古今和歌集 卷十二 戀歌 二
0552 題知らず
思ひつつ 寢ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覺めざら益を
題不知
苦思無止息 夜寢夢見伊人身 日思夜所夢 若知此身在夢中 當欲永眠不願覺
小野小町 552
0553 題知らず
轉寢に 戀しき人を 見てしより 夢てふ物は 賴みそめてき
題不知
假寐轉寢間 所戀伊人現夢中 雖知虛飄渺 明知此夢儚且幻 不覺欲賴託戀苦
小野小町 553
0554 題知らず
甚責めて 戀しき時は 烏玉の 夜衣を 返してぞ著る
題不知
焦苦愁戀情 心思伊人不堪時 烏玉黑夜中 返袖返衣祈入眠 還願晤得在夢中
小野小町 554
0555 題知らず
秋風の 身に寒ければ 由緣も無き 人をぞ賴む 暮るる夜每に
題不知
秋風淒寂寥 憂寞入骨沁身心 暮至此時節 雖知伊人甚無情 不覺每夜欲賴之
素性法師 555
0556 下出雲寺に人の業しける日、真靜法師の導師にて言へりける事を、歌に詠みて、小野小町が許に遣はしける
包めども 袖に堪らぬ 白玉は 人を見ぬ目の 淚也けり
下出雲寺催故人法會之日,以真靜法師導師所云字句,詠為和歌,遣贈小野小町之許
寶珠繫衣裏 以袖裹之不堪包 白玉今零落 此非法師詠經珠 乃係思人斷腸淚
安倍清行朝臣 556
0557 返し
愚かなる 淚ぞ袖に 玉は為す 我は堰堪へず 激瀨成れば
返歌
君淚不止息 零落繡上霑襟濕 此淚猶珠玉 反觀我淚若決堤 不堪堰塞成激瀨
小野小町 557
0558 寬平御時后宮の歌合の歌
戀詫びて 打寢る中に 行通ふ 夢の直路は 現ならなむ
寬平御時后宮歌合時歌
焦惱苦憂戀 不覺沉眠入夢中 夢途遇伊人 還願夢中真直道 能化現實導伊處
藤原敏行朝臣 558
0559 寬平御時后宮の歌合の歌
住江の 岸に寄る浪 夜さへや 夢の通路 人目避くらむ 【○百人一首0018。】
寬平御時后宮歌合時歌
住吉住之江 江邊波濤寄岸來 猶如夜中寢 夢間通路竊相晤 汝避人目來相逢
藤原敏行朝臣 559
0560 寬平御時后宮の歌合の歌
我が戀は 深山隱れの 草為れや 繁さ增されど 知る人の無き
寬平御時后宮歌合時歌
我戀若何猶 是乃深山蘿生草 草隱深山間 即便其繁茂且盛 無人得知竊傷懷
小野美材 560
0561 寬平御時后宮の歌合の歌
宵間も 儚く見ゆる 夏蟲に 迷ひ增される 戀もする哉
寬平御時后宮歌合時歌
時至夕宵間 飛蛾曝火逝燈中 夏蟲儚且幻 吾人戀迷更勝此 葬身激情燃作燼
紀友則 561
0562 寬平御時后宮の歌合の歌
夕去れば 螢より異に 燃ゆれども 光見ねばや 人の由緣無き
寬平御時后宮歌合時歌
時至夕暮時 吾之情焰勝螢火 情炎雖猛熾 然而舉目不能見 無情伊人故無情
紀友則 562
0563 寬平御時后宮の歌合の歌
笹葉に 置く霜よりも 獨寢る 我が衣手ぞ 寒增さりける
寬平御時后宮歌合時歌
笹竹篠葉上 冰霜降置季天寒 我今獨為寢 身心俱凍無人伴 衣袖寒兮勝冰霜
紀友則 563
0564 寬平御時后宮の歌合の歌
我が宿の 菊の垣根に 置く霜の 消え返りてぞ 戀しかりける
寬平御時后宮歌合時歌
吾宿庭園間 冬菊垣根霜降置 其霜將消融 一猶吾暮伊人情 心碎憂懷化消融
紀友則 564
0565 寬平御時后宮の歌合の歌
川瀨に 靡く玉藻の 水隱れて 人に知られぬ 戀もする哉
寬平御時后宮歌合時歌
淙淙川瀨間 玉藻靡蕩隱水下 舉目無所見 此猶吾戀藏心中 雖是伊人不得知
紀友則 565
0566 寬平御時后宮の歌合の歌
騷暗し 降る白雪の 下消えに 消えて物思ふ 頃にも有哉
寬平御時后宮歌合時歌
空騷暗一面 零落白雪積下消 目不見融雪 吾人慕情亦下消 此刻唯有愁憂思
壬生忠岑 566
0567 寬平御時后宮の歌合の歌
君戀ふる 淚の床に 滿濡れば 澪標とぞ 我は成りける
寬平御時后宮歌合時歌
戀君憂啜泣 慕淚滿濡沾床濕 吾身若澪標 無依蕩飄浮水上 盡身捨命焦疲悴
藤原興風 567
0568 寬平御時后宮の歌合の歌
死ぬる命 生きもやすると 心見に 玉緒許り 逢はむと言はなむ
寬平御時后宮歌合時歌
此命今將絕 獲得返生甦再興 可試與否乎 魂絲命緒儵斷前 約束一言相晤逢
藤原興風 568
0569 寬平御時后宮の歌合の歌
詫ぬれば 強て忘れむと 思へども 夢と云ふ物ぞ 人賴めなる
寬平御時后宮歌合時歌
悲嘆詫終日 雖欲強忘伊人影 誰知夜夢間 時時瞥見伊人蹤 不覺徒然空望賴
藤原興風 569
0570 寬平御時后宮の歌合の歌
理無くも 寢ても覺めても 戀しきか 心を何方 遣らば忘れむ
寬平御時后宮歌合時歌
其雖無事理 或寢或覺念伊人 吾心懸掛念 當遣慕心至何方 方得忘去憂慕情
佚名 570
0571 寬平御時后宮の歌合の歌
戀しきに 詫て魂 迷ひなば 虛しき骸の 名にや殘らむ
寬平御時后宮歌合時歌
戀慕苦相思 憂詫不止魂將迷 迷魂欲出竅 徒留亡骸盡空虛 唯此浮名殘後世
佚名 571
0572 寬平御時后宮の歌合の歌
君戀ふる 淚し無くは 唐衣 胸の當りは 色燃えなまし
寬平御時后宮歌合時歌
戀君淚沾胸 唐衣芳襟染淚跡 淚跡無所消 思慕作淚在胸襟 思火欲燃寄淚痕
紀貫之 572
0573 題知らず
世と共に 流れてぞ行く 淚川 冬も凍らぬ 水泡なりけり
題不知
與世共長流 江水不絕我淚川 啜泣流不捨 雖在嚴冬無凍止 化作水泡儚逝消
紀貫之 573
0574 題知らず
夢路にも 露や置くらむ 夜もすがら 通へる袖の 漬ちて乾かぬ
題不知
夢中會伊人 濕露可也沾衣濕 夜夢通夜道 衣袖漬濕朝未乾 是夢是現令人迷
紀貫之 574
0575 題知らず
儚くて 夢にも人を 見つる夜は 朝の床ぞ 起き憂かりける
題不知
現實不得晤 雖然夜夢儚且幻 既得見伊人 縱知夜逢是虛幻 翌朝寤時仍憂苦
素性法師 575
0576 題知らず
偽の 淚也せば 唐衣 忍びに袖は 絞らざらまし
題不知
此淚若為偽 可須竊絞唐衣乎 若欲誑汝者 不須竊自憂斷腸 大可做作昭天下
藤原忠房 576
0577 題知らず
音に泣きて 漬にしかども 春雨に 濡れにし袖と 問はば答へむ
題不知
嚎啕憂悲泣 淚沾衣襟漬袖濕 人問何濕袖 身雖斷腸不答實 誑言春雨濡袖濕
大江千里 577
0578 題知らず
我が如く 物や悲しき 郭公 時ぞとも鳴く 夜徒無くらむ
題不知
何哀猶我者 憂悲斷腸愁更愁 郭公不如歸 今非時節仍憂啼 通夜哀鳴哭泣血
藤原敏行朝臣 578
0579 題知らず
五月山 梢を高み 郭公 鳴く音空なる 戀もする哉
題不知
皐月五月山 山上木梢高且聳 郭公不如歸 鳴音迴空沁入耳 吾人哀戀徒涕泣
紀貫之 579
0580 題知らず
秋霧の 晴るる時無き 心には 立居の空も 思ほえ無くに
題不知
秋霧無晴時 還願彌漫吾心空 滿溢以霧靄 令吾日日立居時 方寸恍神莫憂心
凡河內躬恒 580
0581 題知らず
蟲の如 聲に立てては 泣かねども 淚のみこそ 下に流るれ
題不知
不若世間蟲 發聲鳴泣草蔭中 吾泣不成聲 吞淚斷腸無人知 消聲竊泣流心衷
清原深養父 581
0582 是貞親王家歌合の歌
秋為れば 山響む迄 鳴く鹿に 我劣らめや 獨寢る夜は
是貞親王家歌合歌
時值愁秋者 鳴鹿戀妻發淒啼 哀鳴響山中 吾人獨寢寂寥夜 斷腸悲思豈劣鹿
佚名 582
0583 題知らず
秋野に 亂れて咲ける 花色の 千種に物を 思ふ頃哉
題不知
荒紊秋野間 百花亂咲千萬胤 花色幾撩亂 一猶我心千萬緒 浸沉種種物思頃
紀貫之 583
0584 題知らず
一人して 物を思へば 秋夜の 稻葉のそよと 言ふ人の無き
題不知
隻身寡一人 獨浸物思發憂愁 茫茫秋夜長 不若秋風訪稻葉 無人掛聲為私語
凡河內躬恒 584
0585 題知らず
人を思ふ 心は雁に あらねども 雲居にのみも 鳴渡る哉
題不知
心念掛伊人 吾心雖非天飛雁 然其翔高天 雲居發啼渡虛空 吾心亦鳴泣空虛
清原深養父 585
0586 題知らず
秋風に 搔鳴す琴の 聲にさへ 儚く人の 戀しかるらむ
題不知
寂寥秋風中 聽聞搔鳴彈琴聲 不覺徒傷感 心戀伊人儚且幻 幕思一時湧心頭
壬生忠岑 586
0587 題知らず
真菰刈る 淀の澤水 雨降れば 常より事に 增さる我が戀
題不知
真菰刈積水 澤水淀逢雨降時 常更高一段 吾人戀心亦如此 每逢時節倍高昂
紀貫之 587
0588 大和に侍りける人に遣はしける
越えぬ間は 吉野山の 櫻花 人傳にのみ 聞渡たる哉
贈侍于大和之人
境堺未越間 未至吉野觀花翫 吉野山櫻花 櫻華之美在口傳 業已遍渡天下聞
紀貫之 588
0589 彌生許りに、物宣びける人の許に、又人罷りて消息すと聞きて、詠みて遣はしける
露ならぬ 心を花に 置き初めて 風吹く每に 物思ひぞつく
彌生三月,聽聞親好女子之許,亦有其他男子罷往,遂詠歌遣贈之
此心雖非露 寄情花上若置露 每逢風吹時 還恐玉露墬消散 憂思伊人俄零落
紀貫之 589
0590 題知らず
我が戀に 暗部山の 櫻花 間無く散るとも 數は增さらじ
題不知
相較以吾戀 暗部山上山櫻花 櫻花飄轉俄 零落不斷數可觀 然豈能勝吾憂思
坂上是則 590
0591 題知らず
冬川の 上は凍れる 我是れや 下に流れて 戀渡るらむ
題不知
吾豈非冬河 冬日川河受天寒 川面雖封凍 其下暗流不止息 吾泣亦無終焉日
宗岳大賴 591
0592 題知らず
激瀨に 根指し止めぬ 浮草の 浮たる戀も 我はする哉
題不知
身居激瀨間 浮草無以止其根 隨波任標流 吾人之戀亦如此 漂蕩不定無心安
壬生忠岑 592
0593 題知らず
宵宵に 脫ぎて我が寢る 狩衣 懸けて思はぬ 時の間も無し
題不知
一夜復一夜 寢時狩衣懸桁上 吾心猶此者 心懸伊人掛心頭 時時刻刻不忘君
紀友則 593
0594 題知らず
東路の 左夜の中山 中中に 何しか人を 思ひ初めけむ
題不知
行往東國者 佐夜中山途必經 吾雖思伊人 不若中山必經者 獨惱慕思斷腸情
紀友則 594
0595 題知らず
敷栲の 枕の下に 海はあれど 人を見る目は 生ひずぞ有りける
題不知
敷栲沈之下 我每泣下成淚海 枕下雖成海 今觀海松布未生 何以得見心上人
紀友則 595
0596 題知らず
年を經て 消えぬ思ひは 有りながら 夜の袂は 猶凍りけり
題不知
經年亦累月 思火不消燃胸中 然而夜孤寢 悲淚沾襟漬袂濕 寂風沁骨猶冽凍
紀友則 596
0597 題知らず
我が戀は 知らぬ山路に あら無くに 迷ふ心ぞ 詫しかりける
題不知
我戀甚迷離 雖非失道山路間 惑戀心惶恐 詫懦之情勝迷途 身無寄所徒徘徊
紀貫之 597
0598 題知らず
紅の 振出でつつ泣く 淚には 袂のみこそ 色增さりけれ
題不知
朱丹振鮮紅 吾振泣聲落血淚 血淚斷腸流 雖染衣袂更增色 伊人仍不悟吾情
紀貫之 598
0599 題知らず
白玉と 見えし淚も 年經れば 韓紅に 移ろひにけり
題不知
初見猶白玉 彼淚當初雖晶瑩 經年累月久 斷腸憂思悲更愁 盡化韓紅血淚流
紀貫之 599
0600 題知らず
夏蟲を 何か言ひけむ 心から 我も思ひに 燃ぬべら也
題不知
人道夏蟲癡 飛蛾撲火不惜生 吾人不為然 只欲為己思火燃 一心慕君盡化燼
凡河內躬恒 600
0601 題知らず
風吹けば 峯に別るる 白雲の 絕えて由緣無き 君が心か
題不知
風吹雲飄動 白雲觸峰分四散 猶散雲跡絕 君心薄情心易改 過往戀情化無情
壬生忠岑 601
0602 題知らず
月影に 我が身を變ふる 物ならば 由緣無き人も 憐れとや見む
題不知
月影掛虛空 我身若得化明月 雖是無情郎 或將仰首望天邊 或愛或憐掛心頭
壬生忠岑 602
0603 題知らず
戀死なば 誰が名は立たじ 世中の 常無き物と 言ひは為すとも
題不知
吾今若戀死 無情汝名將聞傳 吾因戀死時 縱汝辨以世無常 世人仍思汝無情
清原深養父 603
0604 題知らず
津國の 難波の葦の 芽も張るに 繁き我が戀 人知るらめや
題不知
津國攝津州 難波濱上葦發芽 葦芽繁一面 我目亦遙戀亦盛 人可知我衷慕耶
紀貫之 604
0605 題知らず
手も觸れで 月日經にける 白檀弓 起伏し夜は 寢こそねられね
題不知
手觸經日月 長年未舉白檀弓 起兮又伏兮 弓射之夜復起臥 孤枕難眠不安寢
紀貫之 605
0606 題知らず
人知れぬ 思ひのみこそ 詫しけれ 我が歎きをば 我のみぞ知る
題不知
不為人所知 吾人思火甚悽悽 所燃非投木 唯有我嘆助火燃 此事僅有吾知悉
紀貫之 606
0607 題知らず
言に出でて 言はぬばかりぞ 水無瀨河 下に通ひて 戀しき物を
題不知
雖戀不輕言 我戀不願他人知 猶水無瀨川 水滲地下暗泉流 此情方是真戀慕
紀友則 607
0608 題知らず
君をのみ 思寢に寢し 夢是れば 我が心から 見つるなりけり
題不知
夜夢日所思 吾終日兮唯念汝 思寢夢君影 誠是我心至戀慕 方得見君在夢中
凡河內躬恒 608
0609 題知らず
命にも 增さりて惜しく ある物は 見果てぬ夢の 覺むるなりけり
題不知
命雖誠可惜 尚有一事惜過之 今夜夢逢瀨 相晤綺夢未見終 倏然夢醒徒悔恨
壬生忠岑 609
0610 題知らず
梓弓 引けば本末 我が方に 寄るこそ增され 戀心は
題不知
梓弓今將射 弩張本末寄吾身 然而在此夜 伊人不來近我宿 徒增戀心斷愁腸
春道列樹 610
0611 題知らず
我が戀は 行方も知らず 果ても無し 逢ふを限と 思ふばかりぞ
題不知
我戀真迷離 不知去處亦無果 只願得相晤 一心冀念有逢時 孑然獨身唯待汝
凡河內躬恒 611
0612 題知らず
我のみぞ 悲しかりける 彥星も 逢はですぐせる 年し無ければ
題不知
此世唯有我傷悲 憂戀悲戚愁斷腸 縱是彥星者 牛郎七夕會織女 豈有何年不得逢
凡河內躬恒 612
0613 題知らず
今は早 戀死なましを 逢ひ見むと 賴めし事ぞ 命なりける
題不知
命若今將絕 還願焦憂為戀死 吾命何所依 只賴相約將逢見 苟存此命僅為此
清原深養父 613
0614 題知らず
賴めつつ 逢はで年經る 偽に 懲りぬ心を 人は知らなむ
題不知
苦待徒寄望 經年累月不得逢 伊人心虛偽 然吾不懲彼無情 欲彼知我苦等情
凡河內躬恒 614
0615 題知らず
命やは 何ぞは露の 空物を 逢ふにしかへば 惜しから無くに
題不知
人謂命何如 豈非朝露春雪乎 儚幻虛漂渺 若此命可換一晤 捨之無惜替相逢
紀友則 615
古今和歌集 卷十二 戀歌 二 終