風土逸文【參考】


筑前國風土記逸文

宗像郡 身形郡

 西海道風土記云.宗像太神,自天降居崎門山之時,以青蕤玉,置奧宮之表.以八尺蕤紫玉,置中宮之表.以八咫鏡,置邊宮之表.以此三表,成神体形,納置三宮,即隱之.因曰-身形郡.〈同風土記云.一云,天神之子有四柱.兄三柱神教弟-大海命曰:「汝命者,為吾等三柱御身之像,而可居於此地.」便一前居於奧宮,一前居於海中,一前居於深田村高尾山邊.故號曰-身像郡.云云.〉後人改曰-宗像.共大海命子孫,今宗像朝臣等是也.云云.

『宗像大菩薩御緣起』〈『宗像神社史』所收圖版第十四〉


宗像大神

 邊津宮は......宮人にこひて,神寶を見る.社記あり.その中に,西海道風土記曰,宗像大神,自天降,居埼門山之時,以青蕤玉,[一本作八尺絮蕤玉.]置奧津宮表.以八尺蕤紫玉,置中宮表.以八咫鏡,置邊宮表.以此三表,成神体形而納三宮,即納隱之.因曰-身形郡.後人改曰-宗像.其大海命子孫,今宗像朝臣等是也云云.人皇七代孝靈天皇四年,自出雲國簸河上,筑紫宗像御遷宮.第一神者,集海淡築島,示居於遠海之息,未來際可降服異國之由有御誓留件島給.則號-息御島.日本與高麗中間也.居遠瀛,是於奉號-田心姬命.第二神者,示居中海之息,今號大-島是也.嚴重奇瑞多之,居是奉號湍津姬命.以三神者,示居於海邊,今號-田島是也.居海濱,是奉號-市杵姬命云云と云へり.此外は,樣樣怪しき事等を記して,上古の物ともおもはれず.

青柳種信『防人日記』下〈『幡掛正木編』〉
宗像神社社務所發行『沖津宮』〈昭和三年七月刊〉所收


うちあげ濱 狹手彥連

 又筑前國風土記うちあげ濱の處に云く.狹手彥連舟に乗りて海にとどまりて渡る事をえがたし.爰石勝,推ていはく,此舟のゆかざることは海神の心也.そのかみはなはだ狹手彥連かゐてゆ處の妻字は那古若をしたふ.これをとどめば渡るべし.于時,彥連,妾とあヒ嘆く.皇命をかかむ事を恐れてうつくしびををたち,篭の上に載せて波にはなちうかぶと云云.此れは又こと妾をあひともなひて海を渡りけると見えたり.

『和歌同蒙抄』第三「山」條


三毛

 依風土記說.上宮下有三石.立三角.[脫漏]一丈,即此石神体習也云云.參詣往來人件石間步也.又神人當山登上宮一夜神樂云云.又八幡大菩薩每夜上宮入御[脫漏]之.此神當山鎮坐元由.專在一乘守護[脫漏]三大師入唐請益,皆是此神力也.

金澤文庫本『對馬嶋』「寶滿大菩薩」條裏書


神石

 筑前風土記曰.神功皇后,將入於三韓時,既臨產月.皇后自為祭神主禱之曰:「事竟還日,須產于玆土.」于時,月神誨曰:「以此神石,可撫腹.」皇后乃依神石,撫腹心体忽平安也.今其石在筑紫伊覩縣道邊.後雷霹,神石為三段.

黑川道祐『雍舟府志』卷三,葛野郡「月讀神宮」條〈『續續群書類從』第八〉


大城山

 謂大城山者,筑前國御笠郡之大野山頂,號曰-大城者也.オホキノ山ト云.風土記云.筑前國御笠郡大野頂有.サテオホキノ山トハ云也.

『秘府本万葉集抄』上,第十,二一九七番歌條〈万葉集叢書〉


上座郡

 筑前國上座郡に......朝倉木の丸どのは土佐國なるべし.風土記には筑紫としるしたり.是は,上座の郡と云へば,いかさまにも朝倉と云ふ名のまがへる也.

下河邊長流『續歌林良材集』上「木の丸どのの事」條〈『長流全集』上卷〉


豐前國風土記逸文

宮處郡

 豐前風土記曰,宮都處者,古天孫發於此.天降于日向之舊都.蓋天照大神之神京云云.

多田義俊『中臣祓氣吹抄』上〈『大祓詞註釋大成』下〉


豐後國風土記逸文

餅ノ的,白鳥トナル

 年始ニハ人コト餅ヲ賞翫スルハ何ノ心カアル.餅ハ福ノモノナレハ祝ニ用フル歟.昔,豐後ノ國球珠ノ郡ニ廣キ野ノアル所,大分ノ郡ニ住ム人,其ノ野ニ來タリて,家作リ,田作リテ住ミケリ.アリツキテ家トミ,樂しかりけり.酒ノみアソヒケルニ,トリアヘス弓ヲイケルニ,マトノナカリケルニヤ,餅ヲククリテ,的ニシテイケルホトニ,其ノ餅白ナリテトヒサリニケリ.其レヨリ後,次第オトロヘテ,マトヒウセニケリ.後ハ空シキ野ナリタリケル天平年中速見ノ郡ニ住ミケル迅邇云ケル人,サシモヨク,ニキワヒタリシ所ノアセニケルヲ,アタラシトヤ思ケン,又ココニキワヒタリテ田ヲ作リタリケルホトニ,其ノ苗ミナカレウセケレハ,オトロキ,ヲソシテ,又モツクラス,ステニケリ云ヘル事アリ.餅ハ福ノ源ナレハ福神サリニケル故オトロヘケルミコソ.

『塵袋』第九「餅福」條〈日本古典全集〉


肥前國風土記逸文

鏡の渡り 袖振峰

 肥前國風土記曰.昔武小廣國押楯天皇之世.大伴狹手彥連,任那國を鎮め,兼ねて百濟國をすくはんがため,詔を受け給はりて,此村に至り着きぬ.輙篠原村第四姬子を娉しつ.其かたち人に優れたり.別れ去日,鏡を取りて婦にあたふ.婦,別の悲をいたきて栗川を渡る.斯を鏡の渡りと云ふ.狹手彥連船を出してさる時,第四姬子此處に登りて袖を持ちて振り招く.此故に袖振峰と云と云云.

藤原範兼『和歌同蒙抄』第三「山」條


與止姬神

 風土記云.人皇卅代欽明廿五年甲申冬十一月朔日甲子.肥前國佐嘉郡與止姬神有鎮座.一名-豐姬.一名-淀姬.

卜部兼俱『延喜式神名帳頭註』「與止日女」條〈『群書類從』第二輯〉


肥後國風土記逸文

益城郡 大伴君熊凝

 此哥ハ,肥前國益城郡ト云所ニアリケル大伴君ノマキト云者ノ,年十八ニテ天平三年ニモノヘユキケルカ,安藝國佐伯高庭ノ驛ニテ死ケル時,死ナントテ歎テ云ケル樣,此世中ハアハノ樣ナル命ナレハ,タレカハノコリトマルヘキ.イミシキ人ナレトモ,皆世ヲハヤクスル事也.ソレニワレハイミシクカナシクアハレナル事ナンアル.父母マタヲハスルナリ.其カフタリナカラ,我身ヒトリウセナハ,イミシクナケカレム.カナシカリヌヘキナリト云テ,哥ムツヲメル哥ノ中也.風土記并此哥序ニモ見エタリ.

『秘府本万葉集抄本』上,第五,八八七番歌條〈万葉集叢書〉


壹岐國風土記逸文

新羅烏

 對馬烏鳥アリ.ハシ,赤くして身ノ毛ハシロシ.ヒエトリノタクヒ也.何ノ故カカラント云.烏ト云事ハコレ一カキラス.壹岐嶋鳥アリ.此レヲハ新羅烏.麥ノタネマク時,群飛,麥ヲ喰ラフト云云.

『塵袋』第三「對馬烏」條〈日本古典全集〉


日向國‧大隅國‧薩摩國風土記逸文

隼人

 日向‧大隅‧薩摩ノ國ノ俗,皆隼人也.其猛ク烈シキコト隼ノ如シト風土記ニ見エル.

下河邊長流『枕詞燭明抄』上「はや人の」條〈『長流全集』上卷〉


風土記逸文 國不詳

妙野

 妙野にはをのへの嵐音さえて笹の葉戰ぎ霰降るなり.彼妙野には細竹生えて西の方に三峰高く側立りと風土記に見得たるが故に,尾上の嵐笹の葉戰ぎてとは詠まれたるにこそ,山野之勝絕,冴陰之景色,誠浮眼前搖情也.

『建長八年百首歌合』五百八十五番,左負,一一七零番歌條〈『新編國歌大觀』第五卷〉


 人ノ辯說カケタルヲ,オジくナルフハ如何.......諸國風土記山幾ッ河幾ットシルスニ,大道ヲハ大略一條シルセリ.道ハスチヲトヲシタルモノナレハ,スチノ心ニテ一條トハ.

『塵袋』第十「條」條〈日本古典全集〉


紫草

 さきくさに說說ある歟......風土記には紫草とも書之.

四辻善成『河海抄』卷十,初音「ささくさのすゑつかた」條


ヱグ

 ヱクトハセリヲ云也.風土記ニ見タリ.

『秘府本万葉集抄本』上,第十,一八三九番歌條〈万葉集叢書〉