八雲立出雲國風土記 神門郡


出雲國神門郡地圖


出雲國十郡分圖 神門郡


出雲大社 大鳥居
神門乃神領之入口,多為建於遠離本宮之鳥居。飯石郡三屋鄉有「所造天下大神之御門」云云,仁多郡御坂鄉條「有神御門」。

一、神門略記

 神門郡かむどのこほり
 あはせさと捌,こさと廿二。】餘戶壹,うまや貳,神戶壹。
 朝山あさやま鄉。いま依前用。【里貳。】
 日置ひおき鄉。今より前用。【里參。】
 鹽冶やむや鄉。本字もとのじ止屋しをく【里參。】
 八野やの鄉。今依前もちゐる【里參。】
 高岸たかきし鄉。本字高崖かうがい【里參。】
 古志こし鄉。今依前用。【里參。】
 滑狹なめさ鄉。今依前用。【里貳。】
 多伎たき鄉。本字多吉たきつ【里參。】
 餘戶里あまりべのさと
 狹結驛さゆふのうまや。本字最邑さいいふ
 多伎たき驛。本字多吉たきつ
 神戶里かむべのさと
 所以ゆゑ號神門者,神門臣伊加曾然かむどのおみいかそね之時,神門貢之たてまつりきかれ云神門。即神門臣等,自古至今,つねり居此處。故いふ神門。

二、鄉里驛家

 朝山鄉あさやまのさと郡家こほりのみやけ東南五さと五十六あし神魂命かむむすびのみこと御子真玉著玉之邑日女命またまつくたまのむらひめのみこと坐之。爾時そのとき所造天下大神大國主大穴持命おほなむちのみこと娶給あひたまひ而每朝通坐かよひましき。故云朝山。
 日置鄉ひおきのさと。郡家正東四里。志紀嶋宮しきしまのみや御宇あめのしたしろしめしし天皇欽明御世みよ日置伴部ひおきのともべ等,所遣來つかはさえてきたり宿停とどまり而為まつりごと之所。故云日置。
 鹽冶鄉やむやのさと。郡家東北六里。阿遲須枳高日子命あぢすきたかひこのみこと御子みこ鹽冶毗古能命やむやひこのみこと坐之。故云止屋やむや神龜じんき三年,あらたむ鹽冶えんや。】
 八野鄉やののさと。郡家正北三里二百一十五步。須佐能袁命すさのをのみこと御子八野若日女命やののわかひめのみこと坐之。爾時,所造天下大神大國主大穴持命,將娶給あひたまはむ為而令造屋給。故云八野。
 高岸鄉たかきしのさと。郡家東北二里。所造天下大神大國主御子阿遲須枳高日子命味耜高彥根命,甚晝夜よるひる哭坐。仍其處高屋たかきや造可坐之。即建高椅たかはし可登降養奉ひたしまつりき。故云高崖たかきし【神龜三年,改字高岸かうがん。】
 古志鄉こしのさと。即つく郡家。伊奘彌命いざなみのみこと之時,以日淵川ひぶちかは築造つくり池之。【○伊弉冉尊世者,按『出雲國風土記參究』,遙遠上古之事,漠然望想作國土創生神之世哉。】爾時,古志國人こしのくにひと等,到來いたりき而為つつみ,即宿居やどりゐせる之所。故云古志。
 滑狹鄉なめさのさと。郡家南西八里。須佐能袁命素戔嗚尊御子和加須世理比賣命わかすせりひめのみこと坐之。爾時,所造天下大神命大國主,娶而通坐かよひましし時,彼社奈賣佐社之前有盤石いは,其上甚滑之なめさなりき。即詔:「滑盤石哉なめさなるいはなるや!」詔。故云南佐なめさ【神龜三年,改字滑狹なめさ。】
 多伎鄉たきのさと。郡家南西廿里。所造天下大神大國主之御子阿陀加夜努志多伎吉比賣命あだかやぬしたききひめのみこと坐之。故云多吉たき【神龜三年,改多伎。】
 餘戶里あまりべのさと。郡家南西卅六里。說名なをとくこと意宇郡おうのこほり。】
 狹結驛さゆふのうまや。郡家同處おなじところ。古志國佐與布さよふ云人,來居之すみき。故云最邑さいふ【神龜三年,改字狹結けふけつ也。其所以ゆゑ來者,說ごとし古志鄉也。】
 多伎驛たきのうまや。郡家西南二十九里。【說名改字,如鄉也。】
 神戶里かむべのさと。郡家東南一十里。


淺山社 朝山神社
真玉著玉之邑姬命,不見於他。神魂命子而大國主娶之,坐淺山社。


夜牟夜社 鹽冶神社
鹽冶彥命,不見於他。坐夜牟夜社。延喜式作鹽沼。


那賣佐【滑狹】神社
和加須世理比賣命,若須勢理姬命。同素戔嗚尊子須勢理姬命。


那賣佐神社奧宮 滑狹岩坪
滑磐石,『風土記鈔』作岩坪大明神,『風土記考証』作高倉大明神,近郊接有岩,蓋是。


美久我社 彌久賀神社


阿利社 阿利神社


久奈子社 久奈子神社

三、神社寺所

  新造院あらたにつくれるゐん一所。有朝山鄉なか。郡家正東二里六十步。建立嚴堂ごんだう也。神門臣たち之所造也。
 新造院一所ひとところあり古志鄉中。郡家東南一里。刑部臣をさかべのおみ等之所造也。□立嚴堂。【○未詳。細川本難辨其字為不或木。或云不立たてず、未立、本立,或云建立たつ之脫字。仍俟後攷。】

     美久我社みくがのやしろ 阿須理社あすりのやしろ 比布知社ひふちのやしろ また比布知社 多吉社たきのやしろ
     夜牟夜社やむやのやしろ 矢野社やののやしろ 波加佐社はかさのやしろ 奈賣佐社なめさのやしろ 知乃社ちののやしろ
     淺山社あさやまのやしろ 久奈為社くなゐのやしろ 佐志牟社さしむのやしろ 多支枳社たききのやしろ 阿利社ありのやしろ
     阿如社あねのやしろ 國村社くにむらのやしろ 那賣佐社なめさのやしろ 阿利社ありのやしろ 大山社おほやまのやしろ
     保乃加社ほのかのやしろ 多吉社たきのやしろ 夜牟夜社やむやのやしろ おなじき夜牟夜社 比奈社ひなのやしろ 【已上廿五所,并在神祗官かむつかさ。】

     鹽夜社やむやのやしろ 火守社ほもりのやしろ 同鹽冶社やむやのやしろ 久奈子社くなこのやしろ おなじき久奈子社
     加夜社かやのやしろ 小田社をだのやしろ 波加佐社はかさのやしろ おなじき波加佐社 多支社たきのやしろ
     多支支社たききのやしろ 波須波社はすはのやしろ 以上かみ十二所,みな不在神祗官。○上并卅七所,『延喜式神名帳』所載社名也。

四、山川河海

 田俣山たまたやま。郡家正南一十九里。【有ひのきすぎ。】
 長柄山ながらやま。郡家東南一十九里。【有柂、枌。】
 吉栗山よしくりやま。郡家西南廿八里。【有柂、枌也。所謂いはゆる所造天下大神宮出雲大社造山也。】
 宇比多伎山うひたきやま。郡家東南五里五十六步。大神大國主御屋みや也。○淺山社。
 稻積山いなつみやま。郡家東南五里七十六步。大神大國主稻積いなつみ。】
 陰山かげやま。郡家東南五里八十六あし大神大國主御陰みかげ。】
 稻山いなやま。郡家正東五里一百一十六步。【東在樹林はやし三方みかたいしはら也。大神大國主御稻種みいなだね。】
 桙山ほこやま。郡家東南五里二百五十六步。【南西ともに在樹林。東北並礒。大神大國主御桙みほこ。】
 冠山かがふりやま。郡家東南五里二百五十六步。大神大國主御冠みかがかふり。】

     おほよそ山野やまの所在草木くさき白歛やまかがみ桔梗ありのひふき藍漆やまあさ龍膽えやみぐさ商陸いをすぎ續斷はがた獨活つちたち白芷よろひぐさ秦椒かははじかみ百部根ふとづら百合ゆり卷栢いはくみ石斛いはぐすり升麻とりのあしぐさ當歸やまぜり石葦いはのかは麥門冬やますげ杜仲はひまゆみ細辛みらのねぐさ伏令まつほど葛根くずのね薇蕨わらびふぢすもも蜀椒なるはじかみひのきすぎかへ赤桐あかぎり白桐あをぎり椿つばきつきつみにれきはだかちのき
     禽獸とりけだもの則有,わしたか晨風はやぶさはと山雞やまどりうづらくまおほかみ鹿しかうさぎ獼猴さる飛鼯むささび也。

 神門川かむどのかはみなもと飯石郡いひしのこほり琴引山ことひきやま,北流即經來嶋きしま波多はた須佐すさ三鄉,いで神門郡餘戶里門立村とたちのむら,即經神戶かむべ朝山あさやま古志こし等鄉,西流入水海みづうみ也。即有年魚あゆさけ麻須伊具比
 多岐小川たきのをがは。源出郡家西南卅三里多岐山たきやま,流入大海おほうみ【有年魚。】
 宇加池うかのいけめぐり三里六十步。
 來食池きくひのいけ。周一里一百卌步。【有もは。】
 笠柄池かさからのいけ。周一里六十步。【有菜。】
 㓨屋池さしやのいけ。周一里。
 神門水海かむどのみづうみ。郡家正西四里五十步。周卅五里七十四步。うら則有,鯔魚なよし黑鯛鎮仁須受枳ふな玄蠣かき也。即水海與大海之あひだ在山。長廿二里二百卅四步,廣三里。此者,意美豆努命おみづぬのみこと國引坐くにひきましし時之つな矣。今俗人くにひと號云薗松山そののまつやま【○意美豆努命,即八束水臣津野命。】地之形體かたちつちいし並無也。白沙しろきすなごのみ積上。即松林茂繁しげる四風よものかぜ吹時,沙飛流とびながれ掩埋おほひうづむ松林。今,り年埋ともにうづみ半遺なかばをのこすおそらく遂被埋已與うもれはてむかはじめ松山南端みなみのはし美久我林みくがのはやしいたる石見いはみ出雲いづも二國さかひ中嶋埼なかしまのさき之間,或平濱たひらなるはま,或陵礒さかしきいそ
     凡,北海きたのうみ所在雜物くさぐさのもの,如楯縫郡たてぬひのこほり說。但,無紫菜むらさきのり


田俣山 王院山
田俣山,有出雲市乙立町、飯石郡堺王院山及乙立町二股山說。


神門郡山群
左起蓋桙山、冠山、陰山、冠山、稻積山乎。長柄山,弓掛山。稻積山,有稻塚山、杉尾神社岡說。陰山,堂原山。稻山,有稻塚山、船山說,磯在巖崖。桙山,鞍掛山。


冠山 鞍掛山蝙蝠岩【神守岩】
冠山,有鞍掛山蝙蝠岩說、同山南端岩、陰山南方山等說。


神門川 神戶川


神門水海 神西湖


國引神話之風景 奉納山公園
薗松山,或稱薗之長濱,出雲市外園町至簸川郡湖陵町間之砂丘。


出雲市乙立町 立久惠峽
與曾紀村,按『出雲國風土記參究』,出雲市乙立之舊名。或云佐田町淀近郊。


堀坂山 堀坂峠
堀坂山,跨越出雲市所原町至簸川郡佐田町東須佐朝山東北之山。


多伎町
多伎伎山,非單止一山,乃為簸川郡多伎町與大田市境界之山群。

五、道政區劃

 かよふ出雲郡堺出雲河邊いづものかはのへ,七里廿五步。
 通飯石郡さかひ堀坂山ほりさかやま,一十九里。
 飯石郡堺與曾紀村よそきのむら,廿五里一百七十四步。
 石見國いはみのくに安農郡堺多伎伎山たききやま,卅三里。みち,常有せき○剗,關所也。
 石見國安農郡あののこほり川相鄉かはあひのさと,卌六里。徑常剗不有あらず。但あたりまつりごと時,かりのみ

 前件さきのくだり伍郡,並大海おほうみ之南也。





郡司こほりのつかさ 主帳ふみひと  無位むゐ          刑部臣をさかべのおみ
大領おほみやつこ  外從七位上げじゅしちゐじゃう 勳十二等  神門かむど
擬少領かりのすけのみやつこ 外大初位だいそゐ下 くん十二等  刑部臣
主政まつりごとひと  外從八位 勳十二とう 吉備部きびべ


八雲立出雲國風土記 飯石郡

一、飯石略記

 飯石郡いひしのこほり
 合,さと漆。こざと十九。】
 熊谷くまたに鄉。今より前用。
 三屋みとや鄉。本字もとのじ三刀矢さんたうし
 飯石いひし鄉。本字伊鼻志いびし
 多禰たね鄉。本字しゅ
 須佐すさ鄉。今依さき用。以上かみ伍,鄉ごと里參。】
 波多はた鄉。今依前もちゐる
 來嶋きじま鄉。本字支自真きじま【以上貳,鄉別里貳。】

 所以なづくる飯石者,飯石鄉中,伊毗志都幣命いひしつべのみこと坐。かれ云飯石之。【○伊毗志いひし,音同飯石。伊毗志都幣命いひしつべのみこと者,べ、め相類,意指女性,則飯石女神也。今坐飯石社いひしのやしろ,境內以其天降あまくだり際之磐石為御神體。】


出雲國飯石郡地圖


飯石神社


出雲國十郡分圖 飯石郡


奇稻田姬 八重垣神社壁畫
久志伊奈太,櫛名田。美等與,共渡春宵,『古事記』作御陰與。麻奴良有諸說,『參究』云如豐美朱玉。『古典文學大系』作寢字。

二、鄉里驛家

 能谷鄉くまたにのさと郡家こほりのみやけ東北廿六里。古老ふるおきな傳云,奇稻田美等與麻奴良姬命久志伊奈太みとあたふぬら比賣のみこと任身はらみ將產うまむ時,【○任身,妊娠也。久志伊奈太美等與麻奴良比賣命くしいなだみとあたふぬらひめのみこと奇稻田久志伊奈太美乃田之精靈,美等與みとあたふ御陰與みとあたふ,交合之意。本居宣長或稱幸之みとあたはし奴良姬ぬらひめ或云如美玉之女神,或云ぬる之意。】求處うまむ之。爾時そのとき到來いたりき此處詔:「いとく隈隈しき久麻久麻志枳たに在!【○久麻久麻志枳くまくましき,深山靜奧之地。與熊野くまの同源。故可稱之深山邃谷矣。】かれ云熊谷也。
 三屋鄉みとやのさと。郡家東北廿四里。所造天下大神大國主命御門みと,即在此處。故云三刀矢みとや神龜じんき三年,あらたむ字三屋。三刀矢みとや,即御門耶みとや是也。即有正倉みやけ
 飯石鄉いひしのさと。郡家正東一十二里。伊毗志都幣命いひしつべのみこと天降坐ところ。故云伊鼻志いひし【神龜三年,改字飯石はんせき。】
 多禰鄉たねのさとつく郡家。所造天下大神あめのしたつくりまししおほかみ大穴持命おほなもぢのみこと少彥名命須久奈比古命巡行めぐりゆき天下時,稻種いなだね墮此處。故云たね【神龜三年,改字多禰たね。】
 須佐鄉すさのさと。郡家正西一十九里。神須佐能袁命かみすさのをのみこと詔:「此國者,雖小國ちさきくに國處くにどころ在。故,我御名みな者,非著木石きいし。」【○須佐能袁命,素戔嗚尊すさのをのみこと是也。○國處,豐饒且幅員適洽,宜為國者也。○非著木石,賜名氏族,令其代代流傳。】詔而,即己命おのがみこと御魂みたま鎮置しづめおき給之。然即大須佐田おほすさだ小須佐田をすさだ定給さだめたまひき。故云須佐。即有正倉。
 波多鄉はたのさと。郡家西南一十九里。波多都美命はたつみのみこと天降坐あもりましし處在。【○不見於社名。】故云波多。
 來嶋鄉きじまのさと。郡家正南卌一里。伎自麻都美命きじまつみのみこと坐。故云支自真きじま【神龜三年,改字來嶋らいたう。】即有正倉。

三、神社名帳

     須佐社すさのやしろ 河邊社かはべのやしろ 御門屋社みとやのやしろ 多倍社たへのやしろ 飯石社いひしのやしろ 【以上五處,みな神祗官かむつかさ。】

     狹長社さながのやしろ 飯石社いひしのやしろ 田中社たなかのやしろ 多加社たかのやしろ 毛利社もりのやしろ
     兔比社とひのやしろ 日倉社ひくらのやしろ 井草社ゑぐさのやしろ 深野社ふかののやしろ 託和社たわのやしろ
     上社かみのやしろ 葦鹿社あしかのやしろ 粟谷社あはたにのやしろ 穴見社あなみのやしろ 神代社かみよのやしろ
     志志乃村社ししのむらのやしろ 【以上十六所,並不在あらず神祗官。○計廿一所,『延喜式神名帳』社名。


須佐社 須佐神社 須佐大宮
素戔嗚尊以此處良善,不著己名於木石,而著於土地,更賜名於須佐氏,代代以為社家。境內有千年神木,及相傳素戔嗚尊禊身之鹽井。


琴引山 別名彌山


琴引山 大神岩
琴者,天之詔琴。『角川地名大辭典』:「『風土記』所記窟,塔谷中腹大神岩,其中有石,形似於琴。石神則於其北方陵線上,烏帽子岩也,尺度亦合。」


佐比賣山 三瓶山


三屋川 斐伊川支流 三刀屋川


須佐川 神戶川上游


磐鉏川 赤名川

四、山川河海

 燒村山たきむらやま。郡家正東一里。
 穴厚山あなつやま。郡家正南一里。
 笶村山のむらやま。郡家正西一里。
 廣瀨山ひろせやま。郡家正北一里。
 琴引山ことひきやま。郡家正南卅五里二百あし。高三百つゑ,周一十一里。古老傳云つたへていひしく:「此山峰やまのみねいはやうら所造天下大神大國主命御琴みこと。長七さか,廣三尺,あつさ一尺五。又在石神いしがみ。高二丈,周四丈。故云琴引山。」【有鹽味葛えびかづら○寫本無味葛二字,按『出雲風土記解』補之。
 石穴山いはなのやま。郡家正南五十八里。高五十丈。
 幡咋山はたくひやま。郡家正南五十二里。【有紫草むらさき。】
 野見のみ木見きみ石次いはすき三野。並郡家南西卌里。【有紫草。】
 佐比賣山さひめやま。郡家正西五十一里一百卌步。石見いはみ出雲いづも二國さかひ。】
 堀坂山ほりさかやま。郡家正西卌一里。【有すぎまつ。】
 城垣野きかきの。郡家正南一十二里。【有紫草。】
 伊我山いがやま。郡家正北一十九里二百步。
 奈倍山なへやま。郡家東北廿里二百步。

     おほよそもろもろ山野所在あらゆる草木,卑解ところ升麻とりのあしぐさ當歸やまぜり獨活つちたら大薊おほあざみ黃精あまな前胡のぜり署預やまついも白朮をけら女委ゑみくさ細辛みらのねぐさ白頭公おきなぐさ白芨かがみ赤箭をとをとし桔梗ありのひふき葛根くずのね秦皮とねりのこのき杜仲はひまゆみ石斛いはぐすりふぢすももすぎ赤桐あかぎりしひくす楊梅やまももつきつみにれ、松、かへきはだかちのき
     禽獸とりけだもの則有,たかはやぶさ山雞やまどりはときじくまおほかみ鹿しかうさぎ獼猴さる飛鼯むささび

 三屋川みとやがはみなもと出郡家正東一十五里多加山たかやま,北流入斐伊河ひのかは【有年魚あゆ。】
 須佐川すさがは。源いで郡家正南六十八里琴引山ことひきやま,北流經來嶋きじま波多はた須佐すさ等三鄉,いる神門郡門立村とたちのむら。此所謂神門河かむどがはかみ【有年魚。】
 磐鉏川いはすきがは。源出郡家西南七十里箭山,北流入須佐河すさがは【有年魚。】
 波多小川はたのをがは。源出郡家西南二十四里志許斐山しこひやま,北ながれ入須佐河。【有まかね。】
 飯石小川いひしのをがは。源出郡家正東一十二里佐久禮山さくれやま,北流入三屋川みとやがは【有鐵。】

五、道政區劃

 大原郡おほはらのおkほり斐伊河邊ひのかはのへ,廿九里一百八十步。
 仁多郡にたのこほり溫泉河ゆのかは,廿二里。
 かよふ神門郡さかひ與曾紀村よそきのむら,卅八里六十步。
 おなじき堀坂山ほりさかやま,卅一里。
 備後國きびのみちのしりのくに惠宗郡ゑそのこほり荒鹿坂あらかざか,卅九里二百步。みち常有せき。】
 三次郡みよしのこほり三坂みさか,八十一里。【徑つね有剗。】
 波多徑はたみち須佐徑すさみち志都美徑しづみみち以上かみ三徑,常無剗。但あたりまつりごと時,かりのみ。並通備後國之。





郡司 主帳ふみひと 無位         日置首へきのおびと
大領おほみやつこ 外正八位はちゐ下 勳十二等 大私造おほきさきのみやつこ
少領すけのみやつこ 外從八位上      出雲臣いづものおみ


溫泉河邊 湯村溫泉
溫泉河,斐伊川流經湯村溫泉西邊一代,飯石、仁多堺上。


荒鹿坂 草峠


三坂 赤名峠


八雲立出雲國風土記 仁多郡


出雲國仁多郡地圖


仁多郡 鬼舌振

一、仁多略記

  仁多都にたのこほり
 合,さと肆。【里十二。】
 三處みところ鄉。今依さき用。
 布勢ふせ鄉。今依前もちゐる
 三澤みさは鄉。今より前用。
 橫田よこた鄉。いま依前用。

 所以なづくる仁多者,所造天下大神あめのしたつくらししおほかみ大穴持命おほなもちのりたまひしく:「此國者,非大非小。川上かはかみ木穗きのほ交ふ加布,川下者芦這ふ阿志婆布這度之。是者,濕地しき爾多志枳小國在。」詔。【○木穗,こずゑ也。木穗刺交このほさしかふ,樹梢相互交錯般茂盛。○芦這あしば這度はひわたる,如蘆葦漫地生長般廣盛繁殖。○濕地しき,水分充足而豐饒。爾多にた,溼地也。】かれ云仁多。

二、鄉里驛家

 三處鄉みところのさとすなはち郡家こほりのみやけ大穴持命大國主命詔:「此地田好たえし。故吾御地みところしめむ。」詔。故いふ三處。
 布勢鄉ふせのさと。郡家正西一十里。古老ふるおきな傳云:「大神命おほかみのみこと宿坐處ふせまししところ。」故云布世。
 三澤鄉みさはのさと。郡家西南廿五里。大神大穴持命大國主命御子阿遲伎高日子命あぢすきたかひこのみこと御須髮八握みひげやつかおふる晝夜ひるもよるも哭坐之,辭不通みことかよはざりき。爾時,御祖命みおやのむこと御子みこ乘船而,率巡ゐてめぐり八十嶋やそしま衷かし宇良加志どもなほ不止哭之。大神いめ願給ねぎたまひしく:「のらせ御子之哭由なくよし。」夢願坐,則夜夢よいめ見坐之御子辭通とかよふ。則さめ問給,爾時そのとき,「御澤みさは。」まをし。爾時,「何處いづくをか然云しかいふ?」問給,即御祖御前みまへ立去出坐たちさりいでまし而,石川いしかはわたり坂上さかのうへ至留いたりとどまり,申:「是處ここぞ。」也。爾時,其澤水活出みづながれいで而,御身沐浴坐すすきましき。故,國造くにのみやつこ神吉事かむよごと奏,參向朝廷みかど時,其水活出而用初もちゐそむる也。依此,今產婦こうむをみな,彼村稻不食くはず。若有食者,所生子すでに不云ものいはざる也。故云三澤。即有正倉みやけ【○或本,原名三津,神龜三年,改三澤。】
 橫田鄉よこたのさと。郡家東南廿一里。古老つたへ云:「鄉中有田四段許よきだばかり。形いささか長。遂よる田而,故云橫田。」即有正倉。【以上もろもろ鄉所出まかねかたしくたふ雜具くさぐさのうつは。】


出雲國十郡分圖 仁多郡
吾御地,己之占有地。自尊敬語。


三澤神社
三澤,即御澤。泉水出處,按『出雲國風土記參究』,跡在三澤大字原田之三津田,亦云光田。傳其豐泉,縱遭烈旱,亦不乾涸。


仰支斯里社 仰支斯里神社

三、神社名帳

     弎澤社みさはのやしろ 伊我多氣社いがたけのやしろ 【以上二所,ともに神祗官かむつかさ。】

     玉作社たまつくりのやしろ 須我非乃社すがひのやしろ 湯野社ゆののやしろ 比太社ひだのやしろ 漆仁社しつにのやしろ
     大原社おほはらのやしろ 仰支斯里社かみきりのやしろ 石壺社いはつぼのやしろ 【以上八所,並不在あらず神祗官。○『延喜式神名帳』所載社名。

四、山川河海

 鳥上山とりかみやま。郡家東南卅五里。伯耆ははき與出雲之さかひ。有鹽味葛えびかづら。】
 室原山むろはらやま。郡家東南卅六里。備後きびのみちのしり出雲いづも二國之堺。有鹽味葛。】
 灰火山はひひやま。郡家東南卅里。
 遊託山ゆたやま。郡家正南卅七里。【有鹽味葛。】
 御坂山みさかやま。郡家西南五十三里。即此山有神御門かみのみかどかれ云御坂。【備後與出雲之堺。有鹽味葛。】
 志努坂野しぬさかの。郡家西南卅一里。【有紫草むらさき少少。】
 玉峰山たまみねやま。郡家東南一十里。古老傳云:「山嶺やまのみね玉上神たまかみのかみ。」故云玉峰。
 城紲野きせの。郡家正南一十里。【有紫草少少すこしく。】
 大內野おほうちの。郡家正南廿二里。【有紫草少少。】
 菅火野すがひの。郡家正西四里。たかさ一百廿五つゑめぐり一十里。【峰有神社須我非乃社。】
 戀山したひやま。郡家正南廿三里。古老傳云:「和爾したひ阿伊村あいのむら坐神玉日女命たまひめのみこと上到のぼりいたりき。爾時,玉日女命,以石ふさぎ川,不得會えあはずしたへり。」故云戀山。

     おほよそ,諸山野やまの所在草木くさき白頭公おきなぐさ藍漆やまあさ藁本さはそらし玄參おしくさ百合ゆり王不留行すずくさ薺苨さきくさな百部根ふとづら瞿麥なでしこ升麻とりのあしぐさ拔葜さるとり黃精あまな地榆あやめたむ附子おう狼牙こまつなぎ離留やまうばら石斛いはぐすり貫眾おにわらび續斷はがた女委ゑみくさふぢすももひのきすぎかし、松、かへくりつみつききはだかぢのき
     禽獸とりけもの則有,たか晨風はやぶさはと山雞やまどりきじくまおほかみ鹿しかきつねうさぎ獼猴さる飛鼯むささび

 橫田川よこたがはみなもと出郡家東南卅五里鳥上山とりかみやま,北流。所謂いはゆる斐伊河かみ【有年魚あゆ少少。】
 室原川むろはらがは。源いで郡家東南卅六里室原山むろはらやま,北流。此すなはち所謂斐伊大河ひのおほかは上。【有年魚、麻須ふなはむどもたぐひ。】
 灰火小川はひひのをがは。源出灰火山はひひのやまいる斐伊河上。【有年魚。】
 阿伊川あいがは。源出郡家正南卅七里遊託山ゆたやま,北流入斐伊河上。【有年魚、麻須。】
 阿位川あゐがは。源出郡家西南五十里御坂山みさかやま,入斐伊河上。【有年魚、麻須。】
 比太川ひだがは。源出郡家東南一十里玉峰山たまみねやま,北流。意宇郡おうのこほり野城河のぎのかは上,是也これなり【有年魚。】
 湯野小川ゆののをがは。源出玉峰山,西流入斐伊河上。


鳥上山 船通山
鳥上山,『古事記』作鳥髮山,須佐之男天降之地。


遊託山 烏帽子山


玉峰山
玉上神,『古典文學大系』以為玉上蓋玉工之訛,即社名條之玉作社也。『角川地名大辭典』云,「現以大杉為神木祀之。」


戀山 舌振山 鬼舌振
戀,古語慕【した】ひ。戀山今在仁多町舌振【したぶるい】山。山麓有溪谷,名鬼舌振,絕壁、奇岩、怪石、瀑布多有。


橫田川 斐伊川上流
源於船通山,於橫田匯室原川。


藥湯 出雲湯村溫泉
相傳遠古自斐伊川底湧出溫泉,是為開基。藉『風土記』可知,於奈良時代,既為著名湯治場。


伯耆國日野郡 鳥取縣日野郡


阿志毗緣山 今阿毘緣峠

五、道政區劃

 かよふ飯石郡さかひ漆仁川しつにのかは邊,廿八里。即川邊かはのへ藥湯くすりゆひとたび浴則身體穆平みやはらぎ,再すすけば萬病消除ろよづのやまひいゆ。男女老少,晝夜不息やまず駱驛往來つらなりかよふ。無不得しるし。故俗人なづけ云藥湯。すなはち有正倉。】
 通大原郡おほはらのこほり辛谷村からだにのむら,一十六里二百卅六步。
 通伯耆國日野郡ひののこほり阿志毗緣山あしびゑやま,卅五里一百五十步。常有剗。
 通備後國惠宗郡ゑそのこほり遊託山ゆたやま,卅七里。つねにせき。】
 通おなじき惠宗郡堺比市山ひいちやま,五十三里。【常無剗。但あたりまつりごと時,かりのみ。】





郡司こほりのつかさ 主帳ふみひと 外大初だいそう 品治部ほむぢべ
大領おほみやつこ 八位はちゐ下 蝮部臣たぢひべのおみ
少領すけのみやつこ 外じゅ八位下 出雲臣いづものおみ


八雲立出雲國風土記 大原郡

一、大原略記

 大原郡おほはらのこほり
 合さと捌。こざと廿四。】
 神原かむはら鄉。今より前用。
 屋代やしろ鄉。本字もとのじ矢代しだい
 屋裏やうち鄉。本字矢內しない
 佐世させ鄉。今依さき用。
 阿用あよ鄉。本字阿欲あよく
 海潮うしほ鄉。本字得鹽とくえん
 來次きすき鄉。今依前もちゐる
 斐伊鄉。本字とう以上かみ捌,鄉ごと里參。】
 所以ゆゑ號大原者,郡家こほりのみやけ東北一十里一百一十六步,一十町許まちばかり平原はら也。故なづけ曰大原。往古いにしへ之時,此處ここ有郡家。今なほふるき號大原。【今有郡家處,號云斐伊村ひのむら。】


出雲國大原郡地圖


仁和寺
所以號大原者,舊郡家東北有大平野。東北,古本作正西,而『風土記鈔』、『考證』皆云其方角當屋裏鄉,而無平野。今以加茂町仁和寺原口郡垣為其遺跡。按『島根縣地名鑑』,郡家在仁和寺。


出雲國十郡分圖 大原郡


神原神社古墳石室
出土景初三年銘三角緣神獸鏡,未詳是否為大國主神御財。或云與卑彌乎有關。神財即神寶,按『日本古典文學大系』,與屋代、屋裏鄉說話蓋為系列,神寶乃武器之疇。


箭垛
射垛,為立的練習弓射而積之砂土。『一切經音義』:「積土。」

二、鄉里驛家

 神原鄉かむはらのさと。郡家正北九里。古老ふるおきな傳云:「所造天下大神あめのしたつくらししおほかみ御財みたから積置給處つみおきたまひところ。」則可謂いふべき神財鄉かむたからのさと。而今人いまのひとあやまり云神原鄉のみ
 屋代鄉やしろのさと。郡家正北二十里一百一十六步。所造天下大神大國主命垛立射あむづちたてゆみいたまひし處。故云矢代やしろ神龜じんき三年,あらたむ屋代をくだい。】すなはち正倉みやけ
 屋裏鄉やうちのさと。郡家東北一十里一百十六步。古老ふたへ云:「所造天下大神大國主命,令たてしめ給處。」かれ矢內やうち【神龜三年,改字屋裏をく○殖笶,矢的。
 佐世鄉させのさと。郡家正東九里二百步。古老傳いひし:「須佐能袁命すさのをのみこと佐世木葉させ乃きのは頭㓨かざし而,踊躍をどり為時,所㓨ささせる佐世木葉,おちき地。」故云佐世。
 阿用鄉あよのさと。郡家東南一十三里八十步。古老傳云:「昔或人あるひと,此處山田つくり而守之。爾時そのとき目一鬼めひとつのおに來而,食佃人之男つくるひとのをのこ。爾時,男之父母かぞいろ竹原たかはら隱而居之かくれてをりき。時,竹葉動之あよけり。爾時,所食男くらはるるをのこ云:『動動あくよあくよ!』」故云阿欲。【神龜三年,改字阿用あよう。】
 海潮鄉うしほのさと。郡家正東一十六里卅三步。古老傳云:「宇能治比古命うのちひこのみことうらみ御祖須義禰命すがねのみこと而,北方出雲海潮いづものうしほ押上,漂御祖之神みおやのかみ。此海潮いたりき。」故云得鹽うしほ【神龜三年,改字海潮かいてう。】即東北須我小川すがのをがは湯淵村ゆぶちのむら川中かはのなか溫泉不用もちゐず號。】川上かはのほとり毛間村けまのむら,川中溫泉いづ【不用。】
 來次鄉きすきのさと。郡家正南八里。所造天下大神命大國主命詔:「八十神やそがみ者,不置青垣山裏あをがきやまのうら。」詔而,追廢おひはなちたまふ時,此處迨次坐きすきましき。故云來次きすき
 斐伊鄉ひのさと。屬郡家。樋速日子命ひのはやひのみこと,坐此處。故云樋。【神龜三年,改字斐伊ひい。】

三、神社寺所

 新造院あらたにつくれるゐん一所。在斐伊鄉中。郡家正南一里。建立嚴堂ごんだう也。【有ほふしはしら。】大領おほみやつこ勝部臣すぐりべのおみ蟲麿むしまろ之所造也。
 新造院一所ひとところ。在屋裏鄉うち。郡家正北一十一里一百廿步。建立□層塔こしのたふ也。【有僧一軀。按『日本古典文學大系』,蓋三重或五重塔哉。さき少領すけのみやつこ額田部臣ぬかたべのおみ押嶋おししま之所造。【今少領伊去美いこみ從父兄いとこ也。】
 新造院一所。在斐伊鄉中。郡家東北一里。建立たつ嚴堂。【有あま二軀。】斐伊鄉人樋印支知麿ひのいなきちまろ所造つくれる也。

     矢口社やぐちのやしろ 宇乃遲社うのぢのやしろ 支須支社きすきのやしろ 布須社ふすのやしろ 御代社みしろのやしろ
     吁乃遲社うのぢのやしろ 神原社かむはらのやしろ 樋社ひのやしろ 樋社ひのやしろ 佐世社させのやしろ
     世裡陀社せりだのやしろ 得鹽社うしほのやしろ 加多社かたのやしろ 【以上一十三所,ならびに神祗官かむつかさ。】

     赤秦社あかはたのやしろ 等等呂吉社とどろきのやしろ 矢代社やしろのやしろ 比和社ひわのやしろ 日原社ひはらのやしろ
     幡屋社はたやのやしろ 春殖社はるゑのやしろ 船林社ふなばなしのやしろ 宮津日社みやつひのやしろ 阿用社あよのやしろ
     置谷社おきたにのやしろ 伊佐山社いさやまのやしろ 須我社すがのやしろ 川原社かはらのやしろ 除川社よけかはのやしろ
     屋代社やしろのやしろ 以上一十六所,並不在あらず神祗官。上并廿九所,『延喜式神名帳』所載社名也。


大原郡週邊 廢寺分布圖
斐伊鄉新造院,疑木次廢寺,或有塔之村、木次驛構內廢寺說。屋裏、斐伊二鄉廢寺,未祥。


宇乃遲社 宇能遲神社


須我社 須我神社 日本初之宮
清地。卅一字和歌發祥地。


城名樋山 神籠石
『雲陽誌』云:古城,風土記所載城名樋山是也。今俗稱劍崎。


須我山 須我神社奧宮 夫婦岩


御室山 室山 釜石
釜石,傳素戔嗚尊退治八岐大蛇時,所以釀酒之釜。


斐伊川,亦出雲大川。


幡屋小川 幡屋川

四、山川河海

 菟原野うはらの。郡家正東。即つく郡家。
 城名樋山きなびやま。郡家正北一里一百步。所造天下大神大國主命大穴持命おほなもちのみこと,為うたむ八十神造城。故云城名樋也。
 高麻山たかさやま。郡家正北一十里二百步。高一百丈,周五里。北方有かし椿つばきたぐひ。東南西三方みな野。古老傳云:「神須佐能袁命素戔嗚尊御子青幡佐草壯丁命あをはたのさくさひこのみこと,是山上麻蒔初あさまきそめたまひき。故云高麻山。即此山岑やまのみね坐,其御魂みたま也。」
 須我山すがやま。郡家東北一十九里一百八十步。【有ひのきすぎ。】
 船岡山ふなをかやま。郡家東北一里一百步。阿波枳閇委奈佐比古命あはきへわなさひこのみこと曳來居ひききすゑましし船,則此山是矣これなり。故云船岡也。
 御室山みむろやま。郡家東北一十九里一百八十步。神須佐乃乎命素戔嗚尊御室みむろ令造給,所宿やどり。故云御室。

     凡もろもろ山野所在あらゆる草木,苦參くらら桔梗ありのひふき䓊茄むこぎ白芷よろひぐさ前胡のぜり獨活つちたら卑解ところ葛根くずのね細辛みらのねぐさ茵芋につつじ白芴のかがみ決明えびすぐさ白歛やまかがみ女委ゑみくさ署預やまついも麥門冬やますけふぢすももひのきすぎかへかしなら椿つばきかぢのき楊梅やまももうめつききはだ
     禽獸すなはち有,たか晨風はやぶさはと山雞やまどりきぎしくまおほかみ鹿しかうさぎ獼猴さる飛鼯むささび

 斐伊川ひのかは。郡家正西五十七步。西流入出雲郡多義村たけのむら【有年魚あゆ麻須。】
 海潮川うしほがはみなもと意宇おう大原おほはら二郡堺笶村山のむらやま北流,自海潮西流。【有年魚少少すこしく。】
 須我小川すがのをがは。源いで須我山,西流。【有年魚少少。】
 佐世小川させのをがは。源出阿用山あよやま,北流いる海潮川。【無うを。】
 幡屋小川はたやのをがは。源出郡家東北幡箭山はたややま,南流。【無魚。】

     右四水よつのみづ合西流,入出雲大川いづものおほかは【○四水,海潮、須我、佐世、幡屋也。】

 屋代小川やしろのをがは。源出郡家正北除田野よけたの,西流入斐伊大河ひのおほかは【無魚。】

五、道政區劃

 かよふ意宇郡堺林垣坂はやしがきのさか,廿三里八十五步。
 仁多にた郡堺辛谷村からたにのむら,廿三里一百八十二步。
 飯石いひしさかひ斐伊河,五十七步。
 出雲郡いづものこほり多義村,一十一里二百廿步。
  前件參郡,並山野之中やまののうち也。





郡司こほりのつかさ 主帳ふみひと 無位むゐ          勝部臣すぐりべのおみ
大領おほみやつこ しゃ六位上  くん十二とう  勝部臣
少領すけのみやつこ 外從げじゅ八位上      額田部臣ぬかたべのおみ
主政まつりごとひと 無位          日置臣へきのおみ


林垣坂 八十山山頂眺望
林垣坂,與意宇郡林垣峰同。


樋谷【火谷】與八頭峠
辛谷村,所在未詳。有木次町湯村槻谷北、大東町下久野火谷等說。


多義村 大竹  光明寺


八雲立出雲國風土記 卷末記


六所神社 出雲國廳跡
出雲國府、意宇郡家遺跡比定地。


朝酌促戶之市 復原模型


嶋根郡家 芝原遺跡


後谷遺跡
出雲郡家有後谷、小野遺跡二說。


出雲荒神谷遺跡


荒神谷遺跡出土銅劍

一、政樞要道

 自國東堺ひむがしのさかひ,去西廿里一百八十步,至野城橋のぎのはし。長卅丈七尺,廣二丈六尺。飯梨河いひなしがは。】又,西廿一里,至國廳くにのまつりごとどの意宇郡家こほりのみやけ十字街じふじのちまた,即分為二道。【一正西まにし道,一まがれる北道。】

 枉北道。去北四里二百六十六步,至郡北堺朝酌渡あさくみのわたり【渡八十步。渡船わたりぶね一。】又,北一十里一百卌步,至嶋根しまね郡家。自郡家去北一十七里一百八十步,至隱岐渡おきのわたり千酌驛家ちくみのうまや濱。【渡船。】又,自郡家西一十五里八十步,至郡西堺佐太橋さだのはし。長三丈,廣一丈。佐太川さだがは。】又,西八里三百步,至秋鹿あいか郡家。又,自郡家西一十五里一百步,至郡西さかひ。又,西八里二百六十四步,至楯縫たてぬひ郡家。又,自郡家西七里一百六十步,いたり郡西堺。又,西一十里二百廿步,出雲いづも郡家東邊,即入正西道也。すべて枉北道ほど,九十九里一百一十步之うち隱岐道おきのみち一十七里一百八十步。
 正西道まにしのみち。自十字街西一十二里,至野代橋のしろのはし。長六丈,廣一丈五尺。又,西七里,至玉作街たまつくりのちたま,即わかれ為二道。【一正西道,一正南道。】
 正南道まみなみのみち。一十四里二百一十步,至郡南西堺。又,南廿三里八十五步,至大原おほはら郡家,即分為二道。【一南西道,ひとつ東南道。】
 南西道みなみにしのみち。五十七步,至斐伊河ひのかは【渡廿五步,渡船。】又,南西廿九里二百八十步,至飯石いひし郡家。又,自郡家こほりのみやけ南八十里,至國南西堺。【通備後きびのみちのしり三次郡みよしのこほり。】さるみちのほど,一百六十六さと二百五十七あし也。
 東南道ひむがしみなみのみち。自郡家去廿三里一百八十二步,至郡東南堺。又,東南一十六里二百卅六步,至仁多にた比比理村ひひりのむら,分為二道。【○比比理村,不見於仁多郡條。按『日本古典文學大系』,蓋混後人傍記歟。】一道,東八里一百廿一步,至仁多郡家。一道,南卅八里一百廿一步,至備後國堺遊託山ゆたやま
 正西道まにしのみち。自玉作街西九里,至來待橋きまちのはし。長八丈,廣一丈三尺。又,西卅三里卅四步,至出雲郡家。又,自郡家西二里六十步,至郡西さかひ出雲河。【渡五十步,渡船一。】又,西七里廿五步,至神門かむど郡家。即有河。【渡廿五步,渡船一。】自郡家西卅三里,至國西堺。【通石見いしみ安農郡あののこほり。】

     惣去國程くにをさるみちほど,一百六里二百卌四步。

 自東堺去西廿里一百八十步,至野城驛のぎのうまや。又,西廿一里,至黑田驛くろだのうまや,即分為二道。【一正西道,一わたる隱岐國道。】隱岐道おきのみち,去北卅四里一百卌步,至隱岐渡千酌驛ちくみのうまや。又,正西道,卅八里,至宍道驛ししぢのうまや。又,西廿六里二百廿九步,至狹結驛さゆふのうまや。又,西一十九里,至多伎驛たきのうまや。又,西一十四里,至國西堺。

二、軍機要地

 意宇軍團おうのくんだん。即屬郡家。
 熊谷くまたに軍團。飯石郡家東北廿九里一百八十步。
 神門かむど軍團。郡家正東七里。

 馬見烽まみのとぶひ。出雲郡家西北卅二里二百卌步。【○烽,烽火台也。】
 土椋烽とくらのとぶひ。神門郡家東南四里。
 多夫志烽たぶしのとぶひ。出雲郡家正北一十三里卌步。
 布自枳美烽ふじきみのとぶひ。嶋根郡家正南七里二百一十步。
 暑垣烽あつがきのとぶひ。意宇郡家正東廿里八十步。

 宅伎戍たきのまもり。神門郡家西南卅一里。【○戍,戍手也。】
 瀨埼戍せざきのまもり。嶋根郡家東北一十九里一百八十步。




       天平たんぴゃう五年二月卅日 勘造かむがへつくる

秋鹿郡人 神宅臣みやけのおみ金太理かなたり
國造くにのみやつこおびたる意宇郡大領おほみやつこ 外正六位上 勳十二等 出雲臣いづものおみ廣嶋ひろしま


馬見烽 壺背山


土椋烽 大袋山


布自枳美烽 嵩山


暑垣烽 車山


宅伎戍 田儀出雲、石見國境

[久遠の絆] [意宇郡] [地 名] [再臨詔]