八雲立出雲國風土記 總記


出雲國地圖
出雲國面東為首,西南為尾。故依後天八卦論之:國之大體,首震尾坤。


八束水臣津野命像


長濱神社
祀國引坐八束水臣津野命。


三瓶山、園之長濱、稻佐濱
出雲讓國與國引神話之舞台。傳聞八束水臣津野命所以國引之綱即薗之長濱,固國之杭即三瓶山是也。

一、總記

 國之大體(おほきかたち)(はじめ)(をはり)坤。
 東南山,西北(つけり)海。東西(ひのたて)一百卅七里一十九步,南北(ひのよこ)一百八十三里一百九十三步。

     一百(あし)
     七十三(さと)卅二步。
     得而難可(あやまり)【○此三行十五字,蓋後人註記矣,蓋以傳寫誤,紛入本文。】

 (おきな),細思枝葉(ことのすゑ),裁定詞源(ことのもと)。亦,山野濱浦之(ところ),鳥獸之(すみか)魚貝海菜(うをかひうみつも)(たぐひ)(まことに)繁多,悉不陳(のべず)。然不獲(えざる)止,(ほぼ)梗慨(おほむね),以成記趣(しるすこころ)
 所以(なづく)出雲者,八束水臣津野命(やつかみづおみづののみこと)(のりたまひ):「八雲立(やくもたつ)!」詔之。(かれ)云八雲立出雲(いづも)

 合,神社(かみつやしろ),參佰玖拾玖(ところ)
  壹佰捌拾肆所。【在神祇官(かみつかさ)。】
  貳佰壹拾伍所。不在(あらず)神祇官。】

 玖郡。(さと)陸拾貳,(こざと)一百八十一。】餘戶(あまりべ)肆,驛家(うまや)陸,神戶(かむべ)漆。【里一十一。】
 意宇郡(おうのこほり)。鄉壹拾壹,【里卅三。】餘戶壹,驛家參,神戶參。【里六。】
 嶋根(しまね)郡。鄉捌,【里廿四。】餘戶壹,驛家壹。
 秋鹿(あいか)郡。鄉肆,【里一十二。】神戶壹。【里一。】
 楯縫(たてぬひ)郡。鄉肆,【里一十二。】餘戶壹,神戶壹。【里一。】
 出雲(いづも)郡。鄉捌,【里廿三。】神戶壹。【里二。】
 神門(かむど)郡。鄉捌。【里廿二。】餘戶壹,驛家貳,神戶壹。【里一。】
 飯石(いひし)郡。鄉漆。【里一十九。】
 仁多(にた)郡。鄉肆。【里一十二。】
 大原(おほはら)郡。鄉捌。【里廿四。】
 右(くだむ)鄉字者,依靈龜(りゃうき)元年(しき),改里為鄉。其鄉名字者,被神龜三年民部省(たみのつかさ)口宣(くせむ)改之。

八雲立出雲國風土記 意宇郡

一、意宇略記

 意宇郡(おうのこほり)
 合鄉壹拾壹,(こざと)卅三。】餘戶壹,驛家參,神戶參。【里六。】
 母理鄉(もりのさと)本字(もとのじ)文理。
 屋代(やしろ)鄉。今依(さき)用。
 楯縫(たてぬひ)鄉。今(より)前用。
 安來(やすき)鄉。今依前(もちゐる)
 山國(やまぐに)鄉。今依前用。
 飯梨(いひなし)鄉。本字云成(うんせい)
 舍人(とね)鄉。今依前用。
 大草(おほくさ)鄉。今依前用。
 山代(やましろ)鄉。今依前用。
 拜志(はやし)鄉。本字(はやし)
 宍道(ししぢ)鄉。今依前用。以上(かみ)壹拾壹鄉(ごと)里參。】

 餘戶里(あまりべのさと)
 野城(のぎ)驛家。
 黑田(くろだ)驛家。
 宍道驛家(うまや)
 出雲神戶(かむべ)
 賀茂(かも)神戶。
 忌部(いむべ)神戶。


出雲國意宇郡地圖
八束水臣津野命曳國訖而於意宇社地衝杖雄詰:「意惠!」故名。


意宇六社 真名井神社


意宇六社 真名井神社 狛犬
熊野大社、八重垣神社、揖夜神社、神魂神社、真名井神社、六所神社,與出雲國造家關係甚密。『出雲神社巡拜記』揖夜神社條:「爰有意宇六社,此其一也。六社者,當社及熊野大社、大庭神魂社、山代伊弉諾社、佐草八重垣、大草六所神社是也。巡拜之人,以其社格別,宜一一留心禮拜。」


八束水臣津野命 國引神話
初國小所,此云其祖神造國之時。


自稻佐濱望佐比賣山
彼岸中央,佐比賣山,繫綱之杭也。薗之長濱乃國引綱也,東起鳥取弓之濱半島,西迄稻佐濱。浪穗沫白,猶白綱之繫佐比賣山,引國之說遂起。作栲衾,新羅地方之枕詞。志羅紀,古朝鮮東南之國。霜黑葛,因霜寒而枯黑之葛。去豆,小津町,有許豆神社。折絕,山鞍部稜線接地處。杵築御埼,日御碕。佐比賣山,三瓶山。北門,日本海側之港口。佐伎、良波,隱岐島。多久折絕,八束郡鹿島町講武谷,有多久神社。狹田,佐太。宇波折絕,意宇郡手角至美保關北浦之山地。闇見國,意宇郡手角町至鹿島町東。高志,北陸地方。都都之三埼,能登半島。三穗,美保。夜見嶋,弓濱半島。伯耆之火神岳,鳥取大山。北門或云越後,或云隱岐。


阿太加夜神社 國引碑

二、國引神話

 所以(ゆゑ)意宇(おう)者,國引坐(くにひきましし)八束水臣津野命(やつかみづおみづのみこと)詔:「八雲立出雲國(やくもたついづものくに)者,狹布(さぬの)稚國(わかくに)在哉。初國(はつくに)小所作,故將作縫(つくりぬ)!」(のりたまひ)而:「栲衾(たくぶすま)志羅紀(しらき)()三埼(みさき)矣,國之(あまり)有耶見者,國之餘有。」詔而童女胸鉏(をとめのむなすき)所取而,【○童女胸鉏,平鋤之謂也。】大魚(おふを)(支太)衝別而,【○大魚之支太(きだ)衝別者,捕魚時,以鉾狙其鰓而突刺之狀。此云,如斯鉤鋤其土。】旗芒屠(波多須須支穗振)別而,【○穗振,此云(ほふ)り。波多須須支穗振別(はたすすきほふりわけ)者,撕裂之狀也。】三身之綱(みつみのつな)打挂而,霜黑葛(しもつづら)()()()【○闇耶,此云(くる)や。霜黑葛闇耶闇耶(くるやくるや)者,引霜黑葛綱而牽之。】河船之緩緩(毛曾呂毛曾呂)()【○毛曾呂(もそろ),舟船緩慢行進之狀。】國來(くにこ)!國來!」引來(ひきき)縫國者,自去豆(こづ)()折絕(をりたえ)而,八穗(やほ)()杵築(支豆支)()御埼(みさき)【八穗爾支豆支(にきづき),即「八百(やほ)杵築(きづき)」,以大量之土杵擣固地也。】
 以此而,堅立(かためたてし)(加志)者,【○加志(かし),此云(かし),杭也,所用以繫舟者矣。】石見國(いはみのくに)與出雲國之(さかひ)有,名佐比賣山(さひめやま)是也。亦持引綱者,薗之長濱(そののながはま)是也。

 亦,「北門(きたど)佐伎(さき)之國矣,國之餘有耶(ありや)見者,國之餘有!」詔而,童女胸鋤所取而,大魚之(支太)衝別(つきわけ)而,旗芒屠(波多須須支穗振)別而,三身之綱打挂(うちかけ)而,霜黑葛()()()河船(かはふね)緩緩(毛曾呂毛曾呂)(),「國來!國來!」引來(ぬへる)國者,自多久(たく)()折絕而,狹田(さだ)之國是也(これなり)

 亦,「北門良波(はら)之國矣,國之餘有耶見者(みれば),國之餘有!」詔而,童女胸鋤所取而,大魚之(支太)衝別而,旗芒屠(波多須須支穗振)別而,三身之綱打挂而,霜黑葛牽耶(闇や)牽耶(闇や)(),河船之緩緩(毛曾呂毛曾呂)(),「國來!國來!」引來縫國者,自宇波(未詳)()折絕而,【○宇波,未詳。按本居宣長說,蓋手染(たすみ)之訛也。】闇見國(くらみのくに)是也。

 亦,「高志(こし)都都(つう)三埼(みさき)矣,國之餘有耶見者,國之餘有!」詔而,童女胸鋤所取而,大魚之(支太)衝別而,旗芒屠(波多須須支穗振)別而,三身之綱打挂而,霜黑葛()()耶爾,河船之緩緩(毛曾呂毛曾呂)(),「國來!國來!」引來縫國者,三穗之埼(みほのさき)
 持引綱,夜見嶋(よみのしま)固堅立(かためたてし)(加志)者,有伯耆(ははき)火神岳(ひのかみだけ)是也。

 「今者,國者引訖(ひきおへつ)。」詔而,意宇社(おうのもり)()御杖(みつゑ)衝立而,「意惠(おゑ)【○意惠(おゑ),感嘆辭。】()詔。故云意宇。所謂(いはゆる)意宇社者,郡家東北邊(ひむがしきたのへ)田中在(をか)是也。(めぐり)八步(ばかり),其上有(おほばこ)茂。○或本作有一以茂、有木以(しげれり),疑誤。

三、鄉里驛家

 母理鄉(もりのさと)郡家(こほりのみやけ)東南卅九(さと)一百九十(あし)。所造天下(あめのした)大神大穴持命(おほなもちのみこと)越八口(こしのやくち)平賜(ことむけたまひ)而還坐時,來坐長江山(ながえやま)而詔:「我造坐(つくりまし)(うしはく)國者,皇御孫命(すめみまのみこと)平世(やすくに)所知依奉(よせまつらむ)。但八雲立出雲國者,我靜坐(しづまります)國。青垣山(あをがきやま)迴賜(めぐらしたまひ)而,珍玉(うづのみたま)置賜(おきたまひ)(もらむ)。」詔。故云文理(もり)神龜(じんき)三年,(あらたむ)字母理。文理(もり),守也。所造天下(あめのしたつくりましし)大神,大國主命。
 屋代(やしろ)。郡家正東(まひむがし)卅九里一百廿步。天乃夫比命(あめのふひのみこと)御伴天降來(あまくだりこし)社伊支(やしろのいき)等之遠神(とほつかみ)天津子命(あまつこのみこと)詔:「吾靜將坐(おもふ)社。」詔。故云(やしろ)【○天乃夫比命,天菩比神(あめのほひのかみ)。】
 楯縫(たてぬひ)。郡家東北卅二里一百八十步。布都怒志命(ふつぬしのみこと)天石楯(あめのいはたて)(なほし)給之。(かれ)云楯縫。【○布都怒志,經津主神(ふつぬしのかみ)。天石楯今傳嵩神社境內。】
 安來(やすき)。郡家東北廿七里一百八十步。神須佐乃袁命(かみすさのをのみこと)天壁(あめのかき)立迴坐之。爾時(そのとき),來坐此處而詔:「吾御心者,安平成(やすけくなりぬ)。」詔。故云安來也。
  (すなはち)北海(きたのうみ)毘賣埼(ひめさき)飛鳥淨御原宮(あすかきよみはらのみや)御宇(あめのしたしろしめしし)天皇(天武)御世(みよ)甲戌(きのえいぬ)年七月十三日語臣(かたりのおみ)豬麻呂(ゐまろ)女子(むすめ)逍遙(もとほりあそび)件埼,邂逅(たまさか)(和爾)【○和爾(わに),鱷鮫也。或云(ふか)。】所賊不皈(そこなはえてかへざりき)【○所賊,遭殺害。】爾時,父豬麻呂,所賊女子,斂置(をさめおき)濱上,大發苦憤(いきどほり)(さけび)(をどり)地,行(さまよひ)(なげき),晝夜辛苦(たしなみ),無避斂所(をさめしところ)
  作是之間(かくするあひだ),經歷數日(あまたひ)。然後,興慷慨志(ねたみのこころ),磨()(ほこ)(えらび)便處居,即撎訴(をろがみうるたへ)云:「天神(あまつかみ)千五百萬,地祗(くにつかみ)千五百萬,并當國(このくに)靜坐三百九十九社,及海若(わたつみ)等,大神(おほみかみ)和魂(にぎみたま)(しづまり)而,荒魂(あらみたま)皆悉(みなふつく)依給豬麻呂之所(こひのむ)(まこと)神靈(みたま)坐者,吾所傷給(そこなはせたまへ)【○此祈荒神附身,以殺鱷鮫。】以此知神靈之所神(かみたる)者!」
  爾時,有須臾(しまらく)而,(和爾)百餘,靜圍繞(かくみ)(和爾)(おもふる)依來(よりき),從於居下(をるもと),不進不退,(なほ)圍繞(のみ)。爾時,舉(ほこ)(さし)中央(まなか)(和爾)殺捕(ころしとる)(をへぬ)。然後,百餘(和爾)解散(あらけき)殺割(さけ)者,女子之一脛(かたはぎ)屠出(はふりいでき)。仍(和爾)者,殺割而挂(くし),立路之垂(みちのほとり)也。【安來鄉人,語臣(あたふ)之父也。自爾時以來,至于今日,經六十歲(むそとせ)。】
 山國(やまくに)。郡家東南(ひむがしみなみ)卅二里二百卅步。布都努志命(ふつぬしのみこと)國迴坐(くにめぐりましし)時,來坐此處而詔:「是(くに)者,不止(やまず)欲見。」詔。故云山國也。即有正倉(みやけ)
 飯梨(いひなし)。郡家東南卅二里。大國魂命(おほくにたまのみこと)天降坐時,當此處而御膳食(みいひしし)給。故云飯成(いひなし)【神龜三年,改()飯梨。】
 舍人(とね)。郡家正東廿六里。志貴嶋宮(しきしまのみや)御宇天皇(欽明)御世,倉舍人君(くらのとねりのきみ)等之祖日置臣志毗(へきのおみしび)大舍人(おほとね)供奉之。即是志毗之所居(すめるところ)。故云舍人。(すなはち)有正倉。
 大草(おほくさ)。郡家南西(みなみにし)二里一百廿步。須佐乎命(すさのをのみこと)御子青幡佐久佐丁壯命(あをはたのさくさひこのみこと)坐。故云大草。
 山代(やましろ)。郡家西北(にしきた)三里一百廿步。所造天下大神大穴持命御子山代日子命(やましろひこのみこと)坐。故云山代也。即有正倉。
 拜志(はやし)。郡家正西(まにし)廿一里二百一十步。所造天下大神命(大國主),將平越八口(こしのやくち)為而(いでましし)時,此處樹林茂盛(はやしさかり)。爾時詔:「吾御心(みこころ)(波夜志)。」詔。故云(はやし)【神龜三年,改字拜志。○越八口,蓋八岐大蛇(やまたのをろち)乎。○波夜志(はやし),林也。昂揚榮盛之狀。即有正倉(みやけ)
 宍道(ししぢ)。郡家正西卅七里。所造天下大神命(大國主)追給豬像(おひたまへるゐのかた),南山有二。【一(ながさ)(つゑ)七尺,(たかさ)一丈,(めぐり)五丈七(さか)。一長二丈五尺,高八尺,周四丈一尺。】追豬(いぬ)像,【長一丈,高四尺,周一丈九尺。】(かたち)為石,無異(ことなることなし)豬犬,至今猶在(なほあり)。故云宍道。
 餘戶里。郡家正東六里二百六十步。【依神龜四年編戶(へむこ),立一里。故云餘戶。他郡亦如之(かくのごとし)。】

 野城驛(のぎのうまや)。郡家正東廿里八十(あし)野城大神(のぎのおほかみ)坐,故云野城。
 黑田(くろだ)。郡家同處(おなじところ)。郡家西北二里,有黑田村。土體(つちのさま)色黑,故云黑田。(もと)此處有是驛,即號曰黑田驛。今東(つけり)郡。今猶,(おふ)舊黑田()耳。
 宍道(うまや)。郡家正西卅八里。(とく)名如鄉。】


出雲大社 大國主 結緣之御神像
大穴持命,即大穴牟遲神,或稱大己貴、大汝命,大國主命。長江山,出雲、伯耆之境,今永江山。


天穗日命
天乃夫比命,或云天菩比神、天之菩卑能命、天穗日命,出雲國造千家氏遠祖。記紀云其受命交涉讓國,而媚於大國主,不覆命。讓國之際,高皇產靈尊允建天日隅宮,以天穗日命祀大國主。出雲國造神賀詞,則云其附奏出雲國仍荒,遣子天夷鳥命,副布都怒志命天降,平定葦原中國。


素戔嗚尊、稻田姬命復原壁畫
神須佐乃袁命,須佐之男、素戔嗚尊也。毘賣埼,今安來町東北,中海砥神島之對岸。海若即海神,莊子云:「望洋向若。」釋:「若,海神。」


八岐大蛇
越之八口,蓋記紀八岐大蛇之原型。古事記:「高志之八俣遠呂智。【高志,こし,越也。遠呂智,おろち,大蛇也。】 」無論地緣、姿形,皆似八岐大蛇。又蛇之古語くちはな。蝮之古語くちばみ,並以口寓蛇之例。愛奴語口、頭音近。此外亦有八國、八ッ口,【地名,在新瀉縣岩船郡關川村。】及谷口等說。


神魂神社
按社傳,天穗日命天降於茲以創建。出雲國造家更迭之祭,參向該社,行神火相續式、古傳新嘗祭。今日現存最古大社造建築。

出雲國一宮 意宇六社 熊野大社
加武呂乃命,即素戔嗚尊,亦名熊野牛王、家津美御子大神、加夫呂伎熊野大神櫛御氣野命、須佐之男命。此社號日本火出初之社。


葛城高鴨神社
鴨,賀茂也。祭神阿遲鋤高日子命,大國主命、奧津宮多紀理毘賣命之子。同神神戶在意宇郡者,即賀茂神戶。


忌部神戶邊 神湯 玉造溫泉
傳少彥名命所創,源自宍道湖南岸玉湯川上游。


意宇六社 揖夜神社 伊布夜社
祭神伊弉冉尊,或云言屋社、伊布夜社、揖屋神社。與其近郊之黃泉比良坂關係匪淺。


意宇六社 八重垣神社 佐久佐社
祭神素盞嗚尊、櫛稻田姬,及青幡佐久佐日古命。初創於大原郡須賀須我社,後遷佐草佐久佐社境內。相對於一般大社造入口偏右之設計,本殿入口居中,堪稱例外。

四、神戶社寺

 出雲神戶(かむべ)。郡家南西二里廿步。伊奘奈枳愛子(いざなぎ乃麻奈こ)熊野(くまの)加武呂命(かむろ乃みこと)【○麻奈子(まなこ),真名子,即愛子也。加武呂(かむろ),祝詞作神漏(かむろ),祖神也。此指伊奘諾尊(いざなぎのみこと)愛子素盞嗚尊(すさのをのみこと)是也。】五百鉏鉏(いほ津すきすき)猶所取取而,所造天下大穴持命,二所(ふたところ)大神等依奉(よさしたてまつる)。故云神戶。【他郡等神戶,(また)如之。○該處民戶奉伊弉諾尊子素盞嗚尊、手執眾鉏造天下大國主命二神,故名。
 賀茂(かも)神戶。郡家東南卅四里。所造天下大神命之御子阿遲鋤高日子命(あぢすきたかひこのみこと),坐葛城賀茂社(かづらきのかものやしろ)。此神之神戶,故云(かも)【神龜三年,改字賀茂。】即有正倉。
 忌部神戶。郡家正西廿一里二百六十步。國造(くにのみやつこ)神吉詞(かむよごと)(まをし)參向(まゐむかふ)朝廷(みかど)時,御沐(ゆかはあみ)忌里(いみさと)。故云忌部(いむべ)
 即川邊出湯(いでゆ)。出湯所在,兼海陸(うみくが)(よりて),男女老少(おいたるもわかきも),或道路(みち)駱驛(つらなり),或海中沿(そひ)洲,(ひび)集成(いち)繽紛燕樂(まがひてうたげす)。一(すすけば)形容端正(かたちきらきらし),再(ゆあみ)萬病(よろづのやまひ)悉除(ことごとくにいゆ)自古(いにしへより)至今(いまにいたるまで),無不得(しるし)。故,俗人(くにびと)神湯(かみのゆ)也。

 教昊寺(けうかうじ)。有山國鄉中,郡家正東廿五里一百廿步。建立五層之塔(いつこしのたふ)也。【在(ほふし)。】教昊僧之所造也。散位(とね)大初位下(だいそゐのしも)上腹首押豬(うへはらのおびとおしゐ)祖父(おほぢ)也。】
 新造(ゐん)一所。山代鄉中,郡家西北四里二百步。建立嚴堂(ごんだう)也。【無僧。】日置君目烈(へきのきみまれ)之所造。【出雲神戶日置君鹿麻呂(しかもろ)之父。】
 新造院一所。有山代鄉中,郡家西北二里。建立教堂(けふだう)【住僧一軀(ひとはしら)。】飯石郡少領(すけのみやつこ)出雲臣弟山(いづものおみおとやま)之所造也。
 新造院一所。有山國鄉中,郡家東南廿一里百廿步。建立(たつ)三層之塔也。山國鄉人日置部根緒(へきべのねを)之所造也。【○下段計六十七所,『延喜式(えんぎしき)神名帳(じんみゃうちゃう)』所載社名。】

     熊野大社(くまのおほやしろ) 夜麻佐社(やまさのやしろ) 賣豆貴社(めつきのやしろ) 賀豆比乃社(かつひのやしろ) 由貴社(ゆきのやしろ)
     加豆比乃高社(かつひのたかやしろ) 都俾志呂社(つへしろのやしろ) 玉作湯社(たまつくりゆのやしろ) 野城社(のぎのやしろ) 伊布夜社(いふやのやしろ)
     支麻知社(きまちのやしろ) 夜麻佐社(やまさのやしろ) 野城社(のぎのやしろ) 久多美社(くたみのやしろ) 佐久多社(さくたのやしろ)
     多乃毛社(たのものやしろ) 須多社(すたのやしろ) 真名井社(まなゐのやしろ) 布辨社(ふべのやしろ) 斯保彌社(しほみのやしろ)
     意陀支社(おだきのやしろ) 市原社(いちはらのやしろ) 久米社(くめのやしろ) 布吾彌社(ふごみのやしろ) 宍道社(ししぢのやしろ)
     野代社(のしろのやしろ) 賣布社(めふのやしろ) 狹井社(さゐのやしろ) (おなじき)狹井高守社(さゐのたかもりのやしろ) 宇流布社(うるふのやしろ)
     伊布夜社(いふやのやしろ) 由宇社(ゆうのやしろ) 布自奈社(ふじなのやしろ) (おなじき)布自奈社(ふじなのやしろ) 野代社(のしろのやしろ)
     佐久多社(さくたのやしろ) 意陀支社(おだきのやしろ) 前社(さきのやしろ) 田中社(たなかのやしろ) 詔門社(のりとのやしろ)
     楯井社(たてゐのやしろ) 速玉社(はやたまのやしろ) 石坂社(いはさかのやしろ) 佐久佐社(さくさのやしろ) 多加比社(たかひのやしろ)
     山代社(やましろのやしろ) 調屋社(つきやのやしろ) 同社(おなじきやしろ) 以上(かみ)卌八(ところ)(ならびに)神祗官(かみつかさ)。】

     宇由比社(うゆひのやしろ) 支布佐社(きふさのやしろ) 毛禰乃上社(もみのかみつやしろ) 那富乃夜社(なほのやのやしろ) 支布佐社(きふさのやしろ)
     國原社(くにはらのやしろ) 田村社(たむらのやしろ) 市穗社(いちほのやしろ) (おなじき)市穗社(いちほのやしろ) 伊布夜社(いふやのやしろ)
     阿太加夜社(あだかやのやしろ) 須多下社(すたのしもつやしろ) 河原社(かはらのやしろ) 布宇社(ふうのやしろ) 末那為社(まなゐのやしろ)
     加和羅社(かわらのやしろ) 笠柄社(かさがらのやしろ) 志多備社(したびのやしろ) 食師社(みけしのやしろ) 【以上一十九所,並不在(あらず)神祗官。】

五、山川河海

 長江山(ながえやま)。郡家東南五十里。【有水精(みづとるたま)○水晶也。『和名抄』:「水玉。一名月珠,水精也。」
 暑垣山(あつがきやま)。郡家正東廿里八十(あし)【有(とぶひ)。】
 高野山(たかのやま)。郡家正東一十九里。
 熊野山(くまのやま)。郡家正南(まみなみ)一十八里。【有(ひのき)(まゆみ)也。所謂熊野大神(くまののおほかみ)之社坐。】
 久多美山(くたみやま)。郡家西南(にしみなみ)廿三里。【有(やしろ)。】
 玉作山(たまつくりやま)。郡家西南卅二里。【有社。】
 神名樋野(かむなびの)。郡家西北三里一百廿九步。高八十(つゑ)(めぐり)六里卅二步。【東有(まつ)三方(みつのかた)並有()。】

     凡諸山野(やまの)所在草木(くさき)麥門冬(やますげ)獨活(つちたら)石斛(いはぐすり)前胡(のぜり)高梁薑(かはねぐさ)連翹(いたちぐさ)黃精(あまな)百部根(ふとづら)貫眾(おにわらび)白朮(をけら)署預(やまついも)苦參(くらら)細辛(みらのねぐさ)商陸(いをすぎ)藁本(さはそらし)玄參(おしぐさ)五味子(さねかづら)黃芩(ひひらぎ)葛根(くずのね)牡丹(ふかみぐさ)藍漆(やまあさ)(わらび)(ふぢ)(すもも)、檜、【字或作()。】(すぎ)【字或作(しゃう)。】赤桐(あかぎり)白桐(あをぎり)(くす)(しひ)海榴(つばき)【字或作椿(ちん)。】楊梅(やまもも)(まつ)(かへ)【字或作()。】(きはだ)(つき)
     禽獸(とりけもの),則有(わし)晨風(はやぶさ)(もじ)或作(じゅん)。】山雞(やまどり)(はと)(うづら)(ひばり)【字或作離黃(りわう)。】鵄鴞(づく)【作橫致(わうち)惡鳥(あしきとり)也。】(くま)(おほかみ)(しし)鹿(しか)(うさぎ)(きつね)飛鼯(むささび)【字或作𤢹(るゐ)、作(ふく)。】獼猴(さる)(やから)。至(しげく),全不可題之(しるす)

 伯太川(はたがは)(みなもと)仁多(にた)意宇(おう)二郡堺葛野山(かづのやま)上,流經母理、楯縫、安來三鄉。入入海(いりうみ)【有年魚(あゆ)(伊久比)○年魚,(あゆ)也。伊久比(いぐひ)(うぐい)也。
 山國川(やまくにがは)。源出郡家東南卅八里枯見山(うらみやま),北流入伯太川。
 飯梨河(いひなしがは)。源有三,一水(ひとつ)源出仁多、大原、意宇三郡堺田原(たはら),一水源出枯見,一水源出仁多郡玉嶺山(たまみねやま)。】(みづ)合,北流(いる)入海。【有年魚、(伊具比)。】
 筑陽川(つきやがは)。源出郡家正東一十里一百步荻山(をぎやま),北流入入海。【有年魚。】
 意宇河(おうがは)。源出郡家正南一十八里熊野山,北流入入海。【有年魚、(伊具比)。】
 野代川(のしろがは)。源出郡家西南一十八里須我山(すがやま),北流入入海。
 玉作川(たまつくりがは)。源出郡家正西一十九里□志山(あしやま)○脫漏,按『參究』,據方角考之則葦山(あしやま)乎。蓋脫阿字。】北流入入海。【有年魚(あゆ)。】
 來待川(きまちがは)。源出郡家正西廿八里和奈佐山(わなさやま),西流至山田村(やまだむら),更(をれ)北流入入海。【有年魚。】
 宍道川(ししぢがは)。源出郡家正西卅八里幡屋山(はたややま),北流入入海。【無(いを)。】

 津間拔池(つまぬきのいけ)。周二里卌步。【有(たかべ)(かも)魪蔘(せり)。】
 真名豬池(まなゐのいけ)。周二里。
 北,入海(いりうみ)
 門江濱(かどえのはま)伯耆(はばき)與出雲二國(さかひ)。自東(ゆく)西。】
 粟嶋(あはしま)【有(しひ)、松、多年木(あはぎ)宇竹(おほたけ)真前(まさき)(かづら)。】
 砥神嶋(とがみしま)。周三里一百八十步,高六十丈。【有椎、松、(みらのねぐさ)薺頭蒿(おはぎ)都波(つは)師太(しだ)等草木也。】
 加茂嶋(かもしま)【既(いそ)。】
 子嶋(こじま)(すでに)礒。】
 羽嶋(はしま)【有椿(つばき)(比佐木)、多年木、(わらび)、都波、薺頭蒿。】
 鹽楯嶋(しほたてしま)【有蔘螺子(にし)永蔘(ながたで)。】
 野代海(のしろのうみ)中,蚊嶋(かしま)。周六十步。中央涅土(くろつち)四方(よも)並礒。【中央有手鞠許(たつかばかり)一株(ひともと)耳。其礒有(),有螺子(しただみ)海松(みる)○野代海,宍道湖也。蚊島(かしま),字源嫁島(かしま)。涅,黑也。『說文解字』:「涅,黑土(くろつち)在水中者也。」

 自茲以西濱,或峻崛(さかし),或平土(たひら),並是通道(かよひぢ)所經(よれる)也。


高野山 京羅木山


熊野山 天狗山
熊野大社舊社地。可自熊野大社上宮之元宮遙拜所望之。


神名樋野 茶臼山
茶臼山可謂出雲之神奈備山,自古為神聖之象徵。山間有山代社、真名井神社、 真名井之瀧。


意宇六社 出雲國總社 六所神社
出雲國府跡,傳佐久佐社比定地之一。正對茶臼山。


意宇河 熊野大社前
源自熊野山,於松江市東端入中海。今稱意宇川,或名出雲鄉川。


入海 宍道湖


宍道菅原梅之木天神
山田村,宍道町來待菅原之古名


鹽楯嶋 手間天神


復原出雲豎穴住居跡


朝酌渡 松江市矢田渡


出雲國府跡

六、道政區劃

 國東(くにのひむがし)手間剗(てまのせき),卅一里一百八十步。
 大原郡(おほはらのこほり)林垣峰(はやしがきのみね),卅二里二百步。
 出雲郡(いづものこほり)佐雜埼(ささふのさき),卅二里卅步。
 嶋根郡(しまねのこほり)朝酌渡(あさくみのわたり),四里二百六十步。

 前件一郡(意宇),入海之南,此則國序(くにのはじまり)也。





郡司(ほこりのつかさ) 主帳(ふみひと)  無位         海 臣(あまのおみ)
無位         出雲(いづも)
少領(すけのみやつこ)  從七位上  勳十□等 出雲臣
主政(まつりごとひと)  外小初位上 勳十□等 林 (はやし)
擬主政(かりのまつりごとひと) 無位(むゐ)         出雲臣


八雲立出雲國風土記 嶋根郡

一、嶋根略記

 嶋根郡(しまねのこほり)
 (あはせて)鄉捌,(こざと)廿四。】餘戶(あまりべ)壹,驛家(うまや)壹。
 朝酌(あさくみ)鄉。今(よりて)前用。
 山口(やまぐち)鄉。(いま)依前用。
 手染(たしみ)鄉。今依(さき)用。
 美保(みほ)鄉。今依前(もちゐる)
 方結(かたえ)鄉。今依前用。
 加賀(かか)鄉。本字加加(かか)
 生馬(いくま)鄉。今依前用。
 法吉(ほほき)鄉。今依前用。以上(かみ)捌,鄉別(さとごと)里參。】
 餘戶里。
 千酌(ちくみ)驛家。
 所以(ゆゑ)號嶋根郡,國引坐八束水臣津野命之(のりたまひ)負給(おほせたまへる)名。(かれ)云嶋根。


出雲國嶋根郡地圖


出雲國十郡分圖 嶋根郡


國引神話 八束水臣津野命像
所以為嶋根者,依八束水臣津野命詔而負名。然此似無關國引事由。


須佐能袁命 八重垣神社壁畫
即須佐之男命、素戔嗚尊、櫛御氣野命、熊野大神。其子都留支日子命,不見於他處,案神社名列記,布自伎彌神社祭神也。


沼河姬命像
奴奈宜波比賣,沼河姬也。


加賀神埼 潛戶
加賀鄉闇岩屋也。

二、鄉里驛家

 朝酌(あさくみ)。郡家正南一十里六十四步。熊野大神命(櫛御氣野命)(のり)朝御餼(あさみけ)勘養(かむかひ)夕御(ふゆみけ)餼勘養,五贄緒(いつつのにへのくみ)之處定給。故(いふ)朝酌。
 山口(やまぐち)。郡家正南四里二百九十八步。須佐能袁命(すさのをのみこと)御子都留支日子命(つるぎひこのみこと)詔:「吾敷坐(しきいます)山口(ところ)在。」詔而,(かれ)山口負給(おほせたまひき)
 手染(たしみ)。郡家正東一十里二百六十四步。所造天下大神(大國主)命詔:「此國者,丁寧(たし)所造國在。」詔而,故丁寧負給。而今人(いまのひと)(いへる)手染鄉之耳(のみ)【○丁寧(たし)に,(たし)かに。】(すなはち)有正倉。
 美保(みほ)。郡家正東廿七里一百六十四步。所造天下大神(大國主)命,娶高志(こし)(います)意支都久辰為命(おきつくしゐのみこと)俾都久辰為命(へつくしゐのみこと)奴奈宜波比賣命(ぬながはひめのみこと)而,令(うみましし)神。御穗須須美命(みほすすみのみこと),是神坐矣。故云美保。
 方結(かたえ)。郡家正東廿里八十步。須佐袁命(すさのをのみこと)御子國忍別命(くにおしわけのみこと)詔:「吾敷坐(くに)者,國形宜(くにかたえし)者。」故云方結(かたえ)
 加賀(かか)。郡家北西廿四里一百六十步。佐太大神(さだのおほかみ)所生也。御祖(みおや)神魂命(かむむすびのみこと)御子支佐加比賣命(きさかひめのみこと):「(くらき)岩屋(いはや)哉。」詔,金弓(かなゆみ)射給(いたまふ)時,光輝明(ひかり加加やきぬ)也。【○加加明(かかやき),輝也。】故云加加(かか)
 生馬(いくま)。郡家西北一十六里二百九步。神魂命御子八尋鉾長依日子命(やひろほこながよりひこのみこと)詔:「吾御子(みこ)平明(やすらけく)不憤(いくまず)。」(のりたまひき)。故云生馬。【○御子,疑御心(みこころ)之誤也。】
 法吉(ほほき)。郡家正西一十四里二百卅步。神魂命御子宇武賀比賣命(うむかひめのみこと)法吉鳥(ほほきどり)化而飛度(とびわたり)靜坐(しづまりましき)此處。(かれ)云法吉。
 餘戶里說名(なをとくこと)如意宇郡。】
 千酌驛(ちくみのうまや)。郡家東北一十七里一百八十步。伊差奈枳命(いざなぎのみこと)御子都久豆美命(つくつみのみこと),此處(あれます)。然則可謂(いふべき)都久豆美,而今人(なほ)千酌(なづくる)耳。

三、神社名帳

     布自伎彌社(ふじきみのやしろ) 多氣社(たけのやしろ) 久良彌社(くらみのやしろ) (おなじき)波夜都武志社(はやつむじのやしろ) 川上社(かはかみのやしろ)
     長見社(ながみのやしろ) 門江社(かどえのやしろ) 橫田社(よこたのやしろ) 加賀社(かかのやしろ) 爾佐社(にさのやしろ)
     爾佐加志能為社(にさかしのゐのやしろ) 法吉社(ほほきのやしろ) 生馬社(いくまのやしろ) 美保社(みほのやしろ) 以上(かみ)一十四所,並(あり)神祗官。】

     大井社(おほゐのやしろ) 阿羅波比社(あらはひのやしろ) 三保社(みほのやしろ) 多久社(たくのやしろ) 蜛蝫社(たこのやしろ)
     同蜛蝫社(たこのやしろ) 質留比社(しちるひのやしろ) 方結社(かたえのやしろ) 玉結社(たまえのやしろ) 川原社(かはらのやしろ)
     蟲野社(むしののやしろ) 持田社(もちだのやしろ) 加佐奈子社(かさなしのやしろ) 比加夜社(ひかやのやしろ) 須義社(すぎのやしろ)
     伊奈須美社(いなすみのやしろ) 伊奈阿氣社(いなあげのやしろ) 御津社(みつのやしろ) 比津社(ひつのやしろ) 玖夜社(くやのやしろ)
     同玖夜社(くやのやしろ) 田原社(たはらのやしろ) 生馬社(いくまのやしろ) 布奈保社(ふなほのやしろ) 加茂志社(かもしのやしろ)
     一夜社(ひとよのやしろ) 小井社(をゐのやしろ) 加都麻社(かつまのやしろ) 須衛都久社(すゑつくのやしろ) 大椅社(おほはしのやしろ)
     大椅川邊社(おほはしのかはべのやしろ) 朝酌社(あさくみのやしろ) 朝酌下社(あさくみのしもつやしろ) 努那彌社(ぬなみのやしろ) 椋見社(くらみのやしろ) 【以上卌五所,並不在神祗官(かむつかさ)(ならびに)五十九所,『延喜式神名帳』社名。


加賀神社 加賀社
『出雲風土記鈔』云窟戶大明神,『雲陽誌』云潛戶大明神。原在加賀潛戶岩窟內,後遷今址。


美保神社 美保社
祀事代主、三穗津姬,風土記云祀御穗須須美命。比翼大社造社殿。


多賀神社 朝酌下社


布自枳美高山 嵩山
諸本傳週一十里,按福部旦實測,訂正為二十里。設烽火台。


小倉山 毛志山 三坂山
左起,小倉山、毛志山、三坂山,今名大城山、澄水山、絲江山也。又女岳山,今和久羅山。虱野,今松江市坂本福原,舊名蝨原。


中海 自枕木山上眺望
大倉山,今稱枕木山。


水草河 朝酌川
今朝酌川。亦有川津川說。


長見神社 長海川北岸
長見川,今長海川。源自大倉山,入中海。大鳥川為其支流。


野浪川 里路川
注入八束郡島根町野波浦,比定川南北各一,未祥孰是。又加賀川,出雲國風土記考証作大芦川,出雲國風土記參究作加賀川。


法吉坡 法吉神社


張田池 半田池


邑美冷水 目無水
今目無水。澶漫,廣大狀。文選注:「寬長貌也。」


前原埼 猿が鼻


蜛蝫嶋 大根島


蜈蚣嶋 江島
大根島東北。昔居蜈蚣,蛸來食。


宇由比濱 美保關町森山宇井


美保濱
美保關町濱。西有美保社。


美保埼 地藏崎
在島根半島東端,今地藏崎。


等等嶋 沖之御前島


質留比浦 七類浦
有質留比社。小嶋,西江灣中島。勝間埼,美保關町片江本鄉西北方之岬,今石窟猶存。


玉結濱 笹子浦
或書佐佐子浦。砂濱可採黑石、貝類,別為黑碁、白碁之材料。


勝間埼 大崎鼻
有海蝕洞。校注出雲國風土記或云北保關町片江之岬,雖亦有海蝕洞然規模不足風土記所述。


衣嶋 菅浦木島
須義濱即今菅浦,衣嶋蓋今木島。中鑿指經削鑿之洞窟。出雲國風土記中如此表記者有三處。


千酌濱 千酌浦


瀨埼戍 瀨埼戍展望台
瀨埼戌乃張望出入隱岐之警備所。


野浪濱 野波濱



加賀神埼 加賀潛戶


加賀潛戶 舊潛戶 賽河原
加賀神埼即潛戶所在之岬,有新舊二潛戶。新潛戶乃佐太大神誕生承傳地,可通船,古有加賀神社鎮座,今遷他處。洞口傳為大神誕生之際,母神以金弓箭射穿而成。舊潛戶入口狹隘,內部廣大,傳為賽河原而有父母為兒女所積之小石。


佐太大神 猿田彥大神
佐太大神,出雲國二宮佐太神社之祭神。蓋猿田彥神之別名。或云佐太乃猿田之元訓,其義或表狹田、或表岬者,未衷一是。

四、山川河海

 布自枳美高山(ふじきみのたかやま)。郡家正南七里二百一十步。高二百七十丈,(めぐり)二十里。【有(とぶひ)。】
 女岳山(めだけやま)。郡家正南二百卅步。
 蝨野(むしの)。郡家西南三里一百步。【無樹木()。】
 毛志山(もしやま)。郡家正北一里。
 大倉山(おほくらやま)。郡家東北九里一百八步。
 絲江山(いとえやま)。郡家東北廿六里卅步。
 小倉山(をくらやま)。郡家正東廿四里一百六十步。

     (おほよそ)諸山所在草木,白朮(をけら)麥門冬(やますげ)藍漆(やまあさ)五味子(さねかづら)苦參(くらら)獨活(つちたら)葛根(くずのね)署預(やまついも)卑解(ところ)狼毒(やまさく)杜仲(はひまゆみ)芍藥(えびすぐすり)柴胡(のぜり)玄參(おしぐさ)百部根(ふとづら)石斛(いはぐすり)藁本(さはそらし)(ふぢ)(すもも)()赤桐(あかぎり)白桐(あをぎり)海柘榴(つばき)(くすのき)楊梅(やまもも)(まつ)(かへ)
     禽獸,(すなはち)(わし)(もじ)或作(ちょう)。】(はやぶさ)山雞(やまどり)(はと)(きぎし)()鹿(しか)(さる)飛鼯(むささび)

 水草河(みくさがは)(みなもと)二,【一水源(みなもと),出郡家東北三里一百八十步毛志山。(ひとつ)水源,出郡家西北六里一百六十步(おなじき)毛志山。】二水(あひ),南流入入海(いりうみ)【有(ふな)。】
 長見川(ながみがは)。源出郡家東北九里一百八十步大倉山,東(ながる)
 大鳥川(おほとりがは)。源(いで)郡家東北一十二里一百一十步墓野山(はかのやま),南流。二水合。東流入入海。【○所謂二水者,長見川、大鳥川(なり)。】
 野浪川(のなみがは)。源出郡家東北廿六里卅步絲江山,西流入大海(おほうみ)
 加賀川(かががは)。源出郡家正北廿四里一百六十步小倉山,西流入秋鹿(あいか)佐太水海(さだのみづうみ)以上(かみ)六川,並無魚。少少川(ささらがは)也。○觀此文,僅有五川。雖『出雲國風土記鈔』於加賀川下有多久川(たくのがは),然其餘寫本皆無。蓋記水草河作二川,并亦六川乎。又鈔本云:加賀川,源出郡家正北廿四里一百六十步小倉山,北流入大海。多久川,源出郡家西北廿四里小倉山。西流(いる)秋鹿郡佐太水海。

 法吉坡(ほほきのつつみ)。周五里,深七尺(ばかり)。有鴛鴦(をし)(たかべ)(かも)(ふな)須我毛(すがも)【當夏(をり)(いと)美菜(うましな)須我毛(すがも)管藻(すがも)歟。
 前原坡(さきはらのつつみ)。周二百八十步。有鴛鴦、鳧、鴨(ども)(たぐひ)
 張田池(はりたのいけ)。周一里卅步。
 匏池(ひさごのいけ)。周一里一百一十步。(おふ)蔣。】
 美能夜池(みのやのいけ)。周一里。
 口池(くちのいけ)。周一里一百八十步。【有(まこも)、鴛鴦。】
 敷田池(しきたのいけ)。周一里。【有鴛鴦。】

 南,入海(いりうみ)【自西(ゆく)東。】
 朝酌促戶渡(あさくみのせとのわたり)。東有通道(かよひぢ),西在平原(はら)中央(まなか)渡。則(うへ)東西(ここかしこ),春秋入出(いれいだす)大小(おほきちさき)雜魚(くさぐさのうを)臨時(とき)(あつまり),筌邊駓騃(おどろきはね),風(おし)(つく)。或破壞(やぶり)筌,或裂破(さく)(あみ)。於是被捕,大小雜魚,濱藻(はまも)(みち)市人(いちびと)四集(よもよりつどひ)自然(おのづから)(いちくら)矣。【自(ここ)入東,至于大井濱(おほゐのはま)之間,南北二濱並捕白魚(しろを)。水深也(ふかし)。】
 朝酌渡(あさくみのわたり)。廣八十步許。自國廳(くにのまつりごとどの)海邊(うみへ)道矣。
 大井濱(おほゐのはま)。則有海鼠()海松(みる)。又造陶器(すゑもの)也。
 邑美冷水(おほみのしみづ)【泉也。】東西北山,並嵯峨(さか)。南海澶漫(ひろく),中央(かた)灠磷磷(いづみきよし)。男女老少,時時叢集(むらがりつどひ),常燕會(うたげ)地矣。
 前原埼(さきはらのさき)。東西北並巃嵷(さかし),下則有(つつみ)。周二百八十步,深一丈五尺許。三邊(みつのほとり)草木,自生(きし)。鴛鴦、鳧、鴨,隨時(ときのまにまに)當住。陂之南,海也。即陂與海之(あひだ)濱,東西長一百步,南北廣六步。(ならべる)蓊鬱(しげり)濱鹵(なぎさ)淵澄(しづけくすめり)。男女隨時叢會,或愉樂(たのしみ)歸,或耽遊(ふけり)(かへる)。常燕喜(うたげ)之地矣。

 蜛蝫嶋(たこしま)。周一十八里一百步,高三丈。古老(ふるおきな)傳云:「出雲郡杵築(きづき)御埼(みさき)蜛蝫(たこ)天羽合鷲(あめのはあひわし)掠持(とりもち)飛來,止于此嶋。故云蜛蝫嶋。今人,猶誤栲嶋(たくしま)號耳。【○蜛蝫(たこ)(たこ)章魚(たこ)是也。】」土地豐沃(ゆたけし)。西邊松二株(ふたもと)以外(このほか)()(くく)薺頭蒿(おはぎ)(ふふき)等之類,生靡(おひなびく)【即有(むまき)。】(くが)三里。
 蜈蚣嶋(むかでのしま)。周五里一百卅步,高二丈。古老(つたへ)云:「有蜛蝫嶋蜛蝫(たこ),食來蜈蚣(むかで)止居(とどまりをりき)此嶋。(かれ)云蜈蚣嶋。」東邊,神社(かむつのやしろ)。以外皆悉(みなふつくに)百姓(おほみたから)之家。土體(つち)豐沃(ゆたけく),草木扶疏(しきもし)(くは)、麻豐富(ゆたか)。此則所謂島里(しまのさと)是矣。(さる)津二里一百步。】即自此嶋,達伯耆國郡內(くぬち)夜見嶋(よみのしま)磐石(いは)二里許,廣六十步許。乘馬猶往來(かよふ)鹽滿(しほみつる)時,深二尺五寸許,鹽乾(しほひる)時者,(すでに)陸地(くが)
 和多多嶋(わただしま)。周三里二百廿步。【有椎、海柘榴(つばき)白桐(あをぎり)(まつ)芋菜(いへついも)、薺頭蒿、蕗、都波(つは)()、鹿。】去陸,(わたり)一十步。不知深淺(ふかきあさき)
 美佐嶋(みさしま)。周二百六十步,高四丈。【有椎、橿(かし)、茅、(あし)、都波、薺頭蒿。】
 戶江剗(とのえのせき)。郡家正東廿里一百八十步。【非嶋,陸地濱(のみ)。伯耆國郡內夜見嶋將相向(あひむかはむ)之間也。】
 栗江埼(くりえのさき)【相向夜見嶋。促戶渡,二百一十六步。】埼之西,入海堺(うみのさかひ)也。

      凡南入海所在雜物,入鹿(いるか)(和爾)(たよし)(須受枳)(近志呂)海鯽(鎮仁)、白魚、海鼠、鰝蝦(えび)、海松等之類,(きはまり)不可盡(つくすべからず)名。

 北,大海(おほうみ)。埼之東,大海堺也。【猶,自西行東。】
 鯉石嶋(こひいしじま)【生海藻(にぎめ)。】
 大嶋(おほしま)(いそ)。】
 宇由比濱(うゆひのはま)。廣八十步。【捕(志毗)魚。】
 盜道濱(ぬすみちのはま)。廣八十步。【捕(志毗)魚。】
 澹由比濱(たゆひのはま)。廣五十步。【捕(志毗)魚。】
 加努夜濱(かぬやのはま)。廣六十步。【捕(志毗)魚。】
 美保濱(みほのはま)。廣一百六十步。【西有神社(美保社),北有百姓(おほみたから)之家。捕(志毗)魚。】
 美保埼(みほのさき)【周壁峙(きしたち)(さかしき)定岳(やま)。】
 等等嶋(とどしま)【禺禺(いたり)住。○『漢書』司馬相如傳郭璞注:「禺禺(とど),魚。皮有毛,黄地黑文。」『史記』司馬相如傳注:「禺禺者,魚牛也。」『校生手實』:「林賦,禺禺、鰈、魶魶,(うを)名。」
 上嶋(かみしま)【礒。】
 久毛等浦(くもとのうら)。廣一百步。【自東行西。(とを)船可泊。】
 黑嶋(くろしま)【生海藻。】
 這田濱(はふだのはま)。長二百步。
 比佐嶋(ひさしま)【生紫菜(むらさきのり)、海藻。】
 長嶋(ながしま)【生紫菜、海藻。】
 比賣嶋(ひめしま)【礒。】
 結嶋門(ゆひのしまと)。周二里卅步,高一十丈。【有松、薺頭蒿、都波。】
 御前小嶋(みさきのこじま)【礒。】
 質留比浦(しちるひのうら)。廣二百廿步。【南神社(質留比社),北百姓之家。(みそち)船可泊。】
 久宇嶋(くうじま)。周一里卅步,高七尺。【有椿(つばき)、椎、白朮、小竹(しの)、薺頭蒿、都波、茅。】
 加多比嶋(かたひしま)【礒。】
 船嶋(ふねしま)【礒。】
 屋嶋(やしま)。周二百步,高廿丈。【有椿、松、薺頭蒿。】
 赤嶋(あかしま)【生海藻。】
 宇氣嶋(うけしま)【同(さき)。】
 黑島(くろしま)(おなじ)前。】
 粟嶋(あはしま)。周二百八十步,高一十丈。【有松、芋、茅、都波。】
 玉結濱(たまえのはま)。廣一百八十步。【有碁石(ごいし)。邊有唐砥(からと)。又,有百姓家。】
 小嶋(こじま)。周二百卌步,高一十丈。【有松、茅、薺頭蒿、都波。】
 方結濱(かたえのはま)。廣一里八十步。【東西有家。】
 勝間埼(かつまのさき)。有二(いはや)【一高一丈五尺,(うら)周一十八步。一高一丈五尺,裏周廿步。】
 鳩嶋(はとしま)。周一百廿步,高一十丈。【有都波(つは)(おほばこ)。】
 鳥嶋(とりしま)。周八十二步,高一十五丈。【有鳥栖(とりのす)。】
 黑嶋(くろしま)【生紫菜(むらさきのり)海藻(にぎめ)。】
 須義濱(すぎのはま)。廣二百八十步。
 衣嶋(きぬしま)。周一百廿步,高五丈。中(うがち),南北船猶往來(かよふ)也。
 稻上濱(いなあげのはま)。廣一百六十二步。【有百姓之(いへ)。】
 稻積嶋(いなづみのしま)。周卌八步,高六丈。【有松木(まつのき)鳥之栖。】中鑿,南北船猶往來也。
 大嶋(おほしま)(いそ)。】
 千酌濱(ちくみのはま)。廣一里六十步。【東有松林(まつばやし),南方驛家(うまや)北方(きたのかた)百姓之家。郡家東北(ひむかしきた)一十九里一百卅步。()則所謂度隱岐國(おきのくに)津是矣。】
 加志鳴(かししま)。周五十六步,高三丈。【有松。】
 赤嶋(あかしま)。周一百步,高一丈六尺。【有松。】
 蓋浦濱(かさうらのはま)。廣一百廿步。【有百姓之家。】
 黑嶋(くろしま)【生紫菜、海藻。】
 龜嶋(かめしま)【同(さき)。】
 附嶋(つきしま)。周二里一十八步,高一丈。【有椿、松、薺頭蒿、茅、葦、都波。其薺頭蒿(おほぎ)者,正月(むつき)元日(ついたち)生,長六()。】
 蘇嶋(そしま)(おふ)紫菜、海藻。】(なか)鑿,南北船(なほ)往來也。
 真屋嶋(まやしま)。周八十六步,高五丈。【有松。】
 松嶋(まつしま)。周八十步,高八丈。【有松林。】
 立石嶋(たてししま)【礒。】
 瀨埼(せざき)【礒。所謂瀨埼戍(せざきのまもり)是也(これなり)。】
 野浪濱(のなみのはま)。廣一里二百八步。【東邊有神社(努那彌社)。又有百姓之家。】
 鶴嶋(つるしま)。周二百一十步,高九丈。【有松。】
 間嶋(まじま)【生海藻。】
 毛都嶋(もつしま)【生紫菜、海藻。】
 川來門大濱(くきどのおほはま)。廣一里百步。【有百姓之家。】
 黑嶋(くろしま)【有海藻。】
 小黑嶋(をぐろしま)【生海藻。】
 加賀神埼(かかのかむさき)(すなはち)(いはや)。高一十丈(ばかり),周五百二步許。東西北(ばかり)【所謂佐太大神(さだのおほかみ)所產生處(あれませるどころ)也。所產生(のぞみ)時,弓箭(ゆみや)亡坐。爾時(そのとき)御祖(みおや)神魂命之御子枳佐加比賣命(きさかひめのみこと)(ねぎ):「吾御子麻須羅神(ますらがみ)御子坐者,所亡(うせし)弓箭出來(いでこ)!」願坐。爾時,角弓箭(つののゆみや),隨水流出。爾時,取之(のりたまはく):「此者(あらぬ)弓箭。」詔而,擲廢(なげうて)給。又,(こがね)弓箭流出來。即待取之坐而:「闇鬱(くらき)窟哉。」詔而,射通(いとほし)坐。即御祖支佐加比賣命(きさかひめのみこと)社,坐此處。今人(いまのひと),是窟(ほとり)行時,必聲磅礚(こゑとどろかし)而行。若(ひそかに)行者,神現而飄風(つむじ)起,行船(ゆくふね)者必(くつがへる)。】
 御嶋(みしま)。周二百八十步,高一十丈。中通東西。【有椿、松、(かへ)。】
 葛嶋(かづらしま)。周一里二百十步,高五丈。【有椿、松、小竹、()(あし)。】
 櫛嶋(くししま)。周二百卌步,高一十丈。【有松林。】
 許意嶋(こおしま)。周八十步,高一十丈。【有茅澤(ちさは)、松林。】
 真嶋(ましま)。周一百八十步,高一十丈。【有松。】
 比羅嶋(ひらしま)【生紫菜、海藻。】
 黑嶋(くろしま)【同(さき)。】
 名嶋(なしま)。周一百八十步,高九丈。【有松。】
 赤嶋(あかしま)生紫菜、海藻。】
 大埼濱(おほはしのはま)。廣一里一百八十步。【西北有百姓之家。】
 須須比埼(すすひのさき)【有白朮(をけら)。】
 御津濱(みつのはま)。廣二百八步。【有百姓之家。】
 三嶋(みしま)【生海藻。】
 蟲津濱(むしつのはま)。廣一百廿步。
 手結埼(たえのさき)濱邊(はまべ)【有二檜。】窟。【高一丈,裏周(うらのめぐり)卅步。】
 手結浦(たえのうら)。廣卌二步。【船二許可泊(はつべし)。】
 久宇嶋(くうしま)。周一百卅步,高七丈。【有松。】

  凡北海(きたのうみ)所捕雜物(くさぐさのもの)(志毗)、朝(ふぐ)沙魚(さめ)烏賊(いか)蜛蝫(たこ)鮑魚(あはび)(さざえ)蛤貝(うむき)(もじ)或作蚌菜(ぼうさい)。】蕀甲蠃(うに)【字(ある)石經子(せきけいし)海膽(うに)甲蠃(かせ)蓼螺子(にがにし)【字或作螺子(らし)。】螺蠣子(かき)石華()【字或作蠣犬腳(れいけんきゃく)也,或土曠(どくわう)犬腳(けんきゃく)者,()也。○宜參本草和名。】白貝(おふ)、海藻、海松(みる)、紫菜、凝海菜(こるもは)等之類,至(さは)不可盡()也。

五、道政區劃

 通意宇郡(さかひ)朝酌渡,一十里二百廿步之中,(うみ)八十步。
 秋鹿(あいか)郡堺佐太橋(さだのはし),一十五里八十步。
 通隱岐(わたり)千酌驛家(ちくみのうまや)(みなと),一十七里一百八十步。





郡司 主帳 無位          出雲(おみ)
大領(おほみやつこ) 外(しゃう)六位下       社部(こそべ)
少領 ()從六位上      社部(いは)
主政 (じゅ)六位下  (くん)十□(とう)  蝮朝臣(たぢひのあそみ)


佐太橋、佐陀川

佐太神社郊 田仲神社
在佐太宮內,佐太橋西折處。東西二殿,各祀木花咲耶姬、磐長姬。

千酌湊 隱岐渡
千酌濱條,度隱岐國津是矣。


八雲立出雲國風土記 秋鹿郡


出雲國秋鹿郡地圖


秋鹿日女命坐 秋鹿神社
秋鹿日女命,不見於他處。按社傳,為大國主治療火傷之女神也。
一、秋鹿略記

 秋鹿郡(あいかのこほり)
 (あはせ)(さと)肆,(こさと)一十二。】神戶(かむべ)壹。
 惠曇(ゑとも)鄉。本字惠伴(けいはん)
 多太(ただ)鄉。今依(さき)用。
 大野(おほの)鄉。今(より)前用。
 伊農(いぬ)鄉。本字伊努(いど)以上(かみ)肆,鄉別(さとごと)里參。】
 神戶(かむべ)里。

 所以(なづくる)秋鹿者,郡家(こほりのみやけ)正北,秋鹿日女命(あいかひめのみこと)坐。(かれ)云秋鹿矣。

二、鄉里驛家

 惠曇(ゑとも)。郡家東北九里卌(あし)須作能乎命(すさのをのみこと)御子磐坂日子命(いはさかひこのみこと),國巡行(めぐりゆき)坐時,(いたり)坐此處而(のりたまひ):「此處(ここ)者,國稚(くにわかく)美好(うるはしく)有。國形(くにがた),如繪鞆(ゑとも)哉。吾之宮(惠杼毛社)者,是處造事(つくりつかへ)者。」故云惠伴(ゑとも)神龜(じんき)三年,改字惠曇。繪鞆(ゑとも),音同惠伴、惠曇(ゑとも)。須作能乎命,素戔嗚尊。磐坂日子命,惠杼毛社(ゑどものやしろ)祭神,不見於他處。
 多太(ただ)郡家(こほりのみやけ)西北五里一百廿步。須佐能乎命(素戔嗚尊)御子衝桙等乎而留比古命(つきほことをよるひこのみこと),國巡行坐時,至(まし)此處詔:「吾御心(みこころ)照明正真(あかくただしく)成。吾者此處(しづまり)將坐。」詔而靜坐。故云多太。【○正真(ただ),音同多太(ただ)。】
 大野(おほの)。郡家正西一十里卅步。和加布都努志能命(わかふつぬしのみこと)御狩(みかり)為坐時,即鄉西(にし)山,待人(まちひと)立給而,追豬犀(),北方(のぼり)之,至阿內谷(くまうちだに)而,其豬之跡亡失(うせぬ)。爾時,詔:「自然哉(おのづからなるかも)。豬之(あと)亡失。」詔。故云內野(うつの)。然今人猶(あやまり)大野號(のみ)【○亡失(うす),古音近うつ,故稱內野(うつの)若經津主命(和加布都努志能命),案出雲郡美談鄉條,大國主之子。依名諱攷之,蓋刀劍之神。與經津主神(ふつぬしのかみ)為別神。】
 伊農(いぬ)。郡家正西一十四里二百步。出雲郡伊農鄉坐赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかぶすまいぬおほすみひこわけのみこと)(きさき)天瓺津日女命(あめみかつひめのみこと),國巡行(めぐりゆき)坐時,至坐此處詔:「伊農はや(波夜)。」詔。故云伊努。神龜(じんき)三年,改字伊農(いの)。】
 神戶里【出雲也。(とく)(ごとし)意宇郡。】



鞆,弓射時繫於左腕之革製護腕。


美談神社 彌太彌社
按出雲郡美談鄉條,彌太彌社社者,祭神和加布都努志能命。今奉經津主命、息長足姬命、武甕槌命、比女遲命,境內另有和加布都努志神社。
赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命,意美豆努命之子,意保須美或作大柱、大洲。天瓺津日女命,或與天御梶日女同神。


出雲二宮 佐太神社 佐太御子社
今佐太神社,昔祭佐太大神御子,今祀佐太大神。


惠曇神社 惠曇海邊社

三、神社名帳

     佐太御子社(さだのみこのやしろ) 比多社(ひたのやしろ) 御井社(みゐのやしろ) 垂水社(たるみのやしろ) 惠杼毛社(ゑどものやしろ)
     許曾志社(こそしのやしろ) 大野津社(おほのつのやしろ) 宇多貴社(うたきのやしろ) 大井社(おほゐのやしろ) 宇智社(うちのやしろ) 【以上一十(ところ)(ならびに)在神祗官。】

     惠曇海邊社(ゑともうみへのやしろ) (おなじき)海邊社(うみへのやしろ) 奴多之社(ぬたしのやしろ) 那牟社(なむのやしろ) 多太社(ただのやしろ)
     同多太社(ただのやしろ) 出嶋社(でじまのやしろ) 阿之牟社(あしむのやしろ) 田仲社(たなかのやしろ) 彌多仁社(みたにのやしろ)
     細見社(ほそみのやしろ) 下社(しものやしろ) 伊努社(いののやしろ) 毛之社(もしのやしろ) 草野社(くさののやしろ)
     秋鹿社(あいかのやしろ) 【以上一十六所,不在(あらず)神祗官。○上記并廿六所,『延喜氏神名帳』社名也。】

四、山川河海

 神名火山(かむなびやま)。郡家東北九里卌步。高二百卅(つゑ),周一十四里。所謂佐太大神社(さだのおほかみのやしろ),即彼山下之(ふもと)
 足日山(たるひやま)。郡家正北一里。高一百七十丈,(めぐり)一十里二百步。
 足高野山(あしたかのやま)。郡家正西一十里廿步。高一百八十丈,周六里。土體豐沃(つちこえ),百姓膏腴(ゆたか)(その)矣。無樹林(はやし),但上頭(みね)在樹林。此則神社(かみつやしろ)也。【○宇智社。(やしろ)(もり)通。】
 都勢野(つせの)。郡家正西一十里廿步。高一百一十丈,周五里。無樹林。嶺中(みねのなか)(さは),周五十步。四涯(よものきし)(ふぢ)(をぎ)(あし)()等物叢生(むらがりおひ),或叢(たち),或(ふす)水。鴛鴦(をし)住也。
 今山(いまやま)。郡家正西一十里廿步。周七里。

     凡(もろもろ)山野所在(あらゆる)草木,白朮()獨活(つちたら)女青(かばねくさ)苦參(くらら)貝母(ははくり)牡丹(ふかみぐさ)連翹(いたちぐさ)伏令(まつほど)藍漆(やまあさ)女委(ゑみくさ)細辛(みらのねぐさ)蜀椒(ふさはじかみ)薯預(やまついも)白歛(やまかがみ)芍藥(えびすぐすり)百部根(ふとづら)薇蕨(わらび)薺頭蒿(おはぎ)、藤、(すもも)赤桐(あかぎり)白桐(あをぎり)(しひ)椿(つばき)(くす)、松、(かへ)(つき)
     禽獸(とりけだもの)則有,(わし)晨風(はやぶさ)山雞(やまどり)(はと)(きぎし)()鹿(しか)(うさぎ)飛鼺(むささび)(きつね)獼猴(さる)

 佐太河(さだがは)(みなもと)二,【東水源(みなもと),嶋根郡所謂(いはゆる)多久川是也(これなり)。西水源,(いづ)秋鹿郡渡村(わたりのむら)。】二水(あひ),南流入佐太水海(さだのみづうみ)。即水海(めぐり)七里。【有(ふな)。】水海通入海(いりうみ)(みなと)長一百五十步,廣一十步。
 山田川(やまだがは)。源(いで)郡家西北七里湯火山(ゆひやま),南流(いる)入海。
 多太川(ただがは)。源出郡家正西(まにし)一十里足高野山(あしたかのやま),南(ながれ)入入海。
 大野川(おほのがは)。源出郡家正西一十三里磐門山(いはとやま),南流入入海。
 草野川(くさのがは)。源出郡家正西一十四里大繼山(おほつぎやま),南流入入海。
 伊農川(いぬがは)。源出郡家正西一十六里伊農山(いぬやま),南流入入海。【以上七川(ななつのかは),並無(うを)。】

 惠曇陂(ゑとものつつみ)。周六里。在,鴛鴦、(たかべ)(かも)(ふな)四邊(あたり)生,葦、(まこも)(すげ)。自養老(やうらう)元年(はじめのとし)以往(さき)荷蕖(はちす)自然(おのづから)叢生(むれはえ)太多(はなはだおほかりき)。二年以降(よりのち),自然亡失(うせ)(すべて)(くき)俗人(くにびと)云:「其底陶器(すゑもの)(みか)(もたひ)(たぐひ)多有也。自(いにしへ)時時人溺死(おぼれしにき)。不知深淺矣。」
 深田池(ふかだのいけ)。周二百卅步。【有鴛鴦、鳧、鴨。】
 杜石池(もりいしのいけ)。周一里二百步。
 峰峙池(みねぢのいけ)。周一里。
 佐久羅池(さくらのいけ)。周一里一百步。【有鴛鴦。】
 南,入海(宍道湖)

     春則在鯔魚(なよし)(須受枳)黑鯛(鎮仁)【○鎮仁(ちに),或云知沼(ちぬ),黑鯛。】鰝蝦(えび)等,大小(くさぐさ)魚。秋則有白鵠(くぐひ)鴻鴈(かり)、鳧、鴨(ども)鳥。

 北,大海(おほうみ)
 惠曇濱(ゑとものはま)。廣二里一百八十步。東南並在(いへ)。西野,北大海(日本海)。即自(うら)至于在家(いへ)之間,四方(よも)並無石木(いはき),猶白沙(しろいさご)(つもれる)。大風吹時,其(いさご),或隨風雪零(ゆきとふり),或(したがひ)蟻散(ありとちり)掩覆(おほふ)桑麻。即有彫鑿(ゑりうがてる)磐壁(いはかべ)二所。【一(ところ)厚三丈,廣一丈,高八尺。一所厚二丈二尺,廣一丈,高一丈。】其中(とほる)川,北流入大海。【川東,嶋根郡也。西,秋鹿郡內(くぬち)也。】川口(かはのくち)至南方田邊(たのへ)之間,長一百八十步,廣一丈五尺。源者,田水(たのみづ)也。上文(かつのふみ)所謂佐太川(さだがは)西源,是同處(おなじきところ)矣。凡渡村(わたりのむら)田水,南北別耳(わかるるのみ)古老(ふるおきな)傳云:「嶋根郡大領(おほつかさ)社部臣訓麻呂(こそべのおみくにまろ)之祖波蘇(はそ)等,依稻田(いなだ)(っこむ),所彫堀(ゑりほれる)也。」(はじめて)浦之西(いそ)(いたる)楯縫郡堺自毛崎(しもさき)之間,濱壁峙崖嵬(きしたちてさかしく)(いへども)風之靜,往來船(ゆききのふね),無由停泊(はつる)(ほとり)矣。
 白嶋(しろしま)【生紫苔菜(むらさきのり)。】
 御嶋(みしま)。高六丈,周八十步。【有松三(もと)。】
 都於嶋(つおじま)【礒。】
 著穗嶋(つきほしま)【生海藻(にぎめ)。】

     凡北海所在雜物(くさぐさのもの)(ふぐ)沙魚(さめ)(佐波)、烏賊、鮑魚、(さざえ)貽貝(いがい)(うむき)甲蠃(かせ)螺子(しただみ)石華()蠣子(かき)、海藻、海松(みる)紫菜(むらさきのり)凝海菜(こるもは)


神名火山 朝日山


足日山 經塚山 國司神社


足高野山 本宮山 內神社
上大野町、大垣町堺本宮山,別名高野山。內神社,即宇智社。


都勢野 十膳山


佐太河


惠曇陂 鹿島町佐陀本鄉
佐陀本鄉水澤,今已埋沒為田園。『尚書』泰誓上陂池傳云「澤障曰陂。」『和名抄』云「陂堤,蓄水曰陂。つつみ。」


大海 日本海
風土記所謂入海者,今宍道湖、中海。所謂入海者,今日本海。


惠曇濱 今惠曇港一代


白嶋 鹿島町男島


御嶋 上大野町魚瀨町女島
都於嶋,女島以西大黑島是也。著穗島,未祥孰是。


佐太水海跡
佐太河條,述其東西二水源合流後,南入佐太水海。今在西濱佐陀町週邊,古時幅員廣大,如今規模驟減,不復從前。 伊農橋,楯縫郡郡界條云伊農川。日本古典文學大系『風土記』「架於伊野川之橋。遺跡在中流野鄉、大畑附近。」秋鹿郡屬下郡,故不置主政。

五、道政區劃

 通嶋根郡堺佐太橋(さだのはし),八里二百步。
 通楯縫郡堺伊農橋(いぬはし),一十五里一百步。





郡司(ほこりのつかさ) 主帳(ふみひと)   ()從八位(しも) (くん)十□等 日下部臣(くさかべのおみ)
大領   外(しゃう)八位下 勳十□(とう)  刑部(おさかべ)
權任少領(かりのすけのみやつこ) 從八位(じゅはちゐ)下        蝮部(たぢひべ)


八雲立出雲國風土記 楯縫郡

一、楯縫略記

 合,鄉肆,(こざと)一十二。】餘戶(あまりべ)壹,神戶壹。
 佐香鄉(さかのさと)。今依(さき)用。
 楯縫鄉(たてぬひのさと)。今依前(もちゐる)
 玖潭鄉(くたみのさと)。本字忽美(こつび)
 沼田鄉(ぬたのさと)。本字努多(どた)以上(かみ)肆,鄉別(さとごと)里參。】
 餘戶里(あまりべのさと)
 神戶(かむべ)里。

 所以(ゆゑ)號楯縫者,神魂命(かむむすびのみこと)詔:「五十足天日栖宮(いとだるあめのひすみのみや)縱橫御量(たてよこのみはかり)千尋栲紲(ちひろのたくなは)持而,百八十(ももやそ)(むすびに)結下(むすびさげ)而,此天御量(あめのみはかり)持而,所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)之宮造奉(つくりたてまつれ)。」詔而,御子(みこ)天御鳥命(あめのみとりのみこと)楯部(たてべ)為而,天下給之(たまひき)爾時(そのとき)退下(まがりくだり)來坐而,大神宮御裝(みよそひ)楯造始給(ところ)是也(これなり)(よりて)至今,楯桙(たてほこ)造而奉於皇神等(すめがみたち)(かれ)云楯縫。


出雲國楯縫郡地圖


出雲國十郡分圖 楯縫郡


造化三神 高皇產靈尊【左】
神魂命詔,引『日本書紀』神代紀第九段一書第二。又引讓國之條。


天石楯 意宇郡楯縫鄉緣起



楯縫鄉
此條言業梨礒有窟。然訓字、所在未詳。窟或在唯浦穴之淵,故業梨者,恐紫菜磯之誤寫乎。

二、鄉里驛家

 佐香(さか)郡家(こほりのみやけ)正東四里一百六十(あし)。佐香河內(かふち)百八十神(ももやそかみ)集坐(つどひまし)御廚(みくりや)立給而令釀(かもさせ)酒給之。即百八十日(ももやそひ)喜燕(さかみづ)解散(あらけ)坐。故云佐香。【○喜燕(さかみづ)即喜宴,酒水漬(さかみづ)く也。解散(あらけ),疏離之意。】
 楯縫(たてぬひ)。即(つけり)郡家。(とく)(ごとし)郡。】即北海(はま)業梨(未詳)礒在(いはや)【○業梨礒,意訓、所在不詳。蓋誤寫乎。或云紫菜礒之訛。】(たてよこ)一丈(なから),高廣(おのもおのも)七尺。(うら)南壁在(あな),口周六(さか)(わたり)二尺。人不得(えず)入,不知遠近(とほきちかき)
 玖潭(くたみ)。郡家正西五里二百步。所造天下大神命(大國主)天御飯田之御倉(あめのみいひだのみくら),將造給(はやし)覔巡行(まぎめぐりおはし)給。爾時,「凍雨(波夜佐雨)【○波夜佐雨(はやさめ),暴風也。『新撰字鏡』云:「(はやさめ),暴風也。はやさあめ(波夜佐安女)。」『倭姬命世記』云:「速雨(はやさめ),二見國。」】玖潭山(久多美乃山)!」詔給之。故云忽美(くたみ)神龜(じんき)三年,改字玖潭(くたむ)。】
 沼田(ぬた)。郡家正西八里六十步。宇乃治比古命(うのぢひこのみこと):「以濕地(爾多)水而,御乾飯漬濡に(爾多爾)食坐。【○爾多(にた),溼地也。此謂以溼地水,濡乾飯以奉食。】」詔而,爾多負給之(おほせたまひき)。然則可謂(いふべき)爾多鄉,而今人猶云努多(ぬた)耳。【神龜三年,改字沼田(せうでん)。】
 餘戶里【說名如意宇郡(おうのこほり)。】
 神戶里出雲(いづも)也。說名如意宇郡。○熊野、杵築(出雲)二大社神戶。

三、神社寺所

 新造(ゐん)一所。在沼田鄉中,建立嚴堂(ごんだう)也。郡家正西六里一百六十步。大領(おほみやつこ)出雲臣大田(いづものおみおほた)之所造也。

     久多美社(くたみのやしろ) 多久社(たくのやしろ) 佐加社(さかのやしろ) 乃利斯社(のりしのやしろ) 御津社(みつのやしろ)
     水社(みづのやしろ) 宇美社(うみのやしろ) 許豆社(こづのやしろ) 同社(おなじきやしろ) 【以上九所,並在神祗官(かむつかさ)。】

     許豆乃社(こづのやしろ) (また)許豆社 又許豆社 久多美社(たくみのやしろ) (おなじき)久多美社
     高守社(たかもりのやしろ) (また)高守社 紫菜嶋社(のりしまのやしろ) 鞆前社(ともさきのやしろ) 宿努社(すくぬのやしろ)
     猗田社(さきたのやしろ) 山口社(やまぐちのやしろ) 葦原社(あしはらのやしろ) (また)葦原社 (また)葦原社
     峴之社(みねのやしろ) 阿年知社(あねちのやしろ) 葦原社(あしはらのやしろ) 田田社(ただのやしろ) 【以上一十九(ところ),並不在(あらず)神祗官。○上計廿八所,『延喜式神名帳』社()也。


本郡新造院,蓋西西鄉廢寺


多久社 今多久神社。


紫菜嶋社,遷與日御碕神社合祀


神名樋山 大船山
乃佐香、多久川之源,有大船山說、大涉山說。阿豆麻夜山,檜山。見椋山,高野寺山。


烏帽子岩
傳神名樋山頂西側所在石神。


佐香川 鹿園寺川


多久川【左】、宇加川【右】
多久川,今依前用。宇加川,今宇賀川,集高野寺山西南群谷之水,經宇賀、平田入宍道湖。


大海 日本海


能呂志嶋 唯浦海天狗島
能呂志嶋,天狗島。能呂志濱,近唯浦漁港。銍間濱,平田市釜浦。

四、山川河海

 神名樋山(なむなびやま)。郡家東北六里一百六十步。高一百廿丈五(さか),周廿一里一百八十步。(いただき)西在石神(いしがみ)。高一丈,周一丈。往側(みちのほとり)小石神(ちさきいしがみ)百餘(ばかり)古老(ふるおきな)傳云:「阿遲枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)(きさき)天御梶日女命(あめのみかぢひめのみこと),來坐多具村(たぐのむら),產給多伎都比古命(たきつひこのみこと)。爾時,教詔(さとしのりたまはく):『汝命(ながみこと)御祖(みおや)(ごとく)泣。【此教,如汝御祖而泣之。】(おもほさば)生,此處宜也(ここえし)。』所謂(いはゆる)石神者,即是多伎都比古命(湍津彥)御託(みつきもの)。當(ひでり)乞雨時,必令零(ふらしめ)也。」
 阿豆麻夜山(あづまややま)。郡家正北五里卌步。
 見椋山(みくらやま)。郡家西北七里。

     (おほよそ)諸山所在草木,蜀椒(なるはじかみ)藍漆(やまあさ)麥門冬(やますげ)伏令(まつほど)細辛(みらのなぐさ)白歛(やまかがみ)杜仲(はひまゆみ)人參(かのにけくさ)升麻(とりのあしくさ)署預(やまついも)白朮(をけら)(ふぢ)(すもも)(かへ)(にれ)(しひ)赤桐(あかぎり)白桐(あをぎり)海榴(つばき)(くす)、松、(つき)
     禽獸(とりけもの)則有,(わし)晨風(はやぶさ)(はと)山雞(やまどり)()鹿(しか)、兔、狐、獼猴(さる)飛鼯(むささび)

 佐香河(さかがは)。源(いで)郡家東北,所謂神名樋山,東南流入入海(いりうみ)
 多久川(たくがは)。源出(おなじき)神名樋山,西南(ながれ)入入海。
 都字川(つじがは)(みたもと)二,【東川源(かはのみなもと),出阿豆麻夜山(あづまやま)。西川源,出見椋山(みくらやま)。】二水(ふたつのみづ)合,南流入入海。
 宇加川(うかがは)。源出(おなじき)見椋山,南流入入海。
 麻奈加比池(まながひのいけ)。周一里一十步。
 大東池(おほひむがしのいけ)。周一里。
 赤市池(あけちのいけ)。周一里二百步。
 沼田池(ぬたのいけ)。周一里五十步。
 長田池(ながたのいけ)。周一里一百步。
 南,入海(いりうみ)雜物(くさぐさのもの)等者,如秋鹿郡(とける)

 北,大海(おほうみ)
 自毛埼(しもさき)【秋鹿與楯縫二郡(さかひ)崔嵬(さかひ),松、栢(しげれり)。時即有晨風()()也。】
 佐香濱(さかのはま)。廣五十步。
 己自都濱(こしつはま)。廣九十二步。
 御津嶋(みつのしま)【生紫菜(むらさきのり)。】
 御津濱(みつのはま)。廣卅八步。
 能呂志嶋(のろしのしま)【生紫菜。】
 能呂志濱(のろしのはま)。廣八步。
 銍間濱(かままのはま)。廣一百步。
 於豆振(おづふるひ)。長□里二百步,廣一里。【周嵯峨(さかし)。上有松、()(いへついも)○脫字,或本作二。
 許豆嶋(こづのしま)(おふ)紫菜。】
 許豆濱(こづのはま)。廣一百步。【出雲與楯縫二郡(ふたつのこほり)之堺。】

     凡北海所在(あらゆる)雜物,如秋鹿郡說。(ただ)紫菜者,楯縫郡尤優也(いともまされり)

五、道政區劃

 (かよふ)秋鹿郡堺伊農川(いぬがは),八里二百六十四步。
 通出雲郡(さかひ)宇加川,七里一百六十步。






郡司(こほりのつかさ) 主帳(ふみひと) 無位(むゐ)         物部(もののべ)
  大領(おほみやつこ) ()(じゅ)七位(しも) (くん)十□等 出雲(おみ)
  少領(すけのみやつこ) 外(しゃう)六位下 勳十□(とう) 高善史(たかよしのふひと)


許豆濱 平田市小津町濱
小津町濱,十六島灣中最深處,為出雲、楯縫二郡交界。
許豆嶋乃其海岸邊之竹島,今以填海而併入新生地。於豆振,或作許豆振,十六島町之岬。


伊農川 伊野川


八雲立出雲國風土記 出雲郡


出雲國出雲郡地圖


出雲國十郡分圖 出雲郡


出雲大社

一、出雲略記

 出雲郡(いづものこほり)
 (あはせ)(さと)捌,(こざと)廿三。】神戶(かむべ)【里二。】
 健部鄉(たけるべのさと)。今依前(もちゐる)
 漆治鄉(しつちのさと)本字(もとのじ)志丑治(しちうち)
 河內鄉(かふちのさと)。今(より)前用。
 出雲鄉。今依(さき)用。
 杵築鄉(きづきのさと)。本字寸付(すんふ)
 伊努鄉(いぬのさと)。本字伊農(いのう)
 美談鄉(みたみのさと)。本字三太三(さんたさん)以上(かみ)漆,鄉別(さとごと)里參。】
 宇賀鄉(うかのさと)(いまも)依前用。(こざと)二。】
 神戶鄉(かむべのさと)【里二。】
 所以(ゆゑ)號出雲者,說名(なをとくこと)(くに)也。

二、鄉里驛家

 健部(たけるべ)郡家(こほりのみやけ)正東一十二里二百廿四(あし)。先所以號宇夜里(うやのさと)者,宇夜都辨命(うやつべのみこと),其山峰天降(あもり)坐之。(すなはち)彼神之社,至今(なほ)坐此處。【○神代社。宇夜都辨命,不見於他處。】(かれ)云宇夜里。而後(そののち)(あらため)所以號建部者,纏向檜代宮(まきむくのひしろのみや)御宇(あめのしたしろしめしし)天皇(景行)敕:「不忘朕御子(みこ)倭健命(やまとたけるのみこと)御名(みな)。」健部定給(さだめたまひき)。爾時,神門臣古禰(かむどのおみふるね),健部定給。即健部臣(たち),自(いにしへ)至今,猶(すまひす)此處。故(いふ)健部。
 漆治(しつち)。郡家正東(まひむかし)五里二百七十步。神魂命(かむむすびのみこと)御子天津枳比佐可美高日子命(あまつきひさかみたかひこ)御名,【○此神,他處不見。】又云薦枕志都治值(こもまくらしつちち)之。此神,鄉中(さとのなか)坐。故云志丑治(しつち)神龜(しんき)三年,(あらたむ)字漆治。○曾伎乃夜社。薦枕志都值(しつち)漆治之靈(しつち)哉。即有正倉(みやけ)
 河內(かふち)。郡家正南(まみなみ)一十三里一百步。斐伊大河(ひのおほかは),此鄉中北流(きたへながれる)。故云河內。即有(つつみ)(ながさ)一百七十(つゑ)(さか)【七十一丈之(ひろさ)七丈,九十伍丈之廣四丈五尺。○按合計之數有差,或有誤。
 出雲(いづも)。即(つく)郡家。【說名如國。】
 杵築(きづき)。郡家西北(にしきた)廿八里六十步。八束水臣津野命(やつかみづおみづののみこと)國引(くにひき)給之後,所造天下(あめのしたつくらしし)大神(おほかみ)之宮將奉(つかへまつらむ)而,諸皇神等(すめがみたち)參集(まゐりつどひ)宮處(みやどころ)杵築。故云寸付(きづき)【神龜三年,改字杵築。】
 伊努(いぬ)。郡家正北八里七十二步。國引坐意美豆努命(くにひきまししおみづぬのみこと)御子赤衾伊努意保須美比古佐倭氣能命(あかぶすまいぬおほすみひこさわけのみこと)之社,即(います)鄉中。故云伊農(いぬ)【神龜三年,改()伊努。】
 美談(みたみ)。郡家正北九里二百四十步。所造天下大神(大國主命)御子和加布都努志命(わかふつぬしのみこと)天地初判(あめつちはじめてわかれし)之後,天御領田(あめのみしろた)(をさ)供奉(つかへまつり)坐之。即彼神(そのかみ)坐鄉中。故云三太三(みたみ)【神龜三年,改字美談(びたん)三太三(みたみ)御田見(みたみ)也。(あり)正倉。
 宇賀(うか)。郡家正北(まきた)一十七里二十五步。所造天下大神命(大國主命)誂坐(つまどひましき)神魂命御子綾門日女命(あやとひめのみこと)。爾時,女神(めがみ)不肯(うべなはず)逃隱(にげかくり)之時,大神伺求給(うかかひまぎたまひし)所,此則是鄉。故云宇加。【○宇加(うか),音與(うかがふ)同。】即北海(はま)有礒,名腦礒(なづきのいそ)。高一丈(ばかり)。上(おふ)松,(しげり)至礒。邑人(むらびと)朝夕(あさよひ)往來(ゆきかよへる),又木枝(きのえだ)人之如攀引(よぢひける)。自礒西方窟戶(いはやど),高廣(おのもおのも)六尺許。窟內(いはやのうち)(あな)。人不得入,不知深淺(ふかきあさき)也。(いめ)至此處礒窟(いそのいはや)(ほとり)者,必死。故俗人(くにびと),自古至今,號黃泉之坂(よみのさか)黃泉之穴(よみのあな)也。
 神戶(かむべ)。郡家西北二里一百廿步。【出雲也。說名如意宇(おう)郡。】


日本武尊 倭建命
日本武尊征討東國,薨於能褒野。景行帝欲不忘其名,遂設健部。


出雲大社【杵筑大社】本殿
所造天下大神之宮, 嗣大國主。


出雲大社復原圖


古代出雲大社 心御柱跡


豬目洞窟 黃泉穴比定地


杵築大社 古代出雲大社本殿


出雲社 素鵞社


御魂社 命主社


美佐伎社 日御碕神社


山邊社 山邊神社 山邊赤人


間野社 原鹿神社


百技槐社 經島 日御碕神社元宮

三、神社寺所

 (あらたに)造院一所(あり)河內鄉中。建立(たつ)嚴堂也。郡家正南一十三里一百步。(もと)大領日置部臣布禰(へきべのおみふみ)之所造。【今大領(おほみやつこ)佐底麿(さでまろ)祖父(おほぢ)○按『風土記鈔』,上鄉城上寺。

     杵築大社(きづきのおほやしろ) 御魂社(みむすびのやしろ) 御向社(みむかひのやしろ) 出雲社(いづものやしろ) 御魂社(みむすびのやしろ)
     伊努社(いぬのやしろ) 意保美社(おほみのやしろ) 曾伎乃夜社(そきのやのやしろ) 久牟社(くむのやしろ) 審伎乃夜社(そきのやのやしろ)
     阿受伎社(あずきのやしろ) 美佐伎社(みさきのやしろ) 伊奈佐乃社(いなさのやしろ) 彌太彌社(みたみのやしろ) 阿我多社(あがたのやしろ)
     伊波社(いはのやしろ) 阿具社(あぐのやしろ) 都牟自社(つむじのやしろ) 久佐加社(くさかのやしろ) 彌努婆社(みぬばのやしろ)
     阿受枳社(あずきのやしろ) 宇加社(うかのやしろ) (おなじき)阿受枳社 布世社(ふせのやしろ) 神代社(かみしろのやしろ)
     加毛利社(かもりのやしろ) 來坂社(くさかのやしろ) 伊農社(いぬのやしろ) 同社 同社
     鳥屋社(とやのやしろ) 御井社(みゐのやしろ) 企豆伎社(きづきのやしろ) 同社 同社
     同社 同社 同社 阿受枳社(あずきのやしろ) 同社
     (おなじき)社 同社 同社 同社 同社
     同社 來坂社(くさかのやしろ) 伊努社(いぬのやしろ) 同社 同社
     彌陀彌社(みたみのやしろ) 縣社(あがたのやしろ) 斐提社(ひでのやしろ) 韓銍社(からかまのやしろ) 加佐伽社(かさかのやしろ)
     伊自美社(いじみのやしろ) 波禰社(はねのやしろ) 立蟲社(たちむしのやしろ) 已上(かみ)五十八所,在神祗官(かむつかさ)。】

     御前社(みさきのやしろ) 同御埼社(みさきのやしろ) 支豆支社(きづきのやしろ) 阿受支社(あずきのやしろ) (おなじき)阿受支社
     同社 (おなじき)阿受支社 (おなじき)阿受支社 同社 同社
     同(やしろ) 同社 同社 同社 同社
     (おなじき)社 同社 同社 同社 同社
     同社(おなじきやしろ) 同社 同社 同社 同社
     同(やしろ) 同社 同社 同社 同社
     同社 同社 伊努社(いぬのやしろ) (おなじき)伊努社 同社
     同社 同社 縣社(あがたのやしろ) 彌陀彌社(みたみのやしろ) (おなじき)彌陀彌社
     同(やしろ) 同社 同社 同社 同社
     同社 同社 同社 同社 伊爾波社(ににはのやしろ)
     都牟自社(つむじのやしろ) 同社 彌努波社(みぬばのやしろ) 山邊社(やまべのやしろ) 同社
     同社 間野社(まののやしろ) 布西社(ふせのやしろ) 波如社(はねのやしろ) 佐支多社(さきたのやしろ)
     支比佐社(きひさのやしろ) 神代社(かみしろのやしろ) 同社 百技槐社(ももえゑにすのやしろ) 【已上六十四所,不在神祗官。○上并百廿二所,『延喜式神名帳』社()

四、山川河海

 神名火山(かむなびやま)。郡家東南三里一百五十步。高一百七十五丈,周一十五里六十步。曾支能夜社(そきのやのやしろ)(います)伎比佐加美高日子命(きひさかみたかひこのみこと)社,即在此山巖(やまのみね)。故云神名火山。
 出雲御崎山(いづものみさきやま)。郡家西北廿七里三百六十步。高三百六十丈,周九十六里一百六十五步。西下(にしのふもと)所謂所造天下大神(大國主命)之社坐也。

     凡,(もろもろ)山野所在草木,卑解(ところ)百部根(ふとづら)女委(ゑみくさ)夜干(からすあふぎ)商陸(いをすぎ)獨活(つちたら)葛根(くずのね)(わらび)(ふぢ)(すもも)蜀椒(なるはじかみ)(にれ)赤桐(あかぎり)白桐(あをぎり)(しひ)椿(つばき)(まつ)(かへ)
     禽獸(とりけだもの)則有,晨風(はやぶさ)(はと)山雞(やまどり)(くぐひ)、䳯、【未詳。或本作(つぐみ)。】()鹿(しか)(おほかみ)(うさぎ)(きつね)獼猴(さる)飛鼯(むささび)也。

 出雲大川(いづものおほかは)。源自伯耆(ははき)與出雲二國(さかひ)鳥上山(とりかみやま)流,出仁多郡(にたのこほり)橫田村(よこたのむら),即經橫田(よこた)三處(みところ)三澤(みさは)布勢(ふせ)等四鄉,出大原郡(おほはらのこほり)引沼村(ひきぬのむら),即經來次(きすき)斐伊()屋代(やしろ)神原(かむはら)等四鄉,(いで)出雲郡堺多義村(たけのむら),經河內(かふち)、出雲二鄉(ふたつのさと),北流更(おれ)西流,即經伊努(いぬ)杵築(きづき)二鄉,入神門水海(かむどのみづうみ)。此則所謂斐伊河下(ひのかはしも)也。河之兩邊(みぎひたり),或土地豐沃(つちゆたけく)五穀(たなつもの)(くは)(あさ)(みのり)(たわめ)枝,百姓(おほみたから)膏腴薗(ゆたかなるその)。或土體豐沃(つちゆた),草木叢生(むらがりおふ)也。則有年魚(あゆ)(さけ)(麻須)(伊具比)(ふな)(はむ)等之類,潭湍(ふちせ)雙泳(ならびくくる)。自河口(かはのくち)河上(かはのかみ)橫田村之間,五郡百姓,便(より)河而(すめり)【出雲、神門(かむど)飯石(いひし)仁多(にた)、大原郡。】孟春(むつき)季春(やよひ)挍材木船(きをかとれるふね)沿沂(のぼりくだれり)河中(かはのなか)也。
 意保美小河(おほみのをがは)(みなもと)出出雲御崎山,北流入大海(おほうみ)【有年魚少少(すこし)。】
 土負池(つちおひのいけ)。周二百卌步。
 須須比池(すすひのいけ)。周二百五十步。
 西門江(にしかどのえ)。周三里一百五十八步。東流入入海。【有(ふな)。】
 大方江(おほかたのえ)。周二百卌四步。東流入入海。【有鮒。】二江(ふたつのえ)源者,並田水(たのみづ)(あつまる)矣。
 東,入海(いりうみ)三方(みつのかた)平原(はら)遼遠(はるか)多有(さはにあり)山雞、(かり)(たかべ)、鴨、鴛鴦(をし)等之(たぐひ)也。
  東入海所在雜物(くさぐさのもの),如秋鹿郡(あいかのこほり)說也。

 北,大海(おほうみ)
 宮松埼(みやまつのさき)【有楯縫(たてぬひ)與出雲郡堺。】
 意保美濱(おほみのはま)。廣二里一百廿步。
 氣多嶋(けたのしま)【生紫菜(むらさきのり)海松(みる)。有(あはび)(さざえ)蕀甲蠃(うに)。】
 井吞濱(ゐのめのはま)。廣卌二步。
 宇大保濱(うだほのはま)。廣卅五步。
 大前嶋(おほさきのしま)。高一丈,周二百五十五步。【生海藻(にぎめ)。】
 腦嶋(なづきしま)【生紫菜、海藻。有松、栢。】
 鷺濱(さぎはま)。廣二百步。
 黑嶋(くろしま)【生紫菜。】
 米結濱(めゆひのはま)。廣廿步。
 爾比埼(にひさき)。長一里卌步,廣廿步。崎之南本(みなみのもと),東西(とほし)戶,【○戶,水門。】船猶往來(かよひ)(うへ)則松叢生也。
 宇禮保浦(うれほのうら)。廣七十八步。船廿許可泊。
 山崎(やまさき)。高卅九丈,周一里二百五十步。【有椎、(くすのき)椿(つばき)、松。】
 子負嶋(こおひのしま)(いそ)。】
 大椅濱(おほはしのはま)。廣一百五十步。
 御前濱(みさきのはま)。廣一百廿步。【有百姓(いへ)。】
 御嚴嶋(みいつくしま)【生海藻。】
 御廚家嶋(みくりやのしま)。高四丈,周廿步。【有松。】
 等等嶋(とどのしま)【有貽貝(いがい)石花()。】
 恎聞埼(しもさき)。長三十步,廣三十二步。【有松。○恎,惡性也,佷也。
 意能保濱(おのほのはま)。廣一十八步。
 栗嶋(くりしま)【生海藻。】
 黑嶋(くろしま)【生海藻。】
 這田濱(はふたのはま)。廣一百步。
 二俣濱(ふたまたのはま)。廣九十八步。
 門石嶋(かどいししま)。高五丈,周四十二步。【有鷲之栖(わしのす)。】
 (その)。長三里一百步,廣一里二百步。松繁多矣(しげりておほし)。即自神門水海,通大海(みなと)【○潮,水路也。】長三里,廣一百二十步。此(すなはち)出雲與神門二郡(さかひ)也。
  (おほよそ)北海所在雜物,如楯縫郡(とける)(ただ),鮑,出雲郡尤優(もともまされり)所捕者(とるもの),所謂御埼海子(みさきのあま)是也。


神名火山 佛經山


出雲御崎山
自平田市西旅伏山起,至簸川郡大社町北側之彌山、日御碕為止之北山山脈。古事記作宇迦山。


出雲大川 斐伊川


出雲大川 斐伊川
源自島根、鳥取縣境船通山,流經仁多、飯石、大原、出雲、簸川、平田。昔經神門水海注入日本海,約於十七世紀前半改注宍道湖。


簸川平野 出雲平野
大方江、西門江,所在未詳。文中平原遼遠者,指簸川平野。


井吞濱 豬目海岸
豬目川北流注海,西有豬目洞窟,古稱黃泉穴。昭和廿三年,發掘大量繩文、古墳時代之人骨、遺物。


鷺濱 鷺浦之濱


御嚴嶋 經島


恎聞埼 日御碕追石鼻


門石嶋 辨天島
記紀神話中出雲讓國之地,亦為神在月時諸神上岸之處。本奉辨才天,後改祀豐玉姬命。


海女
海子,或書海人、海女,以漁業、製鹽維生者。漢籍或作海士。


神立橋
神門郡堺出雲大河邊,今神立橋附近,為正西道之渡河點。


出雲國造千家國造館
出雲郡屬中郡,郡司四員。而此郡郡司,不含出雲國造出雲臣、及同族神門臣者,甚值注目。

五、道政區劃

 (かよふ)意宇郡堺佐雜村(さざふのむら),一十三里六十四步。
 通神門郡堺出雲大河邊(いづものおほかはのへ),二里六十步。
 大原郡(おほはらのこほり)多義村(たけのむら),一十五里卅八步。
 通楯縫郡堺宇加川(うかがは),一十四里二百廿步。





郡司(こほりのつかさ) 主帳(ふみひと) 無位(むゐ)    若倭部臣(わかやまとべのおみ)
大領(おほみやつこ) 外正八位下(げしゃうはちゐげ)  日置臣(へきのおみ)
少領(すけのみやつこ) 外(じゅ)八位下  大 臣(おほのおみ)
主政(まつりごとひと) 外大初位(だいそゐ)下  □部臣


[久遠の絆] [國 名] [神門郡] [再臨詔]