぎ)(まつ)。】
 城垣野(きかきの)。郡家正南一十二里。【有紫草。】
 伊我山(いがやま)。郡家正北一十九里二百步。
 奈倍山(なへやま)。郡家東北廿里二百步。

     (おほよそ)(もろもろ)山野所在(あらゆる)草木,卑解(ところ)升麻(とりのあしぐさ)當歸(やまぜり)獨活(つちたら)大薊(おほあざみ)黃精(あまな)前胡(のぜり)署預(やまついも)白朮(をけら)女委(ゑみくさ)細辛(みらのねぐさ)白頭公(おきなぐさ)白芨(かがみ)赤箭(をとをとし)桔梗(ありのひふき)葛根(くずのね)秦皮(とねりのこのき)杜仲(はひまゆみ)石斛(いはぐすり)(ふぢ)(すもも)(すぎ)赤桐(あかぎり)(しひ)(くす)楊梅(やまもも)(つき)(つみ)(にれ)、松、(かへ)(きはだ)(かちのき)
     禽獸(とりけだもの)則有,(たか)(はやぶさ)山雞(やまどり)(はと)(きじ)(くま)(おほかみ)()鹿(しか)(うさぎ)獼猴(さる)飛鼯(むささび)

 三屋川(みとやがは)(みなもと)出郡家正東一十五里多加山(たかやま),北流入斐伊河(ひのかは)【有年魚(あゆ)。】
 須佐川(すさがは)。源(いで)郡家正南六十八里琴引山(ことひきやま),北流經來嶋(きじま)波多(はた)須佐(すさ)等三鄉,(いる)神門郡門立村(とたちのむら)。此所謂神門河(かむどがは)(かみ)【有年魚。】
 磐鉏川(いはすきがは)。源出郡家西南七十里箭山,北流入須佐河(すさがは)【有年魚。】
 波多小川(はたのをがは)。源出郡家西南二十四里志許斐山(しこひやま),北(ながれ)入須佐河。【有(まかね)。】
 飯石小川(いひしのをがは)。源出郡家正東一十二里佐久禮山(さくれやま),北流入三屋川(みとやがは)【有鐵。】

五、道政區劃

 大原郡(おほはらのおkほり)斐伊河邊(ひのかはのへ),廿九里一百八十步。
 仁多郡(にたのこほり)溫泉河(ゆのかは),廿二里。
 (かよふ)神門郡(さかひ)與曾紀村(よそきのむら),卅八里六十步。
 (おなじき)堀坂山(ほりさかやま),卅一里。
 備後國(きびのみちのしりのくに)惠宗郡(ゑそのこほり)荒鹿坂(あらかざか),卅九里二百步。(みち)常有(せき)。】
 三次郡(みよしのこほり)三坂(みさか),八十一里。【徑(つね)有剗。】
 波多徑(はたみち)須佐徑(すさみち)志都美徑(しづみみち)以上(かみ)三徑,常無剗。但(あたり)(まつりごと)時,(かり)(のみ)。並通備後國之。





郡司 主帳(ふみひと) 無位         日置首(へきのおびと)
大領(おほみやつこ) 外正八位(はちゐ)下 勳十二等 大私造(おほきさきのみやつこ)
少領(すけのみやつこ) 外從八位上      出雲臣(いづものおみ)


溫泉河邊 湯村溫泉
溫泉河,斐伊川流經湯村溫泉西邊一代,飯石、仁多堺上。


荒鹿坂 草峠


三坂 赤名峠


八雲立出雲國風土記 仁多郡


出雲國仁多郡地圖


仁多郡 鬼舌振

一、仁多略記

  仁多都(にたのこほり)
 合,(さと)肆。【里十二。】
 三處(みところ)鄉。今依(さき)用。
 布勢(ふせ)鄉。今依前(もちゐる)
 三澤(みさは)鄉。今(より)前用。
 橫田(よこた)鄉。(いま)依前用。

 所以(なづくる)仁多者,所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)大穴持命(おほなもち)(のりたまひしく):「此國者,非大非小。川上(かはかみ)木穗(きのほ)交ふ(加布),川下者芦這ふ(阿志婆布)這度之。是者,濕地しき(爾多志枳)小國在。」詔。【○木穗,(こずゑ)也。木穗刺交(このほさしか)ふ,樹梢相互交錯般茂盛。○芦這(あしば)這度(はひわたる),如蘆葦漫地生長般廣盛繁殖。○(濕地)しき,水分充足而豐饒。爾多(にた),溼地也。】(かれ)云仁多。

二、鄉里驛家

 三處鄉(みところのさと)(すなはち)郡家(こほりのみやけ)大穴持命(大國主命)詔:「此地田好(たえし)。故吾御地(みところ)(しめむ)。」詔。故(いふ)三處。
 布勢鄉(ふせのさと)。郡家正西一十里。古老(ふるおきな)傳云:「大神命(おほかみのみこと)宿坐處(ふせまししところ)。」故云布世。
 三澤鄉(みさはのさと)。郡家西南廿五里。大神大穴持命(大國主命)御子阿遲伎高日子命(あぢすきたかひこのみこと)御須髮八握(みひげやつか)(おふる)晝夜(ひるもよるも)哭坐之,辭不通(みことかよはざりき)。爾時,御祖命(みおやのむこと)御子(みこ)乘船而,率巡(ゐてめぐり)八十嶋(やそしま)衷かし(宇良加志)ども()(なほ)不止哭之。大神(いめ)願給(ねぎたまひしく):「(のらせ)御子之哭由(なくよし)。」夢()願坐,則夜夢(よいめ)見坐之御子辭通(とかよふ)。則(さめ)問給,爾時(そのとき),「御澤(みさは)。」(まをし)。爾時,「何處(いづくをか)然云(しかいふ)?」問給,即御祖御前(みまへ)立去出坐(たちさりいでまし)而,石川(いしかは)(わたり)坂上(さかのうへ)至留(いたりとどまり),申:「是處(ここぞ)。」也。爾時,其澤水活出(みづながれいで)而,御身沐浴坐(すすきましき)。故,國造(くにのみやつこ)神吉事(かむよごと)奏,參向朝廷(みかど)時,其水活出而用初(もちゐそむる)也。依此,今產婦(こうむをみな),彼村稻不食(くはず)。若有食者,所生子(すでに)不云(ものいはざる)也。故云三澤。即有正倉(みやけ)【○或本,原名三津,神龜三年,改三澤。】
 橫田鄉(よこたのさと)。郡家東南廿一里。古老(つたへ)云:「鄉中有田四段許(よきだばかり)。形(いささか)長。遂(よる)田而,故云橫田。」即有正倉。【以上(もろもろ)鄉所出(まかね)(かたしく)(たふ)雜具(くさぐさのうつは)。】


出雲國十郡分圖 仁多郡
吾御地,己之占有地。自尊敬語。


三澤神社
三澤,即御澤。泉水出處,按『出雲國風土記參究』,跡在三澤大字原田之三津田,亦云光田。傳其豐泉,縱遭烈旱,亦不乾涸。


仰支斯里社 仰支斯里神社

三、神社名帳

     弎澤社(みさはのやしろ) 伊我多氣社(いがたけのやしろ) 【以上二所,(ともに)神祗官(かむつかさ)。】

     玉作社(たまつくりのやしろ) 須我非乃社(すがひのやしろ) 湯野社(ゆののやしろ) 比太社(ひだのやしろ) 漆仁社(しつにのやしろ)
     大原社(おほはらのやしろ) 仰支斯里社(かみきりのやしろ) 石壺社(いはつぼのやしろ) 【以上八所,並不在(あらず)神祗官。○『延喜式神名帳』所載社名。

四、山川河海

 鳥上山(とりかみやま)。郡家東南卅五里。伯耆(ははき)與出雲之(さかひ)。有鹽味葛(えびかづら)。】
 室原山(むろはらやま)。郡家東南卅六里。備後(きびのみちのしり)出雲(いづも)二國之堺。有鹽味葛。】
 灰火山(はひひやま)。郡家東南卅里。
 遊託山(ゆたやま)。郡家正南卅七里。【有鹽味葛。】
 御坂山(みさかやま)。郡家西南五十三里。即此山有神御門(かみのみかど)(かれ)云御坂。【備後與出雲之堺。有鹽味葛。】
 志努坂野(しぬさかの)。郡家西南卅一里。【有紫草(むらさき)少少。】
 玉峰山(たまみねやま)。郡家東南一十里。古老傳云:「山嶺(やまのみね)玉上神(たまかみのかみ)。」故云玉峰。
 城紲野(きせの)。郡家正南一十里。【有紫草少少(すこしく)。】
 大內野(おほうちの)。郡家正南廿二里。【有紫草少少。】
 菅火野(すがひの)。郡家正西四里。(たかさ)一百廿五(つゑ)(めぐり)一十里。【峰有神社(須我非乃社)。】
 戀山(したひやま)。郡家正南廿三里。古老傳云:「(和爾)(したひ)阿伊村(あいのむら)坐神玉日女命(たまひめのみこと)上到(のぼりいたりき)。爾時,玉日女命,以石(ふさぎ)川,不得會(えあはず)(したへり)。」故云戀山。

     (おほよそ),諸山野(やまの)所在草木(くさき)白頭公(おきなぐさ)藍漆(やまあさ)藁本(さはそらし)玄參(おしくさ)百合(ゆり)王不留行(すずくさ)薺苨(さきくさな)百部根(ふとづら)瞿麥(なでしこ)升麻(とりのあしぐさ)拔葜(さるとり)黃精(あまな)地榆(あやめたむ)附子(おう)狼牙(こまつなぎ)離留(やまうばら)石斛(いはぐすり)貫眾(おにわらび)續斷(はがた)女委(ゑみくさ)(ふぢ)(すもも)(ひのき)(すぎ)(かし)、松、(かへ)(くり)(つみ)(つき)(きはだ)(かぢのき)
     禽獸(とりけもの)則有,(たか)晨風(はやぶさ)(はと)山雞(やまどり)(きじ)(くま)(おほかみ)()鹿(しか)(きつね)(うさぎ)獼猴(さる)飛鼯(むささび)

 橫田川(よこたがは)(みなもと)出郡家東南卅五里鳥上山(とりかみやま),北流。所謂(いはゆる)斐伊河(かみ)【有年魚(あゆ)少少。】
 室原川(むろはらがは)。源(いで)郡家東南卅六里室原山(むろはらやま),北流。此(すなはち)所謂斐伊大河(ひのおほかは)上。【有年魚、(麻須)(ふな)(はむども)(たぐひ)。】
 灰火小川(はひひのをがは)。源出灰火山(はひひのやま)(いる)斐伊河上。【有年魚。】
 阿伊川(あいがは)。源出郡家正南卅七里遊託山(ゆたやま),北流入斐伊河上。【有年魚、(麻須)。】
 阿位川(あゐがは)。源出郡家西南五十里御坂山(みさかやま),入斐伊河上。【有年魚、(麻須)。】
 比太川(ひだがは)。源出郡家東南一十里玉峰山(たまみねやま),北流。意宇郡(おうのこほり)野城河(のぎのかは)上,是也(これなり)【有年魚。】
 湯野小川(ゆののをがは)。源出玉峰山,西流入斐伊河上。


鳥上山 船通山
鳥上山,『古事記』作鳥髮山,須佐之男天降之地。


遊託山 烏帽子山


玉峰山
玉上神,『古典文學大系』以為玉上蓋玉工之訛,即社名條之玉作社也。『角川地名大辭典』云,「現以大杉為神木祀之。」


戀山 舌振山 鬼舌振
戀,古語慕【した】ひ。戀山今在仁多町舌振【したぶるい】山。山麓有溪谷,名鬼舌振,絕壁、奇岩、怪石、瀑布多有。


橫田川 斐伊川上流
源於船通山,於橫田匯室原川。


藥湯 出雲湯村溫泉
相傳遠古自斐伊川底湧出溫泉,是為開基。藉『風土記』可知,於奈良時代,既為著名湯治場。


伯耆國日野郡 鳥取縣日野郡


阿志毗緣山 今阿毘緣峠

五、道政區劃

 (かよふ)飯石郡(さかひ)漆仁川(しつにのかは)邊,廿八里。即川邊(かはのへ)藥湯(くすりゆ)(ひとたび)浴則身體穆平(みやはらぎ),再(すすけば)萬病消除(ろよづのやまひいゆ)。男女老少,晝夜不息(やまず)駱驛往來(つらなりかよふ)。無不得(しるし)。故俗人(なづけ)云藥湯。(すなはち)有正倉。】
 通大原郡(おほはらのこほり)辛谷村(からだにのむら),一十六里二百卅六步。
 通伯耆國日野郡(ひののこほり)阿志毗緣山(あしびゑやま),卅五里一百五十步。常有剗。
 通備後國惠宗郡(ゑそのこほり)遊託山(ゆたやま),卅七里。(つねに)(せき)。】
 通(おなじき)惠宗郡堺比市山(ひいちやま),五十三里。【常無剗。但(あたり)(まつりごと)時,(かり)(のみ)。】





郡司(こほりのつかさ) 主帳(ふみひと) 外大初(だいそう)() 品治部(ほむぢべ)
大領(おほみやつこ) ()八位(はちゐ)下 蝮部臣(たぢひべのおみ)
少領(すけのみやつこ) 外(じゅ)八位下 出雲臣(いづものおみ)


八雲立出雲國風土記 大原郡

一、大原略記

 大原郡(おほはらのこほり)
 合(さと)捌。(こざと)廿四。】
 神原(かむはら)鄉。今(より)前用。
 屋代(やしろ)鄉。本字(もとのじ)矢代(しだい)
 屋裏(やうち)鄉。本字矢內(しない)
 佐世(させ)鄉。今依(さき)用。
 阿用(あよ)鄉。本字阿欲(あよく)
 海潮(うしほ)鄉。本字得鹽(とくえん)
 來次(きすき)鄉。今依前(もちゐる)
 斐伊()鄉。本字(とう)以上(かみ)捌,鄉(ごと)里參。】
 所以(ゆゑ)號大原者,郡家(こほりのみやけ)東北一十里一百一十六步(),一十町許(まちばかり)平原(はら)也。故(なづけ)曰大原。往古(いにしへ)之時,此處(ここ)有郡家。今(なほ)(ふるき)號大原。【今有郡家處,號云斐伊村(ひのむら)。】


出雲國大原郡地圖


仁和寺
所以號大原者,舊郡家東北有大平野。東北,古本作正西,而『風土記鈔』、『考證』皆云其方角當屋裏鄉,而無平野。今以加茂町仁和寺原口郡垣為其遺跡。按『島根縣地名鑑』,郡家在仁和寺。


出雲國十郡分圖 大原郡


神原神社古墳石室
出土景初三年銘三角緣神獸鏡,未詳是否為大國主神御財。或云與卑彌乎有關。神財即神寶,按『日本古典文學大系』,與屋代、屋裏鄉說話蓋為系列,神寶乃武器之疇。


箭垛
射垛,為立的練習弓射而積之砂土。『一切經音義』:「積土。」

二、鄉里驛家

 神原鄉(かむはらのさと)。郡家正北九里。古老(ふるおきな)傳云:「所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)御財(みたから)積置給處(つみおきたまひところ)。」則可謂(いふべき)神財鄉(かむたからのさと)。而今人(いまのひと)(あやまり)云神原鄉(のみ)
 屋代鄉(やしろのさと)。郡家正北二十里一百一十六步。所造天下大神(大國主命)垛立射(あむづちたてゆみいたまひし)處。故云矢代(やしろ)神龜(じんき)三年,(あらたむ)屋代(をくだい)。】(すなはち)正倉(みやけ)
 屋裏鄉(やうちのさと)。郡家東北一十里一百十六步。古老(ふたへ)云:「所造天下大神(大國主命),令(たてしめ)()給處。」(かれ)矢內(やうち)【神龜三年,改字屋裏(をく)○殖笶,矢的。
 佐世鄉(させのさと)。郡家正東九里二百步。古老傳(いひし):「須佐能袁命(すさのをのみこと)佐世木葉(させ乃きのは)頭㓨(かざし)而,踊躍(をどり)為時,所㓨(ささせる)佐世木葉,(おちき)地。」故云佐世。
 阿用鄉(あよのさと)。郡家東南一十三里八十步。古老傳云:「昔或人(あるひと),此處山田(つくり)而守之。爾時(そのとき)目一鬼(めひとつのおに)來而,食佃人之男(つくるひとのをのこ)。爾時,男之父母(かぞいろ)竹原(たかはら)隱而居之(かくれてをりき)。時,竹葉動之(あよけり)。爾時,所食男(くらはるるをのこ)云:『動動(あくよあくよ)!』」故云阿欲。【神龜三年,改字阿用(あよう)。】
 海潮鄉(うしほのさと)。郡家正東一十六里卅三步。古老傳云:「宇能治比古命(うのちひこのみこと)(うらみ)御祖須義禰命(すがねのみこと)而,北方出雲海潮(いづものうしほ)押上,漂御祖之神(みおやのかみ)。此海潮(いたりき)。」故云得鹽(うしほ)【神龜三年,改字海潮(かいてう)。】即東北須我小川(すがのをがは)湯淵村(ゆぶちのむら)川中(かはのなか)溫泉()不用(もちゐず)號。】川上(かはのほとり)毛間村(けまのむら),川中溫泉(いづ)【不用()。】
 來次鄉(きすきのさと)。郡家正南八里。所造天下大神命(大國主命)詔:「八十神(やそがみ)者,不置青垣山裏(あをがきやまのうら)。」詔而,追廢(おひはなちたまふ)時,此處迨次坐(きすきましき)。故云來次(きすき)
 斐伊鄉(ひのさと)。屬郡家。樋速日子命(ひのはやひのみこと),坐此處。故云樋。【神龜三年,改字斐伊(ひい)。】

三、神社寺所

 新造院(あらたにつくれるゐん)一所。在斐伊鄉中。郡家正南一里。建立嚴堂(ごんだう)也。【有(ほふし)(はしら)。】大領(おほみやつこ)勝部臣(すぐりべのおみ)蟲麿(むしまろ)之所造也。
 新造院一所(ひとところ)。在屋裏鄉(うち)。郡家正北一十一里一百廿步。建立□層塔(こしのたふ)也。【有僧一軀。○按『日本古典文學大系』,蓋三重或五重塔哉。(さき)少領(すけのみやつこ)額田部臣(ぬかたべのおみ)押嶋(おししま)之所造。【今少領伊去美(いこみ)從父兄(いとこ)也。】
 新造院一所。在斐伊鄉中。郡家東北一里。建立(たつ)嚴堂。【有(あま)二軀。】斐伊鄉人樋印支知麿(ひのいなきちまろ)所造(つくれる)也。

     矢口社(やぐちのやしろ) 宇乃遲社(うのぢのやしろ) 支須支社(きすきのやしろ) 布須社(ふすのやしろ) 御代社(みしろのやしろ)
     吁乃遲社(うのぢのやしろ) 神原社(かむはらのやしろ) 樋社(ひのやしろ) 樋社(ひのやしろ) 佐世社(させのやしろ)
     世裡陀社(せりだのやしろ) 得鹽社(うしほのやしろ) 加多社(かたのやしろ) 【以上一十三所,(ならびに)神祗官(かむつかさ)。】

     赤秦社(あかはたのやしろ) 等等呂吉社(とどろきのやしろ) 矢代社(やしろのやしろ) 比和社(ひわのやしろ) 日原社(ひはらのやしろ)
     幡屋社(はたやのやしろ) 春殖社(はるゑのやしろ) 船林社(ふなばなしのやしろ) 宮津日社(みやつひのやしろ) 阿用社(あよのやしろ)
     置谷社(おきたにのやしろ) 伊佐山社(いさやまのやしろ) 須我社(すがのやしろ) 川原社(かはらのやしろ) 除川社(よけかはのやしろ)
     屋代社(やしろのやしろ) 以上一十六所,並不在(あらず)神祗官。上并廿九所,『延喜式神名帳』所載社名也。


大原郡週邊 廢寺分布圖
斐伊鄉新造院,疑木次廢寺,或有塔之村、木次驛構內廢寺說。屋裏、斐伊二鄉廢寺,未祥。


宇乃遲社 宇能遲神社


須我社 須我神社 日本初之宮
清地。卅一字和歌發祥地。


城名樋山 神籠石
『雲陽誌』云:古城,風土記所載城名樋山是也。今俗稱劍崎。


須我山 須我神社奧宮 夫婦岩


御室山 室山 釜石
釜石,傳素戔嗚尊退治八岐大蛇時,所以釀酒之釜。


斐伊川,亦出雲大川。


幡屋小川 幡屋川

四、山川河海

 菟原野(うはらの)。郡家正東。即(つく)郡家。
 城名樋山(きなびやま)。郡家正北一里一百步。所造天下大神(大國主命)大穴持命(おほなもちのみこと),為(うたむ)八十神造城。故云城名樋也。
 高麻山(たかさやま)。郡家正北一十里二百步。高一百丈,周五里。北方有(かし)椿(つばき)(たぐひ)。東南西三方(みな)野。古老傳云:「神須佐能袁命(素戔嗚尊)御子青幡佐草壯丁命(あをはたのさくさひこのみこと),是山上麻蒔初(あさまきそめたまひき)。故云高麻山。即此山岑(やまのみね)坐,其御魂(みたま)也。」
 須我山(すがやま)。郡家東北一十九里一百八十步。【有(ひのき)(すぎ)。】
 船岡山(ふなをかやま)。郡家東北一里一百步。阿波枳閇委奈佐比古命(あはきへわなさひこのみこと)曳來居(ひききすゑましし)船,則此山是矣(これなり)。故云船岡也。
 御室山(みむろやま)。郡家東北一十九里一百八十步。神須佐乃乎命(素戔嗚尊)御室(みむろ)令造給,所宿(やどり)。故云御室。

     凡(もろもろ)山野所在(あらゆる)草木,苦參(くらら)桔梗(ありのひふき)䓊茄(むこぎ)白芷(よろひぐさ)前胡(のぜり)獨活(つちたら)卑解(ところ)葛根(くずのね)細辛(みらのねぐさ)茵芋(につつじ)白芴(のかがみ)決明(えびすぐさ)白歛(やまかがみ)女委(ゑみくさ)署預(やまついも)麥門冬(やますけ)(ふぢ)(すもも)(ひのき)(すぎ)(かへ)(かし)(なら)椿(つばき)(かぢのき)楊梅(やまもも)(うめ)(つき)(きはだ)
     禽獸(すなはち)有,(たか)晨風(はやぶさ)(はと)山雞(やまどり)(きぎし)(くま)(おほかみ)()鹿(しか)(うさぎ)獼猴(さる)飛鼯(むささび)

 斐伊川(ひのかは)。郡家正西五十七步。西流入出雲郡多義村(たけのむら)【有年魚(あゆ)(麻須)。】
 海潮川(うしほがは)(みなもと)意宇(おう)大原(おほはら)二郡堺笶村山(のむらやま)北流,自海潮西流。【有年魚少少(すこしく)。】
 須我小川(すがのをがは)。源(いで)須我山,西流。【有年魚少少。】
 佐世小川(させのをがは)。源出阿用山(あよやま),北流(いる)海潮川。【無(うを)。】
 幡屋小川(はたやのをがは)。源出郡家東北幡箭山(はたややま),南流。【無魚。】

     右四水(よつのみづ)合西流,入出雲大川(いづものおほかは)【○四水,海潮、須我、佐世、幡屋也。】

 屋代小川(やしろのをがは)。源出郡家正北除田野(よけたの),西流入斐伊大河(ひのおほかは)【無魚。】

五、道政區劃

 (かよふ)意宇郡堺林垣坂(はやしがきのさか),廿三里八十五步。
 仁多(にた)郡堺辛谷村(からたにのむら),廿三里一百八十二步。
 飯石(いひし)(さかひ)斐伊河(),五十七步。
 出雲郡(いづものこほり)多義村,一十一里二百廿步。
  前件參郡,並山野之中(やまののうち)也。





郡司(こほりのつかさ) 主帳(ふみひと) 無位(むゐ)          勝部臣(すぐりべのおみ)
大領(おほみやつこ) (しゃ)六位上  (くん)十二(とう)  勝部臣
少領(すけのみやつこ) 外從(げじゅ)八位上      額田部臣(ぬかたべのおみ)
主政(まつりごとひと) 無位          日置臣(へきのおみ)


林垣坂 八十山山頂眺望
林垣坂,與意宇郡林垣峰同。


樋谷【火谷】與八頭峠
辛谷村,所在未詳。有木次町湯村槻谷北、大東町下久野火谷等說。


多義村 大竹  光明寺


八雲立出雲國風土記 卷末記


六所神社 出雲國廳跡
出雲國府、意宇郡家遺跡比定地。


朝酌促戶之市 復原模型


嶋根郡家 芝原遺跡


後谷遺跡
出雲郡家有後谷、小野遺跡二說。


出雲荒神谷遺跡


荒神谷遺跡出土銅劍

一、政樞要道

 自國東堺(ひむがしのさかひ),去西廿里一百八十步,至野城橋(のぎのはし)。長卅丈七尺,廣二丈六尺。飯梨河(いひなしがは)。】又,西廿一里,至國廳(くにのまつりごとどの)意宇郡家(こほりのみやけ)十字街(じふじのちまた),即分為二道。【一正西(まにし)道,一(まがれる)北道。】

 枉北道。去北四里二百六十六步,至郡北堺朝酌渡(あさくみのわたり)【渡八十步。渡船(わたりぶね)一。】又,北一十里一百卌步,至嶋根(しまね)郡家。自郡家去北一十七里一百八十步,至隱岐渡(おきのわたり)千酌驛家(ちくみのうまや)濱。【渡船。】又,自郡家西一十五里八十步,至郡西堺佐太橋(さだのはし)。長三丈,廣一丈。佐太川(さだがは)。】又,西八里三百步,至秋鹿(あいか)郡家。又,自郡家西一十五里一百步,至郡西(さかひ)。又,西八里二百六十四步,至楯縫(たてぬひ)郡家。又,自郡家西七里一百六十步,(いたり)郡西堺。又,西一十里二百廿步,出雲(いづも)郡家東邊,即入正西道也。(すべて)枉北道(ほど),九十九里一百一十步之(うち)隱岐道(おきのみち)一十七里一百八十步。
 正西道(まにしのみち)。自十字街西一十二里,至野代橋(のしろのはし)。長六丈,廣一丈五尺。又,西七里,至玉作街(たまつくりのちたま),即(わかれ)為二道。【一正西道,一正南道。】
 正南道(まみなみのみち)。一十四里二百一十步,至郡南西堺。又,南廿三里八十五步,至大原(おほはら)郡家,即分為二道。【一南西道,(ひとつ)東南道。】
 南西道(みなみにしのみち)。五十七步,至斐伊河(ひのかは)【渡廿五步,渡船。】又,南西廿九里二百八十步,至飯石(いひし)郡家。又,自郡家(こほりのみやけ)南八十里,至國南西堺。【通備後(きびのみちのしり)三次郡(みよしのこほり)。】(さる)(みちのほど),一百六十六(さと)二百五十七(あし)也。
 東南道(ひむがしみなみのみち)。自郡家去廿三里一百八十二步,至郡東南堺。又,東南一十六里二百卅六步,至仁多(にた)比比理村(ひひりのむら),分為二道。【○比比理村,不見於仁多郡條。按『日本古典文學大系』,蓋混後人傍記歟。】一道,東八里一百廿一步,至仁多郡家。一道,南卅八里一百廿一步,至備後國堺遊託山(ゆたやま)
 正西道(まにしのみち)。自玉作街西九里,至來待橋(きまちのはし)。長八丈,廣一丈三尺。又,西卅三里卅四步,至出雲郡家。又,自郡家西二里六十步,至郡西(さかひ)出雲河。【渡五十步,渡船一。】又,西七里廿五步,至神門(かむど)郡家。即有河。【渡廿五步,渡船一。】自郡家西卅三里,至國西堺。【通石見(いしみ)安農郡(あののこほり)。】

     惣去國程(くにをさるみちほど),一百六里二百卌四步。

 自東堺去西廿里一百八十步,至野城驛(のぎのうまや)。又,西廿一里,至黑田驛(くろだのうまや),即分為二道。【一正西道,一(わたる)隱岐國道。】隱岐道(おきのみち),去北卅四里一百卌步,至隱岐渡千酌驛(ちくみのうまや)。又,正西道,卅八里,至宍道驛(ししぢのうまや)。又,西廿六里二百廿九步,至狹結驛(さゆふのうまや)。又,西一十九里,至多伎驛(たきのうまや)。又,西一十四里,至國西堺。

二、軍機要地

 意宇軍團(おうのくんだん)。即屬郡家。
 熊谷(くまたに)軍團。飯石郡家東北廿九里一百八十步。
 神門(かむど)軍團。郡家正東七里。

 馬見烽(まみのとぶひ)。出雲郡家西北卅二里二百卌步。【○烽,烽火台也。】
 土椋烽(とくらのとぶひ)。神門郡家東南四里。
 多夫志烽(たぶしのとぶひ)。出雲郡家正北一十三里卌步。
 布自枳美烽(ふじきみのとぶひ)。嶋根郡家正南七里二百一十步。
 暑垣烽(あつがきのとぶひ)。意宇郡家正東廿里八十步。

 宅伎戍(たきのまもり)。神門郡家西南卅一里。【○戍,戍手也。】
 瀨埼戍(せざきのまもり)。嶋根郡家東北一十九里一百八十步。




       天平(てんぴゃう)五年二月卅日 勘造(かむがへつくる)

秋鹿郡人 神宅臣(みやけのおみ)金太理(かなたり)
國造(くにのみやつこ)(おびたる)意宇郡大領(おほみやつこ) 外正六位上 勳十二等 出雲臣(いづものおみ)廣嶋(ひろしま)


馬見烽 壺背山


土椋烽 大袋山


布自枳美烽 嵩山


暑垣烽 車山


宅伎戍 田儀出雲、石見國境

[久遠の絆] [意宇郡] [地 名] [再臨詔]