火燎肥前國風土記 總記/基肆/養父/三根/神埼/佐嘉/小城


火燎肥前國風土記 總記


肥前國 大日本一統輿地分國圖


土佐長隆 土蜘蛛草紙繪卷


葦北火流浦 日奈久溫泉
日奈久即火流。或云名護之訛。


八代郡火邑 八代郡冰川町

一、總記

 肥前國(ひのみちのくちのくに)
 (こほり)壹拾壹(ところ)(さと)七十,(こざと)一百八十七。】(うまや)壹拾捌所,小路(せうろ)。】(とぶひ)貳拾所,下國(げこく)。】()壹所,(てら)貳所。僧寺(ほふしのてら)。】

 肥前國者,(もと)肥後國(ひのみちのしりのくに)合為一國(ひとつのくに)昔者(むかし)磯城瑞籬宮(しきのみづがきのみや)御宇(あめのしたしろしめし)御間城(みかみ)天皇(崇神)(みよ),肥後國益城郡(ましきのこほり)朝來名峰(あさくなのみね),有土蜘蛛(つちぐも)打猴(うちさる)頸 猴(くびさる)二人,(ひきゐて)徒眾(からひと)一百八十餘(ももやそあまり)人,拒捍(こはみ)皇命(おほみこと)不肯降服(あへてまつろはず)
 朝庭(みかど)(みことのり)肥君(ひのきみ)等祖健緒組(たけをくに)伐之。於茲,健緒組(うけたまはり)敕,悉誅滅之(つみなひほろぼしき)。兼巡國裏(くぬち)觀察()消息(あるかたち),到於八代郡(やつしろのこほり)白髮山(しらかみやま)日晚(ひくれ)止宿(やどる)。其夜,虛空(おほぞら)有火,自然(おのづから)(もえ)稍稍(やくやく)降下(くだり)(ちかづき)此山燎之時,健緒組見而(おどろき)(あやしむ)參上(まゐりのぼり)朝庭,奏言(まをし):「(やつこ)(かたじけなくも)(かがふり)聖命(おほみこと),遠(つみなふ)西戎(にしのひな)不霑(ぬらさず)刀刃(たち)梟鏡(たけるども)自滅(おのづからきえぬ)自非(あらざるより)威靈(みいつ),何得然之(しかあること)!」(また)燎火之狀(ひのさま)奏聞(まをしきこゆ)天皇(すめらみこと)敕曰:「所奏之事(まをせること),未曾所聞(きけること)火下之國(ひのくだりしくに),可謂火國(ひのくに)。」
 (すなはち)(あげ)健緒組之(いさを),賜姓名(かばねな)火君健緒紕(ひのきみのたけをくみ)便(すなはち)(をさめ)此國。因曰火國。後(わけ)兩國,而為前後(まへとしりへ)

 又,纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇大足彥(おおほたらしひこ)天皇(景行),誅球磨贈唹)巡狩(めぐりおはしまし)筑紫國(つくしのくに)之時,從葦北(あしきた)火流浦(ひながれのうら)發船(ふなたち)(いでましき)於火國。度海之間,日沒(ひくれ)夜冥(よるくらく),不知所著(つくところ)(たちまち)火光(ひのひかり)(はるけく)行前(みゆきのまへ)
 天皇(景行),敕棹人(かぢとり)曰:「(ただ)火處(ひのところ)。」(こたへ)敕而往,果得著(きし)天皇(すめらみこと)下詔(のり)曰:「火燎之處(ひのもゆるところ),此(なづくる)(くに)所燎之火(もゆるひ),亦為(なに)火?」土人(くにひと)奏言:「此是(こはこれ)火國(ひのくに)八代郡火邑(ひのむら)也。但不知火主(ひのぬし)。」于時,天皇(景行)群臣(まちぎみたち)曰:「今此燎火,非是人火(ひとのひ)所以(ゆゑ)號火國,知其爾由(しかるよし)。」

火燎肥前國風土記 基肆郡

一、基肆略記

 基肆郡(きのこほり)
 鄉陸所,【里一十七。】驛壹所,【小路。】城壹所。據『和名抄』,其鄉五,姬社、山田(やまだ)、基肆、川上(かはかみ)長谷(はせ)。】

 昔者,纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇天皇(景行)巡狩(めぐりいでまし)之時,(いでまし)筑紫國(つくしのくに)御井郡(みゐのこほり)高羅之行宮(かうらのかりみや)遊覽(あそびたまふ)國內(くぬち),霧(おほへり)基肆之山(きのやま)天皇(すめらみこと)敕曰:「彼國,可謂霧之國(きりのくに)。」後人(のちのひと)(あらため)號基肆國。今(まち)為郡名。

 長岡神社(ながをかのかみのやしろ)【在郡(ひむがし)。】(おなじ)天皇(景行),自高羅行宮還幸(かへりいでまし)而,在酒殿泉之邊(さかどののいづみのへ)。於茲,(すすむる)(みにへ)之時,御具(みそなへ)甲鎧(よろひ)光明(かかやき)異常(つねにことなりき)(よりて)占問(うらとはせ)卜部殖坂(うらべのゑさか)奏云:「此(くに)有神,甚(ほりす)御鎧。」天皇(のりたまひ):「(まこと)有然者(しかあらば)奉納(いれたてまつらむ)神社。可為永世之財(ながきよのたから)。」因號永世社(ながよのやしろ)。後人改曰長岡社(ながをかのやしろ)。其鎧貫緒(ぬきを),悉爛絕(くさりたえたり)。但(よろひ)甲板(かぶとのいた),今猶在也(なほしあり)
 酒殿泉(さかどののいづみ)(あり)郡東。】此泉之季秋九月(ながつき)(ややく)白色(しろきいろ)味酸(かぢすく)氣臭(かくさく),不能喫飲(やらふ)孟春正月(むつき)(かへり)清冷(いさぎよく),人(はじめ)飲喫。因曰酒井泉(さかゐのいづみ)。後人改曰酒殿泉。

 姬社鄉(ひめこそのさと)。此鄉之(うち)有川,名曰山道川(やまぢがは)。其(みなもと)出郡北山,南流而會御井大川(みゐのおほがは)。昔者,此川之西,有荒神(あらぶるかみ)行路之人(みちゆくひと)多被殺害(さはにころされ)半凌(なかばはしのぎ)(しにき)〇『呂氏春秋』注云::「凌,越也。」】于時,卜求(うらへまぐ)崇由(たたるゆゑ)兆云(うらへていはく):「令筑前國(つくしのみちのくちのくに)宗像郡(むなかたのこほり)珂是古(かぜこ)(まつらしめよ)吾社(あがやしろ)。若合願者(ねがひにかなはば)()不起(おこさじ)荒心(あらぶるこころ)。」
 (まぎ)珂是古,【○覔,覓也。】令祭神社。珂是古即捧(はた)祈禱(のみ)云:「誠有欲吾(まつり)者,此幡(まにまに)飛往(とびゆき)(おち)願吾之神()。」便即舉幡,順風放遣(はなちやりき)。于時,其幡飛往,墮於御原郡(みはらのこほり)姬社之社(ひめこそのもり),更還飛來(とびき),落此山道川邊之田村(たむら)。珂是古(おのづから)知神之在處(いますところ)
 其夜,夢見臥機(くつびき)【謂くつびき(久都毘枳)。】絡垛(たたり)【謂たたり(多多利)。】儛遊出來(まひあそびいでき)壓驚(おしおどろかす)珂是古。於是,知織女神(おりひめのかみ)。即(たて)社祭之。自爾已來(それよりこのかた),行路之人,不被殺害。因曰姬社。今以(なす)鄉名。


高羅行宮 筑後國一宮高良大社


基肆山 基山
万葉集作紀能山、記夷城。有天智帝四年所築日本最古山城。


長岡神社 永世神社
酒殿泉,鳥栖市飯田町重田池。


姬社 姬古曾神社
珂是古,按『先代舊事本紀』作物部阿遲古連公。


絡垛 繰絲台


火燎肥前國風土記 養父郡


朝日山 有烽台跡


御井川 筑後川


生葉山 耳納山地


高羅山 高良山

一、養父略記

 養父郡(やぶのこほり)
 (さと)肆所,(こざと)一十二。】(とぶひ)壹所。

 昔者(むかし)纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇(あめのしたしろしめし)天皇(景行)巡狩之時(めぐりみそなはししとき),此郡佰姓(おほみたから)舉部(ともこぞり)參集(まゐりつどひ)御狗(みいぬ)出而吠之(ほえき)。於此,有一產婦(うぶめ)臨見(のぞみみ)御狗,即吠(やみき)。因曰犬聲止國(いぬのこゑやむのくに)。今(よこなまれり)謂養父郡也。止,此云やむ。養父,此云やふ。

 鳥樔鄉(とすのさと)【在郡東。】昔者,輕島明宮(かるしまのあきらのみや)御宇譽田(ほむた)天皇(應神)之世,造鳥屋(とや)於此鄉,取聚(とりあつめ)雜鳥(くさぐさのとり)養馴(かひなつけ)貢上(たてまつりき)朝庭(みかど)。因曰鳥屋鄉(とやのさと)後人(のちのひと)改曰鳥樔鄉。

 曰理鄉(わたりのさと)【在郡南。】昔者,筑後國(つくしのみちのしりのくに)御井川(みゐがは)渡瀨(わたりぜ)甚廣(いとひろく)人畜(ひともけものも)(かたかりき)渡。於茲,纏向日代宮御宇(景行)天皇,巡狩之時,就生葉山(いくはやま)船山(ふなやま),就高羅山(かうらやま)梶山(かぢやま)造備(つくりそなへ)船,漕渡(こぎわたしき)人物(ひとけもの)。因(いふ)曰理鄉。

 狹山鄉(さやまのさと)【在郡南。】(景行)天皇,行幸(いでまし)之時,在此山行宮(かりみや)俳徊(たちもとほり)四望(よもをみそなはし)四方分明(よもさやけかりき)。因曰分明村(さやけのむら)【分明,謂さけやし(佐夜氣悉)。】今訛(いふ)狹山鄉。狹山,此云さやま。】


火燎肥前國風土記 三根郡

一、三根略記

 三根郡(みねのこほり)
 (さと)陸所,(こざと)一十七。】(うまや)壹所。小路(せうろ)○據『和名抄』,其鄉五。千栗(ちくり)、物部、米多、財部(たからべ)葛木(かつらぎ)。此多漢部鄉以為六。昔者(むかし),此郡與神埼郡(かむざきのこほり)(あはせ)為一郡。然海部直鳥(あまのなほとり),請(わかち)三根郡,即(より)神埼郡三根村(みねのむら)之名,(もち)為郡名。

 物部鄉(もののべのさと)【在郡(みなみ)。】此鄉之(うち),有神社(かみのやしろ)。名曰物部經津主之神(もののべふつぬしのかみ)
 曩者(むかし)小墾田宮(をはりだのみや)御宇(あめのしたしろしめし)豐御食炊屋姬(とよみけかしきやひめ)天皇(推古),令來目皇子(くめのみこ)將軍(いくさのきみ),遣征伐(うたしめ)新羅(しらき)。于時,皇子(來目)(うけたまはり)敕,到於筑紫(つくし),乃遣物部若宮部(もののべのわかみやべ)(たて)社此村,鎮祭(しづめまつらしめ)其神。因(いふ)物部鄉。

 漢部鄉(あやべのさと)【在郡(きた)。】昔者,來目皇子,(したまひ)征伐新羅,(おほせ)忍海漢人(おしぬみのあやひと)將來(ゐてきて)(すゑ)此村,令造兵器(つはもの)(より)曰漢部鄉。

 米多鄉(めたのさと)(あり)郡南。】此鄉之中有()。名曰米多井(めたゐ)水味(みづのあぢ)(からし)
 曩者,海藻()(たつ)於此井之(そこ)纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇(景行)天皇(すめらみこと)巡狩(めぐりみそなはし)之時,御覽(みそなはし)井底之海藻(ゐのそこのめ),即敕(たまはり)名,曰海藻立井(めたつゐ)。今(よこなまり)謂米多井,以(なす)鄉名。


經津主神 水鄉佐原山車


物部鄉神社 物部神社


漢部鄉 綾部八幡神社


米多鄉 上峰町老松神社米多浮立


火燎肥前國風土記 神埼郡


神埼郡 吉野里歷史公園


三根川 城原川


蒲田鄉 蒲田津


琴木岡 香椎神社


宮處鄉 若宮神社

一、神埼略記

 神埼郡(かむざきのこほり)
 鄉玖(ところ)【里二十六。】驛壹所,(とぶひ)壹所,(てら)壹所。(ほふし)寺。○『和名抄』,鄉四。蒲田、三根、神埼(かむざき)、宮處。

 昔者(むかし),此郡有荒神(あらぶるかみ)往來之人(かよふひと)(さはに)被殺害(ころされき)纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)御宇(あめのしたしろしめし)天皇(景行)巡狩之時(めぐりみそなはししとき),此神仁平(にぎびき)自爾(それより)以來(このかた),無(また)(まが)。因曰神埼郡。

 三根鄉(みねのさと)【在郡西(にし)。】此鄉有川。其(みなもと)出郡北山,南(ながれ)入海。有年魚(あゆ)
 (景行)天皇,行幸(いでまし)之時,御船從其川湖(かはのみなと)來,御宿(やどり)此村。天皇(すめらみこと)敕曰(のりたまひしく):「夜裏(よる)御寐(みね)(いと)安穩(やすかりき)。此村,可謂天皇御寐安村(すめらみことのみなやすきむら)。」因名御寐(みね)。今改()字為(こん)

 船帆鄉(ふなほのさと)【在郡西。】(景行)天皇,巡行(めぐりいでまし)之時,諸氏人等(もろもろのうぢびとら)舉落(むらこぞり)乘船,舉()參集(まゐりつどひ)三根川之津(みねがはのつ)供奉(つかへまつりき)天皇。因曰船帆鄉。又,御船沈石(いかり)四顆(よつ)(あり)其津(ほとり)
 此中(このうち),一顆(たかさ)六尺、(わたり)五尺,一顆高八(さか)、徑五尺。無子(こなき)婦女(をみな)(つき)此二石,恭禱祈者( ゐやびこひのらば)(かならず)任產(こうむ)。一顆高四尺、徑五尺,一顆高三尺,徑四尺。亢旱(ひでり)之時,就此二石,(あまごひし)祈者(いのらば),必為雨落(あめふる)

 蒲田鄉(かまだのさと)【在郡西。】(景行)天皇,行幸之時,御宿此鄉。(すすむる)御膳(みけ)之時,(はへ)甚多(さき),其聲大囂(いたくかまびすし)。天皇敕云:「蠅(こゑ)甚囂。」因曰囂鄉(かまのさと)。今謂蒲田鄉,(よこなまれる)也。
 琴木岡(こときのをか)【高二(つゑ)(めぐり)五十丈。在郡南。】此地平原(はら)元來(もとより)無岡。大足彥(おほたらしひこ)天皇(景行)敕曰:「此(ところ)(かたち),必可有(あるべし)岡。」即(おほせ)群下(まちぎみたち)起造(おこしつくらし)此岡。
 造畢(つくりをはる)之時,登岡宴賞(うたげ)興闌(あそびつき)之後,(たて)御琴(みこと),琴化為(くすのき)【高五丈,周三丈。】因曰琴木岡。

 宮處鄉(みやこのさと)【在郡西南。】(景行)天皇,行幸之時,於此村奉造行宮(かりみや)。因曰宮處鄉。


火燎肥前國風土記 佐嘉郡

一、佐嘉略記

 佐嘉郡(さかのこほり)
 (さと)陸所,(こざと)一十九。】(うまや)壹所,(てら)壹所。【○按『和名抄』,其鄉有六,城埼(きさき)巨勢(こせ)深溝(ふかむぞ)防所(ぼうしょ)小津(おづ)山田(やまだ)。】

 昔者(むかし)樟樹(くすのき)(もと),生於此村。幹枝(もととえだ)秀高(たかく)莖葉(くきとは)繁茂(しげり)朝日(あさひ)之影,(おほひ)杵嶋郡(きしまのこほり)蒲川山(かまかはのやま)暮日(ゆふひ)之影,蔽養父郡(やぶのこほり)草橫山(くさよこのやま)也。
 日本武尊(やまとたけるのみこと)巡幸(めぐりいでまし)之時,御覽(みそなはし)茂榮(さかえ),敕曰:「此國可謂(いふべし)榮國(さかのくに)。」因曰榮郡(さかのこほり)。後(あらため)(なづく)佐嘉郡。

 一云(あるひといへらく),郡西有川。名曰佐嘉川(さかがは)年魚(あゆ)有之。其源出郡北山,南流(いる)海。此川上(かはかみ)荒神(あらぶるかみ)往來(ゆきき)之人,生半(なかばをいかし)殺半(なかばをころしき)於茲(ここに)縣主(あがたぬし)等祖大荒田(あほあらた)占問(うらとひき)
 于時,有土蜘蛛(つちぐも)大山田女(おほやまだめ)狹山田女(さやまだめ),二女子(をみな)云:「取下田村(しもだのむら)(つち),作人形(ひとがた)馬形(うまがた)祭祀(まつらば)此神,必有應和(にきびなむ)。」大荒田,即(したがひ)(ことば)祭此神,神(うけ)此祭,(つひに)應和之(にきびき)
 於茲,大荒田云:「此(をみな)如是(かくのごとく)(まこと)賢女。故以賢女(さかしめ)(おもふ)為國名。」因曰賢女郡(さかしめのこほり)。今謂佐嘉郡,(よこなまれる)也。

 又,此川上有石神(いしがみ),名曰世田姬(よたひめ)海神(うみのかみ)【謂鰐魚(わに)。】年常(としごと)(さかへ)潛上(かづきのぼり),到此神所(かみのもと)海底(うみのそこ)小魚(こうを),多相從之(あひしたがふ)。或人(かしこまれば)其魚無殃(まがなく);或人捕食者(とりくらはば)(しぬること)(すべて)此魚等,(とどまり)二三日(ふつかみか)(かへり)(いる)海。


肥前國廳跡
寺乃大和村尼寺真島國分寺跡,寺跡南側有東西向驛路跡。


佐嘉川 嘉瀨川


河上神社 與止日女神社
世田姬,亦祀於川上淀姬神社。


石神 下田山巨石群


火燎肥前國風土記 小城郡


小城郡家 寺浦廢寺跡


寺浦廢寺跡 遺構

一、小城略記

 小城郡(をきのこほり)
 鄉漆所,(こざと)二十。】驛壹所,(とぶひ)壹所。【〇據『和名抄』,其鄉四,川上(かはかみ)甕調(みかづき)高來(たく)伴部(とも)。】

 昔者,此村有土蜘蛛(つちぐも),造(をき)隱之(かくり)不從(まつろはぬ)皇命(おほみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと),巡幸之日,皆悉(ことごと)誅之(つみなひたまふ)。因(なづく)小城(をき)郡。


[久遠の絆] [地 名] [松浦郡] [再臨詔]