真字萬葉集 卷第六 雜歌


雜歌

0907 養老七年癸亥夏五月,幸于芳野離宮時,笠朝臣金村作歌一首 【并短歌。】

     瀧上之 御舟乃山爾 水枝指 四時爾生有 刀我乃樹能 彌繼嗣爾 萬代 如是二二知三 三芳野之 蜻蛉乃宮者 神柄香 貴將有 國柄鹿 見欲將有 山川乎 清清 諾之神代從 定家良思母

     瀧上(たきのうへ)の 三船山(みふねのやま)に 瑞枝刺(みづえさ)し (しじ)()ひたる 栂木(とがのき)の 彌繼繼(いやつぎつ)ぎに 萬代(よろづよ)に 如是(かく)()らさむ 御吉野(みよしの)の 秋津宮(あきづのみや)は 神柄(かむから)か (たふと)くあるらむ 國柄(くにから)か ()()しからむ 山川(やまかは)を 清爽(きよみさや)けみ (うべ)神代(かみよ)ゆ (さだ)めけらしも

       吉野瀧上畔 御舟之岳三船山 瑞枝新葉發 無間繁茂蘊活力 栂木名所如 繼嗣彌發更綿延 千秋度萬代 如是行幸寓光宅 芳野御吉野 蜻蛉離宮秋津宮 神柄發稜威 尊貴榮耀如是哉 國柄秀風土 見之百遍不厭哉 山川誠壯麗 清澄爽朗脫俗塵 理宜遠自神代昔 定為宮地有以也

      笠金村 0907


0908 反歌二首 【承前。】

     每年 如是裳見壯鹿 三吉野乃 清河內之 多藝津白浪

     每年(としのは)に 如是(かく)()てしか 御吉野(みよしの)の (きよ)河內(かふち)の (たぎ)白波(しらなみ)

       每年來此地 歲歲如是欲見者 芳野御吉野 清澈澄明河內之 激盪渦捲白波矣

      笠金村 0908


0909 【承前,反歌第二。】

     山高三 白木綿花 落多藝追 瀧之河內者 雖見不飽香聞

     山高(やまたか)み 白木綿花(しらゆふばな)に 落激(おちたぎ)つ (たき)河內(かふち)は ()れど()かぬかも

       山高嶮水深 絕壁落激貫千丈 猶白木綿花 瀧之河內堪絕景 百看千遍不厭倦

      笠金村 0909


0910 或本反歌曰 【承前。】

     神柄加 見欲賀藍 三吉野乃 瀧乃河內者 雖見不飽鴨

     神柄(かむから)か ()()しからむ 御吉野(みよしの)の 瀧河內(たきのかふち)は ()れど()かぬかも

       神柄發稜威 愈是欲見冀拜觀 芳野御吉野 宮瀧河內景勝絕 百看千遍不厭倦

      笠金村 0910


0911 【承前,或本反歌第二。】

     三芳野之 秋津乃川之 萬世爾 斷事無 又還將見

     御吉野(みよしの)の 秋津川(あきづのかは)の 萬代(よろづよ)に ()ゆる事無(ことな)く 又還見(またかへりみ)

       其猶芳野兮 御吉野之秋津川 萬代流無絕 吾欲還見復訪此 再三不絕頻翫之

      笠金村 0911


0912 【承前,或本反歌第三。】

     泊瀨女 造木綿花 三吉野 瀧乃水沫 開來受屋

     泊瀨女(はつせめ)が (つく)木綿花(ゆふばな) 御吉野(みよしの)の 瀧水沫(たきのみなわ)に ()きにけらずや

       概是泊瀨女 所造白木綿花者 化作御吉野 宮瀧水沫咲絢爛 好似白華綻瀧間

      笠金村 0912


0913 車持朝臣千年作歌一首 【并短歌。】

     味凍 綾丹乏敷 鳴神乃 音耳聞師 三芳野之 真木立山湯 見降者 川之瀨每 開來者 朝霧立 夕去者 川津鳴奈拜 紐不解 客爾之有者 吾耳為而 清川原乎 見良久之惜蒙

     味凝(うまこ)り (あや)(とも)しく 鳴神(なるかみ)の (おと)のみ()きし 御吉野(みよしの)の 真木立(まきた)(やま)ゆ 見下(みお)ろせば 川瀨每(かはのせごと)に ()()れば 朝霧立(あさぎりた)ち 夕去(ゆふさ)れば 蛙鳴(かはづな)くなへ 紐解(ひもと)かぬ (たび)にしあれば ()のみして 清川原(きよきかはら)を ()らくし()しも

       味凝心繫兮 不絕羨望欲觀之 雷動鳴神兮 美談之音唯入耳 芳野御吉野 真木茂立峻山上 俯瞰一望者 群川之瀨皆勝景 每逢天明時 朝霧湧現雲霞立 每至夕暮時 川間蛙鳴道欣榮 下紐不所解 獨身羈旅置異地 唯吾孤一人 見此清澈秀川原 無人相伴甚可惜

      車持千年 0913


0914 反歌一首 【承前。】

     瀧上乃 三船之山者 雖畏 思忘 時毛日毛無

     瀧上(たきのうへ)の 三船山(みふねのやま)は (かしこ)けど 思忘(おもひわす)るる (とき)()()

       吉野瀧上畔 御舟之岳三船山 稜威雖可畏 然吾更眷閨中妻 無時無日忘思慕

      車持千年 0914


0915 或本反歌曰 【承前。】

     鳥鳴 三吉野川之 川音 止時梨二 所思公

     千鳥鳴(ちどりな)く 御吉野川(みよしのかは)の 川音(かはおと)の ()時無(ときな)しに (おも)ほゆる(きみ)

       千鳥爭鳴啼 御芳野兮吉野川 川音奏清響 潺潺無止無間歇 吾慕思君亦如是

      車持千年 0915


0916 【承前,或本反歌第二。】

     茜刺 日不並二 吾戀 吉野之河乃 霧丹立乍

     茜射(あかねさ)す 日並(ひなら)()くに ()(こひ)は 吉野川(よしのかは)の (きり)()ちつつ

       暉曜緋茜射 日並數之未幾時 戀慕情難止 化作吉野川之上 霧霞層湧罩瀰漫

      車持千年 0916

         右,年月不審。但以歌類,載於此次焉。或本云,養老七年五月,幸于芳野離宮之時作。



0917 神龜元年甲子冬十月五日,幸于紀伊國時,山部宿禰赤人作歌一首 【并短歌。】

     安見知之 和期大王之 常宮等 仕奉流 左日鹿野由 背匕爾所見 奧嶋 清波瀲爾 風吹者 白浪左和伎 潮干者 玉藻苅管 神代從 然曾尊吉 玉津嶋夜麻

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕奉(つかへまつ)れる 雜賀野(さひかの)ゆ 背後(そがひ)()ゆる 沖島(おきつしま) 清渚(きよきなぎさ)に 風吹(かぜふ)けば 白波騷(しらなみさわ)き 潮乾(しほふ)れば 玉藻刈(たまもか)りつつ 神代(かみよ)より (しか)(たふと)き 玉津島山(たまつしまやま)

       八隅治天下 經綸恢弘我大君 將欲為常宮 屹立萬代所造營 雜賀野離宮 背向離宮見彼方 奧嶋沖津島 明媚澄明清渚間 每逢風吹時 白浪騷動蕩濤湧 輙遇退潮時 海人漁獵刈玉藻 遠自神代起 此地靈貴如此然 稜威此玉津島山

      山部赤人 0917


0918 反歌二首 【承前。】

     奧嶋 荒礒之玉藻 潮干滿 伊隱去者 所念武香聞

     沖島(おきつしま) 荒礒玉藻(ありそのたまも) 潮干滿(しほひみ)ち い隱行(かくりゆ)かば (おも)ほえむかも

       奧嶋沖津島 清渚荒礒玉藻矣 潮乾復滿盈 隱沒玉藻匿去者 吾心所念當何如

      山部赤人 0918


0919 【承前,反歌第二。○續古今1634。】



0920 神龜二年乙丑夏五月,幸于芳野離宮時,笠朝臣金村作歌一首 【并短歌。】

     足引之 御山毛清 落多藝都 芳野河之 河瀨乃 淨乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞爾 思自仁思有者 每見 文丹乏 玉葛 絕事無 萬代爾 如是霜願跡 天地之 神乎曾禱 恐有等毛

     足引(あしひき)の 御山(みやま)(さや)に 落激(おちたぎ)つ 吉野川(よしののかは)の 川瀨(かはのせ)の (きよ)きを()れば 上邊(かみへ)には 千鳥數鳴(ちどりしばな)く 下邊(しもへ)には 蛙妻呼(かはづつまよ)ぶ 百敷(ももし)きの 大宮人(おほみやひと)も 彼此(をちこち)に (しじ)にしあれば ()(ごと)に (あや)(とも)しみ 玉葛(たまかづら) ()ゆる事無(ことな)く 萬代(よろづよ)に 如是(かく)しもがもと 天地(あめつち)の (かみ)をそ(いの)る (かしこ)()れども

       足曳勢險峻 高山爽朗勢清清 落激流渦卷 御芳野兮吉野川 川瀨流澄澈 見彼流水清無曇 上游源流處 千鳥數鳴轉不停 下游水緩處 群蛙呼妻叫喧囂 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 來去穿彼此 眾人伺候無間隙 此情與此景 每見無由生羨慕 玉葛珠蔓兮 其蔓長生無絕斷 冀望萬代後 繁盛如此無改易 今向天地間 八百萬神祈此願 誠惶誠恐仍付禱

      笠金村 0920


0921 反歌二首 【承前。】

     萬代 見友將飽八 三芳野乃 多藝都河內之 大宮所

     萬代(よろづよ)に ()とも()かめや 御吉野(みよしの)の (たぎ)河內(かふち)の 大宮所(おほみやところ)

       縱令生長久 見之萬代豈飽厭 芳野御吉野 瀧上水激河內之 巍峨壯麗大宮所

      笠金村 0921


0922 【承前,反歌第二。】

     皆人乃 壽毛吾母 三吉野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨

     皆人(みなひと)の (いのち)()がも 御吉野(みよしの)の (たき)常磐(ときは)の (つね)ならぬかも

       吾今有所願 還冀皆人與吾命 猶此御吉野 瀧之常磐亙古今 能為久長恒不變

      笠金村 0922


0923 山部宿禰赤人作歌二首 【并短歌。】

     八隅知之 和期大王乃 高知為 吉野宮者 立名附 青垣隱 河次乃 清河內曾 春部者 花咲乎遠里 秋部者 霧立渡 其山之 彌益益爾 此河之 絕事無 百石木能 大宮人者 常將通

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 高知(たかし)らす 吉野宮(よしののみや)は 疊付(たたなづ)く 青垣隱(あをかきごも)り 川並(かはなみ)の 清河內(きよきかふち)そ 春邊(はるへ)には 花咲撓(はなさきをを)り 秋邊(あきへ)には 霧立渡(きりたちわた)る 其山(そのやま)の 彌益益(いやますます)に 此川(このかは)の ()ゆる事無(ことな)く 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は (つね)(かよ)はむ

       八隅治天下 經綸恢弘我大君 營殿建高聳 所造瀧上吉野宮 層層疊環繞 群山青垣圍隱矣 川流隨河道 水秀清澈河內矣 時值佐保春 百花爭豔隨風撓 時至龍田秋 雲霧層湧起立渡 猶彼群山之 連峰益益彌更發 猶彼川河之 逝水不絕亙古今 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 願得常通永侍奉

      山部赤人 0923


0924 反歌二首 【承前,一首反歌第一。】

     三吉野乃 象山際乃 木末爾波 幾許毛散和口 鳥之聲可聞

     御吉野(みよしの)の 象山際(きさやまのま)の 木末(こぬれ)には 幾許(ここだ)(さわ)く 鳥聲(とりのこゑ)かも

       芳野御吉野 象山之際交谷間 木末樹梢上 爭鳴起落騷幾許 鳥聲繞梁音不絕

      山部赤人 0924


0925 【承前,一首反歌第二。○新古今0641。】
0926 【承前,長歌第二。】

     安見知之 和期大王波 見吉野乃 飽津之小野笶 野上者 跡見居置而 御山者 射目立渡 朝獵爾 十六履起之 夕狩爾 十里蹋立 馬並而 御獵曾立為 春之茂野爾

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)は 御吉野(みよしの)の 秋津小野(あきづのをの)の 野上(ののうへ)には 跡見据置(とみすゑお)きて 御山(みやま)には 射目立(いめた)(わた)し 朝狩(あさがり)に 鹿豬踏起(ししふみおこ)し 夕狩(ゆふがり)に 鳥踏立(とりふみた)て 馬並(うまな)めて 御狩(みかり)()たす 春茂野(はるのしげの)

       八隅治天下 經綸恢弘我大君 芳野御吉野 蜻蛉秋津小野之 野上草原間 据置配屬跡見人 御山丘陵上 立渡射目設一面 朝獵晨狩時 蹋起豬鹿驚獸醒 夕獵暮狩時 踏立禽鳥振羽搏 並馬為陣伍 發向遊獵為巡狩 在此春日茂野間

      山部赤人 0926


0927 反歌一首 【承前,二首反歌。】

     足引之 山毛野毛 御獦人 得物矢手挾 散動而有所見

     足引(あしひき)の (やま)にも()にも 御狩人(みかりひと) 獵矢手挾(さつやたばさ)み (さわ)きてあり()

       足曳勢險峻 高山之間平野間 遊獦御狩人 手挾獵矢持幸弓 驅馳散動可眼見

      山部赤人 0927

         右,不審先後。但以便故,載於此次。



0928 冬十月,幸于難波宮時,笠朝臣金村作歌一首 【并短歌。】

     忍照 難波乃國者 葦垣乃 古鄉跡 人皆之 念息而 都禮母無 有之間爾 續麻成 長柄之宮爾 真木柱 太高敷而 食國乎 治賜者 奧鳥 味經乃原爾 物部乃 八十伴雄者 廬為而 都成有 旅者安禮十方

     押照(おして)る 難波國(なにはのくに)は 葦垣(あしかき)の ()りにし(さと)と 人皆(ひとみな)の 思休(おもひやす)みて 由緣(つれ)()く (あり)(あひだ)に 績麻成(うみをな)す 長柄宮(ながらのみや)に 真木柱(まきはしら) 太高敷(ふとたかし)きて 食國(をすくに)を 治賜(をさめたま)へば 沖鳥(おきつとり) 味經原(あぢふのはら)に 文武百官(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)は (いほ)りして 都成(みやこな)したり (たび)には()れども

       日光押照兮 澪標浪速難波國 人云彼故里 葦垣舊都不為意 人皆不掛念 不置心頭所思休 以為無由緣 思事不關己之間 績麻之所如 難波長柄豐崎宮 豎立真木柱 美輪美奐敷太高 於茲坐御宇 治賜天下食國者 味鴨沖津鳥 味經之原草野間 文武百官之 八十伴緒股肱臣 結廬造小屋 自為都成現於此 縱為旅地雖異鄉

      笠金村 0928


0929 反歌二首 【承前。】

     荒野等丹 里者雖有 大王之 敷座時者 京師跡成

     曠野(あらのら)に (さと)()れども 大君(おほきみ)の 敷座(しきま)(とき)は (みやこ)()りぬ

       荒蕪曠野間 雖是天離鄙夷里 一旦吾大君 乘輿幸來敷座時 頓化都城御天下

      笠金村 0929


0930 【承前,反歌第二。】

     海末通女 棚無小舟 榜出良之 客乃屋取爾 梶音所聞

     海人娘子(あまをとめ) 棚無(たなな)小船(をぶね) 漕出(こぎづ)らし 旅宿(たびのやど)りに 楫音聞(かぢのおとき)こゆ

       海人漁娘子 所乘無棚小扁舟 划槳漕出哉 草枕他鄉旅宿間 楫音舸梶聲可聞

      笠金村 0930


0931 車持朝臣千年作歌一首 【并短歌。】

     鯨魚取 濱邊乎清三 打靡 生玉藻爾 朝名寸二 千重浪緣 夕菜寸二 五百重波因 邊津浪之 益敷布爾 月二異二 日日雖見 今耳二 秋足目八方 四良名美乃 五十開迴有 住吉能濱

     鯨魚取(いさなと)り 濱邊(はまへ)(きよ)み 打靡(うちなび)き ()ふる玉藻(たまも)に 朝凪(あさなぎ)に 千重波寄(ちへなみよ)せ 夕凪(ゆふなぎ)に 五百重波寄(いほへなみよ)す 邊波(へつなみ)の 彌繁(いやしくしく)に (つき)()に ()()()とも (いま)のみに 飽足(あきだ)らめやも 白波(しらなみ)の い咲迴(さきめぐ)れる 住吉濱(すみのえのはま)

       鯨魚獵取兮 海岸濱邊水清清 打靡漂蕩漾 茂生玉藻隨波流 朝凪風平時 逐千重波隨浪寄 夕凪風靜時 更隨五百重波來 如此岸浪之 疊疊彌繁更幾重 縱令經月異 縱令日日每觀之 此情此景者 見之千百豈飽足 白浪濤如華 咲迴一面盛滿開 美不勝收住吉濱

      車持千年 0931


0932 反歌一首 【承前。】

     白浪之 千重來緣流 住吉能 岸乃黃土粉 二寶比天由香名

     白波(しらなみ)の 千重(ちへ)來寄(きよ)する 住吉(すみのえ)の 岸埴生(きしのはにふ)に (にほ)ひて()かな

       白浪層層湧 千重寄岸拍濱邊 墨江注吉之 岸埴生發黃匂 去來染衣縱娛情

      車持千年 0932


0933 山部宿禰赤人作歌一首 【并短歌。】

     天地之 遠我如 日月之 長我如 臨照 難波乃宮爾 和期大王 國所知良之 御食都國 日之御調等 淡路乃 野嶋之海子乃 海底 奧津伊久利二 鰒珠 左盤爾潛出 船並而 仕奉之 貴見禮者

     天地(あめつち)の (とほ)きが(ごと)く 日月(ひつき)の (なが)きが(ごと)く 押照(おして)る 難波宮(なにはのみや)に ()大君(おほきみ) 國知(くにし)らすらし 御食國(みけつくに) 日御調(ひのみつき)と 淡路(あはぢ)の 野島海人(のしまのあま)の 海底(わたのそこ) 沖海礁(おきついくり)に 鮑玉(あはびたま) (さは)潛出(かづきで) 舟並(ふねな)めて 仕奉(つかへまつ)るし 貴見(たふときみ)れば

       玄天黃地之 遙遠無窮之所如 光陰日月之 亙古長久之所如 日光押照兮 難波長柄豐崎宮 八隅治天下 吾之大君治秋津 所理海幸御食國 奉為御膳日御調 狹別淡路之 野島海人白水郎 深邃海底兮 沖津遠洋海礁處 欲取鮑珠玉 幾度潛出勤不懈 並舟連漁舸 營為仕奉供御調 尊貴之情今可見

      山部赤人 0933


0934 反歌一首 【承前。】

     朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信

     朝凪(あさなぎ)に 梶音聞(かぢのおとき)こゆ 御食國(みけつくに) 野島海人(のしまのあま)の (ふね)にし()るらし

       朝晨風歇時 船楫梶音聲可聞 海幸御食國 野島海人白水郎 其舟航來仕奉哉

      山部赤人 0934


0935 三年丙寅秋九月十五日,幸於播磨國印南野時,笠朝臣金村作歌一首 【并短歌。】

     名寸隅乃 船瀨從所見 淡路嶋 松帆乃浦爾 朝名藝爾 玉藻苅管 暮菜寸二 藻鹽燒乍 海末通女 有跡者雖聞 見爾將去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三

     名寸隅(なきすみ)の 舟瀨(ふなせ)()ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆浦(まつほのうら)に 朝凪(あさなぎ)に 玉藻刈(たまもか)りつつ 夕凪(ゆふなぎ)に 藻鹽燒(もしほや)きつつ 海人娘子(あまをとめ) (あり)とは()けど ()()かむ 由無(よしのな)ければ 大夫(ますらを)の (こころ)()しに 手弱女(たわやめ)の 思撓(おもひたわ)みて 徘徊(たもとほ)り (あれ)はそ()ふる 舟梶(ふなかぢ)()

       魚住名寸隅 舟瀨泊場間可見 對面淡路島 松帆之浦邊津處 朝凪風靜時 刈取玉藻漁海幸 夕暮凪止時 燒藻煮潮製藻鹽 海人娘子等 吾聞人云彼娘子 雖欲往見者 然苦無由亦無術 身為大丈夫 吾念憂柔復寡斷 心猶手弱女 尋思難定情難奈 猶豫復徘徊 戀慕之情溢不止 然無舟梶無由往

      笠金村 0935


0936 反歌二首 【承前。】

     玉藻苅 海未通女等 見爾將去 船梶毛欲得 浪高友

     玉藻刈(たまもか)る 海人娘子共(あまをとめども) ()()かむ 舟梶(ふなかぢ)もがも 波高(なみたか)くとも

       海人娘子等 刈取玉藻景甚美 吾欲得舟梶 以往松帆浦觀之 縱令浪高不怯懦

      笠金村 0936


0937 【承前,反歌第二。】

     徃迴 雖見將飽八 名寸隅乃 船瀨之濱爾 四寸流思良名美

     行迴(ゆきめぐ)り ()とも()かめや 名寸隅(なきすみ)の 舟瀨濱(ふなせのはま)に (しき)白波(しらなみ)

       徃迴行數度 雖再見之豈飽厭 魚住名寸隅 舟瀨之濱海岸上 千敷萬重美白浪

      笠金村 0937


0938 山部宿禰赤人作歌一首 【并短歌。】

     八隅知之 吾大君乃 神隨 高所知流 稻見野能 大海乃原笶 荒妙 藤井乃浦爾 鮪釣等 海人船散動 鹽燒等 人曾左波爾有 浦乎吉美 宇倍毛釣者為 濱乎吉美 諾毛鹽燒 蟻徃來 御覽母知師 清白濱

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 隨神(かむながら) 高知(たかし)らせる 印南野(いなみの)の 大海原(おふみのはら)の 荒栲(あらたへ)の 藤井浦(ふぢゐのうら)に 鮪釣(しびつ)ると 海人舟騷(あまぶねさわ)き 鹽燒(しほや)くと (ひと)(さは)()る (うら)()み (うべ)()りはす (はま)()み (うべ)鹽燒(しほや)く 蟻通(ありがよ)ひ ()さくも(しる)し 清白濱(きよきしらはま)

       八隅治天下 經綸恢弘我大君 唯神隨神性 營造高宮臨天下 播磨印南野 綿見滄溟大海原 荒拷麤妙兮 藤井之浦邊津上 欲為釣鮪而 海人之舟騷萬動 欲為燒鹽而 人等眾集聚於此 以此浦良矣 理宜人集適漁釣 以此濱良矣 理宜人集燒海鹽 蟻通人不斷 絡繹不絕觀此景 清冽白濱此勝景

      山部赤人 0938


0939 反歌三首 【承前。】

     奧浪 邊波安美 射去為登 藤江乃浦爾 船曾動流

     沖波(おきつなみ) 邊波靜(へなみしづ)けみ (いざ)りすと 藤江浦(ふぢえのうら)に (ふね)(さわ)ける

       遠洋沖津浪 近岸邊浪皆平靜 海人欲為漁 藤江之浦滄溟間 舟船賑繁騷萬動

      山部赤人 0939


0940 【承前,反歌第二。】

     不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長在者 家之小篠生

     印南野(いなみの)の 淺茅押靡(あさぢおしな)べ 小寢(さぬ)()の 日長(けなが)くしあれば (いへ)(しの)はゆ

       播磨印南野 押糜野間淺茅草 為床小寢夜 草枕異地時日長 偲鄉暮情愈難抑

      山部赤人 0940


0941 【承前,反歌第三。】

     明方 潮乾乃道乎 從明日者 下咲異六 家近附者

     明石潟(あかしがた) 潮乾道(しほひのみち)を 明日(あす)よりは 下笑(したゑ)ましけむ 家近付(いへちかづ)けば

       縱令明石潟 乾潮道之道步難行 自於明日起 吾心雀動暗下笑 只由漸漸離家近

      山部赤人 0941


0942 過辛荷嶋時,山部宿禰赤人作歌一首 【并短歌。】

     味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不卷 櫻皮纏 作流舟二 真梶貫 吾榜來者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際從 吾宅乎見者 青山乃 曾許十方不見 白雲毛 千重爾成來沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隱 嶋乃埼埼 隈毛不置 憶曾吾來 客乃氣長彌

     味障(あぢさは)ふ (いも)目離(めか)れて 敷栲(しきたへ)の (まくら)()かず 櫻皮卷(かにはま)き (つく)れる(ふね)に 真楫貫(まかぢぬ)き ()漕來(こぎく)れば 淡路(あはぢ)の 野島(のしま)()ぎ 印南嬬(いなみつま) 辛荷島(からにのしま)の 島間(しまのま)ゆ 我家(わぎへ)()れば 青山(あをやま)の 其處(そこ)とも()えず 白雲(しらくも)も 千重(ちへ)成來(なりき)ぬ 漕迴(こぎた)むる 浦悉(うらのことごと) 行隱(ゆきかく)る 島崎崎(しまのさきざき) (くま)()かず (おも)ひそ()()る (たび)日長(けなが)

       味障多合兮 與妻目離兩相別 柔細敷栲兮 愛妻手枕不得纏 蒲木櫻皮卷 所造船舶舸舟上 真楫貫梶通 吾人划槳漕來者 淡道淡路之 北淡野島既已過 經印南嬬地 穿辛荷島群島時 自其諸島間 望見向吾故鄉方 青山串連峰 不知何處為吾家 白雲疊千重 層層相嵌漸飄來 漕迴巡滄溟 津津浦浦處處過 每至行隱之 諸島崎崎所泊處 無隈不例外 吾戀故鄉不止息 全因羈旅日已長

      山部赤人 0942


0943 反歌三首 【承前。】

     玉藻苅 辛荷乃嶋爾 嶋迴為流 水烏二四毛有哉 家不念有六

     玉藻刈(たまもか)る 辛荷島(からにのしま)に 島迴(しまみ)する ()にしもあれ() 家思(いへおも)はざらむ

       玉藻刈取兮 辛荷島間迴諸島 同迴群島間 若吾是為鵜鳥者 概可一免思鄉苦

      山部赤人 0943


0944 【承前,反歌第二。】

     嶋隱 吾榜來者 乏毳 倭邊上 真熊野之船

     島隱(しまがく)り ()漕來(こぎく)れば (とも)しかも 大和(やまと)(のぼ)る 真熊野船(まくまののふね)

       泊船隱島陰 吾人划槳漕來者 見之令人羨 發向上京往大和 其真熊野之船矣

      山部赤人 0944


0945 【承前,反歌第三。○續古今0929。】
0946 過敏馬浦時,山部宿禰赤人作歌一首 【并短歌。】

     御食向 淡路乃嶋二 直向 三犬女乃浦能 奧部庭 深海松採 浦迴庭 名告藻苅 深見流乃 見卷欲跡 莫告藻之 己名惜三 間使裳 不遣而吾者 生友奈重二

     御食向(みけむか)ふ 淡路島(あはぢのしま)に 直向(ただむか)ふ 敏馬浦(みぬめのうら)の 沖邊(おきへ)には 深海松採(ふかみると)り 浦迴(うらみ)には 莫告藻刈(なのりそか)る 深海松(ふかみる)の ()まく()しけど 莫告藻(なのりそ)の (おの)名惜(なを)しみ 間使(まつかひ)も ()らずて(あれ)は ()けりとも()

       御食所向兮 淡路之穗狹別島 所與直向之 對面罔象敏馬浦 於其沖津處 潛身採集深海松 於其浦迴處 漬身刈取莫告藻 如其深海松 雖欲與君逢相 卻猶莫告藻 吾惜己名恐蜚語 縱為間使者 吾懼流言未能遣 如此苟活心已滅

      山部赤人 0946


0947 反歌一首 【承前。】

     為間乃海人之 鹽燒衣乃 奈禮名者香 一日母君乎 忘而將念

     須磨海人(すまのあま)の 鹽燒衣(しほやききぬ)の ()れなばか 一日(ひとひ)(きみ)を (わす)れて(おも)はむ

       須磨海人之 燒製堅鹽所著衣 著古慣肌身 吾憶故知如馴衣 未有一日忘君情

      山部赤人 0947

         右,作歌年月未詳也。但以類故,載於此次。



0948 四年丁卯春正月,敕諸王、諸臣子等,散禁於授刀寮時,作歌一首 【并短歌。】

     真葛延 春日之山者 打靡 春去徃跡 山匕丹 霞田名引 高圓爾 鸎鳴沼 物部乃 八十友能壯者 折木四哭之 來繼比日 如此續 常丹有脊者 友名目而 遊物尾 馬名目而 徃益里乎 待難丹 吾為春乎 决卷毛 綾爾恐 言卷毛 湯湯敷有跡 豫 兼而知者 千鳥鳴 其佐保川丹 石二生 菅根取而 之努布草 解除而益乎 徃水丹 潔而益乎 天皇之 御命恐 百礒城之 大宮人之 玉桙之 道毛不出 戀比日

     真葛延(まくずは)ふ 春日山(かすがのやま)は 打靡(うちなび)く 春去行(はるさりゆ)くと 山峽(やまがひ)に 霞棚引(かすみたなび)く 高圓(たかまと)に 鶯鳴(うぐひすな)きぬ 文武百官(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)は (かり)()の 來繼(きつ)此頃(このころ) 如此繼(かくつ)ぎて (つね)()りせば 友並(ともな)めて (あそ)ばむ(もの)を 馬並(うまな)めて ()益里(ましさと)を 待難(まちかて)に ()がせし(はる)を 掛幕(かけま)くも (あや)(かしこ)く 言幕(いはまく)も 忌忌(ゆゆ)しく()らむと (あらかじ)め ()ねて()りせば 千鳥鳴(ちどりな)く 其佐保川(そのさほがは)に (いは)()ふる 菅根採(すがのねと)りて 偲草(しのふくさ) (はら)へて(まし)を 行水(ゆくみづ)に (みそぎ)(まし)を 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)の 玉桙(たまほこ)の (みち)にも()でず ()ふる此頃(このころ)

       真葛蔓伸延 寧樂奈良春日山 打靡隨風撓 此情此景告春臨 巍峨山峽間 春霞棚引掛峰間 高圓山之中 黃鶯出谷始鳴春 文武百官之 八十伴緒大丈夫 歸雁自南至 北歸鳴來繼此頃 如是相繼而 可以持續為常者 與友相並肩 去來遊興慶春暖 陣馬為行伍 巡行將去鄉里者 雖是引領盼 吾等難待春日來 僭述掛尊諱 忌懼誠惶復誠恐 冒言申斯事 此誠忌忌如履冰 若得早豫知 兼知未然如此者 千鳥爭鳴啼 於此佐保川之間 蔓生岩磐之 採彼菅根為偲草 執彼偲草而 祓除穢惡當益矣 身潛逝水間 禊祓垢離當益矣 稜威吾大君 散禁聖命誠惶恐 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 玉桙石柱兮 道路不得妄出矣 唯戀春意在此頃

      佚名 0948


0949 反歌一首 【承前。】

     梅柳 過良久惜 佐保乃內爾 遊事乎 宮動動爾

     梅柳(うめやなぎ) ()ぐらく()しみ 佐保內(さほのうち)に (あそ)びし(こと)を (みや)(とどろ)

       梅柳時節短 惜其花時俄早過 佐保春日野 遊興打毬稍為樂 孰知宮中轟作響

      佚名 0949

         右,神龜四年正月,數王子及諸臣子等,集於春日野而作打毬之樂。其日,忽天陰,雨雷電。此時,宮中無侍從及侍衛。敕行刑罰,皆散禁於授刀寮,而妄不得出道路。于時悒憤,即作斯歌。 作者未詳。



0950 五年戊辰,幸于難波宮時作歌四首 【四首第一。】

     大王之 界賜跡 山守居 守云山爾 不入者不止

     大君(おほきみ)の 境賜(さかひたま)ふと 山守据(やまもりす)ゑ ()ると()(やま)に ()らずは()まじ

       縱為皇大君 賜境定堺据山守 警戒固森嚴 蕃人嚴守之此山 今日不得不入之

      笠金村 0950


0951 【承前,四首第二。】

     見渡者 近物可良 石隱 加我欲布珠乎 不取不巳

     見渡(みわた)せば 近物(ちかきもの)から 岩隱(いはがく)り 耀玉(かがよふたま)を ()らずは(やま)

       放眼望去者 其為近物之所以 縱為岩所隱 含光赫映耀玉者 吾人不得不取之

      山部赤人 0951


0952 【承前,四首第三。】

     韓衣 服楢乃里之 嶋待爾 玉乎師付牟 好人欲得食

     韓衣(からころも) 著奈良里(きならのさと)の 嬬松(つままつ)に (たま)をし()けむ 良人(よきひと)もがも

       唐土韓衣之 著慣合身奈良里 妻上 欲得良人付玉飾 不令孤芳寂自賞

      笠金村 0952


0953 【承前,四首第四。】

     竿壯鹿之 鳴奈流山乎 越將去 日谷八君 當不相將有

     小雄鹿(さをしか)の ()くなる(やま)を 越行(こえゆ)かむ ()だにや(きみ)が 當逢(はたあ)はざらむ

       小壯雄鹿之 發聲鳴啼之山矣 若有朝一日 能得越行彼山者 可否當逢會君面 

      笠金村 0953

         右,笠朝臣金村之歌中出也。或云:「車持朝臣千年作之也。」



0954 膳王歌一首

     朝波 海邊爾安左里為 暮去者 倭部越 鴈四乏母

     (あした)には 海邊(うみへ)(あさ)りし 夕去(ゆふさ)れば 大和(やまと)()ゆる (かり)(とも)しも

       朝漁在海邊 夕暮飛翔越大和 雁兒甚自在 吾見其來去自如 不覺稱羨心嚮之

      膳王 954

         右,作歌之年不審也。但以歌類,便載此次。



0955 大宰少貳石川朝臣足人歌一首

     刺竹之 大宮人乃 家跡住 佐保能山乎者 思哉毛君

     刺竹(さすたけ)の 大宮人(おほみやひと)の (いへ)()む 佐保山(さほのやま)をば (おも)ふやも(きみ)

       刺竹根芽盛 百敷殿上大宮人 為家所住居 寧樂佐保山邊處 豈不懷哉吾君矣

      石川足人 0955


0956 帥大伴卿(大伴旅人)和歌一首 【承前。】

     八隅知之 吾大王乃 御食國者 日本毛此間毛 同登曾念

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 食國(をすくに)は 大和(やまと)此間(ここ)も (おな)じとそ(おも)

       八隅治天下 經綸恢弘吾大君 寓宇理食國 無論大和或此間 皆披皇澤同受化

      大伴旅人 0956


0957 冬十一月,大宰官人等,奉拜香椎廟訖,退歸之時,馬駐于香椎浦,各述作懷歌

   帥大伴卿歌一首
 【第一。】

     去來兒等 香椎乃滷爾 白妙之 袖左倍所沾而 朝菜採手六

     去來子共(いざこども) 香椎潟(かしひのかた)に 白栲(しろたへ)の (そで)さへ()れて 朝菜摘(あさなつ)みてむ

       去來子等矣 來到筑紫香椎潟 白妙素織兮 襟袖濡濕不為意 身居潮間摘朝菜

      大伴旅人 0957


0958 大貳小野老朝臣歌一首 【承前,第二。】

     時風 應吹成奴 香椎滷 潮干汭爾 玉藻苅而名

     時風(ときつかぜ) ()くべく(なり)ぬ 香椎潟(かしひがた) 潮乾浦(しほひのうら)に 玉藻刈(たまもか)りてな

       觀夫天象者 時風將拂自海上 筑紫香椎潟 潮乾浦間兒等矣 惜今速刈玉藻來

      小野老 0958


0959 豐前守宇努首男人歌一首 【承前,第三。】

     徃還 常爾我見之 香椎滷 從明日後爾波 見緣母奈思

     徃還(ゆきかへ)り (つね)()()し 香椎潟(かしひがた) 明日(あす)(のち)には ()(よし)()

       每逢往還時 吾所常見香椎潟 此情此景者 明日之後去此國 無緣復見徒傷感

      宇努男人 0959


0960 帥大伴卿遙思芳野離宮作歌一首

     隼人乃 湍門乃磐母 年魚走 芳野之瀧爾 尚不及家里

     隼人(はやひと)の 瀨戶巖(せとのいはほ)も 鮎走(あゆはし)る 吉野瀧(よしののたき)に 尚及(なほし)かずけり

       薩摩隼人之 瀨戶巨巖雖勝絕 然較鮎躍兮 吉野宮瀧湍急流 依舊尚不及之矣

      大伴旅人 0960


0961 帥大伴卿宿次田溫泉,聞鶴喧作歌一首

     湯原爾 鳴蘆多頭者 如吾 妹爾戀哉 時不定鳴

     湯原(ゆのはら)に ()葦鶴(あしたづ)は ()(ごと)く (いも)()ふれや 時判(ときわか)()

       次田溫泉原 高啼喧囂葦鶴者 其心蓋同吾 戀妻之情不能抑 啼血鳴泣不辨時

      大伴旅人 0961


0962 天平二年庚午,敕遣擢駿馬使大伴道足宿禰時歌一首

     奧山之 磐爾蘿生 恐毛 問賜鴨 念不堪國

     奧山(おくやま)の (いは)苔生(こけむ)し (かしこ)くも 問賜(とひたま)ふかも 思堪無(おもひあへな)くに

       深山幽境間 磐上蘿生發神氣 敬畏誠惶恐 未料汝君命作歌 唯得應聲訟此詠

      葛井廣成 0962

         右,敕使大伴道足宿禰饗于帥家。此日會集眾諸,相誘驛使葛井連廣成,言須作歌詞。登時廣成應聲,即吟此歌。



0963 冬十一月,大伴坂上郎女,發帥家上道,超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首

     大汝 小彥名能 神社者 名著始雞目 名耳乎 名兒山跡負而 吾戀之 干重之一重裳 奈具佐米七國

     大汝(おほなむぢ) 少彥名(すくなびこな)の (かみ)こそば 名付初(なづけそめ)けめ ()のみを 名兒山(なごやま)()ひて ()(こひ)の 千重一重(ちへのひとへ)も (なぐさ)()くに

       八千矛大神 大己貴命大國主 其與少彥名 開拓之神初命名 名負名兒山 徒有平善彼山名 然吾愁戀慕 縱其千重之一重 所憂全不得其

      坂上郎女 0963


0964 同坂上郎女向京海路,見濱貝作歌一首 【承前。】

     吾背子爾 戀者苦 暇有者 拾而將去 戀忘貝

     ()背子(せこ)に ()ふれば(くる)し 暇有(いとまあ)らば (ひり)ひて()かむ 戀忘貝(こひわすれがひ)

       每憶吾兄子 苦於相思愁斷腸 若有閑暇時 不若出行至濱邊 拾來解憂忘戀貝

      坂上郎女 0964


0965 冬十二月,大宰帥大伴卿上京時,娘子作歌二首

     凡有者 左毛右毛將為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞

     凡為(おほな)らば 左右(かもか)()むを (かしこ)みと ()りたき(そで)を (しの)びてあるかも

       若為繁俗者 左右云云總將為 誠惶復誠恐 汝命高貴負名望 雖欲揮袖仍隱忍

      兒島娘子 0965


0966 【承前。】

     倭道者 雲隱有 雖然 余振袖乎 無禮登母布奈

     大和道(やまとぢ)は 雲隱(くもがく)りたり (しか)れども ()()(そで)を 無禮(なめし)()()

       上京大和道 路途曠遠隱雲後 雖隱不得見 吾傷易別故揮袖 還願勿思其無禮

      兒島娘子 0966

         右,大宰帥大伴卿,兼任大納言向京上道。此日,馬駐水城,顧望府家。于時,送卿府吏之中,有遊行女婦。其字曰兒嶋也。於是,娘子傷此易別,嘆彼難會,拭涕自吟振袖之歌。



0967 大納言大伴卿(大伴旅人)和歌二首 【承前。】

     日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香裳

     大和道(やまとぢ)の 吉備兒島(きびのこしま)を ()ぎて()かば 筑紫兒島(つくしのこしま) (おも)ほえむかも

       上京大和道 行經吉備兒島時 觸景生慕情 蓋將以其同名故 心念筑紫兒島矣

      大伴旅人 0967


0968 【承前。】

     大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上爾 泣將拭

     大夫(ますらを)と (おも)へる(あれ)や 水莖(みづくき)の 水城上(みづきのうへ)に 淚拭(なみたのご)はむ

       自詡大丈夫 吾意有淚不輕彈 然至水城上 憂情不覺忽泉湧 潰堤啜泣拭淚流

      大伴旅人 0968


0969 三年辛未,大納言大伴卿(大伴旅人)在寧樂家,思故鄉歌二首

     須臾 去而見壯鹿 神名火乃 淵者淺而 瀨二香成良武

     須臾(しまし)くも ()きて()てしか 神奈備(かむなび)の (ふち)()せにて ()にか(なる)らむ

       須臾片刻間 仍欲前往觀見之 飛鳥神奈備 淵者淺而或成瀨 不知現今景如何

      大伴旅人 0969


0970 【承前。】

     指進乃 粟栖乃小野之 芽花 將落時爾之 行而手向六

     指進(訓未詳)の 栗栖小野(くるすのをの)の 萩花(はぎのはな) ()らむ(とき)にし ()きて手向(たむ)けむ

       刺墨指進兮 栗栖小野萩花開 時至花散時 當往其處獻貢物 手向祭神求安平

      大伴旅人 0970


0971 四年壬申,藤原宇合卿遣西海道節度使之時,高橋連蟲麻呂作歌一首 【并短歌。】

     白雲乃 龍田山乃 露霜爾 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫爾至 山乃曾伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彥乃 將應極 谷潛乃 狹渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御來 龍田道之 岳邊乃路爾 丹管土乃 將薫時能 櫻花 將開時爾 山多頭能 迎參出六 公之來益者

     白雲(しらくも)の 龍田山(たつたのやま)の 露霜(つゆしも)に 色付(いろづ)(とき)に 打越(うちこ)えて 旅行(たびゆ)(きみ)は 五百重山(いほへやま) い行裂(ゆきさ)くみ 敵守(あたまも)る 筑紫(つくし)(いた)り 山退(やまのそ)き 野退見(ののそきみ)よと 伴部(とものへ)を 班遣(あかちつか)はし 山彥(やまびこ)の (こた)へむ(きは)み 谷蟆(たにぐく)の 小渡(さわた)(きは)み 國狀(くにかた)を 見賜(めしたま)ひて 冬籠(ふゆこも)り 春去行(はるさりゆ)かば 飛鳥(とぶとり)の 早來坐(はやくきまさ)ね 龍田道(たつたぢ)の 岡邊道(をかへのみち)に 丹躑躅(につつじ)の (にほ)はむ(とき)の 櫻花(さくらばな) ()きなむ(とき)に 山庭常(やまたづ)の 迎參出(むかへまゐで)む (きみ)來坐(きまさ)

       白雲層湧立 寧樂生駒龍田山 露霜降置而 白妝色染時節間 翻山越其嶺 旅行而去汝公者 群山五百重 押排蹋破徑前行 至於禦敵要 守敵門戶筑紫國 鎮守山之端 警蹕嚴護野之極 派遣伴謢等 處處配屬置兵士 木靈山彥之 迴響應聲之所及 谷蟆蟇蛙之 小渡鑽動之所及 照覽國之狀 鎮護國家治海西 籠冬寒已過 時當春日臨來者 願如飛鳥之 速速歸鄉早還來 寧樂龍田道 岡邊道上春意濃 時值丹躑躅 妍花綻放匂映色 時值櫻之華 滿咲片野染山間 對生山庭常 吾將參來出迎之 只消汝君歸來矣

      高橋蟲麻呂 0971


0972 反歌一首 【承前。】

     千萬乃 軍奈利友 言舉不為 取而可來 男常曾念

     千萬(ちよろづ)の 軍也(いくさなり)とも 言舉(ことあ)げせず ()りて()ぬべき (をのこ)とそ(おも)

       縱令千萬卒 敵軍臨陣勢衝天 吾度彼為人 不輒舉言討敵來 覆滅賊師壯士矣

      高橋蟲麻呂 0972

         右,檢補任文,八月十七日任東山、山陰、西海節度使。



0973 天皇(聖武)賜酒節度使卿等御歌一首 【并短歌。】

     食國 遠乃御朝庭爾 汝等之 如是退去者 平久 吾者將遊 手抱而 我者將御在 天皇朕 宇頭乃御手以 搔撫曾 禰宜賜 打撫曾 禰宜賜 將還來日 相飲酒曾 此豐御酒者

     食國(をすくに)の 遠朝廷(とほのみかど)に 汝等(いましら)が 如是罷(かくまか)りなば (たひら)けく (われ)(あそ)ばむ 手抱(たむだ)きて (われ)(いま)さむ 天皇朕(すめらわれ) 珍御手以(うづのみても)ち 搔撫(かきな)でそ 犒賜(ねぎたま)ふ 打撫(うちな)でそ 犒賜(ねぎたま)ふ 歸來(かへりこ)() 相飲(あひの)まむ(さけ)そ 此豐御酒(このとよみき)

       朕所治食國 四道諸國遠朝廷 汝等節度使 如是退去出向者 方寸可安平 吾得出遊無所憂 抱手組腕而 怡然安居無所畏 天皇如朕者 以珍手慈吾股肱 搔撫卿等髮 犒賜慰勞之 按撫卿等首 犒賜慰勞之 待卿歸來復命日 還願相飲同酒酣 飲此杜康豐御酒

      聖武天皇 0973


0974 反歌一首 【承前。】

     大夫之 去跡云道曾 凡可爾 念而行勿 大夫之伴

     大夫(ますらを)の ()くと()(みち)そ (おほ)ろかに (おも)ひて()() 大夫(ますらを)(とも)

       此乃勇壯士 益荒男所行之道 卿等吾股肱 莫以凡念輙行去 卿等壯士伴男矣

      聖武天皇 0974

         右御歌者,或云:「太上天皇(元正)御製也。」



0975 中納言安倍廣庭卿歌一首

     如是為管 在久乎好叙 靈剋 短命乎 長欲為流

     如是(かく)しつつ ()らくを()みぞ 靈剋(たまきは)る 短命(みじかきいのち)を (なが)()りする

       正因如是在 人生於世有此善 靈剋魂極矣 石火光中寄此生 仍願此命能長久

      安倍廣庭 0975


0976 五年癸酉,超草香山時,神社忌寸老麻呂作歌二首

     難波方 潮干乃奈凝 委曲見 在家妹之 待將問多米

     難波潟(なにはがた) 潮乾(しほひ)餘波(なごり) ()()てむ (いへ)なる(いも)が 待問(まちと)はむ(ため)

       押照難波潟 乾潮遠淺留餘波 宜祥觀此景 何以如是翫委曲 妻待居家將問之

      神社老麻呂 0976


0977 【承前。】

     直超乃 此徑爾弖師 押照哉 難波乃海跡 名附家良思蒙

     直越(ただこえ)の 此道(このみち)にてし 押照(おして)るや 難波海(なにはのうみ)と 名付(なづ)けけらしも

       涉嶮直越山 步行此道回首時 顧見光海景 人云日光押照兮 難波海名有以也

      神社老麻呂 0977


0978 山上臣憶良沈痾之時歌一首

     士也母 空應有 萬代爾 語續可 名者不立之而

     (をのこ)やも (むな)しくあるべき 萬代(よろづよ)に 語繼(かたりつ)ぐべき ()()てずして

       身為大丈夫 豈當徒然殞命哉 悵然嘆空虛 馬齒徒長無事成 未得留名傳千古

      山上憶良 0978

         右一首,山上憶良臣沈痾之時,藤原朝臣八束使河邊朝臣東人,令問所疾之狀。於是,憶良臣報語已畢。有須,拭涕悲嘆,口吟此歌。



0979 大伴坂上郎女與姪家持從佐保還歸西宅歌一首

     吾背子我 著衣薄 佐保風者 疾莫吹 及家左右

     ()背子(せこ)が ()衣薄(きぬうす)し 佐保風(さほかぜ)は (いた)勿吹(なふ)きそ (いへ)(いた)(まで)

       親親吾兄子 所著衣薄難禦寒 寧樂佐保風 還願慈悲勿疾吹 直至良人返家時

      坂上郎女 0979


0980 安倍朝臣蟲麻呂月歌一首

     雨隱 三笠乃山乎 高御香裳 月乃不出來 夜者更降管

     雨隱(あまごも)る 三笠山(みかさのやま)を (たか)みかも (つき)出來(いでこ)ぬ ()()けにつつ

       遮雨避雨濡 御笠之山三笠山 以其山高嶮 阻蔽太陰不得見 月未出兮夜已深

      安倍蟲麻呂 0980


0981 大伴坂上郎女月歌三首 【承前。郎女三首第一。】

     獵高乃 高圓山乎 高彌鴨 出來月乃 遲將光

     獵高(かりたか)の 高圓山(たかまとやま)を (たか)みかも 出來(いでく)(つき)の (おそ)()るらむ

       寧樂獵高之 高圓山勢峻嶮故 吾居春日里 天暗之後不見光 明月遲出晚照臨

      坂上郎女 0981


0982 【承前。郎女三首第二。】

     烏玉乃 夜霧立而 不清 照有月夜乃 見者悲沙

     烏玉(ぬばたま)の 夜霧(よぎり)()ちて 鬱悒(おほほし)く ()れる月夜(つくよ)の ()れば(かな)しさ

       漆黑烏玉兮 夜霧瀰漫翳太虛 朦朧且鬱悒 曖曖含光朧夜月 觀之悲更從衷來

      坂上郎女 0982


0983 【承前。郎女三首第三。】

     山葉 左佐良榎壯子 天原 門度光 見良久之好藻

     山端(やまのは)の 細愛壯士(ささらえをとこ) 天原(あまのはら) 門渡(とわた)(ひかり) ()らくし()しも

       山端稜線上 細愛壯士明月矣 門渡高天原 輝耀照臨光天下 能見此景誠善矣

      坂上郎女 0983

         右一首歌,或云:「月別名曰細愛(佐散良衣)壯士也。緣此辭作此歌。」



0984 豐前國娘子月歌一首 【娘子字曰大宅,姓氏未詳也。承前。娘子歌。

     雲隱 去方乎無跡 吾戀 月哉君之 欲見為流

     雲隱(くもがく)り 行方(ゆくへ)()みと ()()ふる (つき)をや(きみ)が ()まく()りする

       浮雲能蔽月 遁隱不知其行蹤 慨然有所思 吾之所戀明月者 君亦欲見其耀耶

      豐前國娘子 0984


0985 湯原王月歌二首 【承前。湯原王二首第一。】

     天爾座 月讀壯子 幣者將為 今夜乃長者 五百夜繼許增

     (あめ)()す 月讀壯士(つくよみをとこ) (まひ)()む 今夜長(こよひのなが)さ 五百夜繼(いほよつ)ぎこそ

       高作天原上 月讀壯士明月矣 吾將獻賂故 還願得令此夜長 猶如五百夜所繼

      湯原王 0985


0986 【承前。湯原王二首第二。】

     愛也思 不遠里乃 君來跡 大能備爾鴨 月之照有

     ()しきやし 間近里(まちかきさと)の 君來(きみこ)むと 大伸(おほの)びにかも 月照(つきのて)りたる

       愛也令懷念 不遠之里所居君 雖言將來者 所期之日久延宕 明月歷歷照分明

      湯原王 0986


0987 藤原八束朝臣月歌一首 【承前。藤原八束歌。】

     待難爾 余為月者 妹之著 三笠山爾 隱而有來

     待難(まちかて)に ()がする(つき)は (いも)()る 三笠山(みかさのやま)に (こも)りてありけり

       時久誠難待 吾之苦等遲出月 妹妻所著兮 御笠之嶺三笠山 復隱之兮更不見

      藤原八束 0987


0988 市原王宴禱父安貴王歌一首

     春草者 後波落易 巖成 常磐爾座 貴吾君

     春草(はるくさ)は (のち)(うつ)ろふ 巖成(いはほな)す 常磐(ときは)(いま)せ (たふと)()(きみ)

       春草不久長 後易轉俄移落去 願君如巨巖 常磐不動亙古今 貴也英明吾君矣

      市原王 0988


0989 湯原王打酒歌一首

     燒刀之 加度打放 大夫之 禱豐御酒爾 吾醉爾家里

     燒太刀(やきたち)の 鎬打放(かどうちはな)ち 大夫(ますらを)の ()豐御酒(とよみき)に 我醉(われゑ)ひにけり

       千錘百鍊兮 燒大刀之鎬打放 壯士益荒男 情熱所祝豐御酒 吾飲酣兮醉此身

      湯原王 0989


0990 紀朝臣鹿人跡見茂岡之松樹歌一首

     茂岡爾 神佐備立而 榮有 千代松樹乃 歲之不知久

     茂岡(しげをか)に (かむ)さび()ちて (さか)えたる 千代松木(ちよまつのき)の (とし)()()

       跡見茂岡間 稜威聳立露古色 繁茂欣向榮 千代松木不知歲 悠久長待幾星霜

      紀鹿人 0990


0991 同鹿人至泊瀨河邊作歌一首

     石走 多藝千流留 泊瀨河 絕事無 亦毛來而將見

     石走(いはばし)り 激流(たぎちなが)るる 泊瀨川(はつせがは) ()ゆる事無(ことな)く (また)()()

       石走迸流水 急湍激烈勢奔騰 偉哉泊瀨川 逝水不斷無絕時 還欲再來復見之

      紀鹿人 0991


0992 大伴坂上郎女詠元興寺之里歌一首

     古鄉之 飛鳥者雖有 青丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳

     故鄉(ふるさと)の 飛鳥(あすか)はあれど 青丹良(あをによ)し 奈良明日香(ならのあすか)を ()らくし()しも

       故鄉飛鳥京 元興寺矣偉伽藍 青丹良且秀 平承新京明日香 新元興寺亦麗矣

      坂上郎女 0992


0993 同坂上郎女初月歌一首

     月立而 直三日月之 眉根搔 氣長戀之 君爾相有鴨

     月立(つきた)ちて 直三日月(ただみかづき)の 眉根搔(まよねか)き 日長(けなが)()ひし (きみ)()へるかも

       月出現姿形 細長三日上弦月 手搔柳娥眉 慕君苦待日已久 終得與君會一面

      坂上郎女 0993


0994 大伴宿禰家持初月歌一首

     振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞

     振放(ふりさ)けて 三日月見(みかづきみ)れば 一目見(ひとめみ)し (ひと)眉引(まよび)き (おも)ほゆるかも

       仰首望高天 直見上弦三日月 一目視此月 念及伊人柳眉引 睹物思人摧慕情

      大伴家持 0994


0995 大伴坂上郎女宴親族歌一首

     如是為乍 遊飲與 草木尚 春者生管 秋者落去

     如是(かく)しつつ 遊飲(あそびの)みこそ 草木(くさき)すら (はる)()きつつ (あき)散逝(ちりゆ)

       去來親族等 如是遊樂率宴飲 觀夫草木疇 春日盛咲秋逝散 人有盛衰應惜時

      坂上郎女 0995


0996 六年甲戌海犬養宿禰岡麻呂應詔歌一首

     御民吾 生有驗在 天地之 榮時爾 相樂念者

     御民我(みたみわれ) ()ける驗有(しるしあ)り 天地(あめつち)の (さか)ゆる(とき)に ()へらく(おも)へば

       吾為皇御民 生有驗之誠幸甚 吾竊有所思 幸得生逢天地間 繁榮盛時大御代

      海犬養岡麻呂 0996


0997 春三月幸于難波宮之時歌六首 【六首第一。】

     住吉乃 粉濱之四時美 開藻不見 隱耳哉 戀度南

     住吉(すみのえ)の 粉濱蜆(こはまのしじみ) ()けも()ず (こも)りてのみ() 戀渡(こひわた)りなむ

       墨江住吉之 粉濱之蜆殼不開 猶其不開誠 不敞心胸隱耳哉 獨自暗戀渡光陰

      佚名 0997

         右一首,作者未詳。



0998 【承前,六首第二。】

     如眉 雲居爾所見 阿波乃山 懸而榜舟 泊不知毛

     (まよ)(ごと) 雲居(くもゐ)()ゆる 阿波山(あはのやま) ()けて漕船(こぐふね) 泊知(とまりし)らずも

       形如柳眉之 雲居之端可所見 淡路阿波山 指山划行小扁舟 不知將泊在何方

      船王 0998

         右一首,船王作。



0999 【承前,六首第三。】

     從千沼迴 雨曾零來 四八津之白水郎 網手綱乾有 沾將堪香聞

     茅渟迴(ちぬみ)より (あめ)降來(ふりく)る 四極海人(しはつのあま) 網手綱乾(あみてづなほ)せり ()れも(あへ)(かも)

       其自千沼迴 驟雨零來降雰雰 四極之海人 所乾綱手曬網者 將遭雨濡漬濕哉

      守部王 0999

         右一首,遊覽住吉濱,還宮之時,道上守部王應詔作歌。



1000 【承前,六首第四。】

     兒等之有者 二人將聞乎 奧渚爾 鳴成多頭乃 曉之聲

     子等(こら)()らば 二人聞(ふたりき)かむを 沖渚(おきつす)に ()くなる(たづ)の 曉聲(あかときのこゑ)

       子若在此者 吾欲倆人相共聞 沖渚奧津洲 天色晦暗未明時 鳴鶴高啼報曉聲

      守部王 1000

         右一首,守部王作。



1001 【承前,六首第五。】

     大夫者 御獦爾立之 未通女等者 赤裳須素引 清濱備乎

     大夫(ますらを)は 御狩(みかり)()たし 娘子等(をとめら)は 赤裳裾引(あかもすそひ)く 清濱邊(きよきはまび)

       大夫益荒男 起催御狩流鏑馬 娘子手弱女 引赤裳裾漫步迴 清澈澄明濱邊矣

      山部赤人 1001

         右一首,山部宿禰赤人作。



1002 【承前,六首第六。】

     馬之步 押止駐余 住吉之 岸乃黃土 爾保比而將去

     馬步(うまのあゆ)み 抑留(おさへとど)めよ 住吉(すみのえ)の 岸埴生(きしのはにふ)に (にほ)ひて()かむ

       且緩馬之步 押留莫令不停蹄 墨江住吉之 岸邊埴生黃土矣 令彼染衣而將去

      安倍豐繼 1002

         右一首,安倍朝臣豐繼作。



1003 筑後守外從五位下葛井連大成,遙見海人釣船作歌一首

     海娍嬬 玉求良之 奧浪 恐海爾 船出為利所見

     海女娘子(あまをとめ) 玉求(たまもと)むらし 沖波(おきつなみ) 恐海(かしこきうみ)に 船出(ふなで)せり()

       海女娘子等 蓋求珍珠寶玉哉 奧浪沖津波 不畏海象險如此 出船滄溟狀可見

      葛井大成 1003


1004 桉作村主益人歌一首

     不所念 來座君乎 佐保川乃 河蝦不令聞 還都流香聞

     (おも)ほえず 來座(きま)しし(きみ)を 佐保川(さほがは)の 蛙聞(かはづき)かせず (かへ)しつるかも

       始料未曾及 吾君來坐幸寒舍 然在天未暮 未聞佐保川蛙鳴 逕自歸去甚可惜

      桉作益人 1004

         右,內匠大屬桉作村主益人,聊設飲饌,以饗長官佐為王。未及日斜,王既還歸。於時,益人怜惜不猒之歸,仍作此歌。



1005 八年丙子夏六月,幸于芳野離宮之時,山邊宿禰赤人應詔作歌一首 【并短歌。】

     八隅知之 我大王之 見給 芳野宮者 山高 雲曾輕引 河速彌 湍之聲曾清寸 神佐備而 見者貴久 宜名倍 見者清之 此山乃 盡者耳社 此河乃 絕者耳社 百師紀能 大宮所 止時裳有目

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 見賜(めしたま)ふ 吉野宮(よしののみや)は 山高(やまたか)み (くも)棚引(たなび)く 川早(かははや)み 瀨音(せのおと)(きよ)き (かむ)さびて ()れば(たふと)く (よろ)しなへ ()れば(さや)けし 此山(このやま)の ()きばのみこそ 此川(このかは)の ()えばのみこそ 百敷(ももしき)の 大宮所(おほみやところ) ()(とき)()らめ

       八隅治天下 經綸恢弘吾大君 巡幸所見賜 御芳野兮吉野宮 足曳山高險 浮雲棚引繫山頭 川水流且速 瀨音涓涓聲清爽 稜威露神氣 見知其尊貴不凡 宜為大宮所 見知其清雅絕倫 除非此山兮 有朝一日逢盡時 除非此川兮 有朝一日遇絕時 百敷宮闈間 美輪美奐大宮所 榮華豈有止時哉

      山部赤人 1005


1006 反歌一首 【承前。】

     自神代 芳野宮爾 蟻通 高所知者 山河乎吉三

     神代(かみよ)より 吉野宮(よしののみや)に 蟻通(ありがよ)ひ 高知(たかし)らせるは 山川(やまかは)()

       遠自神代昔 吉野宮兮繁蟻通 絡繹人不絕 其宮高知聳巍峨 山川良善景絕倫

      山部赤人 1006


1007 市原王悲獨子歌一首

     言不問 木尚妹與兄 有云乎 直獨子爾 有之苦者

     言問(ことと)はぬ ()すら(いも)()と (あり)()ふを 唯獨子(ただひとりこ)に あるが(くる)しさ

       縱令不言語 草木尚能有兄妹 反顧吾為人 生作獨子無人伴 孤苦寂寞心甚悲

      市原王 1007


1008 忌部首黑麻呂恨友賒來歌一首

     山之葉爾 不知世經月乃 將出香常 我待君之 夜者更降管

     山端(やまのは)に 猶豫(いさよ)(つき)の ()でむかと ()()(きみ)が ()()けにつつ

       其猶山端間 猶豫不決遲出月 今該將出乎 吾所引領苦久待 君尚未至夜已更

      忌部黑麻呂 1008


1009 冬十一月,左大辨葛城王(橘諸兄)等,賜姓橘氏之時,御製歌一首

     橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝爾霜雖降 益常葉之樹

     (たちばな)は ()さへ(はな)さへ 其葉(そのは)さへ (えだ)霜置(しもお)けど 彌常葉木(いやとこはのき)

       橘之花與實 能經寒暑而不彫 其葉復其枝 能凌霜雪而繁茂 彌更常綠非時樹

      聖武天皇 1009

         右,冬十一月九日,從三位葛城王、從四位上佐為王等,辭皇族之高名,賜外家之橘姓已訖。於時,太上(元正)天皇、皇后,共在于皇后宮,以為肆宴,而即御製賀橘之歌,并賜御酒宿禰等也。或云:「此歌,一首太上天皇御歌,但天皇、皇后御歌各有一首者。其歌遺落,未得探求焉。」今檢案內,八年十一月九日,葛城王等願橘宿禰之姓上表。以十七日,依表乞賜橘宿禰。



1010 橘宿禰奈良麻呂應詔歌一首 【承前。】

     奧山之 真木葉凌 零雪乃 零者雖益 地爾落目八方

     奧山(おくやま)の 真木葉凌(まきのはしのぎ) 降雪(ふるゆき)の ()りは()すとも (つち)()ちめやも

       其猶深山中 降雪雖凌真木葉 時久或化古 然雖零雪更降益 橘實豈有落地時

      橘奈良麻呂 1010


1011 冬十二月十二日,歌儛所之諸王臣子等,集葛井連廣成家宴歌二首

       比來,古儛盛興,古歲漸晚。理宜共盡古情,同唱古歌。故擬此趣,輙獻古曲二節。風流意氣之士,儻有此集之中,爭發念心,心和古體。

     我屋戶之 梅咲有跡 告遣者 來云似有 散去十方吉

     ()宿(やど)の 梅咲(うめさ)きたりと 告遣(つげや)らば ()()ふに()たり ()りぬとも()

        吾宿庭園間 屋戶苑內梅已咲 欲告與伊人 一似請君來晤逢 不若散去而可也

      葛井廣成 1011


1012 【承前。】

     春去者 乎呼理爾乎呼里 鶯之 鳴吾嶋曾 不息通為

     春去(はるさ)れば (をを)りに(をを)り (うぐひす)の ()()山齋(しま)そ ()まず(かよ)はせ

       每逢春至者 庭梅爭咲華盛撓 黃鶯報春暖 來回啼鳴我山齋 不止為通當罷來

      葛井廣成 1012


1013 九年丁丑春正月,橘少卿并諸大夫等,集彈正尹門部王家宴歌二首

     豫 公來座武跡 知麻世婆 門爾屋戶爾毛 珠敷益乎

     (あらかじ)め 君來坐(きみきま)さむと ()らませば (かど)宿(やど)にも 玉敷(たまし)(まし)

       若得察未然 豫知君將來幸者 奉為與君晤 敷玉門前與宿間 款待迎來則益矣

      門部王 1013

         右一首,主人門部王。 【後賜姓大原真人氏也。】



1014 【承前。】

     前日毛 昨日毛今日毛 雖見 明日左倍見卷 欲寸君香聞

     一昨日(をとつひ)も 昨日(きのふ)今日(けふ)も ()つれども 明日(あす)さへ()まく ()しき(きみ)かも

       雖云會前日 昨日今日亦逢見 怎奈情不抑 相思之情更泉湧 明日仍欲與君晤

      橘文成 1014

         右一首,橘宿禰文成。 【即少卿之子也。】



1015 榎井王後追和歌一首 【志貴親王之子也。承前。

     玉敷而 待益欲利者 多雞蘇香仁 來有今夜四 樂所念

     玉敷(たまし)きて ()たましよりは 猛踈(たけそ)かに (きた)今夜(こよひ)し (たの)しく(おも)ほゆ

       相較設玉敷 嚴備以待迎吾至 我亦有所思 不若猛踈今夜來 更樂何有不周處

      榎井王 1015


1016 春二月,諸大夫等,集左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家宴歌一首

     海原之 遠渡乎 遊士之 遊乎將見登 莫津左比曾來之

     海原(うなはら)の 遠渡(とほきわた)りを 風流士(みやびを)の (あそ)びを()むと (なづさ)ひそ()

       遠渡蹈滄溟 欲見風流秀才士 雅興遊宴者 不遠千里破風浪 橫越海原漂行來

      巨勢宿奈麻呂 1016

         右一首,書白紙懸著屋壁也。題云:「蓬莱仙媛所化囊蘰,為風流秀才之士矣。斯凡客不所望見哉。」



1017 夏四月,大伴坂上郎女,奉拜賀茂神社之時,便超相坂山,望見近江海,而晚頭還來作歌一首

     木綿疊 手向乃山乎 今日越而 何野邊爾 廬將為吾等

     木綿疊(ゆふたたみ) 手向山(たむけのやま)を 今日越(けふこ)えて 孰野邊(いづれののへ)に (いほ)りせむ(われ)

       木綿疊幣帛 手向貢呈逢坂山 今日越彼山 其後當以孰野邊 假廬此身渡今宵

      坂上郎女 1017


1018 十年戊寅,元興寺之僧自嘆歌一首

     白珠者 人爾不所知 不知友縱 雖不知 吾之知有者 不知友任意

     白玉(しらたま)は (ひと)()らえず ()らずとも()し ()らずとも (あれ)()れらば ()らずとも()

       白珠美玉矣 不為人知無顯聞 眾諸狎侮無所謂 凡俗雖不知 我獨知之寶珠者 他人不解亦無惜

      元興寺僧 1018

         右一首,或云:「元興寺之僧,獨覺多智,未有顯聞,眾諸狎侮。因此僧作此歌,自嘆身才也。」



1019 石上乙麻呂卿,配土左國之時歌三首 【并短歌。】

     石上 振乃尊者 弱女乃 或爾緣而 馬自物 繩取附 肉自物 弓笶圍而 王 命恐 天離 夷部爾退 古衣 又打山從 還來奴香聞

     石上(いそのかみ) 布留尊(ふるのみこと)は 手弱女(たわやめ)の (まど)ひに()りて (うま)(もの) 繩取付(なはとりつ)け (しし)(もの) 弓矢圍(ゆみやかく)みて 大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 天離(あまざか)る 夷邊(ひなへ)(まか)る 古衣(ふるころも) 真土山(まつちやま)より 歸來(かへりこ)ぬかも

       石上布留尊 物部之裔乙麻呂 因手弱女惑 遭此罪咎配土佐 雖非馬之儔 身受桎梏為繩繫 雖非獸之儔 弓矢所圍倨嚴陣 天皇大君之 咎命可恐無所逆 天離日已遠 罷流夷邊土佐地 古衣復打槌 自於紀堺真土山 何日能許歸來哉

      時人 1019


1020 【承前。】

     王 命恐見 刺並 國爾出座 愛耶 吾背乃公矣

     大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み 指並(さしなら)ぶ (くに)出坐(いでま)す ()しきやし ()背君(せのきみ)

       天皇大君之 咎命可恐無所逆 出坐鄰並之 紀伊隔海土佐國 愛也哀憐哉 吾之夫君乙麻呂

      石上乙麻呂妻 1020


1021 【承前。】

     繫卷裳 湯湯石恐石 住吉乃 荒人神 船舳爾 牛吐賜 付賜將 嶋之埼前 依賜將 礒乃埼前 荒浪 風爾不令遇 莫管見 身疾不有 急 令變賜根 本國部爾

     掛幕(かけまく)も (ゆゆ)(かしこ)し 住吉(すみのえ)の 現人神(あらひとがみ) 船舳(ふなのへ)に 領賜(うしはきたま)ひ 著賜(つきたま)はむ 島崎崎(しまのさきざき) 寄賜(よりたま)はむ 磯崎崎(いそのさきざき) 荒波(あらきなみ) (かぜ)()はせず 障無(つつみな)く 病有(やまひあ)らせず (すむや)けく 歸賜(かへしたま)はね 本國邊(もとのくにへ)

       僭述掛尊諱 忌懼誠惶復誠恐 墨江住吉之 底中表筒現人神 願於船舳處 鎮坐領賜率船行 此船之所著 島之諸岬眾崎崎 此船之所寄 磯之諸岬眾崎崎 得不遇荒波 不遭狂風駭浪摧 無恙無所障 不罹病痛無所惱 令之速且倢 早日歸賜令還來 再踏歸途本國邊

      石上乙麻呂妻 1021

         【右二首,常作一首。其間疑有脫漏。】



1022 【承前。】

     父公爾 吾者真名子敘 妣刀自爾 吾者愛兒敘 參昇 八十氏人乃 手向為 恐乃坂爾 幣奉 吾者敘追 遠杵土左道矣

     父君(ちちぎみ)に (われ)愛子(まなご)ぞ 母刀自(ははとじ)に (われ)愛子(まなご)ぞ 參上(まゐのぼ)る 八十氏人(やそうぢひと)の 手向(たむ)けする (かしこ)(さか)に 幣奉(ぬさまつ)り (われ)はぞ()へる 遠土佐道(とほきとさぢ)

       父君觀之者 我為膝下愛子矣 妣母觀之者 吾乃膝下愛子矣 參昇上京兮 八十諸氏百姓人 手向祈安平 窒礙難行恐坂間 奉幣貢物獻於此 吾今一路追行之 驅馳路遙土佐道

      石上乙麻呂 1022


1023 反歌一首 【承前。】

     大埼乃 神之小濱者 雖小 百船純毛 過跡云莫國

     大崎(おほさき)の 神小濱(かみのをばま)は (せば)けども 百船人(ももふなびと)も ()ぐと()()くに

       紀伊大埼之 神之加太小濱者 其湊雖小而 百船諸人祈於此 不敢輕忽擅過之

      石上乙麻呂 1023


1024 秋八月廿日,宴右大臣(橘諸兄)橘家歌四首 【四首第一。】

     長門有 奧津借嶋 奧真經而 吾念君者 千歲爾母我毛

     長門(ながと)なる (おき)借島(かりしま) (おく)まへて ()(おも)(きみ)は 千年(ちとせ)にもがも

       長門沖津處 奧之借島名所如 深邃無極矣 我願己所思慕君 其壽千歲比南山

      巨曾倍對馬 1024

         右一首,長門守巨曾倍對馬朝臣。



1025 【承前。四首第二。】

     奧真經而 吾乎念流 吾背子者 千年五百歲 有巨勢奴香聞

     (おく)まへて (われ)(おも)へる ()背子(せこ)は 千年五百歲(ちとせいほとせ) ありこせぬかも

       深邃無極矣 思慕念我吾兄子 我亦有所願 冀汝長命壽長久 千年長青五百歲

      橘諸兄 1025

         右一首,右大臣和歌。



1026 【承前。四首第三。】

     百礒城乃 大宮人者 今日毛鴨 暇无跡 里爾不出將有

     百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は 今日(けふ)もかも (いとま)()みと (さと)()でざらむ

       百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 汝今復如是 蓋因公務繁無暇 不得出里來相會

      豐島采女 1026

         右一首,右大臣傳云:「故豐嶋采女歌。」



1027 【承前。四首第四。】



1028 十一年己卯,天皇(聖武)遊獵高圓野之時,小獸泄走都里之中。於是,適值勇士生而見獲。即以此獸,獻上御在所副歌一首 【獸名,俗曰むざさび(牟射佐妣)。】

     大夫之 高圓山爾 迫有者 里爾下來流 牟射佐毗曾此

     大夫(ますらを)の 高圓山(たかまとやま)に ()めたれば (さと)下來(おりけ)る 鼯鼠(むざさび)そこれ

       勇士興遊獵 高圓山間獸遁走 為大夫所迫 泄走下來都里中 小獸鼯鼠其是也

      坂上郎女 1028

         右一首,大伴坂上郎女作之。但未逕奏而小獸死斃。因此獻歌停之。



1029 十二年庚辰冬十月,依大宰少貳藤原朝臣廣嗣謀反發軍,幸于伊勢國之時,河口行宮,內舍人大伴宿禰家持作歌一首

     河口之 野邊爾廬而 夜乃歷者 妹之手本師 所念鴨

     河口(かはぐち)の 野邊(のへ)(いほ)りて ()()れば (いも)手本(たもと)し (おも)ほゆるかも

       河口野邊間 結廬假寢為權宿 歷經幾夜者 吾念愛妻妹手枕 更慕難眠愁相思

      大伴家持 1029


1030 天皇(聖武)御製歌一首 【承前。○新古今0897。】



1031 丹比屋主真人歌一首 【承前。】

     後爾之 人乎思久 四泥能埼 木綿取之泥而 好住跡其念

     (おく)れにし (ひと)(しの)はく 思泥崎(しでのさき) 木綿取垂(ゆふとりし)でて (さき)くとそ(おも)

       偲慕留家人 相思之愁情難止 身居思泥崎 手執木綿取而 唯願無恙好住矣

      丹比屋主 1031

         右案,此歌者,不有此行之作乎。所以然言,敕大夫從河口行宮還京,勿令從駕焉。何有詠思泥埼作歌哉。



1032 狹殘行宮,大伴宿禰家持作歌二首 【承前。家持二首第一。】

     天皇之 行幸之隨 吾妹子之 手枕不卷 月曾歷去家留

     大君(おほきみ)の 行幸隨(みゆきのまにま) 我妹子(わぎもこ)が 手枕卷(たまくらま)かず (つき)()にける

       奉為天皇之 行幸之隨至異鄉 親親吾妹子 不得纏汝手為枕 已然經月歷日久

      大伴家持 1032


1033 【承前。家持二首第二。】

     御食國 志麻乃海部有之 真熊野之 小船爾乘而 奧部榜所見

     御食國(みけつくに) 志摩海人(しまのあま)ならし 真熊野(まくまのの)の 小船(をぶね)()りて 沖邊漕見(おきへこぐみ)

       海幸御食國 志摩海人白水郎 紀洲真熊野 熊野小船漁人乘 榜於沖邊今可見

      大伴家持 1033


1034 美濃國多藝行宮大伴宿禰東人作歌一首 【承前。】

     從古 人之言來流 老人之 變若云水曾 名爾負瀧之瀨

     (いにしへ)ゆ 人言來(ひとのいひけ)る 老人(おいひと)の 變若(をつ)()(みづ)そ ()()瀧瀨(たきのせ)

       自古曩昔時 古老口耳相傳來 返老令還童 不老長命變若水 負此名兮瀧瀨矣

      大伴東人 1034


1035 大伴宿禰家持作歌一首 【承前。】

     田跡河之 瀧乎清美香 從古 官仕兼 多藝乃野之上爾

     田跡川(たどかは)の (たき)(きよ)みか (いにしへ)ゆ 宮仕(みやつか)へけむ 多藝野上(たぎのののうへ)

       美濃田跡河 養老之瀧水清明 故自曩昔時 迎造宮殿在此境 多藝野上醴泉處

      大伴家持 1035


1036 不破行宮,大伴宿禰家持作歌一首 【承前。】

     關無者 還爾谷藻 打行而 妹之手枕 卷手宿益乎

     關無(せきな)くは (かへ)りにだにも 打行(うちゆ)きて (いも)手枕(たまくら) ()きて寢益(ねまし)

       天險不破關 若於茲無此關者 蓋難按歸情 縱令打行暫還鄉 欲枕妹腕更復來

      大伴家持 1036


1037 十五年癸未秋八月十六日,內舍人大伴宿禰家持讚久邇京作歌一首

     今造 久邇乃王都者 山河之 清見者 宇倍所知良之

     今造(いまつく)る 久邇都(くにのみやこ)は 山川(やまかは)の (さや)けき()れば 宜知(うべし)らすらし

       今之所造營 恭仁新京久邇都 山川誠壯麗 見之清清澈明者 知定都此寔理宜

      大伴家持 1037


1038 高丘河內連歌二首

     故鄉者 遠毛不有 一重山 越我可良爾 念曾吾世思

     故鄉(ふるさと)は (とほ)くも(あら)ず 一重山(ひとへやま) ()ゆるがからに (おも)ひそ()がせし

       故鄉平城者 去此不遠實非遙 區區一重山 雖知越之即得還 然吾不禁仍慕念

      高丘河內 1038


1039 【承前。】

     吾背子與 二人之居者 山高 里爾者月波 不曜十方余思

     ()背子(せこ)と 二人(ふたり)()らば 山高(やまたか)み (さと)には(つき)は ()らずとも()

       若與吾兄子 二人與共相居者 山高圍青垣 里中隱國遮太陰 月雖不曜無所惜

      高丘河內 1039


1040 安積親王宴左少辨藤原八束朝臣家之日,內舍人大伴宿禰家持作歌一首

     久堅乃 雨者零敷 念子之 屋戶爾今夜者 明而將去

     久方(ひさかた)の (あめ)降頻(ふりし)け 思兒(おもふこ)が 宿(やど)今夜(こよひ)は ()かして()かむ

       遙遙久方兮 雨自天零降頻頻 今夜避雨宿 留居思兒屋戶間 待至天明而方去

      大伴家持 1040


1041 十六年甲申春正月五日,諸卿大夫集安倍蟲麻呂朝臣家宴歌一首 【作者不審。】

     吾屋戶乃 君松樹爾 零雪乃 行者不去 待西將待

     ()宿(やど)の 君松木(きみまつのき)に 降雪(ふるゆき)の ()きには()かじ ()ちにし()たむ

       吾猶我宿之 君木之名所如 雖零其上 不妄前往去 引領久盼君來

      佚名 1041


1042 同月十一日,登活道岡,集一株松下飲歌二首

     一松 幾代可歷流 吹風乃 聲之清者 年深香聞

     一松(ひとつまつ) 幾代(いくよ)()ぬる 吹風(ふくかぜ)の 聲清(こゑのきよ)きは 年深(としふか)(かも)

       獨樹孤松矣 汝經幾世歷幾代 吹風聲清者 蓋已年深歷時久 古色蒼鬱隨神哉

      市原王 1042

         右一首,市原王作。



1043 【承前。○續古今1754。】



1044 傷惜寧樂京荒墟作歌三首 【作者不審。】

     紅爾 深染西 情可母 寧樂乃京師爾 年之歷去倍吉

     (くれなゐ)に 深染(ふかくし)みにし (こころ)かも 奈良都(ならのみやこ)に 年經(としのへ)ぬべき

       朱料色真赤 深染鮮紅沁赭匂 吾今以此情 身居荒墟寧樂京 傷惜奈良當經年

      佚名 1044


1045 【承前。】

     世間乎 常無物跡 今曾知 平城京師之 移徙見者

     世間(よのなか)を 常無(つねな)(もの)と (いま)()る 奈良都(ならのみやこ)の (うつ)ろふ()れば

       空蟬憂世間 諸行無常總遷變 吾今悟此理 眼見平城京移徙 往時榮景不復存

      佚名 1045


1046 【承前。】

     石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又將見鴨

     岩綱(いはつな)の 又變若返(またをちかへ)り 青丹良(あをによ)し 奈良都(ならのみやこ)を (また)()(かも)

       石葛岩綱兮 又復返老還盛年 青丹誠良矣 平城寧樂奈良京 榮景可將復見歟

      佚名 1046


1047 悲寧樂故鄉作歌一首 【并短歌。】

     八隅知之 吾大王乃 高敷為 日本國者 皇祖乃 神之御代自 敷座流 國爾之有者 阿禮將座 御子之嗣繼 天下 所知座跡 八百萬 千年矣兼而 定家牟 平城京師者 炎乃 春爾之成者 春日山 御笠之野邊爾 櫻花 木晚牢 皃鳥者 間無數鳴 露霜乃 秋去來者 射駒山 飛火賀嵬丹 芽乃枝乎 石辛見散之 狹男壯鹿者 妻呼令動 山見者 山裳見皃石 里見者 里裳住吉 物負之 八十伴緒乃 打經而 思煎敷者 天地乃 依會限 萬世丹 榮將徃跡 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事爾之有者 皇之 引乃真爾真荷 春花乃 遷日易 村鳥乃 旦立徃者 刺竹之 大宮人能 踏平之 通之道者 馬裳不行 人裳徃莫者 荒爾異類香聞

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 高敷(たかし)かす 大和國(やまとのくに)は 皇祖(すめろき)の 神御代(かみのみよ)より 敷坐(しきま)せる (くに)にしあれば 生坐(あれま)さむ 御子繼繼(みこのつぎつ)ぎ 天下(あめのした) ()らし()さむと 八百萬(やほよろづ) 千年(ちとせ)()ねて (さだ)めけむ 奈良都(ならのみやこ)は 陽炎(かぎろひ)の (はる)にし()れば 春日山(かすがやま) 御笠野邊(みかさののへ)に 櫻花(さくらばな) 木暗隱(このくれがく)り 貌鳥(かほどり)は 間無(まな)數鳴(しばな)く 露霜(つゆしも)の 秋去來(あきさりく)れば 生駒山(いこまやま) 飛火(とぶひ)(をか)に 萩枝(はぎのえ)を 柵散(しがらみち)らし 小雄鹿(さをしか)は 妻呼響(つまよびとよ)む 山見(やまみ)れば (やま)()()し 里見(さとみ)れば (さと)住良(すみよ)し 文武百官(もののふ)の 八十伴男(やそとものを)の 裏這(うちは)へて (おも)へりしくは 天地(あめつち)の 寄合(よりあ)ひの(きは)み 萬代(よろづよ)に (さか)()かむと (おも)へりし 大宮(おほみや)すらを (たの)めりし 奈良都(ならのみやこ)を 新代(あらたよ)の (こと)にしあれば 大君(おほきみ)の ()きの(まにま)に 春花(はるはな)の 移變(うつろひかは)り 群鳥(むらとり)の 朝立行(あさだちゆ)けば 刺竹(さすたけ)の 大宮人(おほみやひと)の 踏平(ふみなら)し (かよ)ひし(みち)は (うま)()かず (ひと)()かねば ()れにけるかも

       八隅治天下 經綸恢弘吾大君 高敷臨御宇 秋津大和之國者 皇祖皇宗之 神武大御代以來 定以為京師 光宅敷座秀國矣 天津日嗣之 所生御子繼綿延 掩天下八紘 以為一宇躬君臨 八百萬無限 兼知未然千年後 定都營京師 平城寧樂奈良京 陽炎絢麗兮 時值佐保春日臨 乃樂春日山 以至御笠野邊間 櫻木花盛咲 隱於木暗樹蔭間 妍麗貌鳥者 數鳴無間報春暖 露霜降置白 龍田之秋去來者 乃樂生駒山 以至飛火崗岳間 蹋散萩枝而 步迴柵散亂落柄 雄牡小壯鹿 呼妻聲響鳴迴盪 見彼寧樂山 山明觀之不厭飽 顧彼平城里 里鄉宜居寔住吉 文武百官之 八十伴緒益荒男 裏這續綿延 古今末長所思者 玄天黃地之 寄合相交遠極處 永久萬代間 繁華榮盛無絕時 吾雖作此思 所念百敷大宮處 吾雖寄憑賴 青丹良秀奈良都 時值新御代 以彼萬象須更新 大君命惶恐 唯諾隨君之所率 一猶春華兮 世事無常早移變 復如群鳥兮 朝日出行別去者 刺竹生茂繁 百敷宮闈大宮人 過去所蹋平 絡繹不絕蟻通道 人事咸已非 馬之不行人不往 寧樂故鄉今荒頹

      田邊福麻呂 1047


1048 反歌二首 【承前。】

     立易 古京跡 成者 道之志婆草 長生爾異煎

     立變(たちかは)り 古都(ふるきみやこ)と ()りぬれば 道芝草(みちのしばくさ) (なが)()ひにけり

       世易時移矣 寧樂故鄉化舊京 今日以此故 道中芝草生長茂 荒煙廢絕令鼻酸

      田邊福麻呂 1048


1049 【承前。】

     名付西 奈良乃京之 荒行者 出立每爾 嘆思益

     (なつ)きにし 奈良都(ならのみやこ)の 荒行(あれゆ)けば 出立(いでた)(ごと)に (なげ)きし()さる

       所懷所馴染 奈良故鄉寧樂京 以彼荒廢者 每逢出行佇屋外 見此悲景徒增歎

      田邊福麻呂 1049


1050 讚久邇新京歌二首 【并短歌。】

     明津神 吾皇之 天下 八嶋之中爾 國者霜 多雖有 里者霜 澤爾雖有 山並之 宜國跡 川次之 立合鄉跡 山代乃 鹿脊山際爾 宮柱 太敷奉 高知為 布當乃宮者 河近見 湍音敘清 山近見 鳥賀鳴慟 秋去者 山裳動響爾 左男鹿者 妻呼令響 春去者 岡邊裳繁爾 巖者 花開乎呼理 痛𢘟怜 布當乃原 甚貴 大宮處 諾己曾 吾大王者 君之隨 所聞賜而 刺竹乃 大宮此跡 定異等霜

     現神(あきつかみ) ()大君(おほきみ)の 天下(あめのした) 八島內(やしまのうち)に (くに)はしも (さは)()れども (さと)はしも (さは)()れども 山並(やまなみ)の (よろ)しき(くに)と 川並(かはなみ)の 立合(たちあ)(さと)と 山背(やましろ)の 鹿脊山際(かせやまのま)に 宮柱(みやばしら) 太敷奉(ふとしきまつ)り 高知(たかし)らす 布當宮(ふたぎのみや)は 川近(かはちか)み 瀨音(せのおと)(きよ)き 山近(やまちか)み (とり)音響(ねとよ)む 秋去(あきさ)れば (やま)(とどろ)に 小雄鹿(さをしか)は 妻呼響(つまよびとよ)め 春去(はるさ)れば 岡邊(をかへ)(しじ)に (いはほ)には 花咲撓(はなさきをを)り 痛怜(あなおもしろ) 布當原(ふたぎのはら) 甚貴(いとたふと) 大宮所(おほみやところ) (うべ)しこそ ()大君(おほきみ)は 隨君(きみながら) ()かし(たま)ひて 刺竹(さすたけ)の 大宮此處(おほみやここ)と (さだ)めけらしも

       明神現人神 經綸恢弘吾大君 六合天之下 所治大八洲國中 諸國雖多有 無處地靈猶此矣 諸里雖多在 莫有人傑若此矣 山並誠巍峨 山明壯麗宜國矣 川並寔蜿蜒 錯蹤絡合秀里矣 山背山城之 鹿脊山之麓際處 豎立嚴宮柱 太敷奉立營廣厚 建之治高聳 久邇新京布當宮 去川程不遠 瀨音潺潺清清矣 去山道不遠 鳥鳴音響渡繞樑 時值秋日者 山中聲鳴響轟轟 牡雄小壯鹿 戀妻呼鳴啼不斷 時值春日者 崗邊寔繁無間斷 磐根巨巖間 百花爭艷撓亂咲 嗚呼甚憐矣 美不勝收布當原 其尊高貴矣 此其百敷大宮所 宜矣如是哉 英明聖絕吾大君 隨臣之所奏 聞賜諸兄獻策者 定彼刺竹之 榮盛繁茂大宮所 鎮座此地御宇哉

      田邊福麻呂 1050


1051 反歌二首 【承前,反歌第一。】

     三日原 布當乃野邊 清見社 大宮處【一云,此跡標刺。】 定異等霜

     三香原(みかのはら) 布當野邊(ふたぎののへ)を (きよ)みこそ 大宮所(おほみやところ)一云(またにいふ)此處(ここ)標刺(しめさ)し。】 (さだ)めけらしも

       賀茂三香原 久邇布當野邊處 以其清清故 定為百敷大宮所 【一云,標刺此處為宮闕。】 長治六合至永久

      田邊福麻呂 1051


1052 【承前,反歌第二。】

     山高來 川乃湍清石 百世左右 神之味將徃 大宮所

     山高(やまたか)く 川瀨清(かはのせきよ)し 百代迄(ももよまで) (かむ)しみ()かむ 大宮所(おほみやところ)

       山高勢巍峨 水秀川瀨湍清清 縱令百代後 更行神聖蘊稜威 嗚呼美哉大宮所

      田邊福麻呂 1052


1053 【讚久邇新京歌第二。】

     吾皇 神乃命乃 高所知 布當乃宮者 百樹成 山者木高之 落多藝都 湍音毛清之 鸎乃 來鳴春部者 巖者 山下耀 錦成 花咲乎呼里 左壯鹿乃 妻呼秋者 天霧合 之具禮乎疾 狹丹頰歷 黃葉散乍 八千年爾 安禮衝之乍 天下 所知食跡 百代爾母 不可易 大宮處

     ()大君(おほきみ) 神尊(かみのみこと) 高知(たかし)らす 布當宮(ふたぎのみや)は 百木盛(ももきも)り (やま)木高(こだか)し 落激(おちたぎ)つ 瀨音(せのおと)(きよ)し (うぐひす)の 來鳴(きな)春邊(はるへ)は (いはほ)には 山下光(やましたひか)り 錦為(にしきな)す 花咲撓(はなさきをを)り 小雄鹿(さをしか)の 妻呼(つまよ)(あき)は 天霧(あまぎ)らふ 時雨(しぐれ)(いた)み 小丹面(さにつら)ふ 黃葉散(もみちち)りつつ 八千年(やちとせ)に 生付(あれつ)かしつつ 天下(あめのした) ()らしめさむと 百代(ももよ)にも (かは)るましじき 大宮所(おほみやところ)

       吾皇我大君 顯人明神神尊矣 高築治天下 久邇新京布當宮 百木生繁茂 山間樹高盛蒼鬱 水落湍流激 瀨音清澈沁身心 黃鶯啼出谷 來鳴報暖春日者 春日巖磐根 縱令山下亦光曜 絢爛猶華錦 百花爭艷撓亂咲 牡雄小壯鹿 呼妻戀啼秋日者 天霧曇蔽空 時雨疾降零不止 染赤小丹面 黃葉舞散降紛紛 永末八千年 生兒八十綿延胤 於此治天下 高知御宇馭國中 縱令百代後 屹立不搖莫可易 偉哉久邇大宮所

      田邊福麻呂 1053


1054 反歌五首 【承前,反歌五首第一。】

     泉川 徃瀨乃水之 絕者許曾 大宮地 遷徃目

     泉川(いづみがは) 行瀨水(ゆくせのみづ)の ()えばこそ 大宮所(おほみやところ) 移行(うつろひゆ)かめ

       泉川徃瀨矣 逝水不曾捨晝夜 其水無絕時 除非一旦逝水斷 大宮方有衰移時

      田邊福麻呂 1054


1055 【承前,反歌五首第二。】

     布當山 山並見者 百代爾毛 不可易 大宮處

     布當山(ふたぎやま) 山並見(やまなみみ)れば 百代(ももよ)にも (かは)るましじき 大宮所(おほみやところ)

       久邇布當山 見比連山峻勢者 可知百代後 巍峨不變永屹立 偉哉久邇大宮所

      田邊福麻呂 1055


1056 【承前,反歌五首第三。】

     妗嬬等之 續麻繫云 鹿脊之山 時之徃者 京師跡成宿

     娘子等(をとめら)が 績麻懸(うみをか)くと()ふ 鹿脊山(かせのやま) (とき)()ければ (みやこ)(なり)

       昔日娘子等 績麻懸兮通之 足曳鹿脊山 世易時移歷運轉 今作京師化都城

      田邊福麻呂 1056


1057 【承前,反歌五首第四。】

     鹿脊之山 樹立矣繁三 朝不去 寸鳴響為 鸎之音

     鹿脊山(かせのやま) 木立(こだち)(しげ)み 朝去(あささ)らず 來鳴響(きなきとよ)もす 鶯聲(うぐひすのこゑ)

       足曳鹿脊山 木立寔繁茂蒼鬱 以彼蒼翠故 每朝不闕來鳴響 鶯聲繞梁音不絕

      田邊福麻呂 1057


1058 【承前,反歌五首第五。】

     狛山爾 鳴霍公鳥 泉河 渡乎遠見 此間爾不通【一云,渡遠哉,不通有武。】

     狛山(こまやま)に ()霍公鳥(ほととぎす) 泉川(いづみがは) (わた)りを(とほ)み 此處(ここ)(かよ)はず一云(またにいふ)渡遠(わたりとほ)みか、(かよ)はざるらむ。】

       蒼翠狛山間 所鳴郭公不如歸 以彼泉川之 所渡河幅廣遠故 不通此間不來哉【一云,渡賴懸河廣遠哉,於是不通吾甚惜。】

      田邊福麻呂 1058


1059 春日悲傷三香原荒墟作歌一首 【并短歌。】

     三香原 久邇乃京師者 山高 河之瀨清 在吉跡 人者雖云 在吉跡 吾者雖念 故去之 里爾四有者 國見跡 人毛不通 里見者 家裳荒有 波之異耶 如此在家留可 三諸著 鹿脊山際爾 開花之 色目列敷 百鳥之 音名束敷 在杲石 住吉里乃 荒樂苦惜哭

     三香原(みかのはら) 久邇都(くにのみやこ)は 山高(やまたか)み 川瀨清(かはのせきよ)み 住良(すみよ)しと (ひと)()へども 在良(ありよ)しと (われ)(おも)へど ()りにし (さと)にしあれば 國見(くにみ)れど (ひと)(かよ)はず 里見(さとみ)れば (いへ)()れたり ()しけやし 如是(かく)ありけるか 三諸齋(みもろつ)く 鹿脊山際(かせやまのま)に 咲花(さくはな)の 色珍(いろめづら)しく 百鳥(ももとり)の 聲懷(こゑなつか)しく (あり)()し 住良(すみよ)(さと)の ()るらく()しも

       賀茂三香原 恭仁久邇京師者 山高勢巍峨 水秀川瀨湍清清 人雖云此地 宜室宜家寔住吉 我雖思此地 宜居宜棲寔在吉 然今為荒墟 化作故里舊都者 迴首顧國中 門可羅雀無人通 迴首顧里間 家亦荒頹蔓草生 嗚呼哀憐哉 世間無常如是乎 神齋三諸岳 鹿脊山際麓陲處 妍花咲爭艷 花色絢爛貴珍奇 百鳥啼爭鳴 鳥囀聲懷誠難捨 吾願得久居 如此宜住良里之 化作荒墟令人惜

      田邊福麻呂 1059


1060 反歌二首 【承前,反歌第一。○新敕撰1267。】
1061 【承前,反歌第二。】

     咲花乃 色者不易 百石城乃 大宮人敘 立易奚流

     咲花(さくはな)の (いろ)(かは)らず 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)ぞ 立變(たちかは)りける

       咲花色不易 一如昔時無變改 然見百敷之 殿上宮闈大宮人 立易移變不復還

      田邊福麻呂 1061


1062 難波宮作歌一首 【并短歌。】

     安見知之 吾大王乃 在通 名庭乃宮者 不知魚取 海片就而 玉拾 濱邊乎近見 朝羽振 浪之聲躁 夕薙丹 櫂合之聲所聆 曉之 寐覺爾聞者 海石之 鹽乾乃共 汭渚爾波 千鳥妻呼 葭部爾波 鶴鳴動 視人乃 語丹為者 聞人之 視卷欲為 御食向 味原宮者 雖見不飽香聞

     八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の 蟻通(ありがよ)ふ 難波宮(なにはのみや)は 鯨魚取(いさなと)り 海片付(うみかたづ)きて 玉拾(たまひり)ふ 濱邊(はまへ)(ちか)み 朝羽振(あさはふ)る 波音騷(なみのおとさわ)き 夕凪(ゆふなぎ)に 楫音聞(かぢのおとき)こゆ (あかとき)の 寢覺(ねざめ)()けば 海石(いくり)の 潮乾共(しほかれのむた) 浦洲(うらす)には 千鳥妻呼(ちどりつまよ)び 葦邊(あしへ)には (たづ)音響(ねとよ)む 見人(みるひと)の (かた)りにすれば 聞人(きくひと)の ()まく()りする 御食向(みけむか)ふ 味經宮(あぢふのみや)は ()れど()かぬかも

       八隅治天下 經綸恢弘吾大君 蟻通車馬喧 押照樂浪難波宮 鯨魚獵取兮 邊津近海接蒼溟 拾玉獲真珠 近岸濱邊去不遠 朝羽振搏翅 波音騷動浪聲高 夕凪風浪歇 榜船楫音可耳聞 朝日晨曉時 寢覺之間聞音者 海若海石之 潮乾潮涸相與共 其於浦洲間 千鳥高啼喚戀妻 其於葦邊處 群鶴鳴立發音響 此情復此景 見者語之口相傳 聞人聽其言 心神嚮往欲見之 御食所向兮 難波味原味經宮 縱觀千遍亦不倦

      田邊福麻呂 1062


1063 反歌二首 【承前,反歌第一。】

     有通 難波乃宮者 海近見 漁童女等之 乘船所見

     蟻通(ありがよ)ふ 難波宮(なにはのみや)は 海近(うみちか)み 海人娘子等(あまをとめら)が ()れる舟見(ふねみ)

       蟻通人不絕 押照樂浪難波宮 以其近倉溟 漁獵海人娘子等 所乘之舟今可見

      田邊福麻呂 1063


1064 【承前,反歌第二。】

     鹽乾者 葦邊爾躁 白鶴乃 妻呼音者 宮毛動響二

     潮乾(しほふ)れば 葦邊(あしへ)(さわ)く 白鶴(しらたづ)の 妻呼聲(つまよぶこゑ)は (みや)(とどろ)

       潮乾潮涸時 白鶴騷鳴在葦邊 戀妻情難止 鶴喚高啼呼妻聲 傳至宮中亦轟響

      田邊福麻呂 1064


1065 過敏馬浦時作歌一首 【并短歌。】

     八千桙之 神乃御世自 百船之 泊停跡 八嶋國 百船純乃 定而師 三犬女乃浦者 朝風爾 浦浪左和寸 夕浪爾 玉藻者來依 白沙 清濱部者 去還 雖見不飽 諾石社 見人每爾 語嗣 偲家良思吉 百世歷而 所偲將徃 清白濱

     八千桙(やちほこ)の 神御代(かみのみよ)より 百船(ももふね)の ()つる(とま)りと 八島國(やしまくに) 百舟人(ももふなびと)の (さだ)めてし 敏馬浦(みぬめのうら)は 朝風(あさかぜ)に 浦波騷(うらなみさわ)き 夕波(ゆふなみ)に 玉藻(たまも)來寄(きよ)る 白真砂(しらまなご) 清濱邊(きよきはまへ)は 行歸(ゆきかへ)り ()れども()かず (うべ)しこそ ()人每(ひとごと)に 語繼(かたりつ)ぎ (しの)ひけらしき 百代經(ももよへ)て (しの)はえ()かむ 清白濱(きよきしらはま)

       顯國八千矛 大國主神大汝命 自彼御世起 百船停泊此湊矣 大八島國中 千舟百船討海人 百慮之所定 刈藻罔象敏馬浦 朝風吹拂者 浦浪騷動隨風湧 夕波盪漾者 玉藻逐流來寄岸 潔白齋真砂 無垢清淨濱邊矣 每逢行歸時 見之百遍不倦厭 諾矣寔理宜 人每見之觸心絃 口耳相語繼 偲之褒之存不忘 縱令經百代 相傳與共讚不絕 如是淨潔清白濱

      田邊福麻呂 1065


1066 反歌二首 【承前,反歌第一。】

     真十鏡 見宿女乃浦者 百船 過而可徃 濱有七國

     真十鏡(まそかがみ) 敏馬浦(みぬめのうら)は 百船(ももふね)の ()ぎて()くべき (はま)なら()くに

       清澄真十鏡 見宿女兮敏馬浦 百船所敬重 每經此浦必手向 不得輙過此濱矣

      田邊福麻呂 1066


1067 【承前,反歌第二。】

     濱清 浦愛見 神世自 千船湊 大和太乃濱

     濱清(はまきよ)み 浦愛(うらうるは)しみ 神代(かみよ)より 千船泊(ちふねのは)つる 大和太濱(おほわだのはま)

       濱清砂潔白 浦景明媚無限好 早自千早振 神代以來千船泊 大和太之輪田濱

      田邊福麻呂 1067

         右廿一首,田邊福麻呂之歌集中出也。



真字萬葉集 卷第六 雜歌 終