【九州乙類風土記 逸文】

筑紫國風土記逸文


  1. 哿襲宮(かしひのみや)【斷片。】【乙類乎。】

       【筑前國(つくしのみちのくちのくに)風土記云:】
       到筑紫國(つくしのくに),例先參謁(まゐる)哿襲(香椎)宮。【哿襲,かしひ(可紫比)也。】
         譯注:香椎宮(かいしのみや),仲哀天皇崩御處。

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第四,六、九五七番歌條


  2. 子饗原(こふのはら) 芋湄野(うみの)【乙類。】

       【筑紫國風土記(ふどき)曰:】
       逸都縣(いとのあがた)
       子饗原(こふのはら)
       有石兩顆(ふたつ)。一者,片長(ながさ)一尺二寸(ひとさかあまりふたき)(めぐり)一尺八寸。一者,長一尺一寸,周一尺八寸。色白而(かたく)(まろなる)磨成(みがける)(くにひと)傳云:「息長足比賣命(神功皇后),欲伐新羅(しらき)閱軍(みいくさをみそなはし)之際,懷娠(はらみ)漸動(やくやくにうごきき)。時取兩石,插著(はさみ)裙腰(みものこし),遂(うち)新羅。凱旋(かちかへる)之日,至芋湄野(うみの)太子(應神帝)誕生(あれませり)。有此因緣(よし),曰芋湄(產み)野。【謂產為うみ(芋湄)者,風俗(くにぶり)言詞(ことば)爾。」俗間婦人(よのをみな)忽然(にはかに)娠動(はらぬちうごけば),裙腰插石,(まじなひ)(のばしむ)時,(けだし)由此乎。】

         譯注:「息長足比賣命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(しんぐうわうごう)也。太子(ひづきのみこ)應神天皇(おうじんてんわう)

    前田家本『釋日本紀』卷十一「皇后取石插腰」條


  3. 塢舸水門(をかのみなと) 阿斛嶋(あこじま) 姿波嶋(しばしま)【乙類。】

       塢舸縣(をかのあがた)
       縣(ひむかし)側近(かたはら),有大江(おほかは)口。名云塢舸水門(をかのみなと)(たふ)大舶(おほふね)焉。從彼(かよふ)嶋、鳥旗(とをた)(おくか)。名云岫門(くき)【鳥旗,とをた(等烏多)也。岫門,くき(久岐)也。】(いるる)小船焉。海中(わたのなか)有兩小嶋(ちひさきしま)。其一云阿斛嶋(あこじま)。島生支子(くちなし),海出鮑魚(あはび)。其一云姿波嶋(しばしま)【姿波嶋,姿波しま(しば紫摩)也。】兩嶋,(ともに)烏葛(つづら)冬葡(おほね)【烏葛,黑葛(つづら)也。冬葡者,迂米(うめ)也。】

         譯注:烏葛(ツヅラ)者,蔓性植物之總稱也。冬葡(ウメ),意不詳。或作ウミ(迂末)

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第五,七、一二三一番歌條


  4. 西海道節度使(にしのみちのせつどし) 藤原宇合(ふぢはらのうまかひ)【斷片。】【乙類。】

       【筑前國(つくしのみちのくちのくに)風土記云:】
       【當奈羅(平城)朝。】天平(たんひゃう)四年(よとせ)歲次(ほしのやどるとし)壬申(みづのえさる)西海道(にしのみち)節度使(せつどし)藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)(いみな)宇合(うまかひ)。】(きらひ)前議(さきのはかりこと)(かたより)(かんがへし)當時之要(ときのぬみ)者。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,總記條


  5. 磐井墓(いはゐのはか)【乙類。】

       【筑後國(つくしのみちのしりのくに)風土記曰:】
       上妻縣(かみつやめのあがた)
       縣南二里(ふたさと),有筑紫君磐井(つくしのきみいはゐ)(はか)(はか)七丈(ななつゑ)(めぐり)六十(むそ)丈,墓田(はかのまち)南北(おのもおのも)六十丈,東西各卅丈。石人(いはひと)石盾(いはたて)各六十(ひら)交陣(こもこもにつら)成行(つらなり)周匝(めぐれり)四面(よも)。當東北(すみ),有一別區(あることまち)(なづけ)衙頭(がとう)【衙頭,政所(まつりごとのところ)也。】其中有一石人,縱容(ほしきまにまに)立地,號曰解部(ときべ)。前有一人,裸形(あかはだか)伏地,號曰偷人(ぬすびと)(いのちあるとき)(ぬすめり)(しし),仍擬決罪(つみなはれる)。】側有石豬(いはしし)四頭(よぎ),號曰賊物(かすみもの)【賊物,盜物(ぬすめるもの)也。】彼處亦有石馬(いはうま)三疋(みぎ)石殿(いはとの)三間,石藏(いはくら)二間。
       古老(ふるおきな)傳云:「當雄大迹(をほど)天皇(繼體)之世,筑紫君磐井,豪強暴虐(つよくあらぶれ)不偃(したがはず)皇風(おほきみ)生平(おだひかなる)之時,(あらかじめ)造此墓。(にはか)官軍(みいくさ)動發(うごき)欲襲(おそはむ)之間,知(いきほひ)不勝(あへず)獨自(ひとりみづから)(のがれ)豐前國(とよくにのみちのくち)上膳縣(かみつみけのあがた)(にげうせ)于南山峻嶺(さがしきみね)(くま)。於是,官軍追尋(おひとむる)失蹤(あとをうひけり)士怒(もののふのいかり)未泄(つきず)擊折(うちおり)石人之手,打墮(うちおとし)石馬之(かしら)。」古老傳云(つたへていはく):「上妻縣(かみつやめのあがた),多有篤疾(あつきやまひ)(けだし)(よる)茲歟。」

    前田家本『釋日本紀』卷十三「筑紫國造磐井」條


  6. 自然之冰室(しぜんのひむろ)【斷片。】【乙類。】

       【夏冰(なつのひ)無宣旨則不得開(こぼたず)之事何如…豐後國(とよくにのみちのしり)速見郡(はやみのこほり)中,溫泉()多在(あまたあり),於其中一所有四湯矣。一為珠灘湯(すなのゆ),一為等峙湯(とちのゆ),一為寶膩湯(ほちのゆ),一為大湯(おほゆ)。其湯山(ゆのやま),東面有自然冰室(しぜんのひむろ)。記曰:】
       開一石門(いはと)望見(のぞみみれば)(くら),可(のり)一丈,其內縱橫(たてよこ),可方十丈。(とり)(ともしび)(みる)奧,(あまねく)冰凝(ひこれり)。或如(しく)玉塼(たまのかはら),或似豎銀柱(しろかねのはしら)。非因鑿斧(のみをの)片取(かたとる)尤難(もともかたし)。時(あたり)三炎(なつ),將冰百數(ももかず),人人自足(おのづからにたり),如(くむ)衢樽(まちたにさかだる)。若非龍宮(とこよ)凌室(ひむろ),安(よく)冬夏不消(きえず)者乎?云云(といへり)。】 

    東博本『塵袋』第二「冰室」條


  7. 帔搖岑(ひれふりのみね)【乙類。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第四,五、八七零番歌條


  8. 杵嶋(きしま)【乙類。】

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,三八五番歌條


  9. 閼宗岳(あそのたけ)【乙類。】

       【筑紫國(つくしのくに)風土記曰:】
       肥後國(ひのみちのしりのくに)
       閼宗縣(あそのあがた)
       縣(ひつじさるのかた)廿餘里,有一禿山(けなしのやま),曰閼宗(阿蘇)岳。(いただき)靈沼(くすしきぬま)石壁(いはのかべ)(かき)(はかるに)(たて)五十丈(いつゑ)(はば)百丈(ももつゑ),深或廿丈(はたつゑ)十五丈(とをあまりいつつゑ)。】清潭(きよきふち)百尋(ももひろ)(しき)白綠(しろきみどり)而為(かたち)彩浪(うるはしきなみ)五色(いついろ)(はへ)黃金(くがね)分間(あひだをわかちたり)天下(あめのした)靈奇(くしび),出玆華(このはな)矣。時時(をりをり)水滿(みづみち),從南溢流(あふれてながれ),入于白川(しらかは)眾魚(おほくのいを)醉死(ゑひてしぬ)土人(くにひと)號曰苦水(にがみつ)。其(をか)之為(すがた)也,中天(おほぞら)傑峙(そばだち),包四縣()而開(もとゐ)(ふり)(おこし)雲,為五岳(いつつのたけ)最首(かしら)濫觴(らんしゃう)分水(みづをくまり)(まこと)群川(おほくのかは)巨源(おほきなるみなもと)大德(おほきいきほひ)巍巍(さがしくそびえ)(まこと)人間(ひとのよ)有一(ひとつのみあり)奇形(くすしきすがた)杳杳(くらくそびえ),伊天下之無雙(ならびなし)。居在地心(くにのもなか),故曰中岳(なかだけ)。所謂閼宗神宮(あそのかむみや),是也。

         譯注:居在地心(くにノもなか)者,謂其位國之中心也。四縣,菊池郡、合志郡、託麻郡、益城郡。阿蘇五岳,中岳、高岳、根子岳、杵島岳、烏帽子岳。

    底本、前田家本『釋日本紀』卷十「二神曰阿蘇都彥、阿蘇都媛」條
    參本、『阿蘇家文書』下,第十三「肥後國一宮阿蘇社條條」條


  10. 水嶋(みづしま)【乙類。】

       【肥後(なり)。風土記云:】
       球磨(くま)
       (いぬゐ)七里(ななさと)海中(わたなか)有嶋。(つみ)(たもてり)(もとゐ)。名曰水嶋(みづしま)。嶋出寒水(しみづ)(むた)(しほ)高下(のぼりくだれり)【云云。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第三,三、二四六番歌條


  11. 吐濃峰(とののみね) 韜馬峰(うしかのみね)【斷片。】【乙類乎。】

       【僧數(ほふしノかず)何口(なにく)ト云フハ、僧ニ(かぎ)ことば()歟?(すべて)人數(ひとかず)ニモ歟?……日向國(ひむかのくに)古庾郡(こゆのこほり)ニ,(つね)ニハ兒湯郡(こゆのこほり)()ク。】吐濃峰(とののみね)ト云(みね)有リ。神()ハス。吐乃大明神(とのノだいみやうじん)トソ申ス成ル。昔神功皇后(じんぐうくわうごう)新羅(しらぎ)討給(うチたま)時,此神(こノかみ)給テ御船(みふね)乗給(のセたま)船舳(ふなノへ)(まも)ルニ,新羅討取(うチと)リテ(かへ)給テ後,鞱馬峰(うしかノみね)ト申ス所ニ御趍(おは)シテ弓射給(ゆみいたま)ヒケル時,土中(つちノなか)ヨリ物ノ頭差出(かしらさシいで)ケルヲ,弓端(ユミノハズ)ニテ堀出(ほしだ)給ヒケレバ,男一人、女一人ゾ(あり)ケル。其神人(はふり)トシテ召仕ヒケリ。其子孫(そノうみのこ),今ニ(のこ)レリ。是頭黑(かしらくろ)。始テ堀出サルル時,頭黑(かしらノくろ)クテ差出(さシで)タリケル(ゆゑ)ニヤ。子孫ハ(ひろ)ゴリケルカ,疫癘(えやみ)死失(しにうせ)二人(ふたり)ニ成リタリケリ。其事(そノこと)斯國記(カノくにノき)ニ云ヘルニハ:】
       日日(ひごと)死盡(しにつき)(わづかに)(のこれる)男女(をとこをみな)兩口(ふたり)【ト云ヘリ()國守(くにノかみ)神人(はふり)驅使(かリつか)ヒテ國役(くにやく)ニ從ハシムル故ニ,明神(あきつみかみ)怒リヲ為給(なシたま)惡病發(あシキやまひおこ)リテ死ニケル也。(これ)ヲ思ヘハ男女ヲモ()トハ云ヘキニコソト(おもほゆ)(なり)。】

         譯注:僧數以何口計之者,惟限於僧之詞歟?凡人之數亦用之歟?……日向國古庾郡,【多作兒湯郡。】有吐濃峰峰。神鎮坐之,名土乃大明神也。昔神功皇后伐新羅時,請此神乘於御船,令護船舳。討新羅而凱旋,至鞱馬峰而將射弓時,土中有黑物頭出。以弓端掘之,有男一人、女一人在也。以為神人而召仕之,其子孫今猶在,是謂頭黑。蓋初掘出時,出黑頭之故耶。雖衍子孫,然死失於疫癘,終為二人。此事,該國記云:「日日死盡,僅殘男女兩口。」云云。是其國守,驅使神人從於國役之故,明神怒之,發降惡病而死也。就此思之,凡男女之數,亦可以口計之。○神人(はふり)(はふり)也。

    東博本『塵袋』第七「何口」條〈日本古典全集〉


  12. 韓槵生村(からのくしぶのむら)【斷片。】【乙類乎。】

       【日向國(ひむかのくに)韓槵生村(からのくしぶのむら)ト云フ所(アリ)()キ,此所ニ木槵子木(くりノき)()ヒタリケル歟如何(いかに)?……(むか)シ,哿瑳武別(かさむわけ)(いひ)ケル人,韓國(からのくに)ニ渡リテ,此栗(こノくり)ヲ取リテ歸リテ()ヱタリ。此故(こノゆゑ)ニ,槵生村(くしぶノむら)トハ云フ也。風土記云:】
       俗語(くにつことば)(くり)クシ(區兒)。然(すなはち)槵生(くしぶ)村者,蓋云韓栗林(からのくしぶ)歟。【云云。】

         譯注:日向國有韓槵生村。此處有木槵子生歟如何?……昔,有人名哿瑳武別。渡韓國而取栗歸之,植矣。因此故,云槵生村也。

    東博本『塵袋』第二「槵子」條


  13. 沙虱(しやしち) 耆小神(きさのかみ)【斷片。】【乙類乎。】

       【虱子(しらみノこ)ヲバキサザ()ト云フ()キサジ()ト云フ歟?……但シ,大隅國(おほすみのくに)ニハ(なつ)ヨリ(あき)(いた)(マデ)虱子(しらみノこ)(おほ)クシテ,喰殺(クラヒコロ)サルル者有(ものあ)リ。(これ)ヲ風土記ニ云ヘルニハ:】
       沙虱(しやしち)【二字以訓。】耆小神(きさのかみ)【注之。】

         譯注:虱子者,云キササ歟?キサジ歟?……但大隅國中,自夏至秋,蟣虱多在,為其所食殺者有之。【云云。】沙虱【二字以訓。】耆小神。

    東博本『塵袋』第四「蟣虱」條


  14. 閼駝郡(あたのこほり)竹屋村(たかやのむら)【斷片。】【乙類乎。】

       【(をさな)稚子(ちご)臍緒(ほぞノを)竹刀(あをひゑ)ニテ切ルハ,前蹤ニ據ル歟,如何?風土記ノ心ニ據ラバ,皇祖(すめみま)裒能忍耆命(火瓊瓊杵尊)日向國(ひむかノくに)贈於郡(そノこほり)高茅穗(高千穗)槵生峰(槵觸峰)天降坐(あまうだリマ)シテ,是ヨリ薩摩國(さつまのくに)閼駝郡(あだノこほり)竹屋村(たかやのむら)(うつ)リ給テ,土人(くにひと)竹屋守(たかやのかみ)(むすめ)()シテ,其腹(そノはら)ニ二人ノ男子ヲ產給(まうけたまひ)ケル時,彼所(かノところ)ノ竹ヲ刀ニ作リテ,臍緒(ほぞノを)切給(きリたま)ヒタリケリ。其竹(そノたけ)ハ,今モ在リト云ヘリ,此跡(こノあと)(たづ)ネテ,今モ()クスルニヤ。】

         譯注:以竹刀切赤子臍者,乃據前蹤歟,如何?據風土記云,皇祖火瓊瓊杵尊天降日向國贈於郡高千穗槵生峰,是後移薩摩國閼駝郡竹屋村,取土人竹屋守之女。其腹產二男之時,以彼處竹為刀,切其臍帶。傳其竹者今猶在。尋此跡則今亦如此耶?

    東博本『塵袋』第六「臍緒」條


  15. 常世祠(とこよのやしろ) 朴樹(えのき)【斷片。】【乙類乎。】

       【(えのき)ホク也。榎木(えのき)也。斯說(かようせつ)有リト云。如何……壹岐嶋(いきのしま)ノ記ニ云:】
       有常世祠(とこよのやしろ),有一朴樹(えのき)【朴樹,エノキ(愛乃寄)也。】鹿角枝(かのつのなすえだ),長可五寸(いつきだ)角端(つののはし)兩道(ふたまた)【云云。】

         譯注:朴者ホク也。榎木也。有是說矣。如何?……壹岐嶋記有云。【云云。】

    東博本『塵袋』第二「朴榎」條


  16. 寄柏(きひゃく) 御津柏(みつながしは)【斷片。】【乙類。】

       【筑紫(つくし)風土記曰:】
       寄柏(きひゃく)御津柏(みつながしは)也。

    前田家本『釋日本紀』卷十二「御綱葉」條


  17. 長木綿(ながゆふ) 短木綿(みじかゆふ)【斷片。】【乙類。】

       【(あさ)ヲバ長木綿(ながゆふ)ト云フ。長キガ(ゆゑ)也。真麻(まを)ヲバ短木綿(みじかゆふ)ト云フ。筑紫風土記(つくしのふどき)ニ:】
       長木綿(ながゆふ) 短木綿(みじかゆふ)【所云此也(これなり)。】

         譯注:麻云長木綿,因其長之故也。真麻云短木綿。於筑紫風土記。【云云。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第二,二、一五七番歌條



【九州甲類風土記 逸文】


筑前國風土記逸文


  1. 資珂嶋(しかのしま)【甲類。】

       【筑前國(つくしのみちのくちのくに)風土記曰:】
       糟屋郡(かずやのこほり)
       資珂嶋(しかのしま)
       昔時(むかし)氣長足姬尊(神功皇后)幸於新羅(しらき)之時,御船(みふね)夜時(よる)來泊(きたりとまり)此嶋。有陪從(おほみとも)名云大濱(おほはま)小濱(をはま)者。便(みことのり)小濱,(つかはし)此嶋(もとめ)火得早來(とくかへりきつ)。大濱問云:「(ちかく)有家耶?」小濱答云:「此嶋與打昇濱(うちあげのはま),近相連接(つづき)(ほとほと)可謂(いふべし)同地。」因曰近嶋(ちかのしま)。今訛之資珂(しか)嶋。

    前田家本『釋日本紀』卷六「阿曇連等所祭神」條


  2. 瀰夫能泉(みぶのいづみ)【甲類。】

       糟屋郡(かずやのこほり)
       瀰夫能泉(みぶのいづみ)【在郡東南。】
       氣長足姬尊(おきながたらしひめのみこと)自新羅還幸(かへりいでまし),就於此村,誕生(うみたまひ)譽田(應神)天皇(すみらみこと)(くみ)泉水(いづみのみづ),以擬御湯(みゆ)。因曰御產泉(みぶノいづみ)。今,(たて)(やしろ)祭也(まつれり)

    『八幡御託宣記』〈東京大學史料編纂所『石清水八幡宮記錄』第十一冊〉


  3. 怡土郡(いとのこほり)【甲類。】

       【筑前國風土記(ふどき)曰:】
       怡土郡(いとのこほり)
       昔者,穴戶豐浦宮(あなとのとゆらのみや)御宇(あめのしたをさめたまひ)足仲彥(たらしなかつひこ)天皇(仲哀)將討球磨(くま)噌唹(),幸於筑紫(つくし)之時,怡土縣主(あがたぬし)等祖五十跡手(いとて)(きき)天皇幸,拔取五百枝賢木(いほえのさかき),立于船舳艫(へととも)上枝(ほつえ)八尺瓊(やさかに)中枝(なかつえ)白銅鏡(ますみのかがみ)下枝(しづえ)十握劍(とつかのつるぎ)參迎(まゐりむかへ)穴門引嶋(あなとのひけしま)獻之(たてまつりき)天皇(すめらみこと)敕問:「()誰人(たそ)?」五十跡手(かへりことまをし)曰:「高麗國(こまのくに)意呂山(おろやま),自天降來(くだりこし)日桙(ひほこ)苗裔(はつこ)五十跡手是也(これなり)。」天皇(仲哀)於斯,(ほめ)五十跡手曰:「恪乎(いそしかも)【謂いそし(伊蘇志)。】」五十跡手之本土(もとつくに),可謂恪勤國(いそのくに),今謂怡土郡(いとのこほり)訛也(よこなまれり)

         譯注:伊蘇志(いそし),忠實之意也。

    前田家本『釋日本紀』卷十「伊睹縣主祖五十跡手」條


  4. 兒饗野(こふの) 兒饗石(こふのいし)【甲類。】

       【筑前國(つくしのみちのくちのくに)風土記曰:】
       怡土郡(いとのこほり)
       兒饗野(こふの)【在郡西。】
       此野之西,有白石(しろきいし)二顆(ふたつ)一顆(ひとつ),長一尺二寸(ひとさかあまりふたき)(おほきさ)一尺,重卌一斤(よそあまりひとはかり)。一顆,(ながさ)一尺一寸,大一尺,(おもさ)卅九斤(みそあまりここのはかり)。】
       曩者(むかし)氣長足姬(おきながたらしひめ)(神功皇后)征伐(うたむ)新羅(しらき),到於此村,御身(おほみ)有妊(はらみたまひ)(にはかに)誕生(あれまさむ)登時(すなはち),取此二顆石,(はさみ)御腰(みこし)(うけひ)曰:「(われ)(さだめむ)西堺(にしのさかひ)來著(きたる)此野,所妊(はらめり)皇子(みこ)若此神者(もしこれかみにしまさば)凱旋之後(かちかへりしのち),誕生其可(よき)。」(つひに)定西堺,還來(かへりきたり)即產也。所謂譽田(ほむた)天皇(應神)是也。時人(ときのひと)號其石曰皇子產石(みこふのいし),今(よこなまり)兒饗石(こふのいし)

    前田家本『釋日本紀』卷十一「皇后取石插腰」條


  5. 大三輪神社(おほみわのやしろ)【甲類。】

       【筑前國風土記(ふどき)曰:】
       氣長足姬尊(神功皇后)欲伐新羅(しらき)整理(ととのへたまひ)軍士(おくさ)發行之間(いでたちのほどに)道中(みちなか)遁亡(にげうせつ)(うら)(まぎたまふ)(よし),即有祟神(たたるかみ),名曰大三輪神(おほみわのかみ)所以(そゑ)(たて)神社(やしろ),遂(ことむけたまへり)新羅。

         譯注:有士兵途中逃亡,占其由者則大物主祟也。故,立社。

    前田家本『釋日本紀』卷十一「立大三輪社以奉刀矛」條



筑後國風土記逸文


  1. 筑後國號(つくしのみちのしりのくにのな)【甲類。】

       【(ふたつ),公望(かむがふる)筑後國(つくしのみちのしりのくに)風土記云:】
       筑後國者,本與筑前國(つくしのみちのくちのくに)合為一國(ひとつのくに)。昔此兩國之間山,有峻狹坂(さがしくさきさか)往來之人(ゆききのひと)(のれる)鞍韉(したくら)被磨盡(すらえてつきき)土人(くにびと)鞍韉盡之坂(したくらつくしのさか)
       【三云(みつにいふ):】昔此堺上(さかひのへ),有麤猛神(あらぶるかみ),往來之人,半生(なかばはいき)半死(なかばはうせにき)。其數極多(いとさはなり)。因曰人命盡神(いのちつくしのかみ)。于時,筑紫君(つくしのきみ)肥君(ひのきみ)占之(うらなふる),令筑紫君等之祖甕依姬(みかよりひめ),為祝祭之(まつらしめき)自爾以降(こゆのち)行路之人(みちゆくひと),不被神(そこなはるる)。是以曰筑紫神(つくしノかみ)
       【(よつ)云:】為(はぶらむ)死者(みまかれるひと),伐此山木,造作(つくりき)棺輿(ひとき)。因玆,山木欲(つくし)。因曰筑紫國(つくしのくに)。後(わかち)兩國,為(みちのくち)(みちのしり)

    前田家本『釋日本紀』卷五「筑紫洲」條


  2. 生葉郡(いくはのこほり)【甲類。】

       【公望私記(きみもちのしき)曰。案,筑後國風土記(ふどき)云:】
       昔,景行天皇(けいかうてんわう)巡國(くにめぐり)(をはり),還(みやこ)之時,膳司(かしはで)在此村,忘御酒盞(おほみうき)【云云。】天皇(景行)敕曰:「惜乎(あたらしかも)朕之酒盞(わがうきはや)俗語(くにつことば)云酒盞為うき(宇枳)。】」因曰宇枳波夜郡(うきはやのこほり)後人(のちのひと)(あやまり)生葉郡(いくはのこほり)

         譯注:はや,感嘆詞。

    前田家本『釋日本紀』卷十「的邑」條


  3. 三毛郡(みけのこほり)【甲類。】

       【公望私記曰。(かむがふるに),筑後國風土記云:】
       三毛郡(みけのこほり)【云云。】
       昔者(むかし)楝木(あふちのき)一株(ひともと),生於郡家(こほりのみやけ)南。其高九百七十丈(ここのももあまりなそつゑ)朝日之影(あさひかげ),蔽肥前國(ひのみちのくちのくに)藤津郡(ふぢつのこほり)多良之峰(たらのみね)暮日之影(ゆふひかげ)(おほひ)肥後國(ひのみちのしりのくに)山鹿郡(やまかのこほり)荒爪之山(あらつめのやま)【云云。】因曰御木國(みきのくに)。後人(よこなまり)三毛(みけ)。今,(もち)為郡名。櫟木(くぬぎのき)楝木(あふちのき)名稱(もののな)各異(おのもおのもことなれり)(かれ)記之(しるせり)。】

    前田家本『釋日本紀』卷十「歷木」條



豐前國風土記逸文


  1. 鹿春鄉(かはるのさと)【甲類。】

       【豐前國(とよくにのみちのくち)風土記曰:】
       田河郡(たかはのこほり)
       鹿春鄉(かはるのさと)【在郡東北。】
       此鄉之中有河,年魚(あゆ)在之(すめり)。其(みなもと)從郡東北(うしとら)杉坂山(すぎさかのやま)出。(ただに)正西(にしのかた)流下(くだり)湊會(おちあへり)真漏河(まろのかは)焉。此河瀨(かはのせ)清淨(すがし),因號清河原村(すがかはらのむら)。今謂鹿春鄉(かはるのさと)(よこなまれり)
       昔者(むかし)新羅國神(しらきのくにのかみ)自度到來(みづからわたりきたり),住此河原(かはら)便即(すなはち),名曰鹿春神(かはるのかみ)
       又,鄉北有(みね)(いただき)(ぬま)(めぐり)卅六步(みそあまりむあし)(ばかり)。】黃楊樹(つげのき)(おひたり)(また)龍骨(たつのほね)第二(つぎて)峰,有(あかがね)并黃楊、龍骨等。第三(そのつぎ)峰,有龍骨(石灰)

         譯注:年魚,鮎也。龍骨,石灰也。

    天理圖書館本『八幡宇佐宮御託宣集〈八幡本緣〉』「大」卷「小椋山社部上」第四冊五丁裏


  2. 鏡山(かがみやま)【甲類。】

       【豐前國風土記(ふどき)云:】
       田河郡(たかはのこほり)
       鏡山(かがみやま)【在郡東。】
       昔者,氣長足姬尊(神功皇后)在此山,(はるかに)國形(くにがた),敕祈云:「天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ),為我助福(たすけさきはひたまへ)。」便用御鏡(みかがみ)安置(おきたまふ)此處,其鏡,即化為(なり)石,(いまに)在山中。因(なづけ)曰鏡山。【已上。】

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,三一一番歌條



肥後國風土記逸文


  1. 肥後國號(ひのみちのしりのくにのな) 火國(ひのくに)【甲類。】

       【公望私記(きみもちのしき)曰。(かむがふる),肥後國風土記云:】
       肥後國(ひのみちのしりのくに)者,本與肥前國(ひのみちのくちのくに)(あはせ)為一國。
       昔崇神天皇(すうじんてんわう)之世,益城郡(ましきのこほり)朝來名峰(あさくなのを),有土蜘蛛(つちぐも),名曰打猴(うちさる)頸猴(くびさる)二人。率徒眾(ともから)百八十餘人,(かくり)峰頂(をのいただき),常(さかへ)皇命(おほみこと),不肯降服(まつろふ)。天皇,敕肥君(ひのきみ)等祖健緒組(たけをぐみ),遣(つみなはむ)賊眾(にしもの)。健緒組(うけたまはり)到來(いたりき)皆悉(ことごと)誅夷(うちやぶりけり)。便巡國裏(くぬち),兼察消息(あるかたち)。乃到八代郡(やつしろのこほり)白髮山(しらかみやま)日晚(ひくれ)止宿(やどりけり)。其夜虛空(おほぞら)有火。自然(おのづから)(もえ)稍稍(やくやく)降下(ふりくだり)著燒(もえつきぬ)此山。健緒組見之,大(おもひ)驚怪(おそりあやし)行事(こと)(をはり)參上(まゐのぼり)朝廷(みかど)(のべ)行狀(ありさま)奏言(まをせり)【云云。】天皇(崇神)(みことのり)曰:「剪拂(きりはらひ)賊徒(にしもの)(たちまち)西眷(にしのうれひ)海侶(うみのともから)(いさを)誰人(たれひと)比之(たぐはむ)。又火從空下,燒山亦(あやし)火下之國(ひのくだりしくに)可名(なづくべし)火國(ひのくに)。」
       又,景行天皇(けいかうてんわん),誅球磨(くま)噌唹(),兼巡狩(くにめぐり)諸國(くにぐに)【云云。】(いでまし)於火國,渡海之(ほど)日沒夜暗(ひくれよくらく),不知所著(つくところ)。忽有火光(ほのかげ)(はるか)行前(ゆくさき)天皇(景行)棹人(かぢとり)曰:「行前火見,直指而往(ただにさしてゆけ)。」(まにまに)敕往之,果得著(きし)。即敕曰:「火燎之處(ひのもえしところ),此號何界(いづれのさかひ)所燎之火(もえしひ),亦為何火(いかなるひ)?」土人(くにびと)奏言:「此是,火國八代郡(やつしろのこほり)火邑(ひのむら)。但未審(つばひらかにせず)火由(ひのよし)。」于時,詔群臣曰:「所燎之火,非俗火(くにひとのひ)也。火國之(ことのもと),知所以(ゆゑよし)(しかる)。」

         譯注:()()同音。球磨(くま)噌唹(),意指熊襲。

    前田家本『釋日本紀』卷十「火國造」條


  2. 長渚濱(ながすのはま) 爾陪魚(にへのいを)【甲類。】

       【肥後國風土記(ふどき)曰:】
       玉名郡(たまきなのこほり)【在郡西。】
       長渚濱(ながすのはま)
       昔者(むかし)大足彥(おほたらしひこ)天皇(景行)球磨噌唹(熊襲)還駕(かへりき)之時,(はて)御船於此濱。【云云。】又御船左右(さう)游魚(およぐいを)多之(さはにありけり)棹人(かぢとり)吉備國(きびのくに)朝勝見(あさかつみ),以()釣之(つる)多有所獲(さはにとれり)。即(たてまつる)天皇(すめらみこと)。敕曰:「所獻之魚,此為何魚(なにのいを)?」朝勝見奏申(まをさく):「未解(しらず)其名,(ただ)鱒魚(ます)爾。ます(麻須)。】天皇(景行)御覽(みそなはし)曰:「(くにひと)多物(さはなるもの),即云にへさに(爾陪左爾)。今所獻魚,甚此多有(いとこれにへさにあり)。可謂爾陪魚(にへのいを)。」今謂爾陪魚,其(ことのもと)也。

         譯注:『日本書紀私記』,訓「甚多」作「にへさく」。

    前田家本『釋日本紀』卷十六「多請」條


  3. 阿蘇郡(あそのこほり)【甲類。】

       【肥後國(ひのみちのしりのくに)風土記曰:】
       昔者,纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇(あめのしたをさめたまひ)天皇(景行),發玉名(たまきな)長渚濱(ながすはま)(みゆきし)於此郡。徘徊(めぐり)四望(よも)原野(はらの)曠遠(あらのしはるけく),不見人物(ひとかげ)。即(なげき)曰:「此國有人乎(ひとやある)?」時有二神(ふたはしらのかみ)(あれ)而為人曰:「吾二神,阿蘇都彥(あそつひこ)阿蘇都媛(あそつひめ)(いま)在此國。何無人乎(いかにそひとなくあらむや)?」(ことごとく)忽然(たちまち)不見。因號阿蘇郡(あそのこほり),斯其(ことのもと)也。二神之(やしろ)(いま)在郡以東。【云云。】

    「阿蘇家文書 下」第十三「阿蘇社條條」條



日向國風土記逸文


  1. 日向國號(ひむかのくにのな)【甲類。】

       【日向國(ひむかのくに)風土記曰:】
       纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇(あめのしたをさめたまひし)大足彥(おほたらしひこ)天皇(景行)之世,幸兒湯之郡(こゆのこほり),遊於丹裳之小野(にものをの)。謂左右(さう)曰:「此國地形(くにがた)(ただに)(むけり)扶桑(ひのもと)宜號(なづくべし)日向(ひむか)也。」

         譯注:扶桑,即日之本(ひのもと),日出之方。

    前田家本『釋日本紀』卷八「槵日二上天浮橋」條


  2. 知鋪鄉(ちほのさと)【甲類。】

       【高千穗岳(たかちほのさと)者,在日向國(ひむかのくに)。風土記云:】
       【臼杵郡(うすきのこほり)(なか)。】知鋪鄉(ちほのさと)
       天津彥彥火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)(おしはなち)天磐座(あまのいはくら)(おしひらき)天八重雲(あめのやへくも)稜威之道別道別(いつのちわきにちわき)天降(あもりましし)日向(ひむか)高千穗(たかちほ)二上峰(ふたがみのみね)時,天暗冥(そらくらく)晝夜不別(ひるよるのわきをしらず)人物(ひともものも)失道(みちをうしなひ)物色難別(ものをきかたくありき)於玆(ここに)土蜘蛛(つちぐも),名曰大鉗(おほはし)小鉗(をはし)二人,奏言:「皇孫尊(すめみまのみこと),以尊御手(うづのみて)稻千穗(いねのちほ)(もみ)投散(なげちらし)四方(よも),必得開晴(あかる)。」于時,(ごと)大鉗等所奏,(もみ)千穗稻,為籾投散。即天開晴(そらあかり),日月照光(てりかかやけり)。因曰高千穗(たかちほ)二上峰(ふたがみのみね)後人(のちのひと)改號智鋪(ちほ)【已上。】

         譯注:土蜘蛛,多指不從中央者。此處異之,特例也。故事梗概,似天岩戶神話之再演。

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第十,二十、四四六五番歌條


  3. 高日村(たかひのむら) 三輪神之社(みわのかみのやしろ)【甲類。】

       【日向國風土記(ふどき)曰:】
       宮埼郡(みやさきのこほり)
       高日村(たかひのむら)
       昔者(むかし)自天降神(あめゆくだりまししかみ),以御劍柄(みつるぎのたかみ),置於此地。因曰劍柄村(つるぎたかびのむら)。後人(あらため)高日村(たかひのむら)。其劍之(たかみ)(すゑ)敬祭(ゐやまひまつり),名曰三輪神之社(みわのかみのやしろ)

    兼方本『日本書紀』「皇孫則到筑紫日向高千穗槵觸之峰」條,下卷裏書三一



大隅國風土記逸文


  1. 必志里(ひじのさと)【甲類。】

       【大隅國(おほすみのくに)風土記云:】
       必志里(ひじのさと)
       昔者(むかし),此村之中,在海之洲(うみのひじ)(よりて)曰必志里。海中洲(わたなかのす)者,隼人(はやと)俗語(くにつことば)ひじ(必志)。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第七,十三、三二七零番歌條


  2. 串卜鄉(くしらのさと)【甲類。】

       【大隅國風土記(ふどき):】
       大隅郡(おほすみのこほり)
       串卜鄉(くしらのさと)
       昔者,造國神(くにつくしまししくに),敕使者(すかひ)遣此村,令見消息(あるかたち)。使者(かへりこと)(いひ),有髮梳神(くしらのかみ)(のりたまひ)可謂(いふべし)髮梳村(くしらのむら)。因曰久西良鄉(くしらのさと)【髮梳者,隼人(はやと)俗語くしら(久西良)。】(あらため)串卜鄉(くしらのさと)

         譯注:造國神(くにつくしまししくに)大國主神(おほくにぬしのかみ)是也。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,二七八番歌條



壹岐國風土記逸文


  1. 鯨伏鄉(いさふしのさと)【甲類。】

       【壹岐國(いきのくに)風土記云:】
       鯨伏鄉(いさふしのさと)【在(こほり)西。】
       昔者(むかし)鮐鰐(おほわに)(くぢら),鯨走來(にげき)隱伏(かくれふし)(かれ)鯨伏(いさふし)。鰐并鯨,(ともに)化為(なれり)石,相去(あひさること)一里(ひとさと)(くにびと)(くぢら)いさ(伊佐)。】

         譯注:鮐,原為海魚。亦有年老之意。此以鮐鰐引作大鰐也。

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第二,二、一三一番歌條




【九州風土記〈不明甲乙〉】


大隅國風土記逸文


  1. 口嚙酒(くちかみのさけ)【斷片。】【甲乙不明。】

       【(さけ)(つく)ルヲバ「(カム)」トモ()フ。如何(いか)ナル(こころ)ゾ……大隅國(おほすみノくに)ニハ一家(あるいへ)(みづ)(こめ)トヲ(まう)ケテ,(むら)告回(つげめぐ)ラセバ,男女一所ニ(あつま)リテ,米ヲ()ミテ,酒船(さかふね)吐入(つキい)レテ,散散(ちりちり)(かへ)リヌ。酒香(さけノかをり)出來(いでく)ル時,又集マリテ,()ミテ吐入(つキい)レシ,者共(ものども)(これ)()ム。名付(なづ)ケテ口嚙酒(くちかみのさけ)ト云フト,云云。風土記(ふどき)()エタリ。】

       譯注:云釀酒作「(カム)」者,何意耶……大隅國中,有家設水、米,迴告村中,集男女於一所,嚙米而吐入酒槽,散散而歸去。酒香出時,復集嚙而吐入,相共飲之。是以名口嚙(くちかみ)酒,云云。見於風土記。

    東博本『塵袋』第九「釀」條



筑前國風土記逸文


  1. 胸肩神躰(むなかたのみかた)【斷片。】【甲乙不明。】

       【先師(卜部兼文)說云:】
       胸肩神躰(むなかたのみかた),為(たま)【之(よし),見風土記。】

         譯注:胸肩,即胸形、宗像是也。此云胸肩神社之御神體。

    前田家本『釋日本紀』卷七「作日矛」條



筑後國、肥後國風土記逸文


  1. 腹赤魚(はらかのいを)【斷片。】【甲乙不明。】

       腹赤魚(はらかのいを)
       【筑後(つくしのみちのしりのくに)肥後(ひのみちのしりのくに),二國所出(いづる)天平十五年(てんひゃうのとをあまりいつとせ)正月四日(むつきのよかのひ)(たてまつる)つばひらかに()(みゆ)兩國風土記(ふどき)。】

    『年中行事抄』第一所引『官曹事類』正月元日「同省供腹赤御贄事」條