真字萬葉集 卷第一 雜歌


雜歌

  •  泊瀨朝倉宮御宇天皇代 大泊瀨稚武天皇【雄略】

    0001 天皇御製歌

       籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳爾 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虛見津 山跡乃國者 押奈戶手 吾許曾居 師吉名倍手 吾己曾座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母

       ()もよ 御籠持(みこも)ち 堀串(ふくし)もよ 御堀串持(みぶくしも)ち 此岡(このをか)に 菜摘(なつ)ます() 家告(いへの)らせ 名告(なの)らさね 虛空見(そらみ)つ 大和國(やまとのくに)は 押並(おしな)べて (われ)こそ()れ 敷並(しきな)べて (われ)こそ(いま)せ (われ)こそば ()らめ (いへ)をも()をも

         美籠矣 手執良籠美籠者 箆矣堀串矣 手執箆兮堀串者 今在此岡上 摘菜之兒美娘子 願聞汝家者 冀聞汝名矣 虛空見日本 磯輪上大和國者 處處無所餘 盡為寡人君臨兮 隅隅無所留 咸為寡人御宇兮 非令他人知 惟有向吾人 冀告汝家訴芳名

        雄略天皇 0001


  •  高市岡本宮御宇天皇代 息長足日廣額天皇【舒明】

    0002 天皇登香具山望國之時,御製歌

       山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜𢘟國曾 蜻嶋 八間跡能國者 【○怜𢘟,底本,可帶忄旁。】

       大和(やまと)には 群山在(むらやまあ)れど 取寄(とりよ)ろふ (あめ)香具山(かぐやま) 登立(のぼりた)ち 國見(くにみ)をすれば 國原(くにはら)は 煙立(けぶり)()つ 海原(うなはら)は 鷗立(かまめた)()つ 可怜國(うましくに)そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和國(やまとのくに)

         秀真大和國 國中雖有群山在 取寄可恃兮 天香具山最巍峨 登立彼山上 俯瞰遙望國中者 國原平野間 民竈炊煙繁盛矣 海原蒼溟間 千鳥海鷗翱翔矣 細戈千足可怜國 浦安蜻蛉島 此大和國誠真秀

        舒明天皇 0002


    0003 天皇遊獦內野之時,中皇命使間人連老獻歌

       八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊緣立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝獦爾 今立須良思 暮獦爾 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里

       八隅治(やすみし)し ()大君(おおきみ)の (あした)には 取撫給(とりなでたま)ひ ()には い寄立(よりた)たしし 御執(みと)らしの 梓弓(あづさのゆみ)の 中弭(なかはず)の (おと)(なり) 朝獦(あさがり)に 今發(いまた)たすらし 夕獦(ゆふがり)に 今發(いまた)たすらし 御執(みと)らしの 梓弓(あづさのゆみ)の 中弭(なかはず)の (おと)(なり)

         八隅治天下 經綸恢弘我大君 其於早朝時 取執撫兮愛翫者 其於夕暮時 寄近立兮觀寵者 躬執愛用之 嚴威麗美梓弓矣 彼弓中弭之 絃音可聞也 晨曦朝獵矣 今將發向幸巡狩 黃昏夕獵矣 今將發向幸巡狩 御執愛用之 嚴威麗美梓弓矣 彼弓中弭之 絃音可聞也

        中皇命 0003


    0004 反歌 【承前。反歌者,添於長歌之後,為其總結、亦或演佈。】

       玉尅春 內乃大野爾 馬數而 朝布麻須等六 其草深野

       魂極(たまき)はる 宇智大野(うちのおほの)に 馬並(うまな)めて 朝踏(あさふ)ますらむ 其草深野(そのくさぶかの)

         玉極靈剋兮 菟道宇治大野矣 野中馬群並 奔騰縱橫朝踏野 於其草深野者哉

        中皇命 0004


    0005 幸讚岐國安益郡之時,軍王見山作歌

       霞立 長春日乃 晚家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨座 吾衣手爾 朝夕爾 還比奴禮婆 大夫登 念有我母 草枕 客爾之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 燒鹽乃 念曾所燒 吾下情

       霞立(かすみた)つ (なが)春日(はるひ)の (くれ)れにける わづきも()らず 群肝(むらきも)の (こころ)(いた)み 鵺子鳥(ぬえことり) 心泣居(うらなけを)れば 玉襷(たまだすき) (かけ)けの(よろ)しく 遠神(とほつかみ) ()大君(おおきみ)の 行幸(いでまし)の 山越(やまご)(かせ)の 獨居(ひとりを)る ()衣手(ころもで)に 朝夕(あさよひ)に (かへ)らひぬれば 大夫(ますらを)と (おも)へる(あれ)も 草枕(くさまくら) (たび)にし()れば 思遣(おもひや)る 方法(たづき)()らに 網浦(あみのうら)の 海人娘子等(あまをとめら)が ()(しほ)の (おも)ひぞ()ゆる ()下心(したごころ)

         晚霞染天際 佐保春日晝且長 何時日已暮 分明不知莫得詳 群肝肺腑之 吾心苦痛悶鬱鬱 虎鶇鵺子鳥 內心孤零竊泣者 玉襷掛手繦 縱獲搭訊吾心歡 遠神亙古今 御宇天下我大君 汝今所行幸 山上嵐風越嶺來 彼風冷冽冽 拂我孤身衣手寒 朝朝復夕夕 風吹返兮嚮故鄉 雖思益荒男 吾縱丈夫心剛毅 然以草枕兮 身在羈旅猶浮草 雖欲晴憂思 苦於無術更茫然 一猶網之浦 海人娘子等燒鹽 如彼鹽滾滾 苦悶翻騰燃思火 吾之方寸莫安寧

        軍王 0005


    0006 反歌 【承前。】



  •  明日香川原宮御宇天皇代 天豐財重日足姬天皇【皇極】

    0007 額田王歌 未詳



  •  後岡本宮御宇天皇代 天豐財重日足姫天皇,讓位後,即位後岡本宮。【齊明】

    0008 額田王歌



    0009 幸于紀溫泉之時,額田王作歌

       莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 吾瀨子之 射立為兼 五可新何本

       莫囂圓隣之(未詳) 大相七兄爪謁氣(未詳) ()背子(せこ)が い()たせりけむ 嚴橿(いつかし)(もと)

         莫囂圓隣之 大相七兄爪謁氣 親親吾夫婿 立於身傍寄其側 稜威白檮嚴橿下

        額田王 0009


    0010 中皇命,徃于紀溫泉之時御歌

       君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去來結手名

       (きみ)()も ()()()() 岩代(いはしろ)の 岡草根(をかのくさね)を 去來結(いざむす)びてな

         所治君之壽 所掌吾之壽者耶 此磐岩代之 靈異岡之草根矣 去來結兮祈命長

        中皇命 0010


    0011 【承前。】

       吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核

       ()背子(せこ)は 假廬作(かりいほつく)らす 草無(かやな)くは 小松(こまつ)(もと)の (くさ)()らさね

         親親吾夫君 躬身起造作假廬 若無萱草者 請苅小松樹下草 以彼根草葺屋脊

        中皇命 0011


    0012 【承前。】

       吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曾不拾 【或頭云:「吾欲 子嶋羽見遠。」】

       ()()りし 野島(のしま)()せつ 底深(そこふか)き 阿胡根浦(あごねのうら)の (たま)(ひり)はぬ 【(ある)(かみ)(いふ):「()()りし 子島(こしま)()しを。」】

         吾人之所欲 冀見野島已得睹 然底深邃之 志摩阿胡根浦之 真珠美玉未得拾 【或本,頭云:「吾人之所欲,冀見子嶋已得睹。」】

        中皇命 0011

           右,檢山上憶良大夫類聚歌林曰:「天皇御製歌。云云。



    0013 中大兄【近江宮御宇天皇】三山歌一首

       高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代從 如此爾有良之 古昔母 然爾有許曾 虛蟬毛 嬬乎 相挌良思吉

       香具山(かぐやま)は 畝傍雄雄(うねびをを)しと 耳梨(みみなし)と 相爭引(あひあらそひ)き 神代(かみよ)より (かく)(ある)らし (いにしへ)も (しか)()れこそ ()つせ()も (つま)を (あらそ)ふらしき

        天香具山者 思畝傍山雄雄矣 故畝傍耳梨 相競相爭互不讓 千早振神代 自古爭執若如此 曩昔如此者 以彼古代相爭競 故浮身今世 人亦逑良妻 相鬥欲得佳人歸

        天智天皇 0013


    0014 反歌 【承前。】
    0015 【承前。】



  •  近江大津宮御宇天皇代 天命開別天皇,諡曰天智天皇。【天智】

    0016 天皇詔內大臣藤原朝臣(鎌足),競憐春山萬花之艷、秋山千葉之彩時,額田王以歌判之歌

       冬木成 春去來者 不喧有之 鳥毛來鳴奴 不開有之 花毛佐家禮抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黃葉乎婆 取而曾思努布 青乎者 置而曾歎久 曾許之恨之 秋山吾者

       冬籠(ふゆごも)り 春去來(はるさりく)れば ()かざりし (とり)來鳴(きな)きぬ ()かざりし (はな)()けれど (やま)()み ()りても()らず 草深(くさふか)み ()りても()ず 秋山(あきやま)の 木葉(このは)()ては 黄葉(もみち)をば ()りてそ(しの)ふ (あお)きをば ()きてそ(なげ)く 其處(そこ)(うら)めし 秋山(あきやま)(あれ)

         籠冬日已遠 嚴寒遁去春來者 寒冬不發啼 鳥至春時亦來鳴 嚴冬雖不綻 花至春時咲爭豔 然以山茂密 莫得入山取花鳥 又以草深邃 莫得入兮見花鳥 今顧秋山之 彼山木葉彩千萬 若見黃葉者 得以手取賞翫之 若見尚青者 得以置兮歎息之 惟此惋惜稍恨之 吾愛秋山橫趣生

        額田王 0015


    0017 額田王下近江國時作歌,井戶王即和歌

       味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隱萬代 道隈 伊積流萬代爾 委曲毛 見管行武雄 數數毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隱障倍之也

       味酒(うまさけ) 三輪山(みわのやま) 青丹良(あをによ)し 奈良山(ならのやま)の 山際(やまのま)に い(かく)(まで) 道隈(みちのくま) い(つも)(まで)に 委曲(つばら)にも ()つつ()かむを (しばしば)も 見放(みさ)けむ(やま)を 心無(こころなく)く (くも)の (かく)さふべしや

         美酒彌醇矣 大和御諸三輪山 青丹良且秀 大和乃樂奈良山 吾欲見彼山 直至蔽隱山際後 吾欲翫彼山 直至道隈重幾重 委曲詳觀望 吾欲視之至永久 屢見觀幾度 彼山秀兮眺不厭 然以雲無情 蔽山不得見 如此雲隱豈宜哉

        額田王 0017


    0018 反歌 【承前。】



    0019 反歌 【承前。】

       綜麻形乃 林始乃 狹野榛能 衣爾著成 目爾都久和我勢

       綜麻形(へそかた)の 林前(はやしのさき)の 狹野榛(さのはり)の (きぬ)()くなす ()()(つく)()

         綜麻絲形之 三輪御諸林之端 野榛易著衣 綜麻貫針刺衣襴 尋絲覓得見吾夫

        井戶王 0019

           右一首歌,今案,不似和歌。但舊本載于此次,故以猶載焉。



    0020 天皇遊獦蒲生野時,額田王作歌

       茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

       茜草射(あかねさ)す 紫草野行(むらさきのゆ)き 標野行(しめのゆ)き 野守(のもり)()ずや (きみ)袖振(そでふ)

         暉曜緋茜射 行至群咲紫草野 到來標禁野 野守豈不見也哉 視君揮袖振衣手

        額田王 0020


    0021 皇太子答御歌 【承前。】 明日香宮御宇天皇,謚曰天武天皇。



  •  明日香清御原宮天皇代 天渟中原瀛真人天皇,諡曰天武天皇。【天武】

    0022 十市皇女參赴於伊勢神宮時,見波多橫山巖,吹芡刀自作歌



    0023 麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時,人哀傷作歌

       打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須

       打麻(うちそ)を 麻績王(をみのおほきみ) 海人(あま)なれや 伊良虞島(いらごのしま)の 玉藻刈(たまもか)ります

         擊麻荒妙柔 可哀麻績麻續王 汝亦海人哉 流伊勢伊良虞島 刈玉藻猶白水郎

        佚名 0023


    0024 麻續王聞之感傷和歌 【承前。】



    0025 天皇御製歌

       三吉野之 耳我嶺爾 時無曾 雪者落家留 間無曾 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍敘來 其山道乎

       御吉野(みよしの)の 耳我嶺(みみがのみね)に 時無(ときな)くそ (ゆき)()りける 間無(まな)くそ (あめ)()りける 其雪(そのゆき)の 時無(ときな)きが(ごと) 其雨(そのあめ)の 間無(まな)きが(ごと)く (くま)()ちず (おも)ひつつぞ()し 其山道(そのやまみち)

         大和御吉野 金峰山兮耳我嶺 時節無所分 皓雪降兮覆嶺上 持續無絕時 漫雨降兮澍嶺上 如彼降雪之 時節無分亦無絕 如彼降雨之 片刻無休亦無止 處處道隈間 吾有所念行邁來 沉思漫步其山道

        天武天皇 0025


    0026 或本歌 【承前。】

       三芳野之 耳我山爾 時自久曾 雪者落等言 無間曾 雨者落等言 其雪 不時如 其雨 無間如 隈毛不墮 思乍敘來 其山道乎

       御吉野(みよしの)の 耳我山(みみがのやま)に (とき)じくそ (ゆき)()ると()ふ 間無(まな)くそ (あめ)()ると()ふ 其雪(そのゆき)の (とき)じきが(ごと) 其雨(そのあめ)の 間無(まな)きが(ごと)く (くま)()ちず (おも)ひつつぞ()し 其山道(そのやまみち)

         大和御吉野 金峰山兮耳我嶺 人云其非時 皓雪無節降嶺上 人云無絕時 漫雨雰雰降嶺上 如彼降雪之 非時無節亦無止 如彼降雨之 片刻無休亦無絕 處處道隈間 吾有所念行邁來 沉思漫步其山道

        天武天皇 0026

           右,句句相換,因此重載焉。



    0027 天皇幸于吉野宮時御製歌



  •  藤原宮御宇天皇代 高天原廣野姬天皇,元年丁亥,十一年讓位輕太子 。尊號曰太上天皇。【持統】

    0028 天皇御製歌 【○百人一首0002、新古今0175。】

       春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山

       春過(はるす)ぎて 夏來(なつく)るらし 白栲(しろたへ)の 衣乾(ころもほ)したり 天香具山(あめのかぐやま)

         佐保春已過 今觀夏日既來兮 白妙素織服 晾曬乾衣披山間 典雅天之香具山

        持統天皇 0028


    0029 過近江荒都時,柿本朝臣人麻呂作歌

       玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世從【或云,自宮。】 阿禮座師 神之盡 樛木乃 彌繼嗣爾 天下 所知食之乎【或云,食來。】 天爾滿 倭乎置而 青丹吉 平山乎超【或云,虛見,倭乎置,青丹吉,平山越而。】 何方 御念食可【或云,所念計米可。】 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮爾 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流【或云,霞立,春日香霧流,夏草香,繁成奴留。】 百礒城之 大宮處 見者悲毛【或云,見者左夫思母。】

       玉襷(たまだすき) 畝傍山(うねびのやま)の 橿原(かしはら)の 聖御代(ひじりのみよ)或云(あるはいふ)(みや)ゆ。】 ()れましし (かみ)(ことごと) 樛木(つがのき)の 彌繼繼(いやつぎつぎ)に 天下(あめのした) ()らし(めし)しを或云(あるはいふ)(めし)ける。】 虛空(そら)()つ 大和(やまと)()きて 青丹良(あをによ)し 奈良山(ならやま)()或云(あるはいふ)虛空見(そらみ)つ,大和(やまと)()き,青丹良(あをいよ)し,奈良山越(ならやまこ)えて。】 如何樣(いかさま)に (おも)ほし()せか或云(あるはいふ)(おも)ほしけめか。】 天離(あまざか)る (ひな)には()れど 石走(いはばし)る 近江國(あふみのくに)の 樂浪(ささなみ)の 大津宮(おほつのみや)に 天下(あめのした) ()らし(めし)けむ 天皇(すめろき)の 神尊(かみのみこと)の 大宮(おほみや)は 此處(ここ)()けども 大殿(おほとの)は 此處(ここ)()へども 春草(はるくさ)の (しげ)()ひたる 霞立(かすみた)つ 春日(はるひ)()れる或云(あるはいふ)霞立(かすみた)つ,春日(はるひ)()れる,夏草(はるくさ)か,(しげ)()りぬる。】 百敷(ももしき)の 大宮所(おほみやどころ) ()れば(かな)しも或云(あるはいふ)()れば(さぶ)しも。】

         玉襷披頸後 大和畝火畝傍山 畝傍橿原之 神武日知聖御代 自彼時所生【自御代,或云自宮。】 歷代天皇顯人神 蔦絡樛木之 八十綿連彌繼嗣 掩八紘天下 經綸宇宙所治焉【治焉,或云治矣。】 虛空見日本 大和國兮且置而 青丹良且秀 乃樂奈良山越之【或云,今置虛空見 身離大和日本國 登越青丹秀 跨過奈良乃樂山。】 聖慮想如何 凡慮不能量遷都【或云,聖慮遷都何所思。】 天遠鄙夷處 御身雖在畿外地 石走迸流水 淡海相海近江國 碎波樂浪之 近江志賀大津宮 御宇治天下 經綸恢弘理鴻基 天命開別兮 天智天皇神尊之 百敷大宮處 吾聞便在此間矣 人雖云大殿 便在此間位此處 然以春草繁 茂密滋生蔽聖跡 又以春霞湧 春日霞霧漫翳眼【或云,春霞層湧兮 春日漫霧翳聖跡 夏草滋生兮 繁茂蔓延蔽故地。】 百敷奐石築 昔日大宮舊跡所 今日見之徒愴悲【或云,見其荒頹心寂寥。】

        柿本人麻呂 0029


    0030 反歌 【承前。】

       樂浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津

       樂浪(ささなみ)の 志賀唐崎(しがのからさき) (さき)()れど 大宮人(おほみやひと)の 船待(ふねま)ちかねつ

         碎波樂浪之 近江志賀唐崎地 其處幸今存 然昔近江大宮人 未待船至悉滅寂

        柿本人麻呂 0030


    0031  【承前。】

       左散難彌乃 志我能【一云,比良乃。】大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛【一云,將會跡母戶八。】

       樂浪(ささなみ)の 志賀大海(しがのおほわだ)一云(またいはく)比良大海(ひらのおほわだ)。】 (よど)むとも 昔人(むかしのひと)に (また)()はめやも一云(またいはく)()はむと(おも)へや。】

         碎波樂浪之 近江志賀大海矣【一云,近江比良大海矣。】 彼海雖仍淀 然觀曩昔古時人 豈可又逢再相見【一云,吾不思其可復逢。】

        柿本人麻呂 0031


    0032 高市古人,感傷近江舊堵作歌 或書云:「高市連黑人。」

       古 人爾和禮有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸

       (いにしへ)の (ひと)(われ)あれ() 樂浪(ささなみ)の (ふる)(みやこ)を ()れば(かな)しき

         吾名喚古人 我蓋實乃昔人哉 碎波樂浪之 近江古京吾一見 悲從衷來不自己

        高市古人 0032


    0033  【承前。】

       樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛

       樂浪(ささなみ)の 國御神(くにつみかみ)の 心寂(うらさび)て (あれ)たる(みやこ) ()れば(かな)しも

         碎波樂浪之 近江地祇國御神 彼心寂且衰 致此荒京頹以廢 吾今見之徒愴悲

        高市古人 0033


    0034 幸于紀伊國時,川嶋皇子御作歌 【或云:「山上臣憶良作。」○新古今1588。】

       白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武【一云,年者經爾計武。】

       白浪(しらなみ)の 濱松枝(はままつがえ)の 手向(てむけ)くさ 幾代迄(いくよまで)にか (とし)()ぬらむ一云(またいはく)(とし)()にけむ。】

         白浪寄濱邊 濱松之枝嚴且麗 以之為手向 獻神貢兮迄幾代 經年累月歷千秋【一云,經年累月歷幾齡。】

        川嶋皇子 0034

           日本紀曰:「朱鳥四年庚寅秋九月,天皇幸紀伊國也。」



    0035 越勢能山時,阿閇皇女御作歌

       此也是能 倭爾四手者 我戀流 木路爾有云 名二負勢能山

       (これ)(この) 大和(やまと)にしては ()()ふる 紀路(きぢ)(あり)()ふ ()()背山(せのやま)

         是以彼蓋是 位在秋津大和國 我朝思暮想 人云紀伊路道中 名赫兄山勢能山

        阿閇皇女 0035


    0036 幸于吉野宮之時,柿本朝臣人麻呂作歌

       八隅知之 吾大王之 所聞食 天下爾 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河內跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊爾 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃 絕事奈久 此山乃 彌高思良珠 水激 瀧之宮子波 見禮跡不飽可問

       八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ)の (きこ)()す 天下(あめのした)に (くに)はしも (さは)(あれ)ども 山川(やまかは)の (きよ)河內(かふち)と 御心(みこころ)を 吉野國(よしののくに)の 花散(はなぢ)らふ 秋津野邊(あきづののへ)に 宮柱(みやばらし) 太敷坐(ふとしきま)せば 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は 船並(ふねな)めて 朝川渡(あさかは)る 船競(ふなぎほ)ひ 夕川渡(ゆふかはわた)る 此川(このかは)の ()ゆる事無(ことな)く 此山(このやま)の 彌高知(いやたかし)らす 水激(みなそそ)く 瀧宮處(たきのみやこ)は ()れど()かぬ(かも)

         八隅治天下 經綸恢弘我大君 其所馭聞食 八紘六合普天下 天下諸國國 國數雖多不勝數 然有殊勝者 山川水清河內谷 御心寄情兮 御吉野兮吉野國 花散華飄零 蜻蛉秋津之野邊 立豎大宮柱 無礎深穴太敷坐 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 列船並進兮 朝日渡川詣宮朝 競船漕槳兮 夕暮渡川詣闕廷 猶彼川蟻通 終日絡繹無絕時 如彼山險峻 美輪美奐彌高知 水激流奔騰 瀧之吉野離宮處 雖見百度無厭時

        柿本人麻呂 0036


    0037 反歌 【承前。】

       雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絕事無久 復還見牟

       ()れど()かぬ 吉野川(よしののかは)の 常滑(とこなめ)の ()ゆる事無(ことな)く 復返見(またかへりみ)

         百見無厭時 吉野川上瀧離宮 猶川底常滑 亙古恆久無絕時 一而再三復返見

        柿本人麻呂 0037


    0038 【承前。】

       安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河內爾 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆 疊有 青垣山 山神乃 奉御調等 春部者 花插頭持 秋立者 黃葉頭刺理【一云,黃葉加射之。】 逝副 川之神母 大御食爾 仕奉等 上瀨爾 鵜川乎立 下瀨爾 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨

       八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ) 惟神(かむながら) (かむ)さびせすと 吉野川(よしのかは) (たぎ)河內(かふち)に 高殿(たかどの)を 高知座(たかしりま)して 登立(のぼりた)ち 國見(くにみ)をせせば (たたな)はる 青垣山(あをかきやま) 山神(やまつみ)の (まつ)御調(みつき)と 春邊(はるへ)には 花髻首持(はなかざしも)ち 秋立(あきた)てば 黃葉髻首(もみちかざ)せり一云(またいはく)黃葉髻首(もみちかざ)し。】 行沿(ゆきそ)ふ 川神(かはのかみ)も 大御食(おほみけ)に 仕奉(つかへまつ)ると 上瀨(かみつせ)に 鵜川(うかは)()ち 下瀨(しもつせ)に 小網刺渡(さでさしわた)す 山川(やまかは)も ()りて(つか)ふる 神御代哉(かみのみよかも)

         八隅治天下 海內安寧我大君 惟神隨神性 如神稜威且端莊 彼在吉野川 渦卷激流河內谷 築離宮高殿 其殿高廣建雄偉 登立攀宮上 迴見八紘國中者 層層疊重矣 圍繞籠國青垣山 欲向彼山神 奉獻貢奉御調者 時值佐保春 鮮花髻首飾持參 季方龍田秋 黃葉髻首恭侍奉【一云,飾以黃葉髻於首。】 向行沿離宮 芳野吉野川之神 欲貢大御食 所以仕奉貢獻者 於川上瀨處 催行鵜獵狩河魚 於川下瀨處 設構小網狩河魚 無論山或川 吾依此心奉神祇 此概所謂神代哉

        柿本人麻呂 0038


    0039 反歌 【承前。】



    0040 幸于伊勢國時,留京柿本朝臣人麻呂作歌

       鳴呼見乃浦爾 船乘為良武 𡢳嬬等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香

       嗚呼見浦(あみのうら)に 船乘(ふなの)りすらむ 娘子等(をとめら)が 玉裳裾(たまものすそ)に 潮滿(しほみ)つらむか

         鳴呼見浦間 𡢳嬬乘船遊興歟 宮女娘子之 華美玉裳裙裾間 潮水蓋盈漫腰下

        柿本人麻呂 0040


    0041 【承前。】

       釼著 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武

       釧著(くしろつ)く 答志崎(たふしのさき)に 今日(けふ)もかも 大宮人(おほみやひと)の 玉藻刈(たまもか)るらむ

         玉石釧著兮 釧著手節答志崎 今日蓋如是 百敷官女大宮人 遊興潮間刈玉藻

        柿本人麻呂 0041


    0042 【承前。】

       潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乘良六鹿 荒嶋迴乎

       潮騷(しほさゐ)に 伊良虞島邊(いらごのしまへ) ()(ふね)に 妹乘(いもの)るらむか (あら)島迴(しまみ)

         潮騷汐盪兮 五十伊良虞島邊 漕船行舟上 吾妹娘子可乘哉 周迴荒島彼舩矣

        柿本人麻呂 0042


    0043 當麻真人麻呂妻作歌 【承前。04-0511重出。】

       吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六

       ()背子(せこ)は 何所行(いづくゆ)くらむ 沖藻(おきつも)の 名張山(なばりのやま)を 今日(けふ)()ゆらむ

         妾身夫子矣 君今行至何所乎 伊勢大和境 水下沖藻名張山 今日越山過境歟

        當麻真人麻呂妻 0043


    0044 石上大臣從駕作歌 【承前。】



    0045 輕皇子宿于安騎野時,柿本朝臣人麻呂作歌

       八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隱口乃 泊瀨山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去來者 三雪落 阿騎乃大野爾 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而

       八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ) 高照(たかて)らす 日皇子(ひのみこ) 惟神(かむながら) (かむ)さびせすと 太敷(ふとし)かす (みやこ)()きて 隱國(こもりく)の 泊瀨山(はつせのやま)は 真木立(まきた)つ (あら)山道(やまぢ)を (いは)() 禁樹押並(さへきおしな)べ 坂鳥(さかどり)の 朝越(あさこ)えまして 玉限(たまかぎ)る 夕去來(ゆふさりく)れば 御雪降(みゆきふ)る 安騎大野(あきのおほの)に 旗芒(はたすすき) (しの)押並(おしな)べ 草枕(くさまぐら) 旅宿(たびやど)りせす 古思(いにしへおも)ひて

         八隅治天下 經綸恢弘我大君 空高輝曜照 日嗣輕皇子 惟神隨神性 如神稜威且端莊 太敷雄偉兮 飛鳥倭京今棄置 盆底隱國兮 長谷泊瀨之山者 真木茂且立 雖彼山道路荒嶮 排闢巨岩根 遮路禁樹押並進 坂鳥劃坡兮 朝日曦時既越而 玉極輝耀兮 夕暮黃昏時來者 御雪所飄降 宇陀安騎大野間 幡薄旗芒與 篠竹之疇闢押排 草枕羇旅兮 今日旅宿在此野 慕思曩昔日並尊

        柿本人麻呂 0045


    0046 短歌 【承前。】

       阿騎乃野爾 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 去部念爾

       安騎野(あきのの)に 宿(やど)旅人(たびひと) 衷靡(うちなび)き ()()らめやも 古思(いにしへおも)ふに

         宇陀安騎野 假宿此野旅人矣 豈得寬心靡 何能眠兮獲安寢 心念故昔不自己

        柿本人麻呂 0046


    0047 【承前。】

       真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曾來師

       真草刈(まくさか)る 荒野(あらの)にはあれど 黃葉(もみちば)の ()ぎにし(きみ)の 形見(かたみ)とぞ()

         真草薙刈兮 此地漫蕪雖荒野 木葉褪黃變 以此乃先君故地 慕其形見遂來矣

        柿本人麻呂 0047


    0048 【承前。】

       東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡

       (ひむがし)の ()陽炎(かぎろひ)の ()()えて 顧見(かへりみ)すれば 月傾(つきかたぶ)きぬ

         望東觀平野 安騎野間陽炎立 陽炎發茜色 驀然回首顧見者 殘月西傾將匿沒

        柿本人麻呂 0048


    0049 【承前。】

       日雙斯 皇子命乃 馬副而 御獦立師斯 時者來向

       日並(ひなみし)の 皇子尊(みこのみこと)の 馬並(うまな)めて 御狩立(みかりた)たしし (とき)來向(きむ)かふ

         往昔日並知 故君草壁皇子尊 列馬並諸騎 發向朝野率御狩 此時彷彿昔再來

        柿本人麻呂 0049


    0050 藤原宮之役民作歌



    0051 從明日香宮遷居藤原宮之後,志貴皇子御作歌 【○續古今0938。】

       婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用爾布久

       采女(うねめ)の 袖吹返(そでふきかへ)す 明日香風(あすかかぜ) (みやこ)(とほ)み (いたづら)()

         吹返采女袖 往昔明日香風者 以京遷藤原 新都已遠不能及 飛鳥風兮吹徒然

        志貴皇子 0051


    0052 藤原宮御井歌

       八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麤妙乃 藤井我原爾 大御門 始賜而 埴安乃 堤上爾 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門爾 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門爾 彌豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門爾 宜名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門從 雲居爾曾 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曾婆 常爾有米 御井之清水

       八隅治(やすみし)し ()大君(おほきみ) 高照(たかて)らす 日皇子(ひのみこ) 荒栲(あらたへ)の 藤井原(ふぢゐがはら)に 大御門(おほみかど) 始賜(はじめたま)ひて 埴安(はにやす)の 堤上(つつみのうへ)に 在立(ありた)たし ()(たま)へば 大和(やまと)の 青香具山(あをかぐやま)は 日經(ひのたて)の 大御門(おほみかど)に 春山(はるやま)と 茂榮立(しみさびた)てり 畝傍(うねび)の 此瑞山(このみづやま)は 日緯(ひのよこ)の 大御門(おほきみかど)に 瑞山(みづやま)と (やま)さびいます 耳梨(みみなし)の 青菅山(あをすがやま)は 背面(そとも)の 大御門(おほきみかど)に (よろ)しなへ (かむ)さび()てり 名美(なぐは)し 吉野山(よしののやま)は 影面(かげとも)の 大御門(おほきみかど)ゆ 雲居(くもゐ)にそ (とほ)くありける 高知(たかし)るや 天御陰(あめのみかげ) 天知(あめし)るや 日御陰(ひのみかげ)の (みづ)こそば (つね)にあらめ 御井清水(みゐのきよみづ)

         八隅治天下 經綸恢弘我大君 空高輝曜照 日嗣輕皇子 藤織荒妙之 藤井之原此地間 宮殿大御門 於此始造為宇焉 橿原埴安之 埴安之池堤之上 佇立堤上兮 觀覽國中望社稷 虛空見大和 青蒼繁茂香具山 位日經東向 宮闈大御門之東 姿形猶春山 茂榮繁盛坐東面 又見畝傍山 此山神秘瑞祥山 位日緯西向 宮闈大御門之西 姿形如瑞山 且神且聖坐西面 復見耳梨山 貌猶菅笠青菅山 位背面北向 宮闈大御門之北 宜哉勢雄偉 神靈稜威坐北面 名吉秀良美 御吉野兮吉野山 位影面南向 發自宮闕大御門 直至雲居空之盡 遙遠天邊鎮坐矣 高聳高知哉 天神御陰天御殿 摩天天知哉 日御子之日御殿 唯此御水者 冀彼常世亙永久 藤原御井清水矣

        佚名 0052


    0053 短歌 【承前。】

       藤原之 大宮都加倍 安禮衝哉 處女之友者 乏吉呂賀聞

       藤原(ふぢはら)の 大宮仕(おほみやつか)へ 生付(あれつ)くや 娘子(をとめ)(とも)は (とも)しきろ(かも)

         其為藤原宮 大宮仕兮聖職故 所生定命耶 妍麗采女娘子眾 輝耀令人稱羨哉

        佚名 0053

           右歌,作者未詳。



  •  藤原宮御宇天皇之代 天之真宗豐祖父天皇。【文武】

    0054 大寶元年辛丑秋九月,太上天皇幸于紀伊國時歌

       巨勢山乃 列列椿 都良都良爾 見乍思奈 許湍乃春野乎

       巨勢山(こせやま)の 連列椿(つらつらつばき) 究見(つらつら)に ()つつ(しの)はな 巨勢春野(こせのはるの)

         古瀨巨勢山 茂葉點點連列椿 如名究見者 熟視乍思慕往時 巨勢雖秋念春野

        坂門人足 0054

           右一首,坂門人足。



    0055 【承前。】

       朝毛吉 木人乏母 亦打山 行來跡見良武 樹人友師母

       麻裳良(あさもよ)し 紀人羨(きひととも)しも 真土山(まつちやま) 行來(ゆきく)()らむ 紀人羨(きひととも)しも

         麻裳良且秀 紀伊之人令人羨 境界真土山 行來和紀之堺見 紀伊之人令人羨

        調首淡海 0055

           右一首,調首淡海。



    0056 或本歌 【承前。】

       河上乃 列列椿 都良都良爾 雖見安可受 巨勢能春野者

       河上(かはのへ)の 連列椿(つらつらつばき) 究見(つらつら)に ()れども()かず 巨勢春野(こせのはるの)

         河上川邊之 繁葉點點連列椿 如名究見者 見之幾度不飽厭 更偲巨勢之春野

        春日藏首老 0056

           右一首,春日藏首老。



    0057 二年壬寅,太上天皇幸于參河國時歌

       引馬野爾 仁保布榛原 入亂 衣爾保波勢 多鼻能知師爾

       引馬野(ひくまの)に (にほ)榛原(はりはら) 入亂(いりみだ)れ 衣匂(ころもにほ)はせ 旅徴(たびのしるし)

         幸于引馬野 野間榛原著色匂 入亂傾其中 榛摺染色著衣裳 以為草枕羈旅証

        長奧麻呂 0057

           右一首,長忌寸奧麻呂。



    0058 【承前。】

       何所爾可 船泊為良武 安禮乃埼 榜多味行之 棚無小舟

       何所(いづく)にか 船泊(ふなは)てすらむ 安禮崎(あれのさき) 漕迴行(こぎたみい)きし 棚無小船(たななしをぶね)

         今時在何處 船泊何所宿何地 蓋過安禮崎 漕迴行兮周岬岸 無棚小船今何宿

        高市黑人 0058

           右一首,高市連黑人。



    0059 譽謝女王作歌

       流經 妻吹風之 寒夜爾 吾勢能君者 獨香宿良武

       (なが)らふる 夫吹(つまふ)(かぜ)の 寒夜(さむきよ)に ()背君(せのきみ)は (ひとり)()らむ

         流經拂行矣 夫吹旋風疾凜冽 嚴嚴寒夜中 妾之夫君如何處 蓋是孤身獨寢哉

        譽謝女王 0059


    0060 長皇子御歌

       暮相而 朝面無美 隱爾加 氣長妹之 廬利為里計武

       (よひ)()ひて 朝面無(あしたおもな)み 名張(なばり)にか 日長(けなが)(いも)が 廬為(いほりせ)りけむ

         暮逢過春宵 朝時含羞遯遮面 隱兮名張山 吾妹羈旅日已久 可曾假廬宿彼山

        長皇子 0060


    0061 舍人娘子從駕作歌

       大夫之 得物矢手插 立向 射流圓方波 見爾清潔之

       大丈夫(ますらを)の 幸矢手挾(さつやたばさ)み 立向(たちむか)ひ ()的形(まとかた)は ()るに(さや)けし

         丈夫益荒男 手挾幸矢插其指 立向蓄勢發 所射鵠的的形濱 吾見此濱心清朗

        舍人娘子 0061


    0062 三野連岡麻呂入唐時,春日藏首老作歌

       在根良 對馬乃渡 渡中爾 幣取向而 早還許年

       在嶺良(ありねよ)し 對馬渡(つしまのわたり) 海中(わたなか)に 幣取向(ぬさとりむ)けて 早歸來(はやかへりこ)

         高峰在嶺良 對馬航道渡場間 向溟中海神 取幣奉兮祈安平 但願早日得歸國

        春日老 0062

           【○浦木按:三野連岡麻呂,底本闕名。今依美努岡萬墓誌銘補之。】



    0063 山上臣憶良在大唐時,憶本鄉作歌 【○新古今0898。】

       去來子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武

       去來子等(いざこども) (はや)日本(やまと)へ 大伴(おほとも)の 御津濱松(みつのはままつ) 待戀(まちこ)ひぬらむ

         去來汝子等 速歸日本還大和 難波大伴之 三津御津濱松者 久待思慕情難堪

        山上憶良 0063


    0064 慶雲三年丙午,幸于難波宮時,志貴皇子御作歌

       葦邊行 鴨之羽我比爾 霜零而 寒暮夕 倭之所念

       葦邊行(あしへゆ)く (かも)羽交(はが)ひに 霜降(しもふ)りて (さむ)(ゆふへ)は 大和(やまと)(おも)ほゆ

         葦畔邊游行 綠首真鴨羽交處 霜降置翼上 天寒夕暮闇晚間 所念故鄉慕大和

        志貴皇子 0064


    0065 長皇子御歌 【承前。】

       霰打 安良禮松原 住吉乃 弟日娘與 見禮常不飽香聞

       霰打(あられう)つ 安良禮松原(あられまつはら) 住吉(すみのえ)の 弟日娘(おとひをとめ)と ()れど()かぬかも

         霰疾叩降兮 安良禮之松原者 若與住吉之 弟日娘子共見者 雖視幾回總不厭

        長皇子 0065


    0066 太上(持統)天皇幸于難波宮時歌

       大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由

       大伴(おほとも)の 高師濱(たかしのはま)の (まつ)()を 枕寢(まくらきね)れど (いへ)(しの)はゆ

         難波大伴之 高師之濱汀邊松 雖以彼松根 為枕寢兮梢休憩 依然偲家戀故鄉

        置始東人 0066

           右一首,置始東人。



    0067 【承前。】

       旅爾之而 物戀之伎爾 鶴之鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思

       (たび)にして 物戀(ものこ)ほしきに (たづ)()も ()こえざりせば (こひ)()なまし

         羈旅在異地 思鄉念故情難抑 若非聞鶴啼 寂靜無聲孤悲者 不如戀死慕故里

        高安大嶋 0067

           右一首,高安大嶋。【○物戀之伎爾鶴之鳴毛,底本作物戀鳴之毛,以平安中期以降脫文斷簡也。或本作物戀之鳴事毛(物戀の、鳴事も)、或本作物戀之伎乃鳴事毛(物戀しきの、鳴事も),據考不實。本文取後世推定之說,然無確據。】



    0068 【承前。】

       大伴乃 美津能濱爾有 忘貝 家爾有妹乎 忘而念哉

       大伴(おほとも)の 三津濱(みつのはま)なる 忘貝(わすれがひ) (いへ)なる(いも)を (わす)れて(おも)へや

         難波大伴之 三津御津片貝矣 見彼忘貝者 所念家中守閨妻 思慕更催豈忘得

        身人部王 0068

           右一首,身人部王。



    0069 【承前。】

       草枕 客去君跡 知麻世婆 崖之埴布爾 仁寶播散麻思呼

       草枕(くさまくら) 旅行(たびゆ)(きみ)と ()らませば (きし)埴生(はにふ)に (にほ)はさましを

         草枕羇旅兮 行旅在外客君矣 若早知旅人 得以崖岸埴生土 為君染衣著匂色

        清江娘子 0069

           右一首,清江娘子進長皇子。【姓氏未詳。】



    0070 太上(持統)天皇,幸于吉野宮時,高市連黑人作歌

       倭爾者 鳴而歟來良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曾越奈流

       大和(やまと)には ()きてか()らむ 呼子鳥(よぶこどり) (きさ)中山(なかやま) ()びそ()ゆなる

         玉牆內大和 蓋已啼越方來兮 今見呼子鳥 飛越象之中山而 呼嘯劃空翔天際

        高市黑人 0070


    0071 大行(文武)天皇幸于難波宮時歌

       倭戀 寐之不所宿爾 情無 此渚崎未爾 多津鳴倍思哉

       大和戀(やまとこ)ひ ()()()ぬに 心無(こころな)く 此洲崎迴(このすさきみ)に 鶴鳴(たづな)くべしや

         慕大和不已 思鄉不得安寐寢 然鶴不識趣 於此洲崎近迴處 高鳴惱人更騷心

        忍坂部乙麻呂 0071

           右一首,忍坂部乙麻呂。



    0072 【承前。】

       玉藻苅 奧敝波不榜 敷妙乃 枕之邊人 忘可禰津藻

       玉藻刈(たまもか)る 沖邊(おきへ)()がじ 敷栲(しきたへ)の 枕邊(まくらのあた)り 忘兼(わすれか)ねつも

         海人苅玉藻 雖處沖邊不漕船 何以如此者 吾念敷栲枕邊人 慕情難忘豈有興

        藤原宇合 0072

           右一首,式部卿藤原宇合。



    0073 長皇子御歌 【承前。】

       吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹有勿勤

       我妹子(わぎもこ)を 早見濱風(はやみはまかぜ) 大和(やまと)なる 我松椿(あれまつつばき) ()かざる()ゆめ

         親親吾妹子 速吹早見濱風矣 莫忘吹拂兮 身居大和待我之 松椿吾妹欲早逢

        長皇子 0073


    0074 大行(文武)天皇幸于吉野宮時歌

       見吉野乃 山下風之 寒久爾 為當也今夜毛 我獨宿牟

       御吉野(みよしの)の 山嵐(やまのあらし)の (さむ)けくに 為當(はた)今夜(こよひ)も ()獨寢(ひとりね)

         大和御吉野 吉野山嵐沁骨寒 感彼下風冽 顧思今夜孤無伴 我亦當為獨寢哉

        文武天皇 0074

           右一首,或云,天皇(文武)御製歌。



    0075 【承前。○續古今0861

       宇治間山 朝風寒之 旅爾師手 衣應借 妹毛有勿久爾

       宇治間山(うぢまやま) 朝風寒(あさかぜさむ)し (たび)にして 衣貸(こもろか)すべき (いも)()()くに

         宇治間山之 朝風冽寒體顫慄 此身在羈旅 傍無佳人貸暖衣 唯有孤宿耐嚴寒

        長屋王 0075

           右一首,長屋王。



  •  寧樂宮御宇天皇之代 日本根子天津御代豐國成姬天皇。【元明】○按寧樂者,平成、奈良也。

    0076 和銅元年戊申,天皇御製

       大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母

       大夫(ますらを)の 鞆音(とものおと)すなり 物部(もののふ)の 大臣(おほまへつきみ) 楯立(たてた)つらしも

         丈夫益荒男 鞆音發鳴振耳聞 石上物部之 大臣立楯豎大盾 百寮匝拜賀踐祚

        元明天皇 0076


    0077 御名部皇女奉和御歌 【承前。】

       吾大王 物莫御念 須賣神乃 嗣而賜流 吾莫勿久爾

       ()大君(おほきみ) 物莫思(ものなおも)ほしそ 皇神(すめかみ)の ()へて(たま)へる ()()()くに

         聖明我大君 汝命莫須念忐忑 遠皇祖皇神 副妾侍君為伴緒 形影相繼不離身

        御名部皇女 0077


    0078 和銅三年庚戌春二月,從藤原宮遷于寧樂宮時,御輿停長屋原,迴望古鄉作歌 【一書云,太上(元明)天皇御製。○新古今0896。】

       飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武【一云,君之當乎,不見而香毛安良牟。】

       飛鳥(とぶとり)の 明日香里(あすかのさと)を ()きて()なば (きみ)(あたり)は ()えずかもあらむ一云(またいはく)(きみ)(あたり)を,()ずてかもあらむ。】

         翔哉飛鳥之 飛鳥故里明日香 置古京去者 草壁吾夫真弓岡 後蓋不復得見哉【一云,妾眷夫君眠墓所,豈堪不得復見哉。】

        元明天皇 0078


    0079 或本,從藤原京遷于寧樂宮時歌 【承前。】

       天皇乃 御命畏美 柔備爾之 家乎擇 隱國乃 泊瀨乃川爾 舼浮而 吾行河乃 河隈之 八十阿不落 萬段 顧為乍 玉桙乃 道行晚 青丹吉 楢乃京師乃 佐保川爾 伊去至而 我宿有 衣乃上從 朝月夜 清爾見者 栲乃穗爾 夜之霜落 磐床等 川之冰凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家爾 千代二手爾 座多公與 吾毛通武

       大君(おほきみ)の 命恐(みことかしこ)み (にぎ)びにし (いへ)()き 隱國(こもりく)の 泊瀨川(はつせのかは)に 船浮(ふねう)けて ()()(かは)の 川隈(かはくま)の 八十隈落(やそくまお)ちず 萬度(よろづたび) 顧見(かへりみ)しつつ 玉桙(たまほこ)の 道行(みちゆ)()らし 青丹良(あをによ)し 奈良京(ならのみやこ)の 佐保川(さほがは)に い行至(ゆきいた)りて ()()たる 衣上(こもろのうへ)ゆ 朝月夜(あさづくよ) (さや)かに()れば 栲穗(たへのほ)に (よる)霜降(しもふ)り 岩床(いはとこ)と (じゃは)冰凝(ひこご)り 寒夜(さむきよ)を (やす)事無(ことな)く (かよ)ひつつ (つく)れる(いへ)に 千代迄(ちよまで)に ()ませ大君(おほきみ)よ (われ)(かよ)はむ

         天皇大君之 御言敕命誠惶恐 奉為吾君命 捨置慣故家 盆底隱國兮 長谷泊瀨川之上 浮舟泛川矣 吾所航行川河之 每至川隈者 隈隈不落思故里 千度復萬度 迴首顧見念生家 玉桙石柱兮 行道途中日已暮 青丹良且秀 寧樂新宮奈良京 奈良佐保川 是今行至此地而 假寐權寢之 透吾衣裳上照兮 未明朝夜光 著見月光清冽者 潔白猶栲穗 夜間霜降佈滿地 篤厚如岩床 川水冰凝結堅實 雖夜寒如此 吾等片刻莫稍息 蟻通往復而 奉造新居為何以 乃欲迄千代 寧樂久居大君矣 吾亦蟻通無所惜

        佚名 0079


    0080 反歌 【承前。】

       青丹吉 寧樂乃家爾者 萬代爾 吾母將通 忘跡念勿

       青丹良(あをによ)し 奈良(なら)(いへ)には 萬代(よろづよ)に (われ)(かよ)はむ (わす)ると(おも)()

         青丹良且秀 寧樂新居奈良京 吾通至萬代 侍奉朝庭無所惜 勿念相忘永銘心

        佚名 0080

           右歌,作主未詳。



    0081 和銅五年壬子夏四月,遣長田王于伊勢齋宮時,山邊御井作歌

       山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨

       山邊(やまのへ)の 御井(みゐ)()がてり 神風(かむかぜ)の 伊勢娘子共(いせをとめども) 相見(あひみ)つるかも

         伊勢山邊之 山邊御井過而見 速風神風之 伊勢娘子汲水來 會於井傍互相見

        長田王 0081


    0082 【承前。】

       浦佐夫流 情佐麻禰之 久堅乃 天之四具禮能 流相見者

       衷寂(うらさぶ)る (こころ)さまねし 久方(ひさかた)の (あま)時雨(しぐれ)の 流相見(ながれあふみ)れば

         方寸衷寂寥 吾心滿溢寞寂情 遙遙久方天 天上時雨降紛紛 今見流交雨亂零

        長田王 0082


    0083 【承前。】

       海底 奧津白浪 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武

       海底(わたのそこ) (おき)白波(しらなみ) 龍田山(たつたやま) 何時(いつ)()えなむ (いも)(あた)()

         滄溟海之底 沖津白浪捲高濤 巍峨龍田山 高浪何時得越山 吾欲逢見妹妻處

        長田王 0083

           右二首,今案不似御井所作。若疑當時誦之古歌歟。



  •  寧樂宮御宇天皇之代 日本根子高瑞淨足姬天皇。【元正】○按底本僅書寧樂宮三字。

    0084 長皇子與志貴皇子於佐紀宮俱宴歌

       秋去者 今毛見如 妻戀爾 鹿將鳴山曾 高野原之宇倍

       秋去(あきさ)らば (いま)()(ごと) 妻戀(つまこ)ひに 鹿鳴(かな)かむ(やま)そ 高野原(たかなおはら)(うへ)

         每逢秋來者 愁思幕幕映眼簾 吾戀嬌妻者 猶鹿慕偶啼山間 於此高野原上矣

        長皇子 0084

           右一首,長皇子。



    真字萬葉集 卷第一 雜歌 終