女袴小史
袴の歴史は古代にまで溯り、『古事記』『日本書紀』にも、その名を見てとることができます。元々は男子の象徴としての服装(?)だったようです。
女子が袴をはくようになったのは、飛鳥・奈良時代からのことです。元々は貴族の女性の下着でしたが、平安時代中期からは表に現れ出るようになりました。これが、日本の服飾における重要な衣装のひとつ、「緋の袴」のおこりです。
鎌倉時代に、下級女官が小袿の代わりに小袖を打ち掛けるのをはじめとして、袴を略して外出するのが流行するようになります。(これが打掛の起源です)室町時代には、武家の興隆と共に小袖の表着化が一層進み、安土・桃山時代までには男女階級を問わず小袖が一般化し、そうして江戸時代には、公家・武家ともに袴の用いられることは稀少になりました。
しかし、明治時代になり、宮中の婦人の制服として袴が取り入れられ、儀式の礼服として用いられるようになると、袴は再び注目されるようになっていきます。
まず、一般の女子が袴をはくようになったのは1871年(明治4年)からのことで、女学校の教師が最初でした。1878年には女学生が紫の行燈袴をはくようになり、1890年頃になると、小学生の中にも平常から袴をはくものがいたといいます。また、ほぼ同時期に、華族女子学校でも用いられるようになり、それら袴をはいた女学生は、「えび茶式部」と呼ばれたといいます。幼稚園が設置されたのは1876年(明治9年)のことですが、「日本風俗史事典」p.669の、岡田章雄蔵「明治期の幼稚園の図」を見れば、保姆はもちろん、幼稚園児のなかにも袴をつけた女児の姿が見受けられます。(ただし、これらの事例は、義務教育すらその普及が難しかった時代のことでありますから、当然ながら裕福な階層に偏った話であることに注意しなければなりません。)
ちなみに、赤松は著書 [赤松1] の中で、大正初期のムラの小学校の女教師の衣服について、上の着物は腰の下までの半分で、下半身の下着は何もつけず、ただハカマでかくしているだけであったと、自らの体験を回想しています。(・_・*
[赤松1] 赤松啓介『夜這いの民俗学』, 明石書店, 1994.
[日本風俗史事典] 日本風俗史学会編『〔縮刷版〕日本風俗史事典』, 弘文堂, 1994.