風土逸文

攝津國風土記逸文


  1. 住吉(すみのえ)

       【攝津國風土記曰:】所以稱住吉者,昔息長帶比賣天皇(神功皇后)世,住吉大神現出而巡行天下,覓可住國。時到於沼名椋之長岡之前(ぬなくらのながをかのさき)【前者,今神宮南邊,是其地。】(すなはち)謂:「斯實可住(すむべき)之國。」遂讚稱之,云:「真住吉(ますみよし)住吉國!」仍定神社(かむのやしろ)
       今俗略之,(ただ)すみのえ(須美乃叡)

         譯注:息長帶(比賣)天皇者,神功皇后也。『常陸國風土記』亦以天皇號之。

    前田家本『釋日本紀』卷六「住吉大神」條


  2. 比賣嶋松原(ひめしまのまつばら)

       【裏書云,押紙云,私云。攝津國(せのくに)風土記云:】
       比賣嶋松原(ひめしまのまつばら)
       右,輕嶋豐明宮(輕嶋豐阿伎羅宮)御宇天皇(應神)世,新羅(しらき)女神(ひめがみ)遁去(にげ)其夫(きたり)(しまし)筑紫國(つくしのくに)伊波比乃比賣嶋(いはひのひめしま)【地名。○按『古事記』上卷國生條有女嶋云云。乃曰:「此嶋者,猶不是遠(なほとほくはあらず),若居此嶋,男神(ひこがみ)尋來(とめきなむ)。」乃更遷來(うつりきまし),遂(とどまり)此嶋。故取本所(もとつところ)住之地名(すみしところのな),以為嶋號(しまのな)如此(かくのごとく)記者(しるせば),姬嶋松原,攝津國也。】

    國文學研究資料館本『萬葉集註釋』卷第二,二二八番歌條,玄覺押紙


  3. 長樂(ながら)【斷片】

       【於風土記之(つぎ)上。】
       長樂(ながら)【地名。】
       【約見於其(あたり)。】

    國文學研究資料館本『萬葉集註釋』卷第二,二二八番歌「比賣嶋松原」條,玄覺押紙


  4. 山背(やましろ) 【水無瀨(みなせ)】【斷片】

       【攝津()國風土記。】
       彼國嶋上郡(しまのかみのこほり)也,山背(さかひ)也。

    永青文庫本『謌枕名寄』卷第三,六一六番歌「水無瀨」條


  5. 夢野(いめの) 刀我野(とがの)

       【攝津國(せのくに)風土記曰:】
       雄伴郡(をとものこほり)。有夢野(いめの)
       父老(みをや)相傳(あひつたへ)云:「昔者,刀我野(とがの)牡鹿(しか)。其嫡牝鹿(むかしめのめか),居此野。其(をむなめ)牝鹿,居淡路國(あはぢのくに)野嶋。彼牡鹿,履往野嶋(のじま),與妾相愛(うつくしみ)无比(たぐひなかりけり)。既而牡鹿,來宿(やどりぬ)嫡所。明旦(あくるあした),牡鹿(かたり)其嫡云:『今夜夢,我背()雪零(ゆきふ)りおけり(於祁利止)()。』又曰():『すすき(須須紀)村生たりと(多利止)()。此夢何祥?』其嫡,(にくみ)夫復(ゆく)妾所,乃詐相(いつはりあはせ)之曰:『背上生草(おひたるくさ)者,矢射於背上(せのへ)(しるし)。又雪零者,(つき)鹽塗(しし)之祥。汝渡淡路野嶋(あはぢののじま)者,必遇船人(ふなびと)射死(いえてみまからむ)海中,謹勿(ゆめな)復往。』其牡鹿不勝(あへず)感戀(うつくしみ),復渡野嶋。海中(わたなか)(たまさか)逢行船,終為射死(いころさえけり)。」
       故(なづけ)此野曰夢野。俗說(くにひとつたへ)云:「刀我野()()真牡鹿()夢相のまにまに(乃麻爾麻爾)。」

         譯注:「我背に雪零りおけり見き」者,「見雪零降置我背」也。「すすき村生たりと見き」者,「見芒叢生」也。「刀我野に立る真牡鹿も夢相のまにまに」者,「立刀我野之真牡鹿者,亦隨夢相也。」尚,真者,牡鹿之枕詞也。

    前田家本『釋日本紀』卷十二「菟餓野鹿」條


  6. 波比具利岡(はひぐりのをか) 歌垣山(うたがきやま)

       【攝津()國風土記曰:】
       雄伴郡(をとものこほり)
       波比具利岡(はひぐりのをか)
       此岡西,有歌垣山(うたがきやま)。昔者,男女(をとこをみな)集登此上,常為歌垣。因以為名。

    前田家本『釋日本紀』卷十三「歌場眾」條


  7. 美奴賣前神(みぬめのさきのかみ)【斷片】

       【風土記(ふどき):】
       美奴賣前神(みぬめのさきのかみ)神功皇后(しんぐうわうごう)時,祭之(まつれり)

    天理圖書館藏『延喜式』卷第九「神名帳」裏書


  8. 美奴賣松原(みぬめのまつばら)

       【攝津()國風土記云:】
       美奴賣松原(みぬめのまつばら)
       今稱美奴賣者,神名(かみのみな)。其神,本居能勢郡(のせのこほり)美奴賣山(みぬめのやま)
       昔,息長帶比賣(おきながらたらしひめ)天皇(神功皇后),幸于筑紫國(つくしのくに)時,集諸神衹(もろもろのかみ)川邊郡(かはのべのこほり)神前松原(かむさきのまつばら)。以(ねぎたまふ)禮福(さきはひ)。于時此神亦同來集。曰:「吾亦護祐(まもりたすけ)。」仍諭之(をしへ)曰:「吾所住之山,有杉木(須義乃き)【木名。】伐採(きりとり),為吾造船,則乘此船,而可行幸(いでまし)。當有幸福(さきはひ)。」
       天皇(神功皇后),乃(まにまに)神教,遣命作船。此神船,遂征新羅(しらき)【一云,于時,此船大鳴響(いたくなりとよむ),如牛吼(うしのほゆる)自然(おのづから)對馬海(つしまのうみ),還到此處。不得乘法(のるすべ),仍卜占之(うらなふ),曰:「神靈(かみのみたま)所欲(ねがへる)。」乃留置(とどみおく)。】還來之時,祠祭(まつり)此神於斯浦(このうら),并留船,以(たてまつり)神。亦名此地,曰美奴賣。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,二五零番歌條


  9. 鹽之原山(しほのはらやま) 鹽湯(しほのゆ)有馬湯(ありまのゆ) 久牟知川(くむちのかは)

       【攝津國(せのくに)風土記曰:】
       有馬郡(ありまのこほり)
       又有鹽之原山(しほのはらやま)。此山近在鹽湯(しほのゆ)此邊(このあたり)因以為名。
       久牟知川(くむちのかは)
       右(より)山為名。山本名功地山(くちのやま)
       昔,難波長樂豐前宮御宇(孝德)天皇御世,為車架幸(みゆき)湯泉,作行宮(かりみや)溫泉()之。于時,採材木()久牟知山(くむちのやま)。其材木美麗(うるはし)。於是敕曰:「此山,有(くう)之山。」因號功地山。俗人(つひに)(あやまち)曰久牟知山。
       又曰:「始得見鹽湯(しほのゆ)。」()云云。土人(くにひと)云:「不知時世(みよ)號名()。但知嶋大臣(蘇我馬子)時耳。」

    前田家本『釋日本紀』卷十四「幸于津國有間溫湯」條


  10. 下樋山(したびのやま)

       【下檜山(したびのやま),在津國(つのくに)。津國風土記云:】
       昔有大神(おほかみ),云天津鰐(あまつわに)。化為(わし)下止(とどまり)此山。十人(とたり)往者,五人(ゆき)五人(とどみぬ)。有久波乎(くはを)者。來此山伏下樋(したび)(いたり)神許(かみのもと),從此樋內(ひのうち)(かよひ)禱祭(いのりまつりけり)。由是曰下樋山。

         譯註:久波乎(くはを),鍬男乎。

    契沖『萬葉代匠記』初稿本。卷第九,一七九二番歌條


  11. 稻倉山(いなくらのやま)

       稻倉山(いなくらのやま)
       昔,止與𠱶可乃賣神(とようかのめのかみ),居於山中,以盛(いひ)。因以為名。

         譯註:止與𠱶可乃賣神(とようかのめのかみ)豐宇賀女神(とようかのめのかみ)

    神宮文庫藏『古事記裏書』


  12. 稻椋山(いなくらのやま)

       【又曰(またにいふ):】
       昔,豐宇可乃賣神(とようかのめのかみ),常居稻椋山(いなくらのやま)而以山為膳廚之處(みくりや)(のち)事故(さはること),不可得(やむ),遂還於丹波國(たにはのくに)比治真名井(比遲乃麻奈韋)【地名。】

         譯註:比治之真名井,原文ひぢノまなゐ(比遲乃麻奈韋)

    神宮文庫藏『古事記裏書』


  13. 土蛛(つちぐも)

       【攝津國風土記曰:】
       畝傍橿原宮(うねびのかしはらのみや)御宇天皇(神武)世,偽者(にしもの)土蛛。【此人(つね)居穴中。故賜賤號(とひとなるや)土蛛(つちぐも)。】

         譯註:畝傍之橿原宮,原文宇禰備能可志婆良能(うねびノかしはらノ)宮。偽者,逆豎、荒賊也。

    前田家本『釋日本紀』卷九「土蜘蛛」條


山背國風土記逸文


  1. 賀茂社(かものやしろ)

       【山城國(やましろのくに)風土記曰:】
       可茂社(かものやしろ)
       稱可茂(かも)者,日向(ひむか)曾之峰(そのたけ)天降坐(あもりまし)神,賀茂建角身命(かものたけるのつのみのみこと)也,神倭石余彥(かむやまといはれの比古)御前(みさき)立坐而宿坐大倭(やまと)葛木山之峰(かづらきのやまのみね)。自彼漸遷(またうつり),至山代國(やましろのくに)岡田(をかた)賀茂(かも),隨山代河(やましろのかは)下坐(くだりまし)葛野河(かづののかは)賀茂河(かものかは)所會(あへるところ)至坐,見迴(みめぐらし)賀茂川而言:「雖狹小(さくあれど),然石川清川在)。」仍名曰石川瀨見小川(いしかはのせみのをがは)。自彼川(のぼり)坐,定坐久我國(くがのくに)北山基(きたのやまもと)。從爾時,(なづけ)曰賀茂也。
       賀茂建角身命,(まき)丹波國(たにはのくに)神野(かみの)伊可古夜女日女(いかこやひめ)。生子名玉依彥(たまより日子),次曰玉依姬(たまより日賣)
       玉依日賣,於石川瀨見小川,川遊(かはあそび)為時,丹塗矢(にぬりや),自川上流下(ながれくだりき)。乃取插置(さしおき)床邊(とこのべ),遂(はらみ)男子(をのこご)
       至成人時,外祖父(おほぢ)建角身命,造八尋屋(やひろや),豎八戶扉(やとのとびら),釀八腹酒(やはらのみき)神集集(かみつどへつどへ)而七日七夜樂遊(うたげ)(さて)與子語言:「汝父將思人(おもはむひと)令飲(のましめよ)此酒。」即舉酒坏(さかづき),向天為祭(まつらむ)分穿(わきうかち)屋甍(やのいらか)而升於天。乃因外祖父之名,號可茂別雷命(かものわけいかづちのみこと)。所謂丹塗矢者,乙訓郡社(おとくにのこほりのやしろ)坐,火雷命(ほのいかづち)在。
       可茂建角身命也,丹波神伊可古夜(日賣)也,玉依(日賣)也,三柱神者,蓼倉里(たでくらのさと)三井社(みゐのやしろ)坐。

         譯註:神倭石余比古(かむやまといはれのひこ),即神日本磐余彥(かむやまといはれのひこ),神武天皇也。山代河,木津川。葛野河,桂川。曾之峰,曾與雄襲之襲字同。乙訓郡社,乙訓坐火雷神社,今角宮神社。蓼倉里三井社,在賀茂御祖神社境內。

    前田家本『釋日本紀』卷九「頭八咫鳥」條


  2. 三井社(みゐのやしろ)

       【又曰:】
       蓼倉里(たでくらのさと)
       三身社(みゐのやしろ)
       稱三身社者,賀茂建角身命(かものたけるのつのみのみこと)也,丹波伊可古夜姬(たにはのいかこや日女)也,玉依姬(たまより日女)也。三柱(みはしら)(みかた)坐,故號三身社。今(やくやく)云三井社。

    前田家本『釋日本紀』卷九「頭八咫鳥」條


  3. 宇治(うぢ)

       【山城(やましろ)國風土記曰:】
       謂宇治者,輕嶋明宮御宇(應神)天皇之子宇治若郎子(うぢのわきいらつこ),造桐原日桁宮(きりはらのひたけのみや),以為宮室(おほみや)。因御名(みな),號宇治。本名(もとみな)木國(許乃くに)矣。

         譯註:許乃國(こノくに)者,木之國(このくに)也。

    藤浪本『詞林采葉抄』第一「宇治都」條


  4. 木幡社(こはたのやしろ)

       【山城(くに)風土記曰:】
       宇治郡(うぢのこほり)木幡社(こはたのやしろ)祇社(くにつやしろ)。】天忍穗長根命(あまのおしほのながねのみこと)

         譯註:云祇社,而祭神曰天忍穗耳尊者,有疑。天忍穗耳尊當屬天神(あまつかみ),而非地祇(くにつかみ)

    前田家本『釋日本紀』卷八「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊」條


  5. 荒海社(あらうみのやしろ)

       【山城國風土記(ふどき)曰:】
       荒海社(あらうみのやしろ)祇社(くにつやしろ)。】大歲神(おほとしのかみ)

    金澤文庫藏『伊勢諸別宮』「江神社」條書込,二十丁裏


  6. 南郡社(なみくりのやしろ)

       【雙栗社(なみくりのやしろ),風土記。】
       南郡社(なみくりのやしろ)【祇社。】宗形阿良足神(むなかたのあらたしのかみ)。里號並栗(なみくり)
       【云云。】

    天理圖書館藏『延喜式』卷第九「神名帳」裏書


  7. 水渡社(みとのやしろ)

       【山城國風土記(いふ):】
       久世郡(くせのこほり)水渡社(みとのやしろ)【祇社。】天照高皇產靈尊(あまでらすたか彌牟須比命)海神豐玉姬命(和多都彌のとよたま比賣のみこと)

    前田家本『釋日本紀』卷八「豐玉姬」條


  8. 伊勢田社(いせだのやしろ)

       【山城國(やましろのくに)風土記曰:】
       伊勢田社(いせだのやしろ)【祇社。】大歲御祖命御子(おほとしのみおやのみことのみこ)八柱木(やはしらぎ)

         譯註:八者,聖數,表數多。柱者,計神數之助數詞也。木,形也。故八木者,指御神體數多。

    金澤文庫藏『伊勢諸別宮』「湯田社」條,十六丁裏


  9. 可勢社(かせのやしろ)

       【岡田國神社(をかたのくにつみかみのやしろ),風土記,相樂郡(さがらかのこほり)內。】
       久仁里。可勢社(かせのやしろ)【祇社。】可勢大神(かせのおほかみ)男神(をのかみ)

    天理圖書館藏『延喜式』卷第九「神名帳」裏書


伊勢國風土記逸文


  1. 伊勢國號(いせのくにのな) 【其一】

       【伊勢國風土記(ふどき)云:】
       (それ)伊勢國者,天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)十二世孫(とをあまりふたつぎのみま)天日別命(あめのひわけのみこと)之所(ことむけ)
       (はじめ),天日別命,神倭磐余彥(かむやまといはれひこ)天皇(神武),自彼西宮(にしのみや),征此東州(ひむかしのくに)之時,相隨(したがひ)天皇(すめらみこと)紀伊國(きのくに)熊野村(くまののむら)。于時,隨金烏(くがねなるからす)之導,入中州(なかつくに)而到於菟田下縣(うだのしもつあがた)。天皇敕大部日臣命(おほとものひおみのみこと):「逆黨(あた)膽駒長髓(いこまのながすね),宜(とく)征罰(うつ)。」亦(みことのり)天日別命曰:「國有天津之方(あまつのかた)。宜平其國。」即賜標釼(みしるしのつるぎ)
       天日別命,(うけたまはり)敕,(あづまのかた)數百里(いくももさと),其(むら)有神,名曰伊勢津彥(いせつひこ)天日別命問曰:「汝國(いましのくに)(たてまつらむ)天孫(あめみま)哉?」答曰:「吾(まぎ)此國,居住(すむこと)日久(ひひさし)不敢(あに)(みこと)矣。」天日別命,(おこし)(いくさ)(ころさむ)其神。于時,畏伏啟云(かしこみふしまをさく):「吾國(ことごと)獻於天孫,吾不敢居矣(あにをらむや)。」天日別命令問云:「汝之去時,何以為(しるし)?」啟云:「吾以今夜,起八風(やかぜ)海水(うしほ),乘波浪(なみ)東入(あづまにいらむ)。此則吾之卻由(しりぞけるよし)也。」天日別命,令(ととのへ)窺之(うかかふ)比及(いたり)中夜(よなか)大風(おほかぜ)四起(よもゆおこり)扇舉(うちあぐ)波瀾(なみ)光曜(ひかりかかやく)如日,陸國(くが)海共(あきらけし)。遂(のり)波而東焉。古語(ふること)云:「神風(かむかぜ)伊勢國(いせのくに)常世(とこよ)浪寄國(なみよするくに)。」者,(けだし)此留謂之(いひならむ)也。【伊勢津彥神,逃令來往(ゆけり)信濃國。】
       天日別命,懷柔(ことむけ)此國,復命(かへりことまをしき)天皇。天皇(神武)大歡(いたくよろこび)詔曰:「國(よろしなへ)國神(くにつかみ)之名,(なづく)伊勢。」即為天日別命之封地國(よさしのくに),賜宅地(いへどころ)大倭(やまと)耳梨之村(みみなしのむら)焉。
       【或本云,天日別命,奉詔,自熊野村(ただ)入伊勢國,殺戮(ころし)荒神(あらぶるかみ)罰平(ことむけ)不遵(まつろはぬもの)(さかひ)山川定地邑(くにむら)然後(しかるのち),復命橿原宮(かしはらのみや)焉。】

       譯註:標釼者,象徵天皇之劍也。天皇雖不與天日別命同往,而賜標釼,示以統帥之職委其命也。

    底本、冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,八一番歌條
    參本、前田家本『釋日本紀』卷二十三「神風伊勢海事」條
    神宮文庫本『日本書紀私見聞』「神風伊勢卜云事」道祥本三丁裏
    北畠親房『元元集』卷第六「伊勢國桑名野代宮」條


  2. 伊勢國號(いせのくにのな) 【其二】【石城(いしき)

       【伊勢國風土記云。【伊勢國號 其一】……(また)云:】
       伊勢云者,伊賀穴志社(いかのあなしのやしろ)坐神,出雲神子(いづものかみのみこ)出雲建子命(いづもたけるのみこのみこと),又名伊勢都彥神(いせつひこのかみ),又名天櫛玉命(あめくしたまのみこと)。此神,昔,石造城(いましき)於其地。於是,阿倍志彥神(あへしひこのかみ)來奪(きたりうばへど)不勝(あへず)還卻(もどりき)。因以為名也。【云云。】

    神宮文庫本『日本書紀私見聞』「神風伊勢卜云事」道祥本,四丁表


  3. 的形浦(まとかたのうら)

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,六一番歌條


尾張國風土記逸文


  1. 吾縵鄉(あづらのさと)

       【尾張國(をはりのくに)風土記【中卷。】曰:】
       丹羽郡(にはのこほり)
       吾縵鄉(あづらのさと)
       卷向朱城宮御宇(まきむくのたまきのみや)天皇(垂仁)世,品津別皇子(ほむつわけのみこ)生七歲(みとしななつ)不語(ことどひたまはず)傍問(とひ)群臣(もろもろのおみ)無能(あたはず)言之。乃後,皇后(おほきさき)(いめ),有神告曰:「吾,多具國(たぐのくに)之神,名曰天甕津姬(阿麻乃彌加都比女)。吾未得祝(いははえず)(もし)為吾(あつれば)祝人(はふり)皇子(譽津別)能言,亦是壽考(いのちながからむ)。」
       帝,(うらなひ)(まぐ)神者,日置部(へきべ)(おや)建岡君(たけをかのきみ)卜食(うらにあへり)。即(つかはし)覓神時,建岡君到美濃國(みののくに)花鹿山(はなかのやま)(よぢとり)賢樹枝(さかきのえ),造(かづら)(うけひ)曰:「吾(かづら)落處,(かならず)有此神。」縵去(おちき)此間(ここ)。乃(しりぬ)有神。因(たつ)社,由(やしろのな)名里。後人(よこなまり)吾縵(阿豆良)里也。

         譯註:皇后,此云狹穗姬。壽考,可全天壽。卜食者,卜卦所示。阿麻乃彌加都比女(あまノみかつひめ)者,『出雲國風土記』作天甕津日女,或天御梶日女、阿麻乃彌加津比女等。社名者,蓋稱(かづら)社,後訛吾縵(あづら)

    前田家本『釋日本紀』卷十「譽津別命即壯而不言」條


  2. 熱田社(あつたのやしろ)

       【尾張(をはり)國風土記曰:】
       熱田社(あつたのやしろ)者,昔日本武命(やまとたけるのみこと)巡歷(めぐり)東國(あづまのくに)還時,(まきけり)尾張連(をはりのむらじ)遠祖(とほつかみ)宮酢媛命(みやずひめのみこと)宿(やど)於其家,夜頭(よごろ)(ゆき)(かはや),以隨身劍(はかせるつるぎ),掛於桑木(くはのき)遺之(のこし)殿(との)。乃(おどろき),更往取之,劍有光,如神(かみのごとし)不把得之(えとらへず)。即(かたり)宮酢姬曰:「此劍神氣(くすしきけ)。宜奉齋(いはひまつり)之,為吾形影(みかた)。」因以立社,由(さとのな)為名也。

         譯註:不把得之者,無法取持也。劍,即草薙、天叢雲也。

    前田家本『釋日本紀』卷七「草薙劍」條


駿河國風土記逸文


  1. 富士山之雪(ふじのやまのゆき) 【斷片】

       富士山(ふじノやま)ニハ雪ノ降積(ふりつも)リテ()ルガ,六月(みなづき)十五日(もちのひ)其雪(そノゆき)ノ消エテ,子時(ねノとき)ヨリ(しも)ニハ又降替(ふリカハ)ルト,駿河國(するがのくに)風土記ニ見エタリト()ヘリ。

         譯註:富士山雪之降積者,雖消於六月十五日。然當夜子時後,雪復降替。似見於駿河國風土記云云。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,三二零番歌條


相模國風土記逸文


  1. 見越崎(みこしのさき) 石振(いそふり)

       【相模國(さがみのくに)風土記云】
       鎌倉郡(かまくらのこほり)
       見越崎(みこしのさき)
       (たび)速浪(ときなみ)(くゆ)(いそ)國人(くにひと)名號いそふり(伊曾布利),謂振石(いそをふれる)也。

    契沖『萬葉代匠記』初稿本,卷第十四,三三六五番歌條


常陸國風土記逸文


  1. 新治(にひばり)白壁(しらかべ)筑波(つくば)香嶋(かしま)那賀(なか)多珂(たか)【斷片。】

       【於常陸國(ひたちのくに)風土記。】
       【新治國(ニヒハリのくに)白壁國(シラカへのくに)筑波國(ツクハのくに)香嶋國(カシマのくに)那賀國(ナカのくに)多珂國(タカのくに)。】
       【(ナト)云云。】

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,五零番歌條


  2. 大神驛家(おほかみのうまや)

       【常陸國風土記(ふどき)云:】
       新治郡(にひばりのこほり)
       驛家(うまや),名曰大神(おほかみ)所以(ゆゑ)(しか)者,大蛇(おほかみ)多在。因名驛家。【云云。】

         譯注:大蛇(おほかみ),與大神同音。大物主神三輪亦稱大神,且具蛇形,蓋有關乎。

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第二,二、一零四番歌條


  3. 枳波都久岡(きはつくのをか) 【斷片。】

       枳波都久岡(きはつくのをか)。常陸國。真壁郡(まかべのこほり)在也。見風土記。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第八,十四、三四四四番歌條


  4. 信太郡(しだのこほり) 日高見國(ひだかみのくに)

       【公望(きみもち)私記曰。案常陸國風土記云:】
       信太郡(しだのこほり)【云云。】古老(ふるおきな)曰:「御宇(あめのしたをさめたまひ)難波常柄豐前宮之(なにはのながらのとよさきのみや)天皇(孝德)御世,癸丑(みづのとのうし)年,小山上(せうせんじゃう)物部河內(もののべのかふち)大乙上(だいおつじゃう)物部會津(もののべのあひづ)等,請總領(すべをさ)高向大夫(たかむこのまへつぎみ)等,分筑波(つくば)坎城(うまらき)郡七百戶,(おき)信太郡。」此地,本日高見國(ひだかみのくに)【云云。】

         譯注:癸丑年者,此即白雉四年,皇紀一三一三年也。

    前田家本『釋日本紀』卷十「日高見國」條


  5. 信太郡緣由(しだのこほりのよし)

       【常陸國風土記記(なづくる)信太由緣(よし)云:】
       黑坂命(くろさかのみこと),征討陸奧蝦夷(みちのくのえみし),事了凱旋(かちかへり)。及多歌郡(たかのこほり)角枯之山(つのかれのやま),黑坂命遇病(やまひづき)身故(みまかりぬ)。爰改角枯(つのかれ),號黑前山(くろさきのやま)。黑坂命之輸轜車(きくるま),發自黑前之山,到日高之國(ひだかみのくに)葬具儀(みはふりのよそほひ)赤籏(あかはた)青幡(あをはた)交雜(まじり)飄颺(ひるがへり)雲飛(くもとび)虹張(にじはり)(かかやかし)耀(てらし)路。時人(ときのひと)謂之赤幡垂國(あかはたしだり)
       後世(のちのよ)(こと)便改(あらため)稱之信太國(しだのくに)【云云。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第二,二、一四八番歌條


  6. 覺賀鳥(かくがのとり)【斷片】

       【覺賀鳥(かくがのとり)ト云フは何鳥ソ……風土記ヲ(あん)スルニ常陸國(ひたちのくに)河內郡(かふちノこほり)浮嶋村(うきしまノむら)ニ鳥有リ,賀久覺(カクガ)鳥ト云フ。其ノ吟嘯(さへづり)聲音(こゑ)(いと)シツヘシ。大足日子(おほたらしひこ)天皇(景行)此村行宮(こノむらノかりみや)(とど)マリ給フ事卅日(みそか)其間(そノあひだ)天皇(すめらみこと)此鳥(こノとり)ノ聲ヲ聞召(きこシめ)シテ,伊賀理命(いかりノみこと)(つかは)して(あみ)ヲ張リテ(とら)シメ給フ,悅感給(よろこばシタマ)テ,鳥取(ととり)ト云フ()ヲ給セケリ。其子孫(そノうまご)今ニ,此所(こノところ)ニ住ムト云ヘリ。】

         譯注:覺賀鳥者何鳥也……案風土記則常陸國河內郡浮嶋村有之,名賀久覺鳥也。其音婉轉,令人憐愛。景行天皇曾留此村行宮卅日,期間,聞此鳥鳴,遣伊賀理命張網捕之。事成大悅,賜鳥取姓。據傳,其子孫今日尚居此所矣。

    東博本『塵袋』第三「覺賀鳥」條


  7. 大谷村(おほやのむら) 琴瑟(ひさつ)

       【常陸(ひたち)國風土記云:】
       採大谷村(おほやのむら)大榛(おほきなるとねりこ)本材(もとつき)(つづみ)末材(すゑつき)(ひさつ)(くにびと)ひさつ(比佐頭)。】【云云。】

    東博本『塵袋』第七「瑟」條


  8. 久慈理岳(くじりのをか)【斷片】

       【常陸國ニ久慈理岳(くじりノをか)ト云フ岳有リ。其岳(そノをか)(かたち)鯢鯨(くじり)()タル(ゆゑ)如是(かく)云ヘリト。】【云云。】
       【俗語(くにびとのことば)(いひて)(くぢら)(なす)くじり(久慈理)ト云ヘリ。】

         譯注:常陸國有岳,名久慈理岳也。其岳,形似鯢鯨,故名如是。云云。傳俗語謂鯨為久慈理(くじり)

    東博本『塵袋』第六「兒齒」條


  9. 道後(みちのしり) 桁藻山(たなめのやま)【斷片】

       常陸(ひたち)多珂(たか)桁藻山(たなめのやま)
       【(をも)風土記(ふどき)歌中:】
       【道後(ミチのシリ) 桁藻山(タナメのヤマ)
       【詠之(よめり)。】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第七,十一、二四二三番歌條


  10. 三柱天皇(みはしらのすめらみこと)【斷片】

       【所謂(いはゆる)常陸國風土記中:】
       【或云:】卷向日代宮(まきむくのひしろのみや)大八洲(おほやしま)照臨(あめのしたをさめたまひ)天皇(景行)之世。
       【或云:】石村玉穗宮(いはれのたまほのみや)大八洲所馭(あめのしたをさめたまひ)天皇(繼體)之世。
       【或云:】難波長柄豐前大朝(なにはのながらのとよさきのおほみかど)八洲撫馭(あめのしたをさめたまひ)天皇(孝德<)之世。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,三番歌條


  11. 賀蘓理岡【斷片】

       【刺蜂(サソリ)トハ()サリ蜂ト云フ物(ナリ)。子ヲ(マジナ)(こと)ニ云ヘル(ナリ)。常陸國ニハ賀蘓理(サソリ)ト云フトカヤ。斯國(カノくに)賀蘓理(カソリ)岡ト云フ(をか)カ在リ。昔,此岡(こノをか)()サリ蜂(ヲヲ)カリケリ。(コレ)()刺蜂岡(サソリのヲカ)ト云ヘキヲ賀蘓理岡ト云フニヤ。】

         譯注:サソリ者,刺蜂(ササリ)之謂也。儒子占呪之言矣。常陸國中,有傳カソリ之事。曩者此國有岡喚賀蘓理岡。昔,此岡刺蜂多在。蓋因此故,呼サソリ岡作賀蘓理岡耶。

    東博本『塵袋』第十「酟」條


  12. 尾長鳥(をながとり) 酒鳥(さかとり)【斷片】

       【……但,常陸(ひたち)國記云:】
       別有鳥名尾長(をなが),亦號酒鳥(さかとり)。其(かたち)(いただき)黑尾長,色似青鷺(みとさぎ)。取(すずめ)(ほぼ)雞子(かけ),非(はやぶさ)(すみ)山野(やまの),亦住里村(さとむら)【云云。】

    東博本『塵袋』第三「尾長鳥」條


  13. 伊福部岳(いふきべのをか) 【積麻】【斷片】

       【常陸國記ニ,昔()(いも)同日(おなじきひ)ニ田ヲ作リテ,今日遲植(おそクう)ヘタラン者ハ伊福部神之災(いふきべのかみノわざはひ)(かうむ)ルベシト(いひ)ケル程ニ,妹カ田ヲ遲植(おそクう)ヘタリケリ。其時(そノとき)雷鳴(いかづちな)リテ妹ヲ蹴殺(けころ)シツ。兄大歎(おほいニなげ)キテ,(うら)ミテ,(かたき)()タントスルニ其神(そノかみ)所在(ありか)()ラズ。一ノ雌雉(めのきぎし)飛來(とビきた)リテ肩上(かたノうへ)ニ居タリ。績麻(へそ)ヲ取リテ,雉尾(きぎしノを)()ケタルニ雉飛ヒテ伊福部岳(いふきべのをか)()ガリヌ。又其績麻(そノへそ)(つな)ギテ()クニ,(いかづち)()セル石屋(いはや)ニ到リテ,大刀(たち)()キテ神雷(かみ)()ラントスルニ神雷(かみ)恐怖(おそレをのの)キテ,(たす)カラン(こと)()フ。(なが)ハクハ君ガ命ニ(したが)ヒテ百歲後(ももとせノのち)(いた)(マデ),君ガ子孫(うまご)(すゑ)雷震(かむとけ)(ヲソ)()カラント。()(ゆる)シテ,(ころ)サズ,(きぎし)(みめぐみ)(よろこ)ビテ,生生世世ニ德ヲ(わす)レジ。()違犯(ゐぼん)有ラバ(やまひ)(まつ)ハレテ生涯不幸()ルベシト(ちか)ヘリ。其故(そノゆゑ)其所(そノところ)百姓(おほみたから)今世迄(いまノよマデ),雉ヲ()ハズトカヤ。此事(こノこと)()ケル(ところ)ニ。】
       取績麻(へそ)【俗云ヘソ(倍蘓)。】(つなぐ)其雉尾。【云云。】

         譯注:常陸國記中云。昔有兄妹,同日耕田。傳伊福部神將祟今日遲耕者,是以妹者遲耕。其時雷鳴,蹴殺其妹。兄大歎,懷恨,欲討其仇,而不知其神所在。一雌雉飛來,停其肩上。取績麻掛於雉尾,而雉者飛上伊福部岳。循績麻以行,至雷所伏石屋,而拔大刀,斬神雷。神雷怖懼,求饒:「所願,將從汝命,百年之後,汝族子孫無遭雷震之虞。」許之不殺。感雉之恩,誓之:「生生世世不忘其德。若有違犯,則疫病纏身、生涯不幸。」故此所百姓,至於今世,奉食於雉。書此事於茲。 取績麻,繫其雉尾。 云云。

    東博本『塵袋』第八「卷子」條


陸奧國風土記逸文


  1. 八槻鄉(やつきのさと)

       【陸奧國(みちのくのくに)風土記曰:】
       所以名八槻鄉(やつきのさと)者,卷向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇天皇(景行)時,日本武尊(やまとたけるのみこと)征伐(うたむ)東夷(あづまのえみし)而到此地,以八目鳴鏑(やつめのなりかぶら)射賊斃矣(たふしたまひき)。其矢落下降處(おちくだりしところ)矢著(やつき),即有正倉(みやけ)【神龜三年,改字八槻(やつき)。】
       古老(ふるおきな)傳云。昔,於此地有八土知朱(やつのつちぐも)。一曰黑鷲(くろわし),二曰神衣媛(かむみそひめ),三曰草野灰(くさのはひ),四曰保保吉灰(ほほきはひ),五曰阿邪爾那媛(あざになひめ),六曰栲豬(たくしし),七曰神石萱(かむいしかや),八曰狹磯名(さしな)。各有(うから)(むらがり)八處(やところ)石室(いはむろ)也。此八處皆要害(ぬみ)之地,因不順(したがはず)上命(おほみこと)矣。國造(くにのみやつこ)磐城彥(いはきひこ)敗走之後(やぶれにげしのち)擄掠(かすみうばひ)百姓(おほみたから)而不止也。纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇天皇(景行)(みことのり)日本武尊而征討土蜘蛛(土知朱)矣。土蜘蛛(土知朱)等合力防禦(ふせく)。且(はかり)津輕蝦夷(つがるえみし)許多(ここたく)連張(つらねはり)豬鹿弓(さつゆみ)豬鹿矢(さつや)石城(いはき)而射官兵(おほみいくさ)。官兵不能進步焉(すすまず)。日本武尊,執槻弓(つきゆみ)槻矢(つきや)七發發(ななさにはなち)八發(やさ)發,則七發之矢者如(いかづち)鳴響(なりとよみ)追退(おひさき)蝦夷之(ともから),八發之矢者射貫(いつらぬき)土蜘蛛(土知朱)立斃焉(たちたふしけり)。射其土蜘蛛(土知朱)征箭(そや),悉生芽(めおひ),成槻木(つきのき)矣。其地云八槻鄉(やつきのさと)。即有正倉也。神衣媛與神石萱之子孫(うまご)會赦(ゆるさえ)者在鄉中(さとのなか)。今云綾戶(あやべ)是也。

         譯注:卷向日代宮、纏向日代宮,景行天皇宮也。土知朱,即土蜘蛛。

    宮內廳書陵部藏,伴信友自筆本『古本風土記逸文』陸奧國「八槻鄉」條


  2. 飯豐山(いひとよのやま)

       【(おなじ)風土記曰:】
       白川郡(しらかはのこほり)
       飯豐山(いひとよのやま)
       此山者,豐岡姬命(とよをかひめのみこと)忌庭(ゆには)也。又,飯豐青尊(いひとよあをのみこと)使物部臣(もののべのおみ)御幣(みぬさ)也。故為山名。
       古老曰:「昔,卷向珠城宮(まきむくのたまきのみや)御宇天皇(垂仁)二十七年(はたとせあまりななとせ)戊午(つちのうまのとし)秋,飢饉(うゑ)人民(あをひとぐさ)多亡矣。故云うゑゑ山(宇惠惠のやま)。後改名云豐田(とよつだ),又云飯豐。」

         譯注:飯豐青尊者,顯宗天皇姐,時臨朝秉政矣。うゑゑ者,飢饉(うゑ)之謂也,所以改豐田、飯豐者,取反意之祥字也。

    宮內廳書陵部藏,伴信友自筆本『古本風土記逸文』陸奧國「飯豐山」條


越國風土記逸文


  1. 八坂丹(やさかに)【斷片】

       【越後國(こしのみちのしりのくに)風土記曰:】
       八坂丹(やさかに)玉名(たまのな)。謂玉色(あをき),故云青八坂丹玉(あをやさかにのたま)也。

    前田家本『釋日本紀』卷六「八坂瓊之五百箇御統」條


  2. 八掬脛(やつかはぎ)【斷片】

       【越後國風土記(ふどき)曰:】
       御間城(美麻紀)天皇(崇神)御世,越國有人。名八掬脛(やつかはぎ)【其(はぎ)八掬(やつか)(まさり)太強(いとつよし)。是土雲(つちぐも)後也。】屬類(うから)多。

         譯注:美麻紀,或書美麻貴、御間城,崇神帝。土雲,土蜘蛛也。

    前田家本『釋日本紀』卷十「以七掬脛為膳夫」條


丹後國風土記逸文


  1. 天椅立(あまのはしたて) 久志濱(くしはま)

    前田家本『釋日本紀』卷五「天浮橋」條


  2. 筒川嶼子(つつかはのしまこ) 水江浦島子(みづのえのうらのしまこ)

    前田家本『釋日本紀』卷十二「浦嶋子」條


  3. 比治真奈井(ひぢのまなゐ) 奈具社(なぐのやしろ)

    底本、神宮文庫藏『古事記裏書』
    參本、道果本『古事記』附籤
    北畠親房『元元集』卷第七「奈具神社」條


伯耆國風土記逸文


  1. 粟嶋(あはしま)

       【伯耆國(ははきのくに)風土記曰:】
       相見郡(あふみのこほり)
       郡家(こほりのみやけ)西北,有餘戶里(あまりべのさと)。有粟嶋(あはしま)
       少日子命(すくなひこのみこと)蒔粟,莠實離離(ほのみさはにおひき)。即(のり)(はじかえ),渡常世國(とこよのくに)。故云粟嶋也。

         譯注:少日子命,少彥名命也。

    前田家本『釋日本紀』卷七「少彥名命適於常世鄉矣」條


  2. 震動之時(なゐのとき)【斷片】

       【雷鳴(かむとけ)地震(なゐ)之時,有雉鳴(きぎしなく)之事。其心如何……伯耆國風土記云:】
       震動(なゐ)之時,(かけ)、雉悚懼(おそり)則鳴。山雞(やまどり)(こえ)嶺谷(をたに),即(たて)蹬踊(ふみをどる)也。云云(といへり)。】

    東博本『塵袋』第三「雷鳴地震」條


播磨國風土記逸文


  1. 爾保都比賣命(にほつひめのみこと)

       【播磨國(はりまのくに)風土記曰:】
       息長帶日女命(神功皇后),欲平新羅國(しらきのくに)下坐之時(くだりまししとき)(いのり)眾神(もろもろのかみ)。爾時,國堅大神(くにかためまししおほかみ)之子丹生姬命(爾保都比賣のみこと),著國造(くにのみやつこ)石坂姬命(いはさか比賣のみこと)(をしへ)曰:「(よく)治奉(をさめまつらば)我前(わがみまへ)者,我爾出善驗(よきしるし)柊木(比比良き)八尋桙根底(やしろほこねのそこ)不附國(つかぬくに)處女(越賣)眉引(まよびき)國、玉匣(たまくしげ)輝坐(賀賀益)國、苫枕有寶國(こもまくらたからあるくに)白衾(しらぶすま)新羅國矣,以丹浪(にのなみ)而將平伏(ことむけ)賜。」如此教賜,於此,出賜赤土(まはに)其土(そのに)(ぬり)天之逆桙(あまのさかほこ),建神舟(みふね)艫舳(ともとへ)。又染御舟裳(みふねのも)御軍(みいくさ)著衣(よろひ)。又攪濁(かきにごし)海水(うしほ),渡賜之時,底潛魚(そこくくるいを)高飛鳥(たかくとぶとり)等,不往來(ゆききせず)不遮前(みさきをさふるものなし)如是(かく)而平伏新羅,已訖(をはり)還上(かへりたまひ)。乃鎮奉(しづめまつりき)其神於紀伊國(きのくに)管川(つつかは)藤代之峰(ふぢしろのみね)

         譯注:國堅大神,伊弉諾尊、伊弉冉尊也。爾保都比賣命(にほつひめのみこと)丹生都比賣命(にほつひめのみこと)比比良木八尋桙根底不附國(ひひらきのやしろほこねのそこつかぬくに)越賣眉引國(をとめのまよびきのくに)玉匣賀賀益國(たまくしげかがますくに)、苫枕有寶國、白衾新羅國,皆稱讚(たたへ)新羅國之詞句。

    前田家本『釋日本紀』卷十一「便到新羅時隨船胡浪遠逮國中」條


  2. 明石驛家(あかしのうまや) 駒手御井(こまでのみゐ) 速鳥(はやとり)

    前田家本『釋日本紀』卷八「熊野諸手船」條


美作國風土記逸文


  1. 美作國守(みまさかのくにのかみ) 上毛野堅身(かみつけののかたみ)【斷片】

       【舊記云。和銅六年甲丑四月,依備前守(びぜんのかみ)百濟南典(くだらのなむてん)(すけ)堅身(かたみ)()(さき)備前六郡,始置美作國(みまさかのくに)云云。(ただし),風土記。】
       以上毛野堅身(かみつけののかたみ),便為國守(くにのかみ)

    大東急文庫本『伊呂波字類抄』卷九「み」條


  2. 勝間田池(かつまたのいけ)【斷片】

       【美作國風土記(ふどき)曰:】
       【日本武尊(やまとたけるのみこと)(くし)ヲ池ニ落シ入れ(タマ)フ,因號勝間田池(かつまたノいけ)ト。】【云云。】()ハ,玉勝間(タマカツマ)トハ,櫛ノ古語(ふること)(みえ)タリ。】

       譯注:昔日本武尊落櫛於池。因號勝間田池。云云。是者,古語櫛作玉勝間(カツマ)矣。

    藤浪本『詞林采葉抄』卷七「玉勝間」條


備中國風土記逸文


  1. 邇磨鄉(にまのさと)

       【(やつがり),去寬平五年,(まけらる)備中介。彼國下道郡(しもつみちのこほり),有邇磨鄉(にまのさと)。爰見彼國(かのくに)風土記:】
       皇極天皇(くわうぎょくのすめらみこと)六年,大唐(もろこし)將軍(いくさのきみ)蘇定方(そていはう),率新羅軍(しらきのいくさ)百濟(くだら)。百濟(つかはし)使(こひき)(すくひ)。天皇行幸(いでまし)筑紫(つくし),將出救兵(すくひのつはもの)。時,天智(てんち)天皇為皇太子(ひつぎのみこ)攝政(まつりごとをふさねをさめ)從行(したがひいでまし)路宿(やどり)下道郡,見一鄉戶邑(あるむらさと)甚盛(いたさかり)天皇(皇極)下詔,(こころみ)(はたり)此鄉軍士(いくさひと)。即得勝兵(ときいくさ)二萬人。天皇大悅(いたくよろこび),名此邑曰二萬鄉(にまんのさと)。後改曰爾磨(にま)。其後,天皇(かむあがり)筑紫行宮(つくしのかりみや)(つひに)不遣此軍。

    身延本『本朝文粹』卷第二「善相公,意見十二箇條」前文條


備後國風土記逸文


  1. 疫隅國社(えのくまのくにのやしろ) 蘇民將來(そみんしゃうらい)

       【備後國(きびのみちのしりのくに)風土記曰:】
       疫隅國社(えのくまのくにのやしろ)
       昔,北海(きたのうみ)()武塔神(むたのかみ),南海神之女子(をとめ)()結婚(與波比)()()日暮(ひくれぬ)彼所(そのところ)蘇民將來(そみんしゃうらい)二人在()。兄蘇民將來,甚貧窮(まづし)。弟將來(しゃうらい)富饒(とみにぎはひ)屋倉(いへくら)一百在()。爰塔神(たのかみ),借宿處(やどり)(をしみ)而不借。兄蘇民將來,借奉(かしまつりき)。即以粟柄(あはがら)(ゐしき),以粟飯(あはいひ)饗奉(あへまつりき)
       爰(をはり)出坐後(いでまししのち)()(へて)年率八柱子(やはしらのみこ)還來()():「我將來之為報答(むくいむ)。汝子孫(うみのこ)其家()在哉?」()問給。蘇民將來答申(こたへてまをさ)():「己女子(むすめ)斯婦(わがつま)(はべる)。」()申。即詔():「以茅輪(ちのわ),令著於腰上(こしのへ)。」隨詔令著(つけしむる)
       即夜(),蘇民之女子(むすめ)一人(ひとり)()(),皆悉殺滅(許呂志保呂保志)てき(天伎)。即詔():「吾者,速須佐雄能神(素戔嗚尊)也。後世()疫氣(えやみ)在者,汝蘇民將來之子孫()(),以茅輪著腰在人者,將免(まぬかれなむ)。」()()

       譯注:結婚(よばひ),古語云夜這(よばひ)。弟將來,或本作巨旦將來。

    前田家本『釋日本紀』卷七「素戔嗚尊乞宿於眾神」條


淡路國風土記逸文


  1. 鹿子湊(かこのみなと)【斷片】

       【淡路國(あはぢのくに)風土記云:】
       【應神(おうじん)天皇(すめらみこと)廿年秋八月,天皇(應神)淡路嶋(あはぢのしま)遊獵(みかり)時,海上(わたなか)大鹿(おほしか)浮來(うかびきたれり)(すなはち)人也。天皇召左右(さう)詔問(みことのりしてとはしめたまふ)。答曰:「我,是日向國(ひむかのくに)諸縣君牛(もろあがたのきみうし)也。角鹿皮(つのあるかこのかはごろも)著。而年老雖不與仕(つかへじ)(なほ)以莫忘天恩(きみのうつくしみ)。仍我女長髮姬(かみながひめ)貢也(たてまつらむ)。」仍令榜(こがしめ)御舟(みふね)矣。因之,此湊曰鹿子湊(かこのみなと)【云云。】

    藤浪本『詞林采葉抄』第七「水手」條


阿波國風土記逸文


  1. 中湖(なかのみなと)【斷片】

       中湖(なかのみなと)()フハ牟夜戶(むやのと)奧湖(おきのみなと)中ニ在ルガ(ゆゑ)中湖ヲ為名。ト見阿波國(あはのくに)風土記。

       譯注:中湖者,因在牟夜戶與奧湖之中,故名中湖。見於阿波國風土記。

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第二,二、二二零番歌條

       (みなと)ノ字,訓ウシホ()不審也。ミナト(水戶)使(ツカ)ヘル事ハ阿波國風土記(ふどき)ニ,中湖、奧湖(ナド)ニモ(コレ)(モチ)ヰタリ。

       譯注:湖字,訓ウシホ()者,不審也。稱ミナト(水戶)之例,見於阿波國風土記中湖、奧湖等處也。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,三五二番歌條


  2. 勝間井冷水(かつまゐのしみづ)【斷片】

       【阿波國(あはのくに)風土記ニ云:】
       勝間井冷水(かつまゐのしみづ)。勝間井云由(いふよし)者,倭健天皇命(日本武尊),乃大御櫛笥(おほみくしげ)忘,依而勝間(かつま)云。粟人(あはのひと)者,櫛笥者勝間云也。【已上。】

       譯注:倭健天皇者,日本武尊也,常陸國風土記亦以天皇號之。(あは)人,阿波人也。

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第七,十二、二九一六番歌條


  3. 奈汰浦(なだのうら)奈佐浦(なさのうら)【斷片】

       【阿波國風土記(ふどき)云:】
       奈汰浦(なだのうら)【奈汰浦云由者,其浦波之音(うらなみのおと),無止時(やむとき)。依而なだ(奈汰)云。海部(あま)者,波を奈と(矣な等)云。】

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,二五四番歌條


  4. 三柱天皇(みはしらのすめらみこと)【斷片】

       【阿波國(あはのくに)風土記亦云:】
       【(あるひ)云:】大倭志紀彌豆垣宮(大和磯城瑞籬宮)大八嶋國(おほやしまくに)所知天皇(崇神)朝庭(みかど)
       【或云:】難波高宮(難波高津宮)大八嶋國所知(しらしめしし)天皇(仁德)
       【或云:】檜前伊富利野乃宮(檜隈廬入野宮)大八嶋國所知天皇(宣化)

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,三番歌條


  5. 天本山(あまのもとやま)【斷片】

       阿波國風土記(あはのくにノふどき)(ごと)クハ,(そら)ヨリ降下(ふリくだり)タル山ノ大キナルハ,阿波國(あはのくに)降下(ふリくだり)タルヲ,天本山(あまノもとやま)ト云フ。其山(そノやま)(くだ)ケテ,大和國(やまとノくに)降付(くだリつ)キタルヲ,天香具山(あまノかぐやま)ト云フトナム(まを)ス。

       譯注:如阿波國風土記者,有大山自空天降,下於阿波國,云天本山。此山碎而降著大和國,是為天香具山矣。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,二五七番歌條


伊豫國風土記逸文


  1. 御嶋(みしま)大山積神(おほやまつみのかみ)

       【伊豫國(いよのくに)風土記曰:】
       乎知郡(をちのこほり)
       御嶋(みしま)
       坐神(ますかみ)御名(みな)大山積神(おほやまつみのかみ),一名渡し大神(和多志のおほみかみ)也。是神者,所顯(あれたまへり)難波高津宮御宇(なにはのたかつのみや)天皇(仁德)世。此神自百濟國(くだらのくに)度來坐(わたりきまし)而,津國(つのくに)御嶋(みしま)坐。【云云。】謂御嶋者,津國御嶋()也。

       譯注:わたし(和多志),即(わた)し,渡來也。津國,攝津國(つのくに)也。

    前田家本『釋日本紀』卷六「大山祇神」條


  2. 熊野岑(くまののみね)

       【伊豫國風土記(ふどき)曰:】
       野間郡(のまのこほり)
       熊野岑(くまののみね)
       所名(なづくる)熊野(よし)者,昔時(むかし)熊野(くまの)()云船,(まうけり)此。至今石成在(いはとなりてあるなり)。因謂熊野,(ことのもと)也。

    前田家本『釋日本紀』卷八「熊野諸手船」條


  3. 湯郡(ゆのこほり) 伊社邇波岡(いさにはのをか)

       【伊豫(いよ)國風土記曰:】
       湯郡(ゆのこほり)
       大穴持命(おほあなもちのみこと),見悔恥(くいはぢ)少彥名命(宿奈毗古那のみこと)欲活(いけむ)而,大分(おほきだ)速見湯(はやみのゆ),自下樋(したび)持度來(もちわたりき),以少彥名(宿奈毗古那)命而,漬浴(ゆあむ)者,暫間(しましのほど)活起居(よみがへりをり)。然(ながめ)曰:「真暫(ましまにも)寢哉(いねつるかも)。」踐健跡處(ふみたけびしあと),今在湯中石上(ゆのなかなるいはのへ)也。凡湯之貴奇(たふとくくすしきこと),不神世時(かみよのとき)(のみ),於今世(いまのよ)(しづみし)疹痾(やまひ)萬生(あをひとくさ),為除病存身(みをたもたむ)要藥(くすり)也。
       天皇(すめらみこと)等,於湯幸行降坐(いでましくだりまししこと)五度(いつたび)也。以大帶日子(おほたらしひこ)天皇(景行)大后(おほきさき)八坂入姬命(やさかいりびめのみこと)二軀(ふたはしら),為一度也。以帶中日子(たらしなかつひこ)天皇(仲哀)與大后息長帶姬命(神功)二軀,為一度也。以上宮聖德皇子(かみつみやのしゃうとこのみこ),為一度,及(みとも)高麗惠慈僧(こまのゑじほふし)葛城臣(かづらきのおみ)等也。于時,立湯岡側(ゆのをかのほとり)碑文(いしぶみ)。其立碑文處,謂伊社邇波之岡(いさにはのをか)也。所名伊社邇波(よし)者,當土(このくに)諸人(もろひとども)等,其碑文欲見而,誘び(伊社那比)(きたれり)。因謂伊社邇波,(このもと)也。
       碑文(しるし)云:

         法興(ほふこう)六年(むとせ)十月(かむなづき)(ほし)丙辰(ひのえたつ),我法王大王(聖德太子)與惠慈法師及葛城臣,逍遙(せうえう)夷與村(いよのむら)(まさに)神井(くすしきゐ)(あはれ)妙驗(たへなるしるし),欲敘意(こころをのべまく)(いささか)作碑文一首。

         惟夫(おもふにそれ)日月(ひつき)照於上而不私(わたくしせず)神井(くすしきゐ)出於下無不給(たまはず)萬機(まつりこと)所以妙應(うるはしくかなひ)百姓(おもみたから)所以潛扇(ふかくあふけり)(ごとく)(すなはち)(てれる)(たまへる)(かたぶき)(わたくし),何異于壽國(じゅこく)。隨華台(はなのうてな)開合(ひらきてはとぢ)(ゆあみし)神井而瘳疹(やまひをいやす)(なにそ)(そむき)落花池(ちるはなのいけ)化羽(あめへゆかむ)(うかかひ)山岳(やま)巖崿(いはきし)(さらに)(ながふ)平子(へし)能往(よくゆきしこと)樁樹(つばき)相廕(あひかげり)穹窿(おほぞら),實想五百之張蓋(いほのはれるきぬがさ)。臨(あした)啼鳥而戲哢(たはむれさへづり),何曉亂音(あかときのさひづるこゑ)(かましき)耳。丹花(あかきはな)卷葉(まけるは)映照(かかやきてり)玉菓(たまのこのみ)彌葩(かさなるはなひら)(たれたり)井。經過(よきれば)其下,可以優遊(ゆたかなるあそび)(もし)悟洪灌、霄庭(こころ)歟。
         才(をぢなく),實(はづ)七步。後之君子,(ながはく)蚩咲(わらひ)也。

       以岡本(をかもと)天皇(舒明)并皇后二軀,為一度。于時,于大殿戶(おほとのど),有(むく)臣木(おみのき)。於其木,集止(すだきとまれり)(いかるが)しめ(此米)鳥。天皇為此鳥,枝(かけ)稻穗(いなほ)等,養賜也(やしなひたまふ)。以後岡本(舒明)天皇,近江大津宮(あふみのおほつのみや)御宇(あめのしたをさめたまひ)天皇(天智)淨御原宮(きよみはらのみや)御宇天皇(天武)三軀,為一度。此謂幸行(いでまし)五度也。

       譯注:大穴持命悔恥,欲活少彥名命,而自下樋持渡大分速見湯,漬浴少彥名命,暫間有活起居。【云云。】凡湯之貴奇,不僅神世時耳,於今世染疹痾萬生,亦除病存身之要藥也。【云云】當土諸人等,欲見其碑文而誘來(伊社那比),因謂伊社邇波,此本緣也。【云云。】平子者,即詩人張平子,後漢張衡也。

    前田家本『釋日本紀』卷十四「幸于伊豫溫湯宮」條
    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,三二二番歌條
    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第三,十二、三二二番歌條


  4. 二木(ふたつのき)【斷片】

       【詞,「是時宮前在二樹木(ふたつのき)。」云云。伊豫國風土紀云:】
       二木(ふたつのき)者,一者椹木(むくのき),一者臣木(おみのき)云。【臣木,可尋之(たづねぬべし)。】

       譯注:尋者,尋味,不解其意矣。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,六番歌條


  5. 後岡本天皇御歌(のちのをかもとのすめらみことのみうた) 【熟田津(みぎたづ)云云】【斷片】

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第三,三二三番歌條


  6. 息長足日女命(おきながたらしひめのみこと)御歌(みうた) 【橘之(たちばなの)云云】【斷片】

    仁和寺本『萬葉集註釋』卷第五,七、一三一五番歌條


  7. 天山(あまやま)

       【伊豫國風土記(ふどき)曰:】
       伊豫郡(いよのこほり)
       自郡家(こほりのみやけ)東北(うしとら),在天山(あまやま)所名(なづくる)天山(よし)者,(やまと)天加具山(天香具山)。自天天降時(あまくだりしとき),二(わかれ)而以片端(かたはし)者,天降於倭國(やまとのくに)。以片端者,天降於此土(このくに)。因(いふ)天山,本也(ことのもとなり)。其御影(みかけ)敬禮(ゐやまひ),奉久米(くめ)等。

    前田家本『釋日本紀』卷七「天香山(あまのかぐやま)」條


土左國風土記逸文


  1. 土左高賀茂大社(とさのたかかものおほやしろ)

       【土左國(とさのくに)風土記曰:】
       土左郡(とさのこほり)
       郡家(こほりのみやけ)西去四里(よさと),有土左高賀茂大社(とさのたかかものおほやしろ)。其神(みな)一言主尊(ひとことぬしのみこと)。其(みおや)未詳(つまひらかにあらず)一說(あるつたへ)曰,大穴六道尊(おほあなむちのみこと)味鉏高彥根尊(あぢすきたかひこねのみこと)

    前田家本『釋日本紀』卷十二「一事主神」條
    卷十五「土左大神以神刀一口進于天皇」條


  2. 土左大神之子(とさのおほかみのみこ) 【御子神(みこがみ)

       【風土記(ふどき)曰:】
       土左郡家之(うち),有(やしろ),神名為天河命(あまのかはのみこと)。其南道(みなみなるみち)(おりれば)有社,神名淨川媛命(きよかはひめのみこと),天河神之(みむすめ)也。其天河神者,為土左大神(とさのおほかみ)(みこ)也。【云云。】

    吉田家藏某書斷簡「雅事問答」,「土左國一宮」條中「御船遊事」條


  3. 鴨部鄉(かもべのさと)【斷片】

       【又曰(またにいふ):】
       土左郡(とさのこほり)
       有鴨部鄉(かもべのさと)。有土左。【以下斷簡。】

    吉田家藏某書斷簡「雅事問答」,「土左國一宮」條。續前項「土左大神之子」條


  4. 朝倉鄉(あさくらのさと)

       【土左國風土記(ふどき)曰:】
       土左郡(とさのこほり)
       有朝倉鄉(あさくらのさと)。鄉(なか)(やしろ)。神名天津羽羽神(あまつははのかみ)天石帆別神(あめのいはほわけのかみ),今天石門別神(あめのいはとわけのかみ)子也。

       譯注:天石帆別神者,原名天石門別神,天津羽羽神之父也。

    前田家本『釋日本紀』卷十四「朝倉社」條


  5. 玉嶋(たましま)

       【土左國(とさのくに)風土記曰:】
       吾川郡(あかはのこほり)
       玉嶋(たましま)
       或說(あるつたへ)曰,神功皇后(じんぐうわうごう)巡國(くにめぐり)之時,御船泊之(はて),皇后(おり)嶋,休息(みやすみ)磯際(いそぎは),得一白石(しろきいし)(まろなる)雞卵(とりのこ)。皇后(おき)御掌(みて)光明四出(ひかりよもにいづ)。皇后大喜(いたくよろこび),詔左右(さう)曰:「是海神(わたつみ)所賜白真珠(ましろのまたま)也!」故為嶋名。【云云。】

    前田家本『釋日本紀』卷十「神功皇后得如意珠於海中」條


  6. 神河(みわがは) 【三輪川(みわがは)

       【土左國風土記(ふどき)曰:】
       神河(みわがは)(よむ)三輪河(みわがは)。源出北山之中,(いたる)伊豫國(いよのくに)水清(みづきよし)。故為大神(おほみわ)(かもす)酒也,(もちゐる)此河水。故為河名。

    冷泉家本『萬葉集註釋』卷第一,一七番歌條